大臣談話・大臣記者会見要旨

山口大臣閣議後記者会見録(令和3年10月8日(金)9:20~9:47於:環境省第一会議室)

1.発言要旨

 おはようございます。昨日、千葉県北西部を震源とする地震がありました。けがなどされた皆様にお見舞い申し上げます。環境省では、地震の発生に対応して、昨夜10月7日23時過ぎに、環境省災害情報連絡室を設置し、被害状況の情報収集を行ってきました。これまでのところ、廃棄物処理施設など環境省に係る施設の被害情報はありません。原子力施設への被害情報も入ってきておりません。今後も、現地の情報収集を進めて、必要があれば、迅速かつ的確な支援を行えるよう、対応を進めてまいります。それから、一昨日の福島県の出張に関して申し上げます。内堀福島県知事に御挨拶させていただいたわけですけれども、内堀知事からは、特に重要な課題として3点御発言いただきました。具体的には、帰還困難区域内の特定復興再生拠点区域、また拠点区域外について除染を進めること。そして、福島県内の除去土壌の県外最終処分の実現に向けて、1つ1つステップを前に進めること。そしてまた、ALPS処理水に係る海域モニタリングに関し、科学的なデータを国内外にしっかり発信すること。これらの非常に困難な課題に対して、私のリーダーシップの下、しっかり取り組んでほしいというような発言がありました。そして、これらの課題について、福島県も一緒に取り組んでいきたいとのお言葉をいただきましたので、私的には心合わせをさせていただいて、是非御指導いただきたいというふうに思っております。福島の復興はいまだ道半ばです。環境大臣として最重要の課題であります。引き続き、知事や関係自治体の皆さんと心合わせをさせていただいて、密に連携しながら、不可能を可能に変えるべく全力で取り組んでまいります。以上です。

2.質疑応答

(記者)読売新聞社の服部と申します。今、大臣のほうから、福島県に出張されたことのお話があったんですけれども、震災と原発事故から10年以上たって、いろいろ復興の状況ですとか、震災の被害、それから放射線のことに関しての知識などがだんだん風化していくというような懸念も持たれています。その辺で、環境省として何か力を入れていくようなことがあれば教えてください。
(大臣)東日本大震災から10年が経過しました。震災や原発事故、あるいは環境再生に関する教訓や記憶を次世代に継承するということは重要な課題だということは、私もそう思います。環境省として、福島における未来志向の新たな環境施策の一環として、風化対策に取り組んでいる、そういうこともあります。具体的には震災から10年の節目に「福島環境再生100人の記憶」、そういう書物の発行をさせてもらいました。福島にゆかりのある学生を対象とした、作文コンクールなども実施しています。引き続き、福島県と連携して風化の対策に取り組んでまいりたいと思います。

(記者)電気新聞の匂坂と申します。福島の復興が道半ばということですけれども、なかなか一言では難しいですけど、どうしたら福島は復興したと言えるようになるのか、クリアすべき課題といいましょうか、どこができたら復興したと言えるようになるのかといった、大きなお考えをお聞かせいただければと思います。
(大臣)内堀知事からの3点というのも非常にこれからの課題として一番大事な部分ですよね。それは帰還困難区域について、復興再生拠点を含めてやっていると、またそれ以外のところについても意向を確かめながらやっていく、そういうことが1つあります。それから除去土壌の県外最終処分を2045年ということがあるとして、それはある意味で長いようで短いですから、この作業を進めていく、これも大事な話です。そしてまた、このALPS処理水、環境省としてのモニタリングの体制をぐっと進めて、科学的に信頼してもらえるように、あるいは客観性を持たせるように、透明性を持たせるように、そういうことをやっていくということがあろうかと思います。この辺、どこまでやったらということじゃなくて、相当まだこれから続いていく話だと思っています。だけど、復興は一日も早く実現させなきゃいけない。その辺のところだと思います。

(記者)テレビ朝日の川﨑です。福島県、大臣行かれたのはいつぶりでしょうか。そして、それ以降、実際どういうふうに変わったと感じられたでしょうか。
(大臣)参議院のときにもずっと回っていきましたから、そんなに私、前じゃないんだけれども、しょっちゅうそれなりに、頻繁じゃないけれども、何年ぶりと言われるほど遠くじゃないように思います。ただ、私自身は2011年の3.11の直後に行かせていただいたときのことが鮮烈に残っていますから、そことの比較では本当に大変な苦労をされた中でここまでよく来たなというところはあります。ただ、いまだ道半ばということで、この放射能の話とか、あるいは帰還がまだできておられない方々とか、そしてまたALPS処理水がたまってしまっているという中で、どういうふうに処理していくのか、その辺のことがまだ大きな課題として残っているんだな、そんなふうに思っております。

(記者)日刊工業新聞松木です。今回の福島訪問は、原発事故の処理の関係のお話が中心だったと思うんですけども、福島のほうで「再生可能エネルギー先駆けの地」ということで、再エネ導入、一生懸命やっていらっしゃいますけれども、その辺で意見交換ですとか、あったのか、なかったのかというのと、あと大臣として福島のエネルギーへの支援策なんか、何かお考えがありましたらお聞かせください。
(大臣)当初、この震災が起こったときの政権の時代から、復興するのみならず、更に未来に向けての復興にするというところのコンセプトというのははっきりしていたと思うんです。そういう意味では再生可能エネルギーということについて、特にやっていただいているところもあるわけですから、そこをCOP26でもできれば関わっていただきたいというところは、小泉前環境大臣からも言っておられたようです。私は、それは非常に大事なことだと思いますので、何らかの形でできればいいなというふうに思っています。それから、今回の知事との会話の中では、特に3点のことを知事から伺ったわけなので、そういう意味では現地のほうに、現地というのは町のほうにはまだ行けていませんから、そこはこれから追って具体的なところを伺わせていただきたいなというふうに思っています。

(記者)エネルギージャーナル社の清水です。中国関係でお伺いしたいと思うんですが、外交のほうは非常に詳しいということで持論でも結構ですから。というのは、COP26を前にしてCO2の削減の対応を各国がどうするかということを、事前の大議論もずっとやっているということだと思います。そこで1点、やっぱり大きな焦点は中国、最大排出国の中国に対してどういう、やっぱり先進国がアプローチしていくかと。これによって各国の、あるいは途上国の対応も随分違ってくると思うんですね。ところが、中国というのは一大市場で、御存じのように世界のですね、なかなかその、CO2をもっと削減目標前倒ししろというような、あるいはそういうことへの対応というのが、迫るのがなかなか難しいという。しかし、日本は米国との共同歩調で対応を取っているという面が非常に多いんですけども、やはり日本は日中韓というアジアの従来からのスキームがあるわけで、アメリカと一緒にだけじゃなくて日本独自の対応もすべきじゃないかと思うんです。ちょっと長くなってすみません。1つは要するに中国の最大排出国という、それに対してどういう、大臣として対応をすべきかと。それと、アジアとアメリカとの関係をどう切り分けていくかと。この2点をお願いします。
(大臣)中国は2010年に日本をGDPで追い抜かして、今、世界第2位の経済大国になっているわけです。他方、自分のことを途上国と呼んでいるから、我々的には非常に強い違和感があるんだと思うんです。やっぱりGDP2位の国は途上国と呼ぶには少し違和感強すぎるなというふうに思いますので、途上国が今までの先進国に対して「CO2増えたのは今までの先進国の経済活動の結果じゃないか」と、途上国はそれで「大変な負担を背負うのはちょっと勘弁してよ」という議論が多分強かったと思うんです。その中で、中国がいつまでも途上国というふうに自分を規定するというのは、もう卒業してもいいんじゃないかなというふうに思いますし、これは2012年だったか、当時の国務院の方とお話していたときに、これから中国は新しい大国関係に入っていくんだ、そういうような言葉もありました。その言葉を裏づけるように、それ以降の中国はアメリカとの中で対等だと、経済大国1位と2位だという自負でやっていて、それはもう途上国じゃないと思うんです。やはりこの先進国と途上国という分け方も非常に曖昧なものもありますけど、やはり中国についてはこの環境の分野、あるいはCO2排出の分野でも、もう先進国としての振る舞い、あるいは先進国としての発想、そこを日本としてははっきり言わなきゃいかんなというふうに思います。CO2の排出については、昔、私も中国に勤務したのは、もう1989年から91年だから、もう30年前になるんですけれども、その頃のCO2排出というのは、もう冬は石炭をぼんぼんたいていましたから、それはもう大変だったです。ある意味で、顔が煤で黒くなるようなこともあったくらいで、そのときから比べると、かなり意識して改善しているんだろうとは思います。最近行くと、きれいな空が見えるときも増えていますから、そこは改善していると思うんですけれども、やはりGDP世界第2位の中国が、途上国ではなくて、先進国として更に我々とスクラム組んでやってもらうのが世界のためだし、やはり中国の名誉を更に高めるだろうなというふうに思いますから、そういう対話をしていきたいなと思います。清水さんが触れられた、日本と中国との関わり、あるいは中国への向かい合い方ですね。アメリカはアメリカの向き方がありますから、それは、彼らはやっぱり中国に対してこれまで関与して、できるだけ経済発展を助けることによって、いずれ民主化の傾向が強くなるだろうと期待して、技術も提供し、あるいは資金も提供してきた。日本もそれにある意味で付き合って、鄧小平さんがいわゆる改革開放ということでやってきて、やっぱりそれを助けていくことがリベラルな、あるいは民主的な傾向を強めるだろうなというふうに思って我々やってきているわけですね。アメリカはかなり早く結論を出したような気はするんです。ポンペオさんが海洋政策が失敗したと、まあ前政権ですけども、トランプさんの政権のときの国務長官ですけれど。私はまだ結論を出すのは早いと思っているんです。だから、中国といろんな意味で関わりを持つ中で、その民主化傾向というものは確実に中国の中でも中間層は育っていますから、だからそういうところを我々は大事に思って付き合っていくということも、日本と中国との向き合い方の大事な部分だと思います。アメリカはそうやって海洋政策が失敗したという中で、かなり今、バイデン政権のほうでは、対立的なところもありますけれども、まあ彼らも競争と協調というふうに言っていますから、やっぱり競争だけではなくて協調する、その大事な部分の1つがきっと環境だと思うんです。環境に多分国境なしです。だからそこは、よくアメリカのほうでも分かっているから、それは競争と協調という言葉の意味だと思いますのでね。我々的には中国との対話の中で、そういうつながりの部分、環境に国境なしという部分を強調していくということが日本としての大事な役割だろうなと思います。そのことはアメリカと中国との橋渡しということにも多分なるんだと思うんですね。遡りますけど、外務省の大先輩で総理をやった吉田茂さん。吉田茂さんが1951年にサンフランシスコ講和条約と、それから安保条約を結んで、したときに、今度はダレスさんという人がいましてね、「中国はもう共産党政権になったんだから、もう北京じゃなく台北についてくれ」と言ったこともあったんです。それで吉田茂さんは、自分は外交官として中国勤務もあるし、土地勘がしっかりあると。「中国は、赤くなっても黒くなっても中国は中国だ」というふうに言って、「ダレスさん、だから、日本が米中橋渡しをしましょう」と言ったんですけどね。当時はダレスさんが50歳、吉田茂さんが70歳で、なかなか元気なダレスさん、「そんなこと言うんだったら、上院で自分はサンフランシスコ講和条約の批准とか今頑張っているけど、そんなに言うんだったらそれもやめますよ」と、ということは日本は占領状態に戻りますかというようなことの中で、吉田さん的には、ある意味で不本意なところもあったと思うんです。それで20年後何が起こったかといったら、キッシンジャーは周恩来と日本の頭越しに手を結び、あるいはニクソンが日本の頭越しに毛沢東と手を結び、やっぱり吉田茂さんは正しかったと思うんです。だから、アメリカの考えと日本の考え、必ずしも一致することはないんでしょうけど、やっぱり日本は中国に近い国として、あるいはそこに、私も中国に外交官として勤務した経験があるわけですけれども、土地勘を持ちながら中国と向き合っている。そして今、中国はその新しい大国関係ということで、ものすごく肩肘張って、力こぶ、力込めているわけですけど、やはりその中国の中にも、これまで振り返ってみたら、例えば孫文さんが、もう覇道ではなくて王道でということを日本に問いかけて、今、日本が中国に対して、やはり覇道ではなくて王道でやっていこうということを問いかける時期ですよね。中国は形式的に、どちらかというと、それを言うと、いや、中国は覇権主義には反対しますよというふうに、我々が言っているのはそういうことではないですね、もっと深い意味で言っていますよね。だからその昔はトインビーが、「いずれ世界の重心は西洋から東洋に移るだろう。大西洋から太平洋に移るだろう」と、今そういう時期に来ているんですけども、決して「中国に移るだろう」とは言わなかったんですね。やはりその覇道の西洋の覇権主義から、東洋の王道に重心が移るだろうということをそこに込められたと思うんです。やっぱりそこは日本としては、王道の日本と中国、そこで初めてトインビーの予言が実現されると思いますので、中国にはそういう呼びかけをしていかなきゃいかんなと。環境というのは、そういう意味では、そういう気持ちをつなぐ大事な分野だと思っています。
(記者)1問だけ。それで、具体的に、これは嫌みな質問じゃないんですけども、その中国に、日本は本当に削減目標をもっと前倒ししろとかということが要求できるのかどうかという点で伺いたいんですよ。というのは、やっぱり二階派の事務総長としてやってこられて、前幹事長の二階さんは親中派といいますか、自民党の中でのね。これはもう、私が今日び言う必要もないぐらい、その過程はあったと思うんですが。それで、本当にその二階派の、言わば、プラス、日本も中国への市場というのは大きく依存している中で、しかし産業界からすれば、「何だ、中国あれだけ排出していて、中国のために我々は削減しているんじゃないか」という声もあるぐらいなんですよ。その辺はっきりものを言えますか、日本は。
(大臣)ものを言えないと思うこと自体、私には少し不思議なんです。多分、二階幹事長、今は幹事長じゃないですけど、中国に行かれたとき、私も一緒によく行かせてもらったですけど、かなりきちっといろんなことを、当然のことながら言っておられたわけで、その部分は報道には載っていないんですよね。親中派とかうんぬんも、少しレッテル貼り的な、一面的な響きが私には感じられるんですけれども、例えば、国を結びつけるというのが一番大事な部分ですね。私も最初の記者会見のときに触れさせていただきましたけど、日本とアメリカがどうして戦争になったんだと、それは外務省に入ってからの最大のポイントの1つですね、研究としては。それはコミュニケーションギャップがあったと、本当の意味でつながっていなかったと。アメリカは日本に強く出れば日本は収まるだろうと、しかし日本は真珠湾攻撃に出ちゃったわけですね。だから、そういう意味では、このつながっていくということがものすごく大事ですね。2012年の尖閣の後、全く日本と中国は首脳レベルでつながっていなかったんですね。それで2015年に二階俊博先生と一緒に行ったときに、習近平さん、初めて出てきて、私は正直、尖閣の問題について、これはある意味で宿題を残したような感覚でいたんです。武力衝突の可能性すら私自身危惧しながら、でもそれを何とか避けてきたわけですけど、あのとき二階先生と習近平さんのこの会談が成立したことで、あのとき、人民大会堂を、ごおっというような地響きのような声も上がりましたけど、私はそのときに、「ああ、何とか武力衝突の可能性というのはなくなったな。何とか宿題を二階先生に済ませてもらったな」と。つなぐということがやっぱり武力衝突、あるいは戦争を防いでいく中での1つの大事な部分です。つながっていなければ、そこは非常に危ないですよ。だから、親中派うんぬんというよりも、やっぱり戦争を防いでいくという役割を、あのとき二階先生は果たされたんだと思うし、私もその準備で関わらせてもらって、非常に光栄なことだと思います。だから今、世間が中国に対して非常に厳しい目を向けている。それは当然ですね、中国はやっぱりその強権的な外交を進めるんであれば、それは当然のこととして、中国に対して厳しい目を持っている方が増えている、これは当たり前のことです。そこら辺と、中国に対してものが言えないのかということのほうがむしろ卑屈な感じが私にはします。我々は、自然に言うべきことを言って、当然向こうも自分たちの言うべきことを言って、それをお互いに、そういうボールをキャッチボールして、キャッチボールというか、ある意味でぶつけ合うみたいなところもありますけど、それが1つの外交の局面ですから、お互いが言うべきことを言わなければ、本音にたどり着きませんのでね。それは二階先生も相当きちっと言っておられました。そういう意味では、削減について中国に言えるのかということ自体が私には少し不思議な問題設定だと思うんです。当然言わなければいけないし、当然言っていきます。それが私の答えです。

(記者)環境新聞の小峰でございます。近く靖国神社の秋季例大祭が始まります。本紙環境新聞は、靖国神社で英霊に哀悼の意をささげない政治家は、日本国及び世界の環境保護を訴える資質はないと見ています。そこで山口大臣に、政治家としてお尋ねします。今まで靖国神社に参拝されたことはありますか、また、環境大臣になってからもですね、靖国神社に参拝する意向はありますか。そこのところを教えてください。
(大臣)靖国には参拝したことがあります。ただ、靖国神社についての最大のポイントは、陛下が靖国に行けるようにすること、ここに尽きます。陛下は行っておられないんですね。なぜか。そこは、靖国神社は、戦場で亡くなった方を祭るところです。だから、乃木大将、東郷元帥は祭られていません。乃木大将は婦人と一緒に自刃したから。東郷元帥は、がんで亡くなった。だから別に神社を造って祭っているんですね、東郷神社、乃木神社。陛下が靖国に行かれてない理由は何だろうか。そこはよく知られた話ですね。私は、例えば外務省の先輩の広田弘毅さんがA級戦犯と言われていることに対しては、非常に強い抵抗を持っています。彼は、「落日燃ゆ」を読むとはっきりしていますけれども、戦争を止めようとしたわけですね、当然。でも、戦争を止められなかった責任を問われたんですよ。でも、自分が責任を取らなければ、陛下に責任が及ぶと思ったのかもしれません。そこは推測の話ですけれどもね。だから、彼をA級戦犯と呼ぶことに対しては、非常に私は抵抗があるんですけれども、じゃあそのA級戦犯と呼ばれる方々がどこで亡くなったかというのが最大のポイントです。戦場で亡くなった。だから私は、戦場で亡くなられた英霊の方々に対して心からの敬意を表するために靖国に参ったことはあります。
(記者)聞こえない。
(大臣)靖国に参ったことはあります。先ほど申し上げたとおりです。
(記者)今後どうします。
(大臣)これからは、個人的ないろんな気持ちも含めて、適切に判断させていただきます。

会見動画は以下にございます。

https://youtu.be/dnTHcTDINdQ

(以上)