環境ナノテクの世界動向

NanoGram Corporation 神部信幸

3.技術的解決への挑戦

 環境ナノテクが解決しようとする課題は、次の3段階に分かれる。

  • (a) 環境問題を表現する様々なパラメータを正確に原子・分子レベルで観測すること
  • (b) 環境問題が起こるメカニズムを理解すること
  • (c) 環境悪化や資源の枯渇を防ぐための解決策としてナノテク応用の可能性を提言・実現すること。

 一般に省エネ・省資源・CO2が環境技術におけるキーワードであり、エネルギー技術の方からのアプローチとして再生可能エネルギーがCO2削減に関わるキーワードである。中でも水と空気の汚染、そしてCO2エミッションに関わる地球温暖化の問題が、人間社会に直接的に影響を及ぼし始めた。例えばワインの生産地域の北方移動など目に見える形で温暖化は進み始めた。その意味では、水資源の確保、水・大気汚染の防止と改善、CO2エミッション削減など上記(c)が目標課題となるが、そのためには、事実把握のためのナノテクが必要である。現時点では、上記の中では、(b)メカニズムや素過程の理解がおそらく最も遅れている分野であろう。以下にそれぞれの課題を概観する。

3-1. 観測評価技術

 過去20年ほどの間に、原子・分子レベルでの材料評価技術は進展し、各研究機関には最新の観察装置が並んでいる。ナノ粒子を例にとると、形状やサイズの観察のためには透過型電子顕微鏡(TEM)走査型電子顕微鏡(SEM)原子力顕微鏡(AFM)などのイメージング手法を用い、表面状態の評価にはフーリエ変換赤外分光(FTIR)X線電子分光(XPS)などの光学的・電子的手法を用いる。その他、X線回折(XRD)、熱分析などの多様な角度からの分析が必要である。また人間とのインターフェイスを観測するには、バイオや医療分野で用いられる分子イメージングなどの研究手法が重要となる。最新のナノスケールの発光体などを用いて、リアルタイムでの観察が可能になりつつある[6]。2008年のノーベル賞の対象である発光するたんぱく質分子などもこの一部である。

 こうした手法により多くの材料系が観察されてきたが、ナノテクを活用して環境分野に特化した取り組みは比較的新しい。大気汚染を引き起こすと言われている材料に関しても、具体的にそれらの材料のもつどのようなパラメータを測定するかといった初期の議論が今もされている。この数年間、日本の国立研究機関を含め世界の公的研究機関では、国際協力としてナノマテリアルの構造・物理化学的性質と環境との関連を研究しているが、それも代表的な材料に限定されているのが現状である[7]。またナノマテリアルの個々のサイズ(1次サイズ)、凝集したサイズ(2次サイズ)、表面化学、等様々なパラメータのうちどれが環境に影響する重要パラメータなのか、といった基本的な議論もまだ収束する気配はない。異なる分野の研究者を巻き込んだ総合的かつ早急な活動が必要である。

 ナノマテリアルは、単位体積・単位重量当たりの表面積が増すことから、一般的に表面物質と考えられる。従って、ナノ粒子やナノロッドなどの表面構造・化学。電子状態を理解し、それが私たちの生活やバイオシステムとどのような作用をもつかを理解することで、汚染問題など数々の課題を改善する鍵を見出すことができる。

 またナノスケールであるが故に可能となりつつあるのが、集積型のセンサーチップなどである。微小面積で高感度の各種センサーを多数並べたチップがすで実用化されてきた。原理的には、物質のサイズを小さくするにつれて外部からの刺激に対する応答がより敏感になり応答速度も速くなる。ナノスケールの触針は原子レベルの物理情報を与えることも実証されている。ガスセンサーなどの機能と共に今後の観測評価には大変有用となる。

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3-2. 環境問題のメカニズム

 環境に影響を与える、あるいは環境問題を改善する可能性のある材料を特定するには、系統だった観測により得た膨大なデータを比較的短時間で解析・モデル化し、ひとつひとつ仮説を検証していく必要がある。これを単一の研究機関や大学が実施するのは不可能であり、当然ネットワークを介した取り組みがなされるべきである。この点で、日本の大学、国立研究機関等を結んだIR3Sシステムの構築等[8]新たな取り組みが始まった。バイオインフォーマティクスならぬ環境インフォーマティクスとも呼ぶべき新分野が生まれつつある。このようなインフラ基盤が整備されることにより、環境の変化に対する即座の対応が今後可能となろう。

 環境問題の原因とメカニズムの解明には、個々の材料に特化したアプローチと地球全体といった大きな空間におけるシステムとして考えるアプローチがある。CO2エミッションに絡む温暖化の問題や農業への影響などは、後者の典型である。一方、個々の汚染物質が如何に人間の健康に影響するか、または希少な物質の有効利用・リサイクル・代替物質の可能性を探索するにはナノスケールからのメカニズムや素過程の理解が欠かせない。現在、クリーンテックなどの運動の中で実際に起こっていることは、従来の環境分野の研究機関や研究者の枠組みをはるかに超えており、この傾向は今後も続くと思われる。観測データの充実とシステムの構築が進むにつれて、現在未だ理解が不足している多くの現象やメカニズムの解明が進展すると期待される。

 一方生体としての人間との関わりについては、ナノバイオといった新しい概念の下、ナノマテリアルと生体を形作る各レベルでの組織との相互作用の理解を深めることが重要である。細胞や細胞組織、さらにはたんぱく質や遺伝子レベルといった異なるサイズでのナノマテリアルとのインターフェイスの解明により、大気汚染などの大きな事象を超ミクロなスケールで理解することが可能になりつつある[9]。

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3-3. 環境改善技術

 順序としては、上記課題(3-1)、(3-2)の結果として環境改善に向けたナノテク応用が考えられるのだが、現実には、水・大気汚染等のメカニズムの全容が解明される以前に、様々なナノテク応用が展開され始めている。例えば、光触媒材料を利用した水や大気汚染物質の分解などすでに実用化が始まりつつある分野がある。ここでは、日本のオリジナルな技術の貢献があり、世界的にも優位性を保っている。またCO2やNOx・SOxなどの温暖化や汚染を起こすガスのエミッション削減などにもすでにナノサイズの触媒が使用されている。自動車からの廃棄ガス処理にも希少金属を用いた部品が使用されている。米国では、大学から生まれたベンチャー数社が新しいナノ触媒技術の実用化に向けて活発に開発している。

 水資源の確保に関しては、ナノスケールの孔をもつ膜など実用的なものが開発され実際に淡水化などに使用されている。同様の技術が他の気体・液体資源の分離または汚染物質の除去に応用されつつある。こうした膜技術は、孔の制御や膜表面の化学制御により多彩な応用が期待される。既にリチウムイオンバッテリーや水素を利用した燃料電池には欠かせないものになってきた。

 総合技術的な取り組みとしては、廃棄・排出物の少ない製造技術と希少資源の有効活用による製品デザインがある。特にここ数年間の新しい傾向として、貴重な資源の使用量を削減しながらいかに触媒などの性能を向上させるかに重点を移しつつある。地球規模でみた持続可能な人間社会に向けた第一歩と考えられ、歓迎すべき動向である。この意味で、ナノマテリアルならではの特徴と新物質探索の活動が盛んである。ナノスケールの白金代替材料やナノ構造の触媒など新規な材料系が開発途上である。あまり世間で知られていないかもしれないが、ITO(インジウム・スズ酸化物)という透明で導電性のある薄膜用材料の代替やリサイクルの技術開発が進歩しつつある。これは液晶ディスプレーや太陽電池に多く使用されていることで構成元素のひとつインジウムが急速に枯渇し始めたことが引き金になった。希少資源の使用量を減らすことはナノ化で可能な部分もあるが、同時に、ナノスケールにすることにより、既存の材料に新たな性能を付け加えることも可能となる。この点で酸化亜鉛(ZnO)といったよく知られたセラミックス半導体がまた脚光を浴びている。ZnOに不純物をドーピングすると、ITOに類似の性能が出たり、ZnOナノ粒子を集合させると紫外光領域でのレーザー発光をすることも最近発見されており、複数の需要が生まれつつある。これらの多くは環境を改善する動きにつながる。

 またプリントによる電子素子やディスプレー用回路の製造プロセスなどは、オンデマンド型と言われ、必要な場所に必要な量だけの材料資源を利用することで直接的に資源の維持を図るものである。従来の製造概念を基本から変えるもので環境改善に寄与すると期待できる。プリント可能エレクトロニクスといった新分野が開拓されつつあり、シリコンのナノインクといった新材料製品の実用化も視野に入ってきた。

図2.環境エネルギー分野の技術要素の市場成長性予測

 環境改善技術は、極めて広範囲の材料系と技術要素に亘る。この小文で網羅するのは不可能なので、参考として日本でまとめた例だが環境・エネルギー分野の技術要素の中で市場成長可能なものを図2に示す[10]。当分野には具体的にどのような技術分野が含まれるかが分かる。国により強みや優位性の度合が異なるが、それは各国の研究開発の戦略目標に密接に関連する。それらの点については環境省や経済産業省から公表されている資料もあるので参考にしていただきたい。

 新技術は、よく両刃の剣と言われる。環境ナノテクも例外ではなく、明暗の両サイドを理解する必要がある。特に、ナノマテリアルが社会に普及するにつれ、恩恵の部分とリスクの部分を正確に社会に伝えることが重要である。不明なことでやたらリスクだけを議論することは、社会全体の利益にならず避けたい。その意味で、世界連携の新しい取り組みとして、ナノマテリアルが環境に与える影響に関して研究が始まっていることを付け加えたい[11]。環境ナノテクが環境改善と資源維持に役立つために、その負の影響の理解と対策が重要である。ここで述べた3つの課題(3-1)、(3-2)、(3-3)の研究サイクルがこの目的のために始まった。

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