中央環境審議会地球環境部会(第3回懇談会)議事録

日時

平成19年10月11日  9:30~12:30

場所

三田共用会議所3階会議室(B-E)

出席委員

(部会長)   鈴木 基之
(委員)    浅岡 美恵 佐和 隆光
        武内 和彦 和気 洋子
(臨時委員)
        青木 保之 石坂 匡身
        及川 武久 鹿島 茂
        川上 隆朗 小林 悦夫
        関澤 秀哲 高村 ゆかり
        中上 英俊 永里 善彦
        長辻 象平 原沢 英夫
        福川 伸次 三橋 規宏
        横山 裕道 渡辺 正孝

議事次第

低炭素社会の検討について

 ○川勝 平太 静岡文化芸術大学学長
    「温暖化(天災)に備えた国づくり」
 ○寺島 実郎 株式会社三井物産戦略研究所所長
        財団法人日本総合研究所会長
    「世界潮流と日本-エネルギー・環境への視点」
 ○伊藤 隆敏 東京大学大学院経済学研究科教授
    「排出量取引の考え方:京都議定書とポスト京都」

配付資料

資料1     世界潮流と日本の進路を考える基本資料
         (株式会社三井物産戦略研究所所長、財団法人日本総合研究所会長 寺島実郎)
資料2     排出量取引の考え方:京都議定書とポスト京都
         (東京大学大学院経済学研究科教授 伊藤隆敏)
資料3     中央環境審議会地球環境部会(低炭素社会検討)の開催日程

議事

9時35分 開会

○鈴木部会長 それでは、定刻を回っておりますので、ただいまから中央環境審議会地球環境部会第3回懇談会を開催させていただきます。
 本日の審議は公開となっておりますことを初めにご報告申し上げます。
 それでは、まず資料の確認をお願いいたします。

○市場メカニズム室長 では、事務局のほうから資料の確認をさせていただきます。
 配席表、その次に議事次第がございまして、資料1といたしまして寺島様の発表の資料、それから資料2といたしまして伊藤先生の発表の資料、それから資料3といたしまして、この低炭素社会検討の地球環境部会の開催日程ということで配っております。前回お配りしたものとの違いは、一番下でございますけれども、11月29日の木曜日2時から地球環境部会ということで、黒川先生のお話と論点整理についての議論をやるということで1回追加をさせていただいております。
 以上でございます。

○鈴木部会長 それでは早速議事に入らせていただきたいと思います。
 この懇談会は、低炭素社会に関します有識者ヒアリングということで、各界の方々にそれぞれご見識をお伺いする、そういうようなことで続いておりますが、第3回といたしまして、今回は3名の方においでいただき、お話を伺います。
 川勝先生、静岡芸術文化大学の学長でいらっしゃいますが、あと、日本総合研究所会長の寺島実郎様、東大の大学院経済学研究科の伊藤先生ということになっております。
 最初に、まず川勝先生の方から、大体40分弱ぐらいでよろしいでしょうか、少しその後いろいろとご質問などをさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

○川勝学長 川勝でございます。お招きにあずかり、ありがとうございます。
 きょうは田町から、秋晴れのすがすがしい空のもとを歩いてまいりましたところ、汗だくだくになり、温暖化を実感しております。
 温暖化の原因につきましては、科学的な共通理解があるとは思っていません。地球の温暖化と寒冷化のサイクルの1つなのか、それとも人為的な結果なのかで議論はありますが、産業革命以降のCO2の排出量の増加が温暖化をもたらしているのは確実な事実であると存じます。
 私は、ここから、温暖化という現象が天災を起こす場合、その天災には人災的な側面がある。温暖化によって地球の水の量が多くなり、台風であるとかあるいは大雨の規模が大きくなる、あるいは回数が多くなるということがあります。それらは天災と理解されますけれども、近代の天災には人災的側面があると理解しております。
 例えば、20世紀の後半の最大の天災ということになりますと、阪神淡路大震災ですが、言うまでもなく直下型の地震による天災であったわけですけれども、神戸に150万の人々が集中していたということは、戦後の日本の国土政策による拠点開発、大規模プロジェクトなどで臨海工業地帯をつくるという政策のいう帰結として人々が集中し、結果として災難が大きくなった、これは人災的側面があるということです。
 したがって、我々は天災に対して人災をいかに小さくするか、そういう観点で考えなければならないということです。なお、きょうは寺島さんと伊藤先生の露払いということで、気楽にお聞きいただければと存じます。
 私は、阪神淡路大震災の結果として、日本人のいわば自然観が大きく変わったというふうに存じます。近代の自然観というのは、基本的に物理化学的な自然観に立っており、自然はコントロールでき、自然の法則を理解して、それを技術に転用し、自然を変えていくという、こういう哲学のもとにこれまで社会は動いてきたと存じます。しかし、こういう自然観に対して、一貫してある種の違和感を日本人は持ってきたのではないか。
 戦前の有名な物理学者でございました寺田寅彦先生が、俳句をよくされ、かつエッセイもよくされ、彼のエッセイ集は岩波文庫5冊本として残っておりますけれども、その中で「天災は忘れたころにやってくる」という有名な記述を残されているわけですが、そうした警句で一体何を彼は言わんとしていたのか。
 彼の最後のエッセイは、浅間山の噴火にかかわるものでございました。すなわち、彼が、椿が落ちるその落ち方、あるいはガラスの割れ方、今日複雑系と言われるものに大変な関心を持たれたのは、自然は因果関係、法則どおりに動くものではないということと、もう1つは、本来、自然というのは人間がコントロールできない、とくに日本には噴火、台風、津波、地震、は山崩れといったようなものがあって、自然はコントロールできないのだという自然哲学あるいは自然観に立脚しておられたと思うのであります。
 それは、自然はコントロールできるという観点に立つ自然観の対極にあるもので、背景には西洋と日本それぞれの自然と人間にかかわる文化の相違があって、キリスト教文化圏では『旧約聖書』にあるように、光と闇、天と地、陸と海、そして植物、動物、そして神の姿に似せて人間をつくり、「生めよ・殖やせよ・地に満てよ」という形で、人間に対して自然が与えられており、それをコントロールする、またそれを自分のために使う、そのために自然が与えられている。そういう自然観に対して、言葉だけでなくて、植物、動物すべてに霊が宿る、これは日本が高等宗教の仏教やキリスト教を受容した後にも残っている自然観です。あるいはむしろ、仏教やキリスト教を媒介にしつつ強化されてきた自然観で、決した単純なアミニズムと言えない。仏教もご承知のように仏像と仏寺といいますか、寺院仏閣とともに日本に入ってきたものですけれども、最終的に日本の固有の仏教が編み出されましたときに、南無阿弥陀仏ということで救われるという、そういうところに参りました。
 言いかえますと、無寺院主義、無仏像主義という帰結を法然の時代に経て、それが後の禅宗、禅宗というのは仏を拝みません。自力本願ですから、身の回りをきれいにする、きれいにする結果、庭づくり、あるいはお師匠さんの絵を描くということから絵筆に、そして心の静寂をということで茶の湯に、それが数寄屋造りになるというような経過で、周りがきれいになっていく、その経過とあわせて、天台本覚論によって、修行によってのみ救われるという仏教観が、修業をしなくても人間はすべて仏になれるという仏教観、さらに人間以外の森羅万象すべて本覚、すなわち悟りを得られるという天台本覚論を経過し、結果的にはアニミズム的に、すなわち森羅万象に仏性ないし神の霊が宿るということになったわけであります。
 さらにまた、キリスト教が解禁になりました明治以降、内村鑑三がキリスト教に入れ込むわけですが、彼がアメリカでの経験を踏まえて、いわゆる無教会主義になるわけでありますが、その無教会主義を鑑三は大体1900年ぐらいから唱えるわけですけれども、その無教会主義を見ていきますと、教会の天井に当たるのは何かというと、彼はどう言うかというと、この大空である。教会の床は何かというと、緑なす野原である。教会における祭壇は何かというと、峨々たる山である。教会における楽の音は何かというと、小鳥のさえずりであり、松の音の松籟の音である、こういうふうに言いまして、教会をも自然に帰していく。
 したがって、いわゆる精霊主義として、宗教的には低い段階と言われているものが、高等宗教でございます仏教あるいはキリスト教、こうしたものを媒介にしてなお残っている。そうしたものがすぐれた物理学者であった寺田寅彦さんに、自然に対して敬虔になる、あるいは謙虚になる、その自然から学ぶという、そういう姿勢を持つべきだということを一貫して言わしめ、そしてそれがまた彼のエッセイ、これは「俳句論」において最も美しい形を残しているわけですけれども、日本の春夏秋冬の美しい自然をめでるという、その宗教性といわば神秘性といいますか、そうしたものが一体になった自然観がある。
 一方、ヨーロッパにおきましては、19世紀になってから、いわゆるターナーを援護したラスキン、そしてそのラスキンの影響のもとに、後に1894年だったでしょうか、ナショナルヘリテージ運動がイギリスにおいて起こり、そして土地固有の建物であるとか美しい庭園を保護していくという運動になっていったわけでありますけれども、日本の場合には、もともと神のよりしろとしての樹木、岩、谷川、巨大な瀧、こうしたものに聖なるものを認めるというものがあって、それが先ほど申しましたような、日本が海に開かれた島国であることによって、海のかなたから舶来してくる人類のつくり上げた巨大な知的体系を媒介にしながらなお残ってきたものだと思うわけであります。自然はコントロールしがたい。したがって畏仰するべきという、あるいは謙虚になるべきという態度があるということであります。
 そうしたことが歴史的背景としてあり、阪神淡路大震災のとき、これは他人事ではないという形で日本人に覚醒をもたらしまして、そして国の形についてもこれからは、今までのとおりではうまくいかない、もう既に経済は右上がりではない、戦前期には軍事、戦後には経済に力を注ぎ、欧米流の富国強兵の国づくりをしてきたけれども、むしろ自分たちの町をきれいにしようということで、あの経済的には「失われた十年」というわれる時期に、まさに景観条例や街並み条例が続々と導入され、自分たちの国をきれいにしていこうということで、最後は国が動かされる形で景観3法ができたと思います。
 そしてやはり、技術のあり方についても、いわばベクトルが変わった。もう一度兵庫の話に戻りますと、兵庫県の南端に淡路島がございますが、その淡路島に淡路景観園芸学校がつくられます。1999年のことです。その翌年に淡路花博が行われるわけですが、そのときの技術でありますが、花博会場になったのは、ご承知のように関西国際空港をつくるための土砂を淡路島の山を削って埋め立て用に使ったわけであります。1億立方立米と言われる巨大な量で、花博会場の現場は殺伐たる景観を呈していました。それはカナダのあのブッチャートの石切り場と等しいということで、あの石切り場がどうなったのか。そこにすばらしいブッチャート庭園をつくった。そういう先例があるのであれば、この土砂採取の跡地に土をつくり、土をつくるでもとの植生を戻すことができるということで、まさに景観と園芸、つまり土木と農芸というそれぞれ工学、農学の全科学的知識と技術を適用して、もとの植生に戻したわけであります。これが花博でございました。これは大成功を収めたわけでありますが、ちなみに会場に行くための明石海峡大橋の橋の通行料はちょっと高いので、明石海峡の往来がただになるともっと人が行くのじゃないかと思いますが、それはちょっと置いておき、そうしたことが2005年の「自然の叡智に学ぶ」という、そういう愛知万博の理念になった。
 愛・地球博は21世紀最初の万国博覧会でございます。環境技術の展示が売り物でございました。それはまさに百五十数年前のロンドン万博のとき、これは産業革命が大体1780年から1830年で一通りの技術革新を終えながら、当初はイギリスは産業技術を他国に輸出するのは禁じていたわけですけれども、さすがに1830年以降、鉄道ブームを迎えて、イギリス全体がいわば機械文明の恩沢に浴すことになって、自信を深めた結果、産業技術の展示をした。その技術は言うまでもなく、最も自然と対立する哲学を唱導したジョン・ラスキンが最も嫌ったのは鉄道だったわけでありますけれども、そういう産業技術であった。
 言いかえますと、ロンドン万博以来、自然を征服する「自然征服型」の技術を展示し、それが結果的に技術の拡散、普及を招き、多くの地域におきまして、欧米、日本を含めた諸地域において、今日においてはASEAN、中国を含めてその技術の拡散と革新が連続して行われて、2010年の上海の万国にもその傾向が見られそうであります。しかしながら、明らかに2005年の愛知万博においては、自然の叡智に学ぶ。人間の叡智を自然に適用するのではない、人間の叡智は神から下されたもので、その理性は神の声としてそれを人間が自由に適用するという姿勢から脱し、むしろ、自然の叡智から人間が謙虚に学んで、いわば荒れた景観を自然化していくという、それは美しくしていくということとどこか通底するところがあるわけでありますが、そういう技術哲学に変わった。
 この中央環境審議会では「革新的技術」と言われていますが、それはこれまでの技術の連続線上で考えるのでなくて、自然哲学において、自然を征服する技術から自然を回復する技術、言葉をかえて言えば「自然調和型」の技術という、そういう技術に立脚するということが柱になるのではないかと思うわけであります。
 その自然の叡智に謙虚に学ぶく聞くというとき、地球的自然は寒帯、温帯、熱帯、あるいは山岳地帯、海洋地帯などと生態系が異なります。そうした生態系が荒れており、それを戻すという形で地域づくりをすることになる。言うまでもなく、明治以降は、よく金太郎飴と言われますが、ミニ東京になること、東京を模範にして国をつくること、そして東京は欧米を模範にして東京づくりをするということをしてきたわけであります。ベクトルを変えるということは、東京的な景観は東京に似合うが、それはそれとして、他の地域は地域の自然環境に応じた地域づくりをするということになるのではないかと思います。それはその地域の景観に応じた地域づくりということになると思います。
 そして、そういう景観が最近ではカルチュアル・ランドスケープ、いわゆる文化的景観という言葉として、本会議委員の武内先生がのご専門でいらっしゃいますが、そういう文化的景観という観点から自然を見る。すなわち人間の手、あるいは心が入っているものをすべて文化的とみなして、景観を見直すということであります。
 そうした観点で日本列島を見ますれば、私は日本列島は、北は北海道の北端は、すなわち亜寒帯北緯45度にあり、南は北回帰線のすぐ北、すなわち亜熱帯にまで3,000キロにわたって南北に広く広がっている。まさに日本列島は生態系の宝庫である。言いかえると地球的生態系のほぼすべてを網羅している。列島にないのは、水が極端に少ない砂漠だけであるということでございます。
 「水の惑星」地球という生態系をよく映しているのが日本列島です。そこで日本列島を地球に見立てる。「見立て」は日本の文化です。例えば富士山は、駿河にございます。けれども、北は蝦夷富士から南は薩摩富士に至るまで、日本に富士と名のつく山が350以上ございます。それはすべて自分の地域の美しい山を冨士に見立てて何とか富士と言っているのであります。あるいは古くは瀟湘八景という中国の八景がございますが、近江八景という形でそれに見立てる。それはすべてを富士にするというのではなくて、それぞれのものを大事にしながらよきものに見立てる。地球に見立てて日本を見る、見立ては日本の文化でございます。
 そういう観点に立ちながら日本列島の景観を大観すれば、言葉とか、本を読まなくてもわかるのは、目に見えるということですが、関東平野は言うまでもなくビルディングフォレストでが、自然景観は平野です。関東平野を西に進めば小田原から箱根に入って富士山、そして中部地方に出て、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、白山連峰という峨々たる山がそびえている、まさに山の日本です。そして、木曽三川を西に進みますと、関が原を越え今度は近江が左側に広がってまいりまして、そこは日本最大の琵琶湖がございまして、琵琶湖の水が京都を洗う。それが山紫水明という言葉を生み、瀬戸大橋から宇治川になって、そして大山崎で淀川に合流して大阪湾に注ぐ。大阪湾は言うまでもなく、関門海峡から入ったアジアの入り口からすると、その玄関口とでもいいますか、という瀬戸内海ところで、古来瀬戸内海は津々浦々という海の関係、すなわち津と津を浦、海で結ぶ、それで全国という世界で、環瀬戸内はまさに津々浦々、海の世界、舟運の世界で、これは皇太子殿下がそのことに関心を持たれて、最初の研究成果を見事にものされたところでございますけれども、そこはある意味で海洋日本、海の日本という景観を持っているわけであります。
 そして今度、関東平野から日本を北に登りますれば、白川の関から山に入り、そして北は北海道まで深い原生林に覆われている地域がございます。しかしこの山は、中央アルプスを軸にした山の州、山の日本とは違い、山が低い、大体1,000メートル級で、2,000メートルを越える山は数えるほどしかありません。越える山も2,500メートルに達する山は1つもありません。言いかえると森林限界以下で、緑に覆われた森でありますので、森の州と言うことができるでしょう。
 したがって、文化的景観という観点から日本を大きく分けますと、「森の州(北海道・東北)」、「野の州(関東)」、「山の州(中部・東海)」、そして「海の州(近畿以西の環瀬戸内地域)」に分けられます。
 最近は地域間格差が問題になっておりますが、日本はちょっとした格差が問題になるぐらい平等な社会です。経済規模でいうと、森の州の北海道・東北でカナダ規模、関東の野の州でフランス規模、山の州はカナダのGDP以上、海の州でイギリスのGDPを上回るという経済力を持っておりますから、先進国なみであり、それぞれに中央にこれまで集中してきた権限、財源、そしてここにいらっしゃるような人材を、三位一体として、人とお金と仕事を三位一体として、先進国の経営のノウハウを移譲していくことができるであろう。
 そうしますと森の州の州づくりと、そして海の州の州づくり、山の州の州づくりでは、当然母体になっている自然景観が違いますから、そこにおけるノウハウの具体的な発揚の仕方も違ってくる。つまり、自然の叡智を学ぶに際して、叡智が蔵されている自然の景観が違うので、多様な国の形が現出するに違いないと思うわけであります。
 日本という国は、国の形を変えるときに、政治の中心の場所を変える、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸と変えてきたわけでございますが、場所を変えるという観点からいきますと、日本が軍事力と経済力を中心にして国づくりをしてきた時代は、東京にそのモデルを見出すことができるわけでありますが、そのいわば欧米の文明を東京に入れ込んだ時代で、それがほぼ終わったのが昭和の末年です。大体1985年のプラザ合意をもって欧米化それの分水嶺を越えたかと存じます。平成に入り、首都国の所在地を変えようということで、法律が定められ、20世紀の末に那須野が原が一番いいという報告書を出されて終わったわけでありますが、那須野が原は、今申しましたような文化的景観による地域区分でいいますと、森の州と野の州のちょうど中間にある。それは野から神聖なる森に入る入り口、神聖なる森から平野に出る出口に当たります。
 そうした場所柄について、どういうイメージを日本人が古来持ってきたかといいますと、日本は西から歴史が発展してまいりましたが、その西というのは、山陰地方、山陽地方を旅されればすぐわかりますように、山がすぐ海に迫っており、平野が狭い。狭い平野で田畑をそしてまた人間の飲み水を利用するという、その利水の水が荒れるときは山が荒れているときだということで、その山を守る、そのさいに、守るべき山を鎮守の森として鳥居を建て、お社を建て、その後ろを森として大切にしてきました。
 したがって、平野と森の、つまり山の境には、鎮守の森、お社がある。したがってそこは鎮守の森の都というのが最もよく似合う、そういう景観になるでしょう。そうすると、ちょうど京都に対して小京都が各地につくられ、江戸に対して小江戸、東京に対してミニ東京がつくられたように、鎮守の森の都に応じた鎮守の森の都群ができるであろう。森の都群と言いましても、日本列島の北は針葉樹、落葉広葉樹のブナ林、南は照葉樹林というように、生態系が異なり、多様な森から成る、そういう鎮守の森の都群ができるに違いないと思います。
 そういう森をつくる際には、つまりこれは自然の実態をよく知らないとできないわけであります。森づくりについては、明治天皇と昭憲皇太后が崩御された後、記念に明治神宮を建立することになったわけですが、そのときに日本各地の人々が10万本の樹木を、苗木を寄贈いたしまして、それが今、70万本の明治神宮の森に育っている。神宮の森は、人間のつくった人工の森です。我々は森をつくる力を持っているということです。
 そして、各地域の地域づくりのモデル的なシンボルは都、つまり新しい首都になると思いますが、そこにおける最も象徴的な建物は何かといいますと、言うまでもなく国会議事堂であります。国会議事堂というのをどうつくるか。京都の場合には中国の建築物が模倣されています。東京の場合、言うまでもなく、国会議事堂を含めて欧米を模倣してつくっているわけでございます。
 例えば2010年に平城京遷都、1300年を迎え、平城京は昔の建物を再建していますけれども、それをごらんになりますと、そのまま中国の建物と一緒であります。ただ中国の建物を建てる技術は日本にしかなくて、中国人が今、観光のために人を呼ぼうと思うと日本の宮大工を呼ばざるを得ないということになっているわけですが、ともあれ、中国のものを移入し、その技術は京都に生きています。
 そうした舶来の技術が小京都なり、ミニ東京になって各地にいわば魅力的なものとして迎え入れられたわけでありますが、鎮守の森の都の国会議事堂をどうつくるか。これはいわば日本の代表の集まるところですから、それを表現するためには日本各地の樹木を使う。樹木は二酸化炭素、つまり低炭素社会をつくるというときに、二酸化炭素を固定するものの1つとして森林がある。その森林を日本は国土の3分の2持っていますが、その半分が経済林、その半分が国有林でありますが、これが放置されている。
 これをどう活用するかが低炭素社会に対して発信的意味を持つ。そこで、例えば北海道から沖縄に至るまで、各地域から銘木を100本出していただければ、47都道府県で4,700本ということになります。これらの樹木をきっちりと個体識別をし、柱群として、いわば床柱群として建てれば、日本のいわば全体性が国会議事堂に宿る、日本の自然がそこにある。国会議員の先生方は集まり散じて人がかわる、しかし仰いでいるのは同じく日本の自然である。「人はかわれど仰ぐは同じき日本の自然」というのが国会議事堂になります。
 日本の自然というのは、先ほど言いましたように、世界の生態系の縮図に見立てられます。それを床柱群にして大事にし、伐採跡には苗木を植える。苗木は初期の30年間で最もたくさん二酸化炭素を固定いたしますので、その間、炭素の固定量がふえ、低炭素社会に貢献するということになると思います。
 そうしますと、各地域の議場も地産地消で樹木を使うとことになり、日本の食料の自給率だけではなくて、木材の自給率はさらに低いわけでありますが、それを上げることになって、世界の森林を破壊するという愚行を早くやめることができるであろうということであります。
 さらに言いますと、今木材の自給のことを申しましたが、食料自給率について言いますれば、食糧自給率はカロリーベースで40%で、これを45%に上げようというのが政府の方針ですけれども、この間の発表によるとそれが1%落ちたということで、もっと上げよう上げようと言っております。しかしながら東京の食料自給率は1%、大阪は2%、神奈川は3%であります。そして日本全体として1,900万トンの食料が毎年廃棄されておる。それをカロリーベースに直すと日本のカロリーの大体4分の1になります。すなわち4分の1を捨てているわけであります。
 その捨てている最たるものがいわば東京的ライフスタイルである。そういう東京的ライフスタイルが今世界通用語になっている「もったいない」に最ももとる生き方である。かつて最も魅力的であった生き方が最も地球環境に反する生き方である。そういうメッセージをあわせながら私は食料自給率の問題、あるいは地産地消の問題、森林の利用を言っているのであります。今のまま、食料自給率200%以上の北海道にもっと自給率を上げろというふうに言うのは、東京の傲慢というものである。
 それというのも、東京のライフスタイルを変えることの、象徴的発信を議事堂でする。すなわち日本の自然をそこに集める。各地の自然をそこに集めるのがそれぞれの議場の意味であるということでございます。
 さて、その発信の仕方ですが、明治5年から欧米の学問を受容する時代、すなわち国の独立の基礎を学問、その学問を洋学に求めたわけでありますが、これからは脱洋学の時代になる。洋学の自然的対象はヨーロッパ的自然、西洋的自然であり、そこから帰納され、そこから出された公理をもって演繹された学問体系です。そうしたものとは異なり、日本の自然の叡智から学ぶということでありますから、テキストは日本になるということであります。あるいはテキストはそれぞれの地域の自然になるということになりますので、学問の体系も変わらねばならない。それは当然国づくり、洋学が実学、実践の学であったように、新しい実用の学問にならねばならないという、新しい実学、地域学、地球地域学がこれから求められるであろう。
 そうしたことをやっていないかというと、日本は細々とながら、ODAを通して世界の地域の破壊された自然、破壊された生活を回復する30年以上の試みがあります。海外青年協力隊などの人材育成活動であります。JICAの人材育成教育活動のようなものこそが、これからは新しい学問になる。その学問の体系は何かといいますれば、アメリカで発信されたMBA、すなわちいかに金をもうけるかの技術を学ぶMBAではなくて、いかにエンバイロンメントをアドミニストレートしていくか。MEAでなければならない。MEA、マスター・オブ・エンバイロンメント・アドミニストレーションを、これからの日本の教育の柱に据え、そして70カ国ほどに派遣せられている青年海外協力隊の地域と、そうした最も自然環境に対する技術を求めている地域、最も自然環境が原料供給地や製品市場になって荒れている地域、そういう弱い地域に日本のMEAの学位と技術、人材を派遣し、日本は北から南まで地球生態系のマネッジメントのモデルとして、この国自体をテキストにしていく、それが2050年までに日本がやるべきことだと思います。
 2050年はこれから43年後で、1859年から43年となりますと20世紀であります。幕末のあのような状態から、八幡製鉄所ができて、日清戦争、日露戦争を迎えなんとするところまで日本は変貌いたしました。ですから、今の日本は四十数年後には必ず大きく変え得る。その変え得るときにはやはり志がいる。その志を立てるという、今我々はそういう前夜に立っているのではないか、そう思います。
 ちょうど頂いた時間になりました。ご清聴、ありがとうございました。

○鈴木部会長 ありがとうございました。
 大変刺激的なお話で、また非常に幅広、そして前後も長いお話ですので、なかなかご質問、ご議論になりにくいかと思うのですが、委員の方々からご質問、コメントがおありの方は名札を立てていたけますでしょうか。それでは6名の方ですね。では、浅岡委員から回りましょうか。

○浅岡委員 ありがとうございました。
 これから数十年、百年も待たず、例えば緯度が300キロぐらい北上するというような状況が、そういう日本の先ほどお話があった長年の環境から変わっていくときに、先生が今お話になられたような日本の、これまで我々が持って、培ってきているような文化観、文化像というものは何か変化をしていくものでしょうか。

○川勝学長 ちょっとわかりにくい……

○鈴木部会長 もう一度要約を。

○浅岡委員 気温が上昇していきますね。これはまあ緯度が今とは変わって、むしろ上がるというか、下がるといいましょうか、大体2度上がれば300キロぐらいは南に下がるということになるのでしょうか。そういう意味で、今までの環境観というか、自然が変わるだろうと思います。そのことを申し上げているのですが、お答えありますでしょうか。

○川勝学長 そうですね、温暖化が北上していくということですね。そのとおりだと思います。

○浅岡委員 ですから言いたいのは、そうなっていくときに、我々がこれまで1万数千年というか、1,000年単位ぐらいで培ってきたような文化観というものに基づいて今お話いただいたと思うのですが、それが数十年でそうした変化が起こっていったときに、我々の今言われた文化観というものはといいましょうか、感覚というものはどのように変わっていくというふうに考えられるでしょうか。

○川勝学長 私はそういう、例えば縄文海進が六千数百年前にあったから三内丸山にああいう集落ができたということですね。気候の変動があったので三内丸山から人が退いた。そのようなことに照らしますと、1万年近い日本の歴史の中で培われてきた自然観は、いわば自然の変化にかかわらず一定の態度というよりも、自然の変化に応じて人間の自然に対する態度を変えていくという意味において一貫し続けるだろうと確信しています。

○鈴木部会長 多分、縄文海進のスピードとはかなり違う速さで温度上昇が起こっていって、それによるいろんな意味での気候変動、歴史を例えば5000年後から見れば、ある種の天災がここに起こって、その人災的な側面はもちろん我々が今供給している二酸化炭素ということになるのですが、そういう意味で、一たん壊滅をしたとしても、それがまた長い歴史の中である意味では繰り返しの1つとして考えていけばいいという、そういうような、今何となくここで考えていることは、ともかく温度上昇を2℃以内にどうやって抑えるかというようなレベルでは、非常にある意味ではプラクティカルなことを考えていることが多いのですが、もちろんすべての方がそうということではないのですが、そういう意味で先生のお話の非常にロングレンジで眺めたところにも、この一時期の現象としてこれを位置づけてしまっても、それもあり得るというようなことなのか、あるいは自然生態系が壊滅的な状況の追い込まれたときに、やはりここの日本文化、つくり上げられてきたこういうものが一体継承できるのかどうかという、多分そういうようなことをご心配になっているのじゃないかと。

○浅岡委員 先生も京都にいらしたのですけれども、京都で四季がなくなると。今そうなっていますけれども、夏と冬しかないようになったときに、今まで京都と考えていたのが変わるだろうと思うのですけれども、それはどこかまたもう少し北にそういうものが継承されるのだというふうなことなのか、やはり日本的なメンタルなところに影響がある、それはどんなものだろうか、そういう関心であります。

○鈴木部会長 ちょっとご質問の方が何人かいらっしゃいますので、まずそれではご質問をそれぞれお伺いして、後でまとめてお願いいたしましょうか。
 及川委員どうぞ。

○及川委員 今先生からお話いただきましたように、日本列島というのは北の北海道の亜寒帯地域から沖縄の亜熱帯地域と非常に温度範囲が広いし、それからモンスーンアジアということで降水量にも恵まれているということで、それぞれの地域に対応した非常に美しい森林が育つ条件にあるわけですね。私もその点は非常に同感なんですけれども、そういった中にあって、日本の木材の自給率が20%程度しかないわけですね。それで世界最大の木材の輸入国であるというのが現状なわけですけれども……

○川勝学長 中国に抜かれました。

○及川委員 抜かれましたか。最近抜かれちゃった。

○川勝学長 木材輸入世界第一位が名誉かどうか知りませんが。

○及川委員 とにかく非常に大量の木材を輸入していて、自分の国はいっぱい森林がありながら、手つかずというか、放置している、そういうのが現状なわけですね。ですからこれをどうやってその地産地消状態がつくれるのか、その辺の先生のお考えをお伺いしたいと思いますが。

○鈴木部会長 鹿島委員。

○鹿島委員 私は今まで社会本整備をしてきた人間なんで、少しそういう観点からお伺いしたいのですけれども、先生のご指摘の日本人の自然観が変わって、そういうものがこれからいろいろ影響を持ってくるだろうという、こういう話は大変私も感銘を受けた話なんですが、先生がその中で例として挙げられた名古屋での万博の話と首都機能移転の話、この2つがあったのですが、実はこの2つは別の面から見ていくと、例えば名古屋の場合には、手つかずに残っていた名古屋の、手つかずというよりも、要するに非常に開発のしにくかったところが残っていたのです。そこを従来の手法で開発をしようとして、非常に大きなものをやった。ところが、国際的な関係の中で、非常に狭いところに限定をして、あの海上の森を残す、こういうような格好になったので、必ずしも日本人の自然観が阪神淡路で変わったというふうには一方から見ると感じられないというのが1つあります。
 それから首都機能移転も、これはやはり10兆円規模の社会資本整備をやりたいというのが一方にあって、こういう人たちが動いていたというのも、私のような立場から見るとこれもまた一方の事実ではないかという気がするわけです。
 それで、一方は実は国際的な圧力がないから、何か今のところ首都圏機能移転のほうの話は何となくもやもやとしている。こういうような状況で、日本人が自律的に物を考えて、先生がおっしゃったように自然観が変わったというところには、何か一部のどういう方が言ったのだろうかというのが私の最初の質問でございます。日本人が一律ではなくて、どういうグループの、あるいはどういう立場の人たちがそういうふうな感じを持ったのだろうかというのを1つ教えていただけたらと思います。
 それから、2点目は大変漠然とした質問で恐縮なんですが、先生はさっき1万年とおっしゃったのですが、私は5000年ぐらいかなと。今の現象が5000年で日本人が培ってきたような叡智の中だけで可能なんでしょうかと。ちょっと漠然としていますが、というのは、私の認識としては、例えば日本文化ができてきたというのは、実は私の理解では平安とか室町とか江戸とか、割と鎖国したときに、外国との関係を切ったときにそういうものが生まれてきている。ところがやはり今はグローバル化の時代の中で、この中でそういうふうに日本を全く海外からの影響をシャットアウトして議論していくというのはなかなか難しいのではないかという気がいたすのですけれども、その辺についてご意見を聞かせていただけたらと思います。
 以上でございます。

○鈴木部会長 では川上委員。

○川上委員 どうも大変おもしろいお話を聞かせていただきましてありがとうございました。
 先生の結論的なところの、地域の自然をベースにして、これからは地球地域学といったようなものを基礎にしてやっていくべきだという結論は全く私も同感でございます。そのコンテクストで日本が協力することというのは、これからは人材育成の面、MEAとおっしゃいましたか、の面が非常に重要である、これも全く同感でございます。
 そこで、私の質問は、日本の場合も先生がまさにおっしゃったように、地域を、これは治山治水の歴史がそうですけれども、征服することから始まって営々と来て、今や先ほどおっしゃいました自然観、調和といったものに変わってきたということなんだろうと思うのですが、開発途上国全体を見ますと、特に天災、地災が非常にたくさん起こっている砂漠、イスラム圏、私もたまたまパキスタンやインドネシアで勤務した経験があるのですけれども、最近のアジアとか、大地震のときもその跡を見てきた経験もあるのですが、そういうものを見て感じるのは、日本的ないわゆる自然との調和といったような、これは万物に神が宿るというようなアニミズム的な発想が基礎にあるわけで、そこから来るところが多いのでしょうけれども、イスラム的ないわゆる自然観、要するに一神教ですね、先ほど先生は脱西欧と言われましたけれども、一神教という意味では同じなわけですが、そういうものに基づいた自然観でいった場合に、日本がこれからこういうふうに行くべきだということを主張するときに、何らかのコンセプトが出てくるのか来ないのか。その辺のイスラムの自然観等についてお教えいただければ大変幸いです。

○鈴木部会長 小林委員。

○小林委員 ありがとうございます。大変興味のあるおもしろい話を聞かせていただいて、ありがとうございました。また私の地元である淡路島を例に挙げていただいたし、本当にありがとうございます。
 ただ、私実際に少し携わったわけなんですが、実は淡路の土取り現場の再生について、実際には事業としては成功しているのですが、一番問題点は、実はカナダのブッチャードガーデン、これの再生には民間の力だけで再生をされているのですね。ところが淡路島は民間再生をベースにしたのですが、結局うまくいかないで、公的資金が導入されてあそこが再生された。実際には国のお金も県のお金も投入されたという結果があるわけです。この辺が実はブッチャードガーデンを本当には参考にできなかったということになるわけです。
 それの反省も含めて、数年前から実は尼崎、いわゆる公害の町尼崎をもう一度森の中の町に戻そうというか、森の町にしようという活動が今進んでおります。実際に尼崎に21世紀の森計画、森構想という形で動いているのですが、これも私自身が担当したときには民間活力、民間
主導型で森を再生しようという絵を描いたのですが、やはり行政依存型がどうしても脱皮できない。今の段階ではやはり相当公費を導入するような雰囲気に今なってきているのですが、この辺をやはり、民間の中でどうやって動かしていくのか。要するに行政依存型にしますとどうしても行政の意向しか反映できないという問題から、いろんなトラブルが発生するということで、この辺の意識改革をどうしていったらいいのかというのが今一番問題ではないかな。
 と同時に、私は日本の今の国の、国というよりは行政政策、制度そのものにも問題がある、税制にも問題があるというように思っているのですが、その辺について何かご意見があればお教えいただきたいと思います。

○鈴木部会長 永里委員。

○永里委員 ありがとうございます。
 先生の最後の方の結論、2050年、志を高く持って進むべきというのは非常に感動的でした。
 ところで、先生はロンドンで研究をなされ、そしてその後、今のポジションの前には国際日本文化研究センターにいらっしゃいました。
 そこで質問なんですが、日本人というのは縄文以来、自然と共生してきましたし、自然と謙虚につき合ってきたわけです。しかし欧米というか、西欧はイスラムを含めて一神教でありまして、自然を破壊する文明であります。温暖化というのは、欧米文明から帰結するところ人災だというふうに見えます。ですから、排出権取引等のビジネスとか金もうけをたくらむようなこと、そういうことはできても、2005年の愛知万博の自然の叡智に学ぶフィロソフィーというようなことは、欧米人には受け入れられるのでしょうかというのが私の質問です。

○鈴木部会長 三橋委員。

○三橋委員 非常に説得力のあるお話だったと思います。
 1つ、今の質問とも若干関係するかもわかりませんけれども、例えば環境問題で特にアメリカ人と議論するとき、こういうことを言うわけですね。現在の環境破壊は確かに西欧の自然征服型の技術がもたらしたことは我々も認める。しかしそれを克服するのもまた近代西欧技術がやるのだということで、自然と調和するあるいは回復するような技術というものもその対極にあるのじゃないかという話にはまず耳を傾けようとしないですね。そんなことに議論をしている時間はないということで、あくまでやはり自然征服型の技術が要ると。
 それでIPCCの第4次評価報告書に参加した人たちも、大変なそういうような考え方で自然調和型ではなくて、今はまだ近代技術が未成熟なんで問題が克服できてないのだということで、さらに自然征服型の技術で温暖化に対応しようというような動きが非常に強いわけですね。それに対して、先生がおっしゃったような問題提起をして彼らに納得させるためにどういうようなアプローチが必要なのかなというようなことを考えるのですけれども、何かあればぜひ伺いたいのです。
 私も先生のおっしゃる考え方というのは非常に必要だし、これからはむしろ自然調和型、あるいは征服ではなくて回復する、そういう技術とのミックスというか、そういうものが必要なんだろうというように思っているのですけれども、とてもそういうことを聞く科学者というのはいない感じがするのですね。その辺ちょっとご意見を伺いたいなと思います。

○鈴木部会長 横山委員。

○横山委員 2点お尋ねしたいと思います。
 1点目は、先生が日本の自然の豊かさと、それから地震国日本で起こった阪神淡路大震災にも触れられましたので、このほぼ確実にやってくるとわかっている温暖化と、それからいつ襲うかわからない地震に対する対応の違いとか、あるいは共通するところがあるのかどうか、そういうところをお考えになっていたら教えてほしいと思います。
 それから2点目は、「もったいない精神」とかあるいは地産地消の話は私も全くそのとおりだと思うのですが、失礼かもわかりませんけれども、みずからそういうことでどんなことをこれまでやり、あるいはこれからどういうことを実践していこうとお考えになっているか、その辺を教えていただければと思います。
 以上です。

○鈴木部会長 質問も大分いろいろとバラエティーがありましたが、いかがでしょうか。

○川勝学長 尊敬する寺島先生の時間を奪うのは一番悪いことではないかと思っております。手短に。
 私は、日本のフロンティアは日本にあるということで、10年ほど前から、標高1,000メートルのところに住んで農業のまねごとを始めましたが、サルに荒らされ、残念ながらサルに負けて、農業はできないのでございますが、自然の中での生活を実践しております。
 温暖化と地震とは別ですが、温暖化によって台風とかハリケーンは、その規模を大きくするだろうという関連はあるのではないかと思います。地震は、プレートテクニクスの問題でございますが、天災に対してどのような態度で臨むのかという問題に、温暖化はいわば突発的ではなくて、ボディブローのように効いてきており、我々は日本の自然観を思い出す事態に面していると思います。
 三橋先生はアメリカ人、永里先生は欧米流の考え、川上先生がイスラムのことを言われましたが、私はイデオロギーとして説明しても説得力がないから「初めに言葉ありき。言葉は神とともにありき。言葉は神なりき。」とヨハネ伝にありますけれども、日本は鳥羽僧正あるいは北斎漫画のように絵と言葉で物をあらわすという、それは言葉にも言霊が宿りますけれども、森羅万象に霊が宿るという考えがある。絵で見せる。絵で見せるというのは形にすることができます。そのイメージを形にしたものが私は庭だと思うのですね。イスラム的な庭、あの人たちは水と緑を一番大事にします。生活では水が一番不足していますから。そうした庭がアルハンブラ宮殿に残って、それがヨーロッパに影響を与えるわけでありますが、武内先生が専門のランドスケープに対してアメリカ人も、例えばニューヨークのセントラルパーク、ボストンのエメラルド・ネックレス、シカゴのパークシステムなど、つまり大都市においてかえって、都市化が突き進んでいくと今度は緑への回帰がある。フランスでもナポレオン3世のときにそういう回帰が起こり、イギリスでもだんだんと、狩りの場であったパークが庶民の憩いの場になっています。庭がいわば、多民族共通の一種の教会の役割、教会というと言い過ぎですけれども、そこでは平和を、皮膚の色とか宗教とかにかかわりなく共有できる。子どもを遊ばせ、人がジョギングをし云々、そうした緑と水の空間である公園が持っている聖なる役割があって、ここのところが実は日本が、イデオロギーとしてではなくて、日本を全体としてガーデン・アイランドにすることにおいて説得力を持っていくと思っているわけであります。
 森に関して及川先生の指摘にありましたが、日本は自国の森を保存して他国の森を壊している。実際は植林されているので、日本の商社マンに対するこういう批判は今では当てはまりません。批判が当てはまるのは中国に対してではないかと存じます。しかし、例えば農水省の建物が修築中ですが、農水省内の会議室の机も、この会議場のテーブルも合板でしょう。どうして日本の材を使わないのですか。輸入材を日本の税金で、安いから買う、安いから向こうの森林を壊しているわけであります。この国の入会地だったものを帝室林にし、国有林にしているわけですが、そういう森林は使うべきだと思います。高くても使う、それが地産地消の原点じゃないか。農水省の人たちが公務員宿舎に住み、東京に住んで、農業を頑張れ頑張れと言っているのは、本当に言っていることとやっていることが違うと思うのであります。
 まず、範を示すことが大事で、範を示す仕方に首都機能の移転がある。鹿島先生が言われたように、いろいろと現実の利害が働いておるわけですけれども、やはりベクトルあるいは流れが変わってきていることも事実ではないかと思います。「自然の叡智から学ぶ」をテーマにすれば、背景に、いかにもうけようかということがあるにしても、トヨタも環境技術を売り物にした技術に専念していきますし、それを今度売り物にしてやっていくというところがあると思います。
 愛知万博よりも兵庫県ですね、今尼崎で森をつくっている。森は景観がいいというので、兵庫県が変わってきています。淡路島だけじゃなくて、兵庫全域で変わった。丹波の森がウィーンの森、フォンテンブローの森と姉妹関係を結んで、森を持っていること、森をつくることに誇りを持つようになってきたのは、やはり阪神淡路大震災で、犠牲者の死霊の語りかけてきているものをどういうふうに受け継ぐかという、そういう問題意識がありますので、一気に変わりませんけれども、徐々に、しかし確実に変わっていっていると思います。
 以上、全部に答えたわけではありませんけれども、官についている方々はやはりノーブリスということで、オブリージェを果たすという使命を持たれているのではないか。それをすることによって、今庶民の中で官に対する一種の反感、役人たたきも和らいでいくだろう。庶民は決して馬鹿ではなくて、阪神淡路大震災以来、人の不幸に乗じて己の利益を取るというふうな、住民が住民に対して暴力あるいは略奪をするというふうなことはしない。民意を信じて権限や財源を地域に下ろしていく姿勢をもっと明確にしていくことによって民活ができる。国の権限としての防衛、安全保障、通貨、大きな技術、調整機能を除いて、補助金を出している農水、国交、総務、環境、経済産業省のうち中小産業にかかわるもの、厚生労働省、こうした内政にかかわるものは全部、ブリテンがスコットランドにデボリューション、権限を全部移譲したように、思い切った権限移譲をすることによって、大きな財源も出てくるのではないかと思っております。
 中途半端になりましたけれども、以上で終わらせていただきます。

○鈴木部会長 ありがとうございました。
 多分まだまだいろいろと伺いたいことがある委員の方がいらっしゃると思うのですが、大変残念ながら時間となりましたので、川勝先生どうもありがとうございました。非常に私たちにとっては原点に戻るようなお話を伺って、これからのいろんな意味での将来を考えていく上でのベースにさせていただけると思います。ありがとうございました。(拍手)
 それでは続きまして、三井物産戦略研究所所長、財団法人日本総合研究所会長として多様な分野でいろいろなご発言をなさっておられ、またエネルギー問題に関してもいろいろとお考えをお持ちでいらっしゃいます寺島実郎さんにおいでいただきました。お忙しいところを本当にありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。

○寺島会長 おはようございます。寺島でございます。
 私、環境の専門家でも何でもないのですけれども、私の立場、特に産業の現場に近いところから物を考えてきたという視点で、若干参考になるお話もできるかなと思って参上しています。
 まず問題意識なんですけれども、環境というものをはやりの議論にしてはいけないということからちょっと申し上げたいわけです。
 70年代の初めにローマクラブが「成長の限界」という本を出したころ、初めてと言っていっていいぐらい、この種の問題に対する国際的な認識というのは一気に沸騰したといいますか、それが73年の石油危機というのにつながって、私自身、大学院生から社会に参加したのが73年の石油危機の年だったのですけれども、エイモリー・ロビンスのソフトエネルギー・パスという議論が出てきて、仲間内で訳したりするような作業に参加した思い出がありますけれども、今またバイオリズムのように、なぜ環境というものがかくも議論の対象になっているのだろうかということを冷静に考えてみた場合に、今我々が生きている時代の異様性といいますか、21世紀初頭の世界のある種の異様性ということに気づかなければいけないということからちょっとお話していきたいと思います。
 これはレジュメではないのですけれども、「世界潮流と日本の進路考える基本資料」という、資料集のようなものを配っていただいています。これは私が講演等で使ったりしている資料集なんですけれども、その中で今日のテーマに非常にかかわってくるところがありますので、新しい数字を常に毎月リバイズドしている資料集なんですけれども、若干数字の裏づけが必要なところだけさっと見ていただいて、話を進めていきたい、こう思います。
 それで、このページで言うと2ページなんですけれども、私、環境問題というものを議論するときに常に思い出すのが、この2ページの真ん中ぐらいに、「持続可能な成長に向けて問われる3つのE」という表現がありまして、これは諸先生、国際会議なんかに出るとまたその話ですかと言いたくなるぐらいで出てくる定番のキーワードなんですけれども、エコノミーとエンバイロンメント、エナジー、この3つのEはバランスがとれていなければいけませんという、いわゆるお説ごもっともの建前論というものなんです。まさにこの3つのEのバランスというものをじっとにらみながら、我々この環境ということを議論せざるを得ない。
 それで21世紀初頭の世界経済、さらにはエネルギーと密接にリンクした形で環境問題が位置づけられるなんということは、もうこれ、理の当然の話なんですけれども、とりわけまず、時代認識として確認しておきたいのは、この21世紀初頭の6年間の「異様なまでの高成長の同時化局面」と上から2段目のところに書いてございますけれども、これが非常に大きな背景になっているということは言うまでもないですね。
 それで一番上に「世界GDP実質成長率推移」というメモランダムがあります。これはわかりやすく言うと地球全体のGDPがこの6年間どう推移したのかということなんですけれども、9・11が起こった01年1.8だった世界全体の実質成長率が、2004年からは3.9,3.4、3.9ですね。3%台の成長を続ける地球という姿がまず確認できます。
 「20世紀はアメリカの世紀だ」という表現がよくあるのですけれども、アメリカが覇権国にも近い状態にのし上がったという20世紀に、アメリカが実現した年平均の実質成長率は2.1%程度だったろうと推定されていますから、地球全体が、途上国段階の国も含めて3%台の成長を続けるという異様性、しかももう1つ「同時化」という言葉が絡みつきます。
 それで、耳にたこができるほど使われているBRICSの台頭という言葉なんですけれども、ブラジル、ロシア、インド、チャイナと世界の成長エンジンと盛んにもてはやされているわけですね。新興国投資ファンドなんというと必ず登場してくる話なんです。ところが、この間私、2週間ほど前にOECDに行っていたのですけれども、この5月のOECD閣僚会議で、ご存じかと思いますけれども、今後はBRICSと呼ぶのをやめようと決めたのですね。BRIICSと呼ぼうと。Iが1つ入った。Iは何だというとインドネシアのIなんですね。最後のSは複数のSではなくてサウスアフリカのSだというわけです。
 要するに世界の成長エンジンが非常に多様化していますということを象徴するような流れといいますか、和製英語なんですけれども、VISTAなんて言って歩いている人もいます。ベトナムのVですね。それから最期のTAはトルコとアルゼンチンだというわけです。要するに世界押しなべてマイナス成長ゾーンがないという一種異様な時代をまず我々は生きているのだということを確認しなければいけない。
 そこでなんですけれども、1ページの一番最初に戻って、今我々が生きている時代の資本主義の、あえて言うと病と言ってもいいような状況に近づいてきていると僕は思っていますけれども、今僕の話した話というのは、その1ページの一番上に書いてある「世界経済の年平均実質成長率」つまり実体経済は3.5%ぐらいの年平均ペースで今世紀に入っての6年間拡大しましたという話をしたにすぎないのですけれども、2段目におやっという数字が出てきます。
 世界貿易のこの間の年平均成長率は7%で拡大しましたというものですね。つまり世界貿易は7%ペースで実質成長したのだという、つまり物流経済は実体経済の場合のスピードで拡大したのだということが確認できます。なぜだというと、中身を分析すると、増加寄与率分析というのをやると、約半分ぐらいの要因がIT関連の機材、例えば半導体等電子部品だとか、自動車関連部品の貿易が世界貿易を突き上げたということが見えてきますから、いわゆる世に言うIT革命説なんというのもあながち間違いともいえないのかなという傍証資料が見えてきます。
 そこで、私がこの冒頭の話としてお話したいのは、問題はその3つ目なんです。要は世界の株式市場の時価総額はこの6年間に年平均14%で拡大しましたという数字が見えてきます。さっきMBAは金融の技術だけを教えているという話を川勝先生がされていましたけれども、まさにそのとおりで、「悪知恵の資本主義」という言葉が当たるぐらい、その金融肥大型の構造にどんどん傾斜が起こっているということで、要するにグローバル化という名のもとの金融肥大化。
 そこでなんですが、「マネーゲーム化の進行とその要因」というようなことがメモに書いてありますけれども、2ページの一番下をちょっと確認していただきたいのです。環境問題はエネルギー問題との相関の中でしか議論できませんから、それでエネルギーというふうにこだわるわけですけれども、一番下に「日本への原油入着価格」というメモがあります。これは日本の経済、産業を議論する上ではイロハのイで確認しておかなければいけない数字で、日本の港に一体幾らで石油がたどり着いているのかという基本的な数字です。
 見方としては、1999年、17ドル20セントで1バレルの石油が日本の港にたどりついていたという数字です。その年の円ドルレートで計算して、1928円払って1バレルの石油を入手していた日本経済という姿が見えてきます。
 ぽんと飛んで一番最後、07年8月、つい2カ月前です。直近の発表されてきている数字です。1バレル73ドル62セントまで来た。円ドルレートで換算して8,592円払って1バレルの石油を入手しているのが原価の日本産業だという姿です。
 というと、この間日本産業にとって2,000円しなかった石油が4倍をもはるかに上回るところまで値上がりしているということですね。ところがその割にはパニックになってないよねということに気がつくと思います。73年、79年の石油危機を越えてきた世代の人は、多分なぜなんだろうというふうに疑問に思いたくなるぐらい、全く日本産業にパニックが起こってない。
 その上に「何故、石油価格高騰にもかかわらず日本経済はパニックになってないのか?」というメモがありますけれども、これはもう話し始めれば切りがないのですが、大きく3つぐらいの論点があります。これは環境に対する対応という視点にとっても非常にサジェスティブな要素を浮かび上がらせます。
 というのは、まず確認しなければいけないのは、「長期的な為替の円高へのシフト」というメモがここに書いてありますけれども、わかりやすく言うとこういうことです。73年の石油危機の年の円ドルレートは271円だったのですね。79年は219円だった。もし今219円の円ドルレートのままだったとしたら、8月のいわゆる原油入着価格73ドル62セントはほぼバレル1万7,000円です。ということは、今もし1万7,000円バレルだったら、ここで会議をやっている場合じゃないという空気で、現場に戻らなければいけないというパニックの状況の中にあることは間違いないですね。
 ということは、この間に110円台まで為替を円高に持ってきた。なぜだというと、一言で言うと産業力です。例えば自動車産業を1つ取ってみても、レクサスに象徴されるような、あるいは高付加価値の自動車、1台でより多くの外貨を稼げる自動車産業の高付加価値化ということを図ることによって外貨を稼いで、国際収支を好転させて、それでじわりじわりとこの国の通貨である円の国際的価値を高めることによって購買力を強めて、実はパニックになっていても不思議じゃない状況をバッファーとなって吸収しているという要素があります。
 それから2つ目、これは言うまでもないことですけれども、エネルギー利用効率の改善。私は新国家エネルギー戦略の策定に昨年参画する形でいろいろワークしていたのですけれども、過去30年間に日本はエネルギーの利用効率を37%改善したという数字をそのエネルギー戦略の中で経産省は出していますけれども、現在、ざっくり言ってだと思いますが、エネルギーの利用効率は米国の2倍、中国の9倍という数字が出てきます。つまりエネルギーの利用効率を高めることによって高騰をパニックにしないという構図が働いているということは間違いない、こう思います。
 それから3番目、シンボリックな話ですけれども、ガソリン税格差、後でお話したいポイントでもあるのですが、前倒しで言っておくと、日本のガソリン税、これは2年ぐらい前の数字ですけれども、50.9%、米国18.3、ドイツ72.4%というガソリン税のギャップがあります。わかりやすく言うと、リッター100円だったころのガソリン、アメリカは50円、ドイツは150円だというイメージで考えればわかりやすかったわけですけれども、アメリカの場合、ガソリン税が低いために本体価格の高騰がそのまま末端価格の高騰につながりますから、パニックになるという非常にアイロニカルな、皮肉な構図になっているという部分があります。日本の場合、ガソリン税がそもそも高過ぎるという議論があるわけですけれども、高いから、本体価格が仮に倍になっても、いわゆる末端価格で100円だったものがせいぜい百何十円になったという程度のインパクトで吸収されるというアイロニカルな構図で、ドイツの場合は痛痒を感じないというか、72.4%という極端にガソリン税が高くて、このうち2~3%は環境税織り込み済みというような体系になっているから、ガソリン代が高くなるという状況にならないという皮肉な構図になっています。
 したがって、この日本を真ん中に置いて、米国と欧州の、大体欧州はガソリン税の体系がこのぐらいの水準なんですね。ルクセンブルクだけはちょっと安くなっていますけれども、いずれにしてもこの政策論というのが今後の対応なんかにとっても非常に意味があるよねというのがここで申し上げておきたいことです。
 それで問題は、どうしてそんなに4倍にもなっちゃったのかという話をちょっと確認しておきたいわけですけれども、この種の分野の専門家が議論すると、必ず需要側の要素としてブリックスの石油需要の拡大、とりわけ中国の石油消費がふえていましてというような話とか、あるいは供給側の要素として、中東の地政学的不安、何しろイラク戦争がとか、サウジアラビアの潜在不安がとかいうもっともらしい説明が出てきます。ところが、本当にそんな要因でエネルギー価格を4倍にもしなければいけないような需給ギャップが生じているのかといったら、決してそんなことはないのですね。
 これはこの間パリのIEAの事務局だとかOPECのウィーンの事務局の人たちともちょうど議論してきたところなんですけれども、私の意見とかなんということより、もはや常識に近いような話ですけれども、需給関係のバランスからいって、例えばロシアの増産だとか、昨年のロシアは972万BDという、サウジアラビアを凌駕するほど石油の増産をしています。
 それで、天然ガスを原油換算した数字と石油の生産量を合わせたら、2,300万BDになるだろうという推計が出ていまして、それがロシアがエネルギー帝国主義という言葉を使われるぐらい、世界のセンターラインにエネルギー問題でよみがえってきている大変大きな要素だということは感じ取っておられると思います。
 つまり、ロシア、北海原油、中東の原油状況を見ても、何もこの世の中から石油の供給力がずどんと落ちているわけでもなんでもないのですね。つまり73年のOPEC価格カルテルなんというようなときと全く違うわけです。
 さらに消費側の要因として中国の石油消費の拡大ということが盛んに言われますが、事実関係を確認するために、8ページの真ん中ぐらいに「中国経済の現局面」という直近の数字が書いてありますけれども、昨年の中国の石油消費は、(エ)というところに消費696万BD、輸入365万BDということで、かつて輸出国だった中国が輸入国に転じて、365万BDまで輸入量をふやしてきていることは事実なのですが、じゃ、4倍にもしなければいけないほど拡大しているのかというと、必ずしも正しくないのですね。
 中国の現況は、石油価格の高騰が日本よりもはるかにボディブローに効いています。なぜならば、さっきの私の話の裏返しで、元を極端に安く持ちこたえていることの裏返しですね。さらにはエネルギーの利用効率が悪い。1単位の経済活動をするにも、さっきの私の話じゃないですけれども、日本の9倍のエネルギーが要るということになると、そのエネルギーの効率という面からいってもものすごくボディブローが効いているのですね。中国の場合、一次エネルギー供給の7割がまだ石炭です。それを石油転換を図ってきていたことは確かなんです。だけど、余りにも石油価格の高騰というのを受けて、国内資源である石炭に一部戻さなければいけないというぐらいの状況が起こっているというのがむしろ現実だというふうに考えた方がいいだろうと思います。
 いずれにしても、4倍にも上がらなければいけないほどエネルギー需給ギャップはない。だったらどうして4倍にも跳ね上がっているのだということなんですけれども、それが肝心な話なんですが、2ページに戻っていただいて、さっきの「3つのE」と書いてあるところの②なんです。「エネルギー価格高騰の構造:先物原油価格バーレル60~70$水準の怪」怪しいという字が書いてありますが、これは60~70ドルどころじゃなくて、先物原油価格が今80ドル前後動いているというのはご承知のとおりです。
 それで、何が言いたいかというと、「需給関係だけでは説明できない投機的要素の顕在化」とここに書いてありますけれども、つまり「WTIなる指標に内在する危うさ」というメモがあります。連日例えば日経新聞等で、エネルギー価格に関心のある方はニューヨークの先物市場がどう動いているのかということをウォッチされていると思います。必ずWTIでは80ドルを超しただの割っただのという報道が連日続きます。
 じゃWTIって何だということをしっかり考えたら、我々が今生きている時代のエネルギー問題の危うさが見えてきます。WTIというのはウエストテキサス・インターミディエートの略ですね。ヒューストンのことなんですね。ヒューストン地域の石油価格というローカルな指標なんです。それがニューヨークの商品市場に上場されましたというあたりから話がおかしくなって、この10年間のIT革命のパラドックスもあって、オンライントレードでコンピューターの中を短期の資金が駆けめぐるというような、つまりデリバティブのような仕組みが石油のマネーゲームとしての取引というものをものすごい勢いで拡大して、WTIの実需は1日70万BDです。ウエストテキサス地域の石油の実需は。昨年世界で生産されたすべての石油をかき集めても8,600万BDです。
 ところが去年、WTIなる名前のもとに取引された先物の原油は1日2億5,000万から3億バレルという数字が出てきます。つまり、実需をはるかに上回る石油の取引がWTIという指標のもとになされているということは何を意味するかというと、この10年間でエネルギーの価格を決めるメカニズムがまるで変わったということなんですね。物の価格は需要曲線と供給曲線の接点で決まるのですなんという話をあざ笑うかのような構図がこの10年間でエネルギーという世界に一気に進行した。
 それで、先ほど株価がこの間、年平均14%の拡大を今世紀に入ってしてきたという話をしましたけれども、株の世界だけではなくて、今世界に進行していることで私は非常にやはり、この間もロンドンのシティの人たちと話していて、産業の金融化というものがものすごい勢いで進行しているのだなということに気がつきます。つまり、エネルギーの世界も金融ビジネスモデルの対象になってきている。環境の世界だってそうです。排出権なんという仕組みはだれが思いついたのだというような見事なまでの金融ビジネスモデルなわけですけれども、つまり環境という分野を産業化し、その産業を金融化していく、悪くいえば悪知恵なんですけれども、次善の策といえば、やむを得ざる次善の策だという表現も使えるのですけれども、いずれにしてもそういう流れの中につまり我々が立っている。しかもその過剰流動性が8月のサブプライム問題をきっかけにして、例えば住宅ローンなんという世界からずっと引くと、行き先を見失ってどんとこのエネルギーの世界に入るということから、80ドルなんという先物の価格に今なっている。そういう中に我々自身が大きく揺さぶられていると考えざるを得ない。
 つまり、この金融で水ぶくれした経済というものをどういうふうに認識して制御するかというのが多分これからの環境問題にもリンクした形でのテーマになってくるのだろうなというふうに思います。
 それから、次に、いろいろ時間の制約がありますので、その認識に関して申し上げておかなければいけないこととしては、なぜ同時好況が進行しているのかということの、この2ページのメモの上から3段目ぐらいのところに「何故、同時好況が持続するのか?」というときに、②に「世界人口の持続的拡大がもたらす基盤需要の拡大」というメモがありますけれども、これは環境を考える上で非常に重要なことだと思うのであえて触れておくと、今から100年前、1900年前後に世界人口が15億だったと言われているわけですけれども、これが2000年、21世紀を迎える瞬間60億になっていた。20世紀の間に45億世界人口はふえた。
 それが今、日本の人口は一昨年ピークアウトしましたけれども、世界人口が1年年を明けるごとに1億人ふえているというのが、今我々が認識しなければいけないことで、現在もう67億に迫ってきています。2010年に70億と言われ、この間国連が発表してきた数字で、2050年91億人。ということは、半世紀で、今我々が生きている21世紀前半という半世紀を考えたならば、少なくとも41億人人口がふえるという世界を生きることになるだろうと思います。
 それで、しかもその人口がふえている地域、例えばインドとか中国が経済的にも成長ゾーンに入ってきているということが、基盤需要の拡大を加速させているという表現があります。つまり、基盤需要って何だ、水とか食料とかエネルギーとか、人間が生きていくために不可欠な需要ですね。それが突き上げている。しかも、この人口がただ単純にふえているというだけじゃなくて、さっきの川勝先生の話じゃないけれども、都市化というファクターが絡みついていまして、今世界に500万人以上の人口を擁する都市が40あると言われているのですけれども、これが2025年には58になるという予測が出てきています。
 つまり、この都市化というのは都市的ライフスタイルというか、消費的ライフスタイルというか、そういう類のものと相関していますから、人口増と基盤需要の拡大と都市化というものの相関がエネルギー及び環境に大きなインパクトを与えるだろうなということは想像に難くない。
 それで、そういったことを前提にして、認識の中でもう1つ私自身の認識として強調しておきたいのが、これもまた言うまでもないことなんですけれども、環境問題はボーダレスだということで、日本だけが環境問題で自己完結できるわけではないということは当たり前な話で、特に中国の環境問題とか、これからはロシアの環境問題をも視界に入れて、環日本海というような視点で環境というものを認識していかなければいけない状況が来ているということだけはまず間違いないだろう、こう思います。
 そういう視点で、今現実に私自身が巻き込まれているプロジェクトもしくはそういう至近距離で認識のあるものを話題にしながら、どうするというところの話を、認識をベースにして、じゃこれからどうするというところの関連の話を申し上げておきたいわけですけれども、まず非常に気になるのは、この夏、高野山大学の夏期講座なんかで話したこともあって、空海を調べていて、全体知という言葉がものすごく気になっていて、断片的な知性から全体的な知性というか、この環境問題こそ、いわゆる総合エンジニアリングというか、総合戦略で立ち向かわないと、とてもこの話は対応できる話ではないなということが腹の底にあります。
 そういう中で、まず思いつくままのテーマなんですけれども、先ほどのガソリン税の話題を、日本のガソリン税は高過ぎると主張して歩いている一群の人たちがいます。アメリカ並みに下げるべきだという主張があります。一方、欧州に比べると安過ぎるというので、もっと高くしろという議論をする立場の人がいます。
 そこでなんですけれども、制度設計という議論に関連して、もし本気で今後高度成長期型の税体系、財政の体系から転換していくということであるならば、例えばガソリン税だとか道路財源だとかいうのはまたシンボリックな話題になってきますけれども、例えば環境対応型の税体系ということを日本の重点指向ということにするならば、思い切って、例えば欧州型のようなガソリン税の体系を採用して、その税収をもって環境対策に懸命に立ち向かうというようなことも1つの大きなメッセージになるだろうと思います。
 これは車社会に重大な転換を求めますから、ヒッチがあったり問題が起こったりするということは想像にかたくないですけれども、あえてそう踏み込むぐらいの思い入れがないとパラダイム転換は図れないだろうなというふうに思います。というのは、ポスト京都議定書の議論を横目で見ていると、極端なハードル目標が設定されてくる可能性があるというか、今の京都議定書どころじゃないですね。そうなってきたら、日本としてよほどのパラダイム転換を図らないと対応できなくなるだろうというふうに思うからです。
 それから2つ目の話題なんですけれども、話題の質が変わりますが、再生可能エネルギーのことなんですが、新国家エネルギー戦略の中で、まだ控え目な目標設定ということになっていますけれども、欧州がご存じのように再生可能エネルギーで2割というような目標を出してきて、世界の流れがちょっと再生可能に関して変わってきています。
 そういう中で日本はどういう分野の再生可能エネルギーを重点指向していくのかというテーマが非常に重要になってきますけれども、例えばバイオマスエタノールなんですけれども、これはちょっとその背景をお話しておかなければいけないと思うから話題に触れるのですけれども、私自身、実は87年から97年まで、アメリカ東海岸で仕事をしていたわけですが、ワシントンの三井の代表というのをしていたときに、初めてバイオマスエタノールという言葉に気づいたのですね。ああ、こういう考え方があるのかと。初めて気がついたのは、アメリカの農業企業だとか農業団体の連中がワシントンにやってきて話題にし始めた。遺伝子組み換え技術を使ってトウモロコシの増産をかけてみたら、人間に食べさせると危ないなんということになっちゃって、じゃ車に食わしちゃおうと言う発想から、そのバイオマスエタノールを混入したガソリンによってCO2対策になんという、そういうストーリーというのができ上がってきた。そういう話もありなのかというふうに思ったのが最初に気がついたことなんです。
 調べてみると、カリフォルニアだとかあるいはブラジルなんかが先行してバイオマスエタノールという話を展開している。そこで、固有名詞を出して恐縮ですが、当時農林大臣をやっていた中川さんなんかと東京に帰ってきたときに話題にして、ご存じのE3という流れを、つまり3%をガソリンに日本でも混入できるという制度体系というものをつくる上で非常に奮闘されたのは中川さんだったのですね。バイオマスエタノールって何ですかという状況から、一生懸命彼が頑張って、そういう話の流れをつくっていった。
 今度は、若干過剰なまでのバイオマスエタノールブームみたいに世界ではなっちゃって、当初人間に食わせられないから車に食わせようという発想だったのですけれども、人間が食べられるものでエタノールを抽出して綱引きすると、食料問題とバッティングし始めて、最近はバイオマスエタノール批判なんというほうが盛り上がってきて、食料の価格高騰みたいなのにつながる。砂糖だとか、ブラジルはサトウキビ、アメリカはトウモロコシから抽出しているケースが多いのですけれども、それでバイオマスエタノール批判というのはもう十分に理解した上であえて申し上げるのですけれども、それでもなおかつ、この再生可能エネルギーの1つの柱としてのバイオマスエタノール的アプローチは重要というのを、僕はこの段階では申し上げておきたい。
 どういう意味かというと、人間が食べられないもの、例えばセルロース系とか、いろいろなアプローチがあるわけですけれども、最大の努力をして再生可能なものでいわゆる問題解決に挑むというアプローチは捨ててはならないというか、21世紀の重大な課題というのは、先ほどの話じゃないですけれども、環境とエネルギーと食料という、この3つのキーワードの真ん中に、いわゆる多元方程式を解くような発想でプロジェクトメーキングしていくという構想力というのはすごく重要で、もちろん今バイオマスエタノールが直面しているさまざまなネガティブな要素を克服しながら、何とか再生可能なもので対応していくという努力を失ってはいけない。
 日本は国際会議なんかに出ると、1日500万バレルの石油をがぶ飲みにしている国だという表現が出てくるわけですけれども、化石燃料を買える産業力があるからほしいがままに化石燃料を買っていっていますが、中東に対するエネルギーの依存度だとか、そういうことを考えたならば、この国のエネルギーと環境と食料という間に落ち込んでくるプロジェクトということを軟らかく構想していくという努力がものすごく重要なので、そういう文脈でバイオマスエタノールの重要性は見失ってはいけないよなというのがまずこの点で、意見として申し上げておきたい。
 それから、そうはいっても、再生可能で一次エネルギー供給の5%を支えるということは可能なのかという具体的なテーマになったら、よほどのことをやらない限り難しいというのが常識的な判断だと思いますけれども、何もバイオマスエタノールだけが再生可能エネルギーじゃないわけですけれども、今後やはり風力、太陽、そういう類のところに最大の視点を置いて、少なくとも現在の新国家エネルギー戦略が目指しているものの倍ぐらいのシエアを再生可能エネルギーで対応するというぐらいの思い切った発想がないとこの分野での対応は無理なんじゃないかなと、こう思います。
 それから3番目に、いろんな話題で恐縮なんですけれども、今私自身が知的オフィスコンソーシアムというもののまとめ役を頼まれて、オフィス環境を省エネルギー、環境指向型のオフィスに変えるにはどうしたらいいか、総合的な研究プラットフォームというもので、NEDOの一部支援も受けてある作業をやっています。これは同志社大学だとか松下電工だとか、この種の分野に関心のある大学とか企業が、数十社参画する形で進めているわけですけれども、何だというと、例えば都市におけるオフィス環境なんというのも、総合的なアプローチということにこだわりますけれども、例えば空調だとか照明のエネルギー消費をドラマチックに改善するといいますか、そのために最近の研究では知的アルゴリズムなんというのを使って、例えば人間の動きとともに照明が変わっていくので、部屋にスイッチのないオフィスみたいなものが構想できるだとか、それからITの世界でも新クライアントなんという議論が出てきて、1人1台の机にパソコンを置いているというものではなくて、世界じゅうどこに行こうが、チップを差し込めば自分のオフィス環境が立ち上げられるような、要するにそういった次世代のオフィス環境というようなものについて、これは何もNEDOとか、そういうところだけがやればいいという話じゃなくて、もっともっと総合化して、もっと大きな構想の中で展開していったならば大変な成果が上がるだろうなというふうに思い始めているものですから、話題として申し上げておきます。
 4番目に、原子力立国ということで、世界がここへ来てエネルギー戦略、環境問題があるものですから、環境問題をテコにして原子力の見直しという動きが起こっているのは諸先生ご存じのとおりです。そこでその原子力に対する定見が問われるというのが環境を議論する人間にとって非常に重要なことなんですけれども、不幸にして中越地震が起こったために日本の原子力というのが大変世界の流れとは逆の状況にありまして、この先新しい原発の立地は不可能じゃないかということを言う人さえいるぐらい難しい状況の中にあります。つまり、活断層だ、地震だということを前提にしたら、とてもじゃないけれども原子力発電を新規につくるというのは難しいのではないかという議論さえ起こっています。そういう中で、原子力に対する考え方というのが、きょうここでの場で重要であるという意味じゃないですけれども、日本のエネルギー戦略上大変重要になってくると思います。
 そういう中で、私の視点として1つだけ強調しておきたいのは、いわゆるIAEAに行っていろいろ議論していますと、つまりウィーンのエルバラダイのところですね。世界の核査察予算の3割は日本の六ヶ所村で使っているのですよという説明が出てきます。ということは、世界は日本の核装備を疑っているのですね。したがって六ヶ所には3人の査察官が常時張りついています。つまり非核保有国で日本だけが核燃料サイクルを国際社会から許されているという微妙な立場にあるわけですね。だからこそ僕は、原子力の平和利用に徹した技術の蓄積ということが日本にとって非常に意味のある国際社会での、特にエネルギーの世界での発言力を形成しているのだということを実感します。
 つまり、軍事的な誘惑を核について感じてはいけない国だからこそ、平和利用に関する技術蓄積という思想はものすごく重要だ。例えば日本が今55基の原発を持っていますけれども、やろうがやるまいが近隣の国々は、特に中国がご存じのとおりものすごい勢いで原発をふやしていきます。朝鮮半島もそうだと思います。台湾でさえ最近原発に対する志向が非常に高まってきている。そういう流れの中で、日本が原子力の平和利用だとか、安全性、安定性にかかわる技術の蓄積において何も持ってないなんという状態で国際社会で発言力があるわけがない。
 となると、2030年以降の日本の一次エネルギー供給の15%、電力の3割を原子力で賄うというのが今度の新国家エネルギー戦略で決めたことなんですけれども、原子力という分野で優秀な技術にかかわる人材をしっかり蓄積しておかないと、日本のエネルギー戦略というのは組み立てられないだろうなと僕は思います。
 我々の世代のころ、東大の原子力工学といえば、学年の中でもダントツに優秀な者だけが目指す見上げるような世界だったわけですけれども、今や原子力工学なんという名前を使ったのでは人が集まらないというので、隠れキリシタンみたいになって、どうやってこの分野を持ちこたえるのかが悩みですなんという話にさんざんつき合わされますけれども、要するにある種の覚悟が要るということですね。
 つまり、非核保有国だからこそ、原子力というものを30年以上長期プランの中でやらないと技術者が育たない。そういう視点でものすごい国家としての意志が問われてくる分野だということですね。原子力に対して批判的な立場の方がいらっしゃってもちっとも僕は不思議じゃないと思っていますけれども、そういう意味で、何が言いたいかというと、新国家エネルギー戦略との整合性というのが環境ということを議論するときには問われるだろう。例えば低炭素素社会をつくるという目標のもとに、化石燃料系の分野をどうするのだとか、そういう意味においても新国家エネルギー戦略との整合性、国土形成計画との整合性、先ほど首都機能移転のような話題も川勝先生話されていたけれども、いわゆる新しい国土交通省の国土形成計画との整合性、さらには農水省のビジョンとの整合性みたいなものが環境という分野を議論するときにとてつもなく問われるだろうというふうに思います。
 最期に、もう1点だけちょっとつけ加えておきたいのは、エネルギー地政学という言葉があるのですけれども、僕は環境にも多分環境地政学という世界が必要になってくる。国際間の力のせめぎ合いみたいな局面に環境問題がなってきているといいますか、とりわけポスト京都議定書に向けて、ルールづくりに押し負けないというか、押し負けないということはルールから逃げるという意味じゃないですよ。ルールをつくる上でクリエイティブに参画するということをやらないと、後で極端なハードルだけ背負って、日本の置かれている立ち位置が非常に危うくなるという構図になるのではないかなと。
 特に、欧州に配置されている国際機関に出ていっている人たちといろいろ議論していると本当に感ずるのですけれども、OECDだってそうですし、日本というのはルールづくりの議論のときには積極的に参加しないで、決められたルールの中で不都合が起こると逆上して興奮して飛び出してくるという印象をどうも世界に与えているらしくて、あらゆる意味でまずそのルールづくりのところで国際社会の流れの中にきちっとした参画をするということが今後重要になってくるだろうというふうに思います。
 それからあと、もう1つ、特に今環日本海構想にかかわって私いろいろ動いているのです。1週間ほど前もサンクトペテルブルグ、ウラジオストックというようなあたりを動いて、ロシアにかかわる機会が最近多いのですけれども、環日本海構想なんというのに参加していると、経済連携の話ばかりが環日本海構想の主力テーマとなって出てきますけれども、この環境連携こそ環日本海の主力テーマになるべきじゃないのかと。
 特にロシア、中国の環境問題にかかわる人たちを巻き込んで、まさにルールづくり、合意形成していく流れをつくらないと、日本海の生態系なんて守れないよなというのが最近特に感じていることだということです。
 その他、さっきエネルギーと食料と環境というのは三位一体みたいな、その真ん中に落ちるようなプロジェクトということを申し上げましたけれども、食料の自給率がさっき4割だという話題が出ていました。日本も欧米主要国並みの食料自給率、仮にざっくり言って100%を目指すパラダイム転換を図って、その中で進むというようなシナリオが描けるのだろうか。今農水省関係の議論に参画していますと、農業生産法人というのが8,412まで急速にふえてきています。株式会社農業も180社まで今ふえてきています。つまり、そういう新しい農業分野を支える仕組みをつくることによって農業分野というものをしっかり保ちながら、例えばバイオマスエタノールの生産法人というものをしっかり確立することによって、つまり工業中心の時代から、農業も1つの柱にしたいわゆる産業構造というものを実現していくというようなことが日本にとって果たして可能なのかどうかという設計図をしっかり描いてみるべき局面に来ているのかなという印象もあります。
 そんなことで、時間が迫っていますので私の話を一応終えておきたいと思います。どうもありがとうございました。

○鈴木部会長 どうもありがとうございました。
 今私たちが面している大変大事なところをほぼすべて押さえていただいたような感じがいたします。委員の方々からご質問、大変時間が限られておりまして申しわけありませんが、名札を立てていただきたいと思います。7名の方が立っております。その方に限らせていただきたいと思います。横山委員から。先にご質問を一回り伺ってから。

○横山委員 原子力のことで、平和利用に徹して技術を蓄積せよ、それが日本の発言力を増すということでしたけれども、これについてちょっと1点お伺いしたいのですが、きょうは寺島さんは時間の関係でおっしゃらなかったと思うのですけれども、例えば核燃料サイクル計画というのが実現が非常に難しいとか、地震国日本で耐震性の問題をどうするとか、あるいは今電力業界が抱えている事故隠しの問題とか、情報公開が不完全だとか、そういうことを考えると、安易にこの平和利用の技術蓄積を行えということで済むのかどうかということをちょっとお尋ねしたいのです。
 それからもう1点は、新エネルギーにも絡んでくると思うのですが、原子力に余り予算を使うために新エネのほうに予算が回ってこないのではないかという指摘がかなりあるのですが、その辺を、2点目で新エネをやるべきだとおっしゃって、4点目で原子力もというようなことですと、その間の関係がどうなっているのかなということをちょっとお伺いしたいと思います。
 それともう1点だけ、いろいろ環境対応型の税体系ということをおっしゃいましたけれども、今の環境税論議についてどんなふうにお考えになっているか、もしあれば教えていただきたいと思います。
 以上です。

○鈴木部会長 では福川委員どうぞ。

○福川委員 いろいろお尋ねしたいのですけれども、1つに絞ってお尋ねします。
 先生のレジュメの中に、1ページ目に「日本の政治における「ガバナンスの劣化」」という表現があります。私もそのとおりだと思うのですが、お尋ねしたいのは、国際政治におけるガバナンスの劣化ということをどうお考えかということです。地球環境問題を本当に解決しようと思うなら、今の状態をマイナスサムにしないとできないと思いますね。ところが政治というのは、そういうマイナスを押しつけるということは政治の運動法則上多分できない。必ず選挙というものがあるから、どこかに甘いことを言わないと政治というのは支持を得られない、こういうことになると、グローバルなガバナンス、これは非常に問題だ。それをどうやって実現するかというところが今問われていると思うのですが、このグローバルな政治のガバナンスということについて、一体本当に今の政治が地球環境問題を解決することが可能な運動法則があるとお考えかどうかということをお尋ねします。

○鈴木部会長 高村委員。

○高村委員 ありがとうございます。大変刺激的なお話を伺いまして、ご講演お礼申し上げます。
 2点ございます。1つは今福川先生の方からもありました点にかかわるのですけれども、ご報告の中に環境、そしてエネルギー、食料を軸に置いたクリエイティブな政策の実現を構想していくことが重要だということをご指摘いただいたと思うのですが、それをまさに今の日本の中で、そして非常に分権化した国際社会の中でいかに実現していくかという戦略についてもしご意見をいただければというのが1点目であります。
 そして2つ目は、この1点目のご質問にもかかわりますけれども、まさに2013年以降の将来の枠組みというものを温暖化の文脈で議論しておりますが、これもまた低炭素社会の実現の中で国際社会の枠組みがどうなるかということが大きな影響を及ぼすものと考えています。まさに先生がおっしゃいましたようにクリエイティブに、ルールづくりにも環境の目的を、温暖化抑制という目的を実現しながら、かつやはり日本がそのルールづくりの中でみずから目指す政策目的、最も大きな利益を得られるようなルールづくりをしていくことが大事だというふうに思うわけですけれども、そのために、もし2013年以降の将来枠組みの文脈で具体的に何か示唆をいただけることがあればということであります。
 以上です。

○鈴木部会長 川上委員。

○川上委員 今のご質問と非常に関係しているのですけれども、ポスト京都のルールづくりで日本がきちっとしたクリエイティブな対応をやるべきだ、全くそのとおりだと思います。
 先ほどからのご説明で、現在の異様なまでの高成長を遂げているBRICS、まあBRIICSでもいいですけれども、そういうものを取り込まないと環境分野において2050年までに半減といったようなことはとてもできないわけですが、彼らに与えるインセンティブといいますか、今の状況の中で非常に大きなインセンティブというのはどういうものであり得るのか。日本が交渉においてどういう点に留意しながら彼らを引きつけていくということをやるのが望ましいとお考えなのか、個人的なご意見でも結構ですからお聞かせいただければ幸いでございます。

○鈴木部会長 鹿島委員。

○鹿島委員 ご講演ありがとうございました。私も手短に2点お伺いしたいと思います。
 1点は自動車関係の税金ですが、日本の場合にはガソリンの中ぐらいと、こういうお話をいただいたのですけれども、ほかの税金を含めますとまあまあヨーロッパ並みになる。要するに重量税とその他を含めるとですね。それで、その議論というのは実はもう随分前からやっていて、なかなか動かないというところがポイントだというふうに、私も実は2004年ぐらいに本を書いて、社会からいっぱい文句を言われたのですけれども、そういうことから言うと、第一歩としてどうするのだろう。政治力にも期待するのか、それとも何かそうじゃなくてもう少し我々ができるようなことというのもあるのかどうかというあたりについてご意見をお伺いしたい。
 それから2点目、原子力についても、私の同級生もいっぱいそういうところにいますので、まさにそれを感じています。そこで言うと、先生のおっしゃったように平和に徹してというのはすごくよくわかるのですが、今グローバル化の中でナショナリズムがこれだけ動いているところで、ここをどうやって議論をしていったらいいのだろう。これの第一歩というのはどういうところに先生お考えなのか、ご意見があればお聞かせいただけたらと思います。
 よろしくお願いいたします。

○鈴木部会長 武内委員。

○武内委員 私、できればちょっと伺ってみたいと思いますのは、先生のほうでインドについてどういうふうなお考えを持ちかということでございます。特にエネルギー、環境という観点で、先ほど来、中国については幾つかのお話があったと思いますけれども、もう1つの成長する大国としてのインドをどう考えるかということと、それからアジアと日本という観点でインドとのつき合いをどういうふうにしていったらいいのか。大学でも私どもの東京大学に二千数百名の留学生がおりますけれども、インドから来ている留学生はたった15名ということで、こういう状況を改善しなければいけないということを言われているわけです。そういう意味でエネルギー、環境分野での連携というのはこれから考えていかなければいけないのではないかというふうに思っているところでありますけれども、お考えがございましたらぜひお聞かせいただきたいと思います。

○鈴木部会長 佐和委員。

○佐和委員 3点質問というか、コメントさせていただきたいのですが、まずこの2ページ目のところの下のほうに、「何故、石油価格高騰にもかかわらず」云々ということでご説明があったわけですが、第一次オイルショックのとき、73年には、2~3カ月の間に一気に原油価格が4倍高になったわけですね。そのときには日本経済に対して大変深刻な影響が及んで、74年には戦後初めてのマイナス成長を経験したというようなことで、大変そういう意味では衝撃的で、10%台の成長からマイナス成長まで一気に落ち込んだのです。
 ところが第二次オイルショック、79年末から80年にかけてですが、このときは、3ドルから12ドルまで上がったのが第一次で、第二次のときは12ドルでずっと横ばっていたわけですが、それが一気に36ドルまで上がったわけですね。しかしそのときには日本経済に対する、もちろんいささかの悪影響はあったわけですが、それほど大きな影響はなかった。それは1つは、既に日本経済の石油依存度が相当低下していたからであると。
 近年の石油価格の高騰に対する反応の鈍さと言ったら変ですけれども、それほど経済に対して深刻な影響が及ばないというのも、石油依存度が低下しているということが1つ。そしてもう1つは、これは一番下の輸入価格の推移というのをごらんいただくと、これは99年のときに一番安くなって、このころにたしか石油の値段というのは100円弱だったのですね。それが今現在はちょうど2.8倍ぐらいになって、8,592円と。にもかかわらず、この間に石油の値段は四十数%上がったにすぎないのですね。ですからそういう意味で、原油価格が高騰しても必ずしも同じ比率でガソリンの値段が上がるわけではないし、つまりこれは長期的に、99年から07年まで8年間かけてゆっくり上がっているということですね。ですから、そういう意味で、必ずしもなぜパニックになってないのかということ、先ほどのご説明だけでは私はちょっと納得しがたい。
 それから、投機的要素の顕在化ということに関してですが、これは極めて単純化して言えば、クリントン政権の背後にいたのが財務省と金融資本だと思うのですね。したがってクリントン政権は、世界経済の秩序維持、安定性の確保ということに大変に努力され、努力というか、専念された。その結果として90年代は非常に安定的であった。そしてローリスク・ハイリターンな投資先として、東南アジア諸国とかあるいは旧市場経済移行国ですか、そういったところにヘッジファンドの短期資本が大量に流れ込んでいった。そして平均年率で三十数%ぐらいの利回りでお金が回っていた。もちろん97年から98年にかけて、東アジア通貨危機が起こりましたけれども、それを収拾するについても、財務省と世界銀行がうまく、とりあえず無難におさめた。ところがブッシュ政権になってから、その背後にいるのがというような言い方をすれば、実は国防総省と石油資本であったり、あるいは軍事関連資本であったりするわけですね。その結果として世界が非常に無秩序になってきたわけですね。そうすると、お金の動き方として、どうも途上国とか市場経済移行国に短期資本を持っていくというのは非常にリスキーだということで、それでエネルギーというようなところに行っているのではないかというふうに思います。
 以上です。

○鈴木部会長 浅岡委員。

○浅岡委員 2点あります。
 1つはルールづくりに日本が積極的、前向きに対応できていない、そうだと思いますけれども、私はその大きな原因は日本の経済界、まあ経済産業省もそのようにも感じますが、総量での削減目標を受け入れることを前提にして交渉するというふうになれていないことにあるかと思います。全体目標だけで頑張ろうとしていることが一番だと思うのですが、この点について先生はどういう日本の方向を持って交渉すべきだとお考えでしょうか。
 もう1点は、今佐和先生のお話にも関連いたしますが、先物の市場というのは実需のはるかに大きなものが取引されるのはどの商品においても同じでありまして、投機的な要素がありまして、石油とか炭素に限らず、こうした市場、マーケットの安定化については、それなりのルールとか何らかの仕組みというものが必要だという共通項があるのではないでしょうか。この炭素とか石油等についても、今後そういう点についてやはり国際的にも検討し、あるいはルール化していくべきところがあるということなのではないでしょうか。

○鈴木部会長 いろいろありましたが……

○寺島会長 わかりました。時間の中で簡単に、問題意識を貫いているものをちょっとお話させていただきます。
 私もう、エネルギー戦略、環境にそのままリクエストするわけですけれども、戦略意識だというふうに思っていまして、しかも日本の場合にはある種のきれい事を超えて絶妙のバランス感覚が今問われているといいますか、何だけに全面的に依存してとか、何だけに傾斜してというか、例えばドイツ、フランスを頭に入れた話で、そういう類の戦略よりも、一次エネルギー供給を絶妙のバランスで対応していかざるを得ない。そういう中で、新エネと原子力のバランスということをどうとるのかという問題提起を受けたのですけれども、新国家エネルギー戦略では一定のシナリオを書いたわけですが、果たしてそれからの経年変化の中でどうするのか。
 例えば核燃料サイクルに関連して、今回の中越地震の教訓というものの中で、私、専門家の方の話をしっかり聞く機会があったのですけれども、例えば日本の技術者が原発施設をいわゆる直下型で6とか7の地震を食らったときに対応するためにどれほど技術的に付加価値をつけたのかという説明を受けて、つまりあれだけの直下型の地震を受けながら、さまざまな問題が起こったという部分でメルトダウンは起きなかったという部分がものすごく重要で、そういう意味で今後アジアの原子力というものを考えたときに、日本のあれだけの蓄積しつつある原子力技術の基幹というものはやはりアセットとして大事に生かしていかなければいけない。むしろ励まし、力づけて育てていかなければいけないという発想をとるべきじゃないかというふうに私は思っています。
 それから、福川先生が言われたまさにガバナンスの問題が問題なわけで、僕は環境問題がまさにシンボリックにそうであるように、世界は全員参加型秩序の中に向かっている。戦後の日本というのは2国間ゲームをもって外交というふうに言いかえてきましたから、多国間ゲームに耐えていけるかというのが、外交力の基盤がないので、世界の国際政治におけるガバナンスの劣化というのもあるのですけれども、見上げるようなリーダーシップを確保できるような人というか、新世界秩序を構想できるような人というのがいなくなってきているというのも確かなんですけれども、じゃ日本自身が多国間ゲームの中で発言するには、2国間ゲームというのは労働組合と会社の交渉みたいなもので、100回も顔を見せているうちにはどこか落としどころが見えるというぐらいの話なんですけれども、多国間ゲームはやはりこういう丸テーブルを囲んでいるわけですから、あいつが言っている話は筋が通っているぞという流れをつくれなかったらルールなんかに参加できないわけですね。したがって問題は、世界が問題だという前に、日本自身の多国間ゲームへの参画の仕方というある種の覚悟がなければいけないのではないか。
 とにかくアメリカを通じてしか世界を見ないというゲームだけやってきましたから、多国間ゲームの中で迫力のあるプレゼンテーションのできる日本の指導者などというのはもうイメージもできないという状況になっていますから、それをどうするのかという問題のほうがまず先だろうという気がします。
 そういう中で、京都議定書の関連の議論は伊藤先生が体系的なお話をしていただくと思うのである程度そこに残して、僕が申し上げたいのは、まず脱京都議定書に入っていく前に、曲がりなりにも京都議定書という名前において世界にコミットしたことについて、日本はどういう実験をしているのだい、どういうクリエイティブなトライをしているのだいということが問い返されていると思うのですね。そういう中で、目鼻立ちのしっかりした、脱京都議定書で目くらましをかけていくのではなくて、京都議定書という枠の中で日本はこれだけの努力をしたのだという実績を見せていかないと、さっきのBRICSにどういうインセンティブを向けるのかなんて言ってみてもだれも相手にしないということですね。要は日本が何か非常に個性的な環境問題に関する実験をやっているのだろうかというところがものすごく問われてくるだろうなというふうに思います。
 そういう中で、私、最後の話題で恐縮なんですけれども、例えばインドなんかの問題もにらんで、今関西の経済界のリクエストというか、サポートを受けながら、大阪の北ヤード開発に絡んでアジア太平洋研究所構想というものを立ち上げようと思っていろいろ協力しているのですけれども、何だというと、まず、例えば環境・エネルギーについても、アジアの国々をにらんでみて、情報の集積点をつくらないと日本がリーダーシップを取るという話はとんでもない遠い話になっちゃいますよと。例えばフランスなんというのは、アラブ世界研究所なんというのをセーヌ川のところに73年の石油危機の翌年発表して、20年かけてつくって、我々がアラブ・中東石油エネルギーなんという情報と取るためにパリに行かざるを得ないというのは、IEAがあるだけじゃなくて、アラブ世界研究所があって、そこにある種の情報の集積力があるというところがポイントなわけです。日本には何もそんなものはないですね。だから私自身、今日本総研という財団法人型のシンクタンクと株式会社型の三井物産戦略研究所というシンクタンクを率いていますけれども、アメリカにおけるブルッキングスだとかCSISのような、いわゆる中間法人、中立型のシンクタンクなんというのは日本に何もないわけですね。そんな状況下で、一切の環境に関する情報もエネルギーに関する情報も集積してないような状態で、アジア・太平洋地域に対してエネルギー問題についてなんと言っても始まらない。そこで、アジア・太平洋のエネルギー問題の専門家、環境問題の専門家が、若い研究者が集積していくようなプラットフォームをつくるということが僕はものすごく重要だろうと思っています。
 それで、エネ研の下部組織にアジア太平洋エネルギー何とか研究所というのがありますけれども、ああいう仕組みでももう十何人のアジアのエネルギーの専門家が集まっていますけれども、あれだけれどもでもある意味では大変な試みなのですが、ああいうものをもっと大きく、環境問題も含めて、日本に環境問題の情報が集積しているというような、磁石の磁場みたいなものをつくらないと、とても何か負け犬の遠吠え的な議論とか、外野席からの議論だけして、隔靴掻痒の話に終わっちゃうだろうなというふうに思います。
 以上です。

○鈴木部会長 ありがとうございました。
 本当にまだいろいろとお伺いしたいことがあるのですが、大変残念ながら、時間が限られておりますので、ここまでにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
 それでは、続きましてマクロ経済学の専門家でいらっしゃいまして、経済財政諮問委員会の委員でいらっしゃいます伊藤隆敏東京大学大学院経済学研究科の教授、お忙しいところありがとうございました。よろしくお願いいたします。

○伊藤教授 私は必ずしも環境専門家ではないのですけれども、経済学の応用問題として環境を考えているということと、それから経済財政諮問会議のほうで経済財政一般について考えさせられておりますので、そちらのほうからのインプットということもできるのではないかということでお招きいただいたのだと思います。どうもありがとうございます。
 本日のお話は、京都議定書は枕の話でありまして、細かい話はするつもりはありません。ポスト京都を考えていくに当たって、私のきょうの話のポイントの1は、排出量取引というのは避けることができない、排出量取引をいかにうまく導入していくかということを考えるべきであって、その排出量取引を入れるのか入れないのかというような議論をしている段階ではないということをお話したい。これはどちらかというと理論的なお話になります。そこの含意は、日本の財界がなぜこれまで執拗に反対し続けるのかというのが私にはよくわからないということを、これはむしろ疑問としてぶつけたい。
 それから、もう1つのポイントは、先ほど寺島さんの方から、日本が京都議定書を守るために何をやっているのかという、何か見せるものが必要だというお話があったのですけれども、その1つの提案として、太陽光パネル、太陽電池のパネルを公共施設の屋根と壁面すべてに貼りつけるということをやったらどうなるのかというお話をしたいということで、これの試算をしてみましたということであります。非常に大胆な仮定を置いた試算でありますので、これがそのまま使えるとは思いませんけれども、1つの示唆を与える数字だと思います。したがってポイントの2は、こういった幾つかの試算をしてみて、できることからやっていこうということをお話したいということであります。
 最後の環境税の話については、もし時間があればお話しますけれども、なければそこはカットしたいと思います。
 京都議定書について、これはご存じのとおり根強い批判があります。それは日本にとって非常に不利だということ、それから日本にとって不公平だったという批判であります。私はこれは無視できない批判で、ある程度当たっているというふうに思います。よく言われて、これは皆さん当然ご存じですのでさっと説明しますけれども、大排出国が参加していないから、地球環境問題であるのに一部の国しか努力しない仕組みになっているということとか、それから日本そのものがそもそもエネルギー効率がよかったので、そこを基準に取ってさらに削減努力をするということは不公平ではないかということで、これはもちろん削減率が1%まけてもらっているとか、森林吸収分がどうのこうのと、そういう議論がありますけれども、それも全部単純化して話をさせていただきます。
 それで、ヨーロッパがたまたまラッキーにも、東ドイツ等の崩壊、重厚長大産業の崩壊で目標達成が容易だったとか、イギリスの火力発電所がもともと効率が悪かったので、その効率をよくするのは簡単だったとか、そういった議論もあります。
 それから、結局はCDMを買ってくればいいじゃないかという議論があるわけですけれども、これもそれだけのお金をなぜ使わなければいけないのかという批判につながっていくと思います。
 ただ、私はここで言いたいのは、じゃそれを放棄すればいいのか、カナダのようにできませんと言って放棄すればいいのかというと、私はそれは責任がある態度ではないというか、コミットしたものですから、私はこれはとにかく全力を挙げて守るように努力すべきだと思います。その際、先ほど言ったようなCDMを買ってくればいいということに安易に流れるというのは、私は反対であるというふうに思います。
 この流れとポスト京都の考えというのは非常に関連しているのですね。ポスト京都を考えるということは、やはり京都議定書をいかに守るかということの延長上にあるということだと思います。
 ポスト京都がどういう形をとるのかというのは、安倍総理の話の中にも出ておりますけれども、すべての主要排出国が参加することが条件である、これは先ほど言った地球環境問題である以上、それを守ったことによって実際に地球温暖化が防げるという担保がなくてはいけないわけですから、すべてが参加すべきであるということ。
 それからやはり明確な削減数値目標を掲げなければこれは達成できないだろうということであります。
 それから、生産効率のよい産業を持つ国、まあ日本ですね。それと所得水準は低いけれどもこれから成長していく国、まあ中国という、そこはやはり配慮されることが重要であるということであります。
 それから、排出量取引というのはこの中で達成の非常に重要なメカニズムになってきますから、これはぜひ導入すべきである。世界規模の排出量取引を導入すべきであるということであります。これは一番効率的な形で排出ガスを削減していくという、資源配分の効率性にとって非常に重要であるということであります。
 それで、これが実現すれば日本にとっても決して悪い話ではない。恐らく削減目標を達成するためには、技術開発あるいは他国で開発された技術を買ってくるということが非常に重要になってくるわけですから、生産効率のよい技術をもっている日本、そこには省エネ技術と書きましたけれども、生産効率と読みかえていただいて、日本にとっては有利になるはずであるということです。したがって、環境技術、これは売れるものだということを考えてビジネスチャンスにしていくという姿勢を持つことが重要だというふうに考えています。
 省エネ技術や生産効率のいい技術を例えばODAで無償供与して途上国の環境に役立てるのだという話がありますけれども、これはむしろ将来、ポスト京都の日本の交渉力あるいは財産というものを弱めてしまうのではないかということで、やたらに無償供与するというのは、ポスト京都のことを考えると余り得策な話ではない。先ほど寺島さんの話もあったように、競争、ルールづくりというところで日本が有利に立たなければいけないのだということを認識した上で行動する。
 それでも参加者全員が参加するということは難しいかもしれない。離脱者が出てくるかもしれない。やはり京都議定書の問題は、離脱した国に対してどうするかということがそこで決まってなかったということだと思うのですね。これはやはりグローバルな枠組みで非常に多くの主要排出国が参加したメカニズムができたとしたら、やはりどうしても参加しないという国が出てきた場合には、その国からの環境税という名の関税をかけるということを考えてもいいのではないか。
 あるいはもう1つの方法は、主要な温室効果ガスのもとであります石油、それから天然ガスの産出段階、蔵出しの段階で税金をかける。そうすれば先ほど言ったガソリン税が日本とアメリカとヨーロッパで違うのはおかしいじゃないかということが解消される。世界で統一した環境税というのを蔵出しの段階でかけるということで、そのかわり日本ではそのガソリン税を引き下げるということになって、原油価格がもちろん上がるわけですけれども、これは全世界全員に対して上がるということになります。だれがそれを課税するのかといえば、国際機関がそれを課税して、それを使って環境技術の開発をするなり、途上国に補助金を出していくなり、こういう非常に壮大な話に聞こえるかもしれませんけれども、そのぐらいのことを構想しないとうまくいかないというふうに考えております。
 次に、これは経済学をご存じの方には全く初歩的な話で申しわけないのですけれども、排出量取引というのはどういうものなのかということをお話したいと思います。
 これはこれまでただで使っていた環境というものが、ただではないのだ。これはコストがかかっているのだということが非常に重要な点で、コストが非常に薄く広くみんなにかかっている。だから今まで気がつかなかったけれども、ここまで地球温暖化というのが確かに関係があるという科学的な証拠が出てきたわけですから、それをとめなければいけないというためには、そこに価格をつけるということが重要になってくる。でも価格をつけるということはだれかが所有権を持っていなければいけない。したがって、その所有権を、環境権あるいは排出権という権利に対してだれが所有権を持つのかというのが非常に重要になってくる。そこで一部の人たち、恐らく財界の人たちも非常に反発して、なぜ権利がほかの人に属するのかということで本能的に反発するのかもしれません。あるいは国がその権利を持つということになると、その国と国とのせめぎ合いというものも出てくるかもしれない。
 ただ、これを経済学的にいいますと、権利を付与するということによって資源配分というのは自動的に効率的に移っていく。つまり権利を持っている人がそれを一番高く売ろうとするし、買う人は一番安く買おうとするわけですから、そこで革新のインセンティブが発生してくるということですね。
 それで、その資源配分の問題と所得分配、つまり権利をだれが持つのかという問題はある程度分離して考えることができる。つまり、その権利を付与した後で所得分配、要するに補助金ですね。補助金をどこに与えるかということによってある程度権利の付与について生じる所得分配の問題というのは和らげるころができるということです。これは後で例をお示しいたします。
 したがってポイント、一番重要な点というのは、やはり価格メカニズムを利かせるのだ、それによって一番効率な人が一番得をするということが実現するということが重要であるということであります。したがって、ここでいえば排出ガス、それを出すという行為に対して値段がつくということですね。あるいはもうちょっと別の言い方をすると、例えば原油あるいは天然ガスでいえば、その値段という中には、産業の生産要素としての価格と、それから環境を汚すということについての値段、この2つの値段が含まれるようになる。これをしっかり認識すれば、問題というのは非常に解決に向かっていくということであります。
 本日は差しかえた方の資料つまり、今皆さんにお配りされたものの中にこの例を入れておきました。これは週刊東洋経済に書いた例でありますけれども、例えばA社、B社ともにガスを10単位ずつ排出している。これに対して削減目標ということで、9単位にしなさいという目標をかけた。これは自主行動計画であろうと排出量取引であろうと構わないのですけれども、9単位にしなさいということが言われた。このときに自主行動計画であればそれぞれがそれぞれの技術を使って、これにはお金がかかるかもしれませんが、9単位にするでしょう。排出量取引のときには、その1単位減らすということについて値段がつくということで、それを取引するようになるということですね。それでA社の場合には100万円を追加投資するとその1単位排出を減らすことができる。B社の場合には技術を持っていないので200万円かけると1単位ようやく減らすことができる、こういった仮定を置きましょう。そうすると、自主行動計画であれば当然100万円かけてA社は1単位減らし、B社が200万円かけて1単位減らす。社会的費用は300万円ということになります。
 それで、ここに排出量取引を導入した場合には、A社が安く排出単位を減らすことができるわけですから、それを使って2単位削減する。200万円かかりますよね。B社のほうは全然排出量を減らさない。そのかわり1単位A社から買ってくる。値段は100万円と200万円の間で決まるわけですけれども、これを150万円、半々で山分けするとして、150万円で買ってくるとする。そうするとB社は自分でやったら200万円かかるのですけれども、1単位買ってくれば150万円で済むというわけで、ネットで50万円得をする。実際払うお金は150万円。A社のほうは非常にすぐれた技術を持っているから2単位減らしちゃった。200万円かかったわけですけれども、うち1単位を150万円でB社へ売却できるわけですから、150万円の収入がある。つまり200万円かけたけれども150万円取り戻して、実際はネットのコストは50万円であるということです。
 そうすると、社会的なコストとしては、A社が200万円で2単位減らしたわけですから、これが社会的なコストとなって200万円。実際のかかったコストと見れば、A社は200万円かけたけれども150万円取り戻して、ネットの支出というのは50万円。B社は、200万円かかるところを150万円で済まして、ネットの支出は150万円ですけれども、自主行動計画の場合に比べれば50万円浮いたということになるということで、排出量取引を導入するということは、一番効率的にガスを減らすことができるところがガスを減らして、社会的にもこれは最も適切な資源配分に結びつくということをこれでおわかりいただけると思います。
 次に、排出権をだれに付与するのかという話と、それから資源配分の話というのは切り離せますよということを、ごく簡単な例でお話したいと思います。
 企業に排出権を付与するというのは、先ほど言ったように9単位は排出していいですよ、1単位削減しなさいというのは、逆に言えば9単位までは排出してよろしいですよということですから、これは先ほどの例が企業にその排出権を付与するという意味になるわけですね。国に排出権を付与するということは、国が排出する権利を持っていて、これを売却する、まあオークションでもいいわけですけれども、売り渡すということを意味しています。先ほどの例で言うと、A社、B社9単位ずつの排出権というものを考えていたわけですから、これを国に付与するときには18単位持っている。この18単位をA社とB社に売るわけですね。本当はここでオークションの話を入れなければいけないのですが、ごく単純に今150万円でこれを販売しようということにします。そうするとA社が8単位購入して、B社は10単位購入して、先ほどの例と同じように、A社は8単位を国から買ってくる、B社は10単位国から買ってくる、非常にお金がかかるじゃないかと思いますけれども、そこで重要なのは、国は販売した収入をA社とB社に均等に補助金として分配する。これは生産にリンクしちゃいけないのですね。定額でA社、B社に補助金として渡す。そうすると詳しい計算は後で見ていただくとして、結果は全部同じなんですね。A社がネットで50万円支出して、B社がネットで150万円支出して、社会的なコストは200万円でおさまるということで、つまり権利をたとえ国に渡したとしても、国が持っているとしたとしても、補助金をうまく調整することによって企業に排出権を渡した場合と同じになるということを証明することができるということで、排出権をだれが持っているかというのはそれほど重要な問題ではなくて、その補助金と排出量取引をうまく組み合わせれば結果として同じことがいえるということであります。したがって、余り権利をだれが持っているかということに目くじらを立てる必要はないということです。それだけのことです。
 以上は経済学でよく知られている、ミクロ経済学をやった人であればだれでも知っている例であります。
 次に、応用問題として、じゃ日本でなぜ自主行動計画にこだわって排出量取引の導入に財界は反対するのかということ、その違いということを今の理論から考えると、自主行動計画の場合にはそれを達成してしまうとそれ以上努力しても報われない、あるいは努力するインセンティブはないということになります。それで、効率が悪い方法でも達成してしまおうとして、効率がよい会社から技術を買ってくるとか、効率がよい会社からその排出量を取引して買ってくるという方法がそこで遮断されているということですね。それで、自主行動計画といえどもマキシマム我々はこれだけできますということを申告して、それに沿って行動していってそれを達成していくということですから、性善説に立てばみんな最善できることを申告しているに違いない。それで技術もみんな同じぐらいの値段で排出ガスを圧縮しているという仮定を置けば、結果としては同じになりますけれども、その第1の仮定、性善説、第2の仮定、すべての企業が同じコストで削減できるということが満たされていない場合には、自主行動計画というのは明らかに排出量取引の場合よりも効率の悪い減らし方になっています。
 それだけわかってどうして排出量取引に反対するのかということが、私は疑問なわけですけれども、察するところ京都議定書という枠組みがそもそも不公平である、その中でヨーロッパが排出量取引をやっているということについて非常に反感を持っているのかもしれない。
 もう1つは、排出量取引というのを入れると、これ以上の資金負担を強いられるのではないか。これは先ほど言ったように国に環境権というのが移って、それをオークションで買ってこなければいけないというようなイメージを持っていらっしゃるのかなというふうに思うのですが、排出量取引はあくまでも資源配分の適正化であって、所得分配を変えるということを目的とするわけではないということさえしっかり押さえれば、その資金負担、追加的な資金負担が出るという可能性は、そうならないような仕組みをつくるということは十分に可能であるということを押さえる必要があると思います。
 つまり、排出量の技術というのが売れるようになるのだ、排出量取引を通じて実際技術を売っていると同じことになるわけですけれども、それを考えるとなぜ反対するのかというのがわからないということになります。
 それから、産業界からは、もう産業界は努力して、もう自主目標を達成して、我々は十分やっているのだ、だめなのは家計部門とオフィス部門なんだという声がよく聞かれるわけですけれども、それもおっしゃるとおりで、なぜ達成できないかといえば、当然そこにインセンティブがない、価格メカニズムが働いていないということになるわけです。1つひとつの家計に排出量目標の自主行動計画を立ててくださいというのはほとんど無理なわけです。これはやはりインセンティブをつけるしかなくて、それは電気料金に環境税をかけるのか、あるいは建築基準法を改定して省エネ住宅を義務づけるのか、そういったいわゆる総量規制的な考え方、環境税あるいは総量規制に行かないとなかなか難しいというふうに思います。まあ国民運動はありますけれども、一般に経済学者というのは国民運動には非常に懐疑的でありまして、長続きしないのではないか、価格メカニズムに行かないといけないというふうに訴えてきているわけです。
 次に、それは理論的な話で、お前の話は非常に理論だけで現実がわかってないという批判が出るのを予想して、ここに現実的に具体的な提案を1つさせていただきます。これはいろんなところでいろんな形で少しずつは議論が出ていると思いますが、太陽光パネル、太陽発電ですね。自然エネルギーという先ほどの寺島さんのお話と重なるところでありますけれども、これを例えばもう公共施設の屋根、それから壁面、全部に貼りつけたら幾らぐらいのコストがかかって、幾らぐらいの節約になるのかという計算をしてみようということで、これは内閣府のスタッフの方に少し手伝っていただいて、数字を集めていただいていろいろ計算している最中、これはまだ最後の計算ではないのですけれども、試算という形でそこに出させていただいています。
 現在の太陽光パネルの国内の導入量というのが83.26万キロワット、だからこれは太陽パネルを生産している会社の生産量だと思って結構です。これを毎年全部公共施設に振り向けて、貼りつけていく。そうすると17年ですべての屋根と壁面が太陽光パネルで覆われる。17年かかる。その場合に最終的には1,400万キロワットの発電能力ができる、これがまず前提であります。
 じゃ幾らかかるかということで、今の設置費用というのが1キロワット当たり64万円ということで、これを毎年83万キロワットを貼りつけていって、したがって17年かかりますから、将来のコストというのは現在価値に割り引いて考えなくてはいけない。それから将来のコストというのは、恐らく量産効果が上がってだんだん下がっていくだろう。これまでも下がってきていますから、これからも下がっていくだろうと考えて、どれぐらい下がっていくかというのは、かなり堅めに見積もって毎年1.2%ずつしか下がらないとします。本当はもっと下がると思うのですけれども、そういう仮定を置くと、全部貼りつける総コストを現在割引価値で考えて5兆9,400億円の効果がある、大体このぐらいという試算をしています。
 ではベネフィットのほうは幾らかということですが、ベネフィットとして2つあります。これは先ほど言ったように石油の価格というのは生産要素としての価格と、それから環境を汚すことの価格と2つ考えなくちゃいけないということで、1つは電力をそこでつくるわけですから、今までの既存の石油を燃やしてつくるということが節約になりますねということで、そこの電力料金の節約部分と、それから、これは自家消費するあるいは電力会社に電気を売るという形で実際に節約するわけですが、それともう1つは、CO2の排出を削減することができる、その効果を値段にしましょうということで、これは値段の決め方はいろいろあると思うのですが、ここではCDMを買ってくるとしたらこれぐらいかかりますねという値段を使ってCO2排出削減の効果を金銭換算しようということをしています。
 それで、次のページに、電力料金の節約分としてこの太陽光パネルは幾らの価値があるのかということであります。
 そこに試算したように、その導入量に365日24時間で、稼働率0.12、それを掛けてやって、したがってこれもちゃんと堅めの仮定を置いてあると思いますが、電力料金20円という仮定、これは大体家庭に売られている値段だということです。これが電力料金の試算部分。それからCDM相当部分、つまりCDMを買ってこなくて済むというのが幾らぐらいになるかということで、1,911円というのはNEDOの予算措置を換算するとこのぐらいになる。1トン1,911円で買っている計算になるらしいので、それを使っています。それからキロワットをトンに直すところの係数も仮定を持ってきます。この辺は、もしちょっと違うのではないかということであれば、数字をいただければ試算し直すのは簡単にできます。
 つまり、電力料金20円、それからCDM相当部分1円というベネフィットがある。もうちょっと大きいのではないかと思ったのですけれども、意外に小さかったということで、これがベネフィットのほうに計算されます。
 これもすべて導入するまでに17年かかって、太陽光パネルが20年耐用年数があるというふうに考えて、したがって37年かけてこれは改修している。最後に貼るパネルについてはそこからさらに20年ですから、37年分のベネフィットを現在価値に割り引いています。したがって4%で割り引いてくる。4%という割引率がいいのか悪いのかという、高すぎるのではないかということもあるかもしれません。これも仮定を変えればいろんなシミュレーションができますのでやってみたいと思いますが、とにかく先ほどの仮定で17年、20年ということを考えて計算すると3兆2,200億円になるという試算をしてみました。
 したがって、通常のコスト・ベネフィット・アナリシスに従えば、コストがベネフィットを上回るからこんなことはすべきじゃないという結論になるわけですが、これは産業効果のほうは全く考えていませんから、ここで太陽光パネルをこれだけ買えば当然国内で生産しているところは増産するだろう、それによってその投資効果もあるし、雇用もそこで創出されて、彼らが税金を払って税収が上がるに違いないというふうに考えれば、そこまで考えるとひょっとしたら採算が合うかもしれない。したがってどこまでその効果を考えるか、あるいは先ほど言いましたように京都議定書を守れなかったときのコストというものはどれぐらいかというのを考えれば、この2兆円ぐらいの追加的なコストを補助金として国が払ってもいいのかもしれないということになります。したがって、こうした試算を幾つかしてみると、先ほど言ったようにこれは堅めで考えているつもりですので、もうちょっと楽観的な仮定を置けば、ベネフィットのほうは高くなるかもしれません。
 このようなアイデアを幾つか考えて、コスト・ベネフィットを考えていくというのは非常に重要ではないか。風力発電とか、いろんなほかのこともありますので、これは考え方としてコスト・ベネフィットの考え方はこういうするのではないか。特にCDM相当分というところが非常に小さくてがっかりしたのですけれども、こういった環境に値段がつくというのはこういうことですよということをちょっと試算してみたというところであります。
 時間がもうちょっとあるようですので、最後に、もしこれで排出権をだれが持つのかという問題等々で、家計にすべてのそういった排出量取引を強いるというのはちょっと無理かもしれないねというと、やはり排出量取引を補完するものとしてある程度の炭素税というのは考える必要が出てくる、こういう組み合わせの議論に入っていきますけれども、そういったものがあるかもしれない。
 それから、先ほど一番最初に言いましたようにポスト京都で参加しない国が出てくるかもしれない。そうするとそこに環境に対してお金を払うことを強いるためには世界的な環境税、つまり蔵出しの段階での原油あるいは天然ガスに国際機関が課税するといったような取り決めが必要になるかもしれない。まあできるかどうかわかりませんが、少なくともポスト京都の中でそういった提案をするのは結構なことではないかと思います。
 あとは、ここから先は時間がないので詳しくは話しませんけれども、課税をするのであればできるだけ上流で課税すべきである。日本国内の話で言えば、日本国内に輸入する段階で課税すべきであろう。それから世界的な炭素税であれば、産油国がそこを採掘する段階で課税すべきである。そうすると下流のほうでどういう用途に使われようとも、そこの原油自体から排出される温室効果ガスに対しては平等な課税がされているので、最も効率的な原油の利用が可能になるということですから、課税するのであればなるべく上流でということであります。
 以上、非常にかけ足でありましたけれども、理論的なお話と、それから具体的な提案を1つさせていただきました。
 以上です。

○鈴木部会長 ありがとうございました。
 委員の先生方からいろいろとご質問があるかと思いますが。それでは浅岡委員から。時間が限られておりますので簡潔にお願いいたします。

○浅岡委員 ありがとうございます。2点お教えいただきたいと思います。
 1つは、太陽光パネルにつきましてこうした考え方をお示しいただきまして、大変参考になりました。イギリスのクライメートチェンジビルを見ていますと、いろいろな対策、政策についてこうしたコスト・ベネフィットの計算をしているように思いまして、ぜひともいろいろな課題について経済学の先生方にこうしたことを示していただきたいと思います。
 それからもう1点は、コスト等々の絶対要件としてお書きいただいているところでありますが、すべての主要国の参加でありますけれども、先進国と途上国におきましては目標指標が異なるということも十分あり得るのではないかと思います。その上でさらに取引制度を全世界的に働かせようということは現在の仕組みの中でもありますので矛盾しないと思いますが、いかがでしょうか。

○鈴木部会長 佐和委員。

○佐和委員 まず3ページのところで、「結局、日本はCDMにより」云々ということがありますが、これはちょっと表現がおかしいので、むしろCDMならCDMとしてやる、それは炭素クレジットで獲得する。排出権、これはむしろ結局のところに来るのは、日本は旧ソ連、要するにロシアとかウクライナから相対取引で排出権を買ってつじつまを合わせざるを得ないのじゃないかということが問題だ。
 それからその次のページで、これはポスト京都に関しては、中国やインドに対して総量の削減義務を課するということ、これはちょっと考え方が、むしろ抑制ですね。例えば2010年に比べて何%増というような義務化しか考えられないと思います。
 それから、「これは、実現すれば、日本にとって悪い話ではない」これも全くそのとおりなんですが、「削減技術を買う」というふうに書いてありますけれども、実はこれはインドや中国が参加すれば、今までCDMだったのがJIになるわけですね。共同実施になる。そうすると、CDMの場合は国連のCDM理事会のようなところで認証を得なければいけない。JIの場合は、例えば日中両国が合意すれば、その投資に対して、あるいは技術の提供に対してどれだけの排出権を譲るかということになるわけです。ですからそういう意味で非常にこういう、例えば中国やインドへの投資がやりやすくなるということですね。
 それから、省エネ技術を無償で供与ではなくて、今でも省エネ技術を提供することによって炭素クレジットをちゃんと対価として得ているわけですから、無償というのはちょっとおかしいと思いますね。
 それから、「自主行動計画と排出量取引」というところで、これはやはり削減の限界費用が逓増するというふうな想定のもとでないと、なぜこれが150万円という価格に決まるのかがよくわからない。
 それから、太陽光パネルに関しましては、今言われているのは、今現在キロワットアワー当たりの発電コストが30円らしいのですけれども、2,030年ごろには7円まで下げることができる。これは太陽光推進者の話ですけれども、それから最近シャープが薄膜の太陽光電池というのを開発して売り出しますよね。そうなると恐らく価格が4分1あるいはそれ以下に下がるのじゃないか。
 それからその次の10ページのところで、24時間というのを掛けているのは、これはちょっとおかしいなという感じがする。つまり、昼間でしか発電はできないわけですから。
 以上です。

○鈴木部会長 鹿島委員。

○鹿島委員 どうもご講演ありがとうございました。3点ほど、1点は私の意見についての話をお伺いしたいというだけです。
 最初はCDMに関してなんですが、海外についてはCDMとODAをリンクさせるということで、これは短期的にちょっとお伺いしたいのですけれども、1つはCDMで海外から持ってきたものについて、当然何かの形で製品の価格に付加していけなければいけないだろう。そのときと環境税というのを直接入れたときに、家計部門とか民生部門に対する影響というのは先生はどういうふうにお考えでしょうか。これは違うものと考えられておるか、それともどっちでもいいじゃないか、こういうふうに考えられているかというのが1点でございます。
 それから2点目は、公共施設というときに、実は十数年前に高速道路に全部こういうパネルを貼るという計算をさせていただいたことがあるのですけれども、ここと似たように実質的にコストが上回ってなかなかうまくいかない、こういうことになってしまったのですけれども、先生何かこれを実現するためのアイデアをお持ちでしたらお話いただけたらというのがあります。
 それから3点目は、業界の方が排出権の取引について随分ネガティブだというのは、これは私の関係でいきますと、自動車関係なんですけれども、自動車関係の方って何でもかんでも自分でコントロールしたい。だから電気自動車みたいに電力業界、自分のところより大きなところに握られるようなのは困ると。そういうような感覚がおありで、何かとにかく自由にさせておいてほしいというのが何かあるのかなという感じを持っているのですけれども、先生はいかがお感じでしょうか。
 大変雑駁な質問で申しわけございません。よろしくお願いいたします。

○鈴木部会長 関澤委員。

○関澤委員 2~3ございますが、まず1つは国をまたがった公平なキャップというのをどうすれば本当に設定できるのかということです。本当にイコールフッティングなキャップをどうすればできるかということが、我々は非常に心配しておるところでございます。それについてお考えをお聞きしたい。
 それから2点目は、EUETSというのがございますが、これは今年、調査団が日本からも行って調べたところ、初期配分のまずさから800件ほど訴訟が起こっている、と聞いております。私自身、今年の6月、日本EUビジネスダイアログラウンドテーブルという民間同士の会に出席しましたが、そこでの結論は「排出権取引制度には反対」というものでした。また、国際鉄鋼協会(IISI)でも排出権取引については反対です。こういうことについてどう思われるかというのが2点目です。
 それから3つ目は、排出権取引制度で技術が売れるようになる、こういうふうに書いてございますが、これはどこの国に技術が売れるようになるのかというのが大事なんじゃないかと思います。本当にこの技術を移転すべきところというのはどこでしょうかというと、やはり中国とかインドとか途上国でございますね。そういうところにどうすれば技術が売れるようになるのか、この排出量取引制度によってですね。
 それからもう1つは、そうした国も本当に排出量取引制度に参加するようになるのかどうか。
 それから国内の場合に、この排出量取引制度を入れたときは、B社は"買えばいい"ということで、ここで言われているB社の技術開発というのは本当にインセンティブが湧くのでしょうか。必要なときは買えばいい、こう思うのではないか、と思いますがいかがでございましょうか。

○鈴木部会長 高村委員。

○高村委員 ありがとうございます。経済学の立場からの非常に貴重な問題の整理をしていただいているというふうに思っております。
 特に5ページ目のスライドのところで、価格メカニズムの指摘がございますけれども、これは今年出ましたIPCCの第4次評価報告書の中でも、カーボンプライシングの重要性ということがかなり高い合意ができた知見として明確にされている点からもこの議論の位置があるのだろうというふうに理解をしております。
 3点ご質問を申し上げたいのですが、1つは関澤委員のご指摘にあった点と同じでございますが、いかに……

○鈴木部会長 すみません、ダブったお話は省略していただけませんでしょうか。

○高村委員 わかりました。配分の仕方についてが1点でございます。
 2点目は、先生のご報告ですと炭素税の位置というのは補完的なものというふうに位置づけられていたかと思いますが、例えばアメリカの経済学者、ノードハウスやスティグリッツなどでは炭素税のほうをどちらかというとメーンにした主張もあるかと思います。この炭素税との関係あるいは有意性、あるいは問題等についてご示唆いただければというのが2点目でございます。
 3点目でありますけれども、これはクラリフィケーションの問題かもしれません。4ページ目にあります「世界規模の排出量取引を導入すべき」であるというところですが、これを制度として具体的に構想される際に、国同士の間の取引で、国のところには最終的な国内の配分を委ねる形なのか、あるいは個々の事業者あるいは個々の排出枠を付与される主体のところまでのルールを国際的に明確にしていくような制度の構想を持っていらっしゃるのかという点について。
 以上です。

○鈴木部会長 永里委員。

○永里委員 ありがとうございます。今ダブったことはやめてほしいということで、そういう意味では関澤委員のおっしゃったことについては私のほうから繰り返しません。
 しかし2点ほど言います。先生はモデル化してわかりやすくしてご説明なさったので、これはこれで非常にわかりやすいのですけれども、だれが排出権の枠を決めるのか、どう決めるのかというような問題ですね。例えば新規事業を企てる企業の排出権はどうやって決めるのだろうかとか、結局EUは非常に甘いキャップをかぶせておりますが、そういうことになるのじゃなかろうかということです。
 先生のおっしゃるとおり世界レベルで考えるべきテーマでございますから、世界じゅうのすべての産業部門とか企業部門にどう排出権を付与していくかというのは、現実的には非常に難しいのじゃないかと私は思います。

○鈴木部会長 原沢委員。

○原沢委員 1点だけ。
 最後のほうの排出権取引と環境税をあるいは炭素税をうまく組み合わせていくということで、これは非常に重要だと私も思っております。そういう中で、現在排出権取引については小さなレベルでいろんなことが起きつつあるので、ある意味制度設計みたいなものをやはりしっかりしていく必要があるのじゃないかなという、そういう中でやはり排出権なんかも、経済的なインセンティブの関係については、そういうリージョン制度設計についてぜひご意見を伺いたいと思います。

○鈴木部会長 横山委員。

○横山委員 太陽光発電の将来性でかなり希望が持てるよというお話だったと思うのですが、日本の太陽光発電の導入とかが今しぼんできているというようなことに対してどんなふうに思われているのかということと、それから太陽光発電の将来性ということと、先ほどもありました原子力ですね。原子力のほうがいいよというのも当然あるわけですが、先生その辺のことを日ごろ何か考えていることがあれば教えてください。

○鈴木部会長 ちょっと私1つだけ追加させていただきたいのです。
 税の問題で世界的なあるいは国際的なというような視点で、何となく国際的な共通した税というようなものをお考えのようなところがあるのですが、これまでそういう国際的な規模で、世界的な規模での税という考え方というのは前例があるのかどうか。そういうものの財源、国連の財源ならばこれはまた非常におもしろい仕組みがいろいろつくれると思うのですが、その辺を教えていただければと思います。
 それでは恐れ入りますが。

○伊藤教授 皆さんが共通しているのは、すべての排出国を参加させ、かつすべての排出国にフェアな配分というのができるのかということで、これはこうすればできるという答えがあって言っているわけではなくて、これはそうしないと次の枠組みは全く意味を持たないということなんですね。
 京都議定書でも、結局削減というのをEU、日本はみずから課してやってきたわけですから、この2つの大きな地域についてはできないわけではなかった。したがって、ここに本当は最初に書くべきだったのですけれども、こういった2050年までにこうこうという目標を立てるのであればその排出量取引、まあキャップ・アンド・トレードですね。だから要するに排出権あるいは削減枠というものを課した上で排出量を取引していくというのが一番効率的な目標到達の方法ですよ、ということで、それがもう大前提であります。そこはもう前提で、あるものと思っていますから書かなかったわけですけれども、その排出目標を決められないということであれば、それはそれでまた別の方法になっていくわけです。
 炭素税というのを補完的な方法というふうに書いた理由はまさにそこにありまして、炭素税というのはもちろん生産効率を上げる、省エネのためのインセンティブを持つ、効果を持つ価格メカニズムであるわけですけれども、それを課したことによってどこまで削減できるかということはやってみなければわからない。これは技術の問題ですからやってみなければわからない。したがってその目標達成というのは担保されない方法なんですね。それでもいいということであれば炭素税で行けばいいということで、フェアな方法を課すということができないということであれば炭素税で行けばいい。どこまで削減できるかは、税率をどんどん変えていって、実験しながら模索していくというのが方法になってくるわけです。
 ただ、削減目標を決めて、何年までにここまで行くのですよ、そうじゃないと地球は大変なことになります、太平洋の島国が水没しますということであれば、やはり枠を何としてでも決めて、それでやっていかなくちゃいけない。
 途上国が参加しないのではないかということでありますが、これは先ほど言ったように補助金をいかにつけるかということによって解決すべきもので、所得分配の問題であって、資源配分の問題ではないということであります。
 それから、佐和先生からいろいろ細かいところでご指摘いただきまして、これはそのとおりでありますが、太陽光パネルは24時間はおかしいのではないかということは、稼働率0.12というところで調整されている。これは夜の部分と曇りの日と雨の日というのは稼動しませんから、稼動効率としては0.12という非常に低い数字が入っているので、そこで調整されているというふうに思います。それ以外、炭素クレジット云々ということはそのとおりでありますので、次回のバージョンではそこは改善したいと思います。
 それから、公共施設だけではなく高速道路もということは、これはちょっともう1回試算をし直して、そこも含めてやってみたいというふうに思います。
 それから、民生用は民生用で使っていただいて結構なわけで、だからそこを含めるとすればもうちょっと大きな試算になってくると思います。
 それで、日本の太陽光パネルがなぜしぼんできているのか、ドイツのほうがどんどんふえているというようなご指摘もあるわけですけれども、これははっきり言ってわからない。恐らく採算が合わないということで住宅のほうでなかなか、民生用でなかなかそれが進んでいないということかもしれない。したがって、もし佐和先生ご指摘のようにこれからどんどん下がっていくということが見えているのであれば、少なくとも最初のうちは補助金を加えて量産効果が出る時期が早くなるようにするというのは、ダイナミックに考えると効率的なことかもしれない、効率的な補助金かもしれないということで、そこは少し考えてみることができる。あるいはそういった高速道路に貼りますよということは、アナウンスだけで恐らく企業のほうは、これから量産すればそれが報われるということで、早く量産効果が出てくる可能性はあると思います。したがって、産業のイノベーションのスピードと普及のところでは、微妙ではありますけれども、補助金を使うということが正当化されることがあるというふうに思います。
 キャップの問題について幾つかご指摘があって、あとは取引は、個々の事業所が取引することを念頭に置いています。
 それから、排出枠を決めたりするのは非常に難しいというような問題は、だれが決めるかというのは、これは国際交渉で決めるしかないというふうに思います。
 それから原子力については、私は原子力の専門家でもありませんし、しっかり勉強したこともないので、比較の話はちょっと差し控えさせていただきたいと思います。
 こういった世界規模の税という話が出ているけれども、前例はあるのかということなんですが、前例になるかどうかわかりませんけれども、構想としては外貨取引に0.1%の税金を課することによって国連の財源にしようという、国連の財源というか、発展途上国への補助にしようといういわゆるトービン・タックスという構想はありましたけれども、トービンというのは経済学者の名前ですけれども、これは実現していません。
 それから、炭素税はなぜ補完的であって主要な手段ではないのか、スティグリッツも炭素税がいいと言っているではないかということでしたけれども、これは先ほど言いましたように、アメリカの学者、アメリカの政府というのは、必ずしも何年までに幾つという数値目標に賛成しておりませんので、そこがなければ炭素税でも削減効果があるし、そういった効率的な資源配分をもたらすわけですから、そちらでまずやってみようという提案は十分あり得ると思います。
 ただ、京都議定書、それからポスト京都では、この数値目標をもって削減にみんなで取り組もう、強制力をもって取り組もう、違反したら罰金だ、罰金というか、ペナルティーだというようなアプローチで来ていますので、その中では炭素税というのは補完的な役割でしかないということであります。
 以上です。全部お答えしてないかもしれませんけれども、以上です。

○鈴木部会長 特にそれぞれの産業にキャップをかぶせるときのキャップをどう決めるかというのは、先生の考えですと交渉で決めるという、そういうことですね。

○伊藤教授 交渉です。ただ、書きましたように交渉の中で、その生産効率、いかにこの国のこの産業は世界的な水準で見ても生産効率がいいかということは考慮に入れる。したがって石油をどんどんむだに使っているような国には厳しく当たるということは当然だと思います。

○鈴木部会長 なかなかその辺で合意が取れなくて、排出権取引というあたりが産業界にとっては効果があるわけで。

○佐和委員 先生のご質問に対してですけれども、去年の7月の初めごろの日本経済新聞にスティグリッツというアメリカの有名な経済学者が国際的な炭素税を導入すべきであるということを書いていますけれども。

○鈴木部会長 炭素税以外にそういう国際的な税をというような……

○佐和委員 ですから、まさにさっき聞かれていたようなことですね。

○鈴木部会長 わかりました。ありがとうございました。
 お忙しいところをきょうおいでいただきまして、本当はまだまだ時間が取れるとよろしいのですが、感謝申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
 それでは、予定の時間を大幅に超えてしまいまして申しわけありませんでした。事務局のほうから連絡事項を。

○市場メカニズム室長 簡単お知らせをいたします。
 まず、次回の懇談会は10月15日の月曜日14時半からということで、場所は全国都市会館2階ホールAというところでございます。次回はエイモリー・ロビンスさんのお話もございますので、同時通訳を入れて行う予定でございます。よろしくお願い申し上げます。
 それから本日でございますけれども、15時から、この同じ三田供用会議所の講堂で中環審、産構審の合同部会が開催されますので、ご出席の委員におかれましてはよろしくお願い申し上げます。
 以上でございます。

12時42分 閉会

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