中央環境審議会自然環境部会(第14回)議事録

開催日時

平成23年10月26日(水)13:30~16:30

開催場所

経済産業省 別館9階 944会議室

出席委員

(24委員)

大久保 尚武 臨時委員
河田 伸夫 臨時委員
隈 研吾 臨時委員
小泉 武栄 臨時委員
桜井 泰憲 臨時委員
佐藤 友美子 委員
敷田 麻実 臨時委員
柴田 明穂 臨時委員
下村 彰男 臨時委員
白幡 洋三郎 臨時委員
高村 典子 臨時委員
武内 和彦 部会長
田中 正 臨時委員
辻本 哲郎 臨時委員
土屋 誠 臨時委員
中村 太士 臨時委員
西岡 秀三 臨時委員
橋本 光男 臨時委員
浜本 奈鼓 臨時委員
速水 亨 臨時委員
マリ・クリスティーヌ 臨時委員
宮本 旬子 臨時委員
森本 幸裕 臨時委員
鷲谷 いづみ 委員
あん・まくどなるど 特別委員

議題

  1. 話題提供
    1. (1)三陸地域におけるエコツーリズムの取組
    2. (2)市民参加による干潟調査の取組
  2. 三陸地域の自然公園等を活用した復興の考え方(骨子)について
  3. その他

配付資料

資料1-1:
体験村・たのはた『番屋エコツーリズム』
資料1-2:
東日本大震災の干潟の状況
資料2-1:
三陸地域の自然公園等を活用した復興の考え方(骨子)(検討資料)
資料2-2:
自然公園指定における風景評価の変化・多様化
資料2-3:
国立公園における管理・運営の状況
資料2-4:
東北地方太平洋沿岸の利用状況
資料2-5:
森・里・川・海のつながりに関する取組事例
資料2-6:
モニタリングの取組状況
資料2-7:
協働型管理・運営の取組事例
参考資料1:
中央環境審議会自然環境部会(懇談会)(平成23年9月5日開催)の議事要旨

議事録

午後1時30分 開会

○司会 それでは、定刻となりましたので、ただいまより中央環境審議会自然環境部会を始めたいと思います。
 開催に先立ちまして、本日の出席委員数のご報告をいたします。本日は、所属委員34名のうち、24名の委員の先生方にご出席をいただいております。
 本日の審議のためにお手元にお配りしております資料につきまして、配付の資料一覧のとおりとなっております。資料のご確認をさせていただきます。
 まず、議事次第、委員名簿、配席表で、めくっていただきまして、資料1-1から資料2-7、参考資料1までが配付資料になっております。資料1-1「体験村・たのはた『番屋エコツーリズム』」、資料1-2「東日本大震災後の干潟の状況」、資料2-1「三陸地域の自然公園等を活用した復興の考え方(骨子)(検討資料)」、資料2-2-1「自然公園指定における風景評価の変化・多様化」、資料2-2-2「自然公園選定要領」、資料2-2-3「国立公園調査標準」、資料2-3「国立公園における管理・運営の状況」、資料2-4「東北地方太平洋沿岸の利用状況」、資料2-5「森・里・川・海のつながりに関する取組事例」、資料2-6「モニタリングの取組状況」、資料2-7「協働型管理・運営の取組事例」です。参考資料1は、中央環境審議会自然環境部会(懇談会)(平成23年9月5日開催)の議事要旨です。
 また、話題提供いただきます田野畑村の渡辺主査から3種類、パンフレットをいただいております。申し訳ありませんが、部数の都合上、メインテーブルのみの配付となっておりますので、よろしくお願いいたします。
 配付漏れ等ございましたら、事務局にお申し出ください。
 申し訳ありませんが、資料の訂正を1点お願いします。自然環境部会の座席表ですが、佐藤委員のお名前が久美子さんになっておりますが、正しくは友美子さんでございます。訂正してお詫びさせていただきます。申し訳ございません。
 それでは、初めに自然環境局長の渡邉より、ごあいさつ申し上げます。

○自然環境局長 自然環境局長の渡邉でございます。本日は、大変お忙しい中、自然環境部会にご出席いただきまして、本当にありがとうございます。
 この週末に、三陸海岸最北部の八戸の種差海岸から宮城県気仙沼の気仙沼大島までの三陸沿岸各地の現場を回ってきました。また、地域で活動されている方々の様々な声もお聞きしてまいりました。4月初めに訪れたときと比べて、田野畑村ではサッパ船のエコツアーが再開されたり、宮古の浄土ヶ浜ではにぎわいが出てきたりと、国立公園の公園利用が少しずつではありますが、戻りつつあるという状況を実感してまいりました。
 また、沿岸の各市町村が復興計画策定に向けて真剣に動いているという中で、三陸復興国立公園あるいは三陸海岸の長距離トレイルと地域の復興を連携させることを、各地域の復興計画の中に盛り込もうとしている動きもお聞きしたり、あるいは大半の建物が津波で流されてしまった地域にあっては、そこでの土地利用のあり方、今後どうしていくのかということについて、さまざまな議論がまさに進行しているとお聞きしました。そういうお話を聞いて、この三陸地域の復興の進展にあわせて、今回の復興国立公園づくりを進めていく必要があることを、改めて認識したところであります。
 今日は、この三陸地域の自然公園を生かした復興の考え方、復興国立公園の考え方ということでご議論をいただければと思っていますが、現場で活動をされている田野畑村の渡辺さん、そして東北大学の鈴木さんに、初めに地域の活動についてご報告をいただき、その上で復興国立公園の考え方にどのようなことを盛り込んでいけば良いかということについて、皆さんからいろんなご意見をいただければと思います。
 ちょうど今年、国立公園の仕組みが始まってから80年目になります。80年前の昭和6年に天与の大風景を保護するとともに、開発して一般の利用に供するということを目的として、国立公園法案が提出、制定されてから80年。その80年の中で、国立公園もいろんな歴史を積み重ねてきたわけですが、この三陸復興国立公園のあり方を考える中で、国立公園の新しい役割や、新しい仕組みを切り開いていくことを目指して、ここでの検討を進めていけたらと思っております。
 そういう意味で、皆さんからいろいろな角度からのご意見をいただけたらと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
 また、最後にご紹介でありますけれども、10月16日付けで、国立公園課長の上杉が異動になりまして、後任に桂川が着任いたしましたことを皆さんにご紹介しまして、開会のあいさつとさせていただきます。
 本日は、どうぞよろしくお願いいたします。

○桂川国立公園課長 ただいまご紹介にあずかりました桂川でございます。上杉課長の跡を継ぎまして、先週から国立公園課長として仕事をさせていただいております。
 この三陸復興国立公園を初めとして、重大な課題がある今、この仕事を任されたということを大変光栄に感じておりますとともに、その重責に身の引き締まる思いでございます。
 私、農林水産省林野庁からの出向でございまして、いささか不慣れなところはございますけれども、専心努力してまいります所存でございますので、どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

○司会 それでは、これよりの議事進行につきましては、武内部会長にお願いいたします。
 それでは、武内部会長、よろしくお願いいたします。

○武内部会長 武内でございます。大変お忙しい中、お集まりいただきまして、どうもありがとうございます。
 私たちがこれから議論しようとしている新しい国立公園の設置を通じた震災復興への貢献という考え方については、かなり広く皆さんにご理解をいただいていると思いますし、また、里山と里海を連携させながら、里山及び里海における農林水産業の振興とあわせて、新しいタイプの国立公園をつくっていくことについても、かなり皆さんの支持を得ていると思いますけれども、ただ、それでは具体的にどうするんだということについては、必ずしも明確でないというご意見もいただいております。そういう点で、今日話題提供をいただくお二人も含めて、皆さんから、この具体的な中身について、さらに議論を深められるような形でさまざまなご意見をいただければ大変ありがたいと思っております。
 国立公園課長も前職が林野庁ということで、これは決して違う分野に来たのでなくて、林野行政と国立公園行政をどのようにしてうまくつないでいくことができるのかと考え、森林の再生にも貢献する国立公園でありたいと私どもも考えておりますので、そういう点で、ぜひ、この仕事を担当していただければと思います。
 それでは、議事に入らせていただきたいと思います。
 その前に、本日の委員会について少し説明させていただきたいと思います。
 本日の委員会は公開で行いますので、報道関係者や傍聴の方も同席しておられます。会議録については、後ほど事務局で作成し、本日、ご出席の委員の了承をいただいた上で、公開することにさせていただきたいと思います。なお、議事要旨につきましては、事務局で作成したものを私、部会長が了承した上で公開するということになっておりますので、あらかじめご承知おきいただきたいと思います。また、会議資料についても、基本的に公開となります。
 それでは、議事に入りたいと思います。
 事務局より、議事1について説明をお願いいたします。

○事務局 国立公園課の佐々木でございます。よろしくお願いいたします。
 座って説明させていただきます。
 まず、議事1は話題提供ということで、お二人の方をお招きしましたが、これまでの審議会での議論の中で主な論点として挙げられたのは、森・里・川・海のつながり、モニタリングと自然再生で、それから国立公園の利用、民間パートナーシップや協働型の管理といったものです。今回は、これらの論点に沿って資料を準備して、話題提供をお願いするという形をとらせていただきました。
 国立公園の利用については、地域の観光ですとか、一次産業にも寄与して、復興に貢献するということで非常に重要だと思っておりますし、利用を通して学びの場を整備して、津波の経験を語り継いでいくというためにも重要な観点だと思っております。
 そのため、話題提供者の方には、環境省のエコツーリズム大賞も過去受賞したことがある田野畑村でのエコツーリズムの取組について、田野畑村の政策推進課の渡辺さんにお願いすることにしました。
 これに関連する資料としては、資料2-4に東北沿岸の観光の状況について取りまとめております。
 また、今回の地震・津波による自然環境への影響につきましては、前回の審議会でも資料を出しましたが、海岸林と干潟とアマモ場というのが非常に大きく改変されているようだということがわかってきております。特に干潟とアマモ場というのは、森・里・川・海のつながりの中で陸域と海をつなぐ要の部分に位置しておりますので、事務局として、とても重要であると考えております。
 そこで、話題提供者として東北大学の鈴木先生をお招きしまして、太平洋沿岸の干潟を細かく現地で調査されている状況についてお話をいただこうと思っております。また、今後環境省では、モニタリング体制を構築していきますが、地域の方々、研究者の方々とどのように協働して構築していくのかというのも、事務局の大きな課題として考えているところです。鈴木先生は、市民参加型の干潟調査についてこれまで取り組まれていらっしゃいますので、そのあたりについてもお話をいただこうと思っております。
 これら事務局で用意した資料は、話題提供の後にご説明させていただきます。
 以上で本日の話題提供の趣旨を説明させていただきました。よろしくお願いいたします。

○武内部会長 それでは、早速、お二人の方に順次話題提供をお願いしたいと思います。
 最初に、田野畑村の渡辺さんに話題提供をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○渡辺氏 岩手県田野畑村の田野畑村役場復興対策室におります渡辺と申します。よろしくお願いいたします。
 3月11日以前は、政策推進課に所属し、体験型観光エコツーリズムの推進に取り組んでおりました。今日は、三陸のエコツーリズムの取組の話題提供ということで、田野畑村『番屋エコツーリズム』を紹介させていただきたいと思います。
 着席させていただきます。よろしくお願いいたします。
 お手元の資料にもある写真は、北三陸の風景の中を漁船が進んで、その漁船にツーリズム観光客が乗って楽しんでいるという、私が特に気に入っている1枚の写真です。非常に壮大な景色の中にありながら、ほほ笑ましいような写真です。
 今から番屋エコツーリズムを紹介しますが、順番的には、体験村・たのはたの震災以前の取組、次に三陸あるいは田野畑村におけるエコツーリズムということで、その立ち上げと取組の具体的なお話をさせていただき、震災前ですが、どういう実績と成果を上げてきたのかというお話をさせていただきます。その後、震災後、今やっと動き出しました取組についてお話しさせていただき、最後に、ちょっと差し出がましいですが、三陸復興国立公園へかける期待ということで、若干お話しさせていただきたいと思います。
 この写真は、北山崎の景観と展望台、そしてその景観を楽しむ観光客です。北部陸中海岸に位置している田野畑村の北山崎は、財団法人日本交通公社が行った観光資源評価の海岸の部において、唯一特A級にランクインされています。この景勝地を楽しむために訪れる観光客は、この展望台だけで年間50万人を集めていました。高さ200メートルの断崖、壮大な景色、そして眼下に広がる水平線ということで、非常に高い人気景勝ポイントです。
 この景勝・景観の中で展開してきたのが、「体験村・たのはた」という団体が提供する番屋エコツーリズムで、ここには主な提供プログラムということで五つ紹介してあります。代表的なのが、真ん中のサッパ船アドベンチャーズと名前をつけている本物の漁船、そして本物の漁師がガイドする洋上のクルージングです。それに次いで人気があったのが、北山崎の自然遊歩道を活用したネイチャートレッキングです。そして、漁師さんの仕事小屋「番屋」が集まった番屋群を漁師自らがガイドするというプログラム。あとは、海岸に打ち上げられた貝殻あるいは小石を利用したクラフト。そして、人気ベスト5の最後は、地元のおばちゃんたちが提供する、地元でよく食べる料理、そして、このサッパ船であるとか漁協の定置網が揚げた魚を利用した料理体験ということで、お客さん自らつくっていただいて、その場で味わうという人気プログラムでした。この五つの人気プログラムを含めて、約20種類の体験メニューを提供しておりましたし、体験型の修学旅行で訪れる学校さんには、これをアレンジした約60種類のプログラムを提供しておりました。
 番屋エコツーリズム、一口にと言ってもなかなか難しいですが、この「北山崎など美しく豊かな自然と文化、そして住民の営みに直接触れることにより、いつしかその風景にとけこんでいる旅のスタイル」というコンセプトで展開してまいりました。田野畑村の番屋エコツーリズムの最大の特徴として、それを提供するインストラクター、ガイド、指導者で、田野畑に生まれ育った住民が中心であり、彼らの生きざまそのものが良質のツーリズム素材であるというところが特徴だととらえておりました。そのインストラクター、いわゆる住民と旅人の交流によって、その日、その時、その瞬間の出来事を、それぞれの五感で共有します。インストラクターも、毎日やっているガイドですが、その日、その時、その瞬間の感じ方は違うと常々口に出して申しております。それを互いに学び、互いに高まり合うことができる時空の提供ということで、この活動を行っておりました。
 先ほど人気ベスト5のプログラムということでご紹介したサッパ船アドベンチャーのように、200メートルの断崖絶壁、そこに通り穴があって、漁師の人はそこから近道をして漁場に向かうわけですけども、狭い通り穴を通る瞬間、そして漁場に向かって漁の様子を知ると、そういう内容のプログラムです。漁師さんとの1時間の触れ合い。そして、漁場に向かう際の巧みな操船技術。海辺の動植物のガイドは、この時期は何がとれる、次の時期はあの魚をとっていると、そういうようなお話を聞くことができる。展望台からは、200メートルの断崖を上から見おろしますが、船ですと200メートルの直下に行けます。その際、味わえるスケールというものが人気の秘密でした。
 この写真は北山崎のネイチャートレッキングです。左側のガイドは80歳近くになりますが、昭和36年のフェーン大火の際は、自分は自ら消防団としてこの松林であるとか住家を守った、そんな話をしてお客様の関心を引きつけているんですね。左のガイド、真ん中で青いシャツのガイドですが、このガイドは打ち上げられた昆布とか貝殻から、例えばこの昆布のここら辺を皆さん食べているという解説をしています。スーパーマーケットでは、昆布全体を広げて売っていません。スライスされていたり、いろいろな加工をされていたりして売っているわけですけども、「実はこの部分を食べている。でも、地元の人たちは、この部分をおいしくて味わっている。」とか、そんな話をしています。学名とか分類というところに話は踏み込みません。それはそれで研究とか、いろいろなことで大切なことだと思いますが、ここのガイドでは、現地まで来て名前を何も覚えて帰ることはないでしょう、難しい話を覚えて帰ることはないでしょうと考え、上辺のそういったラベルよりも、その日、その時期、その瞬間の真の姿であるとか、さっきどこどこを食べているんだというような奥行き、そして住民の生活の中でどう生かされているかとか、そんな話をしています。また、この写真のように、食い入るようにお客様がガイドの手元を見ていると思いますが、ツアー客を引きつける魅力の一つになっていました。
 20ある中の二つを紹介しましたが、そういった単体のプログラムの提供のほかに、自然環境を意識した取組ということで、例えば「とことんエコ!ツアー」とありますが、子どもを対象とした主催イベント、主催プログラムなるものを実施しております。これはとにかくお父さん、お母さんにも、送り迎えも車でしないでくださいとお知らせします。とにかくエコを意識して、地元に三陸鉄道というローカル線が走っていますが――今は被災して走っていません――その三陸鉄道を利用して、公共交通機関を利用して田野畑にやってきてくださいと話します。田野畑に来たら、今度はサッパ船にも乗りません。サッパ船もガソリンエンジンで動いています。サッパ船じゃなくて、自分たちの手でこぎましょうということで、ここでカヤックをやっています。昼食のお米は用意します。食材は自分たちでとりましょうという取組です。そして、そういったさまざまな活動を通してエコを知っていく、実践していくというようなプログラムです。これは日帰りプログラムですが、そのほかに冬場ですが、北三陸はとても寒いです。その時期に6泊7日で子どもたちに集まってもらって、タイトルが「頑固漁師と子どもふれあいキャンプ」と言いますが、北国の厳しい暮らしであるとか、その時期の漁であるとか、その時期の自然であるとか、いろんなものを体験する。6泊のうち2泊は漁師さんのところに民泊をします。そして6泊7日あると、荒巻鮭がつくれます。方々でやっている荒巻鮭体験というのは、荒巻鮭をつくる一部の工程しか多分体験していないと思います。あとは漁師さんがやっておいて送るという体験だと思いますが、7日あると、本当に鮭から内臓を取って塩漬けして、途中で塩を抜いて干して、乾燥させて持って帰ることができます。7日後、子どもたちはもう自信満々、大きな顔をして修了証書とともに荒巻鮭を親元に持って帰ります。そういったプログラムをしています。  こちらは漁業と観光が連携した取組の事例で、平成20年からやっていました「わかめオーナー」制です。消費者の皆さんにワカメのオーナーになっていただいて、今がその時期ですが、種まきや種つけを行います。あとは間引きですが、林業のように間引きしないと、一つ一つのワカメが大きくなりません。そして収穫します。そういった体験も一緒にできます。あとは塩蔵にして、1年間食べられるような状態になったものをオーナーさんに送るという活動です。漁業と観光が連携した取組という事例で、ここで紹介させていただきました。
 こういう取組を長年積み重ね、どんどん田野畑を愛してリピートしてくるお客さんも増えていました。観光客の人も非常に喜ばれている姿が村内各地で見られていましたが、残念ながら、3月11日の震災により、こちらの写真のように、番屋エコツーリズムの舞台となっていた机浜番屋群は、私もこの近くに居合わせましたが、一瞬にして消えてしまいました。人気のサッパ船ツアーに使っていた8隻の小船のうち6隻も失ってしまった。それまでは、机浜番屋群は、皆様のお手元のパンフレットにある通り、昭和の趣のある漁村の風景があって、そこを交流エコツーリズム拠点にしていました。
 多くの観光客と交流していた人たちが住んでいたこの漁村も、以前は右下のような、ちょっと閑散とはしておりましたが、ほのぼのとした風景が広がっていまさいた。しかし今は、左上のようなとても残念な姿になっています。3,900人の村の人口です。不幸にして亡くなられた方は21人、行方不明者の方17人と、40人弱の犠牲者が出ました。釜石とか陸前高田に比べれば比率とすれば少なかったかもしれませんが、貴重な命を失ってしまいました。1,400世帯の規模の村でございます。300ぐらいの家が流されてしまいました。本当に悲しい出来事でしたが、何とか全国の皆様方からの力もいただきながら、復興へと目指しているところでございます。
 ここまでが東日本大震災までの動きだったですが、そのまま今ある復興の姿というところに移っていきたいところですけども、そこに行く前に、ちょっとまた話は戻りまして、被災するまでの取組について具体的な紹介をしたいなということで、話はちょっと後に戻らせていただきます。
 大体、平成10年を前後して、田野畑村の観光客、入り込みは平均して80万人から100万人。さっき説明した北山崎の展望台から景観のみを楽しむという、通過型の観光スタイルでした。展望台には50万人、村全体でカウントすると80万人から100万人、とても多い数字だと思います。しかしながら、ここに書いてあるとおり、村内での消費の機会が少なく、経済効果が薄かった。景勝ポイントでバスをおりるだけで、住民との交流がなかった。そして、真の自然の豊かさや奥深さ、そして住民たちの生活の様子が伝わらなかったということが、課題として当時から挙げられていました。通過型観光の課題です。村としては、これを何とか滞在型にシフトする取組をして、いろんな方々から知恵やご指導をいただきながら、体験型観光の導入を選びました。平成14年に村の観光振興計画「体験村・たのはた」推進プランを策定して、それを組織化して、平成16年にプログラムの提供を開始しております。このプログラムの提供が「番屋エコツーリズム」という話です。今もその過程にあると思っておりますが、この体験型観光エコツーリズムの展開をすることによって、地域の生業や文化に旅人が触れることができて、田野畑ファン・リピーターが拡大しておりました。滞在時間の延長も、各プログラムを利用することによってそれが可能となり、それが宿泊につながったり、消費につながったりすることで効果が出てきました。滞在型観光へ着実に動いていったということです。
 次が「体験村・たのはた」の組織の紹介です。体験村・たのはたというのは、最初は行政主導、そこに村内の56の団体・個人が加入して、任意団体「体験村・たのはた推進協議会」を平成15年10月に発足して、16年からプログラム提供をしております。平成19年には、その取組が評価され、エコツーリズム大賞の特別賞をいただくことができました。平成20年1月には、NPO法人となる道を選び、団体をより大きくしております。特に、自分自身田野畑の特徴とは住民参加だと思っておりますが、岩手県のグリーンツーリズム体験インストラクターに登録されている住民が31人、主に子どもたちを自分の家に泊める、民泊を受け入れている家庭が95軒ですね。婦人会とかいろんなグループ、団体が多く参画していただいて、人口と比べた参画率というのが約15%。村の住民の15%がこの取組に参画しています。
エコツーリズム推進のための主な取組としては組織の強化です。さっき言ったように、いつまでも任意団体ではなく、法人化して、しっかりとした組織に仕上げていく、またさらに上を向いて行くということで、マネジメント、運営能力などについても意識してやっております。あとは、スタッフの能力向上、住民インストラクターの参画です。あとは、大きくは商品力の強化で、プログラムの新規開発は、毎年毎年取り組んでおります。あとはニーズの把握とマッチングということで、例えばサッパ船体験であれば、当初3人乗りの仕組みでスタートしましたが、やはり旅行者の形態は、夫婦であれ、カップルであり、友達であれ2人からというのが多いので、2人から乗れるように仕組みを変えたりもしました。あとは、大きくはガイドスキルの向上、環境意識の向上、安全の強化ということで、ここは特に重要な取組と思って、力を入れております。
 そのほかマーケットの分析・営業・情報発信は、とても大切なことです。全国で失敗している事例のほとんどが、ここまで行き着いていなかったためではないかと私は思っています。あとは、やはり三陸全体での連携ということで、他地域との連携、あるいは全国との連携ということで取り組んでいました。やはり必要なのは行政との連携です。国や県との連携を重要に取り組んでまいりました。
 先ほど、安全はとても大切なことですと紹介しましたが、この写真は、海上保安庁あるいは消防署と連携した、本当に現場での真剣な安全訓練ですね。
 これはサッパ船長の研修の様子ですが、自分は船の上のガイドだけしていればそれでいいということではなくて、そば打ちでいいプログラムをやっているところがあれば、それを学びに行ったり、左は紙すきのガイドさんから講習を受けているところですが、いずれも県外や村外へ自ら研修に行き、多くを学んで自分のガイドに役立てるというような取組を進めてまいりました。
 もう一つ大切だと思っているのは、地元の自然や環境を学ぶ取組で、これは野鳥の会の人に来てもらってのガイド技術向上研修会で、地元に渡ってくる野鳥のミサゴの話を聞いて、船上でのガイドに役立てているところでございます。
 これら取組を進めてまいりまして、平成16年から21年までの数字で申し訳ございませんが、黄色の棒グラフが利用者の伸びです。スタート時は434のお客さんからの利用だけだったものが、21年度には約8,000人というような利用者の伸びを見せております。22年度も若干増加傾向だったと思っております。
 あわせて、ここも大切な部分なんですけども、それに参画する住民インストラクターのガイド収入がないと、やはり取組は継続しません。上の料理体験をする漁師のおばちゃんたちは、16年度には1万円、本当にお手伝い程度にしか満たなかったのですが、平成21年度には年間12万円で、お客さんに喜んでいただきながら12万円もらえます。サッパ船の船長にいたっては、132万円とここに書いてありますが、去年あたりでは200万円弱ぐらいガイド収入を得て、自分たちの漁の副業、副収入として大切な部分を占めるようになりました。
 ここまでが震災以前のお話で、忌まわしい3月11日だったのですが、いつまでも後ろを向いてはいられないということで、先ほど局長さんからもご紹介ありましたけども、7月下旬にサッパ船プログラムを再開しました。被災したホテルをバックに、第一便が出ていくところです。今も月に300人、400人のお客さんに来ていただいているところです。
 またもう一つ震災後の取組として、新たなツーリズムの可能性ということで、新たに始めたプログラムがあります。それがこの震災の伝承や防災学習ということで、「震災体験ガイド(語り部)」というプログラムです。写真でハンドレスマイクをして遠くを指している人間は、目の前でふるさとがなくなるのを見ていた住民です。今このガイドは、7~8人のグループでやっておりますが、いずれ研修会を重ねながら、20人ぐらいのガイド集団にしていこうかなと思っているところです。とにかく、何もなくなったということではなくて、新たな可能性も出てきました。この震災の伝承もそうですし、数年前から全国的な大きな取組になっているジオツーリズムもそうです。そういったところに希望、可能性はあるので、田野畑村もそこに踏み込んでいこうかなと思っているところです。
 また、失われてしまった番屋群については、村でも再生の構想を持っております。あくまでこれは暫定的に描いたもので、本当につくり上げるのは、そこを使う住民であったり、全国のサポーターと一緒に取り組んでいこうということで、番屋再生プロジェクトなる実行委員会をつくって、ホームページでもそのサポーターを募集しているところです。
 自然環境へのというか、この三陸でエコツーリズムを取り組む、あるいはこれから取組始める、田野畑村はこれまで取り組んできたということで、そのエコツーリズムがまた震災に負けずに再開し、あるいは継続することで期待できる効果ということで、これは私の考え方ですけども、こういうふうにまとめています。
 まず、期待できる効果としては、自然環境への芽生えというものが、住民(インストラクター)と観光客が現場、田野畑村なり三陸の復興の地で、エコツーリズムを一緒に体験することによって、ここに書いてあるようなそれぞれの気持ち、思いが引き出されて、自然保護・環境問題への意識の芽生え、高まりとなって進んでいくのではないかと思っています。
 もう一つは、環境とか、そういう意識も大切ですが、人としての高まりとか、優しさ、思いやりを持った生き方を、これまでの観光客とかサッパ船の船長とのふれあいを見ていると、「ああ、こういうものが出てきているんだな」ということで、ここにまとめてあります。後でちょっと目を通していただければありがたいかなと思います。
 最後に、この新「三陸復興国立公園」に対する期待、あるいは環境省さんに対する期待ということでまとめさせてもらっています。やはり早期のがれき撤去と処分というところでは、費用等の関係もありますけども、早急にやっていただきたいなと思っています。被災地、被災者として、毎日、それを目の前にしていると、やはりトラウマとか不安感が消え去ることがありません。やはり観光的な視点からも、がれきは景観を大きく阻害しております。もう一つは、園地等被災した復旧整備への支援ということで、県及び市町村レベルでは財源確保が難しいところでございますので、公園やキャンプ場、遊歩道等の復旧事業へ財政的な支援をいただきたいなと思うところでございます。また、復興の取組をこれから実施事業でいろいろ進めていくに当たっては、自然公園法の中の規制緩和というところで、本当に特例的に、公園計画での基準というか、ハードルを下げていただけたらありがたいなと思うところです。また、新「三陸復興国立公園」へは、震災の体験と教訓・伝承・学びを目的とした場として、日本人の心が、「自然への恐怖心」から「自然への親しみ」に帰る場の直轄整備または事業支援を期待しております。展望の丘であるとかトレッキング道路、三陸をつなげるとか、あるいは漁場を再生するための森づくりであるとか、そういった一つ一つに現地・現場、そして自治体は期待を持っておりますので、そこら辺が具体化されることを願う次第ですし、また、上記を目的とした、あるいはその中で展開されるエコツーリズムなどのソフト事業への支援なども非常に期待しているところでございます。
 以上、少し長くなってしまったかもしれませんが、田野畑村からの話題提供ということで、終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

○武内部会長 どうもありがとうございました。
 時間が大分超過しておりますので、恐縮ですが、質疑応答についてはなしということでお願いしたいと思います。
 それでは、引き続きまして東北大学の鈴木先生にお願いしたいと思います。

○鈴木氏 東北大学大学院生命科学研究科におります鈴木といいます。専門は底生生物ベントスの生態学、群集生態学的なことを主にやっております。
 今回の震災についても、ずっと調査をしておりました南三陸から仙台湾にかけての干潟が大きな被害をこうむりましたので、その前後をかいつまんでお話しさせていただいた後に、現在取り組んでいる市民調査の方法について、概略を述べさせていただきます。
 これが名取川の河口、これが井戸浦という干潟になります。ここは、干潟と海を支えていた砂州がこちらに発達していますが、それが全部破壊されてしまい、外海が直接入るようになりました。ここが広大なヨシ原だったのですが、今ヨシが全部なくなって干潟になっている。ここも住居があったところが全部なくなっている。ちょうど仙台市の南側の一つのまちが、津波後にこれだけになってしまったということです。
 こういった東日本大震災の津波で大きく干潟がさま変わりしてしまいましたが、こういった干潟地形が失われたまま砂浜になってしまうのか、もしくは干潟へ戻るのか。それから、そこに生息していた底生動物が、かなりの程度津波で持っていかれてしまいましたが、彼らがちゃんと復興というか、再生というか、戻ってきてくれるのか。また、干潟の持つ生態系サービスについては、水産資源の涵養とか、環境浄化、景観、防災等大きくまとめておりますが、特に水質浄化という観点から干潟は大きなものを持っており、愛知県にある一色干潟での計算例によりますと、1,000ヘクタールの干潟が持つ下水浄化能力に例えると、約900億円程度の経済効果があると言われております。簡単に言うと、1ヘクタール当たり1億円ぐらいの経済効果があり、そういった汽水が持つ生態系サービスの恩恵を我々が受けられなくなります。それから、汽水域というものが飛んでしまったというのが一つあります。直接海水が入るようになってしまって、今まで汽水であったところ、汽水に特徴的な生物、特に汽水のところには、干潟の底生動物においても希少な種類が結構数多くおります。そういったものの生息場が失われてしまったということがあります。それから、沿岸漁業やノリ、アサリなどの養殖、こういったものには、干潟もしくは潟湖の中が稚魚や稚貝の生息場所になっております。そういったいわゆる沿岸漁業を支える基盤、そういったものが破壊されてしまいました。あるいはシギ、チドリ類の渡りの中継地として、干潟が採餌の場、休憩の場として使われていますので、私たちは、干潟をシギ、チドリ類の国際空港という言い方をしますが、そういった現場が今後どうなってしまうかによっては、いろいろと渡り鳥の減少にも関連してくると思っています。
 そういったことを念頭に置きまして、次をお願いします。
 代表的な干潟は、南三陸から仙台湾にかけてで、大体26カ所ぐらい、ここら辺は一応震災前には見て歩いておりました。震災後には、まだ入れない干潟がありまして、全部は回ってはいませんが、ここの中の幾つかの状況をご覧いただければと思います。
 この写真は気仙沼の南、もともと本吉町といったところに津谷川という河口があって、そこの両側は、ここにヨシ原があって、松の木があって、ちょうどここがワンド地形になって、干潟が出て、いろいろと生物がすむような場所がありました。ここにあるのが小泉大橋という橋ですけど、ここら辺まで全部津波が来て、橋が壊れました。下が津波後ですが、ここの橋がちょうど復旧して、仮橋ができて渡れるようになったころです。ここのワンド部分のヨシ原から松林は全部飛んでなくなりましたし、このちょうど左岸のここの堤防とか、こちら側の左岸にも堤防があって、その先に赤崎海岸という白い砂浜がありました。その砂浜は今、全部消えてなくなっています。ヨシ原も、ご覧のように表面が全部なくなり、直接海が入ってきます。ここら辺にあった砂浜がもうなくなり、干潟地形、その上の塩性湿地、ヨシ原はかなり大きなダメージを受けております。
 それから、もっと南の方には、南三陸地方に志津川湾というのがありますが、志津川湾は、湾内でいろいろ漁業が盛んなところですが、ここの細浦という漁港があるところが、干潟としては一番生物多様性の高い干潟でした。ちょうど細浦のところを堤防から見ますと、このような砂利が混ざった干潟から、こちらには砂泥底があって、砂泥底の下にはアマモ、コアマモが生えていて、コアマモは三陸ではここにしか生えておりません。非常に多様性の高い干潟でしたが、震災後に、ここら辺の干潟が全部失われています。一つには地盤沈下もありますが、津波の攪乱が非常に大きかったため、堤防が壊れ、堤防の前のところが全部深くえぐられており、もともとあった砂泥底の干潟が全部陸に打ち上げられるか海に持っていかれたという感じになって、干潟がほとんど姿を表していません。生物を調べてみましたが、干潟にもともとすんでいるようなものはいなくて、ここら辺の岩礁とか岩に固着しているものが幾らか残っている程度で、これは非常に大きな攪乱を受けた例であります。
 石巻のところに万石浦という大きな浦がありますが、この万石浦は、入り口が狭いために、中では津波の影響が広がって分散してしまったので、津波の攪乱はほとんどなかったところです。しかし、もともとここはアサリの潮干狩り場で、アサリの養殖をしていたところで、こういった干潟そのものは改変されていないのですが、地盤沈下が70~80センチあったため、現在は、このように水をたたえた状態になり、満潮になりますと、ここのわきの駐車場に使っていたところまで水が押し寄せるようになり、干潟が干出しなくなってしまいました。現在はアサリの養殖とかは行われておりません。今まで潮間帯に住んでいた生物が、こういった格好で、70~80センチ沈んでしまったため、干潟が干潟としての機能を果たさなくなり、生物がどうなっていくかというのが、今後モニタリングしなければいけないような状況になっています。
 それから、この写真は仙台湾の東側にある蒲生干潟という小さな干潟ですが、渡り鳥が結構訪れるところです。ここが蒲生干潟で、この潟湖の面積は13ヘクタールしかありません。そんなに大きな潟湖ではありません。こっちが太平洋側なので、これを少し行くと仙台港になります。こういうふうにして、潟湖があって、ここに砂浜があった。この干潟が、結局こっちの方から津波が押し寄せられて、砂浜が全部破壊されました。これは3月25日の上から見た図です。七北田川の河口は広くなり、この時点では、干潟がもう壊れて前浜になってしまうのではないかという話がありましたが、その後、だんだんここに持ち去られた砂が沿岸流でつき始め、このように砂浜が全部つながり、こっちからの海水は入ってこなくなりました。今、ここの導流堤と呼ばれるところから、ここの河口にたまった汽水が出入りしている状態になって、こうなりました。ところが、これが8月ですが、この後すぐに七北田川の河口部分が閉塞してしまいました。閉塞して、つまり七北田川の水が外へ出ていかない状態になって、ここにある小さな運河を通じて隣の名取川へ出るという格好で、ここの塩分濃度が汽水から淡水になって、それまで一旦持って行かれたゴカイ等の底生動物が復活してきたというのを確かめて、「あっ、すごい。自然治癒力は大きいな」と思っていたところが、生物がまたかなり大きなダメージを受けてしまいました。ここを掘削していただこうと思っていましたが、その矢先に台風15号が来て、ここら辺は水浸しになってあふれて、川の水が増えたため、今度は河口がここにできています。干潟の真ん中を通る格好で、ここから400メートルが河口になり、そこを通じて水が出ていて、海水が入ってきます。そのため、今まで非常に多様性が高くて、いろいろな生物が住む干潟がありましたが、ここのものは全部フラッシュアウトされて、いなくなってしまいました。絶滅危惧種に相当する貝もそこにいましたが、それがいなくなってしまった。この場所から北側にある潟湖は干潟になって残っておりますが、今後、また河口がどういう形になるかで、結構激変というか、そういうふうな変化をいろいろ遂げているので、底生動物がどのように戻ってきて、生態系サービスが受けられるまでに復活するかどうかを今後きちんとモニタリングしなければいけないような状態が続いております。
 これが蒲生干潟の以前、日和山という元祖日本一低い山があったのですが、そこから見ると、このように干潟の風景が広がっていた。対岸にあったヨシ原が全部なくなったのが震災の後です。今、ここのところが破れて、ここが河口になって向こうへ出ている。潟湖の形がある程度は残っていますが、ちょっと前回とは違った格好になっていて、この潟湖の姿が戻り、生物がちゃんと幼生加入してくれれば、以前の賑やかな干潟に戻るだろうと考えています。
 これはもうちょっと南に下がって、阿武隈川の河口にある鳥の海という、70ヘクタールぐらいの干潟があるところですが、ここはこういうふうに奥に松林があり、この外側が海ですけれども、そこの松林が全部抜けてなくなりましたし、ヨシ原が砂をかぶりこのような格好です。深いところにすんでいた二枚貝が貝殻になって打ち上げられる等して、かなり大きな被害を受けましたが、ここの干潟では、東側半分はそのように津波の直接の影響がありましたが、西側半分の干潟は、そういう意味では津波の力がそがれてしまい、砂泥底の干潟がまだ残っております。今後、そこら辺にいる生物がいろいろ移動したり、幼生回復がありますと、干潟としては回復していってくれるのではないかという思いがあります。震災の前と後で、同じような手法でベントスを調査しましたが、出てきた種数はほぼ同じぐらいでした。
 これはもっと南の仙台湾の一番南、福島県の相馬市にある松川浦という干潟で、浦の面積が約800ヘクタールある、東北地方で一番大きな干潟部分になりますが、ここは海岸ふちに道路が走っていて、大洲海岸と呼ばれていたのが、津波でこれがあちこち壊れてしまって、ここから直接海水が入るようになりました。ここのところは陸地が続いていて、ここら辺、駐車場だったのですが、それが見事になくなり、船とかいろいろなものが中にあるという状況でした。今、ここをふさごうという工事が始まっていて、もうすぐここからの海水の入り方は変わってくると思います。
 その近くにあった干潟ですが、このように砂泥底から成る広大な干潟があって、非常に生物多様性が高いとこころで、今までに150種以上の底生生物を確認しておりますが、ここは砂泥底の泥っぽい部分が全部持っていかれ、外から来た粗い砂が今乗っかるような格好で、干潟は出るが、もともとの泥とそこにすんでいた生物が多く持ち去られてしまいました。奥の松林がこうだったところが、今、くしの歯状になって、ほとんどやられてしまった。これが海に近い方の干潟ですから、これだけの大きな影響がありましたが、海からちょっと離れた泥干潟の部分は、泥が残って、生き物がまだ見られる状態です。
 今までは大きく攪乱を受けた干潟、それから中規模に受けて、今自然が帰ってきている途上の干潟のご紹介ですが、今度は、松島湾の中にある桂島という島があります。南側のほうから津波の影響を受けた海岸は、非常に大きな被害を受けて、建物も全部なくなったのですが、津波の後ろ側に当たる北側に向いたところにある干潟は、震災前と震災後では同じような形で残っております。多分、水位は上がって落ちましたが、攪乱作用があまりないため、干潟はそのまま残り、アマモやコアマモもきちんと生息していました。ここで、前後で調査をしたら、かえって震災後には種数が多く確認されたほど、多様性が高い状態で保持されている干潟です。
 これは松島湾の奥の方です。松島湾も、入り口が狭くて中は広がっている内湾ですので、中の津波の影響はあまりありませんでした。水位は上がったけれども、干潟は攪乱されない。このように草がちょっと塩水を受けて枯れていますが、干潟の形、それから干出面積はほぼ同じです。震災後にもアサリをとる人が訪れたりしていましたし、我々が、後でご紹介する市民調査法などを使って、震災前と震災後に見つかった底生動物の種数を比べてみますと、ほぼ同じぐらいの数が見られております。
 底生動物の出現種数をいろいろな干潟で、大体同じ方法、主に市民調査の方法で調べたときの底生動物の出現種数を、震災後と震災前に分けて書いてあります。この16%というのは、震災前にいたもののうち何%が残っていたか。ブルーのものは、震災前には見つからなかったけど、震災後に出てきたという種類です。震災後に出てきた種類というのは、潮下帯にいた生物が運ばれてきて、一つはイソガニ、それからイシガニ、それからイトマキヒトデとか、普通、干潟には入ってこないような生き物も少し見られたので、その分はつけ加えてありますが、松島湾のところにある桂島、櫃が浦、こういう干潟は、震災後のほうがかえって種数が多くなっていました。だから、震災前に比べて、ほとんど生物がいなくなってしまった干潟もある一方、きちんと生物が残っている干潟があるので、そういったところは底生生物の種多様性が高いホットスポットとして認識しております。こういったものが、今後、あちこちで干潟なりなんなりが修復されていく過程で、ソース群集になるので非常に大切な場所かなと考えております。
 このように、干潟のいろいろな生態系サービスを我々が受けていくためには、干潟にある底生動物が健全な姿で多様性の高い状態であることが必要です。津波後には、そういったベントスの供給源という、ソース群集が幾つか仙台湾の中にも見られることがわかりました。そういったホットスポットから多分、幼生が分散という過程を使って、いろいろなほかの干潟にも入ってきて、また、種の多様性をキープしてくれると思います。そのためには、もともと干潟が自己修復したり、新たに形成されたところの干潟の環境をきちんと維持していくことも大切になりますが、いろいろな干潟で状況が変わりますので、こういったことでベントスのモニタリングをしつつ、有効な手だてを我々は考えていかなければいけないのではと考えています。
 干潟の現状把握、それから、地形や底生動物群集をモニタリングする。それから、これが私は今大きいと思っているのが、その供給源となり得る種多様性の高いまま残された干潟をきちんと保持していくということ。それから、干潟にすんでいる生物はほとんどが海でプランクトン幼生時代を過ごしますので、安易な考えで堤防でぐるっと囲ってしまうと、海とのつながりがなくなり、ベントスの回復も非常に難しくなります。そういう意味では、生態系の連続性とか、そういったことも必要で、それから、内湾の奥の汽水域や泥干潟、そういったところも一つの生息場所として非常に重要な場所ですので、そういったところの確保や保全も同様に考えていく必要があるかな、そういったところをモニタリングしていくということを今後考えたいと思っています。
 そのようなモニタリングは、干潟の底生動物というのは非常に分類群が多様にわたっているものですから、エキスパートというか研究者でないとなかなか調査できなかった。それが、干潟の自然保護やバードウォッチャーの人たちが、鳥の調査を通じて干潟の生き物のことを知りたい、えさにしている生き物のことを知りたいということで、どなたでもできるような方法がないかなというので、市民調査の方法をずっと考えてまいりました。
 干潟の保護・保全のためには、地域住民が主体となった日常的な活動が必要ですが、市民が市民だけでやろうとしてもなかなかできないし、出てきたデータは種の同定が不確定だったりして、ほとんど信用ができないため、市民による底生生物群集調査の手法が、ガイドブックを含めて何かできないものかなと思いました。それで、他の地域と比較できる、ある程度再現性があり、定量性があるような手法が望ましく、未経験者でも割と障壁がなくて、すぐ取り組めるような方法や、調査道具が特別なものではなくて、100円ショップで手に入るようなものをベースにしたいということで、いろいろやって、市民を対象に検討を重ね、現在、「干潟生物調査ガイドブック~東日本編~」ということで、市民が使える図鑑と、そのほかに観察のポイントを図にしたようなパンフレット、それからもう一つは、やり方が具体的にわからないということで、DVDを作り、干潟の調査手法に関しての普及、研修などを進めております。
 概略を少しお話ししたいと思いますが、一番最初は、調査対象の干潟を調査地域として、そこが非常に広い場合には2カ所ぐらいに分けるということで、例えば、河口干潟でこのぐらいの面積であれば、ここを1回でやればいいけれども、前浜干潟で手前と奥が100メートル以上離れていて、200メートル先に潮下帯、こっち側に潮間帯の上部があるようなところは二つの場所に分けるということ、大体、一人の守備範囲というか歩き回る範囲は、50メートル四方を目安にして調査できればいいと思っています。それから、調査は8人以上で行うということを基本にしてあります。これは、後でもう一度説明いたします。いわゆるエキスパートじゃなくて、市民がやる場合には、なるべく8人、8人以上であれば結構いい成果が出るということです。
 方法としては、底土表面を探して底土表層を歩いている生き物を見つけるのと、穴を掘って埋在性の動物を探すというのを別々にしてあります。これは両方一緒にやっていきますと、どうしても穴を掘る方に集中してしまい、広く浅く、石をひっくり返したりということがおろそかになってしまうことが経験上わかりました。底土表層を、まず15分間歩き回って探索して、ポリ袋を持って歩いて、見つけた生き物を袋の中に入れていきます。これを、こちら側に人数、それから5分でこのぐらい、10分でこのぐらい、15分、20分と時間を区分けして、出てきた総種数を比較していきますと、20分と15分の間ではそれほど差がないことがわかります。10分よりは15分で、15分がちょうどいいということで、市民の方にいろいろ問い合わせてやったところ、20分、25分というと飽きてしまってだめだということになり、調査に対する何かやろうという取組が、どんどんそがれてくるのが20分を超えてからなので、15分あたりがいいかなということになりました。それから、人数を積算していきますと、人数が増えるほど、見つかる総種数は多くなってくるのですが、これが6~7人のころからは、これ以上人数を増やしても同じぐらいになります。というのは、人数をどんどん増やしても、どこかでサチュレートするあたりがあると考えました。
 次に、スコップを使って埋在性の動物を探します。これは、一人が15個の穴を掘るということにしてあります。穴を掘る大きさの目安は直径15センチで、深さ20センチ程度。穴を掘って見つけた動物をポリ袋に入れていきます。穴掘りの回数を5回、10回、15回、20回とやりますと、15回と20回ではほとんど差が出てきません。それから、人数を増やしていくと、大体8人以上のところでいっぱいになり、大体サチュレートしていきます。それなので基本的には8人、表層15分、穴掘り15回というのをここから編み出して、その後、そういった方法でいろいろやっております。それから、このときに大きなショベルや小さいスコップでも多分差が出るだろうと思って分けてやってみましたが、大型ショベルと小型スコップでは出てくる総種数には差がありませんでした。これは、深いところにいる生物にとっては発見率には差が出てきますが、8人でやると、誰かしら何か1個見つけるということで、総種数にはそれほど大きな差が出ないため、こういった大型ショベルよりも100円ショップとかガーデニングにあるような小さいスコップをメインに使おうと考えております。
 そのように15分、15回が終わったら、ベントスを、篩を使って泥を落として、トレーとかお弁当箱など、市販のポリ容器の中に入れて調べていきます。ベントス調査票というのを用意して、そこに「いた」「いない」というものをチェックしていきます。そのときに、市民の人たちは、こういった同定には慣れていないので、そこら辺を手助けするためにガイドブックの図鑑を参考にしていただきます。
 この図鑑で、東日本編の場合には208種、干潟を主な生息場所にしているもの、普通に見られるものを入れてあります。そのほかに、どうしても図鑑では大きさがぴんとこないので、このラミネート版、下敷き図鑑というのを用意し、ちょうど実物大のサイズの写真を張りつけてあります。ですから、カニなどでは、手にとって、実際に比べてやるとわかりやすい。カニの裏表というのを入れてある。これはラミネートですから洗うことができます。中学生とか小学生対象だったら、これを持たせて、このうちの何種類が見つかったかなという格好で、いろいろガイドをすることもできます。
 これがベントス調査票で、主に干潟を主体として、普通の人たちが発見しやすいもの100種類を入れてあります。100種類の中から、一人一人で何匹いたということは数えません、「いた」「いない」でチェックしていきます。8人で調査するわけですから、これが8枚集まります。それで、8人で調査したものを、今度1枚の調査票にまとめます。すると、8人全部が見つけたら8、1人しか見つけなかったら1という格好になります。調査しているところが2カ所あったら、それをまた足すという格好で、その種類が非常に多かった、少なかった評価は、70%以上の人が発見したものを優占種、それから、10%未満の人しか発見できなかったものは少数種、真ん中を普通種という格好で、その生物の「多い」「少ない」のランクづけをしようということでやっています。
 8名分の調査票にまとめるということ。ランクは70%を優占種、10%以上で70%未満を普通種、10%未満、あるいは1人だけ見つかったものは少数種という格好で、「多い」「少ない」の判定を下すという方法をとっています。
 これは西日本ですが、四国の干潟で、実際に17人に集まってもらって調査した結果です。これは表層と底層全部合わせた数ですけど、ちょっとしか見つけられなかった人から順番に積算していくとこれ、多く見つけた人から順番に積算していくと緑の線ですけど、これを乱数表で順番をいろいろ変えて、その平均値をとりながらやっていくと、大体8人で80%以上の生物がリストアップできる。それ以上増えても、それほど極端に上がらないので、8人以上でやるということは、それなりにどこでも有効と考えております。この後、東京湾の盤洲干潟、それから和歌山県、球磨川、宮城県の鳥の海、福島県の松川浦、そういったところで市民の調査をお願いして一緒にやったり、あとは、ボランティアの方にかかわっていただいて、震災後に松島湾の桂島でも調査を行っていて、それなりにやりやすいということを感じております。
 調査の留意点としては、事前に、最初の人にはきちんとレクチャーしてあげる。調査手法を経験者が教えてあげるということ。それから、掘り返しの調査は、小型スコップと溝掘りショベル、いろいろ道具が違っても余り差がなかったので大丈夫です。これは、年寄りと若い人を比べたり、男子・女子の割合を比べてもほとんど差はありませんでした。それから、ベントス調査票は、現在、東日本を対象にしたものでつくっていますので、干潟が西日本だったり、瀬戸内海だったりというところに行きますと、これはもう一回、新しい調査票をつくり直す必要があります。それから、小中学生が調査を行う場合、ここまで行うのはなかなか難しいという場合には、下敷き図鑑のようなものを使って、あなたは何種類を見つけられたかなという格好で、ベントスに対する興味を持ってもらうことを別枠で、そういった観察会もできるかなと思っています。
 初めて調査することを基礎にしていますので、調査者によって、非常に多く発見できる人、そうではない人がいますが、データのばらつきが排除できるので、各地でやったものを並べてみますと、大体同じような発見率であることが確認できます。ある程度再現性があるということ。それから、調査票を集計して出現頻度の評価を行うので、優占種とか少数種の判断には密度、数を出すわけではないが、優占種だなとか、少数種になっちゃったなというある程度の客観性があります。それから、ガイドブックをきちんと用意していますので、未経験者でも取組やすく、将来、そういったモニタリングは有効と思っていますが、問題点としては、やはり未経験者の場合に、幾ら図鑑があるといっても、同定に問題がある点が非常に多くあります。これをいかに克服するかというのが今、私たちの中で考えなければいけないことで、専門家の参加があれば、それでチェックしていただけますし、今、こういった調査をリーダーできる人材を育成していき、調査リーダーがこういったものを主導して、同定の確からしさも担保してくれる格好で、調査リーダー講習みたいなものも今考えて、一緒にやっております。
 実際には、こういったゴカイとか、いろいろなものが出てきますが、ヨコエビとかコツブムシのような非常に小さいもの、つまりルーペで見てもなかなか種類の判別がつかないものを同定するのはちょっと無理と考えて、そういうのはオーダー(目)のレベルでの分類群でとめておけばいい。ゴカイ類も非常に特徴的なものはわかりますが、いろいろ顕微鏡レベルで区別しなければいけないものに関しては無理なので、それは外さざるを得ない。でも、干潟に優占して生息している二枚貝とか巻貝、巣穴を掘るカニとかに関しては十分使えるし、広範囲をサーチしていくことができるので、例えば今、環境省のモニタリングサイト1000でやっているような調査手法で震災後にやってみますと、モニ1000はどうしても調査範囲が広くないので、それに比べてこういった市民調査は広域を歩き回る少ない種類に関してはきちんとチェックできると、実感としてわかっています。
 モニ1000の干潟調査の手法と、こういった市民調査の手法を比べると、市民調査ではなかなか発見できなかったというのは、モニ1000は一応エキスパートがやっていますので、目視で見つけにくいとか、特殊な生息環境にいるとか、よく似ているものがいる種類とか、こういったものは市民調査ではなかなかチェックしきれないので、こういったところをもう少しいろいろパンフレットとかガイドブックを改良しつつ、上げていければいいかなと思っています。一方、モニ1000の干潟調査でエキスパートが関わっても発見できなかったけれども、市民調査で出てきたというのは、稀にしか存在しないし、個体数が少ない種類とか、もともと生息密度が低い種類は、やはり8人というと、見る目の数がずっと多いので多く見つかるという利点は非常にあると思っていますし、相互に補完できる方法と考えています。
 資料に関しては、この市民調査の方法の概略を書いた1枚の紙を用意させていただきましたので、時間があったときにご覧いただければと思います。
 以上です。

○武内部会長 どうもありがとうございました。大変詳しく干潟の現状と、市民参加型の調査の状況についてお話をいただきました。
 ここで10分間休憩にしたいと思います。そして、今、ご報告いただいたお二人にご質問のある方は、恐縮ですけれども、休憩の間に直接お尋ねいただきたいと思います。2時55分に再開いたします。
(休憩2時45分~再開2時55分)

○武内部会長 それでは、引き続きまして、事務局より議題2に係る資料についてご説明をお願いしたいと思います。

○事務局 それでは、議題2に関する資料の説明をさせていただきます。
 まず、お手元の資料2-1が、今回の審議会でご審議いただきたいと考えている中身で、三陸の自然公園等を活用した復興の考え方の骨子を検討するための資料です。1ページ目に掲載した項目につきましては、前回、座長が整理をされた項目を採用し、整理しております。
 それから、2ページ目以降は1ページ目で掲載した項目ごとに、これまでの審議会での委員のご発言、それから、私ども事務局が委員に個別にヒアリングをする機会があった際に、その委員の方からありましたご発言、それから、復興の基本方針などに書かれている内容を箇条書きで整理をしたものでございます。項目によっては、まだそれほど中身の議論がなされていないものもあります。
 2ページ目を少しかいつまんでご説明させていただきます。1.基本的考え方の(1)の最初に国立公園としての景観評価(代表性、傑出性)がありますが、自然公園法では国立公園を我が国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地と定義し、それが国立公園を指定するときの考え方となっています。今回の三陸の国立公園を再編成する際にも、この地域の景観をどのように評価するのかということが重要と考えておりまして、その資料を後ほどまたご説明させていただこうと思っております。
 それから、資料2-2の方に移らせていただきます。こちら、最初にA3の紙がございまして、先ほどの国立公園としての風景評価、代表性・傑出性の考え方が、長い国立公園の制度の中で、最初のころからどのように変化をして、また、新しい考え方がつけ加わってきたのかを示したものです。昔の国立公園というのは、名勝とか伝統的な探勝地、それから、山岳などの原始性の高い自然の大風景地が選定されておりますが、徐々に海の景観、生態系、野生生物、湿原というように、さまざまな自然の景観を評価して、それらの代表的なもの、傑出したものを国立公園として新たに指定するという作業を行ってまいりました。陸中海岸につきましては、昭和30年に海食崖の景観が優れているという点を評価をして、国立公園に指定しております。また、表の中になくて恐縮なのですが、昭和54年に南三陸金華山国定公園がリアス式海岸の景観を評価して、国定公園として指定されております。今回、三陸一帯の自然公園を再編成する際にも、このような海食崖の傑出した景観ですとか、リアス式海岸の傑出した景観というものが国立公園の風景評価として基礎になるのではないかと考えているところです。
 続きまして、1枚めくりまして、自然公園の選定要領になります。こちらは、私たちが国立公園を新しく指定するときに、どのように地域を選定していくのかという考え方を示したものでございます。風景をさまざまなパターンに分けまして、同一の風景形式の中で代表しているもの、傑出しているものを選びますということが書かれていて、特に陸上の景観については地形・地質や、地被というような植生、それから自然現象、野生動物、文化景観について評価することとされています。海中景観については、海の中の動植物や海中の地形などを評価するということが書かれています。そのほかに面積の要件ですとか、利用の要件が書かれております。
 今度は資料2-2-3の国立公園基本調査標準になりますが、個別の地形といったものの中でどういったものを調査して評価していくのかというのを示したものになります。地形、地質、地被、植生、森林など、それから、特殊景観として地学景観や、野生生物の景観、文化景観として集落、農林業・漁業といったもの、風俗として行事、民謡、民芸といったものも自然公園の風景として評価していくということが今まで行われてきたものでございます。
 次に、資料2-3に移らせていただきます。最初に書いてあるのは、地域性の自然公園制度の特徴となっております。こちらは、委員の皆様方は、よくご存じと思いますので省略させていただきまして、次の国立公園の管理・運営の状況をご説明させていただきます。
 国立公園の管理・運営というのは、公園の保護と利用に分けて整理しておりまして、それぞれ公園計画に基づいて行うものと、そうでないものに分けております。公園計画に基づく公園の保護としては、規制をかけて開発行為を防いでいくということもありますし、公園事業施設として、植生を復元するための施設をつくったりする。それから、生態系の維持・回復のためのさまざまな取組を行うといったものがあります。そのほか清掃や、生態系維持回復事業には基づかないですが、外来生物とか野生生物の保護を行っています。同様に、利用につきましても、地域指定の自然公園ですので、代表的なものですが、ここに挙げられたような主体、多くの方々と連携しながら行っていきます。連携して行うときに、個別の課題に対して、効率的・効果的に進めるために協議会などの場を設定して進めます。
 続きまして、資料2-4は、東北地方の太平洋側の沿岸の利用状況です。最初に各重要な利用拠点の年間の利用者数を示し、それから、1ページ目の下のグラフは、大手の旅行会社が首都圏発のパック旅行、主催旅行で立ち寄る名所として、どういうところをツアーの中に盛り込んでいるのかを整理したものでございます。これは全16コースを調査した結果となっております。
 それから、今度は大手のパックではなくて、個人の旅行でどのような所を皆さんが行かれるのかを整理したもので、それぞれの市町村ごとに自然風景、歴史文化、体験型観光、博物館等、物産・食事といったカテゴリーに分けて立ち寄り先を整理したものです。青森県の八戸市から福島県の相馬市まで、旅行のガイドブックなどを参考に選びましたが、ここに載っていない市町村につきましては、ガイドブックなどでモデルツアーなどに組まれていなくて、紹介されていないということになっております。
 続きまして、3ページ目に移りまして、市町村別の利用者数と宿泊数、それから、岩手県につきましては、どのような交通機関を利用しているのかというデータもありましたので掲載させていただきました。
 これらの状況を取りまとめたのが4ページ目と5ページ目で、種差、陸中海岸北部・南部、南三陸海岸・牡鹿半島、松島、仙台湾、松川浦と地域別に分けて概況を取りまとめました。
 続きまして、資料2-5は、森・里・川・海のつながりに関する取組事例で、全国でもモデル的にやられているものをご紹介いたします。事例1は、気仙沼で取り組まれている「森は海の恋人」運動のことです。森・川・海の関係に対する理解を促進して、自然環境の保全に向けた取組の普及を図るため、植樹祭や流域を意識した活動がなされています。
 2ページ目には、山口県の椹野川でやられている自然再生の取組です。こちらも、やはり山口湾とその流域で協議会を設けて議論を進めて、上流域・中流域・下流域でそれぞれ自然をよくしていく取組というものをやる。それから、地域で交流を促進し、地域活性化を図るための地域通貨の取組をするといったような活動を通して、流域全体を対象とした活動が展開されています。
 続きまして、資料2-6は、環境省が現在取り組んでいるモニタリングの状況についてまとめたものです。1ページ目の自然環境保全基礎調査、2ページ目のモニタリングサイト1000、3ページ目以降の震災で新たに始めた調査の三つになっております。皆さんご存じのとおり、自然環境保全基礎調査は、藻場・干潟、植生を面で押さえるという調査をやっております。モニタリングサイト1000につきましては、代表的なものとしてシギ・チドリ、ガン・カモ、干潟、藻場・アマモ場というものを、三陸の沿岸で調査をしているものでございます。アマモ場につきましては、つい先日、10月18日・19日に岩手県の大槌湾で調査した報告が速報で上がってきております。大槌では、アマモ場のほとんどが消失していて、ただ、オオアマモとか、タチアマモという他にはあまり見られないような種類のアマモも実生としては残っていることが確認されております。
 それから、震災後のモニタリング調査につきましては、蒲生干潟での調査と、それから、栃内浜という、前に防潮堤とかがない自然の豊かな海浜植物と海岸林の調査をこれまでやってまいりました。蒲生干潟では、今後、さらに調査体制を強化しまして、地形の変化状況がどうなっていくのか、それから、ベントス、底生生物の調査、鳥類の調査を行っていくことを計画しております。  続きまして、資料2-7は、協働型管理・運営の取組事例として、信越トレイルクラブというNPO法人が、長野と新潟にわたる信越トレイルという長距離歩道を管理している事例について、最初にご紹介させていただきました。
 それから、2番目が株式会社モンベルさんの取組ですが、モンベルクラブという会員制度を活用して、SEA TO SUMMITという海から山まで自力で進む中で自然の循環を体感して、自然の大切さについて考えていくというイベントを定期的に開催していく。モンベルの会員であるイベント参加者を対象としたものですが、その中でシンポジウムなどを通じて、自然環境のことを考えていただく機会を持ったり、地域にたくさん宿泊していただいて、地域貢献をする取組がなされています。この取組の特徴は、企業の力を借りて地域の広報をして魅力アップにつなげていくこと、それから、企業と地域の新しい互恵関係の構築であり、大変興味深い事例になっております。最近では、地元の地域の方から「フレンドエリア」として提携したいというケースも増えていると聞いておりますので、企業の取組だけではなく、地域からも求められている取組としてご紹介させていただきました。
 それから、事例3として、環境省の長距離自然歩道の再生の取組です。九州の長距離自然歩道は、整備から大分時間がたってしまっていて、利用の低下、情報不足、道が荒れるといったことが生じ、その立て直しを図るためにガイドマップを作成したり、インターネットでポータルサイトを設置し、それから、地域の方々みんなで道をもう一度管理する体制づくりを仕掛けて、取組を開始したところでございます。
 以上で、資料の説明を終わらせていただきます。よろしくお願いいたします。

○武内部会長 どうもありがとうございました。それでは、これから皆さんにご質問あるいはご意見をいただきたいと思います。

○下村委員 今日はすばらしい話題提供をいただきましたが、一、二点発言をさせていただきたいと思います。
 部会長や局長から新しい公園という表現があり、今回、新しさというのをどういう形で、この三陸復興国立公園の中に入れていくかということです。つまり制度との関係を含めて、どういう形で新しさを受けとめるかというのを、きちんとご議論いただく必要があるかなと考えています。新しさというのは、きっと二通りあって、一つは、局長からも冒頭、国立公園の制度が誕生して80年経つという時間の流れについての話がありましたし、資料2-2-1の中で、国立公園の指定における風景評価の変化という資料提示もありましたけれども、おそらく時代の要請の変化というか、時代の流れによる新しさ、新しい要請に応えるための新しさの問題と、それから、前回も白幡委員がご発言されていましたけれども、復興という特殊なケースに貢献することでの新しさという両面がきっとあると思います。それを従来の公園制度の解釈でいろいろ組み込んでいけるのか、あるいは制度を少し検討しなくてはいけないのかとか、本格的に検討しなくてはいけないのか、あるいは何か特別公園というか特別な措置で対応できるのかといったあたりについて、ご議論していただく必要があると思います。
 おそらく、一つは資源性という点でも変わってきているということだと思います。先ほど、田野畑の渡辺さんからいろいろ楽しみ方のご紹介がありましたけれども、そういう点で公園の資源性というものも変化してきていて、従来、普通地域と言われていたエリアの中に、生活文化に絡んだ文化的景観といいますか、そういうものが出てきているというのが一つあると思います。従前の文化というのは、当然、初期の段階でも入れてありましたけれども、文化の性格が少し変わってきていますので、社寺とか歴史とかというだけではなくて、生活文化の概念みたいなのが入ってきている中で、しかも、それが普通地域においてのことも含めて、そういう資源性の問題とどう対応させるかということ。
それから、昨今、自然公園も協働型の運営とか協働型の管理の検討を進めておられるようで、私も参加させていただいておりますけれども、その中で、課題として出てくるのは2点あり、一つは利用計画の問題です。従来、公園がかなり保護計画、保護の規制制度については随分ストックしてきましたけれども、利用に関してはあまり、環境省から方針をしっかり出してという制度的な対応をしてきていないわけです。点と線の施設整備にかなりウエートを置いた利用計画をしてきましたので、ある程度、このゾーンではこういう方針で利用していくとか、そういう利用の方針等についてはあまり出してきませんでした。そうすると、例えば、先ほど田野畑村の方から施設整備に対する緩和の期待だとかという話が出ていましたけれども、ああいうものも場当たり的に対応せざるを得なくなってしまうというか、かなり特殊ケースとして対応しなければいけなくなってくる。本来は、三陸復興公園というものをどういう形で、どういう方針で、どう利用していただくのか、それをどう自然の強化に使っていただくかという方針があって、それで地元とご協力いただくという、あるいは第一次産業とも連携して、支援に結びつけるかというあたりが重要だと思いますが、そういう点で、利用計画をもっといじらなければいけないというのが課題として一つ上がります。
 それからもう一つは、実際に協働しようとすると問題となる事務局体制をどうするか、協働体制というものを実際に国立公園の管理・運営の中にどのように組み込んでいくかという点です。実際には、おそらくレンジャーの方だけで対応していくのが難しいと、しきりに協働管理の議論の場では出てきますので、非常に新しい概念で、実際に労力も費用もいろいろなパターンで処理していく必要も出てきて、そういう管理のあり方も公園の中に全部取り込むのか、外とうまく連携をとるのかということも、協働型の運営・管理では出てきますので、今回の新しさというのは非常に時代の流れにも沿っていて、必要なことだとは思いますが、復興に必要なスピードと制度改革を、どう取り合わせていくかということをうまくマッチングする必要があると思いますので、いろいろご審議いただけると良いと考えております。

○武内部会長 ありがとうございました。今日まとめて何か一つの原案という形になるのではなくて、今日はご意見をいただいて、事務局で整理ということになると思いますので、貴重なご意見をいただいて結構だと思います。
 それでは、ご意見、ご質問のある方、札を立てていただければと思います。今立っている隈委員から順番にお願いします。

○隈委員 今、お話があった新しさということに絡みますが、ここにもともとあった文化というものを、自然と同じような形で伝えていくにはどうしたらいいか。そのときに、職人というのは東北の大きな資産になっておりますので、そういう職人の技ですとか、そういうものを施設整備のときに生かした形でできないかと感じます。
 資材も、実は地元の石とか、東北はいろいろおもしろい石がありますが、今は東京中心で中国の石が入ってきたりして、石切り場がどんどん閉じられてしまい、石を使って舗石とか、そういうものに利用するとか、そういう東北の持っていた文化的資源、それは建築資材も含めて、そういうものをうまい形で生かして整備していただくと、コストをそれほどかけなくても、文化の薫りが立ち上るということができると期待しております。

○武内部会長 どうもありがとうございました。事務局からのレスポンスについては、後ほど一括してということでお願いしたいと思います。
 敷田委員、お願いします。

○敷田委員 敷田です。先ほどの下村委員の発言に多分オーバーラップや関連をすると思いますが、新しい国立公園を想定した場合に、地域との関わりというのが、復興という字が入っていることは当然ですが、大きくなっていくと考えられます。その場合に国立公園として、その地域の活動とどこまでかかわるのかということを考えると、国立公園の今の仕組みの中で、民間とのパートナーシップという資料2-1に書いてあることだけではなしに、国立公園の仕組みや制度がどこまでプラットホームとしての魅力を提供できるかという点が問題になります。それは、国立公園の制度や仕組みを使って、そこで地域再生や地域活性化にいろいろな還元ができるかどうかということに大きく関わってくるのではないかと思います。先ほどの田野畑の例でいきますと、NPO法人をつくっているということですが、それと国立公園の存在というのは、別々に存在していってしまう可能性が大きいと思います。しかし、これをもし同じ枠組みの中でできれば、公園制度のいろいろなものが規制や利用ということを超えて、マネジメントの視点で活用できるようになります。それは非常に大きいと思います。今、そういう制度をつくろうとすると、非常に多くの協議会や会議に分割され、それを支援する事務局も十分ではないということが起こりがちです。私が見てきた白山や知床の国立公園でも、そのおかげでマンパワーが必要になって、なかなか管理に手が回らない。そうすると、できることというのは規制しかないので、規制しかしなくなるという悪循環を生んでいるように思います。なので、これも制度や法律の枠組みの中でどこまで可能かという論点はあると思いますが、民間とのパートナーシップという、資料2-1の項目にあるところを超えて、プラットホームとしてのいろいろな魅力をこの制度の中、国立公園の中で提供できれば非常に新しい考え方になるのではないかと思います。
 以上です。

○武内部会長 どうもありがとうございました。一つには、空間的ないろいろな利用目的がある中で、国立公園に網をかぶせるときの考え方をどうするかということと、それから、今のようにマネジメントの体制を、従来は、国立公園と言えばレンジャーがいてというような話ではなく、いわば水平的な協働管理の仕組みづくりというものが、この議論の中でどこまで踏み込んでできるのかという、かなり本質的な課題だと思いますので、後ほどお考えをお聞かせいただければと思います。
 土屋委員、お願いします。

○土屋委員 関連したことから質問させていただきます。資料2-2のところで、自然公園の選定に関する基準が述べられておりました。ご説明を伺っていますと、表現はかなり大ざっぱに書いてあるなという印象を受けております。今回、国立公園の範囲を拡大しようとしているときに、この中身、つまりどういう景観で、あるいは自然性がどのようになっているかということを評価するときに、どのように当てはめていくかというのが、先ほどの制度との関係で気になるところです。文章として残っているのがこれだけだとすると、おそらく今までどういう基準で国立公園をつくってきたかという前例がかなり重要になってくるのかもしれないと感じていますが、今度の国立公園は、ぜひつくっていただきたいと思うわけですけれども、どういうふうにこれからこういう基準を当てはめようとしておられるのかということについて、何か現段階でお聞かせいただけるものがあれば教えていただきたいと思います。
 それから、二つ目はコメントですけれども、最初にご説明いただいた資料2-1の考え方の骨子のところで、森・里・川・海のつながりを通じたというような表現が繰り返し出てまいりますが、その具体性がないのです。どのようにつながっているかということを、より明確に書いておくと読む人もわかりやすいでしょうし、これからの議論にも役立つだろうと思います。それから、一般的には物は高いところから低いところへ流れますので、こういう表現でいいのかもしれませんが、これに加えて、最近は横へのつながりも重視されております。例えば陸上でも、森と草原のつながりとか、海で言えば、三陸の場合ですと岩場と干潟、あるいは藻場と干潟・岩場のつながりが議論できるはずですので、そういうところまで少し具体的に踏み込んで書くと、この重要性がよくわかり、公園の設置にも役立つのではないかと感じました。
 以上です。

○武内部会長 どうもありがとうございました。先ほど来、下村委員からも話がございましたけれども、多分、考え方は三つあると思います。これを機会に国立公園というものの概念をかなり大きく変えるというところに踏み込んで、そして、それにまつわるさまざまな新しい基準づくりをするというところまで行くのか、あるいは2番目としては、復興に貢献するという極めて特区的な発想でこの国立公園というのを考えて、ほかの国立公園とは少し違う形で基準をつくっていくという考え方、それから三つ目は、従来の基準を少し延長する形で、こういうふうに少し、いわばインクリメンタルに概念を広げていくという、そういう従来の流れをかなり踏まえた格好でやるというのと、それぞれ大分ニュアンスが違ってくると思います。今の時点でどれにするということについて、事務局の原案を聞く必要はないと思いますけれど、そういう視点があるということですね。
 それからもう一つは、森・川・海のつながりというのは、京大の社会連携の一種のグループの提唱しているもので、栄養分を通した連環ということに着目されていますけれども、それ以外にも土地利用のモザイクとしての連環という視点があります。例えば、木材を地産地消で海岸部で使うとか、住宅の原材料をどうするとか、あるいは食べ物を地産地消でいくとか、そういう、いわば土地利用の連環による地域の、最近分断された土地利用要素の再構築というような話があると思うんですね。そして、多分、それに加えて、エネルギーの地産地消みたいな話がそこについてきて、さらにエネルギーの地産地消の枠組みの中で、従来で言うと、国立公園と再生可能エネルギーが矛盾概念であったというところをどう調整するような新しいメカニズムをつくっていくのか。放っておいても、再生可能エネルギーという話は出てきますし、その辺もちょっと考えていただきたい。
 それから、山の自然に手を入れるというのと、海の自然で、多分、今回はさまざまな脆弱性がはっきりしたわけで、そこの再生というのをセットで考えていくとか、そんなこともあるかもしれません。そういうことで、今申し上げたように、森・川・海の連携については、もともとの京大の社会連携的な話から、少し話を発展させる必要があると私も思います。
 中村委員、お願いします。

○中村委員 委員長がご説明になった木材というキーワードも出てくるので、それをベースにしたつながりを、どうやって築いていくのかというのを質問したかったのですが、今、委員長が大体答えていただいたような感じなので、それは置いておいて、もし何か加えることがあったら教えていただきたいです。
 もう一つは、復興は大事なのだが、仮にまた来た場合、つまり、平常時は国立公園で良いのですけれども、異常時に避難する態勢になったときに、例えば国立公園が活かされるかというような視点はなくていいのか。この中に、私には書かれていないような気がするので、いわゆる今後あり得る防災のための空間としての国立公園の役割というのもあってもいいのかなと思いました。
 以上です。

○武内部会長 どうもありがとうございました。多分、自然保護あたりでその辺は多少表現していますが、もう少し大きく、地域社会のレジリエンスの強化ということで、自然共生社会が日常的にはレクリエーションとか、そういうことの役割を最大限発揮しつつ、非日常的には自然の脅威をソフトに受けとめるような仕組みづくりにどう貢献できるかというあたりが議論の詰めだと思いますので、よろしくお願いします。
 速水委員、お願いします。

○速水委員 ありがとうございます。先ほど委員長が随分まとめていただいたので、森林の話をしようかと思っていたんですが。

○武内部会長 どうぞ専門ですから、深くお話しください。

○速水委員 はい、ありがとうございます。私、吉野熊野国立公園と伊勢志摩国立公園に挟まれた町に住んでおりまして、両方の地域によく森林の話をしろと言うことで呼ばれますが、やはり森林と海との関係というのは非常に今、国立公園の中でも注目されつつあるわけですね。ところが、それぞれの地域によって注目度というか観点がいろいろ違ってくる。だから、この三陸の森・里・海という関連を、三陸としてどうとらえていくかというのは、かなりしっかりと地域の方と相談をしながらとらえていく必要があると思っております。先日も、気仙の牡蠣養殖で有名な畠山さんと一緒になって話をしましたが、彼はもともと山の上の方に広葉樹を植えて、杉の木は敵みたいなものだって半分冗談でおっしゃっていましたが、最近、被害を受けられて、養殖のいかだをつくるのも杉の木なので、実はチェーンソーを持たせて林業部門をつくったと言って笑っていました。東北は、製材工場が大きくなりました。大規模製材工場の場合、地域の木材を使うといっても、一度大きな工場に行ったらなかなか戻ってこない。つまり、どこに行くのかわからない。地域の木材を使うという仕組みがなかなかできないということで困ったというので、海外へ行くと、かなり安い移動式の製材機があるから購入しなさいということでお勧めしたら、すぐに畠山さんは購入されて、それ以来、あちこちで「移動式製材機、東北へ入れろ、入れろ」というお話をされているみたいです。実はイギリスのナショナル・トラストに行くと、そういう小さな製材工場を生かすのに必死になるわけですね。そこの木材を、その地域の中で使って、さまざまな施設を再生していくという、かなり材料というものの地域性をかなり小さく見て、徹底しているというふうなところがあって、畠山さんの活動というのは、ある意味、私どもからすれば、そういう視点が出てくるというふうに感じました。
 今回、もし森・里・海ととらえるならば、その連携を今まで国立公園できっちり説明して価値として認めてきたところはないと思うのです。偶然、場所として海があり、山があり、海食の景観として見えるような海岸地域があってというだけの話で、それの連続性を価値としてどう認めていくかということが、多分、さっきの国立公園の幾つかの基準の中で読み込めるならば、そういう新しい読み方をしていただきたいし、読み込めないんだったら、そういう読み込み方を考えていくということをお願いできれば、今の時代に合ったものになるんではないかなと、そのように考えております。

○武内部会長 ありがとうございました。
 マリ委員、お願いします。

○マリ・クリスティーヌ委員 私がちょっとひっかかるところは、この三陸の国立公園構想という「新」という言葉は、新たなものをつくるということで、今までのものを何か否定するような感じがして、今までの国立公園はよくなかったのかということになると思います。アメリカの国立公園の歴史と日本の国立公園の歴史で非常に近いのは、1915年大正時代に日本で始まって、アメリカでは1916年にまずシステムとしてできました。もともとは1800年代の1872年ごろからヨセミテパークが一番最初の国立公園としてできましたが、それも結局、最初は風光明媚なというところから大勢の人たちが利用するようになってしまい、それこそ大きな木の中に穴を掘ってトンネルまでつくってしまって、人々に遊ばせようということだったが、国立公園ができた日本の経緯もそうだと思いますが、国民がこの国立公園を楽しむということでできたと思います。資料の文章の中には「国民が」とあまり出てきません。むしろ、どうやって保護や利用を行うか、本来、国立公園というのは国民が楽しみ豊かさを感じ、または高級なリゾート地に出かけていくことはできなくても、このすばらしい日本の自然は私たちにとっての財産であるという認識を国民が持つことによって大切にしていこうという趣旨のものだと思います。だからこそ保護や利用していこうという気持ちになると思うので、やはり冒頭のところではもっと、何のために、国民のためにこの国立公園があるのだということの文章がもっと手厚く書かれてもいいと思います。
 それと、私も災害のときに非常に古いオートキャンプの地域も活用したりとか、オートキャンプの整備って大変重要です。むしろ、水がそこにありますし、下水道もちゃんとあるわけですから、これは平常のときでも、非常のときでも両方使えるわけですから、前にあったいいオートキャンプ構想というのをもう一回復活させてさしあげるとか、または古くなったところをきれいに整備することによって、災害があったときにそこを活用することができると。それは公園の中でも使えますし、あとは、青少年の施設というのがたくさんあったんです。富士山のふもととか、いろんなところに。最近、聞かなくなってしまったんです。老朽化してきて、青少年の施設というのが公園の中にあったものは、若い人たちが森を楽しみ、自然を楽しみということで活用できたので、この「新」ということだけではなく、むしろ、もう一回リバイバルという形の中でもいろいろ考えられるんではないかと思うんです。
 あともう一つ、ここから見受けないのは、もちろん風景とか景観とあるので、おそらく当たり前に思われていますが、前回の委員会のときにも申し上げましたように、例えばアメリカのポトマック川に沿った道路にはシーニックバイウェイという美しい景観があっても、車を運転しながら風景が見られなかったら余り意味がないような気がして、先ほど、北は青森から復興しなければならない海岸線をずっと走られたとおっしゃいましたけれども、そこの地域をもっときちっとした形での道路でつなげることで、それをシーニックハイウェイとかシーニックバイウェイにしていくということも重要ではないかと思うので、これは国土交通省の管轄かもしれないが、やはりそれも連携して一緒にやっていくことが、一つの国立公園の中の構想には重要ではないかなという感じがいたしました。

○武内部会長 どうもありがとうございました。別途、三陸縦貫道の議論を国交省で今やっています。概算要求にも入り、補正予算にも入ると思うので、そういうところとの連携も考えていかないといけないということだと思いますので、そこは一度ヒアリングをしていただいて、そちらの考え方、アメリカの例で言うと、日常的には風景地を味わう道路で、そして、何か問題があったときには、そのバイパスとして使えるというのは、そういうリダンダンシーを高めるという機能が非常に強調されていたように思いますので、そういうこともあわせて検討いただけるといいと思います。ありがとうございました。
 森本委員、お願いします。

○森本委員 ありがとうございます。新しいというか、自然公園の性格が変わってきてというお話がありました。数年前に、丹後天橋立大江山のように里地里山ということが自覚的に語られ、そこにおける生物多様性、自然環境という視点があったわけですが、今度、もう少し歴史・文化というか、もちろんスピリチュアルの面というのもどこかに入らないかなと思います。それは環境教育という言葉で語られ、あるいは防災という言葉で語られていますが、津波あるいは震災の被害を、自然への認識とそれへの賢い対応につなげるという視点です。どういうものを手がかりにして、例えば園地だとかを整備していくとか、あるいは利用していくかというときに、一つ手がかりになるのではないかと思って少し調べかけているのが鎮守の森です。いわゆる歴史的な緑地というか、それまで住民との関わり合いを持っていた何かしらスピリチュアルなものというのが一つは手がかりになるのではないかと思っています。結構、鎮守の森が被害の中で残っているのがあって、地域に行くと人々の関心を、そういうものを手がかりに復興というようなこともあるというふうに、私は感じています。
そういうこともあって、実は来月、11月16日にドナルド・キーンさんを招いて、社叢学会というのがあります。社叢というのは鎮守の森の社叢ですけれども、社叢学会でシンポジウムを学士会館でやるのですけれども。例えば社叢は避難場所になる。海辺の土地の利用の仕方というのを賢い利用の仕方に変える必要があるとしたら、避難路あるいは避難地の準備というのが必要になるわけですけれども、そういったときに、そういう歴史的な緑地であるとか、鎮守の森みたいな考え方が参考になるのではないかなというのが、1点ございます。
 それからもう1点は、環境教育というと往々にして、いわゆる自然体験と倫理観を養うということが日本の場合、大変多いと思います。エコツーリズムも似たようなところがあり、それは大変結構で必須のものなのですが、防災等も考えると、本当の意味の環境教育というのを、甘いも酸いもかみ分けたというか、自然、生態系サービスのプラスの面もマイナスの面も、つまり災害の面も踏まえて、あるいは人間が生きていく必須のものも踏まえて、現状問題があるとしたら、それをシステム科学的にちゃんととらえて、オルタナティブが考えられるような人間をつくるというのが、本当は必要であると思っていまして、そういう新たな環境教育、防災ということを二つ考えたときに、すごくいい事例というか、場所がいっぱいあろうかなと思いますので、自覚的に環境教育をそういう方向でやる拠点ができていけばいいなと。その2点、感じたところです。

○武内部会長 ありがとうございます。
 鷲谷委員、お願いします。

○鷲谷委員 もしかすると今の段階で余りふさわしくない発言で、会議の終わりなどにお聞きすればいいかもしれませんけれども、国立公園の今後ということを考えると少し心配なこともあるものですから、今回の議論とややずれてしまうかもしれませんが、発言させていただきたいと思っています。
国立公園に関しては、生物多様性の保全の場としての期待というのがかなり現在的なものになってきたというのが最近の特徴だと思います。愛知目標の中では、自然保護区については数値目標が出されましたけれども、国立公園は、日本でいえば保護地域の代表的なものでもありますので、国際的にも生物多様性保全の場として保護地域を確保すると同時に、生物多様性の保全と持続可能な利用に資するように管理していく。地域の視点も重要ですけれども、国とか国際的な視点でも管理を考えていくということは重要なのではないかと思います。関西広域連合や九州広域連合などが、地方環境事務所の事務などの移譲を受けたいとおっしゃっているというような報道が時々なされるのですけれども、それはある自治体、あるいはそのグループが国立公園を管理するということになるのだと思うのですが、地域の思いとかビジョンもとても重要ですが、国やグローバルな視点からの管理というのがずれて、うまくいくかどうかというのが心配です。その動きがどうなのか。今日の議論も、間接的には国立公園というものに、私たちはいろいろな役割・機能を期待しますが、その中で生物多様性条約でお約束している部分とか、そういうものとの関連というのは、どういうふうにすれば維持していけるかということについて、もし何かお考えのことがありましたら、お聞かせいただければと思います。

○武内部会長 どうもありがとうございました。
私もさっき、ちらちらと資料を見ていて、愛知目標との関係だとか、今回、海域の面積を拡大しなければいけないという議論の中で、どういうふうに扱うのだというような議論がなかったので、ぜひそれはつけ加えていただきたいというふうに思っておりました。
 あん委員、お願いします。

○あん・まくどなるど委員 私は、実は1980年代から東北をベースにしながら、日本の民俗学を勉強したり、長野県をベースにしながら、東北の明治生まれの職人さんの聞き取り調査を6年間ぐらい旅人をしながらやって、回ってきました。先日ちょっと久しぶりに、宮城県で松尾芭蕉が昔歩いた何カ所を訪ね歩きながら、民俗学の視点から宮城の風景を見たりしました。そのとき、やっぱり、東北の文化は非常に厚い層があると改めて思い、かなり失われたと思ったものがまだ辛うじて残っていると発見しました。先ほど何人かの委員の発言があったかと思うのですが、文化面はやや弱いような気がします。東北ならではという色合いがもう少し出ないと、「三陸地域」という言葉を外せば日本のどこでもあるようなものになる危険性、可能性もあると、ちょっと危惧しているところです。
 例えば赤坂憲雄がつくり上げてきた、引っ張ってきた東北学、ああいうものを基にして、少し独自の色合いが出てくるのではないか。あとは宮城県の結城登美雄、彼は「山に暮らす海に生きる」という本を書き、これは農山漁村の現場を支えている人たちをベースにして、民俗学の視点からいろいろ東北を書かれたりしました。そういう東北ならではという色合いが出てくると、山・川・海みたいなものも含めて、もう少し像の深いものになると思います。
 エコツーリズムを考えるときに、私は日本がエコツーリズムのモデルをつくろうとか、ガイドラインをつくろうとしたときに、その審議会に参加させていただきましたが、当時の問題でもあって、今でもやや問題だと個人的に感じているのは、エコツーリズムは自然体験を重視し過ぎている、偏り過ぎている部分があることです。海外のエコツーリズムのルーツを見ると、これは先住民のいる地域から生じていて、文化の部分、例えばカナダのクイーンシャーロット列島、アラスカのちょっと下にある西海岸のハイダ族、トーテムポールですごく有名なところですが、そこで国立公園をつくったときに、レンジャーたちは全部住民になっています。先住民でなければいけないという視点もあります。彼らの活動の一つは、もちろん自然界のモニタリングや、レンジャーの仕事もしなければいけないのですが。もう一つは、職人育成のプログラムが国立公園の活動の中に入っていて、そのため、東北を初め日本のどこでも、クラフトの伝承の壁にぶつかっているところは少なくはないと思いますが、そういった文化的な活動がより生き生きとして、インテグレートしていけるようになれたらいかがかなと思いました。そうすると、資料2-1の4番、モニタリング・環境教育、3番目、その他の文化政策との連携は、記述がちょっと寂しいのではないかと思います。
 最後に、農林水産業との連携、エコツーリズムのところで、漁業が割と大きく書かれていますが、せっかく森・里・川・海のつながりを前に持っていこうと思ったら、もう少しその辺は農業、焼き畑から水田づくりから、海までいろいろありますので、そういうものが入っていけたら、エコツーリズムの活動としていいのではないかと思います。
 少し気になるのが、森・川・海のつながりのところで、資料2-1の3番のページで、ほかの委員と意見が違う可能性が高いと思うのですが、私は、漁業者にとっても開発から守る必要性が高い海域であれば、海洋保護区の指定が検討できるのではないかということです。日本の漁業者は自らノーテイクゾーンとかいろいろ設けたりはしていますので、もう少しそういう現状、東北沿岸海域で漁業者が自らboundary of no-take zoneを定めているところが結構あるかと思いますので、そういうものを配慮した上で、上からくる発想があってもいいのではないかと思います。以上です。

○武内部会長 どうもありがとうございました。
 それでは、2順目に行きたいと思いますが、佐藤委員。

○佐藤委員 今日は田野畑のお話とか、鈴木先生のお話、大変勉強させていただきまして、ありがとうございます。
 そこで思いましたが、この資料の中には、(1)の最後の方に、復興や産業振興は、国立公園が担わなければならないものではないが、と書いてありますが、あの状況を見ると、結局、復興していかないことには、自然も何も成り立たないのではないかと。田野畑のお話の中で、結局は暮らしの営みそのものが資源を守ったりとか、自然に対する親しみとか、そういうものをつくっているわけなので、その部分が今失われているわけですから、そこは考えないわけにはいかないだろうと。ただ、それは単に産業という意味だけではなくて、先ほど文化の話もされましたけれども、東北地方、あの地域にある知恵のようなものだと思うんですけれども、そこをどうやってもう1回つくり直していくか。それは全く同じものではないかもしれませんけれども、そこを考えないとだめなのではないかなと思いました。
田野畑では、津波の復興の中で、それをもう観光資源と言っては何ですけれども、エコツーリズムの一つの形にしていらっしゃるということですけれども、そういうもの自体をここの公園の一つのコンセプトというか、一つのソフトにして行かざるを得ないのではないかなということを、今日のお話と今日の冊子を見せていただいて、つくづく感じたところです。一つがそれなんですけれども。
 それともう一つは、民間とのパートナーシップですが、民間と書いてあると、大学の学生さんとか若い人たちも、ここの地域にもっと入ってもらうようなことをしてもいいのではないかなということを思いましたので、企業もせっかく入れてくださっていて、いろんな企業が手を挙げたいと思っていると思います。サントリーも水産に対していろいろお金を出したいというようなことをやっていますし、案外全く違う分野からいろんな支援が出てくるのではないかと思いますので、広く企業の支援を集める活動をしていただきたいというのと。大学生とか若い人たち、大学の先生や連れてくる若い人たちの視点でこの場所を見てもらうと、それこそ新しいものが生まれる可能性とか、地域の活力とか、そういうものにつながっていくのではないかと思います。いろいろなことがあったのですから、この機会を使って、今ボランティアもいっぱい入っていますので、そういうことも含めて、みんなにとっての大事な三陸になるような試み、この地域だけの問題ではなく、広げて考えていただくといいものになるのではないかなと思います。以上でございます。

○武内部会長 ありがとうございました。
 大久保委員、お願いいたします。

○大久保委員 今の佐藤さんの意見とも近いのかもしれませんけれども、東北は相当な勢いで人口が減っていくだろうと。そういう中で、我々企業としてもどうするのか、進出するにしろ、どういう格好でどうするのかというのが非常に大きな問題です。実は、私どもが提携しているアメリカの会社の本社研究所がミネソタにあって、そこは本当にすばらしい自然の中にあるため、これはどうしてですかと聞いたら、正確ではないので間違っているかもしれませんけれども、国立公園の中を借りて、大きな沼も含めたある地域についての相当厳しい環境維持責任を持たされながら、本社をつくったと。かなりの人数がそこで働いているという会社がございました。
 今後、こういう公園とそういうものが両立するかどうかというのを、あるいは今の法的な規制の中でどの程度になっているのか私は詳しく存じませんけれども、とにかく今のままでは、おそらく都市化がどんどん進み、東京の人口は増えるだろうけれども、相当な勢いで東北は減る中で、どう活性化していくかということをあわせて考えないと、先ほどの佐藤さんの意見もある意味では同じだと思うんですけれども。そういう形で、私が考えている民間とのパートナーシップというのは、単なるCSRではだめだと思います。もっと事業そのものと密接に結びついたパートナーシップでないと意味がないと考えています。以上です。

○武内部会長 ありがとうございました。
 小泉委員、お願いいたします。

○小泉委員 局長が、最初に国立公園の新しい役割というようなことでおっしゃっていたので、それについて発言したいと思います。
 三陸は、今回地震と津波で非常に大きな被害を受けました。それがもとで、防災教育の必要性が叫ばれるようになっています。ただ私は、それにとどまらずに、防災教育をもとにして、日本の自然教育をきちんとしていく機会にしていったらどうかと考えています。そうすることが一つの提案です。実は日本の自然というのは、普段は大きな恵みを与えてくれていますが、今回の地震と津波のように、時には大きなきばをむいて、災害を起こす非常に怖い存在であります。これは津波だけではなく、洪水もそうですし、それから火山もそうです。また台風がやってくると、山崩れや洪水などいろんなことが起こります。かつてはこうした怖い自然を「荒ぶる神」と呼んで、畏敬してきたわけですが、現在の日本の教育では、そういうことがまったく抜け落ちてしまっていると思います。残念ながら、学校で自然の仕組みだとか、あるいは自然の成り立ちがどうなってきたかということについて学習する機会が非常に乏しいのです。そのため、国民はほとんどの人が自然についての知識が少ないままで大人になってしまっています。
 ですから、国立公園を訪ねても、ほとんどの人が風景を見、花や紅葉を楽しんで、あとはおいしい食べ物を食べて、温泉に入って、それで終わりです。頭をつかうということがないのです。せっかく自然の豊かなところに行っても、1カ所に5分か10分しかかけず、すぐにいなくなってしまうというのが、ほとんどだと思います。これは、とてももったいない話です。せっかく国立公園を訪ねるのですから、もう少し知的に楽しんでもらいたいと、私は思っています。
例えば私の今やっている地生態学という分野ですが、地形や地質自然史といった自然の成り立ちから、生物の分布までまとめて扱います。それによって国立公園の新しい価値を発見することができます。同様に生物だけでなく、文化・歴史を含めて考えることができます。このような自然の見方をすると、国立公園ももっと突っ込んだ楽しみ方ができると思います。今年の5月、隠岐に行ってきましたが、海岸から高山植物が生えていたりします。そうした謎を発見し、一緒に行った人たちに、どうしてこうなったんだろうと問いかけてみると、その人たちの興味の持ち方がたちまち変わってきて、ああじゃないか、こうじゃないかと議論が始まります。ただこの場合に、自然について何も知らないと、高山植物がそこにあっても何も不思議に思いませんから、興味の持ち方がまるで違ってきてしまうと思います。少し知識があれば、1ランク違った楽しみ方ができるのです。
そういったレベルの高い観光は、これから復興だとか、あるいは観光地を回復していくときもかなり大事になってくると思います。三陸は、今後の防災が大きな課題になっているわけですが、教育面では防災だけで終わりにしないで、自然教育の再生のきっかけにしてもらいたいと、私は考えています。その辺について、環境省の方で何か考えておられることがあったら教えていただきたいと思います。以上です。

○武内部会長 どうもありがとうございました。
 今の点については、自然の恵みにやや依拠し過ぎて、自然共生社会論というのを、この間、展開してきているわけですけれども、もう少し自然の恵みと自然の脅威、この二面性を持っているのが日本の自然の特徴だと深くとらえた上での自然環境教育、あるいはそれ以外のさまざまな取組に話をつなげていかなければいけないのではないかと、そういうことだと思います。多分、その問題意識を持っていると思いますが、引き続き、特に地形というのは、今回津波の記憶は非常に重要なことでもありますので、さらに考えていければと思います。
 桜井委員、お願いします。

○桜井委員 私の立場から、海の観点からお話をさせていただきます。もう一度東北という場所の海の位置づけですけれども、この海というのは、日本の中では一番生産量が高くて、冷たくもなく暖かくもなく、非常に季節性を持っていて、非常に生産量が高い場所です。これがあるという前提で沿岸の経済が成り立っている、産業が成り立っている。なおかつ、森・川・海が隣接していて、沿岸のリアス式海岸、あるいはいろいろな地形のところで多様な生物がいて、多様な漁業が営まれているということからしますと、この場所がきちんと維持されなければ、日本の海は維持されません。それぐらい大事なところです。
ただし、その中で一様かというと、そうでもなくて、一つ一つの地域を見ていますと、全く違う地域社会があります。ですから、これを一様に国立公園でぼんとかぶせて、海洋保護区というのではなくて、海洋保護区そのものも含めて、地域にとって必要かどうかを含めながら、その地域を見ていくというのが主になると思います。ですから、例えば、本当に同じ長い町の中で、どことどこが全く違う人種だということもあるわけです。そういう社会をよく踏まえながら、この地域をやっていくと。
 それからもう一つ大事なことは、岩手と宮城の各地域を見ていきますと、大学の研究所があったり、各市町村で博物館を持っていたり、資料館を持っているところがたくさんあります。そうすると、そういったところの人たちは結構力を持っていらっしゃいます。そういった人たちの力も活用する。先ほど学生、院生と言われましたけれども、そういった人たちも活用しながら、地域としての活力を上げるということをこの国立公園がうまくかぶせていければ、一番いいなと思っています。以上です。

○武内部会長 ありがとうございました。
 今度の震災復興に絡んで、東北大学と東大の大槌と、それから岩手大学も新たに研究所を設置するという話がありますので、そういうものとの連携もあわせてお考えいただけると思います。
 白幡委員、お願いします。

○白幡委員 今日は前回の議論を踏まえて、いろいろ目次を考えてくださったと思いますが、基本的な考え方の整理をやっていただいたのですが、もう少し続けなければいけないかなと感じました。
 座長がおっしゃったように、国立公園の概念を変えるというのが一つ。これも、ひょっとすると今回の事態で要請されているのではないかという気もしますが、これは簡単ではないと。
 それから、復興に貢献しなければいけないというのは、国立公園の本来の目標なのか、それとも特区というような提案をされましたけれども、そういう考え方でやるべきものなのかという問題。
 それから、従来の国立公園は、考え方としておかしいのか、あるいは脱皮しなければいけないのか、それとも活用してやっていかなければいけないのか、これは非常に大事な問題だと思います。
 私は、基本的に、復興や産業はわざわざ入れませんということを言う必要はないのですが、結果的には復興や産業に役立つことは当然で、そういうことを排除するような国立公園であるはずがない。しかし、国立公園の基本的な観点というのは、大変広い国民層に了解されるという、美的な面でも、生活の面でも、安全の面でも、そういう高い評価があるということが、風景とか景観と書いてありますけれども、実はこれは広い概念だと思います。これも事務局でまとめていただいたと思いますが、全部景観とか風景とか目標が書いてあり、例えばリアス式海岸等の海の風景と、これは普通の使い方ですけれども。自然性の高い生態系の景観と、生態系は見えるのかなと。これは別の意味で、景観と表現してありますが、そういうことを背景に、生き物の多様性が向こうにあるというものがどう見えるかという意味で、景観と言われているわけです。例えばサンゴなどの海中景観、これもやっぱり通りすがりに見えるようなものではない。おまとめいただいたように、初期の国立公園の定義の中で、景観もしくは風景といっているのは、もっと広い意味での生活全体の評価、そういうことがあったと思います。それに加えて、生業を保護するという意味ではなくて、むしろ基本的には余暇生活といいますか、生活の余裕の部分で国立公園というのは成り立つと、定義的にはなっていたと思います。何でも担えるといえば担えますが、第一の目標は生活の余裕というか、豊かさを保証する。それをどういう手段でやっていくかというのは、地域の開発をするとか、生物多様性を守るとか、いろいろ手段はあると思いますが、目標はそういうことだと思います。
 結果的に、生物多様性の保全、あるいは産業の振興、あるいは復興というものにつながったとしても、それをまず掲げてやるということには、基本的にはなりにくいのではないかと見るならば、やはり国立公園の原点を尊重した上で、それの適用というか利用、評価の仕方をしっかりもう一度見きわめるということが大事なのではないかと思います。私は、風景や景観を守るということをどのように表現するかというのが、非常に難しい時期にあると思います。海食崖の美というようなもので陸中海岸が普遍的な評価、価値を説明されたように思います。今度新しい海食崖ができているのです。それを人間の側から見ると被害とか災害と呼ぶわけで、その間の美的なものはどこに存在するか。あるいは守らなければならない暮らしの余裕というのはどこかというのは、原点をもう一遍考え直すことで出てくるような気がするので、その方法をもう少し続けていただければと思っています。

○武内部会長 ありがとうございました。
 辻本委員、お願いします。

○辻本委員 この議論に初めて参加させていただく辻本でございます。皆さんのお話を聞いていて、国立公園に関するとらえ方がこんなにもさまざまだということに気がつきました。私は余り知らなかったものですから。それでも当初は、何だか我々が守らなければいけないものが存在するエリアを指定して守っていくものだと思っていましたが、今、白幡委員から、結果的にそうなるもので、初めからトップダウン的に目的があってそうなっているというわけでもないというお話を聞き、もう少しその辺も、私なりに考えなければいけないなという気がいたしました。
ただ、私自身としては、国立公園とか自然環境、自然公園を守っていくのには、やはり生物多様性であるとか、持続性であるとか、守るべきものから本来なら導かれているものを、ホットスポット的に守れるところをということで、最初のころに座長が網かけと言われましたように、地域をある程度固定化していく。網かけという言葉から想像されますのは、土地利用的に固定化していく、これぐらいの制限をかけてやっていくことであったような気がしています。今回、東日本大震災を受けて、その教訓から、一つには防災、災害にもろくない国土にしていく中で、国立公園はどんな意味があるのかという考え方が本来あると思います。現在、東日本大震災の教訓は、どちらかというと復興支援が優先されています。今回も国立公園を活用した復興というような表現をされています。国立公園という枠組みをうまく使えば、復興を支援できるのではないか。私も確かにその面があるかなという気がします。それは何かと言いますと、国立公園化することによって、将来の復興を駆動していくという話と、将来の復興のを健全でまた脆弱でないものにしていく、こういうことになるかと思います。そのためには、今までのように国立公園化すると、その網かけがいつまでも続くというような固定的なものであってはならない。特区という表現がありましたけれども、少しフレキシブルに見ていくことが大事だと思います。そのときには、大久保委員がおっしゃられたような、国立公園の中の利用の仕方もフレキシブルにしていく。国立公園という網かけの中での規制を受けながら、ある程度自由な、フレキシブルな活用の仕方もあり得るのではないかとという気がします。すなわち、復興支援するようなフレキシブルな網かけによる国立公園という考え方が出てくるのではないかという気がしました。
 もう一つ、基本的な考え方が示されています。最初に座長が総括されましたように、この基本的な考え方は国立公園だけの問題でなくて、実は国土管理そのものの問題です。国立公園が他の国土とどのように関連しながら、先ほど話に出ました三陸自動車道路との関連であるとか、国土管理という視点で国立公園という一つの広いエリアが、国土の中でどのような役割を果たしているのかです。国立公園というエリアだけでなくて、ネットワーク、それはただ単に水や物質のネットワークだけでなくて、人間活動のネットワークも含めて他のエリアとどう結びついているか。すなわち、まさに国土管理の考え方そのものが、ここの基本的考え方に書いただけだという表現はおかしいのですが、そこで大事なのは、その中で国立公園というエリアづけがどんな役割を果たすのかです。すなわち国土管理の中で、国立公園化することによってどんなメリットがあるのか、あるいはどんなことをしなければならないのか、国立公園と、国立公園に指定しない人間活動の非常に活発な地域とも関連づけて、国土全体として持続性であるとか、そういった我々が求めなければならないものと結びつけていくのかといったことが重要でないかという気がいたしましたので、意見を述べさせていただきました。

○武内部会長 ありがとうございました。
 西岡委員、お願いします。

○西岡委員 新しい国立公園になるかどうかの前に、基本的なコンセプトというのを、「自然への畏敬」、すなわち自然に対する恐れ、そして敬い、その恵みといったところをテーマにしたものにしてはどうかという提案をしたいと思います。これは幾つかの委員のご意見の中にありました、自然そのものといいましょうか、物理的な配置等、生態系も含めてですけれども、そういう面からの視点だけではなく、人間と自然との合わさったところ、そこの緩衝のところが我々の住んでいる。それが、環境と言われているところだと考えますと、その中でどう我々が自然を敬いつつ、そして生きてきたかという歴史が、いろいろな場所によって違った形であらわれている。その状況自身がこの地域のテーマに合う今、何百年に1回の災害というものがあって、初めて、生活というのが自然の恵みで支えられていることがわかりました。もう当分来ないということを私は希望しておりますけれども。こういうメモリーも含めながら、自然への克服だとか利用だとか、そういう言葉ではあらわせないものがその中にあるのではないかということで、「自然への畏敬」というコンセプトを持って、自然と人間の営みの関係をここで勉強するための材料になることにしてはどうか。そのような概念を持っておきますと、例えば復興にしましても、あるいは産業への利用にいたしましても、あらゆるそういうプロセスはその概念の中で使えるといいましょうか、消化できるというか、そういう形になっていくではないかと考えます。
 国立公園というと、先ほどもお話にございましたけれども、確かに美しいものという概念はございますけれども、それ以前に自然と人間の関連、お互いに尊重し合いながら生きていくという形も、自然に対する大切なつき合いのあり方だ。それで象徴するようなものになっていけばいいなと、私は考えております。

○武内部会長 ありがとうございました。
 私のほうから、再生可能エネルギー、特にバイオマスとか、そういうことについて低炭素社会との連携、メインは自然共生社会だと思いますけれども、何かその辺についてのご意見というか、お考えがございましたら、追加的にお話しいただけませんでしょうか。

○西岡委員 部会長の方から、私が低炭素社会をやっているということも含めまして、御指摘がございまして、今のお話、まさにこれまでの自然とのつき合いの仕方を忘れてしまって、全く違ったものとして自然を取り扱ったというのが、大きな反省でございます。
 低炭素社会になりますと、原子力の問題のことがございまして、なかなかああいう自然にない人工的なものをおさえこむのは難しいということもよくわかってきた。そうすると、自然の制約の中でといいましょうか、現在あるものの中でどうやって生きていくかということを長期的に考えなければいけない時代に明らかに入ってきています。今回象徴的にそのようなことが起こってきたエネルギー面でもそういうことを考えさせられる題材としても、ぜひ利用していければなと思っております。

○武内部会長 ありがとうございました。
 浜本委員、お願いします。

○浜本委員 三陸復興国立公園(仮称)の構想が大きく出て、その基本的な考え方ということですが、正しい言い方かどうか、私も言葉をすごく考えましたが、どこを復興のゴールにするのかというのが見えない感じがすごくあります。風景を復元すれば、また国民の財産として、観光としても、地域の復興にもなるのか、生態系がきちんと復元されたときなのか。でも、そういうことを考えていきますと、例えば前回、私はほかの省庁との施策とも連携していくことが必要、それは水と土地の利用ということも含めて、主に農林水産省の話をしました。先ほどの鈴木先生のお話にもありましたように、流域を考えると上流と下流とか、森林、人が使っている里地、海岸べりと、自然再生の速度だとか、土地の再生の速度も全然違うものがあります。そこに復興という枠を乗せて、景観を復元しましたとか、人々の暮らしがまたそこでできるようになりましたといったところで、例えば、干潟がこのようにして復元されていく途中で、でも人々の暮らしの復元が先に行くので、沖合に消波ブロックをまた新たにつくりますとなったときに、移り変わっていこうとしている生態系の復元が、この国立公園の中でどのように位置づけられて考えたらいいのかというところが、ここにある生物多様性保全に寄与する視点とか、それだけでは、きちんとイメージできないのではないかなと思います。生物多様性において、愛知目標を掲げている上で、日本という国の象徴的な海から、里地里山がすごく接近している陸中国立公園の中にあって、そういうものがもう少し言葉としても考え方としても、短期・中期・長期というところの生態系の移り変わりというものも、もう少しそこの中に入れるべきではないかなというのが1点。
 もう一つは、それに伴って、先ほどから風景の復元という話がたくさん出ておりますが、移り変わっていく生態系の中で人々がずっと生活を営んでいくことによって、それは一次産業も二次産業も三次産業も含めて、そこの上に文化というものが蓄積され、それも含めて風景になっていくというのは田野畑村のお話の中でも十分できてきていると思うので、それをどこまで復興して、この国立公園というものの中できちんと形にしていくのか。それにはやっぱりそこの内側に住んでいる方たちの利用、国立公園の利用や保全へのかかわり方、そこでの生活の仕方も、この中にはもっとはっきりと盛り込むべきではないかなという感じを持ちました。

○武内部会長 ありがとうございました。
 事務局に振る前に、鈴木先生、今の点いかがですか。要するに自然が再生する過程の中で、生活の安全・安心のためには、土木工事が必要だという議論が出てきますね。ですから、その辺で生態系再生と、それから一種の土木工学的な防災というものをどう折り合いをつけていくのかというあたり、何かご意見ございましたら。

○鈴木氏 僕らは干潟を主に見ているわけですけれども、今回の東日本大震災による改変の程度というのは、非常に個別の事象だと思っていて、全部が同じようになっているわけではございませんし、それから破壊された程度とか、いろいろと違ってまいります。そのため、全部が全部そのままとっておけばいいということではなくて、人が適当な手を加えることによって、自然再生を進めるというところも必要になってくると思います。ただ単に守っておればいいということでもないし、自己修復能力が高いところでもございますし、必要に応じて土木的なことも、もちろん第一次産業の復興が何よりも一番先に入ってきて、第一次産業が復興しないことには国立公園をしたところで、何か全然、絵に描いたもちになるような気がしますので、その辺は個別の事象になって、一律的に考えるのではなくて、いろいろと皆さんで知恵を出し合っていただければと考えます。

○武内部会長 ありがとうございました。
 今日、大変貴重なご意見をいただきまして、これを整理したものがまた次回に提出されると思いますので、必ずしも全てについて、今日の時点で回答する必要はないように思いますが、局長と課長から、それぞれ一言ずつコメントをいただければと思いますが。

○自然環境局長 たくさんの貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございました。今日いただいた意見を私たちとしても踏まえて、次回に向けて復興国立公園の考え方を整理して、次回の議論の材料を用意していけたらと思います。
 今日ご意見をいただきまして、今後整理していくべき大事なポイントとして幾つか感じたところをお話ししてみたいと思います。一つには、森・里・川・海のつながり、あるいは連続性というところで、自然のつながり、あるいは土地利用の連関なり、地域内の資源の循環、そういったことも含めて、つながりに着目した豊かな生態系の保全・再生の象徴的な取組を進める国立公園にしていく、能動的な管理をしていくということがあるかと思います。それはCOP10の愛知目標の保護地域に関する目標に対して、日本として答えていく一つの姿をここでもつくっていくということではないかなと思います。その中で、今回災害の被害を受けた脆弱性を評価して、地域で合意が得られるところでは、積極的な自然再生をするということも検討課題にしていく必要があると思いました。
 2点目は、愛知目標で、人と自然の共生というのが長期のビジョンとして挙げられましたけれども、復興国立公園の中で共生の一つのモデルを示していくという役割が大事だと思います。傑出した海岸景観がここのポイントでありましたけれども、そういったことに加えて、地域の暮らしと密着した自然なり、自然に根差した文化、里山里海といったものを国立公園の保全活用の対象に積極的に位置づけをしていく。その中で、個々の地域、固有の文化、あるいはお話しいただきました地元の知恵とか、技とか、あるいは地元の材料と技術と、そういったことを積極的に出していく。人が暮らし、営みをしているところでの国立公園ですから、防災に配慮した公園づくり、あるいは地域のレジリエンスを高めるような土地利用も考えていく国立公園という役割もあるのかなと。
利用の面でもそれは関係していて、点と線の周遊型の利用から、いかに自然だけではなく、文化・暮らし・営みも対象にした地域連携のプログラム型の利用をどう広げていくか。田野畑村のご紹介もありましたけれども、こういったプログラム型の利用を進めることで、一次産業の振興と結びつけていくような公園の利用のあり方も大事と思いますし、その利用の中で、自然環境教育というところで、防災あるいはこの災害の記録を学ぶ、さらに進めて言えば、自然への畏敬ということを学ぶ。言いかえれば、人と自然の関係を見詰め直す場になる国立公園が、すごく利用の面でも大事なのではないかなと思います。
 国立公園、どうしても公園区域で囲い込んだ中を見てきたわけですけれども、そういった閉じた国立公園ではなくて、周辺の自然なり都市なり、企業の話も出ました。そういった周辺との結びつき、ネットワークを大切にした、開かれた国立公園としての展開も大事かなと。フレキシブルな活用という話もありました、復興はこれから時間をかけて動いていく。そういう動きがある中で、また人々の意識も変わっていく中で、国立公園も段階的にフレキシブルに進化していく、そういう考え方、段階的な取組が大事かなと思いますし、そういうときには、短期・中期・長期の目標像を示していくということが求められると思います。
 最後に、こういった取組を支える仕組みとして、環境省が努力していかなければいけませんけれども、いろんなセクターの参加がかぎを握っていて、その参加のプラットホームをどうつくるか、水平的な協働関係をこの国立公園の中でどうつくっていくかというあたりを地域とともに考えていく。協働型の管理をどうここで実践していくか。当然、国のさまざまな関係省庁といろいろな事業の面でも連携をしていくことが必須かなと思うので、その辺の各省間の連携を重視した取組が大事だなと。
 特区の話だとか、概念あるいは基準を変えるのか又は変えないのかというお話もありました。私は、今の段階ではこれは両方ではないかなと思っていて、いろんな復興事業がこの地域の中で展開されていくことが円滑に進めていけるような特区的な仕組みというのは、きっと自然公園に限らず考えられていかなければいけないと思います。ただ、この国立公園を考える中で、過去の国立公園の積み重ねを捨てるというわけではなくて、積み重ねてきた概念をどうここで広げていくか、公園の選定基準についても、この公園の指定で不十分な点があれば、それを見直すということも含めて、むしろ概念を広げていくということで考えていくことが大事じゃないかなと思っています。
以上が、今日皆さんの意見を聞いての私の感じたところです。次回に向けてこういった点を整理して、次回の審議会でさらに議論を深めていただけるように事務局も頑張って準備をしていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

○国立公園課長 ただいま局長から総括的なおまとめをしていただきましたので、私からは余り申し上げることもないのですが、個人的な経験を含めて申し上げますと、こちらに来るまで、林野庁におきまして、被災地における木材の供給絡みの仕事をいろいろやっておりました。先ほどちょっとお話にも出ましたけれども、地域のカキの養殖いかだが大被害を受けまして、これを復興しなければいけない。これを地域の木材でやろうという話がございまして、幸いに地元から話も湧いてきましたので、東京レベルでは水産庁と林野庁の連携、地元では国有林と民有林の連携、さらに漁業協同組合と森林組合の連携ということで、スムーズに流せるような道筋をつくるというようなこともやりました。また一方では、東北地方は確かに職人さんが盛んでございまして、木造関係ですと、すぐ気仙大工というのが頭に浮かびます。仮設住宅をプレハブ協会が提供するような画一なものではなくて、地域の工法や地域の木材を使えないのかということで、これもいろいろ画策をして、多少なり実現にこぎつけたというようなことをやっておりました。
正直申し上げますと、そのときに全く頭の中には国立公園というものはなく、純然たる、公園というのは公園の中だけで完結しているもので、外に向かって開かれたものとは全く見ていなかったというのを本日、本当に深く認識をさせられました。これからの新しい国立公園の構想とかイメージがどういうものになるのかというのは、私はまだまだ勉強して考えていく必要があると思いますが、そういうような取組の中で、いろいろな地域における連携とか協力とか、協働というものがうまく動くプラットホームになるような、開かれた公園というものを少し考えていかなければいけないということを個人的に強く感じたところでございます。
今日はいいお話をいろいろ聞かせていただきまして、ありがとうございました。

○武内部会長 どうもありがとうございました。
 それでは、最後に、手短にその他について、室長からご説明をお願いいたします。

○自然ふれあい推進室長 今日さまざまなご意見をいただきましたので、次回までに事務局でまとめまして、議論のための材料をつくりたいと思います。
 次回までの間に、三陸地方の自治体、あるいは地域の方々へのヒアリングも別途進めてまいりますので、そのこともあわせて次回にはご報告をしたいと思います。
 次回は12月22日でございます。先日16、17日に錦江湾の視察を部会長ほか委員の7名の方々にしていただきました。次回の部会では、霧島錦江湾国立公園に関する諮問も予定しておりますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

○武内部会長 それでは、どうもありがとうございました。
これにて散会ということにさせていただきます。

午後4時30分 閉会