保健・化学物質対策

平成18年度化学物質の環境リスクに関する国際シンポジウム:化学物質とどう付き合っていくか~リスクとメリットから考える~に参加して

(財)残留農薬研究所 毒性部 生殖毒性研究室
青山 博昭
(2007年12月10日 掲載)


 しばらく前の話であるが,あるテレビ番組で,高名な数学者がオイラーの公式( e = -1 )の美しさを語る場面を目にした。数学者の説明では,この公式なくしては量子力学が発展せず,ひいては私たちが使うコンピュータや携帯電話も生まれなかったとのことである。数式の美しさを味わう感性が私には足りなかったが,画面の中でその美しさを語る数学者の感動は私にも伝わったように感じた。

 最近はあらゆる面で情報公開が進み,これまで一部の専門家しか触れることのなかった情報が巷に溢れている。様々な物質の内分泌かく乱作用(厳密に言うと,その多くは内分泌活性であって,内分泌かく乱作用とは言いがたい)に関する情報や,環境省で実施した一連の研究成果もまた例外ではない。しかし,敢えて誤解を恐れずに言えば,次々と公開される情報を正しく理解するには受け手(市民)の知識が遥かに及ばず,科学的成果に感動を覚えるどころか,行政が専門的な情報を公開することにより返って新たな懸念や混乱が生じているようにみえる。 昨年( 2006 年)の 11 月に釧路市で開催された「化学物質の環境リスクに関する国際シンポジウム」におけるパネルディスカッションは,このような現状を理解した上で,リスク評価や毒性学の専門家と市民がより良いリスクコミュニケーションを図るべく開かれたものと考えられる。私は,幸いにも毒性学の立場から市民の皆さんにお話する機会をいただいた。

 パネルディスカッションの開催に際しては,各々のパネリストが持つコンセプトやディスカッションの進行方法について事前に何度も意見交換し,論点が客観的にみえるよう,必要に応じてビデオやスライドを用いた解説を加えることにした。また,パネリスト間で「化学物質のリスクとは何か」を正しく伝える必要があるとの共通認識を得ることができたので,各自がそれぞれの立場からこの概念をなるべく平易な言葉で説明することにした。私も,毒性学の立場から,「リスクとは危険なことが起こる可能性を確率として示したものであって,危険性そのものを示すものではない。環境リスクに関して言えば,様々な化合物の毒性は危険性そのものであり,曝露があって初めてリスクが発生する。したがって,どんな猛毒であろうとも,その物質に接したり摂取したりする機会のない人にリスクは発生しない。」という主旨の説明をした。この点については,リスク評価の専門家を代表するパネリストからさらに詳しい解説がなされ,「リスク=毒性×曝露量」の関係が丁寧に説明された。さらに,他のパネリストからは,残念ながらあらゆる化合物に関してリスクは決してゼロではなく,リスクとベネフィットのバランスを取ることが重要であることや,新規化合物について登録前にリスク評価を行うリスク管理の概念が説明された。パネルディスカッションに参加された市民の声を直接聞くことはできなかったが,壇上からフロアの反応を窺う限り,パネリストの説明はほぼ理解していただけたように見受けられた。

 パネリストの解説の後,公開質問者からの指摘や質問を受けた。消費者やフィールドワーカーの代表からは,なかなか手厳しい内容の質問もあった。パネリストは,現実には毒性が正確に調べられていない化合物が相当数あり,これらについてはやむを得ず不確実係数(安全係数)を大きく取って可能な限りリスクを回避する手法が取られていることや,したがってリスク評価自体が曖昧なものであることを,誠意を持って回答した。我田引水かもしれないが,私には,質問者が我が国におけるリスク管理の原則や実情について概ね理解してくださったように感じられた。

 ディスカッションを終えた私の正直な感想は,リスク評価の理念や具体的方法とその限界をわかり易く説明し,実際には不十分な点があること(すなわち,小さいながら一定のリスクが残ること)を認めた上で最大限の努力がなされていることを正直にお伝えすれば,多くの市民が現状を理解して,これまでに得られた研究成果をリスク管理に活かしてくださるのではないかというものである。リスクをより小さくするために私たち専門家が一層努力しなければならないことは,言うまでもない。