保健・化学物質対策

「安全と安心 ―内分泌かく乱作用問題について―」

化学物質の内分泌かく乱作用に関する検討会委員
三井化学(株) 環境安全役員付部長
岩本 公宏
(2006年8月3日 掲載)

 邦訳版「奪われし未来」の出版以降、身近な日用品に含まれる一部の化学物質に対して、消費者の間で「内分泌かく乱化学物質では」との不安が拡がった。

 行政と産業界は、それぞれ独自の立場で、消費者の安全に向けての取組を実施し、その結果、安全上問題が無いことを確認しては、その都度公表してきた。これらの取組の成果については、このホームページ上で入手できるので、そちらを参照していただきたい。
 しかし、こうした行政や産業界の「安全上問題が無い」という見解について、消費者はそのまま素直には受け入れられない―「安心」できないーというのが率直な市民感覚であろう。

 ここで「安全」と「安心」について整理してみよう。
 「安全」とは、その時点の科学的知見や手段に基づいて危険性の有無を評価し、危険の起りうる可能性が許容される水準以下であること、であり、客観的なものである。
 一方「安心」とは、一人ひとりが、自ら得た情報によって安全と信じていること、または、危険の内容や程度を予知して安全策を取っていると確信していることであり、多分に主観的な要因が入ってくる。
  内分泌かく乱作用について、日常生活においては安全である、との事実が公表されても、消費者が安心できない主な理由は、次の2点によるのではないだろうか?

 

[1]過去の公害問題、最近のアスベスト問題などの対応から見て、行政や産業界に信頼感がもてないこと
[2]「低用量作用」と言われるように、これまで安全とされていた摂取量よりもはるかに微量のばく露でも影響があるという研究報告があり、「影響が本人ではなく、こどもたちの世代に及ぶおそれがある」、「内分泌かく乱作用について科学的に解明されていないことが多い」「内分泌かく乱作用は簡単には捉えきれないのではないか」といった学者の発言に同感できること

 「低用量作用」は、従来の化学物質に関する安全性評価の考えを否定する新しい事実であった。その後、多くの研究者が「低用量作用」の事実を検証するためにこれまでに試験を行ってきているが、試験によって「低用量作用」が認められなかったという結果と、認められたとの相反する結果が出ている。こうしたことから、行政や産業界の「安全」との見解に対して、消費者として安心を取り戻すには至っていない。
 環境省や厚生省(当時)の試験、産業界がアメリカの試験機関に依頼した試験など、低用量作用が認められなかった試験は、

  • 客観的な評価を可能にするに十分な数の試験動物を使った大規模試験であった。これは、試験動物に認められた影響が、投与した化学物質の影響か、その他の要因によって偶発的に出る影響かを見極める上で重要な要件である。
  • 試験動物の生育環境を整え、温度、湿度、餌や集団生育条件などによる影響と化学物質による影響とを明確に区別できるような管理がなされていた。これも、投与した化学物質の影響か、その他の要因による影響かを見極める上で重要な要件である。
  • 経済協力開発機構(OECD)では、試験結果が十分に良質かつ正確であることを確実にするために、国際的に、試験所における管理や試験実施、報告などに関する基準を優良試験所基準(GLP)として定めている。これらの試験の大半はこのGLP基準を適用している試験施設で実施された試験である。

 一方、「低用量での影響が認められた」との試験報告も多数あり、「産業界が実施した試験結果は信用できない」と公言する学者もいる。
 こうした状況に対して、リスク分析の権威ある専門機関であるアメリカのハーバードリスク分析センター(Harvard Center for Risk Analysis)のグループは、2005年までに主要な学会誌に報告された低用量作用についての論文を、試験計画、試験の実施方法、結論の妥当性などの観点から評価し、「低用量作用があるとの"証拠の重み"は低い。真実のためには追跡研究が必要である。」との結論を公表している。
 新しい分野の研究は、色々な手段による試験、さまざまな角度から対象への接近、研究者の科学者としての独自の考え方、などから出発する。それらが、科学的な真摯な討議と更なる研究を経て、少しずつ疑問が解明され、やがて、真実に近づいていく。
 内分泌かく乱作用は、今まさに初期の段階から次の段階に入りつつあると理解している。行政当局も消費者の安全確保に向けての緊急対応(例えばSPEED98)を終えて、この問題の本質的な問題の解明に向けての研究へと軸足を移しているのが現状(例えばExTEND2005)であり、妥当な対応と考える。

 では、我々消費者は現時点でどう考え対応すべきか? 消費者は、化学のことはよくわからないのが普通であり、情報のほとんどをマスメデイアから得ている。
 日本のマスメデイアの報道は、今回のワールドカップの報道を例にするまでもなく、他社へ倣えといったモノトーンの報道が多いこと、一方で「安全である」との事実は"面白み"がないため報道されないか報道があっても小さく扱かわれることが現状である。内分泌かく乱作用に関するこれまでの報道もこの例にもれなかった。こうしたマスメディアの性質が消費者の不安を加速することも事実である。
 幼児や子供への万一の影響を考えて予防的に不安の対象となっている物質を遠ざける対応をとる、それも母親からすれば一つの手段である。
 一方で冷静に周りをながめてみると、内分泌かく乱化学物質として疑われている物質を含む製品には、長年にわたって広く世界で愛用されていた製品も多く、そういった製品を使用した結果、少なくともこれまでの知見では何の健康影響も報告されていない。予防的に排除しようとしている親達も、子供の頃にはこれらの製品のお世話になってきた人も多いはずである。

 私も3人の孫の健やかな成長を願っているものである。娘や息子のお嫁さんにはいつも次のようなアドヴァイスをしている。「長く、多くの人に愛用されてきたものには、そのものの良い性質と同時に、長い間の使用に耐えてきたという安心感がある。便利そうだから、より安全だからとの宣伝にのって、何でも新しい製品に飛びつくのは気をつけたほうがいいよ!」

 世代を超えて広い視点で物事を評価し、海外の情報にも目を向けて、自分なりの評価基準を持つこと、それが情報過多の時代に生きる我々に必要になっている。

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