対談・コラム


コラム・エッセイ
「“環境ホルモン騒動”を検証する Part 1」
3. ダイオキシン問題との相乗効果
- 小出
- メディアの報道がどんどん事実と乖離していく様子を、どう見ていらっしゃいましたか?
- 安井
- そうですね、私は自分のホームページで、ある程度時代的考証をまとめていますが、この時点を見てみると、1999年の2月には、例の久米さんのダイオキシン騒ぎがあった。
- 小出
- 焼却処理場が集中立地する所沢市で、「葉っぱ物にダイオキシン汚染があった」という、テレビ朝日「ニュースステーション」の報道ですね?
- 安井
- そうです。「葉っぱ物」の報道騒ぎです。実際にはダイオキシンが測定されたのは一部のお茶の葉っぱだけでしたが、この表現で視聴者はみな「野菜の汚染」を連想してしまった。その背景には、先ほどから話題になっている環境ホルモンを最初に警告した書とされる『アワ・ストールン・フューチャー(OUR STOLEN FUTURE)』の日本語訳『奪われし未来』が出版された97年9月以降、ダイオキシンの怖さ、怖さ、怖さというのがずっとメディアで伝えられていた、特にこの一か月前ころからは、全国のごみ償却処理場内のダイオキシン汚染が報道されていた。こうした情報が錯綜して、ダイオキシンと環境ホルモンのリスクがあいまって大きく受け止められる、という相乗効果のようなものがありました。
- 小出
- ダイオキシンも環境ホルモンの1種だと受け止められていましたね?
- 安井
- ええ、そういわれておりましたし、結局ダイオキシンの恐怖感、×(掛ける)、環境ホルモンの恐怖感、=(イコール)「何か莫大な恐怖」みたいなね(笑)、そんな状況がうまれていましたね。
- 小出
- ダイオキシンには、ベトナム戦争時代、米軍がベトナムで使った枯葉剤に含まれていたダイオキシンの影響で奇形児が生まれた、と伝えられましたが、そのイメージがあって、それにシーア・コルボーンが『奪われし未来』の本で指摘した健康リスクへの不安が重なった。さらに環境ホルモンのリスクが加わったので、それがみんな1つの恐怖感にカップリングされてしまった。
- 安井
- そうですね。ダイオキシンが本当にあのベトちゃん、ドクちゃんの奇形の原因かどうかは、いまだに議論のあるところですけれども、いずれにしても、ダイオキシンという物質に対して、ああいうイメージができあがった。
- しかも、環境ホルモンの報道がエスカレートして、次世代の子供にも影響を与えて、人類絶滅シナリオみたいなのがどんどんメディアで作られてしまうという結果になりました。そういう意味でも、やはり相乗効果があったと思いますね。
- 小出
- メディアの環境ホルモン騒動の最後に待ち受けていたのが、テレビ番組でした。報道のニュースと違って、番組は娯楽の提供が使命です。そこには誤解や勘違い、事実誤認も少なくないのです。報道の形態をとっていても、ニュースの材料を番組に仕立てたニュースショー番組。その中の1つにニュースステーションによる所沢ダイオキシン報道がありましたが、テレビのニュースショーは、情報を伝えると同時に娯楽を提供する機能も担っていますから、娯楽性を優先したときに事実と乖離してしまったのだと思います。特に主婦向けのショー番組では、「恐怖の環境ホルモン」という前提の会話が飛び交い、あっけにとられた記憶があります。こうしてメディアによって創り出された雰囲気が、世の中全体を浮き上がらせてしまったと感じます。
- 安井
- その後、ダイオキシンの本体、本性みたいなものが少しずつ伝えられ、みんなが理解を進めるにつれて、世の中は比較的冷静になっていった。こうして経過を振り返ると、ダイオキシン騒動というのは日本の化学物質コミュニケーションの歴史にとってすごく大きい、重要な里程標と言えるのではないかと思います。ダイオキシン、環境ホルモン問題もそうですが、日本以外ではこれほど騒ぎにはならなかった。リスクはリスクとして、もっと冷静な対応と問題解決のプロセスを経ていっています。一方の日本ではまったく違う経過をたどっています。ダイオキシンへの不安が社会的に増幅していた、という前提がなければ、これほど日本で騒いだだろうかと感じます。化学物質への社会的理解を促進するためにも、ダイオキシン騒動は歴史的に検証すべき事柄なのかもしれません。