『グッドライフアワード2015』で環境大臣賞優秀賞を受賞した『オイスカ』の『海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画』は、10年かけて100haもの海岸林を再生しようという壮大な取り組みです。2014年には初めての植栽も行われた名取市の現地へ、取材に伺ってきました!
未来に向けて海岸のクロマツ林を再生する!
活動のきっかけは?
海岸林とともに地域の暮らしを再生したい!
津波被災直後の宮城県南部の様子。
吉田さんが現地に入った当時、 海岸林は無残な姿になっていました。
東京都杉並区にあるオイスカの本部。
被災直後の4月、ヘリコプターで 現地入りする吉田さん(右)。
2011年3月に起きた東日本大震災。巨大な津波が東北の太平洋沿岸を襲いました。東北全体では、実に3700haもの海岸林が壊滅的な被害を受けたそうです。クロマツなどの海岸林は、海の塩や砂から沿岸部の人たちの暮らしを守るものでもあります。津波は、海岸林とともに、そこで暮らしていた人たちの生活やコミュニティまでも押し流してしまったのです。
『公益財団法人オイスカ』は、アジアや環太平洋の途上国を中心に、マングローブの植林、農業の技術指導や持続可能な地域開発への協力など、50年以上の実績をもつ団体です。この取り組みのきっかけとなったのは、オイスカの啓発普及部副部長であり、今もこの『海岸林再生プロジェクト』の担当者として取り組みを牽引している吉田俊通さんの熱意でした。
テレビで報道される津波の映像を見ながら「自分たちに何ができるか」と考えたという吉田さんは、3月17日には林野庁に出かけて「海岸林再生を通して復興支援の一端を担いたい」と申し入れます。4月には救援物資を運ぶヘリコプターに乗って被災地を視察。被災農家との縁もあって名取市に着目し、国や宮城県、名取市などとの協議を重ねて、プロジェクトの計画を描き上げていきました。
海岸林再生は、本来は国や自治体の事業です。吉田さんは、そこにオイスカが関わるからには「寄付を集めて民間の資金だけで成し遂げる」「行政の計画に協力するのが基本」「主役は地元のコミュニティ」という理念を掲げ、取り組みをスタートさせていったのです。
どんな取り組みを?
100haに50万本。集める資金は10億円!
2012年、種まきから40日ほどで発芽したクロマツ。
試行錯誤を重ね、現在はポットでの 種苗が中心になっています。
2014年4月28日の植栽初日の様子。
2014年6月ごろ。植栽された造成地の航空写真。
オイスカが構想した海岸林の再生は、ただ買ってきた苗木を植えるものではありません。そもそも、植えたクロマツが大きく育つまでには数十年の時間がかかります。被災農家の雇用や生活支援を兼ねて「種から苗を育て、植栽し、植えた木を育てていく仕事が地元のコミュニティ再生に役立つ」ことが大切です。
オイスカは法律に基づいた苗木の『生産事業者登録講習会』の開催を県に働きかけた上で受講し、種苗組合にも加入。農家の方を中心に、被災した地元の人たちの賛同と共感の輪を広げていきました。2012年2月には『名取市海岸林再生の会』が発足。この先、数十年以上にわたって海岸林を守り育てていく地元の人たちの力が集結したのです。
2012年3月には初めての種まきが行われ、苗が育った2年後の2014年4月には、海岸林予定地の造成も進んで、初めての植栽が実施されました。この年、植栽が行われたのは約16ha。およそ8万本の苗が植えられました。今年はさらに5万本が植えられる予定です。
この取り組みの名称である「10ヵ年」とは、全体で約100haの予定地に、50万本の苗木を植えるまでの期間です。その後は、名取市海岸林再生の会が主体となって、将来に向けて海岸林を守り育てていく仕事が続いていきます。目標として掲げられている資金の10億円という金額には、2033年まで植えた苗を育てていく仕事のコストまで想定されています。
成功のポイントは?
国際協力の経験を活かした「地元」の力の引き出し方!
育苗場での作業では笑顔もあふれています。
植樹祭などでは、ボランティアや 一般参加者も頑張ります。
2012年に開催された技術講習会の様子。
病気に強い品種の苗が育てられています。
オイスカは実績豊富で大きなNGOですが、当初からの理念として掲げられているように、この取り組みの主役は「地元」です。グッドライフアワードの表彰式には、名取市海岸林再生の会のメンバーである大友さんもプレゼンテーションに参加してくださいました。震災による津波被害からの復興のための事業ではあるものの、その場だけのボランティアではなく、地元の人たちが将来に向けて取り組むべき「仕事」として成立させて、その仕事に地元の人たちが本気で向き合っていることが、この取り組みがうまくいっている最大のポイントといえるでしょう。
「たとえば、短期間で大量の仕事をこなす必要がある植栽の作業では一人が1日で300本ほどの苗を植えます。とても、安易なボランティア気分でこなせる仕事ではありません。だからこそ、地元のプロフェッショナルな人の仕事にして、また、人材を育てていくことが大切なんです」と吉田さん。途上国での大規模な植林などの経験がある吉田さんとオイスカのぶれない理念の存在も、この取り組みが力強く前進している原動力に違いありません。
とはいえ、もちろんボランティアの力や、この取り組みの存在を、広く社会に知ってもらうことも大切です。2014年の植栽にあたっては、おもに被災地住民など一般からの参加を募って『植樹祭』が開催されました。吉田さんをはじめとするオイスカのメンバーや、名取市海岸林再生の会のメンバーが案内する現地の見学ツアーなども、たびたび開催されています。
2012年の種まきから本格的に始まったプロジェクトは、ようやく今年2回目の植栽を迎えます。今回、グッドライフアワード環境大臣賞を受賞したとはいうものの、まだ「成功」への途上にあるともいえるでしょう。今回の受賞がこの取り組みの存在を一人でも多くの人に知ってもらう役に立ち、現地で仕事に取り組む人たちの励みになれば、事務局としてもうれしい限りです。
レポート
海岸林の予定地を歩いて広さを実感!
育苗地を見学するツアー参加者のみなさん。
閖上では、津波被害の壮絶さを実感しました。
海岸林再生の現場を歩くツアー参加者。 クロマツが元気に育っています!
防潮堤を挟んで、海と砂浜、海岸林再生現場が 広がっていました。
現地の宮城県名取市へ取材に伺ったのは『グッドライフアワード2015 シンポジウム&表彰式』翌日の3月15日でした。この日、6回目となる『海岸林再生の現場を歩こうツアー』があるということで、取材班も参加させていただきました。
仙台駅前からバスに乗り、まずは名取市閖上へ。閖上地区は900人以上の犠牲者を出した津波の被災地です。さらに、ほとんど更地になってしまった名取市内を移動して、育苗が行われている場所を見学しました。ここでは、病気に強い「抵抗性クロマツ」や「抵抗性アカマツ」が元気に育ち、2回目の植栽を待っていました。前日、東京大学の伊藤謝恩ホールでのプレゼンテーションの舞台に立った再生の会の大友さんも、笑顔でツアー参加者を迎えてくださいました。
そして、いよいよ海岸林再生の現場です。真新しい防潮堤に沿って、広大な造成地が広がっていました。参加者は造成地の奥まで入り、昨年、苗が植えられた場所でバスを降ります。そこから、およそ1時間。まだ小さな苗が風に揺れる中を歩いて、100haの広さを実感することができました。
最後は、できあがったばかりの防潮堤の上を見学。防潮堤の海面からの高さは約7.5mということなので、あの時のような津波が来たら、乗り越えられてしまうかもしれません。でも、沿岸部の人たちがこれからも安心して暮らすためには、防潮堤や海岸林が役立つのです。宮城県南部の海岸林は、かつて(約400年前)伊達政宗公の命によって造成が開始されたといわれています。この海岸林再生の取り組みは、未来に向けて、まさに世紀を超える壮大なプロジェクトなのです。