保健・化学物質対策

内分泌かく乱化学物質の科学的知見とリスク評価について

東京大学 医学系研究科
疾患生命工学センター 健康環境医工学部門
遠山 千春
(2009年3月24日 掲載)

 内分泌かく乱作用が疑われる化学物質として、もっとも注目を浴びた代表格の物質はポリカーボネート製品の原料であるビスフェノールAだろう。このところ「環境ホルモン」問題としての社会的な関心は薄れていたが、「奪われし未来」の刊行以来12年を経た2008年はビスフェノールAが改めてリスク評価の観点から注目を浴びた年となった。まず、カナダ政府が、ポリカーボネート製のほ乳瓶の輸入・販売・広告を実質的に禁止するという予防原則に則った方針を打ち出した。ついで、国立医薬品研究所の研究グループが低用量のビスフェノールA曝露による雌ラットの性周期異常を報告し、これがきっかけとなり厚生労働省が内閣府食品安全委員会にビスフェノールAのリスク評価を諮問した。一方、米国FDAや欧州食品基準局(EFSA)は、同時期に、これまでの安全基準を遵守することで国民の研究を守ることができるとするリスク評価書を発表している。では、リスク評価に関する見解の違いは、どうして起きるのだろうか。

 リスク評価を行う際には、まず、参考となる研究論文の検討から始まる。ビスフェノールAの影響の有無とその程度についての結果が記載されている研究論文をリスク評価のために採用するか、あるいは不採用とするかで、その後の見解が大きく異なることがある。今回のFDAの評価書では、研究論文を採用・不採用の規準として、その研究論文が依って立つ動物試験がGood Laboratory Practice(GLP)に準拠していること、陽性コントロールを使用していること、及び適正な実験(一定数の動物数、用量の数、実験手法が特殊でないこと)であることを掲げている。これらの項目は、一見もっともである。しかし、仔細に検討すると、これらの項目は、その研究データを評価する際にその科学的な信頼性を図る目安とはなるものの、必ずしも必須な要件ではないということは意外と見過ごされているように思われる。

 例えば、GLP基準は、機器の管理、ならびにデータの採取や取り扱いについて、杜撰にならないように一定の信頼を与えるために設けられたものであって、専門的なトレーニングを受けた研究者による研究では、不要な基準と言って良いたぐいのものである。また、「陽性コントロール」は、内分泌かく乱作用に即して言えば、エストロゲンやアンドロゲンに相当するが、試験系がこれら性ホルモンと同様のメカニズムで作動しているかどうかを確認するためには有効なコントロールである。しかし、いかなる影響が出てくるのかが皆目わかっていない「環境ホルモン」の研究の場合には、人の健康に及ぼす悪影響が起こりうるかどうかを確認する意味で、比較的低い用量で影響が出るかどうかを確認することが先決だろう。だから、陽性コントロールが無いという理由でリスク評価対象から論文を除外するのは不適切だろう。第三の適正な実験に関しては、研究の目的に照らして、個別に考慮すべきである。内分泌かく乱作用による毒性影響かもしれないことを判断する際には、通常の毒性試験で用いられている簡明な方法(血液生化学や病理検査など)は不適切であり、遺伝子変化や高次脳機能、免疫機能などに関して、最新の方法を用いた試験が必要な場合もある。また、動物の数、臓器や血液などの料の数、複数の用量など、数を増やすことは、解剖から測定までの長時間を要し、そのために生物反応の変動幅が大きくなることも、生き物を対象とした研究の場合は必ず考慮すべき点である。従って、生物実験の場合、目的を達成するために、小規模な実験計画となることもある。

 「環境ホルモン」の疑いのある物質がもつ健康影響とその分子メカニズムに関する探索から、これらの物質が日常的に環境や食品に存在する濃度(用量)で、人や野生生物の個々もしくは集団レベルで、これまでの「公害」「薬害」被害のように、その健康と生存を脅かすことが無いことがわかってきた。他方、胎児期における曝露が、高次脳機能・生殖機能・免疫機能において、生物学的あるいは毒性学的な意味付けが充分にわかっていない変化を引き起こすことがあることも解明されてきた。食品に直接接触するような器材には、利便性を犠牲にしても、これらの物質をできる限り用いない配慮が必要だろう。

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