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ラムサール条約湿地

 1971年イランのカスピ海沿岸の町ラムサールで、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択されました。これがラムサール条約で、現在世界147カ国が加入しています。この条約では、水鳥だけでなく、私たちにとっても重要な環境である湿地を保全し、さらに賢明な利用を提唱しています。また、この条約では、湿原や湖沼だけでなくマングローブ林、藻場あるいはサンゴ礁域なども対象とされています。

 「串本沿岸海域」は、サンゴの種の多様性、被度が高く、熱帯魚類をはじめ多くのサンゴ礁性動物が見られます。北緯33度30分という北にありながら、熱帯性生物群集が豊富にみられる貴重な場所であることから、ラムサール条約湿地に登録されました。日本のラムサール条約の取り組みについて知りたい方は以下のリンクをご覧ください。

環境省|ラムサール条約と条約湿地

ラムサール条約湿地と串本海域公園

串本海中公園センター 名誉館長
内田 紘臣

ラムサール条約とは

 ラムサール条約は、湿地の保護と利用管理を目的とした国際湿地条約です。正式名称Convention on Wetlands of International Importance especially as Waterfowl Habitat(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)といい、このような長い名前で呼ぶのは不便なため、通称ラムサール条約と呼ばれています。

 水鳥の主なものに、シギ・チドリ類、ツル類、ガン・カモ類があり、これらの多くは渡りをします。この渡り鳥たちが随分昔から減少していました。原因はいくつが考えられます。狩猟による捕獲や、繁殖地の変化、環境の悪化などです。水鳥の個体群の維持復活のために色々な対策が打たれましたが、効果は期待したほどではなかったようです。国境を越えて移動する水鳥たちの保護のためには国境を越えた統一的な対策が必要だったのです。

 そこで国際条約の必要性が認識され、上記の長い名前の条約ができました。1971年2月2日のことです。イランのカスピ海南西沿岸の大都市ラシュト(Rasht) の近傍の小さな温泉保養地、ラムサール(Ramsar) でのことでした。このことから、この条約はラムサール条約と呼ばれるようになり、イランのこの片田舎の名は世界的に有名になったのです。条約は12条からなり、その第1条がこの条約の対象になる「湿地」の定義です。

ラムサール湿地とは

 条約第1条には次のようにあります。

湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水(かんすい)であるかを問わず、沼沢地、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が六メートルを超えない海域を含む。

すなわち、条約の成立時から、ラムサール条約における湿地は我々が感覚的に持っている湿地 (wetlands) の範囲をはみ出していたのです。この定義によって、ラムサール条約湿地としての資格を失う、水あるいは充分な湿気のある地球の地殻表面は、水深6m以深の海底のみとなり、水田から浄化槽までが候補地として含まれることになるのです。

 さて、登録されるべき湿地はどのようなものかが第2条で規定されています。水鳥にとって国際的に重要な湿地はこれを登録すべきであると。また登録された湿地はどのような扱いがされるのかは次の第3条で規定されています。湿地をできる限り賢明に利用 (wise use/ワイズユース) することを促進するため、計画を作成し、実施する。最も困難で、難解であったワイズユースは最初から本条約に規定されていたのです。条約は7カ国の締結国によって批准され、本条約の第10条の規定によって、その4ヶ月後の、1971年12月21日に発効しました。

日本の参加と締約国会議

 条約の規定により、締約国会議が開かれることになっていましたが、それに従って第1回の締約国会議が 1980年11月にイタリア、サルディニア島のカリアリ (Cagliari) で開催されました。この時には条約発効から既に9年が経過しており、締約国は既に27カ国に増えていました。条約を締結するには国際的に重要な湿地を国内で選定して、それの指定を受けなければなりません。この第1回の締約国会議で、日本は釧路湿原を選定し、それが湿地の指定を受けて、締約国の仲間入りをしました。

  • 以後、第2回は1984年にオランダ、(締約国 35カ国)
  • 翌1985年日本は宮城県伊豆沼・内沼を登録
  • 第3回は1987年にカナダ、(締約国 43カ国)条約第6条「締約国は必要なときに会議を開催する」を改め、3年に1度の 定期的開催が決議され、以後今日まで継続的に開催されている。
  • 第4回は1990年にスイスのモントルーで開催されました。(締約国69カ国)

なお前年には日本は第3番目の湿地として北海道クッチャロ湖を登録、翌1991年には第4番目の湿地として北海道ウトナイ湖を登録。

これまで、討議された重要なものは、第1に、重要湿地として認めるためのガイドラインの作成、第2に、ワイズユースとはいかなるものか、の2点です。この第4回の会議でこれらの問題が、大いに議論され、実りある発展が得られました。

モントルーレコードと第4回会議

 モントルーでの会議では、指定した湿地の質をどう保証するのか、と共に、質の低下した湿地をどうするのかが討議されました。これまで、湿地を登録していさえすれば目的は達したという風潮がなきにしもあらずでしたが、指定湿地で既にこのような問題が実際に起きていることが分かってきたためです。そのためには、指定湿地の定期的なモニタリングが必要となります。さらに、モニタリングによって、「生態的特徴が既に変化している、変化しつつある、または変化するおそれがある登録湿地の記録を保持するように指示」されました。この記録はその次の第5回締約国会議である釧路会議でモントルーレコードMontreux Recordと呼ばれるようになり、その運用のガイドラインが確立されました。

もう一つこの会議の重要な点は、ラムサール条約が水鳥をはみ出したことです。

対象の拡大

 水鳥の保護には水鳥が利用する浅水域の保全を国境を越えて行うことが大切であるとは、ラムサール条約の成立の基本的な趣旨でした。それは第二次世界大戦後、世界中のこのような水域が人為的な活動によって、急速に破壊されつつあり、更には将来にわたって破壊され続ける可能性が高いことが明らかだったためです。

 水は地球上に生活するほとんど全ての生命体にとって必要不可欠なものです。またほとんど全ての生物は同じ遺伝方式(DNA-RNAによる遺伝形質の保存とその発現)と、同じ代謝システム(ATP回路による化学エネルギーの利用)を持っているところから、地球上の全ての生命の起源は同一であると考えられています。従って、生命活動の最も理想的な環境に最も多くの種が生活するのです。とりもなおさずこの環境は生命体にとって住みよい環境といえるからです。そのような環境はどこか?と考えるとき、それは年中雪に覆われている高山でもなく、水の乏しい砂漠でもなく、また高い水圧のかかる深い海の底でもないはずです。それは浅い水域とそれに接し、常に水の補給がある水辺であるはずです。また全ての生命活動の基本が水を媒体にした化学反応に依っていることを考えれば、これらの化学反応が最も制御しやすい、すなわち多くの生物が最も住み心地のよいと感ずる温度帯にあることも重要な要素になります。つまり我々人間の活動がダメージを与え続けてきた水辺は、ずっと昔、すなわち生命誕生の30億年前から、最も多くの生きものが利用してきた、また別の観点から見れば、生物間の調和を保ってきた意味から、無数の生物種が協力して守り育んできた最も重要な環境なのです。このような大切な環境が最近百年にも満たないごく短期間の間に、我々人類の活動によってその資質が失われようとしているのです。それは水鳥を含む非常に多くの生物種のみならず、間違いなく我々人類の存続をも脅かす現象なのです。

 我々は、ラムサール条約で「湿地」と名付けたこの地域を水鳥の保護のためのみに保全すべきではなく、地球上の全ての種の存続のために保全すべきなのです。1990年にスイスのモントルーで開催された第4回締約国会議でこのことが認識されました。

第5回釧路会議以後

 第4回のモントルー会議以後、ラムサール会議は2つの重要な課題、すなわち、制定基準の問題と、ワイズユースの理念と実際のアクションの問題が常に宿題として討議され続けたといえるでしょう。また現在までの経過を見ると、対象とするものを拡張する路線を踏襲し、ラムサール条約テリトリー膨張のための会議とも見ることができます。しかし、地球上の環境破壊、民族間のグローバルな地域格差の実態を見ると、ラムサール条約の果たすべき役割、あるいは取り込むべきテリトリーは今後ますます拡張せざるを得ない現状にあるように思えます。

 第5回は1993年に日本の釧路で開催されました。この時点での締約国は77カ国で、出席締約国は72カ国でした。この会議はアジアで開催された最初の会議であるという意義を持ちます。また、前回のモントルー会議の議論を受けて、魚類が保全対象に加えられるべきだとする勧告が採択されました。またこの年日本はさらに5箇所の湿地を登録し、この時点での登録湿地は9箇所。以後、第6回は1996年にオーストラリアのブリスベン。この年日本は新潟県佐潟を登録し、この時点での登録湿地は10箇所。これまでの指定湿地は全て淡水湖・池あるいは汽水湖で、千葉県の谷津干潟のみが海岸の干潟という点で、これまでの湿地と異質なものであるが、なお全てがラムサール条約初期の目的にそった水鳥の蝟集地であります。この会議では、魚類の保全が条約条項に組み入れられ、さらに我々に重要な事例はサンゴ礁の保全が論議されたことです。第7回は1999年にコスタリカのサンホセ。この年日本は沖縄県漫湖を登録し、この時点での登録湿地は11箇所。漫湖は都会の真ん中に位置する河口干潟です。この会議では2つの重要な問題が議論されました。第1は生物多様性条約との関連であります。「湿地」の保全には水域環境の保全、すなわち生態系の保全が不可欠であり、それには生態系の構成種の保全を考えなければなりません。すなわち生態系の生物多様性の保全とラムサール条約湿地の保全はこの点において同じ方向を向いているといえます。第2の問題は永年の課題であるワイズユースに関係するのですが、保全活動が地域住民・先住民を主体として行われるべきことが討議されたことです。これはワイズユースを実践するには欠かせない重要な課題です。また、この会議で、次の次、すなわち2005年の第9回締約国会議までに、日本の指定湿地をこの時の倍、すなわち22箇所にすることが約束されました。第8回は2002年にスペインのバレンシア。この年日本は愛知県藤前干潟と、北海道宮島沼を登録し、この時点での登録湿地は13箇所。両湿地とも渡り鳥の重要な中継地です。この会議では第6回ブリスベン会議の論議を受けて、マングローブとサンゴ礁の重要性が認識され、これらの地域が対象地に含まれるべく決議がなされた。この決議書の中には、本来のサンゴ礁ではないがサンゴ礁と同じような生態的位置にあるサンゴ群集も含める旨が明記されています。決議書の中で、サンゴ礁の生物多様性の高さが記されていて、それは海域生物生態系の中で最も高いものであるとされている。そして、サンゴ礁とサンゴ群集の果たす役割の高さが述べられ、最後に最近になって、世界中のサンゴ礁が人間活動や、気候変動によって危機的状況にあるとの分析がなされました。第9回は2005年にウガンダのカンパラ。この会議に合わせて、日本は新たに20箇所の湿地を登録し、この時点での登録湿地は約束の22箇所を大きく上回り、33箇所となりました。また従来の13箇所の指定湿地は前述しましたように、種として鳥類の保護のための指定という、ラムサール条約成立時の最も基本的なコンセプトによって選定されていますが、今回新たに指定された20箇所の湿地は単に数の増加のみではなく、現在のラムサール条約に規定されているあらゆる種類の湿地を含んでいる点で、非常に意味があるものです。そのなかには高層湿原、塩性湿地、藻場、砂浜、マングローブ林、サンゴ礁、地下水系が新たに加わったのです。このカンパラ会議で串本のサンゴ群集がラムサール条約指定湿地に登録されました。筆者は2005年11月10日、会場で行われた認定証授与式に出席しました(図 1)。

図1. ウガンダの会場でブリッジウォーター事務局長から認定状を受ける著者 この会議はアフリカで行われた最初のもので、水鳥のための環境と言うよりも、人々の生活と生命を守るための環境保全が重要な課題として討議されたところに意義のある会議でした。それはこの条約の古くからの課題であるワイズユースをもう一度違った角度から考え直すよい機会であったと思われます。これまでの会議の経過から、ワイズユースは持続的利用 (sustainable use) と同様のセンスでとらえることが一般的でしたが、アフリカ各地での住民の生活を維持することと、資質の絶対的減少を伴わない利用との間のギャップをラムサール条約はどう埋めるかという、非常に重要なテーマに直面したことでした。さらに条約湿地に係る、従来の8つの基準に加え、新たに基準 9. として「依存する鳥類以外の動物種(あるいは亜種)の地域個体群の1%以上を支える湿地」が付け加えられたことも大きな成果でした。記念すべき第10回締約国会議は2008年10月28日~11月4日に韓国の昌原(チャンウォン)で「健康な湿地、健康な人々」をメインテーマに開催される予定です。

串本海域公園地区

 1970年に自然公園法の改正により海中公園制度が成立し、最初に指定された10箇所の海中公園地区(2010年に海域公園に変更)の内の一つが串本海域公園地区です。串本海域公園の最大の特徴は本州海域におけるテーブルサンゴの大群落(図 2)と、そこに生息する熱帯性の魚類や無脊椎動物です。1971年10月には串本海中公園センターの当初計画の施設が全て完成し、同時に錆浦海中公園研究所も開設され、当地をはじめ日本の海域公園に関する調査研究が本格的に開始されました。爾来35年、串本海域公園地区及びその周辺海域の生物学的調査・研究が進捗し、多くの貴重なデータが蓄えられてきましたが、その間に判明あるいは変化した主な事例を挙げれば次のようなことになるでしょう。

図2. 串本海域公園地区の特徴であったテーブルサンゴの群集(水深3 m)

串本海域公園の状況をめぐる3つの変化

 第1は、1960年代末から、インド洋・太平洋の広い範囲で、オニヒトデが異常繁殖し、大規模なサンゴ礁の死滅が起こりました。オニヒトデの被害は日本にも及び、サンゴ礁海域のほとんどのサンゴが食害されました。また近年ではヒメシロレイシダマシに代表されるサンゴ食性の小型巻貝による食害も起こって、高緯度非サンゴ礁海域のサンゴ群集である宮崎日南海岸、四国宇和海のサンゴ群集が壊滅的被害を受けました。さらに近年の海水温の上昇で非常に広範囲のサンゴ群集が白化現象によって死滅しています。特に1998年の例年になく発達したエルニーニョ現象の結果による異常高水温は太平洋各地のサンゴ群集に壊滅的影響を及ぼし、日本でもサンゴ礁海域のほとんどのサンゴ群集が大きな打撃を受けました。

 オニヒトデやサンゴ食巻貝の異常増殖の原因は解明には至っていませんが、人間による環境攪乱(かくらん)の結果と思われます。さらに近年影響が増大する傾向にあるエルニーニョも地球温暖化の結果の可能性が高いといわれています。世界的なこのような現象の結果、世界のサンゴ礁の大部分は疲弊し、多くの部分はサンゴ礁が破壊され、現時点で世界のサンゴ礁は危機的状況にあります。

第2はサンゴ礁生態学の進歩によって、サンゴ群集の重要性の認識が非常に高まったことです。サンゴ礁とは地形学的用語で、主として造礁性イシサンゴ類の石灰質の骨格が堆積し、比較的短期間に石灰岩となり浅瀬地形をなしたものを指します。通常のサンゴ礁海域ではその礁の上面は生きたサンゴで被われています。サンゴ礁は赤道を中心に南北緯 30°の海域に発達し、日本におけるサンゴ礁の北限はトカラ列島です。

 サンゴ礁の主成因をなすイシサンゴ類は生態的に、体に褐虫藻と呼ばれる単細胞の藻類を共生させる造礁性イシサンゴ類と、共生褐虫藻を持たない非造礁性イシサンゴ類に2分されます。造礁性イシサンゴ類はこの藻類の光合成による栄養の供給を受けて正常に生活でき、一般に暖海の太陽光が注ぐ透明度の良い浅海に生息します。一方非造礁性イシサンゴ類は世界中のあらゆる海域に生息し、大きな群落をなすことは極めて稀です。造礁性イシサンゴ類が造り出すサンゴ群集は環境の多様性を反映して、海域では最も高い種多様性を持ち、海の熱帯雨林と呼ばれています。串本のサンゴ群集はサンゴ礁海域から北に外れていて、サンゴ礁ではない海域に濃密な群集を形成しています。サンゴ群集に依存して生活する生物にとって、下の岩がサンゴ骨格由来の石灰岩かそれとも普通の岩石かはほとんど問題にはなりません。重要なのは多様性を保証する複雑な立体構造を持った生きたサンゴ群集の存在です。串本は北緯33°30' に位置し、サンゴ礁海域ではなく、造礁性イシサンゴ類の下は普通の岩石です。しかし岩礁海底を覆うサンゴの被覆度は極めて高く、沖縄をはじめサンゴ礁海域のサンゴ被覆度と比較して、勝るとも劣りません。さらにサンゴ群集に依存して多種多様な生物の生活が見られ、サンゴ礁生態系を形成しているといえます。

 第3に最近のイシサンゴ類分類学の発達によって、サンゴ礁をフィールドにする研究者の間でイシサンゴ類の種に対しての共通の認識ができあがりました。これによって、我々はイシサンゴ類では共通の土俵で議論ができる基礎ができたといえるでしょう。日本には400種ほどの造礁性イシサンゴ類が生息しますが、串本海域には100種を越える種が分布します。このような高緯度海域にありながら、このような多種の造礁性イシサンゴ類が生息するのは希有のことであり、それらを基礎にして形成されているサンゴ礁生態系は世界で最北のものです。しかし、イシサンゴ類の分類は単に一応の共通認識ができた段階で、これから種レベルの細かい整理が必要です。串本海域のサンゴ類は生態系を支える基盤としての重要性と、分類学的な分布周縁海域の種分化の面の、二重の重要性を持つのです。

串本沿岸海域をラムサール条約湿地に

 串本海域は近傍に大都市を持たず、また地域に大規模な河川を持たないことから、海中公園地区指定以降、海域環境は比較的良好に保たれてきたように見えます。しかし陸域や海岸域の開発の計画が全くないわけではありませんでした。さらに1970年代末には潮岬海域にも貴重なサンゴ群落があることが認識されていました。環境の攪乱に対して敏感なサンゴ群集は陸域の環境攪乱に強く影響されますので、貴重なサンゴ群集のためにはこの海域に対する何らかの保全的施策が期待されていたところでありました。そのような状況のもと、環境省自然保護局は2004年に串本海中公園地区管理方針検討調査という資質調査を実施しました。調査の結果、従来からの海域公園地区は指定当初の資質を失うことなく健全な状態で保全されていることが判明しました。また、この海域で特徴的な海中景観であったテーブルサンゴの大群落に加えて、枝状のミドリイシ群落が広い範囲に拡がっていることも分かりました。当地方の従来からの枝状ミドリイシは温帯系で低水温に強いエダミドリイシという種でしたが、近年大いに勢力を伸ばしているのは熱帯サンゴ礁海域で優占するスギエダミドリイシに非常によく似た種であり、このような場所による優占種の入れ替えは温暖化に影響されていることと思われます(図 3)。しかし海中景観上、またサンゴ群落としての資質上、これらの変化は当地のサンゴ群集の価値を上げさえするものの、決して資質の下落にはつながらないものと判断されました。さらに、新たに従来の海中公園地区の周辺部と、潮岬海域と通夜島海域に貴重なサンゴの群落が発見され、これらを保全する施策が検討された結果、従来の海中公園地区の周辺部に広がる高被度サンゴ群集はこれまでの海中公園地区の拡張を計画し、拡張された海中公園地区と、潮岬海域、それに通夜島海域の3箇所をまとめて、「串本沿岸海域」としてラムサール条約湿地に登録することが計画されたわけです(図 4)。

図3. 近年になって増えてきた枝状ミドリイシの群集(水深2m) 図4. ラムサール条約指定湿地と海域公園地区

 ラムサール条約指定のための要件である科学的調査は既に報告書の形で環境省に提出されています。また条約指定のための日本独自のガイドラインである地域住民の賛意については、地元串本町当局、地元漁業組合、及び和歌山県当局の同意も得られ、2005年11月にウガンダで行われた第9回締約国会議に認定を受けるべく申請がなされ、同時に申請された日本の19の湿地候補地と共に、無事ラムサール条約湿地の認定を受けました。

 ラムサール条約湿地で、サンゴ群集が指定要件になっているものと、要件の一部にサンゴ群集が含まれるものとは、世界中に40箇所ほどがありますが、そのどれもが南北緯30°の内側のサンゴ礁海域に属しています。条約指定湿地「串本沿岸海域」はサンゴ礁海域から外れた高緯度海域における、サンゴ群集を要件とした世界中でただ一つの、大変貴重なラムサール条約湿地なのです(図5)。

図5.サンゴ群集を要件あるいは要件の一部にしたラムサール条約指定湿地. 串本沿岸海域のみが南北緯30°海域からはずれている。

 ラムサール条約はすでに、水鳥のためだけのものではなく、地球上の全ての生命体のために機能する条約に成長しました。ウガンダの会場のパンフレットの1ページに、それを如実に表現したものがありました(図 6)。これは多くのラムサール条約関係者の思いだと考えています。

図6. 条約の始まりは鳥のためだったとしても、今や人類のためにと発展を遂げた。

まとめ

 このホームページでも紹介されているように、串本海域のサンゴ群集は近年、他の非サンゴ礁海域のサンゴ群集と同じように、ヒメシロレイシダマシなどのサンゴ食巻き貝の異常増殖による食害にあっている上に、さらに近年になって、広く暖海域に異常増殖するオニヒトデの食害による被害にもさらされています。

 しかしこれらの食害は、串本海中公園センターのスタッフ、地元ダイビングショップのスタッフ、多くの町内外のボランティアの方々の間断無きモニタリング調査と駆除作業の結果に加えて、串本町、和歌山県、環境省によるファイナンシャル・サポートのおかげで、資質が損なわれることなく健全な状態を保持し続けています。

日本国中の、あるいは世界各地のサンゴ群集がこれらのサンゴ食動物による食害で、サンゴ群集が壊滅していることを考えれば、当地串本で、ラムサール条約湿地に指定されている海域のみならず、広く町内全域のサンゴ群集が保全されていることは奇跡に近い事例といえるでしょう。


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