保健・化学物質対策

PCBによる環境汚染と子どもの健康

愛媛大学沿岸環境科学研究センター
田辺 信介
(2013年1月22日 掲載)


 環境省は、10万組の親子を対象に子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)1)を開始した。こうした大規模プロジェクトの背景には、小児喘息や代謝・内分泌系の異常等増加しつつある子どもの疾病に対する環境汚染物質の影響が懸念されるからである。ヒトは日常生活で被るストレスにより生体機能が攪乱され、疫病、遺伝病、環境病等の疾病を患う。原因となるストレスは、社会経済・教育情緒・自然環境・遺伝習慣等に由来するものが大半であるが、ハイリスクライフステージの化学汚染、すなわち胎児・新生児・幼児期における化学物質曝露の影響も重要なストレス因子として注目されはじめている。

 内分泌かく乱作用が疑われる物質は多数存在しその一角を馳せた物質としてダイオキシン類やDDTなどの残留性有機汚染物質(POPs)がある。ストックホルム条約(POPs条約)等国内外の法的規制によりその環境汚染や生態系の暴露リスクには改善の兆しが認められるが、ポリ塩化ビフェニール(PCB)は依然として厄介な問題を引きずっている。PCBは、1968年(昭和43年)に食品公害「カネミ油症事件」を引き起こし、これを契機に毒性と環境汚染・生物汚染が社会問題化して1972年(昭和47年)にその製造は禁止された。しかし生産量の大半は耐用年数の長いトランスやコンデンサーの絶縁油として利用されたため、PCBの製造禁止は使用の禁止ではなかった。2001年(平成13年)にポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法(PCB廃棄物特別措置法)2)が制定されるまでは、PCB含有トランス・コンデンサー等の一部利用や保管が継続し、稼働・保管中の事故や産廃処理過程等における漏出によってPCBの環境汚染は続いた。PCB廃棄物特別措置法制定後においては、日本環境安全事業株式会社(JESCO)による高濃度PCB廃棄物の分解処理が推進され、微量PCB汚染廃電気機器等についても無害化処理認定施設における焼却処理が開始されるなど一定の前進をみせたが、予期せぬ事態や新たな問題が派生したため処理が遅れている3)。他のPOPsと異なりPCBの環境・生態系汚染に明瞭な濃度低減が認められないのは、PCB廃棄物の処理の遅れや不適切な処理・管理による環境流出の継続が一因と推察される。

 PCBなどの有害物質はヒトのへその緒に100%の検出率で残留しており、胎盤を経由して母親から胎児へ移行していることは確実である。また晩婚少子化が進行している日本のような先進国では、早婚多産の途上国に比べ授乳によるPCBsの母子間移行量が多いことも指摘されている。胎児期から乳幼児期の子どもは、知能指数の低下などPCBの毒性に対して敏感なことが北米・オンタリオ湖周辺4)やスロバキア東部5)におけるコホート調査によって明らかにされており、化学物質の曝露リスクはこのライフステージに焦点をあてて議論されねばならない。

 化学物質の毒性は親化合物だけでなく、生体内変化物すなわち活性代謝物にも注目する必要がある。PCBは生体内の薬物代謝酵素により水酸化物(OH-PCB)に代謝され、さらに抱合酵素の作用で水溶性を増し体外へ排泄される。しかし、一部のOH-PCBは甲状腺ホルモンのチロキシン(T4)と構造や物性が類似しているため、血中T4輸送タンパクのトランスサイレチン(TTR)と強く結合する。そのためOH-PCBの血中半減期は長く、TTRに対するOH-PCBsとT4との競合結合作用が甲状腺ホルモンのホメオスタシス(恒常性)を攪乱することが指摘されている。PCBは多様な毒性を示すが、最近になって甲状腺ホルモン介在の脳神経系への影響が懸念されはじめ、生物の行動異常に関わる物質としてOH-PCBの作用が大きな関心を集めている。その先導的研究事例として、脳の培養細胞を用いた試験により極微量のOH-PCBで甲状腺ホルモン標的遺伝子の発現が抑制されることを明らかにした成果6)や、野生生物の脳から有意な濃度でOH-PCBを検出した報告7)は、PCB代謝物の影響が現実味のある生態リスクとして切迫化しつつあることを実感させる。PCB代謝物に関する類似のリスクは、当然のことながらヒトでも予想される。ヒトの行動異常に関わる脳発達期の化学汚染は解明が期待される今後の重要課題であるが、人類の知能低下や社会の活力喪失を惹起する可能性があるという視座で真摯に取り組む必要がある。

<参考文献>

1) 環境省 (2010):エコチル調査
2) 環境省 (2001): ポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法(外部サイト)
3) 環境省 (2012):今後のPCB廃棄物の適正処理推進について― 今後の処理推進に当たっての基本的な考え方と講ずべき対策 ―
4) Stewart, P. W. et al. (2012): Neurotoxic. Teratol., 34, 96-107.
5) Park, H. Y. et al. (2009): Environ. Health Perspect., 117, 1600-1606.
6) Miyazaki, W. et al. (2008): J. Biol. Chem., 279, 18195-18202.
7) Kunisue, T. et al. (2007): Mar. Pollut. Bull., 54, 963-973.