Tachypleus tridentatus (Leach)
節足動物門 剣尾綱 剣尾目 カブトガニ科
1.生きている化石
私たち人類が誕生するよりもずっと昔、この地球上に爬(は)虫類が繁栄をした時代があったことは誰でもよく知っていることでしょう。この恐竜の時代よりもはるか昔の2億年前から、時には恐竜に踏みつけられながら、何とか地球の片隅で細々と生きてきた生物がこの瀬戸内海にもいます。恐竜たちは約6500年前に絶滅してしまいましたが、その強い生命力で昔の形のまま生きている化石、それがカブトガニです。
2.カブトガニはカニ?
固い甲羅を身にまとい、海底戦車のようにノソリノソリと地をはうカブトガニ。皆さんはカブトガニが何の仲間かご存知ですか?名前にカニがつくから、やっぱりカニじゃないかと思っている人も多いはずですがカニではないのです。大きな分類をしてみますと、カブトガニはトンボやセミなどと同じ節足動物に分類されますが、実はクモの仲間に最も近いのです。クモと言えば、腹部から糸を出し、糸で網を張ってえものを捕まえる陸上の動物です。クモとは、形もすむ場所も全く違うのに、どうしてクモの仲間なのでしょうか?
19世紀の中ごろから、多くの学者たちがこのことについて論争してきましたが、現在では進化の過程や発生段階、血清学的な比較によって、カブトガニがクモの仲間であることは疑いのない事実となっています。
3.体のつくり
カブトガニの体は、固いキチン質の甲羅で覆われています。この甲羅は親になるほど厚く、固くなります。体は前体(ぜんたい)部、後体(こうたい)部、尾剣(びけん)部の三部に分かれています。カブトガニは大きいもので、前体部と後体部で35センチメートル、尾剣部が、35センチメートルもあり、合計で70センチメートルにもなります。
前体部は半月形をしており、その両側は後方へ三角形に突き出ていて、先端は鋭い突起になっています。前体部には二対の眼があり、一対は単眼、もう一対は複眼になっています。前体部の腹側には六対の胸肢(きょうし)があります。一対目は小さく、食べ物を口に押し込む働きをします。二対目から五対目までは歩くときの脚で、産卵の時や、泥にもぐるときのシャベルの役割をします。第六胸肢は、最も強力で、体が泥に埋もれないように支えています。
後体部の形は、背面から見るとだいたい六角形をしています。この後体部の両側には、針の形をしたとげが六対あります。日本のカブトガニは、このとげが長いことが特徴になっています。
尾剣を切って、その切り口を見ると、三角形になっています。後ろにいくにしたがってだんだんと細くなり、先端は鋭くとがっています。尾剣がまっすぐ伸びているのがオス、やや曲がって土でこすって短くなっているのがメスです。
カブトガニの体のつくり
カブトガニ(オス)の腹面
4.世界のカブトガニと日本のカブトガニ
現在、世界に分布するカブトガニは2属4種に分かれています。まず、その分布から見てみましょう。
第一は北アメリカ大陸の東海岸にすんでいるアメリカカブトガニです。北はカナダとアメリカの国境付近まで、南はメキシコ湾付近にわたって広く分布しています。このカブトガニは体が大きく、尾剣が短いのが特徴です。
第二は日本、台湾、南シナ海方面にすんでいるカブトガニです。体の均整がよくとれており、いわゆる八頭身美人に当たります。
第三は南方にすんでいるミナミカブトガニとマルオカブトガニです。体は小さく、尾剣が円柱の形をしています。これらのカブトガニは他に比べると、早く親になるようです。
ここでひとつ不思議なことがあります。現在、カブトガニがすんでいる場所ではカブトガニの化石が発見されず、カブトガニがいないヨーロッパのイギリスやドイツで多くの化石が発見されているのです。ヨーロッパ大陸からいつ、どのようにして移動してきたのかは大きな謎(なぞ)になっています。
カブトガニの生息地
では、日本のカブトガニにはどこへ行ったら会えるのでしょうか?大きく分けると、瀬戸内海一帯と北九州の一部にすんでいます。瀬戸内海一帯と言いますと、兵庫県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県に広く分布しているのですが、その数は年々減少しています。
それは、カブトガニの生息地が次々と埋立てられてしまったからです。現在では、岡山県、山口県で多く見られますが、他の地域ではだんだん姿を消しているのが現況です。北九州では、佐賀県、長崎県、福岡県、大分県に生息していますが、中でも佐賀県の伊万里(いまり)湾、長崎県の伊佐の浦湾に多く生息します。
カブトガニの生息地に行くと、それぞれが共通した環境であることを皆さんお気づきになるはずです。カブトガニは、どこの海でも生きられる生物ではありません。カブトガニは内湾性の動物で、本来、波の穏やかな浅海に広大な干潟と砂浜を有していることが、生息の条件になります。砂浜は産卵場を、干潟は幼生の育成場所を担っています。
5.カブトガニの生態
カブトガニは、一年を通して干潟などで生活しているわけではありません。カブトガニは、水温が18℃以上になると活動を開始します。このため、活動期は多少の地域差はあるものの、およそ6月中旬か9月一杯までとなります。残り9か月は海水温の低下とともに沖合いの少し深いところにもぐって、餌も食べずに冬眠に入ります。
カブトガニは原則として、海中の生きた生物を食べ、死んだものは食べません。眼があまりよくないので、餌を探し出すことはせず、海底を動き回って胸肢に引っ掛かったものを食べます。1~2歳の幼生は、主としてプランクトンや微生物などを、3歳以上になると釣餌としてよく使われるゴカイなどの環形動物を好んで食べています。他には、アサリなどの貝類やウニ、アオサなどの海藻も食べます。
干潟をはうカブトガニ
6.カブトガニの一生
では、カブトガニはどのような一生を送るのでしょうか?簡単に産卵から親になるまでを追ってみましょう。
6.1 産卵
カブトガニは、7~8月の大潮の満潮時を中心に産卵します。オスとメスがぴったりとくっついて一体となり、砂浜の水の深さ30~150センチメートルのところで穴を掘って、そこに産卵します。メスは一か所に約500~600個の卵を産みます。一回の産卵が終わると、オスとメスは10~20センチメートルほど前進し、再び穴を掘って産卵します。このような、停止、産卵を繰り返し、数回から約10回の産卵を行います。
6.2 ふ化(孵化)
卵は、砂の中に産まれてから6週間目にふ化します。ふ化した直後のカブトガニの幼生は、サンヨウチュウによく似ていることから、サンヨウチュウ型幼生と呼ばれています。
6.3 成長
幼生の間は18回脱皮し、ほぼ一年に一回ずつ脱皮して、15歳くらいになると成体になります。15歳くらいまでのカブトガニは、すべてメスに近い形をしていますが、このくらいの年齢からオスの特徴が出てきます。寿命は、推定ですが、25歳くらいまで生きるとされています。
カブトガニは、脱皮を繰り返して成長します。脱皮ごとに前の体より1.3~1.4倍大きくなります。しかし、よく考えてみると非常に不思議なことに気づきませんか?どうして、小さなカブトガニから大きなカブトガニが出てくるのでしょうか?
その秘密は、新しい殻にあります。実は新しい殻は、元の殻の中では折りたたまれて収納されています。そして、抜け出るときに、殻がふくらんでしわが伸び形が整っていき、このため、小さなカブトガニから大きなカブトガニが出てきます。
接合しているオスとメス
カブトガニの卵
カブトガニの幼生
7.カブトガニの保護
カブトガニが地球上に出現して、およそ2億年という長い歳月が流れています。その間に多くの種が生まれ、そして、絶滅していきましたが、カブトガニは大きな進化もせず、生きている化石として今日も私たちの身近な海で生活しています。
このカブトガニが、年々減少し、安心して生活できる環境も激減しています。日本国内では、瀬戸内海と北九州に数多く見られたカブトガニですが、現在は限られた地域でしか、生き延びていけません。波静かな遠浅の海岸、水もきれいで魚類も豊富な瀬戸内海は、カブトガニのすばらしいすみかでした。
カブトガニのように、悠久の昔から生き続けてきた生きものを守るためには、環境の保全が最も重要だと考えられます。カブトガニについては、特に干潟が望まれています。干潟は、カブトガニ幼生の生育場所であるとともに、多様な生物のすみかとなっています。近年、こういった干潟が、開発の名のもとに減少しつつあります。
昭和3年、国は瀬戸内海に生息するカブトガニの重要な産卵場所を守るために、岡山県笠岡市の生江浜(おえはま)を天然記念物に指定しました。また、愛媛県でも県の天然記念物として、カブトガニの生息地を保護しています。
また、カブトガニ自体の調査、研究をより推し進めていく事も必要です。国の天然記念物である生江浜を有する笠岡市には、笠岡市立カブトガニ博物館があります。この博物館は、カブトガニの形を模した外観をなしており、カブトガニの生態や行動、生息環境など様々な研究を行っています。
多くの恐竜たちを絶滅に追いやったと考えられている氷河期さえも乗り越え、今日まで生き続けてきたカブトガニ。そのカブトガニは今、氷河期よりももっと厳しい時代に直面しています。生きている化石、カブトガニを本当の化石にしてしまうことは、断じて阻止しなければなりません。カブトガニと美しい瀬戸内海を守っていくことは私たちの責任です。
干潟にすむカブトガニ
【参考文献】
- 土屋圭示:カブトガニの海.誠文堂新光社,東京,46-176(1991).
- 惣路紀通:カブトガニ.山陽新聞社,岡山,49-72(1993).
- 関口晃一:日本カブトガニの現状.制作同人社,東京,157-164(1993)