耕作放棄地をコスモス畑として蘇らせた中野氏
臼杵市(うすきし)は、人口約3万4000人(2024/1現在)の小さな町。人口減少が進む中、地元出身の中野 重二(なかの じゅうじ)氏は、観光客を呼び込むために様々なチャレンジを行っています。耕作放棄地を無償で借りて花畑に変え、かつて海水浴客で賑わっていた臼杵湾内に浮かぶ黒島(くろしま)のPRを積極的に展開。さらに、中野氏自身が立ち上げた観光サイトを通じて、地域の魅力を広く発信しています。これらの取組は、地域の活性化と地域経済の発展に寄与しています。
*グッドライフアワードは、環境省が提唱する地域循環共生圏の理念を具現化する取組を表彰し認知を広げるためのプロジェクトです。詳しくはこちらをご覧ください。
どんな活動?
地域の観光資源を発掘&PR!個人が挑む町おこし!!
臼杵市(うすきし)は、大分県の東海岸に位置し、大分市に隣接する人口約3万4千人の小さな町です。
環境大臣賞・個人賞を受賞した中野 重二氏は、臼杵市の65歳。彼の取組は、地域の観光資源の発掘とPRです。現在、協力や支援の輪は広がっていますが、中野氏はたったひとりでこの活動を始めました。
かぼすブリの養殖場を視察
まず、中野氏は地元の名産品を発掘しようと、大分県が日本一の生産量を誇る“かぼす”を食べて育ったブランド魚「かぼすブリ」に着目。その美味しさを全国に広めようと PR活動を展開しました。
大分地質学会の断層見学
また、地元の佐志生断層(さしうだんそう)が「日本地質構造100選」に選ばれたことを受けて、地層学習の機会を増やすために2016年に「地質セミナー」を開催し、2018年には大分地質学会による断層の見学会を主催しました。
中野氏が手掛けた観光資源の発掘はまだまだあります。地元の名峰の登山ルートマップづくり、社のお祭りの賑わいを取り戻すためにスタンプラリー、昔ながらの城下町などを散策するウォーキングマップも作成しました。
耕作放棄地
赤そば畑
さらに中野氏は、臼杵市の耕作放棄地の再利用するため、2016年から荒れ果てた畑での作業を始めました。最初は予算のかからない「菜の花」の種を集めて植え、その後、「赤そば」や「コスモス」を栽培。いまでは美しい花畑が訪れる人々を楽しませています。また、活動が広がるにつれて、休耕地を貸してくれる住民も増え、現在では10軒から約8000平方メートルの土地を無償で利用しています。
臼杵観光ナビ サイト
そして、2016年には、臼杵市の観光名所から自然、珍百景、イベントまでを丁寧に紹介するウェブサイト「臼杵観光ナビ」を立ち上げました。その内容の充実ぶりから、観光関連の企業や団体が関係していると思われがちですが、あくまで個人が運営するサイトです。自ら足で多くのスポットを訪れて写真と解説をアップし、地域経済の一助にもつながっています。
うすき観光ナビ
サイトURL http:/www.awing.co.jp/usukinavi/
活動のきっかけは?
Uターンがきかっけ!人口減少が進む町を元気づけたい!
2016年に開催したスタンプラリー
長年東京で仕事をしていた中野氏は、数年前に久しぶりに帰省した際、地元の町が大きく変わっていたことにショックを受けけたと言います。空き家が溢れ、耕作放棄地が広がり、母校である中学校は2017年に廃校となっていました。少子高齢化の影響で衰退していく故郷を目の当たりにしたのです。
そこで、その状況に立ち向かうべく、9年前にUターンを決意。空き家や耕作放棄地、廃校もただの問題ではなく、これらを地域の資源に変える可能性を確信していたと言います。誰も手をつけないなら、自らが行動することが必要だと感じ、活動をスタートさせました。
中野氏は当時を振り返って語ります。「最初は言葉だけではなく、具体的な実績を積むことで、地元の人々に活動の意義を理解してもらうことを心がけました。徐々に周りの人たちを巻き込みながら、地域全体で協力し合い、活動の輪を広げていくことで、町を元気にすることができると考えたのです。」
成功のポイントは?
地域おこしの原点は、協力して貰うことではなく
協力したくなるような活動!
歴史とロマンの島 黒島
中野氏の活動が全国的な広がりを見せたのが、臼杵湾内に浮かぶ周囲3km、標高27kmの小さな島、黒島のPRです。 かつて多くの海水浴客で賑わっていた黒島は、海岸から約300mの距離にあり、港より渡し舟を使って約5分で着く島で、環境省による「海水浴場百選」にも選定されています。 また、1600年にオランダ船のリーフデ剛がたどり着いた島としても知られ、乗組員の ウィリアム・アダムス、ヤン・ヨーステンの銅像や上陸記念碑があります。
中野氏も幼い頃からこの黒島に親しんできました。大分県にありながら南国ムードが漂い、歴史とロマンを感じさせる黒島のPR活動に取り掛かります。専用サイトを作って、地元高校生と協力してPR動画を制作しました。そんな発信で黒島の魅力を知ったマスコミ各社が取材に訪れるようになったのです。その際、中野氏は、案内人とてテレビ番組などにも出演しています。
大分トリニータ選手が参加した黒島ビーチクリーン活動
また、ボランティアを募って黒島での清掃活動も行っています。浜辺がきれいになるのはもちろんのこと、清掃勝の輪が広がって市議会議員やJリーグの大分トリニータの選手たちも参加してくれました。(2014年1月黒島の環境美化活動が認められ臼杵市長賞を受賞)
中野氏の活動方針は、以下の5点です。
① 地域資源の発掘・活用
② 無ければ作る(作るからにはユニークな物)
③ 積極的に地域交流(ボランティア活動)
④ マスコミの活用(取材・出演依頼)
⑤ 自ら情報発信(SNS活用)
青の洞門
また、中野氏は、自身の活動を禅海和尚(ぜんかいおしょう)が掘った「青の洞門(あおのどうもん)」になぞらえて語ります。
青の洞門とは、江戸時代の僧侶である禅海和尚が約30年かけて整備したトンネルです。明和元年(1764年)に完成し、日本初の有料道路トンネルと言われています。
禅海和尚は、諸国遍歴の旅の途中で鎖渡しと呼ばれる難所で命を落とす人馬を見て、洞門開削工事に取り掛かりました。火薬もない時代に人力で16年かけて162mを開通させ、その通行料を次の工事の資金としました。その後、さらに160mを掘り1764年に完成させました。
中野氏は、「禅海和尚がそうであったように、最初は興味を持って頂けなくても地域の為と信念をもって目標に向かって活動を続けて行けば、いつの日か活動を理解し、支援・協力してくれる人が現れると思います。それが、結果として地域の活性化に繋がるのではないでしょうか。」と語っています。
また、自らの経験を通じて、「地域おこしの原点は協力して貰うことではなく、協力したくなるような活動です。」と胸を張ります。
今後の展望
プロジェクトが目指している事、今後やりたい事
中野氏が地域の活性化に取り組むようになって9年。最初は奇異な目で見られることもありましたが、彼の町おこしの活動は徐々に地元に広がり、現在では多くの人々から支持されています。中野氏は継続的な努力によって地域社会にポジティブな影響を与えているのです。 中野氏は、自らの行動力を活かして、臼杵市に観光客や移住者を増やすことを期待し、その可能性に胸を膨らませていました。