沖縄県の代表的な湧水

※アクセス制限の定義
 ☆:可(目視、近接、触れる)、◎:可(目視、近接)、○:可(目視のみ)、×:不可、―:不明
市区町村名 名称 ふりがな 所在地 概要等 アクセス 湧水保全活動 写真等
那覇市 宝口樋川 たからぐちひーじゃー 那覇市首里儀保町4-71-2付近 宝口樋川は首里儀保町に位置している樋川である。コーラルの道路及び階段を下ると、同樋川に至る。史跡周辺は環状2号線沿いの住宅街になっており、手洗い等に利用されている。平成25年度水質調査にて、重要地点(災害時に生活用水として利用可能)に選定された。 市の文化財に指定。  
那覇市 坊主川 ぼうじがー 那覇市繁多川2-17-44付近 繁多川に存在する湧水。「ボージガー」の名は、以前近くにあった寺にちなんだものと言われている。琉球国時代には、非常に美味で豆腐作りにも利用された。少し前までは硫化物臭が発生するなど水質が良い状態ではなかったが、現在では硫化物臭も無くなり、地域の子供たちの遊び場になっている。 自治会が管理し、定期的に清掃を実施。  
那覇市 坂中樋川 ふぃらなかひーじゃー 那覇市字天久1174付近 国道58号線(天久-上之屋付近)の西側を南北に走る岩崖地の西側斜面に位置する樋川。水は巨岩の間より湧き出しており、蛇口が設置され、日常的に人の利用がある。湧出口上部のガジュマルの根元には、石碑が設置され拝所にもなっている。平成25年度水質調査にて、重要地点(災害時に生活用水として利用可能)に選定された。 地域住民が清掃を実施。  
那覇市 瑞泉龍樋
(首里城内)
ずいせんりゅうひ 首里当蔵3丁目
(首里城内)
首里城内に位置する樋川で、史跡整備が施されている。平成25年度水質調査にて、重要地点(災害時に生活用水として利用可能)に選定された。 首里城が世界遺産および国の文化財に指定。  
那覇市 寒水川樋川 すんがーひーじゃー 首里当蔵3丁目
(首里城内)
瑞泉門前の龍樋とならんで首里城内の重要な水源で、生活用水のほかに防火用水としても利用されたといわれている。平成25年度水質調査にて、重要地点(災害時に生活用水として利用可能)に選定された。 首里城が世界遺産および国の文化財に指定。  
那覇市 金城大樋川 きんじょううふひーじゃー 首里金城町2-8 遺跡整備された金城町の石畳道より至る湧水。周囲は住宅地及び観光地にあり、利用が多い立地環境といえる。半月型の比較的大きな貯水池が設けられ、周囲に石積みを設けた美しい景観を生み出している。 市の文化財に指定。  
那覇市 仲之川 なーかぬかー 首里金城町2-11 村ガーとして共同利用されてきた湧水。かつては水量、水質ともにすぐれ、日照りの際は首里城の御用水にもなっていた。 市の文化財に指定。  
那覇市 安谷川 あだにがー 首里大中町1-61-2 村ガーとして共同利用されてきた湧水。この付近の地名をこの井戸にちなんで「安谷川」という。 市の文化財に指定。  
那覇市 寒水川樋川 すんがーひーじゃー 首里寒川町1-54外 赤マルソウ通り南側斜面の住宅地内に位置する樋川。貯水池は石造りで半月型を呈し、美しい景観をみせている。 市の文化財に指定。  
那覇市 上ヌ東門ガ- ういぬあがりじょーがー 首里金城町3-39 村ガーとして共同利用されてきた湧水。 市の文化財に指定。  
那覇市 下ヌ東門ガ- しちやぬあがりじょーがー 首里金城町3-60 村ガーとして共同利用されてきた湧水。 市の文化財に指定。  
那覇市 加良川 からがー 首里儀保町2-10-1外 村ガーとして共同利用されてきた湧水。玉城朝薫生誕の地の石碑があり、朝薫はここで産水を使ったと伝えられている。 市の文化財に指定。  
那覇市 さくの川 さくのかー 首里山川町1-89 桃原本通り(県道28号線)西側斜面に位置する樋川で、周辺は「さくの川の公園」として整備されている。岩のトンネル内小水路を湧水が流れる構造となっており、周囲の環境とあわせて趣のある樋川。 市の文化財に指定。  
宜野湾市 野嵩クシヌカー のだけくしぬかー 宜野湾市野嵩西門原 生活用水や産水、若水等に使用されていた。市指定史跡。 地域関係者や宜野湾市教育委員会が定期的な清掃を実施。 地図・写真
宜野湾市 喜友名泉
(ウフガー・カーグヮー)
ちゅんなーがー
(うふがー・かーぐゎー)
宜野湾市喜友名下原 牛馬の水浴びや正月の若水等に使用されていた。国指定重要文化財。 地域関係者や宜野湾市教育委員会が定期的な清掃を実施。 地図・写真
宜野湾市 森の川 むんぬかー 宜野湾市真志喜富盛原 最初に中国と正式な貿易を開始した察度誕生に関連する羽衣伝説が残る。県指定の名勝。 地域関係者や宜野湾市教育委員会が定期的な清掃を実施。 地図・写真
宜野湾市 大謝名メーヌカー おおじゃなめーぬかー 宜野湾市大謝名前原 生活用水や産水、若水等に使用されていた。湧泉に下りる石畳道も残る。市指定天然記念物である淡水紅藻が生息する。市指定史跡。 地域関係者や宜野湾市教育委員会が定期的な清掃を実施。 地図・写真
宜野湾市 我如古ヒージャーガー がねこひーじゃーがー 宜野湾市我如古前原 我如古のウブガーであり、1892年に我如古の石工の指導のもと半年間の工事で完成した。市指定有形民俗文化財。 地域関係者や宜野湾市教育委員会が定期的な清掃を実施。 地図・写真
宜野湾市 神山・愛知ヌールガー かみやま・あいちぬーるがー 宜野湾市愛知 愛知のウブガーであり、神山ではハウチビーの祭祀で拝んでいる。市登録有形民俗文化財。 地域関係者が定期的な清掃を実施。 地図・写真
石垣市 アダドゥーナー   石垣市宮良 市指定史跡。詳細は別紙参照。
一部制限有
地域関係者や市文化財課が清掃を実施。 資料
石垣市 パイナーカー   石垣市平得 市指定史跡。詳細は別紙参照。 地域関係者や市文化財課が清掃を実施。 資料
石垣市 真謝井戸 マジュンガー 石垣市白保 市指定史跡。詳細は別紙参照。 地域関係者や市文化財課が清掃を実施。 資料
石垣市 世持井戸 ユムツィンガー 石垣市字大川中ノハカ102-3 古記録によると1757年に掘削された掘り抜き井戸である。深さ17.2mで、市内の掘り抜き井戸中屈指の深さ。 市の文化財に指定。  
浦添市 西原東ガー にしはらあがりがー 浦添市西原4丁目
うがんやま公園内
村井。別名ウブガー。産水、若水を汲むのに使われていた。昭和56年3月2日に浦添市の指定文化財に史跡として指定されている。 市の文化財に指定。
清掃や管理を実施。
写真
浦添市 西原洗濯ガー にしはらせんたくがー 浦添市西原4丁目
うがんやま公園内
西原東ガーに隣接し、洗濯や農具洗い等に使われた。平成18年12月19日に浦添市の指定文化財に史跡として指定されている。 市の文化財に指定。
清掃や管理を実施。
写真
浦添市 安波茶樋川 あはちゃふぃーじゃー 浦添市安波茶2丁目
内閣府浦添宿舎西側
現在も参拝がある。産水、若水を汲むのに使われていた。平成14年3月1日に浦添市の指定文化財に史跡として指定されている。 市の文化財に指定。
清掃や管理を実施。
写真
浦添市 仲間樋川 なかまふぃーじゃー 浦添市仲間2丁目
浦添中学校北側
村井。産水を汲むのに使われていた。平成14年3月1日に浦添市の指定文化財に史跡として指定されている。 市の文化財に指定。
清掃や管理を実施。
写真
浦添市 沢岻イリヌカー たくしいりぬかー 浦添市字沢岻
沢岻自治会館東側
村井。琉球王府へ税として納めるエビや魚を畜養するために用いられていた。令和5年4月7日に浦添市の指定文化財に史跡として指定されている。 市の文化財に指定。
清掃や管理を実施。
写真
名護市 潮平川湧水 すんじゃがーゆうすい 名護市屋部736-2 嘉津宇岳一帯をかん養域とし雨水等の浸透水が水源となり、海岸部より湧き出す水量豊富な湧水である。 水源水質の管理・監視のため、毎月数項目の水質検査と、毎日の巡視点検を実施。  
糸満市 嘉手志川 かでしがー 糸満市字大里 今でも豊かな水量が湧き出ていて、干ばつのときにも涸れることがない。   写真
糸満市 シリーンカー しーりんかー 糸満市字糸満      
糸満市 コビガー こびがー 糸満市字大里      
糸満市 クラガー くらがー 糸満市字宇江城   ×    
糸満市 アガリガー あがりがー 糸満市字真栄平 灌漑用水のほか、一部は雑用水として利用されている。 ×    
糸満市 シラカー しらかー 糸満市字真壁      
糸満市 喜屋武泉
(江本之泉)
きゃんがー
(えもとのいずみ)
糸満市字喜屋武 喜屋武貝塚内にある湧水で、干ばつにも涸れることもなく区民の生活水として使用されてきた。 ×    
糸満市 潮平ガー しおひらがー 糸満市字潮平 平成9年12月に県内初の登録有形文化財として登録された。    
糸満市 復興乃泉 ふっこうのいずみ 糸満市字糸洲      
糸満市 フクラシ泉 ふくらしがー 糸満市字米須   ×    
糸満市 榮泉 さかえがー 糸満市字米須      
糸満市 イナミンガー いなみんがー 糸満市字糸満      
糸満市 マチンカー まちんかー 糸満市字糸満 戦前は井戸の北側は広場になっており、そこの露天市場で利用される井戸であった。    
糸満市 カニクグヮーンジョーヌカー かにくぐゎーんじょーぬかー 糸満市字糸満      
糸満市 ミーガー みーがー 糸満市字糸満      
糸満市 ワカガー わかがー 糸満市字糸満      
糸満市 町ン門ヌカー まちんじょうぬかー 糸満市字糸満      
糸満市 アシチャー あしちゃー 糸満市字山城      
糸満市 クニシガー くにしがー 糸満市字国吉     写真
糸満市 アカリガー あかりがー 糸満市字真栄里      
糸満市 カータガー かーたがー 糸満市字真栄里      
糸満市 イリーガー いりーがー 糸満市字真栄里      
糸満市 アガリグムイ あがりぐむい 糸満市字武富   ×    
糸満市 照屋カー てるやかー 糸満市字照屋 昔は石で囲った小さな井戸だったが、戦後に屋根付きの井戸として整備された。    
糸満市 糸洲カー いとすかー 糸満市字糸洲      
糸満市 ザハガー ざはがー 糸満市字座波      
糸満市 ウーカンガー うーかんがー 糸満市字糸満      
沖縄市 室川井泉 ムルカーガー 沖縄市室川 沖縄市役所の北東に位置する。大干ばつに見舞われても水が涸れなかったといわれ、地域では「ムルカーガー」と呼ばれている。現在の井泉は、昭和3年に改修された。地域では旧暦8月10日に拝んでいる。 市指定文化財として保護。  
沖縄市 セークガ―   沖縄市美里 美里公民館の南側に位置する。堰は堅固な石積みで、ふたつの取水溝と四角いのぞき穴がある。戦後に改修された記録はなく、往年の技法を伝える重要な文化財である。美里集落の発祥にかかわる井泉だと伝えられている。建造年代は不明。 市指定文化財として保護。  
沖縄市 ヒージャーガー   沖縄市美里 美里公民館の北東側に位置する。村では、ヒージャームンチュウが使用した井戸といわれている。現在の井戸は昭和29年に改修されたようだ。この泉から流れ込んで小川やむかいの溜池の底に溜まった土は農家の肥料として使用されたと言われている。美里集落の発祥にかかわる井泉だと伝えられている。 市指定文化財として保護。  
豊見城市 ウーガー ウーガー 豊見城市我那覇 戦前は飲料水や豆腐作り、水浴びや洗濯などに利用していた。 自治会が管理し、定期的に清掃を実施。  
豊見城市 轟泉 トゥドゥルチガー 豊見城市平良 以前は水量が豊富で、市内の公共施設へ簡易水道が引かれ利用されていた。 周辺をせせらぎ公園として整備。  
豊見城市 クンジャーガー クンジャーガー 豊見城市渡橋名 「ウブガー」とも呼ばれ、正月の若水や葬儀の湯灌の水としても利用されていた。 自治会が管理し、定期的に清掃を実施。  
豊見城市 ブートゥガー ブートゥガー 豊見城市保栄茂 古くから利用されてきた井泉。正月の若水も汲んでいた。 自治会が管理し、定期的に清掃を実施。  
うるま市 ヤンガー やんがー うるま市与那城上原 市指定文化財。泉の内部はトンネル状に石を組み、涌き口まで続いているようである。外観も石造建築の美を見事に調和させている。昔は、産湯につかったことから「ウブガー」とも呼ばれている。現在は、正月に清水をとる習わしがあり、地域の門中がヤンガーを拝み、健康祈願も行っている。    
うるま市 犬名河 いんながー うるま市与那城伊計 市指定文化財。水不足で、干ばつに困っていたとき、ずぶぬれになった犬が崖下から上がってきたのを見た農夫が、不思議に思い下りていって見ると、こんこんと水がわき出ている泉を見つけた。このことから「犬名河」と呼ばれるようになったといわれている。    
うるま市 与佐次川 ゆさちがー うるま市与那城平安座 市指定文化財。平安座島では「産井ガー」とも呼び、子どもが誕生した際には、初水として汲んできた。また正月3日には、門中一族が集まり、子孫繁栄、無病息災を祈願する伝統行事が行われている。    
うるま市 田場ガー たばがー うるま市田場 市指定文化財。「ウブガー」とも呼ばれ、古くから正月の若水、産水、生活・農業用水などに利用されてきた。現在でも地域の行事として、旧暦正月にカー拝みが行われている。    
宮古島市 ヒダ川 ひだがー 宮古島市平良字西原 宮古島大浦湾奥に位置する。かつては隣接する西原地区住民の生活用水確保の場であり、洗い物等をする作業場造られた。現在は使われていない。海岸に近いため、潮位によっては塩水の浸入を受ける。    
宮古島市 白川田湧水 しらかわだゆうすい
(すさかだーゆうすい)
宮古島市平良東仲宗根添 宮古島西部、大野山林の西に位置する、宮古島市最大の湧水地。 湧出量は、隣接・合流する山川湧水と合わせて日量1,500トンに及ぶ。宮古島市水道局の水源地として利用され、一般の立入は制限されている。 × 水道水源地であるため、立入を厳重に規制。
水道法に基づく水質検査等を実施。
 
宮古島市 長間大川
別称:山川大川
ながまうぷかー
やまがわうぷかー
宮古島市城辺字長間 宮古島西部、山川集落の西海岸斜面に位置する。市指定民俗文化財。 宮古島市が水質モニタリングを実施。  
宮古島市 野城泉 ぬぐすくがー 宮古島市城辺字福里 宮古島南東の浦底漁港に続く下り坂の途中に位置する市指定史跡。湧出口には石積みにより水場が形成されている(石積みの時期は不詳。13~14世紀ごろか)。かつては豊富な湧出量を誇ったが、近年は減少傾向にある。 宮古島市が水質モニタリングを実施。  
宮古島市 来間川
別表記:来間泉
くりまがー 宮古島市下地字来間 来間島・来間漁港に隣接する、市指定史跡。断崖直下の小湧水で、昭和50年に宮古島から海底送水管が敷設されるまで、島民の重要水源であった。 宮古島市が水質モニタリングを実施。  
宮古島市 プイ°キャー
別称:新城湧水
ぷい°きゃー
あらぐすくゆうすい
宮古島市城辺字新城 宮古島南東の新城海岸に下る途中に位置する。湧出口にコンクリート製のため池が整備されているが、現在は使われていない。 宮古島市が水質モニタリングを実施。  
宮古島市 保良川 ぼらがー 宮古島市城辺字保良 宮古島南東の保良海岸に下る途中に位置する。かつて湧水は、近隣の保良集落の生活用水として使われていたが、現在では、海岸でのレジャー利用に変わっている。 宮古島市が水質モニタリングを実施。  
宮古島市 ムイガー むいがー 宮古島市城辺東海岸 宮古島南岸のムイガー断崖下に位置する。かつては簡易水道の取水地として利用されていた。現在は使われていない。    
宮古島市 咲田川湧水
別表記:崎田川湧水
さきたがわゆうすい 宮古島市下地字上地 宮古島南西・与那覇湾奥に注ぐ湧水。湧出口は複数あるが、その一部は製糖工場の事業用水として利用されている。他の湧出口は公園整備がされている。 宮古島市が水質モニタリングを実施。
宮古高校が湧水地の生物調査を実施。
 
南城市 チチンガー ちちんがー 南城市大里字大里 以前は飲料水として使用されていたが、水道敷設後、現在は一部農業用水として使用。区においては年中行事の際に拝みを行っている。 南城市教育委員会が管理。
西原区が随時清掃を実施。
 
南城市 カンチャ大川 かんちゃうっかー 南城市知念字志喜屋 上志喜屋集落の生活用水として使用していた。現在は農業用水として利用されている。 南城市教育委員会が管理。
志喜屋区が随時清掃を実施。
 
南城市 知名御川 ちなうっかー 南城市知念字知名 集落西側にあり、古い井泉と伝わっており、拝所として多くの参拝客を集めている。 南城市教育委員会が管理。
個人が随時清掃を実施。
 
南城市 具志堅の樋川 ぐしけんのひーじゃー 南城市知念字具志堅 昭和4年に住民の手で築造された知念大川を水源とする樋川である。正面に吐水口と洗濯場、右側に沐浴場がある。 南城市教育委員会が管理。
具志堅区が随時清掃を実施。
 
南城市 知念大川 ちねんうっかー 南城市知念字知念 以前は瓦葺きであったが、昭和33年にコンクリート造りに改築された。水量が豊富である。 南城市教育委員会が管理。
随時清掃を実施。
 
南城市 上の井 うぃーぬかー 南城市佐敷字小谷小谷原 昔は産井や生活用水の井戸として重要であり、昭和49年頃まで使用された。現在は市営の上水道が配されたため、飲料水以外に利用している。 南城市教育委員会が管理。
小谷区が随時清掃を実施。
 
南城市 中の井 なかぬかー 南城市佐敷字小谷小谷原 明治後期に造られ、洗濯や甘藷洗いに利用されていた。近年まで井から水を汲んで、自家の水がめ等に飲料水として溜めていた。 南城市教育委員会が管理。
小谷区が随時清掃を実施。
 
南城市 下茂の井 しむぬかー 南城市佐敷字小谷小谷原 現在は使用されてなく、井底に砂泥がたまっている。字の拝所で、左手に水の神を祀った碑と香炉がある。 南城市教育委員会が管理。
小谷区が随時清掃を実施。
 
南城市 仲村渠樋川 なかんだかりひーじゃー 南城市玉城字仲村渠 大正元年に津堅島の石工を雇い粟石で築造され、当時は生活用水として使用。現在は農業用水として利用されている。 南城市教育委員会が管理。
仲村渠区に清掃管理を委託。
 
南城市 垣花樋川 かきのはなひーじゃー 南城市玉城字垣花 現在は送水管が敷設され、飲料水、生活用水の原水として使用されている。初ウビー等の拝所となっている。    
南城市 船越大川 ふなこしうっかー 南城市玉城字船越 4~50年前までは子供達の水浴びや馬アミシーとして利用されていた。現在でも桶の下から水が湧き出しており、夏場でも涸れない。    
南城市 前川樋川 まえかわひーじゃー 南城市玉城字前川 子供が生まれた場合等に桶井泉を汲んで湯浴させたりと、ウブガーとして崇拝されている。    
南城市 糸数樋川 いとかずひーじゃー 南城市玉城字糸数 現在はコンクリート造りの貯水槽となっている。    
国頭村 メージンジャナガー めーじんじゃながー 国頭村比地 民家の近くにあり、昔は飲料水として飲まれていたが、現在は飲料水としては適していないため使用されていない。    
国頭村 インリンジャナガー いんりんじゃながー 国頭村比地 現在、この湧水地は民家の近くにあり、昔は飲料水として飲まれていたが、現在は飲料水としては適していないため使用していない。    
国頭村 辺戸大川 ウッカー 国頭村字辺戸 辺戸から水をとり首里王府に献上していたお水取り行事(首里城お水取り行事)に使われていた。    
国頭村 奥間の湧き水   国頭村と大宜味村との境目 大国林道沿いにあり、村内外から水を汲みに来る人がいる。    
大宜味村 ダチガー だちがー 国頭郡大宜味村田港      
今帰仁村 村吉事水源地 そんよしことすいげんち 勢理客620      
今帰仁村 ヒージャーガー ひーじゃーがー 渡喜仁310      
本部町 西のハー にしのはー 本部町字崎本部の集落内 本部町字崎本部の集落内にあり、水量は少ない。旧暦の1月1日、5月5日に区が拝む。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 イズミガー いずみがー 本部町字健堅 本部町字健堅にあり、水量は少ない。旧暦の5月5日、9月9日に区が拝む。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 へーヌカー へーぬかー 本部町字谷茶の集落内 本部町字谷茶の集落内にあり、水量は少ない。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 割井泉 わりがー 本部町字渡久地
(学校の校庭内)
校庭内にあり、水量は少ない。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 りージ りーじ 本部町字東 本部町字東の集落内にあり、水量は少ない。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 大蛇ガー うふじゃがー 本部町字伊野波
(八重岳の中腹)
昔は藍染めをする藍をつくっていたが現在は使用していない。水量は少ない。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 井泉 はーぐゎー 本部町字山里 現在は使用されていない。 管理は未実施。  
本部町 ウフガー うふがー 本部町字大堂 一軒の農家により農業用水に利用されている。 水量・水質調査は未実施。  
本部町 ウフガー うふがー 本部町字具志堅 農業用水等に利用されており、水量は豊富。 具志堅区が管理。
水量・水質調査は未実施。
 
金武町 金武大川 うっかがー 金武町字金武640番地 「長命の泉」ともいわれるウッカガーは、生活用水のみならず、元旦にはじめて汲む「若水」、生まれた赤子の「産水」、子供の額につける「水撫」、お産に使用した汚れ物を洗い流す「ウーカリー」など、お祝いの儀礼にも利用されていた。 町の文化財に指定。
自治会により管理
 
金武町 慶武田川 きんたがー 金武町字金武919番地 古くから地域住民は生活用水として飲料水を汲んだほか、洗濯や芋洗い、田畑んまく種もみを浸した場所としても利用していました。また、男女別の水浴場があり、子どもたちにとっては水に親しみ泳ぎを覚える場所でもありました。 町の文化財に指定。
自治会により管理
 
伊江村 湧出 わじ 国頭郡伊江村字東江上4280-2   水道係が維持管理を実施。  
読谷村 楚辺暗川 そべくらがー 読谷村字楚辺 トリイステーション(旧楚辺集落)の洞穴内にある泉。沖縄音楽の始祖赤犬子(あかいんこ)の誕生に関わる伝説がある。 × 定期的な水質調査を実施。  
読谷村 サシジャー さしじゃー 読谷村字伊良皆 字伊良皆の飲料水となった泉のため、現在でも重要視されており、定期的に字民が清掃を行っている。 地域住民が定期的な清掃活動を実施。  
嘉手納町 屋良のシリーガー やらのしりーがー 嘉手納町字屋良750 古くから利用されてきた井泉。町指定史跡。    
嘉手納町 屋良のヒージャーガー やらのひーじゃーがー 屋良城跡公園内 古くから利用されてきた井泉。町指定史跡。    
嘉手納町 ヌールガー ぬーるがー 屋良城跡公園内 古くから利用されてきた井泉。町指定史跡。    
嘉手納町 メーガー めーがー 嘉手納町字屋良692 古くから利用されてきた井泉。町指定史跡。    
嘉手納町 ウブガー うぶがー 嘉手納町字屋良103 屋良集落で古くから利用されてきた湧水。    
嘉手納町 水釜シチャヌカー みずがましちゃぬかー 嘉手納町字水釜379付近 古くから利用されてきた井泉。町指定史跡。    
北谷町 桃原ガー とうばるがー 北谷町字吉原405 いつ頃作られたのかは不明。水量は豊富。現存しているが、戦後コンクリートで高さがつけられ簡単に汲めない。    
北谷町 チブガー ちぶがー 北谷町字大村83 米軍基地内に位置する。県道130号線の工事の際に発生した崩落によって埋没。平成16年、米軍の文化財保護政策の一環として復元。同年、町の文化財として指定。 ×    
北谷町 ナルカー なるかー 北谷町字桑江 米軍基地内に位置する湧水および河川。桑江ヌ後屋取と伊礼の境界を流れていた。戦後、米軍による取水施設として整備され、現在も利用されている。 ×    
北谷町 イーヌカー いーぬかー 北谷町字吉原126 集落内では一番上等な井戸だったが、現在の水量は戦前の半分ほどになっている。    
北谷町 インガー いんがー 北谷町字砂辺141 飲料水や炊事などに使用していた。戦前は今より浅く位置も現在より2mほど西側だった。    
北谷町 スーガー すーがー 北谷町字大村380 北谷城(チャタングスク)の西麓にある井戸。きれいな澄んだ水である。    
北谷町 ウーチヌカー うーちぬかー 北谷町字伊平 水量豊富で、かつてはノロによる雨乞いが行われた。 平成22年度に水量・水質調査を実施。 地図写真
北谷町 ホースガー ほーすがー 北谷町字吉原1079-1 「ウージガー」とも呼ばれる。飲料水や生活用水として利用されていた。戦後ゴムホースを入れて配水していたので、「ホースガー」の呼び名が一般的となった。現在は宇地原公園内にて整備・利用されている。   地図写真写真写真
北谷町 ウブガー うぶがー 北谷町字砂辺40 生児の額につける水、あるいは産湯に使う水を取る井戸。旧正月元旦に砂辺集落の者でハチウガミが行われる。    
北谷町 ヌールガー ぬーるがー 北谷町字砂辺524 「タキガー」とも呼ばれる。平安山ノロが祭祀の際、身を清めた場所。拝所としても利用された。    
北谷町 イシンダヒージャー いしんだひーじゃー 北谷町字北前 米軍基地内に位置する。終戦後も一時期利用していたが、現在ではコンクリートが張られており、水量は少なくなっている。 ×    
北谷町 メーヌカー めーぬかー 北谷町字浜川10-1付近 浜川集落の共同井戸のひとつ。深さ2mほどで、水量も多かった。ウブガーでもあり、拝所としても利用されていた。    
北谷町 ウキンジュガー うきんじゅがー 北谷町字桑江521付近 水量豊かで、旱魃時にも水があり、遠くから水汲みに来る人達もいた。下流には田圃があり、戦後も井戸とともに利用された。現在、コンクリートで周囲を保護されている。    
北中城村 ヒージャーガー ひーじゃーがー 北中城村字荻道西門原26 荻道集落の中心部、県道146号沿いにある。大正13年の改修の時、横穴を掘ってから水が良く出るようになり、飲料水や産井戸としても利用するようになったという。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
北中城村 アガリヌカー あがりぬがー 北中城村
字大城門田原114-1
戦後上水道が敷設されるまで飲料水として利用された。旧元旦の若水として汲み、火の神、仏壇に供え、家運隆盛と家族の健康を祈った。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
北中城村 チブガー ちぶがー 北中城村字大城門田原142 字大城で一番古いカーで、産井戸として使用された。水溜めの石積みが良く残っている。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
北中城村 イリヌカー(大城) いりぬかー 北中城村字大城門田原141-1 樋から流れてくる水を溜める池や石敷き、周囲の土留め石積みが今も残っている。地下水路も残っている。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
北中城村 イーヌカー いーぬかー 北中城村字荻道西門原28 昔は地域住民が水浴びや洗濯しながらゆんたく(おしゃべり)をする憩いの場として利用された。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
北中城村 メーヌカー めーぬかー 北中城村字荻道西門原59 拝井泉としては最も古いとされ、大正13年にヒジャーガーが改修されるまでは産井戸として利用されていた。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
北中城村 タチガー たちがー 北中城村字荻道樋川原485 荻道集落の北側にあり水量は豊富。昔は集落のカーの水が不足した時に、ここまで水を汲みに来た。 令和3年度に水質調査を実施。 地図
西原町 一貫ガー いっかんがー 西原町字森川45-1 別名「森川ヒージャーガー」とも呼ばれる湧泉。昔、7ヶ月にわたる大干ばつのとき、隣の西原部落(現宇浦添市西原)の人々が一貫(二銭)づつ出し、この井泉を浚渫、改修したことに由来する。 地域自治会、西原町教育委員会が定期的に周辺清掃を実施。 町HP
西原町 チブガー ちぶがー 西原町字千原 チブガーラという川の水底より水が湧き出している。 宜野湾市志真志の住民を中心とした「NPOチブ川保存会」が、清掃だけでなく、様々な活動を通して保全活動を実施。 写真写真
与那原町 親川 ウェガァ 新島区 1999(平成11)年4月21日、町指定文化財に指定。与那原の村立てにまつわる村井とされ、与那原村の産井とされている。親川は住民の生活に密着した井戸であると同時に、王府時代には聞得大君の就任儀礼である 「御新下」の際にセジ(神力)を授かる「御水撫」の儀式も行われていた。沖縄戦で井戸と広場は破壊されたが、ほぼ同じ場所に再建された。戦後も地域の共同井戸として使用されていたが、1968(昭和43)年に町の水道事業が開始され、現在は水源としては使用されていない。現在も地域の重要拝所であり、綱曳関連祭祀であるアブシバレー (旧4月15日 )、 二月ウマチー (旧5月15日)、 六月ウマチー (旧6月15日)、アミシの御願 (旧6月26日)に巡拝され、元日の若水もここで汲まれ、地域住民のみならず、各地から参拝者が訪れる。   写真
与那原町 前の井 めーぬかー 上与那原区 1999(平成11)年4月21日に町指定文化財 に指定された。前の井は旧上与那原村の共同井戸として使用された古。文献記録な どはなく詳細は不明であるが、1800年代前半、王府時代末に上納成績優秀な村だったことから王府から賜った御拝領井と伝えられている。従来は飲料のみで、洗濯などは禁止されていたと言われるが、現在は井戸水は使用されていない。拝所として、門中が年中行事の際に拝んでいる。   写真
与那原町 新井 みーがー 大見武区 上納成績優秀 な村 に王府か ら与 え られた御拝領井 として伝わる大見武の村井で、生活に密着していたことか ら地域の重要拝所となっている。大見武村が現在地 (二班)に移住した1860年から1879(明治12年)の廃藩置県までの期間に築造されたと推定される。井戸を覆う建屋や左右の洗い場は1950(昭和25)年頃に建造されたもので、その以前はそうした付帯構造物は無かったようである。   写真
与那原町 名称不明   大見武区 大見武二班の村井 で、サー ター ヤー(砂糖小屋)で使用 されていた。大見武区では、1月3日の初拝みにこの井戸を巡拝する。   写真
与那原町 上之井 いーぬかー 当添区 明治期以降に建造 された もので、村の井戸ではな く門中が拝む井戸となっている。道路を挟んで国道側に山内の御神屋があるが、井戸との直接的関連は無い。   写真
与那原町 フ カシク井 ふかしくがー 板良敷区 板良敷の村井の一つで、正月の井拝みを行い若水を汲む。新井や トーマ井の別称もある。   写真
与那原町 クル ヒジ井 くるひじがー 板良敷区 板良敷の集落で最も古い村井戸とされる。戦中の日本海軍陣地構築により土砂に埋もれたが、戦後、住民によって掘り起 こされた。1968(昭和43)年に町水道事業が開始 されるが、その頃まで生活用水として利用されていた。   写真
南風原町 ヒージャガー ひーじゃがー 南風原町字大名80 大名の、首里に向かう旧街道にある共同井戸で、個人の屋敷東側にある。井戸は直径1mの楕円形をしており、水深4m、深さ1mまで石積みされており、現在でも水量は豊富である。 町の文化財に指定。  
南風原町 御宿井 うすくがー 南風原町字宮城89-1 御宿井は、『琉球国由来記』と『球陽』外巻の『遺老伝説』に『羽衣伝説』の言い伝えが残る井戸として紹介されている。
琉球石灰岩を用いて作られた井戸は、直径1.2m程で、上下水道が整備されるまで地域の生活用水として利用されていた。現在ではウマチーなどの行事の拝所となっている。
町の文化財に指定。  
伊平屋村 上之井泉(イーヌカー) いーぬかー 字島尻 昔から使用されている湧水。現在も飲料水として使用されている。   地図
伊平屋村 シーフガー しーふがー 字田名 サトウキビの洗い水等農業用水として使用されている。「ガー」は泉や井戸を指し、発音は地域によって「カー」「ガー」「ハー」などがある。   地図
伊平屋村 真井泉(マーガー) まーがー 字我喜屋 拝みの対象とされている。   地図
伊平屋村 シンジャガー しんじゃがー 字田名 拝みの対象とされている。   地図
八重瀬町 上ヌカー ういぬかー 八重瀬町字高良 集落が管理しており、農業用水として利用されている。    
八重瀬町 世持井 ゆむちがー 八重瀬町字仲座 集落が管理しており、農業用水として利用されている。    
八重瀬町 屋富祖井 やふそがー 八重瀬町字具志頭 集落が管理しており、農業用水として利用されている。    
八重瀬町 カミーガー かみーがー 八重瀬町字富盛 集落が管理しており、農業用水として利用されている。 ×    
八重瀬町 川平良井泉 かてーらがー 具志頭 集落が管理している。    
八重瀬町 座嘉武井泉 ざかんがー 安里 集落が管理している。    
八重瀬町 下茂ヌカー すむぬかー 志多泊 集落が管理している。    
与那国町 田原水源地 たばるすいげんち 与那国町字与那国町2140 昔から使用されている湧水。