東京・銀座に拠点を置く高級子ども服ブランド『ギンザのサヱグサ』が、長野県栄村の小滝地区と連携。2011年3月の長野県北部地震から復興を果たした集落の田んぼで収穫された「小滝米」を、ファッションメーカーならではの感覚とノウハウで再ブランディング。都会の親子が地域を訪ねる里山体験ツアーなども実施しています。
どんな活動?
おいしい米をワインボトルに詰めて再ブランディング
お米をワインボトルに詰めてギフト用として再ブランディング。
『ギンザのサヱグサ』は創業1869年(明治2年)、東京・銀座を拠点に子ども服の製造・輸入・販売及び、不動産管理を行う老舗です。2019年には創業150年を迎えました。銀座と大阪・梅田にショップを構え、装うことを通じて子どもたちの感性を育む「スペシャルティストア」を目指すサヱグサは、将来を担う子どもたちへ豊かで健全な社会・文化を築き残すことを使命と考え、2012年に「SAYEGUSA GREEN PROJECT」を立ち上げ、環境保全活動や自然教育にも取り組んでいます。
今回、環境大臣賞を受賞した「小さな集落の300年後を見据えたソーシャルグッドなお米事業」は、長野県栄村の小滝集落の住民の方々と連携した取組です。
小滝はわずか13戸(30数名)の小さな集落ですが、ここで収穫される「小滝米」のおいしさには定評がありました。ところが東日本大地震の翌日、2011年3月12早朝にした長野県北部地震により、小滝集落は建物の倒壊や7割ほどの田んぼが耕作不能になるなどの壊滅的な被害を受けてしまいます。住民のみなさんの一致協力した知恵と奮闘で、およそ3年後には全ての田んぼで米作りが再開できるまでに奇跡的な復興を遂げてきたのです。
サヱグサは、集落の自然や暮らしを「300年後まで続けたい」との村人の想いを受け、その一助となるべく、この「小滝米」を「コタキホワイト」として再ブランディング。これまでの米のパッケージの概念をくつがえすワインボトル入りのお米は、その背景とともに「ギフトとして喜ばれる米」としての付加価値が評価され、発売から5年目を迎えます。このギフトボトルは、売り上げ1本につき50円を復興支援金として集落に寄付しています。
また、サヱグサは、この小滝集落を舞台に、都会の親子が田植えや稲刈り、豊かな自然に寄り添った里山の暮らしを体験するツアーを実施。そこでの感動や発見を通じて、里山の価値と継承の意義を伝えています。小滝の住民のみなさんとの交流を深めながら、集落への応援を続けているのです。
袋入りや缶入りもラインアップ。コタキホワイトはウェブサイトで購入可能。 www.kotakirice.com
活動のきっかけは?
運命的だった「小滝」と「サヱグサ」の出会い
里山体験ツアーに参加した子ども達がヤマツツジを植樹。
サヱグサが「小滝」と出会うことになったきっかけは2014年、「SAYEGUSA GREEN PROJECT」の一環として子ども達のための自然体験プログラムのキャンプ開催地を探していた時、相談を持ちかけた方から長野県栄村を紹介されたことでした。
いくつかの候補地をまわった後、「隠れた震災地と言われているが、とにかく前向きで素敵な集落があるからぜひ訪ねてみて欲しい」と勧められ、栄村の中で一番小さな集落・小滝を訪ねたサヱグサの三枝亮社長。「美しい小滝の自然や里山の風景が一目で気に入った」と言います。また、意欲的に集落の復興と300年先を見据えた持続可能な村づくりに取り組む住民のみなさんの情熱に感銘を受け、交流を重ねながら小滝集落とサヱグサとの繫がりが深まっていったのです。
親子の参加者みんなで集落の田んぼを散策。
小滝で栽培されている米の品種はコシヒカリです。コシヒカリといえば、栄村とは県境を挟んで隣接する新潟県の魚沼産が有名ですが、水や土壌に恵まれた小滝の米は、魚沼産コシヒカリにも負けないおいしさでした。とはいえ小さな集落ですから、収穫される米の量は年間およそ30トン程度と、あまり多くはありません。
震災による被害で牛飼いやキノコ栽培などこれまでの生業を諦めざるを得ない状況で、集落を経済的に復興させるためには、このおいしい米を活用するしかない。なんとか小滝のお米の付加価値を高めて、魅力ある商品として販売できないか。
住民の方々と話し合いを重ね、お酒を酌み交わす時間を重ねる中で、三枝社長は「小滝米をワインボトルに詰めてギフトにもふさわしい高級感を出す」というアイデアを発案。2014年、お歳暮商材としての1トンのテスト販売を経て、2015年には子会社である株式会社サヱグサ&グリーンの中に「Kotaki Rice & Future」事業部を立ち上げ、10月から本格的な販売を開始しました。今では集落全体、6丁5反(約7ha)の田んぼへの作付け量30トンのうち、地元で消費される分を除いた約20トンを「コタキホワイト」として販売するまでに発展しています。
ツアーが始まり参加者に挨拶する三枝社長。自ら頻繁に小滝を訪問し、住民のみなさんとの信頼関係を築いています。
植樹を指導してくれた小山氏はサヱグサと小滝集落を結びつけたキーパーソン。
成功のポイントは?
地震被害から力強く復興を遂げた住民の力とランデブー
公民館には地震被害を伝える記録写真が展示されていました。
まず、受賞取組名にも使われている「300年後」への視点が、この取組がいきいきと展開している大きな力の理由です。今から300年以上前の江戸時代、小滝集落は水不足で存続の危機に直面したことがあるそうです。その時、集落の先人たちは領主に直訴、山の斜面を削って水路を築きました。そして小滝は稲作ができる村となり、住み続けることができるようになったといいます。
2011年の地震は、300年の時を経て再び集落を襲った危機でした。約7haのうち5haの田んぼで地割れなどの影響で米作りができなくなったのです。同様に被災した他の地区では、応急処置で米作りの再開を急ぐところもありました。でも、「今まで通りの上質な米作りができなくなれば集落は崩壊する」という危機感を抱いた小滝の人たちは一意団結。1年間完全に米作りを休んで、田んぼを徹底的に修繕する判断をしたのです。集落住民の結束が固く、意思統一が図られたことで、結果的には周辺の集落よりもスムーズな復興を果たすことができました。
その後も「集落の営みを300年後に引き継ぐ」という思いを掲げ、全戸が出資して集落維持活動を円滑に進めるための「合同会社小滝プラス」を設立。被災からおよそ2年半の検討を経て、独自に「小滝震災復興計画」を策定しました。
集会場の裏手にある小滝プラスの建物は、小滝米の倉庫と出荷拠点でもあります。
たとえば、東京に本社を置く企業が、たんなる自然体験の場所を選ぶのであれば、交通の便も良く、宿泊施設などが整った観光地のキャンプ場でもいいのかも知れません。でも「小さな集落の300年後を見据えたソーシャルグッドなお米事業」の真価は、将来を担う子ども達に本物の体験をして欲しいと願うサヱグサの思いと小滝集落の住民のみなさんがもともと抱いていた集落存続への志ががっちりと噛み合って、さまざまな取組に展開が広がっている点にあると感じます。
小滝集落のみなさんは再ブランディングによって、自分たちが丹精込めて作った米を安定して販売することができ、サヱグサにとっては「SAYEGUSA GREEN PROJECT」にふさわしい拠点を得て、コタキホワイトの事業や里山体験ツアーの実施などを通じて、企業の付加価値を高めていける。まさに、Win-Winの関係が取組の可能性を広げているのです。
里山には江戸時代に掘られた水路がそのままの姿で残っています。
集落の小道を少し散策するだけで、豊かな自然とふれあうことができます。
里山のブナ林も、集落の人の手できれいに手入れされていました。
体験ツアーの食事の用意などには、集落のお母さんたちが総出で活躍!
レポート!
集落の古民家に宿泊して里山体験ツアーに参加
里山体験ツアーのメインイベントは、みんなで田植え!
2019年6月上旬、環境大臣賞受賞取組の取材として、『ギンザのサヱグサ』が小滝集落で実施する「田植え&里山体験ツアー」に参加しました。今回のツアーには、サヱグサの顧客家族や関係者など過去最多の55名が大集合しました。日程は一泊二日。初日は集落周辺を散策したり、「SAYEGUSA GREEN PROJECT」の新プロジェクトとして、初夏の集落を彩るヤマツツジの苗木を植樹。二日目は集落内の田んぼで、子供たちと一緒に田植えを行いました。
麓から集落へ向かう道沿いの山裾で、ヤマツツジの植樹を指導してくださった長野県林業総合センター指導部の小山泰弘氏は、以前から長野県内の森林の研究に取り組んでおり、長野県庁を訪ねた三枝社長に小滝集落を紹介し、サヱグサと小滝の協働の「きっかけ」を作った方でもあるそうです。
植樹が終わると、いくつかのグループに分かれて里山のブナ林などを散策。全部で50名ほどの参加者を現地でアテンドしてくれたのは、株式会社信州アウトドアプロジェクトの島崎晋亮(しんすけ)代表をはじめとするスタッフのみなさんでした。島崎さんは小滝集落出身のお嬢さんと結婚したことを機に活動の拠点を栄村に移転。昨年より集落に移住し、小滝を舞台にした「里山ツーリズム」を広げていくことにチャレンジしています。
昼食や夕食、田植えの準備、指導などは、集落の住民のみなさんが総出で対応してくださいました。合同会社小滝プラスの代表社員である樋口正幸さんは「まさゆきさん」、里山の草花に詳しくガイド役を務める中沢謙吾さんは「けんごさん」など、三枝社長をはじめとするサヱグサのスタッフのみなさんが集落のみなさんをファーストネームで呼んで打ち解けていることが実感できました。
集落のお母さんたち手作りの郷土料理をいただきました!
ちなみに、ファーストネームで呼ぶのは、集落の家のほとんどが「中沢」か「樋口」姓という理由もあるそうです。そのため、集落内のそれぞれの家には「たんすや」「大工どん」「隣り」などの屋号があって、住民のみなさん同士は屋号で呼び合うことが多いとのこと。
それぞれの家の軒先に、一枚板に屋号が書かれた看板があるのも印象的でした。この屋号看板は、地震の後で村を離れた住民から、せめてもの絆の証にと、その方の敷地内にあった、花が咲かなくなってしまった桜の木を活用して贈られたそうです。
取材班が宿泊した「となり」という屋号の古民家は、集落に暮らす住民と外部から集落を訪れた方々が交流する拠点とするために、小滝プラス(つまり住民のみなさん)が、震災後に空き家になっていたのを譲り受け、改修して運用している施設です。改修のための費用は、クラウドファンディングで150万円以上が集まったそうです。
取材班が宿泊した古民家「となり」の家。
散策したブナ林は、住民の有志が下草刈りなどを行っているそうです。ブナ林を抜けると、300年以上前に住民が築いた水路を見ることもできました。コンクリートで固めることもなく、手作業で掘ったまま大地のミネラルを溶かしながら流れる水を使えることも、小滝米のおいしさに繫がっているのかも知れません。
小滝集落には、有名観光地のような目立った名所や施設があるわけではありません。でも、里山の自然と、そので暮らす人たちの思い、そして『ギンザのサヱグサ』という東京の老舗の、豊かなライフスタイルを目指す思いが合わさった、グッドライフな取組の大きな「力」を実感する時間を過ごすことができました。
小滝集落の全景。集落のすぐそばを千曲川がとうとうと流れる。
里山をガイドしてくださった「けんごさん」。
「まさゆきさん」はじめ、村人が総出で田植えを指導してくださった。
藤野純一実行委員(中央)も、しっかり田植えを体験しました。
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