保健・化学物質対策

環境保健、「環境ホルモン」とFetal Programming

東北大学医学系研究科
佐藤 洋
(2008年2月5日 掲載)

 20世紀末というと随分昔のように思われるが、「環境ホルモン」やダイオキシンが大きな社会問題となったのは、たった10年前のことである。それらに関連する問題は、その後科学的には解明されたこともあるが、未だ十分に解明されていないことも多い。このところ環境問題に対する社会の大きな関心は、温暖化とその対策に移ってしまったようである。温暖化とその対策に重点をおくなと言うつもりはないが、重金属の生体影響を中心に中毒学を研究して来た者としては、もう少し化学物質の影響について関心が続いていても良いと思われる。

 ところで「環境保健」は、種々の環境(もしくはその変化)がおよぼす人の健康への影響を防ぐことが目的であることは言を待たない。従来、「環境衛生」と言われてきた分野とほとんど重なるが、環境衛生は社会基盤の整備を進め住民の健康水準を上昇させると言う方向で、人類社会に大きな福音をもたらしてきた。例えば上水道を設置しきれいで安全な水を供給することで、消化器系の「伝染病」が激減し健康水準が上昇したことを考えれば、わかりやすい。それに対して環境保健は、環境からの作用(環境作用)の人の健康への影響を明らかにし、それを最小にするもしくは予防することと言えよう。公害にみられるように、人の(産業)活動は大きく環境を変化させて、変化した環境は人の健康への悪影響をもたらす(あるいはそのようなポテンシャルを持つ)ようになった。環境保健は、その影響を最小にしたり予防するための方策であり、考え方であるといえよう。

 20世紀末の化学物質による汚染は、低濃度ではあるがどこにでも広がっており、その故に「人集団における影響をどのようにとらえるのか」が重要な問題である。これについては、「影響は集団全般でなく特定の高感受性グループにあらわれる」、「より軽微で非顕性の影響に着目すべきである」と指摘されていた。つまり最も影響を受けやすいsubpopulationはどんな集団か、その影響は何かと言うことであり、Spykerらの提唱した"Behavioral Teratology(行動奇形学)"というフレームワーク、SchroederのRecondite Toxicity(「それとは定かでない毒性」)と言う概念に示されている。食品安全委員会が2005(平成17)年に答申したメチル水銀の耐容摂取量は、中枢神経系へのごく軽微な影響を受ける可能性のある対象を胎児とし、妊婦の耐容摂取量としたが、上記の概念が見て取れる。

 耐容摂取量を決めるにあたって参考にされた胎児期メチル水銀ばく露の生後の影響の疫学調査のひとつが行われた北海のフェロー諸島で、最近(2007年5月下旬)、"International Conference on Fetal Programming and Developmental Toxicity"が開催された。Fetal Programmingとは、Bakerらにより提唱された胎児期の低栄養など異常な胎内環境に児が曝されると、児はその環境に適応・適合するように代謝・内分泌・生理機能などが異常にプログラムされ,その結果として成人期にメタボリックシンドロームを発症しやすくなるという仮説である。これまで、主に母体の摂取エネルギーに関する栄養面から検討されてきた。今回の国際会議では胎児期における化学物質ばく露とその後の影響に関する研究が主であった。会議の結論として出されたThe Faroes statementでは、Paracelsusの「量が毒(か薬か)を決める」に加えて、ばく露のタイミングも「毒」であることを決める重要な要素と記述されている。Fetal Programming仮説がどの程度正しいのかはわからないが、今後の化学物質の影響をとらえる枠組み(既にBehavioral Teratologyとしても提案されたばく露時期の重要性)としてあらためて見直す必要があると思われた。

<参考文献>

佐藤 洋 21世紀の環境保健の課題と展望. 公衆衛生 2007; 71 (6): 458-462.
佐藤 洋 私の水銀中毒学 有害化学物質の胎児期曝露の影響:Behavioral Teratologyからのアプローチ. 日本衛生学雑誌 2007; 62: 881-887.
Satoh H. Behavioral teratology of mercury and its compounds. Tohoku Journal of Experimental Medicine 2003; 201: 1-9.
The Faroes statement:Human health effects of developmental exposure to environmental toxicants. available at http://www.pptox.dk/Consensus/tabid/72/Default.aspx