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瀬戸内海の歴史と文化

遣新羅使の航路

解説の女性

瀬戸内海地域は、昔から我が国の政治・経済・社会・文化のいろいろな分野にわたって、いつも先進的な歩みを進めてきました。 この大きな要因としては、大陸の中国などの文化が主として北九州から瀬戸内海を通って、大和(今の奈良)の方面へと伝えられてきたことが挙げられます。瀬戸内海地域は文化の大動脈として、絶えずこの橋渡しの役割を果たしてきました。

村上水軍の分布図
瀬戸内の関連年表
B.C 6000年ごろほぼ、現在の瀬戸内海の海域が形成される
4000年ごろ縄文海進。現在より約3m高い所まで海だった
3000年ごろほぼ現在の海面の高さとなる
300年ごろ弥生文化の時代が始まる
A.D 57年倭の奴国の王が後漢に使者を派遣し、光武帝から印綬を受ける
147年倭国大乱。このころ、瀬戸内海の沿岸、島嶼部の山頂などに高地性集落が作られる
188年女王卑弥呼の邪馬台国が成立
290年ごろ古墳文化の時代始まる
350年ごろ大和政権が成立する
396年日本が朝鮮出兵。高句麗の好太王軍に破られる
538年仏教伝来。百済の聖明王が仏像・経巻を我が国に献ずる
607年遣隋使の派遣始まる
630年遣唐使の派遣始まる
645年大化の改新
804年遣唐使船で空海、最澄が唐へ
867年伊予の海賊、宮崎付近に集まって掠奪を行う
894年菅原道真が遣唐使の中止を建議
934年海賊が瀬戸内海などに横行したため、朝廷が追捕海賊使を任命する
935年紀貫之の「土佐日記」が出来上がる
939年藤原純友が伊予国日振島を拠点に反乱を起こす
940年平将門の乱が終結
1152年平清盛が安芸、厳島神社の社殿を修復
1167年平清盛が太政大臣となる
1168年尾道が備後大田庄の倉敷地に認定される
1172年宋の明州刺史が後白河法皇・平清盛に物を献上。このころ清盛が大輪田泊の築港や音戸瀬戸の修理などして日宋貿易を振興
1185年屋島の合戦。壇ノ浦の戦い、平家滅亡。河野通信、兵船を率いて源義経軍に加わる
1192年鎌倉幕府が成立
1281年元寇-弘安の役。伊予の河野通有、博多へ出陣して奮戦
1308年幕府、河野通有に西国と能野浦の海賊を追捕させる
1324年弓削島荘の住民、小山弁房承誉の非法を訴える
1338年足利尊氏、征夷大将軍になる。懐良親王、西国へ
1371年今川了俊が九州探題として現地赴任
1404年足利義満、明との勘合貿易を開始
1434年室町幕府、大島村上氏に遣明船の海上警固を命じる
1450年村上吉資の級官宮地氏ら、因島に金蓮寺を造営
1462年能島村上氏が小早川一族の小泉氏らと弓削島荘を押領する
1483年室町幕府、大内氏に貿易の全権を委任する
1489年このころ、今治的場の海賊が厳島神社から太刀・鎧を盗むが、河野氏が取り戻す
1552年陶氏、厳島での村上氏の関銭徴収権を停止させる
1555年厳島の戦い。毛利元就が村上水軍の来援を得て、陶晴賢を厳島で討つ
1581年ルイス・フロイスが瀬戸内海を航行
1588年豊臣秀吉、海賊禁止令を出す
1592年秀吉、朝鮮侵攻を始める
1600年関ヶ原の戦い
1604年村上武吉が周防大島で死去。藤堂高虎が今治城を築城
1607年朝鮮通信使が初めて来日
1672年河村瑞賢が西廻り航路を開く
1762年このころから瀬戸内の塩田で石炭の使用が始まる
1853年ペリー艦隊が浦賀に人港
1868年明治維新
1886年このころ、石炭使用量の51%を塩田で占める

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