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里なび
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保全活用に関する文献検索
- 文献名
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明治中期における京阪神地方の里山の景観
- 出版年
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1992
- 出版社
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雑誌のため省略
- 掲載雑誌
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京都精華大学紀要
- 巻/号/ページ
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記載無し / 3号 / 157-181ページ
- 著者名
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小椋純一
Ogura Junichi
- 目次
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雑誌のため省略
- キーワード
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記載無し
- 要約
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明治中期に測図された「仮製地形図」は0.1haに満たない竹林や茶園も数多く記され、杉や檜などの林の分布も詳しく読み取ることができるなど、一見して植生図的な要素が強いものと分かる。しかし、そこには記号表にない植生記号が見られ、植生記号の概念がはっきりわからないものもあることなど、植生図として見るにはいくつかの問題がある。このような不明な部分を明らかにするため、植生記号の概念を明らかにすることを軸に、明治中期における京阪神地方の里山の植生景観を考察した。まず仮製地図における植生表現の特徴や問題を分析した。例えば「某林(大)」・「某林(小)」と表記された場合、どの程度の高さで区分されているかが不明である。これらについて当時の文献や写真をもとに検討を試みた。明治中期に作成された「皇国地誌」稿本の副本の一部が残存し、各郡や各村の植生に関しても簡単であるが、多くの記載がある。これらの記述とそれに対応する仮製地形図の各部と比較検討することにより、仮製地形図の植生の記載の精度や植生表現に関する不明な部分について考察した。次に仮製地形図が作成された頃に撮影された、数少ない写真を、仮製地形図における、その撮影場所の記載と照合し、植生を推測した。これらの結果から、京阪神地方の里山にはマツを中心とした低い林が広く見られたこと、六甲山山麓では草本が優先するところが多かったことなどが明らかになった。
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