NPO法人森は海の恋人ほか(宮城県気仙沼市)
地域に密着した流域一体の活動であり、災害復興、人づくり、活動範囲を広げていった事例。
三陸リアス式海岸の中央に位置する気仙沼湾は波の穏やかな天然の良湾である。江戸時代からノリ、大正時代からはカキ、近年はワカメ、ホタテ等の養殖が盛んであった。 しかし、昭和40~50年代にかけて環境が悪化し、赤潮が発生、カキの身は赤くなり商品とならない事態となった。
カキの成長には川から運ばれる森の養分が不可欠であることに注目、川の流域に暮らす人々と、価値観を共有しなければ、きれいな海は帰ってこないことを認識、川から海へとつながる雄大な循環に着目した活動がスタートした。
平成元年、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山に植樹を行う「牡蠣の森を慕う会」が作られ、「森は海の恋人」という標題もうまれた。植樹祭の参加に加え、環境学習、京都大学による森里海連携学の創設と活動の輪が広がるなか、環境教育を主軸に、森づくり、自然環境保全の3分野の事業を展開するNPO法人として、再出発した。
東日本大震災後で活動地域は大きな被害を受けたが、「人づくり」の活動を継続するとともに、出現(復活)した干潟の保全、舞根森里海研究所の設立、震災後の環境モニタリングの継続等新たな課題への取り組みを継続している。
出典:森は海の恋人HP