大阪府 大阪平野 地盤環境情報令和4年度

1.概要

(1) 地盤沈下等の概要
(1)地盤沈下の概要
  大阪市の地盤沈下は昭和3年の水準測量の結果、その現象が指摘され、昭和9年の室戸台風による甚大な高潮被害によって注目されるようになった。それ以来、水準測量及び観測井による実態把握が組織的に行われるようになった。昭和10年から昭和17年頃までは産業が発展し、地下水需要が増加した時期で、地盤沈下も激しく、年間沈下量の最大は20cmを越えた。
しかし、昭和18年から昭和24年頃の戦争末期と戦後の混乱期にかけては、東京の場合と同じく、ほとんど地盤沈下は停止している。ところが、昭和25年頃からは経済成長とともに再び沈下が激しくなり、昭和35年頃のピーク期には20cm以上の年間沈下量を記録した。
その結果、昭和36年9月の第二室戸台風により、大きな浸水被害を出すことになった。大阪市では、すでに地下水の採取規制や工業用水道の建設などの対策を講じていたが、その結果が現れたのは、昭和38年以降のことで、その後、地盤沈下は急速に鈍化した。
一方、この頃から大阪府内北部の北摂地域、東部の東大阪地域および南部の泉州地域の沈下が目立ちはじめ、とくに東大阪地域では、昭和42年頃には年間最大20cm以上の激しい沈下が記録された。
最近では、地盤沈下は全般的に沈静化してきている。 なお、大阪市域については、建築物用地下水の採取の規制に関する法律及び工業用水法により規制を行っているほか、大阪市域を除く大阪府内についても北摂、東大阪および泉州地域に工業用水法を適用し、また、府条例等による地下水採取規制を実施して地盤沈下の防止に努めている。 
(2)地形、地質の概要
大阪平野を中心とする地域は、第三紀末より引き続く造盆地運動により厚い第四紀層が推積した沈降盆地である。地形的には南から伸びる洪積台地(上町台地)によって二分され、低地部は淀川等が形成した沖積平野であり、海岸部一帯は古くからの埋立地である。沖積層は粘土~シルト質であり、臨海部で厚く、30~40m程度、洪積層は上部が砂質層であり、以下、粘土、シルト~砂、砂礫の互層で最大厚700m程度あり、地下水採取は主にこの上部より行われている。

2.地下水採取の状況

大阪府域における地下水採取量は235千m3/日(令和4年府条例による報告の集計)で、このうち工業用56千m3/日、上水道用126千m3/日となっており、全採取量の77%を占めている。また、地域別に見ると北摂、東大阪、泉州地域が多く、北摂地域では40%にあたる95千m3/日の地下水採取が行われている。 大阪府域の地下水採取量は、漸減の傾向にある。

3.地盤沈下等の状況

大阪府域の地盤沈下は、大別して大阪市域、北摂地域、東大阪地域、泉州地域の4地域になる。
大阪市域の地盤沈下は、地下水採取の規制により昭和38年から急に鈍化し、年間2cm以上の範囲は、激甚期には市のほぼ全域(約203km2)に及んだが、昭和37年には約170km2、昭和42年には約100km2と漸次縮小した。沈下の最も激しい地区は当初、淀川河口部から、その南の臨海部であったが、昭和40年頃から内陸の城東区方面に移った。累計沈下量の最大は淀川河口部で293cmとなっているほか、市の約1/3が1m以上沈下している。
淀川右岸の北摂地域は、昭和38年頃から沈下が目立ち始め、摂津市を中心に吹田、茨木、高槻各市の南部一帯に拡大した。年間沈下量は昭和39~40年に摂津市内で7cm/年以上を記録したが、その後は次第に減少し、昭和50年以降は2cm/年以下となった、累計沈下量の最大は摂津市内の57cmである。
東大阪地域については、昭和38年から観測がなされており、大東市及び東大阪市が沈下の中心になっていた。経年的には昭和42年頃が最も激しく、大東市内で間最大20cm/年を記録したが、その後次第に鈍化の傾向を示し、昭和54年以降は沈静化してきている。累計沈下量の最大は東大阪市内の160cmである。
泉州地域の沈下は、昭和39年頃から目立ち始め、泉大津市、忠岡町及び岸和田市北部が中心になっていた。年間沈下量は、昭和46年から昭和50年にかけて泉大津市と岸和田市において10cm/年を記録したが、昭和53年1月から順次進められた工業用水法による既設井戸の転換により、現在では沈静化している。累計沈下量の最大は岸和田市内の57cmである。 

4.被害

地盤沈下による被害は、かつて大阪市内において著しく、ビルの抜け上がり、排水不能、橋梁沈下による通船不能等の恒常的な障害を引き起こした。 一方、ジェーン台風(昭和25年)及び第二室戸台風(昭和36年)による高潮災害を受け、臨海地区では土地を放棄するのにやむなきに至ったところもあった。また、東大阪地域はもともと地盤が低い上に、地盤沈下が激しかったため、内水による浸湛水、排水不良等に悩まされている。
大阪府域の朔望平均満潮位以下のゼロメートル地帯は、大阪市の1/3程度に拡がっており、さらに、上町台地を挟んで大阪市北東部から大東市、東大阪市、門真市にも及んでいる。

5.対策

1) 監視測定
大阪市内の水準測量は、昭和9年開始という長い歴史を持っている。大阪府内の水準測量は昭和38年から阪神地区地盤沈下調査広域水準測量の一環として開始され、その後、漸次範囲の拡大と水準点の増設を重ねて今日に至っている。なお、令和3年度に、国土地理院の指導のもと関係機関により、路線延長561㎞、水準点447点に及ぶ水準測量が府域において実施された。(平成11年度より隔年、平成21年度より3年間隔で実施)地下水位等の観測は、大阪府域に30観測所があり、49観測井で地下水位計が36台、地盤沈下計が35台で行っている。

(2) 地下水等の採取規制
1.法律による地下水採取規制
大阪市では昭和26年3月工業用水道の建設に着手し、昭和33年12月4日には西北部工業地帯が工業用水法による指定地域とされ、工業用の井戸の新設が制限された。
昭和34年4月1日には大阪市地盤沈下防止対策条例を制定し、都心部5区を指定してビル用の井戸の新設を制限すると同時に、地下水を使用しない施設への転換への指導をしたが、昭和36年9月16日の第二室戸台風により大きな高潮災害を受けるに及んで、さらに強力な地下水採取規制措置の必要性が認識されるようになった。
昭和37年に建築物用地下水の採取の規制に関する法律(ビル用水法)が制定されるや、同年8月24日の政令で大阪市全域を同法の指定地域とされた。同時に建設省令によって、揚水機の吐出口の断面積21cm2以下、ストレーナーの深度500~600m以深という、実際上は地下水採取の不可能な技術的許可基準が定められ、また、既設井戸についても許可基準を満たさないものについては、一定の期間を経過した後の使用を禁止した。ビル用水法の制定と同時に工業用水法も改正され、東北部工業地帯が昭和37年10月20日、西南部工業地帯が昭和38年6月1日に指定地域となり、既指定地域を含め、ビル用水法と同様の厳しい規制内容が定められた。
さらに府内においても、北摂地域の摂津市と他4市の一部が昭和40年9月25日、大阪市の生野区、平野区、東住吉区の各一部を含む東大阪地域の守口市、門真市と他5市の一部が昭和41年5月17日に工業用水法の指定地域とされた。
また、昭和40年代半ばより大きな沈下量が認められていた泉州地域も、昭和52年12月26日、泉大津市、忠岡町と他3市の一部が工業用水法による指定地域とされ、地下水の採取が規制されている。

2.条例による地下水採取規制 
大阪府は、昭和46年3月「大阪府公害防止条例」を定め、その中で規制で定める地域内において規則で定める用途の地下水採取を規制することとなった。
同年9月10日に制定された同条例施行規則では、寝屋川、大東、東大阪、四條畷、八尾の各市の一部と守口、門真の各市の全域が指定地域とされ、水道事業(給水人口5,000人以上のもの)が規則で定める用途となっている。
また、同条例の経過措置による既存井戸については、その使用期限を昭和57年3月31日とし、同日までにすべて廃止された。また、泉州地域の地盤沈下の激化に対応して、昭和49年9月に規則を改正し、泉大津市、忠岡町の全域、和泉、岸和田、貝塚の各市の一部における製造業、電気、ガス、熱供給業の地下水採取を規制の対象に加え、昭和50年1月1日から施行した。その後、昭和53年1月同全域に対して、工業用水法による規制が施行されたことから、条例による規制のうち法の規制と重複する部分については廃止された。
なお、平成6年11月「大阪府生活環境の保全等に関する条例」が施行され、引き続き同様の地下水採取規制を行っている(大阪府公害防止条例は廃止)。
また、同条例により地下水採取量報告を義務づけており、平成20年からは報告対象範囲を府域の平野部から全域に拡大し、地下水採取量を把握している。
このほか、「枚方市公害防止条例」、「東大阪市生活環境保全等に関する条例」、「島本町地下水汲上げ規制に関する条例」、「大東市環境の保全等の推進に関する条例」及び「摂津市環境の保全及び創造に関する条例」により地下水採取が規制されている。

6.詳細情報

その他の「詳細情報」を、下記のエクセルファイルからご覧になることができます。

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