国民公園及び千鳥ケ淵戦没者墓苑

京都御苑ニュース

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2008年12月 7日

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2008年12月07日京都御苑歴史散策の集いと旧中山家敷地公開

京都御苑イベント・自然教室

快晴のもと、京都御苑歴史散策の集いと旧中山家敷地公開が実施されました。

午後1時から御苑南部にある閑院宮邸跡庭園池畔では、京都御苑管理事務所小沢晴司所長から挨拶と旧中山家公開の趣旨説明、NPO法人都草湯村正子副理事長から御苑歴史散策の集いにあたっての説明、財団法人国民公園協会鳥居万恭職員より注意事項説明がありました。閑院宮邸跡には400人程が集まり、その後、苑内の歴史探訪に向かいました。

一方、御苑北部にある旧中山家敷地では1時からの公開予定より前から参観希望者の列ができたため、公開開始時間を繰り上げ、12時20分から敷地の開門を行いました。14時頃に見学のための長い列がのびたことがありましたが、全体には円滑に参観が行われました。

旧中山家敷地にある明治天皇の産屋は、京都御苑の空間が約130年前まで公家屋敷が建ち並ぶ我が国唯一の公家町があったことを示す数少ない建物であり、また近代日本の歴史の草創の頃の貴重な歴史遺産になります。
これまで施設の保護のため通常は公開しておらず、戦後一般に公開された記録もみあたりません。
環境省が管理する国有財産ですが、公開に先立ち、縁のある社団法人霞会館、東京の中山家本家御子孫様へも説明を行い、ご理解をいただいたうえで当日を迎えました。

旧中山家は、明治天皇の父帝孝明天皇の側室で明治天皇の生母中山慶子の実家です。敷地は約1700㎡で、現在母屋はなくなっており、約70㎡の木造平屋建の産屋と、古井戸、石碑があり、樹木に被われています。
産屋は嘉永5(1852)年に建造され同年9月に明治天皇が誕生しました。敷地東北部にある古井戸は明治天皇誕生2年目の嘉永6(1853)年干ばつの夏に掘られたもので、深さ11.5mで水がわき人々は渇きを癒すことができたことから、これをよろこんだ孝明天皇により、明治天皇の幼名祐宮(さちのみや)に因んで祐井(さちのい)と名付けられたといいます。
古井戸の傍らにある石碑は明治10年の設置で、井戸を掘った上述の由来が書かれています。
また、敷地内には、明治13年に敷地の正門として西本願寺の大谷光尊住職から寄贈されたと記される石柱を保存しています。
旧中山家の公開は16時までに終了し、当日の参観者は2838人を数えました。
参考  「京都御苑歴史散策の集いの案内」




閑院宮邸跡庭園池畔での開会と趣旨説明

苑内の歴史解説板の前での説明と参加者

旧中山家敷地門前での解説

旧中山家敷地門前(公開日前日)

祐井(さちのい)と由来を書いた石碑

敷地内の産屋建物

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