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化学物質と環境円卓会議(第7回)議事録

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■日時:平成15年8月27日(水)14:00~17:00
■場所:主婦会館プラザエフ スズランの間(東京都千代田区六番町15)
■出席者:(敬称略)
<ゲスト>
  草間 朋子 大分県立看護科学大学学長
  <学識経験者>
  北野 大 淑徳大学国際コミュニケーション学部教授
  原科 幸彦 東京工業大学工学部教授
  安井 至 東京大学生産技術研究所教授
  <市民>
  有田 芳子 全国消費者団体連絡会事務局
  大沢 年一 日本生活協同組合連合会環境事業推進室長
  後藤 敏彦 環境監査研究会代表幹事
  崎田 裕子 ジャーナリスト、環境カウンセラー
  角田季美枝 バルディーズ研究会運営委員
  中下 裕子 ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議事務局長
  村田 幸雄 (財)世界自然保護基金ジャパンシニア・オフィサー
  <産業界>
  大池 弘一 日本石鹸洗剤工業会環境委員長
  瀬田 重敏 (社)日本化学工業協会広報委員長
  田中 康夫 レスポンシブル・ケア検証センター長
  和田 政信 (社)日本自動車工業会環境委員会副委員長 菅裕保代理
  横山 宏 (社)日本電機工業会地球環境委員会副委員長
  <行政>
  片桐 佳典 神奈川県環境農政部技監
  染 英昭 農林水産省大臣官房審議官
  島田 純 農林水産省大臣官房審議官 染英昭代理(会議途中より)
  滝澤秀次郎 環境省環境保健部長
  鶴田 康則 厚生労働省大臣官房審議官
  福水 建文 経済産業省製造産業局次長
   (欠席) 河内 哲   (社)日本化学工業協会ICCA対策委員長
小林 珠江  日本チェーンストア協会環境問題小委員会委員
   (事務局) 安達 一彦  環境省環境保健部環境安全課長 
■資料:
○事務局が配布した資料
資料1  化学物質と環境円卓会議 確認・合意事項 [PDF(89KB)]
資料2  放射線管理におけるリスク管理(草間さん講演資料) [PDF(489KB)]
資料3  ゼロリスクを目指す危険性(安井さん講演資料) [PDF(371KB)]
○事務局が配布した参考資料
参考資料1  化学物質と環境円卓会議リーフレット [HTML]
参考資料2  第6回化学物質と環境円卓会議議事録(メンバーのみ配布) [HTML]
○円卓会議メンバーが配布した資料
崎田さん資料 スウエーデン政府の『2020年化学物質リスクゼロ目標』に向けた、企業・消費者・環境NGOの取り組み [PDF(213KB)]
滝澤さん資料1 化学物質アドバイザーの派遣について(お知らせ) [PDF(185KB)]
滝澤さん資料2 「化学物質と環境に関する学習関連資料データベース」の開設について(お知らせ) [PDF(133KB)]
滝澤さん資料3 「PRTRデータを読み解くための市民ガイドブック~平成13年度集計結果から~」について(お知らせ) [PDF(165KB)]


■議事録

(安達) 本日はお忙しい中お集まりいただきまして有り難うございます。時間が参りましたので、第7回化学物質と環境円卓会議を始めたいと思います。本日は、北野さんに司会をお願いしております。北野さん、どうぞよろしくお願いいたします。

(北野) 只今から、第7回化学物質と環境円卓会議を開催いたします。今回のテーマは、事前にメンバーの皆さんと相談した結果、「ゼロリスク管理」に決まりました。「ゼロリスク管理」につきまして有意義な議論をしていただくために、放射線管理の専門家の大分県立看護科学大学 草間朋子さんから質疑の時間を含めて40分ほどお話を頂きます。テーマは「放射線管理におけるリスク管理」です。続いて、「化学物質のゼロリスク」について会議のメンバーである安井さんに15分程度のお話を頂きます。その後、5分~10分の休憩をとって、安井さんのお話についての議論をしていただきたいと思います。
 それでは、事務局より本日の資料の確認などをお願いします。

(安達) メンバーの交代がありましたのでご紹介します。市民側は、日本生活協同組合連合会の石川廣さんの後任である大沢年一さんにお願いしています。産業側は、日本石鹸洗剤工業会の出光保夫さんの後任である大池弘一さんにお願いしております。行政側は、農林水産省の大森昭彦さんの後任である染英昭さんにお願いしております。経済産業省の仁坂吉伸さんの後任である福水健文さんにお願いしております。環境省の南川秀樹さんの後任である滝澤秀次郎さんにお願いしております。なお、出欠状況につきましては、産業界の菅裕保さんの代理出席で和田政信さんにお越し頂いております。また、欠席は産業界の河内哲さん、小林珠江さんのお二人です。
 次に、資料について説明させていただきます。資料1は、「化学物質と環境円卓会議 確認・合意事項」です。これについては、第6回の会議後にメンバーの中から有志の方々に集まっていただいてご議論いただきました。その結果、本日の議題及びビューロー会議の設置について一定の考え方がまとめられました。また、第6回までの円卓会議においてメンバーの合意が得られた事項をメモにしたものです。合意事項についてはメンバーの方々にはメール等で既にご了解いただいていますが、改めて確認させていただくために資料として配付しています。資料2は、本日お話しいただきます草間さんに準備していただいた資料です。資料3は、同じく安井さんに準備していただいた資料です。この他にメンバーの方々から資料を頂いています。まず、崎田さん資料として「スウエーデン政府の『2002年化学物質リスクゼロ目標』に向けた、企業・消費者・環境NGOの取り組み」についての資料を、滝澤さん資料として「化学物質アドバイザーの派遣について(お知らせ)」「『化学物質と環境に関する学習関連資料データベース』の開設について(お知らせ)」「『PRTRデータを読み解くための市民ガイドブック~平成13年度集計結果から~』について(お知らせ)」を、参考資料1として化学物質と環境円卓会議のメンバーの交代・経歴等の変更に伴い更新したリーフレットを、また、傍聴の方にはお配りしておりませんが、参考資料2として第6回の議事録をお配りしております。これについては、メンバーの方々に確認していただいて、既にホームページで公開しています。以上です。

(北野) ありがとうございました。資料については過不足があったら申し出てください。それでは、早速議事に入りたいと思います。最初は、放射線管理の専門家の大分県立看護科学大学 草間朋子さんから「放射線管理におけるリスク管理」についてお話を頂きたいと思います。それでは、草間さんよろしくお願いいたします。


(草間) 本日は円卓会議にお招きいただきましてありがとうございます。ご紹介頂いたように、私は現在大分県立看護科学大学の学長として看護職の教育にあたっていますが、6年前までは東京大学の医学部にある放射線健康管理学教室という放射線管理、放射線防護を専門とする講座で研究あるいは教育にあたっていました。多分、そのような講座があるのは、国立大学では東大だけだったと思います。そのため、現在も原子力安全委員会や放射線審議会、あるいは厚生労働省と様々な放射線に関係した委員会のお手伝いもしています。
 放射線と言うと、皆さんはまず原子力発電所を連想されるでしょうが、一番使われているのは何と言っても医療の領域です。人工的な放射線の90%以上は患者が受けています。いわゆる医療被ばくです。あるいは、皆さんの被ばくは伴いませんが、自動車のタイヤを強くする目的、様々な日常の生活用品を強くする目的で使用する素材としてのポリマーを合成するために放射線を使っています。今日は農水省の方も参加されていますが、様々な物質の品種改良にも放射線が使われています。皆さんが知らない様々なところで放射線が使われており、日常生活から切っても切り離せないということをご理解いただきたいと思います。
 皆さんの中では、少しでも放射線を受けるとすぐに影響が出るのではないかと心配される方が多いようです。放射線防護あるいは放射線管理では、1928年に国際放射線防護委員会という国際会議ができました。原子力発電が始まる前から医療では放射線が使われていたので、その安全な使用について議論されてきました。放射線の管理体制が国際的にしっかりしていることや放射線の管理、放射線の防護がどのような形で行われているかを是非ご理解頂ければと思います。放射線に関しては皆さんあまりご存じないと思いますので、短い時間では難しいかと思いますが、できるだけ易しく話そうと思いますので、分からないことがあれば途中でも言っていただければと思います。

 放射線には、物理的・生物学的・化学的な様々な環境要因がありますが、その中で放射線にどのような特徴があるかをお話しします。一つは放射線そのものの存在を五感で感じることが出来ないということです。目で直接見ることも出来ないし臭いを嗅ぐこともできません。五感で直接存在を認知することができないので大変不安になりますが、放射線は極微量でも測定できるという大きな特徴があります。放射線、放射性物質にしても、非常に微量のものでも測定できます。放射線計測学という一つの学問があるくらい計測学が進んでいます。
 放射線は、必ずしも人工的に使われるものだけではなく、自然界にも自然放射線あるいは天然放射線という形で存在します。実は、国民全体の平均を見ると自然放射線による被ばくが最も大きいです。皆さんの体の中にも放射性物質は常にありますし、じっとしているだけでも放射線を受けています。この会場にも放射線が飛び交っていると考えていただいていいと思います。ここに簡単な測定器を持ってくると放射線があることを実感していただけると思います。
 また、放射線に関しては人の健康影響に関する情報が非常に豊富であることがもう一つの大きな特徴です。放射線が最初に使われたのは医学の領域です。1895年にX線が発見されてから人工的に使われるようになりました。最初の頃は、安全問題を考えずに使っていたため、患者あるいは放射線を取り扱う人たちに障害が出ました。「これは安全に使わなければならない!」ということで、先程お話したように1928年に国際放射線防護委員会が発足し、世界的に統一した管理体制が採られるようになっています。

 放射線あるいは放射性物質を測定するときに、一般環境、原子力発電所、医療現場、産業環境といった環境中に飛び交うものや環境中に存在するものを測定できますし、一人一人の暴露量測定をできるのが非常に大きな特徴です。放射線の暴露を被ばく、放射線の量を線量、暴露量を被ばく線量と言います。現在、労働安全の体系の中で、個人の暴露量の上限値を設けているのは放射線だけです。放射線は測定できるため個人の線量の上限値を作っています。これを線量限度と言います。線量限度は、リスクをいかに抑えるかについて、リスクを元に線量の限度を決めているとお考え下さい。
 人が外から放射線を受けることを外部被ばく、中から放射線を受けることを内部被ばくと言います。中から放射線を受けるとは、すなわち体の中に放射性物質があるということです。人間の体にとってカリウムは必須元素ですが、カリウムは一定の割合で天然の放射性物質です。ですから、皆さんの体の中には放射性カリウム(注:カリウム40)があり、それを測定することができます。
 内部被ばくの測定は、ホールボディカウンタ(注:体丸ごと計測器の中に入って体内の放射性物質を測定する機械)で測定できます。外部被ばくは、ガラス線量計で測定できます。3年くらい前まではフイルムバッチが一般的でしたが、現在原子力発電所で働く人あるいは医療に従事する人が必ず胸に付けているものはほとんどがガラス線量計です。

 これは、放射線を測定できる「はかるくん」です。一般の方たちに天然放射線が存在することを分かっていただくため、今の文部科学省が科学技術庁であった頃に放射線計測協会と共同で開発しました。放射線の単位はSv(シーベルト)を使いますが、1時間当たりにどのくらいの線量があるか目で見て分かるようになっています。例えば、この測定器で東京から大阪まで新幹線で移動する間ずっと測定すると、トンネルの中では放射性物質がとても多くなります。これは、土の中に放射性物質が多いのでトンネルなどに入ると放射線が非常に多くなります。逆に、河を渡ると水が遮蔽して放射線が到達しなくなるため、大井川の橋を渡ると放射線が少なくなります。このように線量の変化が測定できるため、一般の方が様々な形で実験等に使っています。私も東大に在籍していた頃は、この測定器で学生に実験させていましたし、今でも学生の実験に使って天然に放射性物質があるということを実感してもらっています。

 これは個人モニタで、現在一般的に使われているガラス線量計です。原子力発電所あるいは医療領域で働く人たちが胸に付けています。

 先程、天然放射線がかなりあると言いましたが、日本に限らず世界中にあります。日本では、自然放射線によって1年間に受ける線量が2.4mSvと言われています。自然放射線の量は緯度によって違うため、日本と同じ緯度に住んでいる方たちはこのくらいの線量と思ってください。私たちは、放射線の量を理解してもらう時に「2」という数字を是非覚えてくださいとお願いしています。例えば、胎児に奇形が起こる線量が自然放射線の何年分に例えると分かりやすいので、自然放射線による被ばくがあることと、被ばく量が約2mSvであることを是非記憶していただくと良いと思います。
 人口放射線による被ばくは、ほぼ医療被ばくです。我が国は欧米諸国、特にイギリスと比べて6倍、アメリカに比べると3倍の医療被ばくがあると言われています。我が国ではそれくらい集団検診も含めて医療の領域で使われているということです。人口放射線による被ばくが自然放射線とほぼ同じ2.3mSvで、このほとんどが医療被曝です。

 放射線による人の健康影響にについてどのような情報があるか紹介します。一つは、広島・長崎の原爆被爆者で、大変多くの情報を提供していただきました。現在の放射線のリスク管理の元になっているのは、全て広島・長崎の原爆被爆者の皆さんにご協力いただいたデータだと思っていただくとよいかと思います。
 原爆被爆者とは、行政的に言うと原爆手帳を持っている人です。健康影響を定量的に評価するため、疫学調査の対象として亡くなるまでずっと協力していただくライフスパンスタディー(注:life Span Study:LSS)を行っています。これをLSS集団のコホート(注:共通の性格を持つ集団)と言います。LSSの集団にコホートとして、被爆手帳を持っている方々約36万人のうち約12万人の協力を得て様々なデータを提供して頂いています。その他に、放射線治療を受けた方々、放射線診断を受けた方々、放射線事故の被災者から様々な情報を提供していただいているところです。また、日本でも約10年前から原発労働者約22万人を対象に疫学調査が進められています。このように、様々な健康影響に関する情報があります。いずれにしても、被ばく線量がどのくらいでどの程度の影響が出るかを現した線量-反応関係、あるいは線量-影響関係が明らかになるように疫学調査が組まれているのが特徴ではないかと思います。

 次に、放射線管理あるいは放射線防護をどのような原則で行うかについてお話しします。人工的に放射線を使うことは、必ず個人または社会に何らかの便益をもたらすことが大前提です。次に、人工的に放射線を使うときは確定的影響は絶対に発生させません。そして、確率的影響をできるだけ制限します。ここでリスク管理という言葉が出てきます。

 専門家は確定的影響や確率的影響という言葉を使います。ここに線量-反応関係あるいは線量-影響関係を示します。線量-反応関係は、線量が増加するに従って発生確率がどのように増えるかを現したものです。化学物質でも同じような言い方をします。また、線量-影響関係は、線量が増加するに従って影響の程度、すなわちdebility(注:重傷度)がどの程度増えるかを現したものです。線量-反応関係も線量-影響関係も放射線に関してはかなり分かっていると考えてください。その中で、確定的影響は防止する、確率的影響は防止できないためあるところで制限する、いわゆるリスク管理をします。確定的影響は、閾線量と呼ばれる影響が発生する最小の線量があることが分かっています。一方、確率的影響は低い線量で本当に影響があるかどうか分かっていません。

 確率的影響は、がんと遺伝的影響の発生を見ています。遺伝的影響とはgenetic effect(注:発生影響)ではなく、ここに書いたようにhereditary effect(注:遺伝的影響)です。要するに継世代、次の世代になって影響が現れると定義していただくとよいです。

 広島や長崎の原爆被爆者のデータでも、このようにきれいな曲線ではありませんが、確かに線量が増加すると発生確率が増加することが明らかになっています。しかし、原爆被爆者の50~200mSv以下の被ばく量では本当に影響があるかどうか分かっていません。そのため、点線で書いた部分は、疫学調査の結果では分からないところです。

 がんと遺伝的影響以外の影響は、全て確定的影響なので閾線量以下では影響をゼロに、つまり影響を発生しないようにできます。つまり、リスクはゼロと考えてください。
 そのため、放射線を利用する場合は、確定的影響、つまりがんと遺伝的影響以外の影響は発生しないようにあるところで抑える、その時にリスク-ベネフィットの考え方が出てきます。確定的影響のうち現在考えられている中で一番低い閾線量は、胎児が放射性を受けた場合の奇形の発生です。これは100mSvです。胎児はお腹の中に9ヶ月いますが、この間のある時期に影響を受けなければ奇形は発生しません。ある時期に自然放射線(注:約2mSv)50年分を1回に受けてしまうと、奇形が発生する可能性があることになります。ですから、自然放射線50年分を一度に受けるような状況は、放射線管理において作ってはいけません。がんと遺伝的影響以外の影響は、JCOのような事故が起こらない限りは起こりません。
 線量-影響関係の点線部分をどのように考えるかが放射線影響あるいは放射線生物学、放射線防護の領域で一番議論の多いところです。現時点で分かっていないため、皆さんにとって一番安全側の「閾線量が存在しない」と仮定しています。点線の部分は、線量の増加に伴って確率的影響はほぼ直線的に増加すると仮定してリスク管理を行う原則に立っています。

 これは原爆被爆者のデータです。Excess Relative Riskつまり1Svの放射線(注:1000mSvで自然放射線500年分)を受けたときにがんがどのくらい誘発されるかを現しています。Excessですから、過剰な放射線を受けたとき、値が0を越えたらがんの誘発が増えると考えてください。ここでは、固形がんだけで白血病については書いていませんが、白血病は4-6くらいです。ほとんど全てのがんが1Svで誘発されることは分かっています。しかし、日常的に被ばくをする可能性がある線量領域での線量とがんの誘発の関係は分かっていません。そのため、安全側に見て閾値がない直線関係を仮定しているのです。

 確率的影響の中に遺伝的影響がありますが、継世代影響で次の世代以降に現れる影響、つまり被ばくした本人ではなく、子ども孫それ以降の世代に現れる影響を遺伝的影響と呼んでいます。遺伝的影響に関しても疫学調査が行われています。例えば、広島・長崎の被爆者の子ども、つまり二世を対象とした調査や自然放射線のレベルが高い地域であるインド、中国等に住む子ども達への影響調査です。インドには日本の約5倍、中国には日本の約3倍、自然放射線レベルの高い地域があります。また、放射線科の医者は一般診療科の医者に比べると放射線を多く受けているので、放射線科の医者の子ども達への影響を見ています。

 これは、原爆被爆者の子どもを対象にした遺伝学的な調査の結果ですが、いずれも検出されていません。ここが非常に重要で是非理解していただきたいところです。放射線を受けると直ちに遺伝的影響が出るのではないかと皆さん心配されていますが、人では遺伝的影響は検証されていません。様々な人たちに、対象者が少ないのではないか、使っている指標が鈍感なのではないと言われてきました。そのため、DNAの突然変異が起こるかどうかを染色体移動、タンパク質の電気泳動など様々な手法を使って調べてみましたが、影響が出ていません。しかし、非常に低い線量での影響についての結論は得られていません。そこで、生殖細胞に何らかの突然変異が起こったとういことが多分は遺伝的影響に結びつくので、がんと同じように閾線量がないという考え方を採っているのです。

 低線量、低線量率とあります。率とは単位時間にどのくらいの放射線を受けるかを現すので、被ばくの形式も重要になってきます。ある線量を一度に受けるか、あるいは徐々に受けるかで影響が違うため、それを線量率と呼びます。化学物質では、総量という言葉を使うようですが、同様に様々な放射線による線量全体を考えているのが線量、これに時間的ファクターを入れたのが線量率です。
 最近は、人だけではなく全てのエコシステムを考えなければならないという考えが出てきていますが、取り敢えず人の安全を考えて人の健康影響に着目した防護基準を考えています。その時に、低線量、低線量率の影響については、確率的影響が問題にならないくらい低い被ばく線量では、疫学調査から影響があるかどうか、どの程度の影響があるかが分かっていないため、LNT(注:Linear Non-Threshold。閾線量は存在しないの意)という考え方を採ることにしています。現在、これに関しては放射線生物学が専門の方々から色々な議論を持ちかけられているところです。疫学調査では、広島・長崎のデータから50mSv以下のところでは影響がないと考えてはどうか、低い線量ではかえって人の免疫機能などが活性化されるので適応応答(注:低線量放射線を予め照射しておくと、その後の高線量放射線に対して抵抗性を持つようになる現象)があるのではないか、つまり低い線量だと放射線は良いという考え方もあります。このように色々な考え方がありますが、現在安全基準を作る時の考え方では、閾線量が存在しないつまりLNTという考え方が一番受け入れられやすいだろうということでこのような考え方を採っています。これでリスク管理を行っています。

 防護基準設定のためには、LNTの考え方を採ると、どんなに低い被ばく線量でも必ずリスクがあることになるためリスク管理が必要になります。ゼロリスクを求めると放射線は人工的に使えなくなるため、たくさんの便益をもたらしている放射線を使うためにはリスク管理が必要とになってきます。

 リスク管理において、LNTという仮定を使う理由についてお話しします。放射線管理・防護のために様々な基準が必要になってきます。天然にも放射性物質が存在しますが、天然の放射性物質でも少し手を加えただけで濃度が高くなったりします。そのような中で、放射線あるいは放射性物質と見なさないレベル、放射性廃棄物等が自然崩壊して放射性物質と見なす必要がなくなるクリアランスレベル、一般の人々の被ばく上限値、職業人の上限値、事故等が起きたときに関係者がどの程度被ばくしても大丈夫かといった介入レベルも考えていかなければなりません。このような時にリスク管理が必要になってきます。

 これは、時間がないため説明を簡略化します。ガンのリスクを考える時に単位線量あたりにどのくらいがんが発生するかを考えたとき、原爆被爆者のデータを単純に使うだけではなく、原爆被爆者等のデータからガンの発生確率を作るまでにこれだけのプロセスがあることを理解していただこうと思い示しました。

 遺伝的影響についても、実際には被爆者のデータがないため実験動物のデータと自然発生率を使って遺伝的影響の確率を出しています。

 説明を省略した2枚のスライドの過程を経て、致死がんの確率を求めています。がんは潜伏期間があり、被ばくした直後にがんになることはありません。白血病の潜伏期間は2年~40年と言われています。白血病以外のがんは、被ばくして10年くらいから症状が現れ生涯続くのではないかと言われています。そのため、生涯の死亡確率を求めています。先程のプロセスを経て、作業者の場合は1Svの放射線を受けると生涯に致死がんが4%発生することが分かっています。放射線は、リスクが出されていることが大変大きな特徴だと思います。

 このリスクを元にして無視できるレベルを決めています。リスクレベルを判断するときに放射線の領域では受け入れることが出来るレベル(注:Acceptable Level)と耐えることが出来るレベル(注:Tolerable Level)、あるいは受け入れることができないレベル(注:Unacceptable Level)を決め、これを元に作業者または一般の方々の線量限度を決めています。

 職業被ばくに対する線量限度は、被ばくの上限は受け入れることが出来るレベルと耐えられるレベルの境界で決めることになっています。境界は、がんによる死亡確率や年当たりの死亡確率をもとに決めています。

 現在、職業人の線量限度は1年当たり20mSvで自然放射線の10倍です。20mSvは、受け入れられるレベルと耐えられるレベルの境界で決まりました。例えば1生涯働いたとすると、50年間に1Svの放射線を受けたことになりがんによる死亡確率が3.6%増加します。もともと、我々日本人ががんで死亡する確率が27~28%ですが、仕事で年間20mSvの放射線をずっと受け続けるとがんで死亡する確率が約30%になります。1998年までは50mSvでしたが、生涯のがんの発生確率が約10%増加するのは大きすぎるという判断で1989年に20mSvに下げたところです。現在はこれで運用されています。

 20mSvの線量限度は、年あたりのリスクが10-3、つまり1/1000になるのが人生の終わりの方に近づいてからなので、10-3くらいのリスクなら受け入れて頂きましょうということで、年当たりのリスクも考慮しています。

 少し古い資料ですが、現在もほぼ同じと考えてください。20mSvを線量限度にしていますが、原子力発電所で働いている方々の1年間の線量は1mSvくらいに抑えています。もちろん20mSvに近い方も数%はいますが、全体の平均を出すと原子力発電所の作業者の年間被ばく量は1mSvです。先進国はほとんど1mSvに抑えています。ですから、実際には上限値の1/20くらいのところで抑えられています。

 このようなリスク管理を行うには、線源を管理する、発生源で管理することが非常に重要です。放射性物質は管理区域が決められていて、法律上はそこでしか使われないようになっています。しかも、その区域に入れる人は放射線業務従事者として法律上で決められています。予め決められた人が決められた場所でしか放射線を使えません。このように線源管理をきっちり行っています。その次に環境管理、人の管理を行うことにしています。ですから、線源管理さえきっちりしておけば、安全は守られることになっています。

 リスク管理に対する課題は、Acceptable(注:受け入れられる)やTolerable(注:耐えられる)、Unacceptable(注:受け入れられない)といった決め方では、なかなか一般の人たちに分かってもらえないためリスクコミュニケーションが大変難しいことです。また、放射線影響における線量-反応関係において低い線量で本当にLNTの考え方を採用することの妥当性も課題です。様々な生物学的な情報等で議論があるため、現在はこのようにリスクに着目しない何らかの放射線防護基準の考え方がないか、自然放射線に着目した基準を決めてはどうかという案も出てきています。
 2005年に国際放射線防護委員会が新しい防護基準を出すことになっていますが、一時は自然放射線に着目した基準にするための議論がかなり出てきました。自然放射線の10倍、5倍、3倍という数値を使うわけですが、10倍でよいのか、どうして1/10にしないのかといった意見が必ず出てくると思います。国際的には自然放射線が一般の方たちに分かりやすいからという理由で導入しようとしていますが、私はこれに反対しています。あらゆる領域でリスク管理は大変重要で、いかにリスクコミュニケーションを図っていくかが大事です。説明責任等を考えると、リスクコミュニケーションを図りながらリスクで管理することの方が分かりやすいと思います。自然放射線の10倍や100倍にすると10や100の根拠を見つける必要があり、全く同じ状況になると思います。私自身はリスク管理が良いと思っています。
 今日は健康リスクについてお話をしましたが、実は原子力の領域では確率論的安全評価(注:SPPA)といって、事故の確率など全体的なリスクを含めて原子力の安全目標を作る努力をしています。健康リスク以外のリスクも含めた確率論的安全評価が既に導入されて様々なところに利用されています。

(北野) どうもありがとうございました。草間さんのご講演に対して質問等がありましたら挙手をお願いします。

(原科) スライド24“Annual Dose of Occupational Exposure in Japan“で原子力発電所の値が1.0mSv/年になっていますが、説明では数%の方は20mSv/年くらいだと仰っていました。それは、どのような立場の方ですか?

(草間) 20mSvを越える人はいません。20mSvに近い方たちは原子力発電所にも医療の領域にもいます。線量限度を20mSvと決めているため、これを越えなかったら問題はないということになります。ただ、この20mSvを毎年受けるということは想定していません。原子力発電所で一番放射線を受ける可能性があるのは、定期検査の際に原子炉を開けて中に入る方ですが、それでも20mSv以下に管理しています。その他のほとんどの方は、ずっと低い暴露で、平均的に考えると1.0mSv/年になります。1.0mSv/年に抑えるということは、ほとんどの人が被ばくしていないということです。職員は全員ガラスバッチ(注:ガラス線量計)をつけていますが、ほとんどの人が検出限界以下です。原子力発電所の場合には、社会の目が大変厳しいので、ガラス線量計で1ヶ月または3ヶ月毎の線量を測定すると同時に日々管理といって管理区域に入る時は別のモニタをつけて線量を測定しています。日々管理と長期の管理の両方を行っています。

(安井) 大変分かりやすいお話を頂きまして有り難うございました。私もリスク管理の見本は放射線がよいと思っていました。化学物質は非常に多様ですが、放射線はある意味単純です。一つのことを考えればよいため方法論がクリアで勉強になると思っています。
 これはコミュニケーションの問題に属すると思いますが、先程仰っていた放射線の確率的影響を考えたときに、どのようなメカニズムでその確率的影響が現れるかまでしっかり喋らないとコミュニケーションにならないと考えています。放射線を浴びてDNAのダブルチェインが切れると言われていますが、その後の修復メカニズムを人が持っていることや日常的に我々が酸素を代謝することによる活性酸素の影響が遙かに大きいといった生体のメカニズムまで同時に説明すべきではないかと思います。実際のコミュニケーションの現場ではそのようなことが配慮されているのでしょうか?

(草間) 発がんのメカニズムが分かれば、放射線に限らず全ての化学物質においても問題が解決すると思います。例えば、放射線による発がんで最初に起こる現象はダブルスランドのブレイク(注:絡み合っている二つのDNAが両方とも切れる。二重鎖切断)です。化学物質の場合はシングルスランドのブレイク(注:絡み合っている二つのDNAのうち1本が切れる)がほとんどです。放射線の場合は、二重鎖切断がほとんどで、最初のターゲットであることは分かっていますが、がんは潜伏期間が非常に長く白血病以外は10年で、自然発生の発がん年齢にならないと出てきません。少なくとも、一つの突然変異でがんが発生することはあり得ない話で、今は5~6個の突然変異が重なるとがんが発生するのではないかと言われています。生物学的に二重鎖切断を始めとして個々の事象については分かっていますが、発がんに至る全体のメカニズムが分かっていないので、そのような状況でどのように説明するかが非常に難しいところです。
 一つの細胞が変化を受けてもがんになるという仮定を採ると、確率論で考えざるを得ません。幾つかの突然変異が重なって発がんすると考えれば、多分閾線量があると思われます。しかも、ほとんどがDNAの修復あるいはアポトーシス(注:がん細胞が消滅する1つの方法)で人間の体全体の免疫系メカニズムを修復あるいは回復できると思いますが、トータルとして分かっていません。一つの細胞に変化が起こったらがんになるあるいは遺伝的影響が出るかもしれないという仮定を採らざるを得ないとすると、確率的な影響と考えざるを得ないという状況になってきます。多分、発がんのメカニズムが分かれば全てが解決するでしょうしLNTで考える必要がなくなると思いますが、これは多分ずっと分からないと思います。そうなると、このようなリスク論を採らざるを得ないと思っています。

(安井) 方法論として、管理するサイドから考えれば当然その通りだと思いますが、adoptive response(注:放射線適応応答。例えば、細胞にあらかじめ低線量の放射線を照射しておくと、その後の高線量照射に対して抵抗を示すこと。)もコミュニケーションを行った上で決めるべきだと思います。受け入れることができるレベルだから安心だということで使われると困ります。例えば、がん患者が放射線治療を受ける前に微量の放射線をある期間あてると放射線治療の副作用が若干軽減されるという話がないわけではありません。ですから、そのようなことを考えると、生体には必ず受容するようなメカニズムがあることくらいは言ってもいいかなと思います。

(草間) 私もadoptive responseに関して否定的な考えを持っているわけではありません。ただ、放射線治療を行う前に10cGy(センチグレイ)くらいの放射線をかけておくと副作用が少なくてすみますが、放射線防護の基準からすると10cGyという放射線は元々考えていません。だから、adoptive responseやそれに関わる様々なものは放射線防護を考えなければならない線量に比べると高い線量で行われたことです。それを本当に低い線量でも適用できるか考えるのは難しい。薬を大量に飲むと毒になるように放射線も少ない放射線であればかえってadoptive responseがあって良いと言っても、誰もが放射線治療を受けるということはないと思います。生体のメカニズムでそのような話があるというのはいいですが、基準を作るときにadoptive responseがあるからどこまで下げても良いという話にはならないと思います。LNTという仮定を採るのは防護基準を作るためです。防護基準を作るためには、クリアランスレベルを1年間に10μSv、mSvの更に1/1000を考えています。そのようなレベルを考えるときにadoptive response云々ではないというのが私の意見です。もちろん、私自身も放射線分野の専門家であり、LNTという仮定でやっていますとadoptive responseという仮定でやっている方からは非常に攻撃を受けますが、adoptive responseを否定しているわけでありません。しかし、adoptive responseは線量や時間が限られているため、ウィンドウ効果(注:胎児期の高感受性期における影響)を考えると、全ての場合に適用する防護基準の考えには、今の時点で採用は難しいでしょうというのが私の考えです。

(後藤) 管理をすればそれほど危険がないということだと思いますが、一方では管理を失敗すると危険度は高いと思います。日本では、今まで使用が厳しく管理において失敗の確率が極めて低いだろうと思いますが。
 化学物質に関して非常に微量物質の規制や使用を制限する場合、諸外国には放射線を使う検査機があるように聞いています。日本でも化学物質の管理を今後厳しくすることを考えると、その検査のために同様に放射線を使用するかもしれません。それについて、諸外国では管理をどのような形で維持しているのかご存じでしたら教えてください。

(草間) 日本では放射線防護・放射線安全の基準が厳しすぎると言われています。しかし、職業被ばくや一般公衆の被ばくは1mSv/年で国際的な基準で動いています。また、クリアランスレベルの基準そのものも国際的に統一されていると考えてください。
 実は、日本においてOrphan Doseを水際作戦で如何に防ぐかというのが一番の問題です。Orphan Doseとは、外国から入ってきた鉄鉱石などに含まれる医療施設で使われているコバルトやセシウムの線源です。国内にある線源は管理されていますが、外国から入ってくる鉄鉱石などの中に線源が入っていることがあります。私どもの大学の環境科学という講座で水際作戦として測定させてもらっていますが、引っかかるものがあったりします。勿論、引っかかるのはコバルトで、半減期が5.5年なので置いておけば基準をクリアします。直ちに使わないという措置をとれば良いわけです。
 幾つかの外国から入ってくる鉄鉱石などには問題があります。台湾等では、10年くらい前に実際にそれを使ってマンションを造ってしまい、コバルトによる汚染が起こって大変問題になったことがあります。このように、具体的な国名は言えませんが、海外では必ずしも管理が厳しいとは言えない状況です。管理が一番きっちりしているのは、日本とヨーロッパだと私は思います。

(有田) 消費者としてゼロリスクを求めてはいますが、必ずしもゼロにできるとは思っていません。私たちも医療の分野では便益があることは充分分かっていますし、管理も例えば乳児の場合は放射線治療が受けられる線量や回数などの管理が行われていることは分かっていて、お話は非常に面白くて興味深く聞かせていただきました。化学物質の分野でゼロリスクを目指す中で、どのような管理をしていけばよいのか、今のお話をどのように受け止めながら展開するのかを考えていました。

(草間) 医療の領域は線量限度を決めていません。それは、患者によって必要な治療が出来なくなってしまうためです。ですから、実は放射線管理が一番遅れているのは医療の領域です。実は、私は労働省の職業病対策の認定等も行っていますが、他の領域、特に原子力発電所で労災が出るとマスコミは直ちに一面で取り上げますが、医療の領域で仮に労災認定があってもマスコミは1行も取り上げません。要するに、医療の領域が一番問題です。
 これからもっと医療領域で放射線の使用が増えていきます。Inter ventional radiologyという形で放射線を透視しながら治療を行う傾向にあり、心臓カテーテルや心臓バイパスの手術は放射線を出しっぱなしで行います。実際に、それによる皮膚障害も出てきています。私は医者や看護士を対象にした放射線管理の講演が非常に重要だと思っています。医療領域の放射線管理をいかに徹底させるかが大変大きな課題だと思っています。ただ、皆さんには放射線を使用する理由を説明しやすいです。なぜなら、大きな利益があるからです。ベネフィットが個人の問題として理解できるからです。実は無駄なレントゲンをたくさん撮っています。しかし、皆さんは医療というと大変良いことをしてもらっていると思われるようで、医療被曝が減りません。これは、上限がないことが問題で、国際的にも問題視されています。例えば胸を写真1枚撮るにも装置によって線量が10倍違います。胃の検査になると、線量が2桁違います。日本でも、放射線技師会などがガイダンスレベルを作り、典型的な検査に関しては基準値を設けていますがこれは限度ではありません。

(有田) 実は、私が医療関係の仕事を多少していたこともあって、子どもが病気をしたときに「これ以上検査をしたら影響がでるのではないですか?」と質問したところ、非常に丁寧に回答してくれました。「ここまでは大丈夫です」、「こういう限度があります」といったやり取りをした中で、医療の現場におけるコミュニケーションは丁寧だという感想を持っていたので発言しました。ありがとうございました。

(草間) 放射線は測定できますが化学物質はたくさんの種類があります。また、放射性物質はいつまで経っても放射性物質ですが、化学物質は環境中で変化します。その場合、生態に対する影響などがあり、その辺りが化学物質の非常に難しいところだと個人的に思っています。

(北野) 先程、有田さんから化学物質のゼロリスクをどのように考えるかといった問いかけがありましたが、その辺りについての資料を安井さんに用意していただいていますので、お話を伺い、休憩を挟んでからフリーディスカッションに入りたいと思います。それでは、安井さんお願いします。

(安井) 

 少し刺激的かもしれませんが、あまりゼロリスクを目指すとかえって危ないというお話をさせていただきます。

 私は、リスクはありとあらゆる所にあると思っています。化学物質のリスクも結構あると思っていますが、それに対処する大原則として、ここに挙げたことを考えています。実は、一つ意図的に項目を抜いています。それは、個人の感受性あるいは局所的にリスクが集中している場合です。これを議論し始めると、本日の議論の時間を全て使ってしまいますので、意図的に抜きました。
 上の方から見ますと、「大きなリスクから対策を取るのがいいだろう」です。非常に大きなリスクについては、日本の状況だとまあまあ管理が進んでいるというような気がしています。次に、「人へのリスクは実験が出来ない」です。そこで、何か非常に大きな大局観のようなものを持つことと様々な知識を総合して行うしかないと思います。ですから、個別の議論を行うと間違うかもしれません。次は、先程の話と似てきますが、リスクは小さくなるとトレードオフ、すなわちリスクを減らす事による別のリスクの上昇や天然に存在しているリスクをどのくらい下回れるのかという問題が必ず出てきます。次は、「ハザードレベルでの管理を考えない」です。本来化学物質においても真理ですが、これは非常に難しく、どうしても化学物質はハザードレベルで考えざるを得ないところがあります。その次は、リスクの主体は現時点で生きている人だけではなく、環境の問題において将来世代をどのように考えるか、生態系をどう考えるかであり問題は非常に難しいです。予防的措置については、リスクレベルを考えた後に考えるべき事だと思います。これも、議論し始めると円卓会議1回分くらいの時間がかかると思います。
 結論的には、ある意味で悟りの世界ではないかと思っています。要するにいかなる場合にもリスクはゼロにならないということです。何か対策を打てば、何かのリスクが残ると考えるべきだろうと思います。人は、大抵の場合100歳以下で死ぬわけですから、そのリスクをゼロにする意味そのものがあまりないとも言えます。

 これは、スライド2にあった大局観の話しです。非常に乱暴な議論で申し訳ありませんが、いわゆる環境を表していて化学物質による汚染に特化していません。50年スパンで考えたときに、ダイオキシンによる大気汚染はかなり良くなってきましたが、その汚染が土壌や川底に移動しただけかという気がします。環境ホルモンも幸いにして人に対してはそれほど大きな悪影響はないかと思います。いわゆる環境に対する影響がゼロだと言えないのは事実だと思います。

 ダイオキシンの問題で大局観として何を見るかですが、大局観の一つの非常に大きい指標は時系列変化かと思います。ですから、横軸に時系列をとって体内濃度がどの程度下がったか、最近増えていないかといった大局観で眺めていくと、もしダイオキシンが影響を与えるとしたら1970年頃どうであったかを解明すべきかと思います。

 「リスクが小さくなってきたら、トレードオフと天然リスクとの比較を考える」ですが、今の図がそうです。

 例えば、今我々がダイオキシンを摂取している経路を考えれば、海底や川底の濃度が高いところを浚渫してしまうという方法論がないわけではありません。しかし、そうなってくると生態系の破壊を招いたり、その他の弊害が生まれそうな気がします。ダイオキシンのリスクを下げて限界最小リスクを下回ると、今度は別のリスクが急に大きくなる気がします。どのようなリスクかは場合によると思いますが。
 このように、リスクはミニマムを目指すべきであってゼロを目指すべきではないと思います。「リスクミニマムに切り替えませんか?」というのが、私の一つの主張です。

 人工的リスクをミニマムにする時、人工的なリスクだけに対応してかなり減ってくると、自然のリスクの上に人工的リスクが被っている状況(注:スライド中の中央のグラフ)と自然のリスクがこんなに大きいけれどその上に人工的なリスクが被っている状況(注:スライド中の右端のグラフ)では、多分対処の方法が違ってくると思います。要するに、人工的リスクは原点から生えている(注:スライド中の左端のグラフ)わけではなくて、自然のリスクの上に乗っていると思います。リスクを減らしていくときにどのような実像があるかを明らかにしないと次の議論が難しいと思います。

 ハザードレベルでは管理を考えないことになっていますがこれは非常に難しいことです。

 我々も既に色々やってきて、最初は管理思想が無かったためend of pipeで暴露を減らそうとしてきました。その後ハザードを管理して非常に強度に有害な物質の使用を禁止し、それなりに管理が進んできたと思います。

 化学物質の微妙な管理がEUで始まってきています。EUのRoHS指令で、鉛フリーの話が出てきて、国内の某電気会社も鉛フリーが良いと言っています。実際それがリスク思想に基づいているかが非常に難しい。将来世代の話になりますが、ある種の鉛フリーのはんだにはインジウムという金属が使われています。インジウムは非常に貴重で、私から言わせると「はんだなんかにこんな大切な物を使うなよ!」と思いますが、そのような物質を全く考えずに使っていることを考えると、どこかで化学物質の管理にブレーキをかけなければいけないかと思っています。将来、インジウムが枯渇することを考えていないのではないかと思います。

 これは、皆さんの考え方と同じだと思いますが、リスクの主体は現時点のヒトだけではないということです。

 我々が考えるべきリスクの主体は、今日本に存在している我々だけではなく、他の地域に生きているヒトを考えなければならないし生物種、または時間軸も将来まで考えなければならないと思っています。あまり先まで考える必要はないと思いますので、500年後くらいを目指してトータルのリスクを考え、重要度をどのように考えるか重要視することはありますが、ゼロはありませんからミニマムで判断すべきだという考え方です。

 これは原発の話です。原発をどうするかはなかなか難しい話で、今分裂して出てくるプルトニウムをほったらかしておくと天然のウランの放射線量になるまで100万年かかります。ここまでやってしまったらしょうがないので、何が何でも増殖炉などを導入して1000年くらいで触れるようにすべきだという論者なんです、私自身は。トータルで考えたとき、放っておいたら100万年触れない物質を作ってしまった罪滅ぼしとして、我々は若干のリスクを背負ってでもやるべきだろうという論者なので紹介しました。

 次は、予防的措置についてです。

 この8月から始まった塩ビ製の玩具の販売禁止は、私は完全に予防的措置だと思っています。その規制の対象となる玩具の対象年齢は、米国ですと3歳以下ですが、日本では対象が未就学児童だろうと思います。

 暴露評価をされて、リスク評価されてきたのは、大変結構です。

 しかし、実際の答申を見ると、リスク評価を完全に越して何でもいいから安全サイドにすることが予防的措置だと思っているような気がしています。これについては、時を変えて議論させていただくかもしれません。

 いずれにしても、いかなる時においてもリスクはゼロにならない。従って目指すはミニマムであるというのが私の日頃言っていることです。

 完全にゼロリスクを重視しすぎると、例えば資源エネルギー大量消費が増えるといった色々な事が起きてしまうのではないかと思います。

 あとは、大局観として幾つかの事があると思っています。

 これは、乳児の死亡率が過去100年間にどのように推移したかというデータです。このような大局観を持つべきだと思います。

 少し古いデータですが、日本人の平均余命の推移です。これも大局観として持つべきだと思います。

 これは、世界全体を考えたときの損失余命ですが、世界的に一番大きい損失余命は相変わらず低体重、要するに栄養失調で20.7年です。これを許容しながら、我々はどのリスクをどこまで減らすべきなのか、議論すべきかという大局観を持つべきだと思います。

 要するに、色々なことを考えてきますと省エネルギーの場合なら正しい判断ができるのに、なぜリスクになると正しい判断ができなくなるのかが大変疑問です。省エネは大変重要です。テレビの待機電力は無駄、従ってダメというのは考え方として正しいです。ただし、昔のテレビの待機電力は3Wでしたが今は0.5Wです。それでは、皆で新しいテレビに買い換えることを考えるとテレビ屋は喜ぶかもしれませんが、どこかで環境負荷が大きく増えてしまうと思います。一方、待機電力が50Wの電気ポットには全く問題に挙がりません。このような状況で、テレビの待機電力を問題にするのはおかしいと思います。やはり、リスクはトータルにミニマムを目指すべきだと思います。以上です。

(北野) ありがとうございました。それでは、予定通り今から10分程休憩をいただいて、安井さんの講演に対しての質疑、全体としてのフリーディスカッションに移りたいと思います。3時半に再開します。

―― 休憩 (15:20 ~ 15:30)――


(北野) それでは再開します。農林水産省の染英昭さんが退席されたので、代理で島田純さんに着席していただいています。それでは、最初に安井さんのご講演について質問・意見を頂いてから全体についての議論を進めていきたいと思います。

(瀬田) 「ゼロリスクを目指す危険性」について、非常に面白くきれいにまとめていただいたと思います。従って、ゼロリスクをリスクミニマムに切り替えるべきである、大局観という概念を考慮すべきであるという意見に私も賛成です。
 新聞でゼロエミッションという言葉をよく見ますが、私はゼロエミッションという言葉に非常に抵抗を感じています。ゼロエミッションとは一体どういうことなのか。辞書で引いてみると、煙突、車からの排出・排気もありますが、基本的には熱や音、光の放出が基本的な概念だと思います。熱も光も出さない状況は達成し得ないと思いますから、ゼロエミッションには非常に色々な条件が付くだろうと思います。ですから、我々はリスコミという事を考えていく上で、言葉というものはきちんと使うべきだと考えています。そういう意味で、一つはゼロエミッションについてどのように考えているか伺いたいと思います。
 もう一つはリスクミニマムという考え方の中に、非常に重要な概念としてハザードとリスクの違いの問題があります。リスクゼロはないという概念は確かに皆さん頭では分かっていますが、金目鯛の件を見ても頭で分かっていることと実際の人間の行動は違うと思います。そのようなことをリスコミの中にどのように組み込んでいくか。ゼロリスクを目指す危険性という視点から見て、安井さんはどのように考えていますか?

(安井) 後者については、現在模索中で答えはありません。先程言ったように、ある種の悟りの世界なんです。悟りとは何かと考えると、結局は自分が主体となってものを考えること以外は無理でなかなか難しいようです。
 ゼロエミッションについてですが、国連大学が主催したゼロエミッションは「toward zero-emission」です。「ゼロエミッションに向けて」という意味です。その時点に比べて、ゼロエミッションの方が良ければその方向に進むという話です。ですから、極限までゼロエミッションが良いと考えた日本のある企業群が悪いと思っています。「そんなにいい子になりたいか!」ということをむしろ逆に聞きたいというくらいです。

(瀬田) その場合、エミッションというのはどちらの概念を取っているのですか?

(安井) 熱、音、光は入っていなかったと思います。私は熱も入れるべきだと考えていますが。特に、ヒートアイランド等を考えると熱も重要です。最初は、エミッションをwaste(注:廃棄物)と捉えていました。

(崎田) トータルリスクで見ていくというのは全くその通りだと思いますが、0か1かという話よりは、0に向けて皆がどのように努力していくか、その歩みを進めることに重要性があるのではないかと私は考えてきています。私はスウェーデンで企業や消費者の方がどのような思いでその歩みを進めているのかを知りたいと思い取材に行ってきました。ですから、ある程度幅を持たせた議論をしていくと良いと思います。後で時間を頂けたら、スウェーデンで取材した内容を話したいと思います。

(安井) 仰る通りだと思います。しかし、私はゼロという言葉が悪いと思っていているわけでして、どうしてミニマムではいけないのでしょうか?

(原科) ミニマムという言葉を使うと、どこまでがミニマムか?という議論になってしまいます。恐らく、アピールのためにゼロを使っていて、本当はtoward zero(注:ゼロに向かって)なんですから、その辺が分かるような上手い表現があればいいと思います。また、ミニマムを判断する情報がないため、そこで行き詰まっていると思います。
 実は、現在私がその経験をしています。長野県のゴミ問題に関する検討会で2年間委員をしましたが、当初はゼロエミッションを目指していました。しかし、住民の方に反対されました。情報を集めて詳細に詰めていったら、それは無理だということが分かりました。4年間で一般ゴミを3割減らすことができたら上出来だということが分かりました。それから、産業廃棄物は62%削減しましたが、これも上出来の結果です。ゼロではありませんが、ミニマムを目指しているのです。データを用いて丁寧に議論していかなければならないので、そのプロセスをどのように生み出すかが一番のポイントだと思います。

(北野) それでは、崎田さんに5分程資料の説明をしていただきたいと思います。

(崎田) 最初に、前提としてお断りしておかなければならないのが、私は社会学を専攻していた人間で、私たち消費者や社会全体でどのような仕組みを作っていったら良いか、普段からそのようなことに関心をもって動いています。そのような目で見ていただければありがたいと思います。
 なぜスウェーデンに行ったかというと、現在EUが化学物質規制を非常に厳しくしているという中で、企業や消費者がどのような行動を取ろうとしているのかを知りたいと思ったからです。その前提として、1ページに書いてある国連でGHS(Globally Harmonized System)、いわゆるハザード情報を表示して分類していくという勧告が出てきましたが、日本でも2006年までに導入するという国レベルの意志決定をしているようなので、できるだけ情報を増やしていくということが必要と考えています。
 2ページを見てください。スウェーデン政府がなぜ化学物質ゼロを掲げているかというのは、今の世代の活動の中で持続可能な社会を達成しようというのが、今の首相の大変強い思いということが背景にあるようです。法律はありませんが、国のビジョンとして環境ビジョンとして掲げたいということを2000年の国会に提出し、案として15の目標を提出しました。温暖化防止、フロン問題、大気汚染、水質汚濁等色々な事がありますが、その中の1つに2020年までに化学物質リスクをゼロにするという目標があります。ですが、スウェーデンの化学物質政策を担う政府機関の化学物質検査院に伺って、そのゼロ目標の担当者に話を伺いました。そうすると、やはりリスクゼロ、化学物質をきちんと管理してリスクを減らしていくことに向かって行こうという目標設定をするために、ゼロという言葉を使ったと仰っていました。これを目標にしたことで、多くの企業に積極的に取り組んで欲しいし、消費者が自分の選択行動に役立てて欲しい、全体の関心を高めるためにこのような政策を進めたいということははっきり仰っていました。
 そういう状態の中で、現実の会社ではどのような取り組みをしているのかと思い、建設会社(注:全サプライヤーが4万アイテム)が建設現場で使っている商品に対してどのような取り組みを行っているのか調べてきました。やはり、シックハウスに対する消費者の関心が強いため、塗料や壁材の環境評価をデータベース化し、家を造る際に使用する化学物質の量等を消費者に渡すという仕組みを作っていると仰っていました。判断するために15品目に分けて2000種類の情報をデータベース化して、環境的に使用しても大丈夫なもの、注意すれば使用していいもの、使用をやめて代替品に変えた方がいいもの、きちんと使える代替品がないので使用方法を限定して使うという注意書きのあるもの、という4つに分けていました。業界全体では、例えばベストマークという環境基準を作って業界で取り組んでいます。規制値を自分たちで設定して環境負荷を減らし、それを消費者の信頼につなげていこうという仕組みを自分たちの業界で作るという姿勢に感動して戻ってきました。
 そのような企業が多く、それを支えているのは消費者の関心の高さだと感じました。4pのを見て下さい。化学物質問題に一生懸命取り組んでいる自然保護協会では、多くの消費者の関心を高めるためにキャンペーンを行っています。今までの歴史の中で、選んで欲しい商品に自分たちでマークをつけ、企業と連携しながら進めているという姿勢が大変はっきり出ていました。このような仕組みを作るためには大変長い歴史があったと担当者が言っていました。企業にとって、単に環境のためだけではなくリスクを減らしていく方が評価され、商品が売れるという色々な面で得な状況を作る仕掛けを消費者側も作っていると感じました。
 そのようなことが、全体の仕組みとしてどうなっているのか、消費者庁という政府機関に伺いました。ここで発行している雑誌にロード&ロードというベストセラー雑誌があります。今、発行部数が12万部で、約60万人が見ていると言われています。これは、ほぼストックホルムの市民の数と同じです。買い物をするときにはチェックを見て買うという習慣が市民の中に根付いていると感じました。
 そのような意味で、環境影響情報のデータベース整備とそれを選ぶときの環境ラベル、両方の整備で企業の皆さん、消費者の皆さんもできるだけ暮らしの中、社会の中から影響を少なくし、リスクを管理していこうと流れが出来ていることを感じました。日本の私たちの暮らしを考えると、商品がどんな状況か一目でわかる表示がまだまだ少なく、消費者自身の冷静な関心も少ないです。もちろん熱心な消費者もいますが。色々な情報と消費者側の関心を高めながら選択できるような情報を広げる一歩がこれから流れていけばいいなと強く感じました。
 
(北野) ありがとうございました。時間が短く申し訳ございません。では村田さんどうぞ。

(村田) 安井先生への質問を一つだけよろしいでしょうか。損失余命の比較や日本の損失余命の推移をグラフで示していただきましたが、損失余命では計れないリスクについてはどのようにお考えでしょうか。

(安井) 極めて重要なことで局在化と絡んできます。子供へのリスクは大人と同じでいいのか、アレルギーをどう考えていくか、その辺について議論するときりがなさそうなので、今日はあえて避けました。ですから非常にマクロな議論に終始しています。

(後藤) 安井先生の資料でハザードレベルでの管理を考えないとありますが、これはもう対策が済んだということでしょうか。

(安井) いいえ、そういう意味ではありません。化学物質の場合、分解して変わってしまうなどの要素があるのでリスクで管理することがほぼ不可能なものが多いです。分解しないものでも最終的にハザードである程度管理していかなければいけない部分があると思います。有害なものであれば何らかの確率でリークすることも考えなくてはいけませんから、ハザードの高いものはやめるべきだと思います。そのような意味でハザード管理の方法がとられるのはしょうがないですけど、EUはハザードが低く、リスク管理が充分できるものまでハザード管理しているという印象です。

(中下) 安井さんにお伺いしたいのですが、自然のリスクと人工的リスクの表について、自然のリスクはどうしようもないにしても、リスクがある限りは人工的リスクと合わせて、人間のリスクを考えるのではないでしょうか。

(安井) もちろんその通りです。先ほど草間さんのお話にもありましたが、放射線のリスクがゼロの方がいいのかという話です。例えばカリウム40という放射性物質は我々の体にもあるわけです。場合によるとそれが生体に必須であるかもしれません。例えば、ヒ素や亜鉛は有毒な物質といいながら必須元素です。このように、範囲内であればリスクであると同時に場合によってはリスクじゃないという話もあります。人工的リスクも、生存に全く不自由がないくらい自然のリスクと変わらない状況になったら、減らす意味がなくなってくるということを考えた方がいいと思います。

(中下) 「どちらが実像か」と書いてある中で言うと、どちらの場合をおっしゃっているのですか。

(安井) 右側の方は意味がないと考えます。天然のリスクが多くある中で、上に少しだけ人工リスクが乗っているようなものは無視すべきだと思います。

(中下) 逆に言うと、自然のリスクだけで生体に与える影響がギリギリだという状態になれば、それ以上リスクを増やすのをやめようという考え方も当然あると思います。

(安井) そのような状況もあり得るかもしれません。ただそれは個々のケースであって、一般には天然のリスクの2倍で判断することがいいと個人的に考えています。

(北野) 今日はゼロリスク管理というテーマでお二人に講演いただきました。放射線管理や化学物質についてのお二人の意見全般に関してゼロリスク管理をどう考えていくかご紹介いただきました。後はフリーディスカッションにしたいと考えています。

(村田) ゼロリスクがとんでもないという流れになりかけているので、私はそれを擁護する立場でお話をしたいと思います。個人的にはもちろん化学物質のリスクをゼロにすることは無理だと思います。ただ一般に市民がゼロリスクを叫んだときに、言葉だけで理解するのではなくなぜそのようなことを言っているのかという背景を理解することからリスクコミュニケーションが始まると思います。それについて2つコメントがあります。
 リスクゼロが適当かどうかは、誰にとって何のリスクかということを特定しない限り、議論しても意味がないと思います。市民がゼロリスクを叫んでいた時に、全てのリスクをゼロにしろと言っているのではありません。例えば人工的に作られたAという物質の製造・使用に伴って発生するリスクがあるとします。それをゼロにして欲しいというのはどういうことかというと、リスクというのは暴露とハザードがあって生じるものですから、どちらかをなくして欲しいというわけです。一般的に言われるのが、その物質の製造を止めて欲しい、代替物質に変えて欲しい代替仕法に変えて欲しいという考えが裏にあると思います。その代替仕法をやれば、リスクのトレードオフもあるということを考えなくてはいけませんから、そのような意味でリスクゼロという言葉が発せられるということが一つあると思います。
 もう一つは、専門化がリスクと言った場合と一般市民がリスクと言った場合、同じことを言っているのかということです。私の理解では、専門的なリスクとは望ましくない事象が起きる確率のことですよね。それ自体に良い悪いはないです。我々一般市民がリスクといった場合、リスクとハザードを混同しているとよく批判されますが、全くその通りです。そのリスクによって生じる望ましくない事象で、かなり深刻で取り返しのつかないことが起きるということを念頭に置きながらそれをゼロにして欲しいという意味でリスクゼロと言っていることもあると思います。つまり個々のケースで中身を確認した上で、議論を進めていかないとすれ違いで終わってしまうような気がします。

(中下) 安井先生がおっしゃる「大局観で」というところに私は引っかかりました。草間さんから放射線のリスクについて詳しいお話を頂いて大変参考になりました。放射線については、ほとんどのことが分かっているからリスク管理ができる。ところが化学物質の分野では分かっていないことが圧倒的に多いです。残念ながら何万とある物質の中で分解した後どうなるか、あるいは複合的影響はどうなるかということがほとんどわかっていないに等しい。そのような中でどのように管理をしていくかがとても難しい問題です。それを大局観で、この程度大丈夫だと言ってしまうようなことではなく、私はもう少し原則に戻って管理できるものだけを使うという発想もこれからは大事ではないかと思います。例えばvPvB(注:非常に体内蓄積性が高い化学物質)のように、後でハザードが分かった時リスクが大きいとしても取り戻せない、修復が不可能だという物質に対しては毒性がわからなくても使用をやめていくということも一つのあり方だと思います。今のようにデータが大半分かっていないという状態の中で、どう大局観をもっていいのかということも一人一人選択できませんし、データを完備してデータがある物質しか使わない社会システムに転換していく必要があるのではないかと思います。
 私は崎田さんと前後して5月のREACH Systemができる時に、スウェーデンとEUに訪問してきました。EUは確かに安井さんがお考えになるような問題があるかもしれませんが、大きな方向性としては人間が管理していこうという考え方があります。そうしなければ人や生態系に被害が次々に生じてしまうのではないか、もう一度化学物質と人間との係りを考え直してみようという大きなスタンスに立っていると思います。日本でもそのような考え方を作り直す必要があると思います。今、放射線管理を一生懸命やっておられる努力をお伺いして、このくらい厳密に化学物質もやるべきとは言わないにしても、ある程度分かった中で初めてリスク管理が言えるのではないでしょうか。私たちとしては、金目鯛のように、分からないと選択したくないという判断になると思います。
 
(北野) ありがとうございました。安井さん、大局観についてどうですか。

(安井) 大局観と申しましたのは、おっしゃることは充分承知の上での話でして、わからないものはわからないのです。そのまま使えと言っているつもりはなく、先ほどからEUを批判しているのは、鉛などある程度よく分かっているようなものまで、本当にわからないのかと言いたいのです。

(中下) 鉛に関しては、すでに環境中に放出されたリスクが、かなり人間の限界に近い許容できない状況になっていることもあると思いますけれども。

(安井) そこの理解は違うと思います。鉛で一番重要なのは、ペンキとしての鉛を間違えたのかではないかというのが、欧米では反省があります。

(中下) 鉛は随分見直されてきていると思います。

(片桐) 安井さんへの質問になりますが、トータルのリスクを化学物質で考えて、どのような形で利用していくのでしょうか。逆に、何か基準を考えていくためにトータルのリスクを考えていくのでしょうか。

(安井) 使うものだと思っていません。基本的な発想法という域を脱していません。例えば500年先までのリスク全部を予測して、それでミニマムにすることは不可能です。生態系でもミジンコやユスリカから全て考えることは難しいです。ある意味では発想の問題だとお考えいただければ結構だと思います。今回は、これのこの部分でこういう規制を考えるということを明示しながら色々な事をするべきだとしか使えないように思います。

(片桐) 基本的には個々の化学物質が環境中に排出されていきます。その時に、その物質の排出の濃度は暴露に関係してくると思いますが、ハザードがわかっていればその時の影響も出てきますよね。それを小さくする方向に持っていくためには、他のリスクについても考えていかなければいけないというのがトータルリスクの考え方でいいですよね。そうすると、化学物質のリスクを低減するためには、どこまでトータルのリスクを広げていけばいいのか。どこまで考えていかなければいけないのでしょうか。

(安井) それは事例によって全く違います。先ほど村田さんがおっしゃっていた話で、Aという物質をやめる時に代替物質を使うと、代替物質とAとのリスクを考えて足し算して低い方を選ぶという意味ぐらいには使います。そのくらいの事だとお考え頂きたいと思います。これは思想であり、何かに使えるということではありません。

(原科) case by caseですね。考え方は非常に良いと思います。環境アセスメントの考え方と同じです。環境アセスメントでは計画とか事業といった人間があるアクションをとる時にマイナスの影響をトータルで見ていきます。そのような意味ではテクノロジーアセスメントですね。トータルリスクのチェックの仕組みをつくることができればいいですけど、そのための情報が十分ないので一般的には言えない、つまりcase by caseだと思います。

(片桐) 先ほどから中下さんと議論されている中で、個々の物質のリスクの考え方にすれ違いがあるのではないかと思います。当然、個々の物質について議論していくのであれば代替物質の有無やその他のことも考える必要がある中でトータルのリスクも考えられますが、全体を考えていくときにかなり難しい考え方だと思います。

(北野) 思想としてトータルリスクを考えるということですね。他にご意見ありますか?

(後藤) 色々なアンケートの結果を見ても、市民が「リスクはゼロであるべきだ」と思っているということはないと思います。ただ、先ほど中下さんからも出ましたけど、化学物質は放射性物質と違ってわからないことが非常に多いです。ですから、今後ハザードの管理は益々必要になると思っていたので、ハザードレベルでの管理を考えないという意味が分からず先ほど質問させて頂きました。EUがやっていることに良し悪しを言うつもりはありませんが、化学物質全体として10万種とか7万種とか言われる中で、おそらく今5千種くらいのハザードを計っていると思います。残りの9万5千くらいがどのような形で人間と環境に影響を与えるかが分からない部分が多いとなると、トータルでハザードを管理していくという発想をそろそろ持たなければいけないと思っていました。そのような意味で、円卓会議の化学物質の考え方における根本的な考え方だと思っていましたので、リスクコミュニケーションなどの手法ではなく、化学物質のハザード管理を日本全体で考えていくべきでなかいかと思います。おそらく産業界のメンバーの方も素材メーカーの方と最終製品メーカーの方は、現実に世界がグローバル化してEUが来年から25ヶ国になって4億数千万の人口になり、そこが非常に大きなマーケットになると、EUの考え方を拒否することはあり得ないと思います。昨日の日経新聞の記事にもありましたが、キャノンさんなどが中心になってグリーン調達基準を統一し、部品に含まれる有害化学物質について部品納入メーカーに対してデータを提出する責任を負わせるといったような方向にきています。日本の場合は省庁の縦割りの中で、例えば国土交通省がシックハウス、経済産業省等は化審法の見直しをバラバラにやっていますが、根本的にハザード管理の考え方を確立して、その中から色々な政策をつくっていくべきではないかと考えております。

(安井) 私はハザード管理をやるべきではないと言っているのではなく、根本にはリスク思想を持つべきであり、それではできない部分についてハザード管理をしなければいけないのはしょうがないと思います。実際、化審法ではハザード管理をしっかりやっていますよね。むしろ既存の方が怪しい気がします。ハザード管理が化学物質の基本の管理手法であるということに関しては反対していません。ただ、全てをハザードで管理するのではなく、基本はリスクだということを申し上げたいだけです。

(崎田) 今、ハザードとリスクの話がありましたが、市民にも分かるレベルでのハザード情報を出した上でどのようにリスク管理をしていくかを社会全体の仕組みの中でつくっていく時期にきていると感じます。ハザード情報の細かさについては、まだ問題があるのかもしれませんが、流れとしては着実にそのような時期にきていると思います。先ほどGHSのお話をしました。国連勧告ではありますが、生活者にもわかるようなハザード管理とリスク管理を進めれば、貿易の時にも楽ですし、消費者の購入行動にもつながりますので、産業界の皆さんもお考えいただきたいと思います。

(北野) リスク管理の基本にはハザードの情報があり、それに基づいてリスク管理をしていくというお話でした。

(田中) 化学物質は何万もありますが、ここではどのようなことを考えていくのかを整理しなければいけません。我々が知らない物質のハザードは考えにくいですし、またそのような物質は世の中に出回っていないと思います。つまり、世の中に出回っているものや工業的に使われている高生産量物質についてなのか、その辺りがわからなければどういう化学物質を扱うべきかという名案を私は持っていませんので、その点を考えて議論した方がすれ違いはなくなると思います。

(北野) 今、議論しているのは基本的な考え方で、それにどのように優先順位をつけていくかが次の具体的な行動の部分で必要になってくるのではないかという田中さんのご意見でした。

(和田) 私は日産自動車から来ておりますが、自動車会社は外から買ってくる部品が多く、1台当たり3千点から3万点の部品で構成されています。そうすると会社として化学物質は分かっていないものになります。例えば自動車に積んでいるオーディオにどんな化学物質が使われているかなど分かっていない領域が多くありました。実際EUでこのような情報が出てくると、まずは現状を掴もうというところから始まり仕組みを立ち上げたところです。これから中身に対してどうしていくか考える状況です。EUで規定している6物質については量的な抑え方をしていますが、これから会社全体として何十万とある物質をどう抑えていくかというところで、まずは1個1個の物質を抑え、次にどのように量的に減らしていくのかを考えている取り組みをしています。
 先ほどのゼロリスクの話が出ましたが、我々はゼロを目指して減らしていかないと説明がつきません。先ほどの話では出ていませんが、スウェーデンでは交通事故死亡者をゼロにする目標を掲げていました。これは世界で始めての試みです。日本政府も小泉首相が交通事故半減という目標を掲げているはずです。当然目標値をゼロにすると、アプローチが違ってくるのかなと思います。スウェーデンのゼロという目標は、外から見ると正直出来るはずがないと思いますが、そこをあえてなぜゼロに設定するのか勉強しようとしています。
 
(北野) ありがとうございました。ゼロを目標にしていくのか、ゼロに向けていくのか。ミニマムにしていくのとゼロにしていくのとアプローチが違うというお話を頂きました。

(角田) いくつか違いを強調するとわかりやすい議論になると思います。ゼロに関して言えば、例えば世の中の目標として無事故無違反のようなゼロ目標もあります。化学業界の環境報告書でも「何年間連続無事故無違反無労災です」というのを誇りにして達成を報告しています。つまり、物によってはゼロは目標値になりうる、安井さんが言っておられるゼロにすることとミニマムにすることの違いがどこにどのように現れてくるか明らかにすることが一つだと思います。
 また、リスクとハザードに関しても人によって解釈が異なります。リスク管理を基礎にした場合とハザード管理を基礎にした場合と、この物質であればこう違ってくるとか、具体的に言って頂けるとイメージしやすいと思います。
 それから、管理という言葉の考え方もコントロールとマネージメントで違ってくると思うので、その辺のことをしっかりおさえておきたいですし、誰が管理するのかも重要なところで、優先順位を決めるところでも誰がそれを決めるところに参加できるのかという話題が必ず出てくると思います。特に放射線の場合では、分かっていることが多いので管理する側はどのように防護すれば管理できるか、どのような施設を作れば管理できるかという仕組みがあると思います。患者の側から見ると、例えば歯医者に行って「放射線当てますか?」と言われると、それしか選びようがありません。それはどういう影響があるのかを患者の視点でわかりやすい言葉で説明して頂きたいと思いますし、医療の現場では努力されているわけです。化学物質のように、分からないことが多いことをどのように情報を共有して理解し、世の中全体としてリスクやハザードをどのようにして低くしていくのか考えた場合、それを誰が決めていくのかという議論が重要です。生活者にとってみれば、成分表示が変わってきましたが、表示されたものを見ても何パーセント入っているのかも分かりませんし、企業に聞いても企業秘密だと言われてしまいます。生活のレベルによって様々な化学物質を複合的に使っていくことがあるので、実際使っている場面でどのようなリスクがあるのかは違う議論として必要だと思います。使っている場面が分かっている人も優先順位の決定の場にいることが大事ではないかと思います。

(北野) ありがとうございました。今、放射線のリスク管理について角田さんから意見がありました。

(草間) ゼロリスクにするかリスクコントロールするかリスク管理するかは対象物質をどうするかという話にも結びつきます。しかし、ゼロリスクにしなければいけないものが化学物質にもあると思います。化学物質の場合は対象が非常に多いですし、これから何が出てくるかわからないことを考えると、少なくとも代替物質があるものに関してはリスクコントロールではなくゼロリスクにすべきだと思います。そしてリスクコントロールをしなければいけない対象は何であるかをよく検討する必要があると思います。少なくとも、リスクコントロールするものは代替手段がなく、明らかなベネフィットがあるものに関してはリスクコントロール以外ないという説明が大事だと思います。化学物質は何万種類もあるので、代替物質があるかハザードがないものを選択できるかどうか、物質によってはゼロリスクを目指さなければいけないものがありますし、リスクコントロールしなければならないものもあります。
 放射線の場合は一つの要因だけを考えればいいのですが、化学物質にはこの2つがあるという印象を持ちました。私はここでトータルリスクという言葉を使うことは、必ずしも良いとは思えません。専門外の人が聞くと化学物質とか物理的な要因のトータルという印象があります。リスクなどのように、わからないものを議論する時は、みんなが同じベースで考えなければいけないので、トータルリスクと言うよりも別の言葉の方が良いと思います。リスクコントロールする場合、化学物質全体で行うことはできないと思います。個々の物質ついて決めるとすると、何万種類もある物質全部を持ち寄っていいのか、ということになります。例えば放射線の場合は、今まで公衆に対しては1mSv/年という決め方をしていましたが、放射線源は多いので、最近では線量限度という言葉ではなく、線量拘束値という言葉を使います。線量拘束値とは、それぞれの放射線源の人が責任を持って管理します。リスクの持合をしなければいけなくなると、トータルリスクをいかに分配するかが問題になりますので、トータルリスクと言うと違う印象を持ちます。
 
(北野) 安井さん、その辺いかがですか?

(安井) リスクを考えるときに、リスクを発生させる物質とエンドポイントを考えますね。私の言っているトータルリスクとはエンドポイント上での積分をトータルにするものであり、リスクを発生させる物質を全部足すという発想はありません。単一物質のリスクでも、リスクのエンドポイントは1箇所ではなく色々なところにあるので、それを全てトータルにして、ミニマムにしようとする発想です。言い換えればエンドポイントトータルリスクミニマムです。

(北野) 角田さんからゼロリスクとミニマムリスクはどう違うか、どういうイメージで考えると良いか、リスク管理とハザード管理では、具体的にどのような違いが出てくるのか、というお話がありました。安井さんはその辺について、どのようなイメージを持ちますか。

(安井) 今すぐ答えはありません。リスク管理とハザード管理を変えていった場合に、具体的なことについてはこれから発掘すべきだと思います。まさに無労災の類にはゼロがターゲットになると思います。では、なぜ環境絡みのものはゼロにならないかというと、食事をしたり排泄したり水を飲んだり、基本的に人間が生きている行為そのものがあらゆるものに負荷を与えています。だからリスクはゼロにならないと思います。

(中下) 安井さんのお考えが分からなくはないです。しかしリスクはゼロにならないと言ったとたんに、リスクのコントロールや管理についてゼロにならないからしょうがないという考えになってしまうと思います。私は先ほど和田さんのご示唆のあるご発言は本当に大事だと思います。リスクはミニマムでいいからこのくらいはいいだろうという考えではなく、ゼロリスクを目指していく、許容しないという考え方でやっていくとしてもリスクは出てきます。でも、生産プロセスやコントロールの仕組みも全部変えていくようになりますし、草間先生がおっしゃったように代替品があるものに関しては、それに変えていくようになります。ヨーロッパでも予防原則や代替原則を化学物質管理の大きな原則にしてきていますが、これはゼロリスクを目指して今の管理のあり方を根本的にもう一度考え直そうという発想からきています。私もこのような考え方でやっていくべきではないかと思います。

(北野) 安井さんも反論があるようですが、私もあえて言いません。代替するかどうかについてはハザードがベースにあるわけです。代替物質を使うことによってリスクが別に出てくるのではないかということを安井さんはおっしゃっていると思います。

(横山) ハザード管理やリスク管理などやることは多いのですが、現実にはグリーン調達のような形で色々動き出しています。前回の会議では28社がまとまって色々な調達基準を考えていると言いましたが、それが今46社になりました。対象とする物質が何万とありますので、的を絞るべきだと考え、その作業は進んでいると思います。例えばPRTRでは約600物質、EUは電化製品に関係ある六価クロム、水銀、カドミウム、鉛については禁止することになっていますので、この辺については絞られています。
 600ある、1000あるという中で、例えば物質が数千あっても一万あっても国内では化審法で規制されている、PRTRの第一種物質である、爆発物になっている等によって1つ1つ点数をつけ、30点以上は自主的に禁止、20点までは削減、10点までは管理していくというような努力はしています。また、EUで7年間議論して今年の春に決まったRoHSについても、その7年の間はどのような方向になるかフォローしながら対策は立てておりました。REACHも2007年や2010年に成立するとか、国際的な取り決めで2020年までには必ずやるとしているので、どうなるかについて十分注意を払いつつ、代替物質の技術開発についても議論して努力していることを理解していただきたいと思います。

(崎田) 今のお話や和田さんのお話で、産業界の方も一生懸命に取り組んでいるという状況がわかり大変うれしく思いました。先ほどもお話しましたが、スウェーデンに実際取材に行って思ったことは、1つ1つの会社で取り組んでいる中でその負担や作業量が大変多く自分たちの業界が使っている全物質の中の大事な情報を共有して、データベース化するというような動きを感じました。そして、自分たちがやっていることの仕組みや企業の努力を消費者にわかっていただくように伝えることで、好循環につながればいいと思います。

(原科) 今の関連ですが、それぞれの企業が努力していらっしゃることはよくわかりました。今、崎田さんがおっしゃったように、消費者との関連についてはもう少しがんばっていただきたいと思います。また、先ほどの崎田さんのレポートに、建設会社の例がありました。環境先進企業ということで、努力して情報公開をしているということでした。また、それが信頼感を生んでいるということでした。そのような努力を是非していただきたいと思いました。恐らく、その準備はされていると思いますが、それが国民に伝わっていません。是非、そのアピールをしていただきたいと思います。そのためには、消費者が相当な要求を出していますし、企業の努力を消費者が評価することが企業のメリットに繋がります。日本でもそのような方向を是非お願いしたいと思います。

(後藤) 日本の企業の努力は、世界でもトップレベルだと理解しているつもりです。ただ、環境問題については、意志決定に市民参加をすることが最も効果的であるということがリオ宣言の第10原則に書いてあるわけです。管理においては、日本はその部分がブラジルのサミット以降ほとんど進んでいないものすごく大きな要素だと思います。欧州の場合、RoHSやREACHなどありますが、オーフス条約が発行され、情報へのアクセスと市民参加、司法へのアクセスを着々と実現しつつあります。社会のシステムで、日本はここが非常に遅れていると思います。個々の企業の努力は、世界のトップレベルだと理解していますが、化学物質において社会システムを今後徹底的に追及していかなければならないと思っています。

(原科) 全く同感です。

(草間) 放射線の領域でも、まさに国民参加が問題になっていて、いかに意志決定に対してどれだけ国民、あるいはリスクを受ける側が参加することが大変重要ではないかという方向になっています。先程、安井さんはリスクコミュニケーションを悟りと話されましたが、「悟り=諦め」になってしまいます。私は、リスクコミュニケーションはいかにお互いが信頼し合うかだと思います。放射線の領域、特に原子力発電所等では、できるだけ国民に対して情報提供するといった点にたくさんの力を注いでいるつもりです。ですから、企業がどれだけ信頼してもらえるかがリスクコミュニケーションだと思っていますので、情報をオープンにしていく、透明性を図っていく、できるだけ必要としている情報を公開していくということが非常に重要だと思います。

(有田) リスクコミュニケーションという言葉よりも、化学物質と住民の関係は原子力のリスクコミュニケーションよりも進んでいると私自身は認識しています。原子力は、色々な危険性が懸念されていて、市民参加、情報公開が進んできたと思いますが、ゼロリスクの「ゼロ」が共通認識にならない限りはいつまで経っても話し合いが進まないので今日の議論になっていると思います。先程、安井さんがお話をされるにあたって反論が出てくると仰っていましたが、標題が危険なだけで中味は危険ではないと思いました。そういう意味では、私たちはゼロリスクが難しいと分かっていても、それをやめたとたんに企業が努力しなくなるのではないか、行政が何もしなくなるのは避けたいというのが根底にあって、どうしても「ゼロリスク」と言ってしまうところがあります。ゼロに対して共通認識を持つという点が重要だと思いますが、本日の話を聞いていてその点が明確になっていないと思います。

(北野) 行政4省のメンバーから行政の立場として個人の意見をお願いしたいと思います。

(福水) 本日初めて参加しましたのであまり難しいことは言えませんが、安井さんの話を聞いて「先生は思いきったことを言えていいな」と思いました。今日非常に印象に残った言葉は「大局観」です。私も大学時代に科学的な勉強をしてきた観点からすると、「ゼロリスクをやる」というのは非常に難しいというのが先に立って、ミニマムでやっていく方が肩肘張らなくて皆で取り組めるのではないかというのが私の個人的印象です。
 二つ目の印象は、日本の企業が良くやっているということでしたし、恐らく消費者も立派でしょうから、そうすると日本の社会の中でダメなのは行政だけかと思いました。EUの政府は、非常に立派でRoHSやREACHを作って産業界の方もそれに向けて一所懸命努力されているということでしたが、「我々は何を目指してやっていけばよいのかな」という印象を受けました。22年前に化審法を世界に先駆けて日本で作りましたので、我々も決して劣っていないと思っていますが、そういう意味でリスクが減る方向で最大限努力していくというのが一番だという印象を受けました。

(鶴田) リスクミニマムでどこを目指すかというときに、できるだけ情報を出していくことが重要だと思います。行政もそうですし、国際的な情報を含めた企業の持っている情報もそうです。様々な情報が出れば、目指す方向も見えてくるのではないかと思います。しかし、企業秘密等もありますので、その点についてはご理解を頂く必要があるのではないかと思います。

(滝澤) 私はまだ着任2ヶ月なので専門的なお答えができませんが、ここではゼロかミニマムかを選ぶために議論し、1つを選んで1つを捨てるという感覚ではないはずなので、我々なりに環境省として1つ1つ取り組んできているつもりです。今日、たまたま家電業界の方と朝の懇話会でお話ししましたが、彼らの意見は、EUはこう言っている、日本ははっきりしない、アメリカはもっとはっきりしないといった規制的なことにムラをどうにかして欲しいということでした。企業活動において非常にやりにくいということでした。ここは、我々が勉強しなければならない点で、本日も一部が紹介されましたが、今後どのようにラジカルに動いていくのか、そのラジカルさが適切なのか、そこがまさに円卓会議で今後議論される点だともいます。見極めてなおかつ分かっていること、対策可能なことは法的にも追加していくという事だと思います。評論家めいて恐縮ですが、ゼロかミニマムかどちらに着くかということで、AグループとBグループに分かれてしまうのはあまり良くないと思います。皆で智恵を出し合って、ベターな制度、ベターな実態になっていけば良いかと思いました。

(島田) スローガンとしてはゼロリスクというのは分かるが、その一方で手法やアプローチの方法としてはリスクの最小化というのが当然としてあるので、対立する概念ではないと思います。スローガンと手法を使い分けてその最適化というのが一番現実的なアプローチという印象を持ちました。

(北野) ありがとうございました。この場は、最初から申し上げているように結論を出す場ではないので、敢えて私もまとめるつもりはありませんが、予定ではあと10分時間が残っていますので、もうしばらく議論を続けたいと思います。

(中下) 先程仰られたように根本的な対立があるわけではありません。ゼロリスクが無理だということは私たちも分かっています。ただ、それを目標に掲げることで発想の転換が必要だということが私の一番申し上げたかったことです。従来の枠組みの中でミニマムにするのか、それとも枠組み自体を徹底的に変えてしまうかは違いがあります。今、縦割りの中で4省のメンバーがいらっしゃいますが、4省がもう少し連携を持つという発想の転換をして、どのような枠組みを作っていくか、その際には後藤さんの発言にあった市民参加の仕組みをどのように作っていくかが問題になります。また、GHSは各省庁全て関係しているので、相互的に協力せざるを得ません。相互的な管理の仕組みを我々が21世紀に作っていかなければならないということを申し上げたかったわけで、決して対立している趣旨ではありません。GHSの取り組みについてお話を伺いたいと思います。

(福水) 我々一致団結、日本政府として強力に進めているつもりです。外から見ると縦割りバラバラに見えるかもしれませんが、逆に競争しながらより進んでいる場合もありますのでGHSは上手くいっていると思います。そういう激しい意見を外から言っていただけると益々団結力が強くなります。
 GHSについては、現在検討されていて、日本政府もいずれやってくと個人的に思っています。先程、滝澤さんから家電業界と話して一番問題になっていたのが、EU、日本、米国などで規制が異なる点でしたが、これが一番ビジネスをしにくいんです。家電業界が原料を購入しているのは国内ではなく東南アジアの方が多いのです。そのサプライチェインまで全て管理しなければならないということで、今からこの大問題を解決していかなければなりません。GHSの仕組みをハーモナイズして国際的にやっていくのは不可欠です。そのような意気込みで取り組んでいきたいと思います。

(中下) SAICMというものもありますよね?

(安達) GHSについては、関係省庁連絡会議を既に持っておりまして、本年7月に出されましたGHSに関する国連勧告に各省庁がどのように取り組んでいくか、ご指摘の通り非常にたくさんの法律に関わることでもありますし、たくさんの省庁にも関わりますので、関係省庁で現在勉強しているところです。具体的には、非常に厚い報告書を各省庁で分担して翻訳しているところです。また、SAICMにつきましては、先般のヨハネスブルグサミットで作成されました実施計画の中でも取り上げられております。これに国際的にどのように取り組んでいくかについては、IFCSの中でも内容を練っていくことになっております。ただ、まだSAICMの中にどのような項目を取り込んでいくかについては各国とも様々な思惑があり、環境省においても情報収集に努めているという状況でございます。

(北野) ありがとうございました。

(横山) ヨーロッパの話や国際的な話し、GHSやRoHSなど様々な話が出ていますが、これらの歴史を見てみると、3回くらい案を出して挫折してを繰り返しています。そのルーツはアメリカにあったりヨーロッパにあったりします。挫折の原因はコストです。色々な制度のコスト負担の目途が立たずに白紙に戻しています。従って、REACHもかなり難しい局面が出てくると思います。
 RoHSは、ここ7~8年の間にさんざん議論され、鉛や六価クロム等を禁止しました。この禁止の限界を1000ppmにするか、2000ppmにするかで随分議論されました。自動車の規制が1000ppmに決まっていたので、それにしようという日本やヨーロッパの意見と2000ppmにしようと言うアメリカの意見とでさんざん議論して1000ppmに落ち着きました。結局は、分析限界で決まりました。安く分析できるのが1000ppmまでだという現実的なところで決まりました。先程から出ています大局観や現実的ということは非常に重要なことで、最後はそこに落ち着きます。そのようなこともありまして、日本の取るべき道は現実的なところを見て、コスト負担をどうするかを考えなければなりません。市民の参加も勿論貴重ですし、市民のそれなりの責任も必要ですし、コスト負担をどうするかも議論していきたいと思います。

(北野) 予定ではあと4~5分ありますが、もう少し意見がある方はどうぞ。

(瀬田) 最初にゼロリスクの問題について申し上げたときに、リスコミについて我々は様々な立場で長い間議論してきました。その時に、言葉を正確に使いたいということでこの問題を出しました。今、どちらでも良いという意見がありましたが、現実には我々産業側が考えている言葉遣いが市民の立場で聞くとおかしいと思われたらマズイと思います。草間さんが分からないことについては言葉を選んで使うと仰ったことは非常に印象的でした。我々はそういう意味で議論しています。少なくとも私はどちらでも良いと思っていません。

(滝澤) どちらでも良いというのは恐らく私の発言だと思いますが、例えばこの円卓会議で今日提案されたミニマムを使うことが決定したとしてどうでしょうか、という懸念を申し上げただけで、言葉の定義をしっかりしろという一般論は分かります。ディスカッションでどちらかを採用する、しないということに終始し、頓挫してしまうことがあってはいけないということで申し上げました。決めた方が良いというのであれば、充分議論して決めるのがよいですが、今日はそれが目的ではないと思っています。

(北野) 円卓会議は結論を出す場ではありませんが、今までのお話を伺っていると決してリスクミニマムとゼロリスクは対立する概念ではなく、目標としてはゼロでアプローチの仕方がリスクミニマムで、どの点をミニマムに決めるかは情報公開や市民参加が必要だと思いました。また、ハザードだけで管理すべきではないという話だったと思います。
 ただ、これはあくまでも私が受けた印象で円卓会議の結論ではありませんが、かなり良い議論ができたと思います。そう言う意味で、草間さんと安井さんに現状報告や問題提起をしていただいて改めてお礼申し上げたいと思います。どうも有り難うございました。
 ちょうど時間となりました。この後、ビューロー会合を開いて次回以降のスケジュールと議題について今日の議論を踏まえた上で相談したいと思っています。本日は、長時間有り難うございました。