※この記事は、2023年12月2日に開催された第11回グッドライフアワード表彰式における環境大臣賞受賞プレゼンテーションおよび交流会インタビューに基づいて作成されています。
環境負荷の低い暮らしを実践する
そこそこ農園の外山麻子です。この写真(下記)に写っているのは、私たちの牛、夫と、牛耕を教えてくださっている先生です。つい60年ぐらい前までは、田んぼは牛や馬で耕すのが当たり前でしたが、今、このように農耕している人はほとんどいません。私たちは、石油に頼らずに稲を育てられるよう、牛耕を復活させたいと思いました。子供時代に牛耕を習い覚えたおじいちゃんに、教えてもらっています。
私たちは、紀伊半島の先のほうにある那智山の近く、和歌山県那智勝浦町色川というところで生活しています。少子高齢化が進んでいる一方、人口の6割が移住者です。半世紀ぐらいかけて、徐々にこのような人口構成になってきたという経緯があります。私たち自身も移住者です。
私たちの活動内容は、「ただ暮らしているだけ」です。ただ、“あらゆる局面で、なるべく環境負荷が低くなるように”暮らしています。自給できるものはなるべく自給して、近場で手に入るものはなるべく近場で手に入れて、なるべく外に捨てません。これは、地域循環共生圏の理念そのものだと思います。
それって何も特別なことではなくて、冒頭の牛耕のように、つい数十年前までどこでも当たり前だったことだと思います。私たちは、もちろんまったく昔のとおりではないけれど、なるべく昔にならって暮らそうとしています。そして、自分たちが実践して満足するだけではなく、世の中に普及させるということを考えて、体験や取材を受け入れています。
みなさん、よく「昔の暮らしには戻れないし…」という言い方をします。素朴な疑問なのですが、「本当に無理なのかな?」「避けるべきことなのかな?」と。ちょっとやってみたら、「意外といけるな」と私は思っている、というお話をしたいと思います。
「そこそこ」に込められた想い
そこそこ農園は、ふざけた名前のようですが、これにはいろんな意味をこめています。
例えば、作物にしても、量をたくさん獲るとか、美味しいものを獲るとか、いいものを獲るとか、頑張りすぎない。一方、なるべく環境に負荷をかけないように頑張っているのですが、頑張りすぎて自分たちが食べる分すら獲れなくなるのは困ります。どちらにも突き詰めすぎず、バランスを取るという意味で「そこそこ」です。
また、私たち自身が特別な技術をもっているわけでもありませんし、すごく根性があるわけでもありません。ごく普通の人間がやっていることなので、誰にでも開かれたことだろうと。ある程度、健康である必要はあるとは思いますが、特定の人しかできないようなことではないという意味でも「そこそこ」です。そして、安きに流れてばかりではなくて「そこそこ」頑張って、暮らしています。
昔の暮らしの知恵を取り入れる
我が家は、築150年です。もともとあった家材道具は、なるべく活かしています。もちろん文明の力も借りますが、プラスティックや家電製品がなかった時代の知恵を取り入れながら、日々暮らしています。
この色川という場所には水道がないので、住民が協力して裏山から水を引いています。家の前に流れる川の水も十分に綺麗で、子供が遊んだり、洗い物をしたり、夏の野良仕事の熱中症対策として、ここでよく体を冷やしています。
食べものに関して言うと、田んぼでは、昔ながらのやり方でご近所さんと手伝い合ってお米を育てています。
段々畑では、なるべく環境負荷が低くなるように、無農薬、無化学肥料です。畑仕事では、不耕機という形で、耕運機も使いません。
ビニール資材もなるべく使わないように、季節の農作物を育てます。また、採りやすい種は、自家採取しています。
余剰のお米や野菜は販売もしていますが、それほど収量がありません。多少のお金は必要ですから、収入のために平飼い有精卵を販売しています。鶏のおかげで、畑に入れる鶏糞も手に入りますし、選別して売り物からはねた卵も手に入ります。たまには鶏肉もいただけます。それに、生ゴミを食べてもらえます。
夫が罠猟免許を持っていまして、有害駆除として鹿を獲ります。私も一緒に鹿を捌いて、鹿のお肉が手に入ります。ですから、お米と野菜と肉は、潤沢にあるわけです。それを、薪で調理します。近くの間伐材を薪にしています。
お風呂も暖房も薪で、熱源として電気やガスや灯油は一切使っていません。お日様の力でお湯を温める太陽熱温水器、もう何十年も昔のものがもともと家に付いていましたので、お風呂ではそれも使っています。
電気もガソリンも可能な限り使わない
とはいえ、ささやかながら電気を使っています。田舎ですから、車も使います。そこを少しでも減らそうと、様々な取組をしています。
我が家の主な家電は、小さい冷凍庫が1個。捌いたお肉の保管用として使っています。上のクーラーボックスが冷蔵庫代わりで、肉を溶かす時に保冷剤代わりにします。それだけでは保冷が間に合わないので、保冷剤を凍らせて使ったり、家の裏の池でお野菜を浸けておいたりしています。小さい太陽光パネルにも助けてもらって、電気の使用量は平均的な日本の家庭の1/10ぐらいです。
軽トラの代わりに、リアカー付きの自転車を使い倒しています。坂道が多くて、荷物もそれなりに運びますので、さすがに電動アシストは付けさせてもらっています。先ほども紹介した通り、田んぼには耕運機を使いますが、それを少しでも減らしていくために、牛で耕す練習をしています。
地域全体で環境負荷を減らす
何かを買ってくる背後には、製品の製造、流通、廃棄の過程で、必ず環境負荷がかかります。なので、なるべくよそから買ってこない、よそに捨てないということを目指しています。
たとえば、身近な天然素材で道具を手作りします。これらは全て、私がへたくそなりに自分で手づくりしたものです。
もちろん、作れないものもいっぱいあります。そこで、これはうちだけでなく地域のみんなでやっていることですが、「自分の家で使わなくなったけど、まだ誰かに使ってもらえそうなもの」を持ち寄るガレージがあります。ここに欲しいものがあったら、誰でも自由に持ち帰れて、地域全体で「外から買ってくることを減らす」「外に捨てることを減らす」ということを実践しています。
うちが自給的に小さく楽しく暮らせているのは、こうした取組をはじめ、ご近所さんたちとの支え合いがあるからこそです。
こんなふうに、わりと楽しく環境への影響も少なく暮らせているよ、と広く知っていただくために、私たちは体験を受け入れたり、ご縁があったら講演や取材も受けています。
「そこそこ」という選択肢を当たり前にする
ほとんどの人にとっては自分とは無縁な世界の話のようだとは思いますが、COP28をはじめとする国際会議で「今までの対策では、全然足りない」と再三言われているにも関わらず、世界の人々の暮らし方は、ほとんど変わっていないと思います。
私たち日本人は、このまま今のように暮らし続けられるのでしょうか。暮らし続けてよいのでしょうか。世界の人口が100億人になって、100億人みんなが今の日本人のように暮らせるかと考えたら、私は難しいだろうと思います。ただ、誰もがなるべくその土地にあるもので、その土地におさまるように暮らす、というふうにしていけば、100億人が生きていけるかもしれない。だから私たちは、このように暮らしています。
生きるとは、自立とは、就職してお金を稼ぐこと、というのが今では常識ですが、自分が生きる上で必要な最低限度のことを自分で賄えれば、ある程度、生きていくことができます。もちろん、多少はお金を稼ぐ必要はありますが、それをメインにするのではなく、自給自足することをメインに考える。考え方の順序を変えていくわけです。
考えてみれば、自分が生きていくために必要なものを自分で手に入れられるほうが、お金を稼ぐことしか知らないよりも、ずっと安定しているし、自立しています。今、日本人の大半は、「お店に行けば必要なものが売っていて、お金を出せば何でも買える」ということが当たり前だと思っています。しかも、その時代がいつまでも続くと思っています。
だからこそ、若い世代のみなさんに、文字通りの“生きていく力”が大事であるということを伝えたいですし、それを「おもしろいね」で終わらせないで自分ゴトにしてもらえたらいいなと思っています。全国の耕作放棄地が埋まってしまうくらいに、そこそこの暮らしをしたい人でいっぱいになってほしい気持ちです。
ただ、今の私たちの暮らしでも、100億人に開かれているかと言えば、厳しいと思っています。なので、これからも「そこそこ」を胸に、より小さな暮らしを目指しつつ、こんな暮らし方も当たり前の選択肢の1つとなることを目指して活動していきたいと思います。
環境大臣政務官 朝日健太郎氏(左)から表彰された「そこそこ農園」の外山麻子氏(右)
【受賞取組の現場訪問】
グッドライフアワードでは、2024年4月14(日)に、都会の喧騒とは打って変わりマイナスイオンに満ちた深山の中にあるそこそこ農園へ訪問しました。
そこそこ農園では、環境負荷がかからないように農薬や化学肥料は使用せず、また機械やビニール資材などもできるだけ使用せずに手作業で耕起、苗植えをし、お米や野菜の収穫をしています。
鶏を育てたり、鹿などを捕まえることでたんぱく質源を確保し、電気は太陽のエネルギーから賄い、自分ができる範囲で自然と共生している生活の様子を見学させていただきました。
現在の私たちは、食料、水、エネルギーなど生活に必要なものはすべてお金で買うことが当たり前であり、そのため、生きるにはお金が必要不可欠となっています。
しかし、そこそこ農園の生活にお金は必要不可欠のものではなく、食料、水、エネルギーは自分の力で田、川、畑から生きていくためだけの量を手に入れて、環境負荷をできるだけかけない生活をしています。
未来を担うこどもたちが苦しまないように、自分の行動が少しでも環境に影響を及ぼさないようにという強い信念を持ち、「そこそこ」に無理のない範囲で自分の力で自然とともに楽しく生活を送る、人間本来の姿に大変心を打たれるものがありました。
環境省 地域政策課