環境省環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書平成28年版 環境・循環型社会・生物多様性白書状況第1部パート3>第5章 ライフサイクル全体における水銀対策の推進>第1節 水銀のリスク

第5章 ライフサイクル全体における水銀対策の推進

 多種多様な化学物質は、現代社会において私たちの生活に利便をもたらしていますが、その一方で、人の健康や環境への影響が懸念されるものもあります。化学物質は、その製造・輸入・加工から製品の使用、リサイクル、廃棄に至るライフサイクルの各過程で環境に排出される可能性があることから、人の健康や環境への影響が懸念される化学物質については、そのライフサイクルの各段階において、様々な対策手法を組み合わせた包括的なアプローチを戦略的に推進することが重要です。2002年(平成14年)の持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)において定められた実施計画においても、2020年(平成32年)までに化学物質の製造と使用による人の健康と影響への著しい悪影響の最小化を達成するために、ライフサイクルの全体を通じて化学物質を適正に管理すべきことが示されています。その考え方は、持続可能な開発のための2030アジェンダにおける持続可能な開発目標(SDGs)のターゲットにも引き継がれています。

 本章では、人の健康や環境への悪影響が懸念される化学物質の一つである水銀について、包括的なアプローチの重要性を踏まえつつ、我が国が過去の経験を受けて、どのように水銀に関する水俣条約(以下「水俣条約」という。)の採択に向けて世界に働き掛けを行ってきたか、そして、同条約を受けて成立した国内の新しい法制度の概要及び世界全体の水銀汚染削減に向けた我が国の国際的な取組について紹介します。

第1節 水銀のリスク

 国連環境計画(UNEP)の報告によれば、水銀は火山活動、岩石の風化等の自然現象に加え、化石燃料(特に石炭)の燃焼、零細及び小規模な金の採掘、塩化ビニル・苛性ソーダの製造、歯科充填(てん)や廃棄物の焼却等の様々な人間の活動によって排出されています。水銀は、一度環境に排出されると分解されることなく自然界を循環するという環境残留性及び長距離移動性を有するため、上述の自然現象及び人間の活動に加え、土壌、水域及び植物に蓄積されたものからの再排出等によっても環境に排出されます(図5-1-1)。再排出された水銀の最初の排出源を確実に特定することはできませんが、UNEPが2013年(平成25年)に発行した報告書である「世界水銀アセスメント2013」によれば、約200年前の産業革命以降、人為的排出が著しく増大していることを示すデータがあることから、再排出された水銀の大部分は人間の活動による人為的排出に起因することが示唆されます。このため、人為的な水銀の排出源及び排出量を削減することは、環境中を循環する水銀量を削減するために極めて重要です。


図5-1-1 地球上の水銀循環システム

 他方で、水銀は電池や蛍光灯等、私たちが日常使用している製品に幅広く使用されています。環境に排出された水銀は、やがて生物の体内に取り込まれ、悪影響を与える可能性があります。我が国では、昭和31年に工場から排出された水銀を原因とする水俣病が公式確認されたのち、水銀による深刻な健康被害と自然環境の破壊の経験を教訓に、国、地方公共団体、産業界、市民団体及び住民が一体となって水銀対策に取り組んできました。水銀を使用する製造工程について、例えば苛性ソーダ製造工程における水銀を用いない製法への転換(図5-1-2)や、製品中の水銀使用の代替・削減等の取組を進めてきた結果、我が国の水銀使用量は大きく減少してきました。他方、冒頭で述べたように、世界的には現在でも様々な用途で使用され続けています。


図5-1-2 日本における製法別苛性ソーダ生産量の推移

 水銀は環境中で様々な化学形態(単体又は化合物)で存在し、その形態により物理化学的性質や毒性が異なります。生体に取り込まれやすく毒性の強いメチル水銀(有機水銀の一種)は、特に海洋の上層部でバクテリアの働き等により生成され、食物連鎖を通じた生物濃縮等によって大型の海洋動物等の体内に高濃度に蓄積されると考えられています。人類もその魚介類等を喫食することにより、体内に水銀が取り込まれることになります。例えば、人為的排出源から離れた北極圏等の地域に居住し、魚介類等を多食する集団において高濃度の水銀が検出されています。メチル水銀は、特にヒトの発達途上(胎児、新生児、小児)の神経系に有害であり、一部のイヌイット族では、水銀曝(ばく)露の高い子供ほど注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断される傾向があることなどが示されています。同じく魚介類等を多食する我が国では、厚生労働省が平成17年に「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項(平成22年改訂)」を取りまとめ、妊婦が注意すべき魚介類の種類とその摂取量の目安等を設定しており(例:キンメダイ、クロマグロ等は週1回(80g)まで)、その「Q&A」の中で、我が国の場合、平均的な食生活をしている限り健康への影響について懸念されるようなレベルではないものの、一部のクジラ、イルカ等、特に水銀含有量の多い魚介類等を偏って摂取しないなど、バランスの良い食生活を心掛けることが大切であるとしています。

 先述の「世界水銀アセスメント2013」では、地球規模で水銀の排出及び放出を削減することの必要性を指摘しています。こうした背景も踏まえ、水銀をライフサイクル全体で管理することを目指すため、平成25年10月に水俣条約が熊本県で採択されました。