岐阜県の農業高校で育てた空心菜の苗を、富栄養化でアオコが発生したダムの水質を保全するために、ダム湖に移植して水耕栽培している取組です。収穫した空心菜をダム湖の売店で販売。カンボジアで栽培を指導するなど、幅広い活動に発展してきています。
どんな活動?
空心菜を栽培して、ダム湖などの水質保全に貢献!
浮島での収穫作業の様子。
岐阜県立恵那農業高等学校は、木曽川に建設された大井ダムのダム湖が、奇岩の景勝を生み出している「恵那峡」のすぐ近くに位置しています。「シャキシャキ空心菜で水質浄化と復興支援活動」は、この高校の環境科学科の生徒が中心になって行っている取組です。
中国野菜として知られている空心菜を、特製の浮島で地域の水がめともなっている阿木川ダムのダム湖に浮かべて水耕栽培し、富栄養化が懸念されたダム湖の水質浄化を目指しています。また、収穫した空心菜をダム湖の売店で販売したり、加工品として開発したお茶を地元のイベントで配布するなどの活動を通じて、地域活性化にも貢献しています。
高校のビニールハウスで、輸入した種から育てた約1200株の苗を、活動が始まった当時の生徒が考案した浮島に移植します。水耕栽培なので、水やりや雑草取りなどの手間はほとんど必要ありません。移植や収穫は、恵那市の職員のみなさんや、ダム管理所、ダム湖畔の売店従業員のみなさんなど、地域の方々と一緒に作業を進めます。
荷物運搬に使われるコンテナと浮島を活用した水耕栽培は、試行錯誤しながら生徒が考案。小さな水辺でも栽培できる「ミニ浮島」も生徒が考案しました。さらに、仮設住宅などでも簡単に栽培できるように、コンテナを利用した「コンテナドボン栽培」も考案し、宮城県の仮設住宅で設置し利用してもらいました。
浮島での空心菜栽培。
生徒考案のミニ浮島で被災地支援。
栽培方法が確立するとともに、空心菜による活動の幅が広がっていきます。平成22(2010)年には、名古屋堀川ライオンズクラブからの呼びかけで、名古屋市内の堀川(運河として開削された歴史があり汽水域となっている)でも空心菜栽培による水質浄化実験がスタート。空心菜はある程度の塩分があっても育つことが確認できたこともあり、平成23(2011)年からは、東日本材震災の津波被災地で海水が入ってしまった農地での栽培や、ミニ浮島を活用した仮設住宅での栽培も行われています。
空心菜は成長力が旺盛で、栽培が比較的簡単であるため、岐阜県ユネスコ協会の協力により、平成20(2008)年、21(2009)年には、生徒たちがカンボジアの船上生活者に空心菜栽培と空心菜茶の製造方法を説明に行ったこともあります。
高校の生徒は年々入れ替わっていきますが、空心菜栽培のノウハウや活動は受け継がれ、社会貢献や環境保全に対する意識を身に着けた人材を輩出し続けてきている点も、この取組の価値あるポイントとなっているのです。
カンボジアでの支援活動。
地域のイベントで空心菜茶を配布。
活動のきっかけは?
阿木川ダムで発生したアオコへの対策として考案
アオコが大量発生したダム湖(平成15年)。
ダム湖の水質調査も行いました。
恵那農業高校の環境科学科で空心菜栽培を手掛けるようになったのは、平成14(2002)年、15(2003)年に、阿木川ダムのダム湖でアオコが大量発生したことが原因でした。ダム湖と聞くと、山の奥深く、上流には人家もないようなロケーションを想像しますが、阿木川の上流には大きな町があり、近くには牧場もあります。そこから流れ込む排水などが、ダム湖の水を富栄養化させていたのです。
そこで、環境科学科で指導していた森本達雄先生が、野菜を水耕栽培することで水質浄化することを発案。当時の生徒とともに何を育てるか調べた末に、たくさんの水を吸って育ちのいい空心菜を栽培してみることにしたのです。
実際にダム湖での空心菜栽培を始めたのは平成16(2004)年のこと。最初は数十株から試験的に始めたダム湖での栽培ですが、翌年には栽培する株の数も増え、ダム湖の売店で収穫した空心菜の販売も始まりました。水質浄化との因果関係は厳密に検証されていませんが、それ以来、大量のアオコ発生は起こっていないそうです。
売店で空心菜を販売していると、なかには「水質浄化のために栽培しているということは、汚れた水で育った野菜なんでしょう」などと、購入をためらう人がいるそうです。でも、阿木川ダムにアオコの発生をもたらしたのは、有害な汚染物質ではなく、誰もが日常的に流している生活排水が中心です。「空心菜の栽培が『汚れた水』という負の価値を、『栄養豊富な水』という正の価値に転換していることを理解してほしい」と森本先生。生活排水をできるだけ汚さない配慮を広げることも、多くの人の目に触れるダム湖の湖面で、空心菜を栽培する意義のひとつです。
成功のポイントは?
行政や地域と連携し、継続的で持続可能な取組に
高校生と地域の方が力を合わせています。
阿木川ダム湖の水は、恵那市の上水道に利用されています。ダム湖にアオコが大量発生した時には、水道水の臭いも悩みの種となりました。生徒とともに空心菜栽培を発案した森本先生の働きかけによって、恵那市、またダムの管理事務所と連携し、水質浄化実験として浮島での空心菜栽培が始まりました。
地域と連携したことで、阿木川ダムでの空心菜栽培はテレビや新聞のニュースとして紹介される機会が増えました。また、例年の恒例行事となることで、生徒が入れ替わっても、毎年少しずつアイデアを積み重ねながら、空心菜栽培の取組が発展しながら継続することにも繋がりました。
平成30(2018)年の春には、長年にわたり恵那農業高校で指導を続けてきた森本先生が、岐阜県立加茂農林高等学校へ転勤になりました。取組の主役は生徒たちとはいえ、学校が中心となった取組は、指導者が転勤すると活動が途切れることもありがちですが、自治体などと連携した恒例行事となっていることもあり、この取組は森本先生の同僚としてすぐそばで活動の様子を見てきた水野歩先生を中心とした指導者が受け継いでいます。
空心菜は熱帯アジア原産の野菜で、本来は多年草ですが、日本では越冬できないために一年草として扱われます。そのため、種を輸入して栽培しても、外来種として繁殖してしまう心配はありません。栄養分はホウレンソウと似ていますが、カルシウム、ビタミン類はホウレンソウよりも多く含んでいるそうです。
苗は高校のハウスで育てます。
空心菜は水中で大きく根を伸ばします。
成長力は旺盛で、浮島のコンテナに移植された空心菜は水中に大きな根を伸ばし、水中の窒素やリンといった栄養素を吸収し、アオコの原因となる植物プランクトンの繁殖を抑えます。また、大きな根が動物プランクトンなどを育てるゆりかごとなり、増えた動物プランクトンが植物プランクトンをエサにすることも、水質改善に効果があるとされています。
日本ではあまり多く栽培されていない野菜ではありますが、それだけに、ユニークな作物として注目度が向上し、活動の継続や拡大に繋がっていきました。ダム湖の水質改善のために「空心菜を育てる」という選択が、成功のスタートだったといえるでしょう。
レポート!
地域の方と力を合わせて1200株の移植を完了!
移植作業を終えた生徒のみなさんと、水野先生(左端)、荻野陽平先生(右端)。
平成30(2018)年6月27日、森本先生が転勤後、初めての移植作業が行われるということで、恵那農業高校へ伺いました。
静かな山あいに建つ高校の敷地内には、シクラメンやランなどを育てるビニールハウスがたくさんあります。恵那農業高校はランの栽培にも定評があり、毎年開催される「世界らん展日本大賞」では平成12(2000)年にアマチュアクラス最優秀賞を受賞。平成15(2003)年からはプロを含むクラスに出品し、平成26(2014)年に最優秀賞を受賞した実績があります。
校門の近くには「彩広場」と名付けられた花の苗などを安く販売するショップがあります。毎週月、水、金曜日の限られた時間だけの営業で、取材時は残念ながら営業中ではありませんでしたが、地元の人たちに大人気となっているそうです。
校内のハウスにはきれいな花がいっぱいでした。
「彩広場」店内。ラベンダーの苗は60円!
移植作業は午後2時から始まりました。ダム湖管理のために設置されているスロープ状の道が、水中に沈む岸辺に、恵那農業高校の3年生が10人ほどと、恵那市職員、ダム管理所のみなさんが集まります。
高校のビニールハウスで種から育てたポットから、浮島に設置するコンテナに、約1200株の苗を移植していく作業です。水耕栽培ではありますが、コンテナに入れた苗が倒れないよう、まずは高校生が中心になって園芸用の土と水を混ぜ、コンテナに薄く敷いていきます。土が水中に溶け出してしまわないよう、土の下にネットを敷くのですが、そのネットを抑える木枠はこの作業のためにみんなで手作りしたそうです。ちょっとしたところにも、15年間続いてきた活動ならではの工夫を感じます。
移植したコンテナを浮島に並べていきます。
コンテナにはネットと土を敷いて移植。
浮島を係留地点までボートで引っ張って移動。
浮島は展望台からもよく見える場所に固定されています。
続いて、水野先生が「ひとつのコンテナに12株ずつ植えてください」と声を掛け、みんなで手分けしてポットの苗を移植、苗が入ったコンテナを浮島に流れ作業で運び込みます。岸辺での作業中、コンテナはまだ水中にセットせず、浮島の上に並べるだけ。全てのコンテナが揃ったら、沖合の設置場所までボートで引っ張っていく時に、水圧で土が流れてしまうからです。
浮島は、ダム湖を渡る国道の橋の下、近くの展望台からもよく見える場所に固定されました。コンテナを水中に入れる作業が完了するまで、一度は大粒の通り雨に見舞われつつ、およそ2時間の作業でした。浮島で育った空心菜は、夏から秋にかけて、5回程度収穫することができるそうです。
昨年度までは3年生の有志が参加していたこの活動ですが、今後は「1〜3年生まで、できるだけ多くの生徒が、播種、移植、収穫など、さまざまな作業を分担して体験できるようにしていきたい」(水野先生)とのこと。空心菜の栽培を通じて、高校生たちが環境保全や地域との関わりを体感し、実践できるこの取組は、これからも進化を続けていくのです。
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