第4回有明海・八代海総合調査評価委員会 会議録

日時

平成15年9月25日(木) 13:00~16:40

場所

ホテルレガロ福岡レガロホール(福岡市博多区千代1-20-31)

出席者

委員長 須藤隆一委員長
委員 相生啓子委員、伊藤史郎委員、大和田紘一委員、岡田光正委員、
菊池泰二委員、鬼頭鈞委員、小松利光委員、清野聡子委員、
滝川清委員、原武史委員、細川恭史委員、本城凡夫委員
森下郁子委員、山口敦子委員、山田真知子委員、山室真澄委員
臨時委員 荒牧軍治委員
発表者 小林勝義(佐賀県)、つる*→正字詳子(熊本県)、黒田正明(熊本県)、
田中克(京都府:元長崎県)、大島弘三(長崎県)、
平方宣清(佐賀県)、松本基督(熊本県)、山下充(熊本県)、
北垣潮(熊本県)、藤原成治(熊本県)、田中和利(福岡県)
事務局 環境省水環境部長、水環境部閉鎖性海域対策室長

○坂川閉鎖性海域対策室長 それでは定刻となりましたので、ただいまから第4回有明海・八代海総合調査評価委員会を開会いたします。
 本日は、委員21名のうち、18名の委員の皆様にご出席をいただいておりますので、定足数を満たしていることをご報告いたします。
 ご欠席は、楠田委員、清水委員、福岡委員の3名でございます。
 まず最初に、環境省水環境部長の吉田より、一言、ごあいさつさせていただきます。

○吉田水環境部長 環境省の水環境部長の吉田でございます。第4回の有明海・八代海総合調査評価委員会の開催に際しまして、一言、ごあいさつを申し上げさせていただきます。
 委員の先生方には、本日もまた大変ご多用のところ、福岡にお越しいただきまして、大変ありがとうございました。
 さて、昨年の11月に成立し、公布施行されました、有明海及び八代海を再生するための特別措置に関する法律に基づきまして、環境省に設置されましたこの委員会も、今回で第4回を数えるわけでございます。この間、今年の3月には、現地の状況を委員の方々につぶさに見ていただこうということで、委員会のメンバーによる現地の視察を実施いたしました。
 そして、今回、本日の委員会では、過去からの変化を含めた現地の状況をよく知っておられる方々のお話をお聞きする機会を得たいということで、現地の関係者の方々からのヒアリングを実施することとさせていただいたわけでございます。
 今回の委員会において、ヒアリングを実施することにつきましては、前回、第3回の評価委員会で決定をいたしましたわけでございますが、この決定に基づきまして、私ども事務局でお話をいただく方々を公募させていただきました。
 その結果、本日お越しをいただいております11名の方々から応募をいただきまして、そのすべての方々からお話を聞かせていただくということにいたしました。11名の方々に対しましては、本件にご応募いただきましたことに対しましても、そして本日ご多用の中、当地までご足労いただきましたことについて、改めて私ども環境省からもお礼を申し上げたいと思っております。
 本日、お話をいただきます貴重なご意見、情報につきましては、評価委員会がその任務でございます有明海及び八代海の再生にかかる評価を行っていく上で重要な材料となるわけでございますが、事務局といたしましても、委員会の運営あるいは各種の調査、研究の計画などにも反映をさせていただきたいというふうに考えております。
 本日の委員会は、以上のような趣旨で開催をさせていただきますので、何とぞよろしくお願いをいたします。

○坂川閉鎖性海域対策室長 それでは、議事に入ります前に、配付資料の確認をさせていただきます。

  (資料の確認)

 それでは、須藤委員長に議事の進行をお願いいたします。

○須藤委員長 かしこまりました。それでは、私は、ただいま紹介をいただきました本委員会の進行役を務めております須藤と申します。本日の議事進行を務めさせていただきますので、何とぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。
 早速議事に入らせていただきます。
 今回の評価委員会は、有明海及び八代海の再生に係る評価を行うに当たっての参考とするため、先ほどの吉田部長からお話がございましたように、地元で実際に八代海及び有明海に対して直接的なかかわりを持っている皆様方から、環境及び水産業の状況などについて、お話を伺うということで開催させていただいたわけでございます。
 委員の皆さんはもちろんのこと、本日11名の方に応募をいただいているわけでございますが、改めてここでご遠方からお集まりいただいた皆様に心からお礼を申し上げますとともに、関係省庁並びに、本日はまた関係県の皆様も多数おいでいただいております。また傍聴の方々もたくさんいらっしゃっております。ここで皆様に対して、改めてお礼を申し上げたいと思います。
 このお話を伺うということに際しましては、第3回の委員会で決定いたしました。どういうことかと申しますと、今、吉田部長からお話がございましたように、公募を行いまして、その結果、できれば6、7名程度に絞ってお話を伺おうかということを決めたわけでございますが、11名の方々から応募をいただきました。
 したがいまして、11名の方、皆さんからお話を伺う方がよろしかろうという判断をいたしまして、全員の皆様からお話を伺うということになったわけでございます。11名でございますので、若干お時間が短うございますが、後で事務局の方から、いろいろご注意を申し上げると思いますが、発表時間について、少しタイトではございますが、その範囲内でお話をしていただければということで、委員一同、楽しみといいましょうか、大変これを参考にして、これからの再生についての貴重なご意見ということで承らせていただくつもりでございます。
 発表時間は、後でお話がございますように、10分、質問時間5分ということにさせていただきますが、傍聴の方もたくさんいらっしゃっておりますので、全員のご発表が済んだ後は、傍聴されている皆様からも可能な範囲でご意見をいただく機会を設けさせていただきたいと思っております。
 それでは最初に、事務局の方から、こういう意見交換会でございますので、事前の注意事項を申し上げたいと思いますので、事務局の方からお話しください。お願いいたします。

○坂川閉鎖性海域対策室長 資料2をごらんいただきたいと思います。資料2が発表者の名簿でございまして、本日は、この順番にご発表をお願いしたいと思っております。
 そこで、発表の時間でございますが、資料2の中にありますように、お一人当たり15分ということになっておりますが、目安といたしまして、約10分でご説明をいただき、その後、委員の先生方からご質問をさせていただく。それを5分程度というふうに考えておりますので、非常にタイトな時間ではございますが、円滑な議事進行にご協力をお願いしたいと思います。よろしくお願いをいたします。以上でございます。

○須藤委員長 それではただいまの注意事項を遵守していただくということで、発表者の皆さん、あるいは委員の先生方、質問の時間も少し短うございますけども、よろしくご配慮いただきたいと思います。
 それでは、早速ヒアリングに移らせていただきます。最初は、佐賀県在住の小林勝義さんでございます。どうぞ小林さん、お願いいたします。

○発表者(小林勝義) 皆さん、こんにちは。佐賀県の小城町というところから来ました小林勝義と申します。こんな場所でお話しするということは、私、経験がないものですから、田舎者ですので、ちょっと上がっているんですが、せっかく機会をつくってくださいましたので、お話をしたいと思っております。
 私の資料は皆さんに渡っているんでしょうか。

○須藤委員長 お掛けいただきまして。皆さん、全員お持ちでございます。

○発表者(小林勝義) それは後から時間があるときに読んでいただくようにして、皆さんがよくご存知のことを私、簡単にちょっと書きましょう。何だと言われるかもしれんけど、すみません。
 九州があって、四国があって、本州があって、北海道がありますね。そうすると、黒潮なんていうのは、私たちも小さいときに習ったから、よくわかっているつもりなんですが、日本のずっと南から黒潮が来るんですね。そして、日本の東側を本流が流れますけれども、九州の南で(こう)回る潮がありますね。同じ黒潮のうちでも、2つに分かれるんですね。そして、今度は逆に北海道とか、あっちの寒いところから親潮というのが下ってくるわけでしょう。それで、今年は妙なことにイワシが余りとれないんですね。逆に、銚子沖でサンマが大漁なんです。ということは、黒潮が東に湾曲して遠くを走る。親潮が近くに寄ってきとるんじゃないかと思うんですね。恐らくそういう現象があっていると思うんです。
 九州の有明海を中心にちょっと書いてみます。これが島原半島ですね。そして諫早湾がここになるわけですね。そして、天草があって、宇土半島があって、黒潮が南方から来ますね。ここを通ったり、ここを通ったり。そうすると、九州の西側に当たる部分は、反時計回りに回るんですね、潮の流れは。反時計回り。これは皆さん、ご存知です。それで、出るときは、こう通るわけですね。そして、九州の西側を通って対馬海峡の方に行くわけですね。
 これをちょっと覚えておいてください。いろいろ議論があるようですけど、絵は下手ですけれども、このくらいにしてやめときます。
 今、筑後川というのは、有明海に注ぐ11河川、大きい川があるわけですね。一番南にあるのが緑川ですか。それから白川とか菊池川とか、大体大きな川が11あるんですけれども、そのうちの水量の45%を筑後川が占めていたわけですね。これはそういうふうなデータなんかが出ていますから、かなりの方がご存知だと思います。そのうちでいわゆる諫早湾に注ぐ本明川というのはたった1%なんです。筑後川の45分の1。あそこに大きな堰をつくって、あれを淡水化しようというのは、私は無理だと思っております。ただ、あの潮どめ堤防をつくって干拓するのを、私は反対と言っているわけではないわけです。問題は、後の環境の問題です。
 それで、調整池というてしてあるわけですけど、最初の計画が 1,400ヘクタールぐらいの干拓、陸地をつくる予定だったのが、計画変更で約半分になりました。ということは、調整池が倍近く広くなったということですね。そうしたら、本明川の少ない水をあそこに何年も何年もかかってためた水がいいはずはありません。だから、私は淡水化を早くやめてほしい。そして、環境をよくするようにして、せっかく干拓をあれだけつくったんですから、完成させて、人が喜んでくれるようなことに変換してほしいと思うんですね。
 こんなことを言うと笑われるかもしれませんけど、今、地球規模で異常気象があっているでしょう。それから、人口は増えるわ、砂漠化はひどい。四国4県ぐらい、毎年砂漠化しているそうですね。
 ということは、これから20年、30年したら、食料不足が絶対来るはずです。そのときに、諫早干拓のあそこの 700ヘクタールでもあって、食料がとれたら大助かりやな、なんて言う人もあるかもしれません。そういう時代が来るんじゃないかと、私は心配しているわけです。そういうことが来ないのが一番ありがたいわけですけれども。
 それで、潮どめ堤防がギロチンということで、あれでやったときに、マスメディアもテレビも新聞も全部あちら向いて右向け右ということで、ガチャガチャガチャッとあのギロチンをものすごく宣伝してくれたわけですね。あれで有明海は死んでしもうたと言うんです。とんでもない、そんなことないんですよ。あれはほんと偉い先生がデータとか、何とかを出してあるから、私みたいな無学な者がとてもとてもそれに反論できるわけないんですけれども、そういうふうなちょっとしたあれで、タイラギとか、ああいう貝がそのせいで死んでしまったのかと。そうじゃないんですね。
 久留米大堰というて、10何年になりますけど、そこに堤防をつくって、ほんと福岡方面に水をどんどん送るようになったんですね。そのころから貝類がとれなくなりました。結局筑後川のあれだけの水量の大きな川が昔から砂とか、山の栄養分とかを送っていたのを、久留米大堰でパタッととめたんです。だから、今、干潟の形成ができとらんわけです。全然とまっています。
 そういうことを考えると、ただ、ギロキンが悪い、悪いと、皆さん言われるけど、そうじゃなくて、前から原因があったんですね。
 だから、その辺も考えて、環境を少しでもよくしてもらいたいと。自助努力も必要だと思うんですね。漁業に携わっていらっしゃる方たちもですね。そういうふうに随分やっておられます。ところによってはですね。もちろん今年なんかは、海岸のごみ拾いなんかは、何千人規模で、トラックに何百台分といって集めて、処分されて、それは努力されています。中には、潮が引いたときに、大きなトラクターを持っていって、耕したり、いろいろとやっているんです。
 私も言いたいんですけども、酸の使用を控える。それから肥料なんてまいてくれるな。川の水、海の水の栄養で自然に育てるノリの方が一番おいしいんじゃないかと、私は素人考えで考えるんですけど。そういうことで、我々もちょっと山手におっても、海はきれいにせないかんということで、私自身もボランティアで山に木を植えたり、河口周辺のごみ拾いとか、ボランティアの方の手伝いを受けてやっておりますけれども、そういうふうなときにも、ほんと、漁業者の方もご一緒になって、皆で力を合わせて有明海をよくしようじゃありませんかというのが私の主張です。
 ほんとくだらん話ですけれども、だれが悪い、何が悪い、これが悪いと言うんじゃなくて、非難ばかりするんじゃなくて、何をやったらよくなるかということで、ほんと一緒に力を合わせてやりましょうというのが、私の気持ちでございます。簡単でございますが、そういうことでよろしいでしょうか。

○須藤委員長 小林さん、どうもありがとうございました。どうぞお掛けください。
 それでは委員の先生方から、今の小林さんのお話に対しまして、ご質問をいただこうと思います。どうぞご遠慮なく。いかがでございましょうか。どうぞお掛けください。
 滝川先生、何かございますか、今のお話のご質問は。

○滝川委員 1点だけお伺いいたしたいんですが、確認なんですが、タイラギ等の二枚貝等がなかなか激減してきてとれなくなったのは、久留米大堰ができたころだというふうにおっしゃったんですけれども、筑後大堰、そこら辺のところをちょっと確認させていただきたいんですけど。

○発表者(小林勝義) そうですね。熊本県の方でも新港の工事というのが1979年にやっております。ただ、久留米大堰、筑後大堰ですね。これは1985年に完成して、それから運用が始まっております。

○須藤委員長 筑後大堰だと、今おっしゃって。

○発表者(小林勝義) 筑後大堰、はい、久留米大堰のことです。河口から16キロぐらいでしょうか。筑後川では一番下の段になりますね。

○滝川委員 そのときに流量が激減したというふうに、こちらの方では書かれていますけれども、そういった事実は。

○発表者(小林勝義) いわゆるそれから急にガクッと何もいなくなったという意味ではないんですね。これは自然現象ですから、少しずつずっと不漁が続いて、最後には、潜水漁業の方なんかができないようになっちゃったんですね。もう何年か前に。これは潮受け堤防がそれから約7年後ですか。1997年に潮受け堤防の締め切りがあったわけです。だから、その7年ぐらいの間に、ほとんど潜水服を着て、船からおりて潜ってタイラギなんかとっていた方たちは、仕事が成り立たんようになったんですね。それは何年もです。1年、2年でパッとなったんじゃありません。

○須藤委員長 小林さん、どうもありがとうございました。
 余り時間が短くてごめんなさい。また総合討論のときに、ご意見があれば、また承りたいと思います。小林さん、どうもありがとうございました。
 それでは続きまして、熊本県在住のつる詳子さんにお願いをいたします。
 では、つるさん、お願いいたします。

○発表者(つる詳子) こんにちは。球磨川の河口の八代市に住んでいますつる詳子といいます。私は、本職は薬剤師ですけれど、10年ぐらい前から、自然観察会とか、いろんな自然の調査なんかに携わってきました。今、一番注目を持って、関心を持って取り組んでいるのは川辺川ダムの問題です。
 では、OHCを使って説明させていただきます。
 私が住んでいるのが、八代市です。これが球磨川です。球磨川のここのところに、ずっと昔は干潟が、今も干潟があるんですけれど、大体ここ辺を私たちは八代干潟と呼んでいて、大体 1,000ヘクタールぐらいあるわけですが、ここにはかつては藻場がずっと、どこまでも歩いていけるような干潟、砂干潟があって、その先に1メートルも2メートルもあるような藻場があったと言います。これはすべての漁師さんに聞けば、同じことを言います。
 それが極端に変わったのは、いつごろからかというと、50年前の荒瀬ダムの計画があったときです。このときもすぐに変わったというわけではありませんけれど、すぐに影響が出たのが、ノリ業者だったそうです。八代の河口に大体 700軒ぐらいのノリの業者がありましたが、工事が始まるとともにセメントのクズとかが流れてきて、アッという間に2、3カ月でなくなったと聞いています。今はたったの4軒しかありません。
 今、漁師さんたちが一番言われるのは、藻場がなくなった、干潟がなくなったということももちろんですが、干潟の質が変わったというのを一番言われるんです。昔はどこまでもどこまでも歩いていけたのが、今はすぐぬかって、ひざ小僧ぐらいまでズブッとぬかってしまうというようなことを言われています。
 この河口には、今、いろんな鳥なんかも干潟では観察できるわけですけれど、私たちがよく観察しているのは、ここの付近で観察をしているわけですけれど、ここには世界で2、3千羽しかいないというズグロカモメの大体10分の1が飛んできたり、シロチドリとか、ダイゼンとか、チュウシャクシギとか、ハマシギ、これは千羽単位で年間観察できます。
 昔から見ますと、どんなふうに変わったかということは、皆さんのお手元の資料に、今日、置いていますけれど、私が一人で、こうだよと言うよりも、多くの漁師さんの声をできるだけ届けたいと、私たちは川辺川ダムの討論集会をやっているわけですけど、そのために漁師さんたちの聞き取りを本当にたくさんさせていただいています。それをまとめたものを皆さんのお手元に届けているわけですけれども、漁師さんたちが共通して言われるのは、干潟の消失もそうですけど、昔いたものが、すべての生き物の種類、それが量も数も質も皆変わったと言われるんです。
 例えばアサリとかハマグリは、スコップで、大きなスコップですくってやるぐらい、たくさんいたし、ウノカイというのは、漁師さんたちに聞くと、これは漁師さんでなくても、市民でもそうです。「一番たくさんいた貝は何ですか」と言うと、「ウノカイ」と皆言われます。まずウノカイというのが先に出てきます。このウノカイの正体を、私、突きとめるために、現物が今はもう、なかなか漁師さんでも見られませんので、1年かかりましたけど、オオノガイという貝です。これは子供でも1時間あれば、バケツ一杯とれたとか、さっきのタイラギにしても、八代海のとり方は、ちょっと潜水と違いまして、干潟をざくざくと歩いていくと、足にすぐ当たるので、そこを見れば、タイラギが立っていたというようなとり方をします。
 それと、本当に有明海と違いまして、八代海は調べ足りないことがたくさんあります。名前を聞いてもどんな貝かも想像がつかない。例えばカキの種類で、普通、皆さんがカキと言われますと、岩についているようなカキを思い浮かべると思うんですけど、25センチメートルとか30センチメートルとか、すごく大きな、地元の人はションベンガキといってから呼んでいるんですけど、本当に大きなカキがその砂場にごろごろ転がっていたとか、コロビガキという名前のカキが転がっていたとか、図鑑を見せてもわからないような、たくさん本当に言われるんですね。
 そういった貝類の住民登録さえまだ行われていないなというのが実感です。私も実際そこで干潟でいろんなものを扱うんですけど、シマハゼというのは、これもいろんな図鑑を調べて、日本中の図鑑を調べてわからなかったんですけど、南方にいる種で、これはシマハゼだというのがわかったんですけど、そういったような、どんな種がいて、わからないうちに、そんなのもわかっていないうちにどんどん生き物が消えていってしまっているんじゃないかなというのに一番今、危機感を持っています。
 それと、漁師さんたちが共通して言われるのは、干潟の問題と、もう一つあります。赤潮の発生がどういったときに発生するかというのも、対岸の漁師さんたちに聞けば、今日は対岸からも来ていらっしゃるので、詳しいことはお譲りしますけれど、球磨川から荒瀬ダムが、また上流から大雨が降って放水したときに、対岸に大量の淡水が海水の上に乗っかって、淡水が対岸まで届きます。どうしてそれが堰の放流かとわかるかというと、普通の大雨だったら、流れてくるごみが点々点々と流れてくるわけですけど、放流によると、一遍に流れてきますから、淡水の先っぽにごみがまず一気に押し出されてくるので、ダムの放水だとわかるんですね。これは漁師さんたちの意見は一致しています。
 そういったとき、すぐ、雨が上がって晴天が続くと、赤潮が必ず99%、これは間違いないというような、自信を持って対岸の方たちは言われます。
 ここに今日まとめたのは、私は本当37人の方をまとめただけですけれど、大体聞いても皆同じことを言われるんです。ある漁師さんはこう言い、ある漁師さんは反対のことをというのじゃなくて、ほとんどの漁師さんが同じことを言われるんです。だから、ぜひ皆さん、現場にいらっしゃって、船でも乗せてもらって、多くの漁師さんの声を、私は聞いてほしいなと思っています。
 それと、どうして干潟が少なくなったかという問題ですけれど、もちろん埋め立てもあります。八代市にしても干拓が平野部でも70%を占めています。これは大体干拓で、昔の平野というのは、本当に山つきにこれだけしかなかったわけですが、残りは全部平野なわけですね。ですから、干潟がなくなるのは、これは当然ですけれど、昔の干潟の埋め立ての仕方というのは、干潟ができたところにそこを埋め立てていく。干潟ができるスピードと埋め立てるスピードというのがそんなに大差なかったわけです。
 砂利もまた上から供給してきますけど、今の干潟というのは、上から砂利の供給がありませんので、全く質が違うんですね。それと埋め立てのあれも違います。それと、一番の問題は、やはり荒瀬ダムの問題ですけど、何より干潟がなくなったのは、荒瀬ダムに大量に 100万立方メートルとたまっている土砂を見れば、一目瞭然だと思います。
 川辺川ダムがその上にできるわけですけれど、これは荒瀬ダムの10倍以上。荒瀬ダムが日本で初めての撤去となりますけれど、この荒瀬ダムを撤去しても、また上につくれば、不知火海の影響というのは、私は本当に大変だなと思っています。
 これを守るためにどうしたらいいかというと、やはり干潟をなくしている、その原因を取り除く、これしかないのではないかなと思っています。
 それと、環境省なども今、有明特措法とか、八代でもいろんな取り組みをしていますけど、八代でやっている取り組みを見ても、有害になる生き物の駆除とか、放流事業とか、対症療法にしかすぎないんですね。根本的に見直すためにはどうしたらいいかという方策が、本当にされていません。
 そのためにまず調査をきちんとやっていただきたい。漁師さんたちが言われるのは、平均でどうだと言われても、全然説得力がないと言われるんです。漁師さんたちは、平均じゃなくて、一番大量に放水したときに、パッとアサリが2、3年分の収穫が持っていかれる。またあるいは水が来なくなったときに、一遍に被害が出る。平均じゃなくて、そのときそのときをきちんと見てほしいということを言います。ぜひどういったときに調査するべきか、調査地点はどういうポイントをとるべきかということは、現場に足を運んで選んでいただきたいと思います。以上、よろしくお願いいたします。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。どうぞお掛けください。
 それでは、つるさん、どうもありがとうございました。それでは今のつるさんのお話に対しまして、何かご質問、ございますでしょうか。小松先生、どうぞ。

○小松委員 荒瀬ダムに土砂がたまっていますので、それが干潟に影響を与えるというのは、それは納得できるんですが、大雨のときに荒瀬ダムの放水が、荒瀬ダムからの放水が赤潮の原因だと言われるのは、ちょっと理解できないんですが。というのは、荒瀬ダムはもともと発電ダムですから、余り貯水量はないんですね。ですから、上から流れてきた水を大雨のときはそのまま流すだけですから、荒瀬ダムからの放水が赤潮の原因だというのは、ちょっと理解できないんですけど。

○発表者(つる詳子) やはり確かに治水ダムでもないし、ためておくわけでもないんですけど、いつも満タンの状態でためているのは間違いないんですね。私たちもそこで調査なんかをやっています。市房ダム、その上流に瀬戸石ダム、市房ダムとあるんですけれど、その堆積物も調べているんですけど、堆積物の状況を見ると、やはり上から順番に荒瀬ダムが一番悪いんですね。それが放水されたときというのは、もちろんそこの有機物、栄養塩なんかが一気に流されるということもあると思いますけれど、できる場所というのが、後でもよく漁師さんたちから、今、赤潮が発生しましたと、発生があったときに電話をいただいたりするんですけど、発生する場所が養殖業が多いところでは決してないんです。必ず対岸から、球磨川から吐き出された淡水が乗っかってきている場所、そこが一番最初に出てくるというのは、多くの人たちからよく聞きます。必ずしもそれはダムだけではないかもしれません。海全体が汚れているということもありますかもしれませんけど、必ず関係ないとは言う根拠は今、ないんじゃないでしょうか。

○須藤委員長 では、本城先生、どうぞ、続いて。

○本城委員 今、赤潮の話をされましたけれども、その赤潮は日照りが続いて、数日後に発生する。そして、それは被害を伴うような赤潮なんですか。

○発表者(つる詳子) この被害がどの程度かというのは、後で八代漁協の方とか、対岸の方が来ていらっしゃるから、直接聞いていただきたいんですけれど、年々ひどくなっているというのもあります。ダムができてすぐできたというんじゃなくて、多くの方は、ダムができてすぐというよりも、10年ぐらいからだんだんに影響が出始めたということを言われています。その被害は、もちろん養殖業にあらわれるんですね。だから、養殖のせいだと思われがちなんですけど、普通の泳いでいる魚というのは逃げますので、養殖業に、逃げられない魚に被害が出るということみたいです。

○本城委員 恐らくそうして発生する赤潮は、珪藻の赤潮で、それが直接魚介類の被害に結びつくようなものではなくて、また、被害を伴う場所は別の赤潮のことを考えないといけないのではないでしょうかね。

○発表者(つる詳子) 両方あるみたいなんです。

○須藤委員長 それではすみません。もう一人、先生からご質問がありますので、移らせていただきます。大和田先生、どうぞ。

○大和田委員 今の赤潮の件で言えば、我々も八代海でやっているんですが、球磨川の河口域、それより北側は1年中を通じて、かなり珪藻が多いところであることは確かなんです。あと、ちょっとお聞きしたいんですが、先ほど地図を示してくれたんですが、球磨川河口域にアマモ場が相当広がっていたと。今の地図で、大体どのくらいの広がりがあったか、ちょっと教えてほしいんですが。

○発表者(つる詳子) 大体干潟の先にはずっと帯状にあったというのは、私も漁師さん全部聞いているわけではありませんですけれど、干潟がずっとこう、ありますと、砂干潟がありますね。その先にアマモ場もずっとあるんだそうです。今残っているのは、ここ辺、ちょっと今、コアマモが少し残っているという。

○大和田委員 もうちょっと北の方の、大分浅くなっちゃうかもしれませんが、北の方も随分あったんでしょうか。

○発表者(つる詳子) 北のここら辺までは私、まだ聞き取りしていませんので、今後聞いていきたいと思います。

○須藤委員長 どうもつるさん、ありがとうございました。
 それでは、次に移らせていただきます。

○発表者(つる詳子) ありがとうございました。

○須藤委員長 次は、熊本県在住の黒田正明さんにお願いをいたします。よろしくお願いいたします。

○発表者(黒田正明) 私は、熊本県でも、ちょうど熊本市の一番西の海岸線です。実は私は小さい組合ですけど、40年間組合長をやって、終戦の年、昭和20年から網漁業とノリを現在までやっております。今、組合長をして約40年になります。
 また、昨日まで、実はノリの方の作業に、今75歳になっていますが、貧乏しておる関係で、海へ行っているのが現実です。
 ここで私も非常にわかりにくいのが、「有明海再生だ」という言葉があるんですけど、昭和何年代に再生するのか。明治時代に返すのが自然なのか。これが非常にわかりにくいんです。しかし、私が現在、約60年、有明海に毎日行って、今、振り返ってみますと、有明海は、どうやって変貌していったか。
 それから考えた場合に、私たち人は、だれも失敗があると思うんです。漁業者も行政も、また一般の市民の方も反省すべき点があるとじゃないだろうか。その反省の上に立たなければ、有明海の再生というのはあり得ないんだと、私は、こう思っております。
 ですが、おしかり受けるかもしれませんけど、平成12年、諫早干拓で有明海がダメになったと、漁民が一挙して、諫早湾に押しかけ、またマスコミもそれをあおって、諫早干拓が有明海をダメにしたと。これは皆さん、目新しい話だと思います。
 しかし、そのときに、熊本、福岡、佐賀の3県の中の組合長で、「違うんだ」と言ったのは私だけじゃなかったろうかと思います。「諫早干拓は関係ないとは言わない。しかし、それだけ直線的に見たら、私たちは大変な間違いを起こすぞ」と、これをずっと言い続けた。そのために、熊本県の組合長の中で、私だけが一人者になったのも事実なんです。
 しかし、うちの組合員が、「組合長、皆ついてくる。あんたが本当だ」と言うて、ついて来てくれたおかげで、1年たたんうちに、何人の組合長も、「あんたがとがほんまもんのごたる」というようなことで、ようやく皆にわかってもらった。
 と言っているのは、なぜかというと、私は20年前から、もう20年になります。そのころから、公式の場で、「有明海は今のままいったらダメになる、何とかこれを解決せないかんぞ」というのを口酸っぱく言ってきたんです。しかし、行政も、組合長さんたちも、組合員もだれ一人耳をかしてくれる人はいませんでした。
 なぜかというと、私がなぜそういう心配をしたかと申しますと、私の家がノリを始めたのは昭和18年です。そのころは佐賀、福岡にはまだノリがありませんでした。当時、熊本の玉名地区の大浜で自然の種をつけて、養殖をしていたころなんです。その後、ノリの人工採苗ができて、それでどんどんどんどんノリが増えてきた。実は昭和40年代になって、機械化になって、そうして、ノリ産業がダメになって、私の組合で77人おった組合員が、現在13名なんです。
 しかし、養殖面積は広くなっております。ご承知のとおり昭和30年代ぐらいまでは、河口から遠くて 1,500メートルぐらいまでしか、ノリができていなかったんです。その沖の方は栄養がなかったんです。それが40年代になって、ちょうど熊本県が浮き流し漁業を始めたのが昭和42年です。そのときは、有明海の真ん中、長崎県との境界、1万メートル沖までノリ養殖ができるようになった。それは河口の底、海が汚れた。沖合まで富栄養化になったんだと。これがどんどん進んできた。これが大変なことになってきたなという一つの問題です。
 諫早干拓ができたから、潮流が遅くなったと申しますが、ノリを佐賀から熊本、福岡全部張ったらどれだけ潮が遅くなるか。それが1年か2年だったら、そう関係ないかもしれんけど、しかし、それが何十年と続いた場合、海に負荷がかかっているんじゃないかなと。今の養殖方法で、このままでいっていいんだろうかという不安もありました。
 たまたま今年は、免許の切りかえ。区画漁業権、共同漁業権の切りかえですけど、3県とも、有明再生とは言いながら、同じ免許が出ているはずなんです。免許が減ったということはありません。
 それから、これがもう一つは、今度は魚のことを申しますと、私たちが終戦当時、網をするときは、本当に小さいエンジンの小さい船で沖合に行っていたんですけど、現在はボタンを押せば、エンジンがかかる。竿も棒も要らない。網を修理しきらなくても、網屋さんがつくってある時代。そして、私が組合長をしとって、漁師の悪いことを言うちゃいかんとですけど、おるしことらなでけんのが漁師なんです。とれるしこ、とらにゃいかん。とり過ぎたんじゃないかなと。これも一つの原因じゃないか。
 海が汚れてきたのも事実です。私たちは、やはり自分たちが50年間やってきたその反省の上に立って、今後どうすべきかを漁業者自体が考えるべきじゃないか。これが一つ、疲弊した原因。
 もう一つは、終戦後、生産、生産、生産と生産一途にやってきた。この典型的なものが水俣病なんです。その発生の地である熊本県が、水俣には手をつけたけど、あとの河川に何をしたのか。環境面で何もしていないんです。これは熊本だけじゃなくて、佐賀も福岡も長崎も同じじゃなかったか。そのために有明海が疲弊してきた。私は20年前から、有明海は終末処理場ではないんだと、ずっと言い続けてきた。しかし、現在も終末処理場にされている。
 今度、有明再生。有明・八代再生という法案ができました。熊本県がいろいろな案を出しています。空論です。数値目標は何も決まっていません。熊本県が来て怒られるかもしれません。浚渫をするんだ、何をするんだ、環境面では何をするといっぱい並べてある。しかし、数値目標、何年後にこうするんだと、数値目標が全然出ていない。
 もう一つは、これだけ諫早干拓といって騒動した3県、また3県の漁連が有明再生のことで、共通する会議が一つもあっていない。それで有明が再生できるはずはない。
 そこで、私はうちの組合だけでも自分たちができることをやろうじゃないかということで、平成10年から、有明海を少しでもきれいにするならということで、アサリの管理を始めたんです。25ヘクタール、これをやって、ようやく私が希望している金額を今年上げることができた。これは私たちが今、できることを何をするか。ただ、人のせいにして、ワイワイ言っておっても、海がきれいになるまで飯を食わんわけいかないわけです。やはりご飯は食べていかないかん。その中で、この環境の中で、どうしたらできるかということで、平成10年から始めたわけですけど、この管理漁業の難しさ。ただ組合員の、100人足らずの組合員の意識改革に5年かかった。
 その中で、もし有明海全部の漁業を管理せいというのは、不可能に近い。絶対できないでしょう。そういう非常に難しさを、今現在、私は抱えて、幸いにして、うちのアサリ生産者が40名です。3月から今月までで1億2千万円上がりました。20ヘクタールから。そういう実績がようよう出た。ようやくうちの組合員だけは、意識改革ができたなと。しかし、やはりこれは、球磨川の全県下、4県がそこまでなるためには不可能に近い。だから、有明海の再生はあり得ないと、こういうことです。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。ピッタリにやっていただきまして、どうもありがとうございます。
 それでは、どうぞご質問いただきます。岡田先生、どうですか。

○岡田委員 大変感銘を受けました。ありがとうございました。先ほどちょっとおっしゃったノリの免許を各県が相変わらず同じように出しているということをチラッとおっしゃいましたが、黒田さんのお考えからすれば、ノリの免許は少し行政としてコントロールすべきというふうにお考えということでございますか。その辺のところを教えていただければ、大変ありがたいと思います。

○発表者(黒田正明) 私はどうかと言いますと、私の考えでは、多過ぎはしないかと。有明海に対する面積としては、余りに負荷がかかってはいないかと、こう思っているんです。しかし、行政の方としても、それに対する何の注意もないし、それが一番楽なんでしょうね。従来どおりが。そういうことなんです。

○須藤委員長 じゃあ、どうぞ、山室先生、マイクをあちらへ。

○山室委員 冒頭で、いつの時代の海に戻すべきかということをチラッとおっしゃったんですけども、ノリは富栄養化した方がとれやすいということもありますので、人間が利用して、なおかつ環境をそれほど汚さないという意味から、黒田様がお考えになっているのは、いつのころの海に再生すべきだと。

○須藤委員長 60年おやりだったんですね。そうすると、20年ぐらい前ですか。もうちょっと前。

○発表者(黒田正明) うちが18年からして、私が終戦の年に帰ってきましたので、昭和20年から現在もやっております。その間、昔は天日で干して、機械化になっていませんから、私の張っていた網、当時は網じゃなかった。ヒビだけで張っていった。40枚です。現在、私がうちの組合で一番少ないんですけど、干潟の引くところに80枚、浮き流しに 300枚張っているんですね。その当時の10倍以上あるんです。一番うちの組合で多い人は 800枚張っているんです。そのかわり 5,000万枚ぐらい売り上げするんですけど、そういう生産する時期が非常に短くなるんですね。そうすると、多く張らないかん。多く張るためには機械化せにゃいかん。悪い方へ悪い方へ行っているんですね。それと、余りとれ過ぎるから、今度は値段が安いというような、私から見たら、悪い方へ転んでいる。それも含めて、魚をとることも、そういうことを含めて、有明海に負荷がかかってきているんじゃないか。また、上流から流れてくる腐葉土や洗剤、家庭排水、農業排水、工業排水、有明海が悲鳴を上げたのが平成12年じゃなかったかなと、私はこう思っております。

○須藤委員長 もう一人、伺いしましょうか。よろしいですか。それでは鬼頭先生からどうぞ。

○鬼頭委員 アサリが戻ってきたというお話がちょっと出たと思いますけれども、有明海の養殖業等はそんなに大きく変わっていない中で、この数年、組合長さんのあたりでアサリがとれたということをどういうふうにお考えですか。

○発表者(黒田正明) 先生もご承知のとおり、私たちの組合は坪井川べりですけど、熊本市、大都市を控えていますから、浮遊土が多くて、アサリの生息には一番悪い場所なんです。昭和62年と平成元年に、国と県にお願いして、そこに覆砂をお願いしたんです。しかし、1年たつけど、とってしまうものですから、また3年ぐらいとれずに、またたった。またとってしもうたと。このままいったら大変だということで、平成10年から、完全な管理にした。とる量から、全部決めて、徹底した管理をやったわけです。そのかわり、役員さんたちは大変だったんですけど。ようやく今年は私たちが目標とした1億円とれた。ということは、昭和30年代ぐらいの量がおるようになった。ただ、一番大事なことは、海の耕耘するというのはいろいろありますけど、一番アサリの環境をつくってくれるのはアサリです。私の経験では。人の手を何百人入れても、アサリが自分たちでつくる環境が一番できる。そのために絶対元金を食わないということです。もとは残しておく。金利だけをとっていくという考え方で現在やって。昨日から始めましたので、今月いっぱいで終わって。というのは、秋仔は立ちますから。秋仔まで、そのときは絶対海はさわらないという考え方で、今月いっぱいで終わりたいということです。

○須藤委員長 黒田さん、ありがとうございました。まだたくさんご質問があるようなんですが、もし後で時間がありましたら、総合討論のときにお願いをするということで、どうもありがとうございました。
 それでは、次に移らせていただきます。次にお迎えする方は、過去に長崎県でご研究に携わった田中克さんでございます。田中さん、どうぞよろしくお願いいたします。

○発表者(田中克) ただいまご紹介いただきました田中でございます。
 私以外の10名の方は、純粋に地元の方なのですが、私は、純の字がちょっと違って、準(元)ということになりますが、最近、研究面から有明海への思い入れがだんだん深くなっているということで、話題を提供させていただきたいと思います。
 どうしても時間を超過しますので、OHPで概略を紹介させていただきます。
 私と有明海とのつき合いは、1970年代に長崎市にあります水産庁西海区水産研究所の研究員のころに始まります。その後、1980年から24年間、毎年、筑後川河口域において、スズキを中心にした調査を続けております。最近では、スズキだけではなくて、有明海の一番重要な特徴として特産魚類が非常に多いということから、それらを維持している大陸沿岸遺存生態系、ちょっと難しいのですか、氷河期の名残の生態系仮説というのを唱え始めて調査を行っております。
 本日のヒアリングは、有明海並びに八代海ということですが、私は、有明海の奥の海域に限って話をさせていただきたいと思います。
 何が本質かということをいろいろ考えてきましたが、私なりの答えは、生物多様性の宝庫としての有明海、多くの特産種や準特産種がたくさんいますし、それらはほかの海では見られない、中国大陸沿岸の歴史を引きずった、非常におもしろい自然遺産的存在であるというところが最も大事なポイントだろうと思います。魚類特産種としては、エツ、アリアケヒメシラウオ、アリアケシラウオ、ハゼクチ、ムツゴロウ、ワラスボ、ヤマノカミの7種が知られていますが、私たちの研究では、有明海産のスズキも遺伝的に調べると、中国大陸のタイリクスズキと日本のスズキの両方の遺伝子を持っています。それは1万年以上前の氷河期の交雑個体群に由来するのではないかということが明らかになってきました。
 このことより遺伝子をもっと調べていけば、有明海にはこういう背景を持った非常にユニークな生き物がたくさん生息しているのではないかということも十分想定されます。
 稚魚発生量のモニタリングをこの間、続けてきました。1980年3月から、筑後川河口域に海側10キロ、川側15キロ、合計25キロに7定点を設けて春季の3月から4月の大潮時に稚魚ネットの表層曳きによる仔稚魚の採集をしてきました。
 2009年には、ちょうど30年になりますので、30年間の変化を何とかしっかりまとめ上げたいと考え、現在はその中間段階の整理を進めています。
 そういった意味で、まだ十分にすべての試料を整理しているわけではありませんし、整理された資料も統計的な処理が済んでいませんので、ここではごく概略の変化の動向しか紹介できません。残念ながら、アリアケヒメシラウオの成魚、エツの当歳魚、アリアケシラウオ成魚、ヤマノカミ稚魚などは、皆さんご心配のように、減少傾向は明らかです。例えばアリアケヒメシラウオですと、最近は、低い水準ながら、比較的安定して維持されています。それぞれ魚種ごとに特徴はありますが、全体的には減少傾向にあります。
 それから、ワラスボやハゼクチは、初期の仔魚の同定が非常に難しいということで、これまで手がつけられなかったのですが、最近はその識別も大分できるようになりました。両種には大きな変動はないと見ています。
 この中で、とりわけユニークなのがスズキです。80年代前半には非常にたくさんとれたのが、80年代後半から90年代前半にかけて、相当減少しました。しかし、90年代後半から、この種類だけでは増加傾向が見られます。非常に高い水準で稚魚の発生が見られるということになります。
 スズキについては、いろいろな角度から分析を進めています。いろいろおもしろいことがわかってきました。産卵盛期は12月中旬から1月中旬で、筑後川の河口域には1、2月に仔魚が集まってきます。3月上・中旬に、成長に伴って川を遡り、体長17~18ミリ、ちょうどこれは稚魚に変態する時期に当たりますが、その頃に淡水域に入ります。淡水域に入る前に河口から5~15キロメートルぐらい上流の塩分の低い汽水域で、お腹の中を調べますと、ほとんど単一のかいあし類と呼ばれる動物プランクトンが大量に出てきます。このSinocalanus sinensisという種類は、日本では有明海だけにしかいません。有明海の湾奥部だけにしか生息しない大陸沿岸遺存性の特産種であります。彼らの発生量も年によって大きく異なりますし、スズキ稚魚の発生量も年によって異なります。その間には相関がありそうだということも分かってきました。
 そのように見ますと、多くの特産種の稚魚の存続のカギを握るのは、このシノカラヌスという、かいあし類ではないかと推定しています。1980年代の前半には、このシノカラヌスが大量に爆発的に低塩分汽水域で発生したことを幾度か経験しました。しかし、それ以後、80年代後半から90年代にかけて、年によって増減がありますが、爆発的な増大を見たことはありません。
 有明海をどのような海に再生すべきかということは非常に大きな問題ですが、一つには、有明海の再生は、「特産種の宝庫」としての海の再生ではないかと強く感じています。特産種の健全な存続がないような海に豊かな漁業生産はあり得ないでしょうし、多くの特産種を維持している環境的な基盤は、豊かな漁業生産を支える基盤と同じであろうということです。特産種がここに非常に多く生息しているというのには、何かメカニズムがあるはずです。それは湾奥部の汽水域には、大陸沿岸遺存生態系と呼ぶべき特異な生態系があるのではないかと考えています。その環境的な基盤は、高濁度汽水の存在だろうと考えています。特産種の存続を支える筑後川の高濁度汽水域が有明海の特産種を、ここでは魚類に限ってですが、支えている大きな背景だろうと思います。
 この高濁度汽水は、ほとんど全ての有明海特産種の稚魚が生育する低塩分汽水域に発達します。塩分が15~20ぐらいまでは、海の多くの生き物、海の多くの稚魚が生息していますが、それ以下の低塩分汽水域に進出するのは、有明海特産種の稚魚を中心にその他ごく一部の稚魚に限られています。ほとんどすべての特産種は、低塩分汽水域を生育場とし、この低塩分汽水域は同時に高濁度汽水域ということになります。低塩分汽水域と高濁度汽水域とは裏腹の関係にありますが、ここには先ほどの有明海の奥部にしかいない、かいあし類シノカラヌスが生息しているということになります。最近の共同研究者の研究では、このシノカラヌスは、有明海を特徴づける浮泥と言われる、あるいは専門用語ではデトライタスと読み変えることができますが、浮泥を餌資源にしているということになります。ここの特異な生態系の骨格は、高濁度汽水域-シノカラヌス-特産仔稚魚というつながりであることがだんだんと明らかになってきました。
 高濁度汽水域の形成にかかわる要因はいろいろあろうかと思いますが、河川水の供給がまず非常に大きな背景にあります。それから、我が国最大の干満差と激しい潮流です。こういったことを考えますと、大陸沿岸遺存生態系の存続には、筑後川の豊かな水量と、水質の保持が不可欠だろうと思われます。そして、干満差とか潮流の減少を導くような人工構造物、とりわけ陸域と水域の境界の改変には細心の注意を払うべきであると思われます。このことの最も大きな典型的な事例は、諫早湾の締め切りであり、まさに陸域と海域との分断ということになります。
 何を目標にするかということは、これも非常に難しいのですが、特産種の宝庫としての海の再生は、一つの具体的な目標になるのだろうと思います。そのためには、発想を転換して、これまでよりも、より広域的・総合的に、そして長期的な視点で現状を見極め、将来の方向を見定めることがとりわけ重要だろうと思います。
 海域生態系と陸域生態系の不可分のつながりこそ大事だろうと思います。これまで、我々はこのかけがえのないつながりを当面の利便性ですとか、経済性優先で分断してきました。ここに大きな問題があると思います。有明海の再生には、筑後川源流域から集水域に至る森林生態系の維持、中~下流域における人里空間としての里域生態系の保全、こうしたことと有明海の再生は不可分の関係であり、それらを含めて考えていく必要があると思います。
 その意味では、森・里・海連環の視点に基づいて、流域全体を視野に入れた再生という考えが必要です。ここでは筑後川をモデルに紹介しましたが、有明海全体にいろいろな川が流れ込んでいます。有明海全体と後背地の川との関係、そして森林との関係を含めた視点でのいろんな取り組みを進めることが非常に大事だろうと思います。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。どうぞ、田中さん、お掛けください。
 それでは、伊藤先生、どうぞご質問。

○伊藤委員 スズキに関して教えていただきたいんですけれども、80年代の後半から急激に減り出して、また最近増加傾向にあるということですが、その背景にあるもの、それからそれに関連してですが、先生は長年にわたって筑後川の調査、スズキを中心とした調査をやられておりますけれども、例えば有明問題に関して、一つは、筑後大堰の影響というのが危惧されていると思うんですが、スズキというか、そういう生物を通した目から見てですね。筑後大堰の影響なり、その点についての先生の評価というのは、どの程度されているんでしょうか。

○発表者(田中克) 有明海のスズキは特殊なスズキということを先ほど申し上げました。有明海以外の日本周辺に生息しているスズキは、ある程度大きくなった幼魚ですとか、成魚の一部がたまたま川に上ってくることはよくありますが、有明海のスズキは集団で個体群として川に入ってくるという特異な生活史を送っています。したがって、筑後大堰ができたことによって、それより上流には分布が限定されるということは、長い目で見ると、非常に大きな影響があるのではないかと考えられます。
 それから、最近どうしてスズキだけが増えているかという点については、これはまだ十分には検討していませんが、例えば東京湾なんかもあれだけ富栄養化が進んでいても、湾奥部に非常にたくさんのスズキが生息しています。スズキはそういう環境に、富栄養化された環境に、ほかの生き物が生きにくいような環境にも耐えられる性質を持っていると思われます。あるいはほかの生き物がこれまではバランスよくいたのが、バランスが崩れることによって、現在はスズキがひとり勝ち的な様相があるんではないかと見ています。

○須藤委員長 もう一ついかがでしょう。では、清野先生、お願いします。

○清野委員 この有明海の再生というのは、漁場の再生というような側面もありまして、一方で、先生が今日おっしゃったような生物多様性とか、理学的な部分の保全の議論というのはあってしかるべきだと思うんですね。今、有明海の中で、漁場とか、漁業ということと、そういった理念的には生物多様性が持続的な漁業にはいいんだということは言っても、なかなか現実の漁業者の方の腑に落ちる状況にない中で、どういうふうに水産学とか、魚類学とか、あるいは生物分類学は、この課題を両立させていったらいいとお考えでしょうか。

○発表者(田中克) 非常に難しい問題で、適格にはお答えできませんが、私自身はもともと水産生物学の出身ですし、現在もそうですので、そちらを放棄したというわけではありません。例えば今、有明海の問題も、それから恐らく多くの日本沿岸漁業の問題も同じでしょうが、海だけを見ていては、もはや解決不可能な段階に来ていることを痛感しています。そういう意味では、漁業者が森に木を植え森の再生を試みているのは、まさに典型事例だと思いますが、森と海のつながり、あるいは陸域と海域とのつながりの中でいろいろな問題を漁業者自身も考える必要があるし、行政も勿論そうでしょうし、市民運動、それから研究者も含めてすべてが、もっとトータルに、長期的に物事を見ることなしには、この深刻な問題は解決しないのではないでしょうか。そして、そのために、私の場合ですと、そういう物の見方や考え方で、研究をどう展開できるか、どういう教育、どういう学生を育てられるかというのが、自身に鋭く問われているところです。そこをもがきながら、答えを見つけていこうとしているところです。

○須藤委員長 では、岡田先生、簡潔にどうぞ。

○岡田委員 先ほどシノカラヌスの増殖にデトライタスが重要だとおっしゃって、そのデトライタスは、海起源のデトライタスなのか、陸起源なのか、どっちというふうにお考えでしょうか。

○発表者(田中克) その点は汽水域の評価を行う場合大変重要ですが、安定同位体比を用いてシノカラヌスの胃の中の組成を調べることによって、恐らく答えが出てくるんだろうと考え、これからやり始めるところです。今のところ、まだ答えは出ていませんが、恐らく感覚的には、相当陸起源のデトライタス的な性格が強いんではないかという印象を持っています。答えは半年後か1年後ぐらいには出したいと思います。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。まだご質問はあるようでございますが、次に移らせていただきます。
 次は、長崎県在住の大島弘三さんでございます。どうぞよろしくお願いいたします。どうぞお始めになってください。

○発表者(大島弘三) 皆さん、こんにちは。長崎県代表というほどの人間でもないんですけども、たまたま長崎県に住んでいるということで、諫早湾を中心に、私はNGOの活動をこの30年間やってきた経験を皆さんにご披露して、その中から解決策を探っていきたいというふうに考えております。
 私は現在、諫早干潟緊急救済本部という、環境NGOの一応のボランティアスタッフとして、毎日というわけじゃないけども、仕事の合間に時間をつくって活動をやっております。特に私たちが諫早湾をターゲットにするのはなぜかということを一つの有明海を見る上で大きく議論の分かれるところではあると思いますけれども、諫早湾の役割というのは、有明海の中でも特異なものであるということを、ちょっと私の方から説明したいと思います。(プロジェクターを使って説明)
 ご存知のように、地球の歴史というのは、地球が生まれた40数億年の中から、私たちも当然そのとき生まれておったわけではないんですけども、これは科学的な立証の中で、たくさんの火山活動とか、地殻変動とか、いろんな形の中でこの地球が生まれて、有明海もその中から生まれ、海ができ、その海の中から私たちの祖先の一つの単細胞の生物が生まれたということ、これは事実であると。
 その中で、この有明海の中で、諫早湾が先ほど、最初の発表の方が言われたように、反時計回りの潮流がある。そして、その潮流の中で、火山活動で出てきた火山灰など、たくさんの川からのものが有明海の中で堆積している。そして、干潟を形成している。これは事実だと思うんですが、確かにその中で、一番重い方から粒子としては沈んでいくわけですね。そして、だんだんその粒子の細かいやつ、残された一番軽いやつ、それが一番有明海の奥になる諫早湾の中に堆積する。そして、それが現在は70メートルまで、今、堆積されているというふうな、これが現実です。
 この細かい粒子というのがポイントになりますが、この干潟を形成している細かい粒子が、皆さん地元の漁師の人たちは、諫早湾は有明海の子宮だと。子供が生まれるところ、育つところ、こういうふうに言っております。そのとおりだと思います。
 そして、この諫早湾にそれらの細かいプランクトンからカニ、貝類、たくさんの生き物がここで生まれる、育つ。そして生物の多様な形をつくっているというのが現実。
 そういう生物の宝庫と言われるこの諫早湾に大きなインパクトを加えたのが、ご存知のあのギロチン。この50年、あるいは30年の間に、日本が高度成長という形をとりましたけれども、そのかわりとして、環境にものすごいダメージを与えたのが、私たちの工業化だろうと。そして、現在、それらの工業化のツケが現在の諫早湾の、有明海の異変に端的にあらわれてきているというふうに考えております。
 これは、新聞に載っているやつを私が借りてきたものですが、1972年から、現在2001年までの有明海における漁獲量、これは農水省のデータをグラフにあらわしたやつ、ご存知のとおりのデータです。
 さて、この漁獲減は、なぜなのか。私たちは、去年、「ありあけ大調査」という形で、有明海の水質を調査して、その水質の中でも酸素がどれぐらいあるのかというのをポイントに調べております。
 この調査によりますと、私たちの調査の中で、有明海の中で70ポイントを調査して、その中から皆さんに注目していただきたいのは、この黄色のマークですね。黄色のマークというのは、ごらんになってわかると思いますが、これは諫早湾ですけれども、この諫早湾の締め切り堤防の沖合、黄色のところ、それから鹿島沖、佐賀県ですね。それから福岡県の方。これが酸素の量で言うと3mg/リットル、緑のところが4mg/リットル、この3とか4というのは、生物が生きられるぎりぎりのところという数字です。とてもこの状態では長くは生きていけないという状態。これが今の海の底の状況です。
 これらの状況を何とか変えたいというのが、私たちの願いなんですけども、既に国内では中海の干拓事業が中止されました。そして、藤前の干拓、藤前の埋め立て事業も取りやめた。
 海外では、ここに写真を見せておりますところは、オランダの水門の状況です。まさに諫早の水門と全く違わないような形ですけども、これが水質が悪化したという原因、理由に、既にもう2005年からの水門開放が決められています。そして、最終的には99%、95%まで水門を開けるというのが決められている。
 同じくこれはオランダの例ですけど、これはその経験を生かして、1986年に完成した水門。これは高潮のときだけ閉める。そして、常に開けておくという、これは新しいやり方にすべて変えられています。
 ほかに海外では、これは香港ですね。アジアの香港ですけども、皆さん、香港は買い物に行くところというふうに考えておられる方がほとんどだと思いますけれども、ここにも見事な干潟があります。ここは既にラムサール条約に登録されているんですけども、シギ、チドリその他の鳥類がたくさんおります。そして、かつての諫早湾は、この状態にあった。現在は全くいません。かつての諫早湾の状況。
 そして、この状況を皆で観察に来る。子供たち、大人も含めて、年間4万人の方がここに訪れています。そしてこういうシェルターの中からこっそりと見る。そういう鳥たちをおどかさないために、こういうシェルターの中でやっている。これは「WWF香港」という現地の環境保護団体がこれを運営しているんですけども、そして、若い青年たち、子供たちをリーダーとして育てる。こういう活動もやっている。
 さて、今まで述べてきたのが、私たちの活動、そしてこれからの方向性だというふうに、皆さんに考えていただきたいんですけども、これから干潟を再生するためには、有明海、そして不知火海、これを再生しないと、これから先の漁業も成り立たない。ましてや、私たちの生活も魚は輸入すればいい。それだけのことしか、これからの展望は開けないということが考えられるわけです。
 今日、委員の方に最後に、私からのお願いを一つしたいんですけども、「海のことは漁師に聞け」、こういう言葉があります。私たちも常にこれを念頭にやります。海のことは漁師に聞け。そして、こういうホテルの一室で漁師さんたちに来て、ここでしゃべろというのは、ものすごく敷居が高い。漁師さんにとっては、こういうところでしゃべるのは、大変な苦労があるというのを聞いております。今日、お見えの方も、漁師さんたちも何人かおられますけど、例外とは言いませんけど、ほとんどの漁師さんたちは寡黙で、とてもしゃべれるような人ではありません。ぜひこれから先も皆さんで現地に行っていただいて、足を運んで直接の対話をやって、できれば、一升瓶を横に据えて、酒をくみ交わしながらの対話をやっていただければと、私からのお願い、最後にお願いして、私の説明を終わります。ありがとうございました。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。それではご質問をどうぞ。いかがでございましょうか。では、清野先生。

○清野委員 市民の方と漁業者の方が一緒に調査をされているということで、私は、そういう何ですか、研究者だけじゃなくて、多くの市民の人がどういう気持ちで漁業を応援していただいているのかというのをもっと聞けたらなと思うんですね。多分漁業者の方に直接お伺いするだけじゃなくて、さっきのつるさんなんかの報告書もそうですけれども、取りまとめた結果とかがどんどん紙になる部分も増えてくると、ぜひここの部分を伺いたいとか、こういう現象について聞いてみたいという委員の人が増えるんじゃないかと思うんです。ですから、大島さんに伺いたいのは、市民の方がどんな気持ちで漁業者の応援をしていらっしゃるのかとか、方法論的には、どこをもっと研究者の人に助けてほしいと思っているかというのがあったら、教えてください。

○発表者(大島弘三) もう少し聞きたいんですけど、今の方法論というのは、これから先の方法論という意味ですか。漁師さんたちの。

○清野委員 調査です。だから、多分ヒアリングというのは、いろんな評価があって、科学的データだと思う人と、学者の中にはそうじゃないという方もいて、そこもちょっとうまくやっていくと、すごい重要な情報になると思うんですね。そこを今は市民の方がサポートしていらっしゃるので、結構大変なのかなという感じを、今見ていて受けたので、具体的に何かあればと思ったんですが。どういうふうにサポートしてほしいとか、委員会としてどうするべきだとか、ありますか。

○発表者(大島弘三) ちょっと先生のおっしゃることが私では受け取りきれないんですけども。これから先、この委員会をどうするかということでとらえていいんでしょうか。やり方の問題。私、さっき話したように、自分たちでいろいろなデータを収集するのは構わないけれども、一番インパクトがあるのは、現地に行って、現地を自分の目で見て、自分の耳で聞いて、そして現地の人の話を聞く、これが一番だと思うんですね。そういういろんなデータは、環境省の事務局の方からもらえると思いますけども、感性の問題ですね。有明海をどういうふうに自分たちが感じるのか。感じているのを、一番感じておられるのは、漁師さんたちが一番感じておられる。私たちはその二番手ですけど、それ以上にやはり現地に行かないと、それはわからないというふうに考えております。

○須藤委員長 要するに、こういう場所ではなくて、実際の場所で、海で、船の上でと、こういうことをおっしゃっているわけですね。よろしいですね。どうもありがとうございました。
 ほかにもう一つぐらい、何かありますでしょうか。よろしいですか。
 それでは、どうも大島さん、ありがとうございました。
 それでは続いて、次に移らせていただきます。佐賀県在住の平方さんにお願いいたします。平方さん、どうぞお願いいたします。

○発表者(平方宣清) 先ほど言われましたように、自分は漁業をしておりまして、こういう場で話すのは苦手ですので、ここに書いてある文を朗読させてもらいます。
 有明海及び八代海の環境、水産資源が長年にわたりどのように変化してきたか。
 私たち大浦漁協は、長崎県と隣接するところにあり、冬は潜水器漁業でタイラギをとり、春はアサリ養殖場のアサリ掘り、夏はカニ網、源式網漁、スズキ網漁の漁船漁業で生計を立てていました。
 ところが、1989年、諫早湾干拓が始まってから徐々に魚介類の漁獲量が減り出し、1997年4月14日、潮受け堤防締め切り、いわゆるギロチン後、赤潮の異常発生により、1998年、大量に発生、生育していたタイラギが6月ごろから少しずつ死にかけ、9月には全滅してしまいました。
 それ以来、潜水器漁業は、今年まで、すみません、ここは「5年」としていますけど、4年です。4年間、休業を余儀なくしています。今年は、昨年の稚貝が順調に生育し、採捕可能な15センチメートル以上に成長し、久々に港に活気が戻ると期待していましたが、またも7月ごろから死んで、今は全滅状態です。ところによっては少し生育しているところがあります。期待していたものですから、漁民は打ちひしがれ、途方に暮れています。
 アサリもタイラギ同様、ほとんど死んでしまい、私たちのアサリ養殖場は、小長井漁協アサリ養殖場に隣接していて、(50メートルぐらい離れています)1997年に30,122キロの水揚げが、1998年25,445キロ、1999年16,526キロ、2000年16,237キロ、2001年 3,907キロまで落ち込みました。
 また、源式網でとるクルマエビは、赤潮発生と同時にとれなくなりました。これはどうしてだろうと考えていたところ、長崎大学の東先生の発表により、謎が解けました。
 諫早湾干拓潮受け堤防内の調整池の富栄養化した水を大量に放出するため、赤潮が発生し、プランクトンが死んで分解するとき、多くの酸素を海水中からとるため、海水の酸素が不足し、そのため海底生物が死んでしまうメカニズムを聞き、納得しました。
 かつての諫早湾は、たくさんの魚介類が育つことで、河川からの流入水を浄化してきた。また諫早湾が締め切られたことで富栄養化した淡水が諫早湾に排出されることと、魚介類には最高の生育場所が失われたことで、二重の意味で漁場が破壊されてしまいました。同時に、潮受け堤防の締め切りにより、潮流の流れが遅くなり、上層と底層の攪拌がなくなり、ますます貧酸素が進んでいく。潮受け堤防締め切り以前は、大潮時、潟土が海底から巻き上げられ、海上にボコボコと円形の茶色の濁り(漁民の間では、「ぼる」といっています)が発生し、夜行性のクルマエビが太陽が上ってもとれていました。
 このようなとき、潜水すると、海底は真っ暗で、夜光虫がキラキラしていて、何も見えない状態でした。締め切り後はそのような現象は全くなくなり、以前の健全な有明海の海の色は消えてしまいました。
 有明海の濁りが減って、透明度が上がっているということは、データでも示されていますが、これこそが有明海の水質として漁業に大きな影響を与える問題です。農水省や環境省が変化の少ない水質データばかりを強調して、「有明海の水質は変化していない」と言うのはおかしいと思います。
 このため、海底生物のタイラギ、アサリ、赤貝などが死んでしまいました。また、海底で生息するクルマエビ、ヒラメ、カレイ等は、酸素濃度の高い海域へ移動したと考えられます。貧酸素水塊は、有明海のあちらこちらに広がっているようですから、これらの魚介類の産卵、成長に悪影響を与え、最近の漁獲の減少につながっているのではないでしょうか。
 それに、クルマエビは橘湾で産卵し、稚エビが大潮時、一晩で有明海湾奥の浅い砂地まで上ってくると聞いたときは驚きました。
 しかし、潮流が鈍化した今、稚エビは湾奥まで移動できなくなり、現在の不漁につながっていると思います。
 有明海及び八代海をどのような海に再生すべきか。
 有明海には、簡単明瞭、潮受け堤防撤去により、富栄養化した調整池の水が流れなくなり、また潮流が戻り、海水の攪拌が始まり、貧酸素がなくなる。それに干潟の再生により、魚介類の生産力と、水質浄化機能の回復、これにより、以前の豊穣の海、有明海が再生されると確信しています。
 先祖から延々続けられ、不安のない生活を送られた有明海が、諫早湾干拓という、利権構造の中で進められ、有明海沿岸漁民の生活と関連業界に多大な損失を与える事業の見直しにご尽力いただきますよう、お願いします。
 また、生活排水を合併処理浄化槽により、有明海の負荷軽減につなげるため、早期に改善してほしいです。
 合併処理浄化槽で処理すると、汚れの量が10%になるが、くみ取り便所で67%、単独浄化槽では80%と、ほとんど処理されず、有明海へ流れているそうです。
 このような浄化槽を許可した行政に納得できません。一日も早く法規制により、家庭雑排水の基準をつくり、改善をお願いいたします。
 何とぞ環境省水環境部閉鎖性海域対策室の皆様、一日も早く有明海再生をしていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。それでは、ただいまの平方さんのご発表に対して、何かご質問がございますか。いかがでしょうか。清野先生、どうぞ。

○清野委員 今日、おっしゃってくださったことは、非常に重要な情報があると思うんですが、大潮のときに限ってなんですかね。「ぼる」という状況が出てきて、もこもこと水面に浮き上がってくるような状況なんだと思うんですけども、それが潮受け堤防締め切り前は、大潮のときにあったけど、ほかの潮のときはなかったという状況で、何かそのあたりは、この中にも物理の関係の先生がおられるので、多分どういうふうに水が回ると、そういう「ぼる」という現象になるのかというのが、結構参考になるんじゃないかと思うので、ぜひ締め切り前のと、それから潮の関係などを教えてください。

○発表者(平方宣清) この「ぼる」という現象は、大潮時の潮高、干潮時に 0.5メートルぐらいのときから、そういう潮の流れが速くなったときにそういう現象が出ていました。 0.0メートルぐらいになったら、「ぼる」という状況は、有明海全体がそういう状況だったです。締め切り後は今、幾ら潮高 0.0メートルになっても、そういう状況が全然今は起きていません。

○清野委員 ありがとうございました。

○須藤委員長 では、滝川先生、どうぞ。

○滝川委員 今のことに関してなんですけど、今、ここに書かれている「ぼる」という場所はどこいら辺のことをおっしゃっているんでしょうか。場所です。

○須藤委員長 地域、場所。

○発表者(平方宣清) 場所ですか。これはほとんど有明海全般にできていた。

○滝川委員 干潟域のところ。

○発表者(平方宣清) いや、深いところです。

○滝川委員 深いところですか。諫早湾中心なのか、外側まで含んでいるという、そこら辺のところをちょっとおわかりでしたら。

○発表者(平方宣清) そうですね。自分たちの佐賀、福岡の領海の中です。ですから、福岡県の大牟田沖から佐賀県地先までずっとそういう状態だったです。

○須藤委員長 では、伊藤先生、どうぞ。

○伊藤委員 ここの文章にも書かれておりますけれども、源式網、それからスズキ網というのは、有明海の独特な大潮時の潮汐を利用した漁法だと思います。それから、カニ網というのは、これは固定式のことですかね。多分そういう、例えば固定式の網、それから源式網、スズキ網、流し網ですね。これは随分と長年やられていると思うんですが、特によく流れの変化ということが最近言われていますけど、実際に網を流されていて、そういう変化をどのように、例えば網の張り方が違うだとか、感じられているのか。具体的に例えば教えていただければ幸いです。

○発表者(平方宣清) そうですね。今、有明海が反時計回りだとありましたけど、今現在は、時計回りじゃなくて、8の字を書いたような、有明海に8の字を書いたような感じで回っているんじゃないかと思っております。一つは、一番自分たちの竹崎沖が一番潮の流れが変わっているんですけど、引き潮も満ち潮も竹崎沖は皆東向きの潮が行っています。ですから、諫早湾から出てきた水は、引き潮も満ち潮も東向きに来て、それが満ち潮によって、ずっと有明海の湾奥部、多良、鹿島の沖の方へ流れていって、さっきNGOの方が説明してもらったように、貧酸素のところ、水がそこにたまっているという、自分たちもあのデータどおりの解釈をしております。

○須藤委員長 では、もう一つ、いかがですか。よろしいですか。鬼頭先生、どうぞ。

○鬼頭委員 潮位が最近上がっているという報告が随分あるわけですが、実際に漁業をやっておられる実感として、この数年、何センチか高くなっているというような実感がありますか。

○発表者(平方宣清) 漁業をしていて、潮位が上がっているというのは、ちょっとわかりませんけど、堤防とかに昔の潮の高さがついていますけど、やはり10センチから20センチ潮位は上がっております。

○須藤委員長 それでは、平方さん、どうもありがとうございました。
 ここで半分ちょうど終わりましたので、予定どおりでございます。15分間の休憩をとらせていただきます。それでは、15分後に再度お集まりください。お願いいたします。ありがとうございました。

                〔休   憩〕

○須藤委員長 そろそろ時間が参りましたので、ご着席をお願いいたします。
 それでは、7番目の発表に移らせていただきます。熊本県在住の松本さんにお願いいたします。
 それでは松本さん、お願いいたします。

○発表者(松本基督) 皆さん、こんにちは。熊本県天草の五和町から来ました松本といいます。(プロジェクターを使って説明)
 まず初めに動画からごらんいただきたいと思います。20秒ほど、最初します。
 熊本県の水俣のちょっと北の津奈木町というところで撮影したものです。魚の養殖の生けすにホルマリンの箱から直接液を注いでいるところです。99年10月24日という日付にも注目していただきたいと思います。こういうことが現場で行われていたということです。 私のテーマは、「八代海における魚類養殖業による漁場環境汚染」ということでお話ししたいと思います。
 両湾とのかかわりというのは、20年間、八代海、それから羊角湾に漁場を有する真珠養殖会社に勤務しておりました。そして、7年ほど前から両湾で表面化したホルマリン問題に取り組んできました。
 また、羊角湾では、国営干拓事業、中止になりましたけれども、ありましたので、そういうことにもかかわってきました。
 それで、私、昭和30年生まれなんですけども、胎児性水俣病の方々と同世代ということと、それから八代海ということにおいては、やはり水俣病ということが大きく頭の中を占めておりまして、その教訓ということを考えてみるときに、いろいろ言われておりますけども、やはり科学的な検証が権力によってゆがめられてしまったということも一つ、大きくあるんではないか。そういう結果、弱者の多くの命、そして健康、生活の破壊が起こってしまったというのも、これまた一つの教訓ではないかと。
 そういう意味においては、専門家、研究者のあり方というのは、非常に大きく問われただろうし、それもまた一つの教訓であるということが言えると思います。
 それで、時間がなくなる前にお願いしたいんですが、この委員会への要望ということで、まず弱者の方々への視点を持っていただきたいということと、それから、私のテーマではありませんが、諫早干拓事業について、今、漁師さんたちがいろいろ言われましたけども、当の農水省は、全然、例えば現場で研究、フィールドに出て研究されてる方々、それから漁民の方々、サポートしている市民団体の方々、そういう声を全然聞かない。議論の場がなく進んでおります。そういう意味では議論はかみ合っておりませんけども、例えば川辺川ダムの住民討論集会のような、そういうきちんと議論する場をこの委員会の方々がレフリーなり、行司となって、そういう場を設定していただきたいと、そういうふうに思うわけです。
 それでは、私のテーマに移ります。
 養殖と一言で言っても、餌を与えて育てる養殖、魚類とかクルマエビとかありますけども、給餌型、これは世界中からあらゆる安い餌をかき集めてきて与えますので、富栄養化につながります。その結果、薬物の多用という問題につながります。この大部分は、今、八代海、両湾において、言ってみれば、八代海にあるわけです。
 それから、非給餌養殖というのは、海草類であるとか、貝類であるとか、そういう餌を与えない養殖ということになります。いろいろノリの酸処理剤の問題もありますけど、基本的には、漁場の浄化作用ということに大きくはつながるということは言えるのではないかと思います。
 それから、八代海の環境、水産資源の変化ということですけども、先ほど来、皆さん言われておりますように、藻場、干潟の減少、有害赤潮の頻発、そして貝毒プランクトンの発生、漁獲量の減少、ホルマリン、先ほどごらんいただいたような有害物質の排出、こういうのが相互に絡み合って、いろいろ環境変化を起こしているというふうに考えられます。
 熊本県が23年ぶりに藻場調査をしました。面積比較はありませんが、繁茂密度ということで、23年前の2割以下にすべての海域で落ちております。大変なことです。有害赤潮も平成12年には、魚類養殖に40億円の被害が出ました。今年も相当出ているようです。
 複雑になりますので、指数という形で漁獲量を見てみました。平成2年を 100とした場合に、平成13年ですね、11年後。マイワシは漁獲量、長期変動というのがもともとあると言われていますけども、特に海草が2割、5分の1です。それから水産、タコ、エビ、カニ、イカ、そういうのが6割。貝類も6割ということで、おおむね何というんですか、底物、底に生きるものが減っているということがある程度見えてくるんじゃないかと思います。
 それから、魚類養殖については、この3つの問題、餌の食い残しとか、糞尿による底質のヘドロ化、漁網防汚剤、有機スズ入りのものの使用、そして抗生物質などの大量使用ということが言われてきて、薬漬けということで、15年~20年ぐらい前に批判されてきたわけです。
 これについては、熊本県の水産研究センターの業務報告書でも、魚類養殖場の海底は有機汚染が進行して、CODとか、硫化物の増加が見られるということが書かれてあります。そして、またそれが藻場生態系、自然環境への悪影響を及ぼしているということもまた書かれております。
 これを見てみると、農水統計から割り出した単位面積当たりの収獲量ですけど、ハマチについては、既に当時密殖と言われていたころよりも、さらにまたどんどん増え続けていて、赤潮の被害があって、結果的に減ってしまったところを除けば、どんどん密殖状態になっているということがうかがえます。
 これは熊本県とか八代海ではありませんが、全国的な傾向で見ても、80年比で魚類養殖の生産量が 115%に対して、抗菌製剤などは 250%、より薬漬け状態が進んでいるということがうかがえます。
 それから、東京、大阪では、激安トラフグ店というのが増えておりますけども、これは何といっても養殖生産量が増えたということがありまして、陰の立役者がホルマリンの大量使用だと言われております。これを見てみると、89年に 200トン程度だったものが、ピーク時には9倍の 1,800トンオーバーということになっております。
 海区漁業調整委員会では、トラフグ生産量が一番多いからホルマリン使用量も多いんだという発言も出ております。国会答弁でも、水質検査ではホルマリンは検出されない。聞き取り調査でも実態はないという回答で、汚染はないという認識でしたけども、現場では、先ほどの動画でごらんになったとおりということです。
 不法販売も発覚しました。これは2000年4月22日付ですが、会社員らは不法、無登録販売で書類送検されております。
 ところが、これは自宅の前に、公道ですけども、過酸化水素の箱が山のように積んでありました。中身は空でしたけども、残っている液はホルマリンでした。2000年12月15日の日付です。その後も販売されていたんじゃないか、容器を詰めかえて販売されていたんではないかということがうかがい知れます。
 私の資料に書いてありますけども、白潮というのが、原因不明のやつが最近見られることがあります。
 これも資料にありますけども、簡単な実験をしてみると、蒸留水ではずっと検出されるけども、フィルターを通した海水からは濃度がどんどん減っていくということがわかります。フィルターをかけずにやると、37℃と25℃では、すぐに検出されなくなるということがわかります。50℃ではずっと検出され続けるわけです。これは時間がないので。
 今、食の安全ということで、ホルマリンを使ったフグのことがいろいろ問題になっておりますけども、結局、化学物質審査規制法改正とか、こういう、水生生物保全水質検討会では、水生生物への影響ということも視点に入れて論じられているわけですが、そこでホルムアルデヒドというのは、優先的に検討すべき物質というふうになっているんですけども、今、説明したような現場海区での使用状況というのは、全く把握されていないということ。
 それから、これは非常に不思議なんですけど、専門家の方々があれほどたくさんいて、環境中でどのように変化して、その変化したものがどういう性質、特質を持つのかということは全く論じられておりません。つまり反応生成物の視点が全くないということです。これは非常におかしいと思います。それから、そのことも社会に認識されていないということです。こういう薬品流通関係者の証言もなされております。しかし、県の調査では、1業者だけということで、この部分については、全く闇に閉ざされた状態だということになっております。それで、販売先というのを調べればわかるんですが、それも調査の項目から外したということで、実態解明を放棄したというような状況にあると思います。
 再生ということですけども、やはり給餌型の養殖から非給餌型の養殖へ転換するような施策を推進していただきたいということ。
 それから、干潟浅海域の環境保全、覆砂とか、海底耕運とか、対症療法じゃない、根本的な復元ということでお願いしたいということと、あと、総合調査をきちんとやっていただきたい。それから物理的な改変による影響。それから化学物質による影響。先ほど言ったような環境中の動態解明ですね。反応生成物の視点も入れたというところでぜひお願いしたいと思います。長くなりました。終わります。

○須藤委員長 どうも松本さん、ありがとうございました。それでは、どうぞご質問。いかがでございましょうか。よろしいでしょうか。何か1つ、2つ。では、清野先生、どうぞ。

○清野委員 私も今までちょっとわからなかったのは、そういった食の安全性という意味での現在のトラフグホルマリンの問題と、一方で、さっきごらんになった白潮という現象が頻発するようになった問題を余り一緒に考えてなくて、多分水産学みたいなところでは、残留が人体に影響ないからということで収束しつつあるような気がするんですね。多分松本さんの活動の中で、どういう分野がもうちょっとこれにコミットすべきだというのがあれば、そういうご提言があった方がいいんじゃないかなという気がします。水産は、多分そういう意味では、ある時期にそういう薬品を使うということも方向性として一時あったので、それをゼロに戻すというのはできにくいんだと思います。そのあたり枠組みとしてどういうことが、研究や調査としてあり得ますか。

○発表者(松本基督) 確かにおっしゃるとおりに、ここまで騒がれていても、なおかつまた現場で出てくるというのは、全くなしでは難しいというような状況があることも十分考えられるんですけども、ただ、今言われたように、食の安全ということで、あるかないかという論議だけで今、進んでいて、これは化学物質全般に言えることですけども、その化学物質なり、物質が非常に便利な点とか、有用な点が出てきちゃうと、そこばかりが調べられたり、スポットが当てられて、その裏に潜む、それによる悪影響というのは、なかなか出にくい部分があるんですね。そういう面では、特にホルムアルデヒドというのは、たんぱく質と結びつきやすいわけですから、今、常識的に考えて、反応生成物はホルマリン以上の毒性はないはずだで済んでいるんですね。本当にそうなのかどうなのかという検証が全くなされていないんです。そのことはずっと言ってきましたけども、ほぼ無視されている状態。ですから、今の実験をもとにして、少なくともあんな簡単な実験ですから、クロスチェック的な実験をやって、その次に進んで、何かできているものがあるのかないのか。できているものはどういう性質なのか。どういう毒性なのか。そこは調べないと、やはり「専門家の人たち、何しているんだ」というふうに言いたくなります、僕としては。

○須藤委員長 わかりました。では、大和田先生、どうぞ。

○大和田委員 先ほど白潮の話がありました。私も熊本に、今、余り長くはないんですが、いるんですが、初めて聞いたんですが、具体的にどういう現象か、教えていただけないでしょうか。

○発表者(松本基督) 確実にいついつ出るというのは、なかなか言いにくいんですけども、主に盆過ぎからずっと秋口。だから、対流現象が起きるような時期ですね。僕たちとしては、例えば海底とか、底質に沈殿、あるいは海底付近に存在していて、それが巻き上がってくるんじゃないかというふうに。

○大和田委員 割合浅いところで起きるんでしょうか。魚の養殖をやっているところは、結構天草の方だと、30メートルとか、50メートルという場所もありますね。

○発表者(松本基督) そうですね。だから、場所の限定もなかなか難しい。潮も動きますので何とも言えないんですけども、ただ、そういうところの貝の篭とかに乗った浮泥ありますね。それを有機溶媒で抽出して、そういうものをまた精製水に接すると、場所によってはホルムアルデヒドが再検出される場合もあるんです。ですから、そういう反応生成物の存在というものも念頭に置いた調査というのをやっていただきたいと思います。

○大和田委員 私ども昔、英虞湾とか五カ所湾、三重県ですけど、向こうで調査をやっていたころは、よく話を聞いたのは、夏から秋のころにすみ潮と言ってました。それが一過性で通りすぎると、かなり多くの貝が死んだり、そういうことがあったんですが、なかなかお話を聞いても、それを直接つかまえるのが難しいものですから、なかなか。

○発表者(松本基督) すみ潮については、昭和42年に大干ばつが起こっていて、そのときに貝がたくさん死んでいます。

○大和田委員 それは八代海ですか。

○発表者(松本基督) ええ、八代海でもそうですし、羊角湾なんかでも。そのときはとにかくエネルギー収支の問題で、沖の方から貝が死んでいったんですね。湾の奥の方は比較的残ったんです。餌は来ませんでしたから。

○大和田委員 そうすると、そのすみ潮と、ここで言う白潮とはまた別の現象。

○発表者(松本基督) 違うと思います。それで、一度だけ水産研究センターに来て、DOとか、SSを測っていただきましたけども、DOは特に低くありませんでした。SSだけはやはりかなり高かったということで。だから、無酸素とか、貧酸素状態ではなかったんじゃないかというふうに考えられます。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。
 それでは、続いて、次に移らせていただきます。次は、熊本県在住の山下さんにお願いいたします。

○発表者(山下充) 今、ご紹介にあずかりました熊本県在住の山下と申します。
 私、現在、こちらの職種に書いてあるとおり、法定検査員と書いてありますが、熊本県浄化槽協会という、浄化槽の法定検査の業務を今、現場で行っております。法定検査とは、浄化槽設置者、浄化槽すべてに義務づけられておる検査で、1年に一度、今現在BOD検査を含めた検査を熊本県では行っておりますが、水質を中心に浄化槽の機能が適正か否か、こちらの部分を判断し、悪い場合であれば、指導を行い、よければ適正ということで、何もないということで報告する形の検査を行っております。人間に例えるなら健康診断という形であります。
 熊本県では、今現在、天草の一部を除いて、ほぼすべての排水が有明海、八代海に流入しています。一軒一軒の生活排水、また生活雑排水、すべてにおいて、有明海、八代海と密接な関係があると思っております。
 下水道集落排水、合併処理浄化槽など、生活雑排水を処理する施設に接続できてない家庭の生活雑排水は、未処理のまま放流されています。これには単独浄化槽、今現在見なし浄化槽という部分が含まれております。またくみ取り、そういった部分も含まれております。
 生活雑排水が未処理のまま放流されれば、河川、また海に影響を与えるのは明らかであります。
 浄化槽法定検査員の立場から、有明海、八代海への環境問題を考えたとき、汚水衛生処理率、つまり生活雑排水をきちんと処理できているかどうか、こちらの部分を判断しないといけないと思います。
 この部分で、資料にあります下の表の部分になりますが、こちらが『全浄連ニュース』の中に挟まっておりました総務省発表の平成13年度末現在の汚水衛生処理率に基づき、現在汚濁負荷がどのくらいあるかというのを計算してみました。
 それぞれ平成13年度、12年度、11年度ございますが、総人口、汚水衛生処理率、こちらの部分が公共下水道、また集落排水等、合併処理浄化槽、すべて生活雑排水が処理できているという形の汚水衛生処理率です。それの汚水衛生処理人口。またそれの逆に非汚水衛生処理率、また同じように衛生処理人口。
 こちらの下の部分に、非汚水衛生処理水量、こちらは一人 150リットルとありますが、し尿部分は除いてありますので、成人の部分で、実際使う目安として 200リットルが1日と計算を考えております。その中で生活雑排水の部分が150リットルということで、こちらの部分、記させていただいております。
右の非汚水衛生処理水量の部分は単位が抜けておりますが、これは立方メートルです。
それで、下の部分はBOD汚濁負荷、T-N(全窒素)汚濁負荷、T-P(全燐)汚濁負荷、また下に、BOD、T-N(全窒素)、T-P(全リン)のキログラム(kg/日)が書いてありますが、こちらはご参照ください。
 その下に汚水衛生処理前年人口比、こちらの部分を出してみたんですが、熊本県、平成12年度が11年度に比べて 104.8%。平成13年度 103.9%。こちらの部分、確かに増えていっている、こういう状況ではありますが、今現在、こういった汚染が広がっている時期に対して、若干遅いのではないかと、一般の方は思われるかもしれません。この部分で、熊本県の汚水衛生処理率の部分と全国平均を比べると、全国平均は67%という数字で、全国平均より下回っております。
 浄化槽、広域整備としての下水道・集落排水・コミュニティプラント・集合処理等だけの整備を急いで行っても、やはり時間が多大にかかります。また費用も多大にかかっていきますが、浄化槽の場合であれば、逆に時間であれば、1週間程度の工事で1軒、1軒済みます。また費用に対しても、皆さんご存知のとおり、下水道より格段に安いということは、皆さん、論じられている部分であると思います。
 合併処理浄化槽、現在設置に関して、処理能力と言えば、90%以上のBOD除去率がありますが、新しいものであれば95%以上。放流水質にすれば、20mg/リットル、また10mg/リットルのBOD処理率があります。また 5mg/リットル以下というものもありますが、こちらは置いておきます。
 窒素除去型の浄化槽というのがありまして、これでT-N(全窒素)の除去率80%以上。こちらのものもあります。燐除去型に関しましても既に製品化され、市販化されています。ただし、私が現場で回っておりますが、窒素除去型までは見たことはありますが、燐除去型はまだ現場で見ることほど、多くは設置されていないようです。これは管理に、浄化槽の維持管理が必要になるので、燐除去型というのは、維持管理費用が普通の浄化槽に比べると、ちょっと高い。割高に思われる部分、また現場で設置工事業者がちょっと知らない部分、そこら辺があると思います。
 浄化槽の適正な維持管理、ここの部分で、維持管理、清掃、法定検査、この3つが設置者に義務づけられている部分でありますが、費用負担の部分、こちらの部分が設置者負担ということで、維持管理をなされない方、また清掃なされない方、また法定検査をなされない方、ここの部分が浄化槽を設置していても、汚水衛生の処理ができていないと、こういった垂れ流しの、ちょっと言葉は汚いですが、垂れ流しの家もあります。
 今現在、行政管理として、個別排水処理施設事業や特定地域生活排水処理施設事業、今現在、浄化槽市町村整備推進事業という形になっていると思うんですが、こちらの部分で設置されているお宅に対しては、行政管理という形で浄化槽の負担金を行政に支払って、管理を行っていただくということになっております。
 設置者の各家庭からすれば、浄化槽を私の家もつけているのに、隣の家は町で管理していただいている、払う費用が全然違う、こういった現実的な話で、ますます維持管理がおろそかになったり、法定検査がおろそかになったり、また清掃をしなくなったり、そういった部分で汚水の処理がきちんとなされない部分が増えていっていると思います。
 現在、下水道・集落排水・コミュニティプラント・集合処理等、こちらの部分の工事費用、また、先ほど申しました浄化槽の工事費用と比べれば全然違うんですが、浄化槽に関しては、設置して維持管理を行えば、下水道と同じだけの処理が得られる、こういった宣伝が多くあります。その部分で維持管理という言葉が設置者の方には足りていないようで、実際されていない部分が多々ありますので、そこの部分の改善のための行政管理、こちらの部分に移行していくべきではないかと思います。
 実際、個人管理であると、個人負担、そこの部分で嫌がられる方、また、実際届け出もなし、無届けで設置をされる方がおられますので、そこの部分の把握ができない部分、こういった法の網の目を抜けていく方を防ぐために、行政管理で浄化槽を設置、またその維持管理等をしていくべきではないかと思っております。
 すみません、手短ですが、終わります。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。それではご質問をどうぞ。岡田先生。

○岡田委員 浄化槽の維持管理は、おっしゃるように大変重要だと思います。それを行政で簡単にできるかどうか、私はちょっとわかりませんが、そもそも今、例えば法定検査ですね、11条のようなもの、例えば山下さんのいらっしゃる熊本県とか、この近辺ではどのくらい皆さん、やっておられるんですか。

○発表者(山下充) 数字で、パーセンテージで申しますと、今現在、基数として増えていますので、だんだん増えてはいますが、まだ50%、40%に至っておりません。

○岡田委員 11条、50%もいくんですか。

○発表者(山下充) 50%に至っておりません。

○岡田委員 わかりました。随分高いように思うんですが、普通ですと、12~20%くらいの。

○発表者(山下充)そうですね、全国平均はね。

○岡田委員 全国平均はね。だから、頑張っておられるわけですよね。ああ、そうですか。

○発表者(山下充) ただ、他の県で、やはり90%以上行っている県も何県かありますので。

○岡田委員 特殊な場合。

○発表者(山下充) そうですね。

○岡田委員 7条はどうですか。7条検査。

○発表者(山下充) 7条は、設置者が工事の時点で前納制をとっておりますので、設置者もお金がかからないのであればということで、素直に受けていただける。

○岡田委員  100%近い。

○発表者(山下充)  100%近く行っているということです。

○岡田委員 そうですか。ついでに教えていただきますが、山下さん、例えば11条検査に行かれて、不合格とかいろいろありますね、判定が。どのくらいの割合で、検査を受けた人の中のどのくらいが問題ありというふうに。BODとかいろんなことで、消毒薬がないとかいろいろあるでしょう。どんな感じですか。

○発表者(山下充) そうですね、正確な数字はちょっと覚えていないんで。

○岡田委員 大体で結構ですよ。

○発表者(山下充) まあ、7割、8割程度は適正で出ていると思います。やはり消毒剤不足、ブロアー、送風機停止の、または浄化槽自体、本体の漏水、破損ですね、こちらの部分等で不適正が5%以下だとは思いますけれども、ちょっとはっきり数字がわからないのでですね。大体適正の方が多いですね。

○岡田委員 ええ、もちろん。ありがとうございました。

○須藤委員長 高度処理の浄化槽はどのぐらい入っています、あなたの管轄の中では。窒素、燐のどちらかでもいいんですけども。

○発表者(山下充) そうですね、既設の部分5%程度あるか、ないかぐらいだと思います。

○須藤委員長 そうですか。よろしゅうございますか。それでは、どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして、熊本県在住の北垣さん、お願いいたします。

○発表者(北垣潮) こんにちは。熊本県の天草から来ました。私は、10代、20代のころ、高倉健さんにあこがれてからですね、男は余りしゃべらない方がかっこいいと思って、私は一日一言か二言ぐらいしかしゃべったことがありませんでした。しかし、こういう場に来て、不知火海を愛する気持ちで務めさせてもらいたいと思います。おまえはしゃべりきらんけん、写真とかを持っていったら、大分ごまかされるんじゃないかなと、そういうことを言われて、いろいろ写真なんかを持ってきました。
 私が環境省に出した資料がございますけれども、これを少し読ませていただきます。
 八代海の環境、水産資源が長年にわたりどのように変化してきたか。
 日本が高度成長のころ、八代海沿岸は、埋立てや護岸工事が進み、魚の産卵場である浅海域が打撃を受けました。時同じく、八代海沿岸の砂地にびっしり生息していた海草であるアマモが姿を消し、海岸は砂漠化してしまいました。海辺に海岸林をつくっていた松の木も、外国から入ってきたマツクイムシにより、跡形もなくなりました。岩だけの小さな島にも大きな松の木が育っていたんですね。島より大きな松の木もありました。
 さらに八代海沿岸地区が最北端の自生地と言われている亜熱帯植物のアコウの木は、バスなどが通る道になったものですから、アコウの木は枝が下がっているものですから、邪魔になって切り倒されてしまいました。子供のとき私たちは、その先端からターザンみたいに海に飛び込んだりして遊んでおりました。
 また、港が大きくなり、防波堤などが新しくできて、潮の流れが大きく変わってきました。川の上流にはダムができ、そこにたまった沈殿物がダムの放水と一緒に流され、八代海に広がり、やがて固まり、砂浜に流れつき、ネバネバした、貝類の生育しない土壌となりました。これは最初は海が濁っているわけですけど、澄んできたら、海が澄んで、きれいになったと思ったら、これが固まってくるわけですね。それが一列に同じ形をして海の中にあるわけです。こう結晶物が同じような感じで固まっております。
 それから、農業の発達などにより、枯れ葉剤など雑草を根絶やす薬、殺虫剤や殺菌剤なども流れ込んでいると思います。生活排水なども、昔と違って多種多様な合成洗剤などが多く流される現状があります。油分を使ったりする食生活の違いから来ていることもあると思います。
 人口が多く、干潟が減少した八代市の港湾は、いつも赤潮状態にあります。付近は球磨川河口にあり、多くの魚の産卵場で、八代海の子宮と言われております。ここの調査は、私は天草から八代まで定期航路の客船が通っておりますので、定期航路の客船の方にお願いして、毎日の調査ができるんじゃないかと思います。
 八代海の多くの漁民は、球磨川にあるダムの放水の後に赤潮が発生すると言っておりますが、八代海の赤潮発生のメカニズムについては、いまだ解明されておりません。これは国土交通省に設置された八代海調査委員会の学者の先生たちは、養殖業が一番の赤潮の発生する原因だと、養殖業が一番悪いと言っておりますが、私たち漁民は、そんなばかなことないと、発生源を見ておりますので、思っております。
 水産資源の減少は、環境面もありますが、我々漁民が一番の加害者だと思います。それは漁具の進歩、漁船の高速・大型化というのが挙げられます。漁業者以外にも、レジャー船の増加や釣り人口の増大も水産資源の減少に拍車をかけていると思います。
 私、昭和30年代ごろまでは、魚を探すにも、小高い山の上から探して、見つけて、「オーイ、はよけー」と港の波止場から網にこらす人を呼んで集めて、山の上から網の張りぐあいを「こでー」とか「しもでー」とか言ってから、合図して魚をとっていたわけですが、そのころはほとんどが櫓こぎの船で、私も水産高校に行きましたけど、櫓をこぐのは生まれたときから得意だったものですから、先生にかわって私が教えていたようなこともありました。今は魚群探知機とかソナーとか、レーダーみたいにずっと周りが見えます。それで探しております。連絡も無線機で探しております。昔としたら、大分進歩、いろんな面で進歩しております。
 釣り人口の増大も、水産資源の減少に拍車をかけていると思います。釣りの方は、プロの方より、道具も船なんかも立派なものを持っておられます。
 ちょっと今からOHPを使って、少し説明させていただきます。
 これは昭和30年代ほどまで私の町にいた「打た瀬網」でございます。今、打た瀬網では芦北の方が有名ですけど、竜ケ岳町樋ノ島が発祥の地だと言われております。
 八代平野が干拓で、八代の球磨川河口が干拓が進んでいき、この打た瀬網の漁師さんたちもエビとかカレイとか、それまでいっぱいとれた、船いっぱいとれたとか話を聞きますけど、あそこの平野の干拓で魚とかエビがとれなくなったため、運搬船にかわっていったと言っております。芦北の打た瀬網より数倍大きい船だったものですから、それから日本が高度成長期になり、運搬船の需要が増えたわけですね。同じ打た瀬網がこういうふうに運搬船にかわっていきました。内港海運の船の数では、昭和60年ごろまでは日本一の数があったと聞いております。どこへでも風を使って荷物を運搬した、打た瀬網の技術で風を操作して荷物を運んだそうでございます。
 これは球磨川河口の大築島ですね。ここが赤潮が出ているところで、赤潮の境目ですね。ここにごみがいっぱい浮いているわけですけど、漁民の多くは、やっぱりダムの放水の後に赤潮が発生すると言っております。
 これは八代海といいますか、球磨川のダムの放水の後に、うちの海岸に流れついたごみとか、そういうものであります。
 私のうちは、球磨川ですね、大築島、さっきの赤潮のあった大築島、竜ケ岳町の樋ノ島と、ここです。この一番受けとめるところですね。ダムの放水のときは、先端が海を耕すようにピチャピチャピチャピチャを音をしてから流れてきます。比重が海の水より軽いから、上に浮くそうであります。これは水の中に油を浮かべたのと同じような感じで、潮が下の方に行っているときも、風が上に行けば、この上の水はこちら側に流れていく感じですね。

○須藤委員長 北垣さん、そろそろおまとめくださいね。

○発表者(北垣潮) 熊本県は、海岸環境整備事業ということで、私の町の樋ノ島というところの砂浜を埋め立て、海水浴場をつくると言います。私は、これは一番無駄な工事だと思います。きれいな砂浜をわざわざ埋め立てて、先に砂を入れて、海水浴場をつくるんだそうでございます。こういう無駄な工事はやめてもらいたいと思います。終わります。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。それでは、ただいまの北垣さんのご発表に対しまして、どうぞご質問、清野先生、いいですか、どうぞ。

○清野委員 時間がなくて、伺うことができなかった件は、また教えていただきたいんですが、今日持ってきたような写真資料は、地元の方は結構持っていらっしゃるんでしょうか。写真があると、かなり具体的に植物の生え方とか海岸の状況とか水の色とかがわかるので、重要な資料だと思うんですが。

○発表者(北垣潮) 地元の人は余りしょっちゅうあるものですから、写真は撮りません。私はちょうど、ここに出席するということで、たまたま撮ってきました。

○清野委員 古い写真なんかがあると、昔どうだったというところが、1枚の写真から、いろんな分野の人が見ると、情報が出てくるので、いつぐらいに再生といったときに、そのご当地の古い写真があると、イメージが共有できますので、ぜひ今から撮るだけじゃななくて、発掘の方もよろしくお願いします。

○発表者(北垣潮) いっぱいありますけど。

○須藤委員長 どうぞお見つけになって、またどうぞ資料としてご提供していただければ大変ありがたいと思います。よろしゅうございましょうか。山室先生、もう一つだけ、どうぞ。

○山室委員 アマモがなくなったということは、ほかの方も言われていたんですけれども、よくアマモの消滅の原因として、埋め立てもあるんですが、富栄養化して、光が海底に届かなくなって、それが枯れるという話もあるんですけれども、先ほど下水の話もありましたが、八代海は全体として濁りが、この50年で増えてきたと思われますか。それとも別の原因でアマモがなくなったというふうに思われますか。

○発表者(北垣潮) ないんですけど、最近ちょっとアマモが出てきたところがあるんですね。これくらい、うちの下の海岸に。そうしたら、そこにいっぱい魚が寄ってくるんですね。何でアマモがなくなったかなといろいろ考えるんですが、私もわかりません。ほとんど砂浜にはびっしりとどこもあったんですよ。浅いところですね。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。それでは、次に移らせていただきます。 熊本県在住の藤原さんにお願いいたします。

○発表者(藤原成治) こんにちは。熊本県の八代から来ました藤原といいます。私は、漁業者の息子でありまして、余りしゃべらないので、最初からOHPの方で行きたいと思いますけど、その前に、訂正をしたいと思います。私の資料の29ページなんですけど、「球磨川河口の藻場の減少に比例し」となっている真ん中あたりに(ひらめ、まだい、くるまえび等)とありますけれども、クルマエビのところは消しておいてもらいたいと思います。クルマエビも激減しております。ということで、私が生まれた球磨川河口のところが、しゃべる内容のほとんどだと思いますので、余り参考にならないかもしれんですけど、よろしくお願いしたいと思います。
 球磨川の河口といいますと、八代の漁協の範囲というのは、ここからこういうところに漁業権がありまして、その中でいろいろ干潟を見てきているんですけど、昔ありましたように、アマモの後で写真でありますけど、そのころの、30年の半ばから40年の初めごろにあった球磨川の河口というのは、魚介類の宝庫であったということで、球磨川の河口域の中にはテナガエビ、5月の球磨川の河口の石の下には必ずウナギの稚魚がおりました。マハゼ、トラフグの稚魚もたくさん河口域におりました。全国的にもそうだったと思います。
 また、球磨川の河口の海域には、アサリ、ハマグリ、オオノガイ、ニナ類、これらがとり尽くすことができないほどおったんですけど、今は全然、特にオオノガイ、ニナ。ニナというのは、私たちのおやつがわりにしていたやつで、ゆがいて食べていたんですけど。オオノガイは、先ほどつるさんも言われたように、食卓に毎日乗って、もううんざりしよったぐらいの貝です。でも、今は全然おりません。
 干潟の縁辺部の方には、アマモが日奈久の沖からつながっていたということを記憶しております。大体干潟はこういう感じであったんですけど、この湾奥の方はアマモは少なかったと聞いております。ただし、湾奥の方で「黒洲」と地元の方が呼んでいるところを聞いたところ、黒洲というのは、アマモで黒く海が見えていたということを聞いたものですから、ここにも多分アマモがあったのじゃないかと思います。ただ、それ以降の奥は非常に潟質になりまして、アマモはないようです。
 八代の方での漁業の種類というのはたくさんあります。魚種が多いものですから。ここにざっと考えてから、ちょっとどういうのがとれているかと見てみますと、魚類で約40種類、甲殻類で10種類ぐらい、軟体動物でやっぱりそれぐらいということで、大変多くて、漁法も種々たくさんあります。
 今、黄色でちょっと入れたところは、先ほど言いましたクルマエビ、アサリ、アマモとありますけど、クルマエビの方は、これは放流をやっているにもかかわらず激減しております。アサリはある程度の漁獲調整もやっていたんですけど、球磨川河口では、今とれていません。ほとんどとれていません。何回もありますように、アマモの方も激減、ほんの少しあります。
 このように、八代沖のクルマエビの漁獲は58年に93トンありました。「年度」と書いてありますけど、「年」ということでお願いします。水色の、これは余り色がわかりませんけど、水色がクルマエビの漁獲量で、トン数をあらわします。ここが58年の93トンです。どんどん減ってきまして、平成14年度、ここで8トンになっております。昭和55年から八代漁協では、独自に種苗放流施設をつくって放流しているんですけど、放流失敗とかもありますけど、放流の量はそう変わっていない、横ばいに近いんじゃないかと思うんですけど、漁獲量はどんどん減ってきているということが現状であります。
 なぜこうなってしまったのかということで、1つの調査をしようかということで、14~15センチメートルぐらいのクルマエビに標識をつけまして、八代の地先から放流してみました。これが簡単な放流結果なんですけど、先ほどのここが放流地点です。とれたところ、採捕されたのをずっと赤点で示したんですけど、ずっと下まで行くと、放流から34日しかたっていないのに、30キロメートル離れたところで漁獲されています。
 というのは、クルマエビというのは、八代海全体を使いながら生活を送っているんじゃないだろうかということで類推されるところなんですけど、八代のここいらでは、このあたりの我々の漁場では、クルマエビの親エビといいますか、産卵する親エビはほとんどとれません。とれるのは、芦北から下ぐらいの深い海ですね。こういうところの刺し網、こういうところのクルマエビが、それからもっと下の出水市漁協でたくさんとれるんですけど、そういうクルマエビが孵化した幼生がずっと上まで上がってきているということじゃないだろうかと思います。
 同様に、アサリの漁獲量の変化なんですけど、球磨川の河口沖で漁獲されたアサリ、平成2年からやったんですけど、平成13年から、ここは八代沖ということで、ここは球磨川河口じゃないんですけど、13年からゼロになっております。もう全くとれなくなっております。
 これは金剛沖で発生したアマモ、金剛沖に少し残っているんですけど、アマモの根元に産みつけられているコウイカの卵です。大体場所的には、ここいらにあります。ほんのチョンとあるだけです。こういうところを見ると、アマモの重要性というのは、これだけ見ても非常に水産資源にとっては産卵場でもあるし、稚魚の育成場でもあるということを裏づけているんじゃないかと思います。
 また、今度は干潟を見ますと、先ほどの地図なんですけど、ここは本流の今、出口になっています。ただし、これを見ますと、大体干潟の縁辺部というのは、なだらかなようなところがあるんですけど、ここは非常にガタガタになっています。昔の漁師さんに聞いてみると、昔はこういうふうに干潟があったということだったんですけど、実際測ってみたら、約60ヘクタールの干潟が減っているということで、国土交通省さんの方から調査の報告がありました。平均潮位は8センチメートル高くなっているということです。
赤潮のところで、先ほどありましたが、こういうふうに出ています。要するにここはスケレトネマが多いということなんですけど、そういう事例が非常にあるんですけど、その中に5月7日の報告なんですけど、ここにはヘテロシグマ赤潮という有害赤潮も発生しているということで、これは湾奥です。養殖場と余り関係ないようなところにも発生事例があるということで、こういうこともあるということです。
 どのような海域に再生すべきか、これは現在の海が、何が必要で、何が必要でないかの究明を早く急いでもらいたいということで、私は先ほどアマモが生い茂っていたような、こういう海域に戻すのが再生の目標じゃないだろかと思います。
 私たちは、アマモがなくなって、20年ぐらい前にアマモを移植したんですけど、根本的に間違っていたと思ったのは、アマモがなくなっていくような海域にアマモを幾ら増やしても、アマモは増えないということですね。アマモが自然に繁茂してくるような海域を見つけ出したり、つくっていかなければならないんじゃないだろうかと思います。
 そのためには、藻場の形成の機構解明を、大変難しいと思いますけど、藻場の形成、赤潮の発生、干潟の生成、形成、そういうのをもっと局所的に、ここの干潟はこうで、こうなっているというのを、はっきり究明していただいて、研究機関の組織づくりも、調査機関も組織づくりをやって、その組織には漁業者が必ず協力して、船のチャーターはただでするとか、それくらいぐらいの勢いで協力していかなければいけないんじゃないだろうかと思います。自分たちの海を調査してもらっているということですので、それは当たり前のことだと思います。
 以上、最後になりましたですけど、有明海も八代海も、限られた、非常に閉鎖的な海域です。ここはいい影響も悪い影響もすぐにあらわれてくるような海域じゃないだろうかと思います。努力すれば必ず報われるようにと思いながら、頑張っていってもらいたいと思います。以上です。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。それでは、ただいまのご発表に対しまして、何かご発言。どうぞ、清野先生。

○清野委員 さっき干潟の縁辺部が重要だとおっしゃって、まさに干潟の縁辺部を砂利採取とかで削ってしまうと、クルマエビがいなくなるというのは、東京湾とか瀬戸内海でずっと漁業者の方が訴えてきたことなんです。このことは、八代海の方というのは、そこを壊されたら、もうクルマエビは致命的だというのはご存知だったんでしょうか。

○発表者(藤原成治) もちろん漁業者は知っていて、その場所は絶対砂の採取は行わせていません。

○清野委員 そういうことを、ここにいる研究者が、ほかの海域で知っていたことをもっと早く投入しないと、何かどんどん手おくれになっちゃうような気がして、非常に危機的に思いました。コメントです。

○須藤委員長 ありがとうございました。じゃあ、菊池先生、どうぞお願いいたします。

○菊池委員 私も昔、天草の外側の方でアマモの研究をやったことがあるんですけれども、私のいたところでも、昭和45年から50年ぐらいの間で、スッとアマモがなくなってしまったんですね。そして、目立って透明度が落ちたようにも思わないのに、一度減ったんです。けれども、数年あるいは十数年に一度ちょっと出てくるんです。だけど、それがなかなか持続しないんで、それについては、今のところよくわかりませんけれども、ただ、この八代港、あるいは八代干拓の周りということになりますと、1つは、昭和40年以後の八代の港の開発の問題がありますし、それからあと、ちょっと言いにくいんですけれども、八代の干拓平野でイグサをたくさん栽培していらっしゃる。お米の方は食べるということもあって、農薬の方もかなり気を使っていらっしゃるんですけれども、イグサについてはかなり農薬も使われているように聞いていますし、特に除草剤みたいなものを使うと、これは海に入った場合に、アマモの仲間はひとたまりもないんじゃないかという気がしております。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。何かお答えございますか。

○発表者(藤原成治) 畳表のイグサの生産量は、今、一番盛んだったころの4分の1ぐらいに減っているんです。それが5年、6年続いているんですけど、なかなかアマモは増えない。ただし、コアマモは少しずつ増えてきています。そういうことで入れかわって、底質の違いでそうなっているのかよくわからんとですけど、実際はアマモ自体がほとんどなくなったんですけど、昔からのところに 100株とか 200株はまだずっと残っているわけですね。だから、そういうのがなぜそこに残っているのかというのを、もうちょっと調べていただきたいと思います。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。まだおありかもしれませんが、次に移らせていただきます。11番目のご発表、福岡県在住の田中さん、お願いいたします。

○発表者(田中和利) こんにちは。福岡県の大和町からやって来ました田中です。見てのとおり色の黒いノリ業者です。こういう場所は余り慣れていないものですから、ちょっと私の書いた資料を補足させていただきます。
 私は、家業であったノリ養殖に従事して23年になります。私の漁場は、矢部川の河口から沖へ広がります。これは、有明海の湾奥の東部です。私のおやじが73歳になりますが、おやじの若いときのことですが、昔は潮流がとても速く、満ち潮には潮先が白く見えていたそうです。この潮先の「先」が書いてなかったそうで、訂正をお願いします。この潮先とは、干潟を潮が駆け上がってくる様子です。波立ってきていたということです。
 大潮の干潮にもなると、沖へ何キロもの干潟があったそうですが、炭鉱による海底陥没や、干拓のため、随分少なくなりました。私の近くでは、三池炭鉱がありました。そして昔は大潮には、津といって干潟がたくさん至るところに出ていたそうです。
 川には当時、建材に使われた砂や栗石をとる仕事をする人たちがいたそうです。これもダムや堰がつくられた今では、砂をとるところなどがありません。上流には、今、日向神ダムというものがあります。
 大和町でノリ養殖が始められた昭和28年当時、「黒い札束」と呼ばれ、好景気に沸いたそうです。その後、幾たびの不作もあったようですが、タイラギやアサリなどがたくさんとれていたので、生活に困ることはなかったと聞いています。このころの不作といえば、ノリの病気で赤腐れや白腐れがありました。それがそのころはまだ対策もよくとられていなかったもので、もうどうすることもできなかったそうです。
 50年後半、活性処理が行われるようになり、作柄も安定するようになりました。今現在は、活性処理はリサイクルなどをして、全部陸揚げするようになっております。この作柄が安定するようになった、ノリの1区画を1コマと言いますが、このころは平均して80万円前後の水揚げがありました。
 しかし、平成9年、諫干の潮受け堤防が締め切られ、海が一変したように思います。今まで潮が上がらなかった荷揚げ場に潮が上がるようになりました。潮位が上がったのを初めに感じました。潮流も遅くなったようです。また、1年を通し赤潮やプランクトンの発生回数が多くなり、10年、11年と沖の漁場でノリの色落ちが見られるようになりました。
 口々に諫干のことが言われるようになり、「赤潮」や「プランクトン」という言葉をよく耳にするようになったのは、このころからです。この10年、11年は、沖の漁場は色落ちをしましたが、岸寄りの川からの栄養があるところでは黒いノリがとれていたので、さほどの被害にはなりませんでした。そして12年の大凶作です。12月の冷凍網出庫後、今までに聞いたことのない「リゾソレニア」という珪藻プランクトンが大量発生し、沖から河口の漁場へノリの色落ちが広がり、年内にほとんどの漁場が色落ち状態になりました。この年の水揚げは、1コマあたり20万円ぐらいです。平年作の4分の1から3分の1ぐらいです。この「リゾソレニア」は、諫早の潮受け堤防付近に、自然では考えられないほど大量に発生していました。
 私は、不作の原因が諫干であることを確信しました。原因は、11月の大雨による調整池からの大量排水であることは言うまでもありません。翌13年も11月ぐらいに沖部で色落ちが見られ、不安な中で漁をしました。潮受け堤防が締め切られて、10年、11年、12年もですが、13年もずっとノリの生産期に色落ちが発生しております。11月に沖部で色落ちが見られ、不安な中で漁をしましたが、平年作となりました。
 後からわかったことですが、この漁期中、北部排水門から1回も排水がなかったということです。これは漁期中は、漁業者はだれもそういうことは知らないことで、農水省は関係がないと言われますが、こういうことを伏せてあるのではないでしょうか。
 現在でもノリの色落ちはほとんど対策がありません。ノリの作柄を一番左右するのは、赤潮やプランクトンの発生になっています。以前、品質もよく生産性も高い沖の漁場は、現在、色落ちが心配され、空きの漁場となっています。昔、潮受け堤防が締め切られるまでは、岸よりの漁場の 1.5倍ぐらいの水揚げがありました。そういうところが今では空きゴマになっています。5~6年前まで、抽選までしてとっていたことが信じられません。
 また、徐々に生き物もいなくなっています。以前、支柱竹の、今の時期ですが、立て込み中、コノシロの大群がよく見られ、晩のおかずによくとってきたものですが、最近ぱったり見なくなりました。潮汐、潮流、環境、すべてがとても変わったように思います。今年の5月の謎の浮遊物、それも新たな異変ではないでしょうか。
 どういう海に再生すべきか。環境悪化の要因である有明海を取り巻く公共事業を直ちに中止し、調査し、「宝の海」と言われた有明海に戻してほしいと思います。安心して漁業ができるようにしてもらいたいです。
 私たちノリ業者は、資材の資金とか多額の借金を抱えています。それを毎年計画的に返済しています。それが今のような状態では、とてもそういうことができなくなりました。 そして、また話にもよると、諫早湾地域資源等利活用検討協議会というものが発足したそうですが、そういうのもおかしいと思います。これは防災目的ではなかったんでしょうか。すみません、これで終わります。

○須藤委員長 どうも田中さん、ありがとうございました。それでは、ご質問をいただきたいと思います。どうぞ。よろしゅうございますか。清野先生、どうぞ。

○清野委員 何か私ばかりで申しわけないんですが、田中さんの情報がすごく重要だと思うのは、その時期には、要するに諫早の干拓のところがどういうものが出ているかはわからなかったんだけれども、実際に漁業者の人が記憶の中でいろんなことを覚えておられるわけですね。荷揚げ場に潮が上がるようになったとか、こういう今日の真ん中辺に、こういう情報は今までは、そういう例えば事件が起きたときに、何がどういう順番で起きたというのを整理するのと同じように、田中さんとか周辺の方の見たことは、何かそういう証言みたいな形で整理されたことがあったでしょうか。今回始めて出てきた情報なのかなと思うんですけれども。

○発表者(田中和利) 何かのアンケートとかでは書いてあると思います。

○須藤委員長 このアンケートの中にお書きになっているんですね。

○発表者(田中和利) はい、それもあると思います。

○須藤委員長 そうですね。今日配られている資料の中に多分あるんじゃないでしょうか。そうですね。田中さんが提出していただいたんですね。

○発表者(田中和利) はい、これは私もアンケートに協力しておりますが、私が漁民ネットという組織に所属している関係上、これは事務局が急遽つくったものです。

○須藤委員長 まだちゃんと拝見していないけど、多分ごらんになっていただけますでしょうか。ということでよろしいですね。

○発表者(田中和利) はい。

○須藤委員長 漁民の皆さんの声は、この中に一応入っていると、こういうことでよろしいですね。

○発表者(田中和利) はい。

○須藤委員長 ほかもう一つぐらい何かありますか。よろしいですか。
 それでは、どうもありがとうございました。それでは、田中さん、席にどうぞお戻りください。
 それでは、以上で11人のご発表者のすべての方からお話を伺うことができました。大変本日は貴重なお話をお聞かせいただきました。11名の方々に改めて感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

 それでは、最初にお話ししましたとおり、傍聴にも今日たくさんの方がお見えでございますので、時間の許す限りご意見をいただきたいと思います。あと30分ぐらい、ご意見をいただこうかなと、こう思っておりますので、どうぞお1人当たり、まあ、余りお1人の方にたくさんご意見をいただくのは公平でございませんので、1、2分というか、2分ぐらいでおまとめをいただければ、大変ありがたいと思っております。
 なお、ご発言される方は、どうぞお名前と、どこの県にお住まい、あるいは所属をお聞かせいただきたいと思います。それでは、どうぞ、会場の方から。2つ挙がりましたので、順番に、左から1番目、次に2番目とまいりましょう。はい、どうぞ、そちらから。

○傍聴者(橋本) 私は、長崎県有明町で漁船漁業を約45年間営んできました。今日、話を、皆さんの話を聞いていますけど、残念ながら、諫早湾や長崎県の漁船漁業をしている人の意見は一つも出なかったので、あえてここで私が有明地区を代表いたしまして申し述べさせていただきたいと思います。
 私たちは、有明海の潮流と豊かな環境に育まれて、今までこの工事が、諫早湾干拓工事が始まる前は、四季折々に何の不自由もなく漁業を営み、また生活も困らないような恩恵を受けておりました。
 一番今問題になっているタイラギですね、それに関して申しますと、諫早湾は工事が始まってから3年目から影響が出ました。それから2年して、5年目には我々湾口で影響があり、全く操業不能となり、その次の年に2年かけて湾口を海底調査しましたところ、ヘドロが50センチメートルから、深いところで2メートルも堆積していて、それをもとに県あたりにも、また諫干事務所にもかけ合いましたが、全く取り合ってもらえず、半ばあきらめておりましたけど、今のようにノリ不作問題で、ほかの4県までも影響が及び、これでようやく我々漁船漁業も救われるんじゃないかと思いましたけど、農水省あたりは、ただただ「わからない、わからない」と言うだけで無視された状態であります。
 幸い今日、環境省の主催で、環境問題に取り組むということで、私はここにみんなと来ましたけど、海の環境というのは、潮の流れと、特に諫早湾はあの再生産場所ですね、種苗の。それの大事な大事な場所なんです。その事業を我々は納得して同意したわけではないんです。それには条件がありました。漁業には影響はないということだったです。
 それで、組合長会議あたりでいろいろ審議をされ、今のような予想し得ない事態が発生した場合は、協議し、解決するという条項があるにもかかわらず、事業だけを進めよう、進めようとしているんです。今、諫早住民の生命よりも、我々漁業者がこのままにしておけば、近い将来だれも漁業を営む人はいなくなると思います。
 それで、どうすれば再生するかということを考えれば、潮の出入りを大きくし、また、自然の力を借りることです。人間の力をどのように結集しても、それは不経済で、到底できるものじゃないと思います。以上です。

○須藤委員長 どうもありがとうございます。すみません、ちょっとお名前、聞き漏らしたんですが、お聞かせください。長崎県の。

○傍聴者(橋本) 長崎県有明町湯江浜東、橋本武です。56歳。

○須藤委員長 橋本さんですね、どうもありがとうございました。
 それでは次、もう一つお手が挙がっていましたね。じゃあ、続いてどうぞ。じゃあ、先に手が挙がった方、どうぞ。

○傍聴者(羽生) 私は、東京から参りました羽生と申します。開会前にお配りいただきました「諫早湾干拓が海を変えた」というアンケート調査報告書を取りまとめた者です。有明海漁民・市民ネットワークという、ここにも随分我々の仲間が来ていますけれども、有明海の漁民の方々にご協力をいただいて、アンケート調査を実施しました。
 申しわけなかったのですが、図版は今回ちょっと間に合いませんで、明後日に完成する予定ですので、完成版ができ上がり次第、環境省の閉鎖性海域対策室の方に、委員の先生方の分をお送りしたいと思いますので、じっくりご検討いただきたいと思います。
 このアンケート調査をまとめていて、随分はっきりしてきたなと思ったのが、やはり有明海といっても、狭いようでいながら、結構広いんだということですね。つまり各地域地域の地域差といいましょうか、漁獲高にしても海の様子にしても、地域によってかなり異なるということがわかってきました。それと「変化した、変化した」と言っても、では、具体的にいつ変化したのかというその辺の情報も、今まで随分錯綜していたのではないか。それをちょっと俯瞰的にまとめてみますと、有明海の漁獲量というのは、ご存知のように79年がピークで、80年から一貫して下落傾向に入りましたけれども、その1つの要因として、よく言われる筑後大堰の問題ですとか、酸処理の問題ですとかいろいろございます。
 それと同時に、やはり外の海の影響、これは宇野木早苗先生が、長期的な外海の潮汐の変動、あれをグラフにしておりますけれども、あのグラフをよく見ますと、やっぱり80年代から潮汐の鈍化というのが始まっているわけですね。やっぱりそれは相当大きな影響があって、80年代から漁獲高の減少が始まったのではないか。
 問題は、90年以降の問題です。90年以降は、やっぱりその外の海の影響がそのまま続いているというだけではなくて、それを加速させる原因が明確にあらわれてきている。それは2つに分けられると思います。1つは、今、橋本さんが発言したように、諫早湾干拓の工事の周辺の問題です。工事に伴う濁りですとかヘドロの流出、それによる直接な影響が湾内のタイラギ、それと湾口部、大浦漁協ですとか、有明町あるいは島原、その辺まで徐々に徐々に影響しているというのが、大分今回のアンケートのデータの中でもあらわれてきているんではないか。
 そういったことで、まず90年代を通して、漁船漁業が加速を増して減少傾向に陥ってきた。最後に97年の潮どめで、これによってノリ養殖業にまで影響が及んだ。そのポイントというのは、やっぱり今日の発言者11人の方々の中にも、非常に重要な具体的な指摘がありました。私はそれは浮泥だと思っています。「ポコティ」と言いましたっけ、「ぼる」、そういう特殊な言葉を地元の漁民の方がおっしゃっていました。あるいは最後の発言者の方は、締め切り以降、まず沖合の漁場でノリが色落ちが始まった、とれなくなった、成長が悪くなって、今現在は河口付近でしかとれない。
 なぜそういうことになるのかというと、やはり潮流・潮汐が97年以降、もちろんこれは潮流・潮汐は80年代から続いているんですが、築堤工事の進展とともに、徐々に潮汐・潮流が弱まって、97年の潮どめで急激に弱まってしまった。そのために、浮泥が沈降化して、海中の栄養塩が不足する、そういう状況に陥ったがゆえに、まずノリの方にも成長が鈍化するという、そういった影響が出てきた。

○須藤委員長 すみません、そろそろですね。たくさん手が挙がっていますので、あとちょっとでまとめてください。

○傍聴者(羽生) そういうことで、それプラス今は赤潮ですとか、貧酸素の問題も、今日話題に出たとおりだと思います。そういう感じで、やはり諫早湾問題を抜きにしては、この有明海問題というのは語れないんではないか。少なくとも90年以降については。これをよく評価委員会としても真正面から取り上げて、調査・検討していただきたいと、ぜひお願いしたいと思います。以上です。

○須藤委員長 わかりました。それでは、もう一人、真ん中で手を挙げている方、いらっしゃいましたね。どうぞ。すみません、なるべく多くの方に発言いただきますので、2、3分でまとめてください。

○傍聴者(大鋸) 私は、有明海沿岸の諫早の湾口で生活しております。職業は、船をつくっております。漁船なんですけど。大鋸豊久と申します。53歳です。
 実は地元の漁業者、それから沿岸住民の気持ちを代弁するという気持ちで、ここに参りました。主にちょっと批判的なことが多いと思いますけれども、言いたいことをまとめてきましたので、読ませてもらいます。
 私は、漁業に関係した仕事をしております。また、私が生活しております地域は、周りはすべてタイラギ潜水漁業や一般の漁船漁業を営んでいる漁師さんたちばかりの地域でありまして、そのようなかつては漁村と言われていた地域で生活しております。
 また、家の前の海岸の海を潮受け堤防北部排水門からの赤っぽく濁った汚濁水が帯状に流れていくのを、いつも眺めているのであります。
 ここで今日、現地ヒアリングにおいでくださいました先生方に申し上げたいことは山ほどありますが、まず申し上げたいのは、諫早湾干拓事業というものがなければ、今、私がここにいてしゃべることもなければ、環境省の有明海・八代海総合調査評価委員会というものも存在しなかったと思いますし、先生方もここにいるということもなかったということであります。
 私は、漁業者でありませんが、漁師さんたちと一緒に生活し、毎日海を見て育ってきた者として断言いたします。有明海異変の主犯は、紛れもなく諫早湾干拓事業であります。潮受け堤防をギロチンで締め切られてからの諫早湾と有明海の変化は、この沿岸で生活している者にはだれにでもわかるほど、はっきりと悪い方に変化してまいりました。国や各県の調査機関が、漁業者のあるいは沿岸域住民の立場に立って調査をしていれば、そして良識と公平さと勇気があれば、もっと早くにその影響は公に公表されていたことと確信しています。
 それにも増してひどいのは、農業者や漁業者のためにこそ存在する我が国の農林水産省が、入植希望者がほとんどいないような干拓農地をつくるために、莫大な税金を浪費し、何万人、何十万人という人々がかかわって生活している、このかつて大変豊かであった海、諫早湾と有明海を死の海にして、子々孫々に引き継ぐべき人々の生活と夢と文化をぶち壊したということは、到底許されるものではありません。
 過去には岡山県児島湾や鳥取県・島根県の宍道湖の中海干拓という、自然を壊した。特に児島湾は、水質浄化に15年間に 4,480億円という巨額な資金を投入しても、今現在、水質悪化が進行しているという苦い経験があるにもかかわらず、この諫早干拓事業が行われたということです。
 このような利権絡みの最悪の事業がまかり通る形の中に、民主主義の姿を見いだすことはできませんし、そのような政治や行政のあり方、そしてまた研究者のありようで、日本がよくなるはずがないと確信するに至りました。
 今現在の諫早と有明の海は、気温と海水温が高くなるこの夏場に、昨年と同じように、最大級の貧酸素水塊と赤潮が発生し、また、その規模が大規模化し、そして長期化しております。見渡す限りの赤潮の海が広がっていて、それがいつまでも消えないのです。漁獲量が激減した海であります。
 今年春に有明海全域に稚貝が根づいていたタイラギが、この夏、今現在まだ続々と立ち枯れし、全滅寸前の状態となっています。アサリも諫早の北岸では連続して死滅しております。
 昨年、有明海全域の漁業者と多くの市民と研究者の先生とで「ありあけ大調査」を実施し、有明海と諫早湾全域77ポイントのDO濃度の調査をしました。
 また、西海区水産研究所等のDOの観測データなどで、貧酸素水塊の大規模化が確信をもって理解できるようになりました。夏場の小潮の潮の動きが非常に小さい時期に、なぎでよい天気が数日続けば、諫早湾と有明海全域で一気に貧酸素水塊が発生し、拡大しているようであります。
 また、これに赤潮が、昼間は光合成で酸素を海面際の上層部で発生させますが、日没後は沈下して、海底で大量の酸素を消費し、この赤潮プランクトンも貧酸素に拍車をかけているようであります。
 諫早湾や有明海湾奥等、西の海域ですさまじい貧酸素水塊の被害と、それに伴う底質のヘドロ化がひっそりと静かに、しかし、確実に進行しているようであります。また、調整池からの排水で、富栄養化した汚濁水が堤防外に排出され、赤潮化して、常時吹いている南風の季節風でいつまでも有明海に滞留し、長期化、大規模化して大きな影響を与えているようであります。
 それらの根本であります貧酸素と赤潮の原因は、潮受け堤防の締め切りでの潮流の鈍化と富栄養化した汚濁水の排水であります。

○須藤委員長 そろそろおまとめで、よろしいですか。では、どうもありがとうございました。
 続いて、いかがでございますか。どうぞ、一番左の方、どうぞ。

○傍聴者(福田) 私、熊本県から参りました荒尾漁協所属の福田と申します。私のところの堤防から、諫早干拓の水門は目の前に見えるんです。これが締め切られましてから1年足らずですか、平成10年になりまして、洲が移動しているんですね、砂山が。ものすごく大きな砂山が、東の方へ 300メートル近く移動しております。荒尾の干潟が 1,700平方メートルぐらいあるんですよ。それにみお筋というんですかね、これが3カ所なくなってしまいました。ただ、だだっ広い砂干潟なんです。
 ちょうど水門を締め切ったときに、こういうふうに調査したんですけど、このときは、まあまあいろんな動物とか貝とか、二枚貝、タイラギ、アサリがおったんですよ。
 けど、現在はこれを調査しようも、調査のしようがないんですよ。なぜかいうたら、何もいないんです。ゴカイ類でもアサリにしろ。さっきアサリの話がちょっとありましたけど、私たちの干潟は、平成5年には水揚げ高13億円です。今は1粒も、1円の水揚げもございません。
 だから、やっぱり諫早の水門を開けてもらって、潮汐をもとに返してほしいんですよ、私たちは。そうすれば何とかなるんじゃないかと思って。今年の3月からですか、アサリの稚貝の卵の調査をしておりますけど、現在、春仔は、 1,000ccの中に1単位しか、アサリの卵は含まれておりません。だから、今から秋仔のアサリの稚貝を楽しみにはしているんですけど、今からその辺の調査は続けていきたいと思っております。以上です。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。ほかにいかがでございますか。もうよろしいですか、ご質問は。よろしいですか。どうぞ、お名前からお願いいたします。

○傍聴者(中田) 長崎県から参りました中田と申します。よろしくお願いします。
 今、農林省の計画として導流堤をつくるという計画が進んでいるようなんですけれども、この排水門から出した調整池の水は何の影響もないという評価が出ていますけれども、それに対して、その水は小長井沖、瑞穂沖に流れないように、直接、湾口まで出るように、わざわざ導流堤をつくるというのは、百害あって一利なしと自分たちは考えています。なぜなら、排水門を開けたな、というのが、島原沖で漁業をやっていて、開けたときには、すぐ次の日には感じられるんですから。そういう身をもって感じる感覚というのは自分たちが一番、やっぱり40有余年仕事をやっている上で、その感覚は一番自分たちにとって大事なものだと考えております。
 自分たちには調査というデータとか、そういうものができない以上は、その感覚でしか見分けはできないんですね。それでその感覚を生かして漁業をやっているんですから、その漁業をやっていく上で、あっ、今日は水門を開けたな、昨日は開けたな、今度は大量に開けたな、また何かあるぞ、というときには、やっぱり何かあるんです。
 その導流堤という意味は、農林省の言い分としては、環境に配慮しての導流堤なんだそうです。環境に配慮するような導流堤をつくらなければいけないような環境を悪くしている水なんだということですよ。認めていなくても、やっぱり自分たちにはそういう意味にしかとれないんですよ、どうしても。だから、排水門が開いたときに、環境省自体で調査をしていただけるものかどうか、一度尋ねてみたいと思って、今日発言させていただきました。どうもありがとうございました。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。今日は行政とのやりとりでディスカッションをする場ではございませんので、今の意見については、環境省の方々もお聞きになっているので、今後の1つの課題にさせていただきます。
 ほか、いかがでしょうか。まだいらっしゃいましたよね。よろしいですか。
 そうしましたら、先ほど私が時間の進行上、お手が挙がっていて、先生方のご質問をとりやめていただいたのがございます。たしか小松先生、清野先生が、黒田さんにですか、ご質問がありましたよね。どうぞ、お二人続けて、それでは、同じ方への質問だったと思いますので、どうぞお願いいたします。
 あっ、おられないんですか。ああ、残念ですね。じゃあ、一応ご質問、どういうご見解かということだけ、すみません、お願いいたします。

○小松委員 ちょっとほかの方へ。

○須藤委員長 じゃあ、ほかの方でも結構です。

○小松委員 平方さん。先ほど「ぼる」のお話があったんですが、これちょっと隣にいる清野先生とも話したんですが、非常に重要だなという気がするんですね。我々、流体力学の分野で「ボイルーズ」というのがありまして、ある程度に流れが速くなると、下から大きな渦が上がってきて、それが底質を巻き上げて表面まで出てくるわけなんですね。この「ぼる」が出なくなったということは、やはり流速が遅くなったということと、それから成層化するとやはり出なくなります。層を突き破るほどの力がなくなるわけですね。その辺が理由になっているのかなとは思うんですが、ただ、ここで締め切り後は、全くその現象がなくなったいうのが、そんなに劇的に変化が出るかな、時にはやっぱり「ぼる」が今でも出てもおかしくないのになという気がするんですが、その辺いかがでしょうか。

○須藤委員長 その辺のご見解は、今の小松先生のご質問について、感覚でもちろん結構なんでございますが。

○平方宣清 そうですね、実はこの現況を知るのには、自分たちは大体大潮時にクルマエビをとるときに、こういう状況を知るものですから、ここ最近そういうエビがとれないものですから、出てないんですよね、大潮時にですね。そうですね、まあ、大きい潮でマイナス潮以上とかなったら、多分そういう現象が出るかなと思っているんですけど、調査では20%ぐらいのですね、17%か20%ぐらい潮流が遅くなったという発表があっていますけど、自分たちはもっと大きな50%ぐらい潮流が遅くなったんじゃないかという、そういう肌には感じているんです。データ以上の海の変化があっているんじゃないかということで、まあ、それぐらいの大潮時でも出ていないんじゃないかという感じがしたんですけど、マイナス潮以上ぐらいになったら、そういうあれが出るんじゃないでしょうか。

○須藤委員長 よろしいですか。ほかに。清野先生は、先ほどの黒田さんですから、よろしいですね、いらっしゃらないんで。
 それでは、大体よろしゅうございましょうか。まだたくさんおありかもしれませんけれども、限られた時間でございますので、一応この辺で締めていきたいと思います。
 本当に11人の方々、先ほどから繰り返しておりますが、ありがとうございました。
 また、傍聴の方からもたくさん貴重なご意見をいただきまして、大変ありがとうございました。
 我々のこの評価委員会、先ほど環境省に設置されているということでございますが、今までの意見、私どもも知らないこともたくさんございました。重く受けとめまして、今後の議論に十分反映させていきたいと思っております。
 何か全体的にございますでしょうか。もし、ございませんでしたら、先ほど吉田部長からご挨拶いただいたんですが、何か全体の感想やら、先ほど環境省、どう考えるかというようなこともございましたのですが、ひとつ何かお話を承れるでしょうか。

○吉田水環境部長 本日は、先生が先ほど整理していただきましたように、評価委員会としてのヒアリングでございますので、余り事務方が出しゃばってということは必要ないと思いますが。かえってご迷惑かと思います。
 ただ一言、これだけ大勢の方がお集まりいただきまして、ひとつひとつお話をお伺いしましたけれども、非常に有用な情報をいただいたと、この評価委員会のためにも有用だったと思いますし、私ども行政にとっても非常に有用なご発言、情報提供をいただきました。これをぜひ今後の評価委員会の運営に参考にさせていただきたいということを申し上げ、重ねてお礼を申し上げて、ことばといたしたいと思います。

○須藤委員長 では、どうも吉田部長、ありがとうございました。それでは、事務局の方から、どうぞ連絡事項等ございましたら、お願いいたします。

○坂川閉鎖性海域対策室長 それでは、今後の評価委員会の開催の日程などにつきましてご連絡をいたします。前回、第3回の評価委員会でご提案させていただきましたとおり、次回につきましては、評価委員会の委員の先生方を初めといたしまして、有明海・八代海関係の研究者の先生方から、それぞれの研究成果についてご披露いただくということを考えております。
 そこで、前回の委員会以降、委員の先生方にこのようなプレゼンテーションをいただくことにつきましてご意向を確認させていただきましたが、その結果、自薦のみならず他薦も含めていろいろなご意見がございました。そういうことから、1日で対応するのはちょっと無理だと思っておりまして、2日間、2回使ってそのようなことをやらせていただければというふうに思っております。
 そこで、以前、先生方に事務的にはご連絡差し上げましたが、次回は10月27日の午後、これを第5回の評価委員会、さらにその次、第6回の評価委員会を11月10日の午後ということにさせていただきたいと思います。
 繰り返しますと、10月27日と11月10日、いずれも午後を予定しておりまして、東京において開催をさせていただきたいと思っております。詳細な具体的な時間、場所等につきましては、追ってご連絡をさせていただきますので、どうかよろしくお願いをいたします。以上でございます。

○須藤委員長 どうもありがとうございました。第5回、第6回の日程ということで、今ご案内がございました。よろしゅうございましょうか。
 何か全体的にご質問なりございますでしょうか。よろしゅうございますか。
 それでは、ほかにご質問、ご意見がないようでございますので、これで本日予定されましたすべての議題を終了することができました。これにて第4回有明海・八代海総合調査評価委員会を閉会させていただきます。大変議事が混んではおりましたが、ご協力がいただきましたことを感謝申し上げまして、これにて終了とさせていただきます。どうもお疲れさまでございました。