環境省環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書平成25年版 環境・循環型社会・生物多様性白書状況第1部>第1章 東日本大震災からの復興の先に目指す豊かな地域社会の実現に向けて>第1節 放射性物質に汚染された地域の復興に向けた取組

第1章 東日本大震災からの復興の先に目指す豊かな地域社会の実現に向けて

第1節 放射性物質に汚染された地域の復興に向けた取組

 東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、環境中に放出された放射性物質は、甚大な環境汚染を引き起こし、同原子力発電所を中心に大きな影響がありました。事故の影響は発災から2年以上がたった今も続いています。「子供達が安心して暮らせるようにしたい」、「伝統行事を開催したい」、「大事に育ててきた農作物を安心して食べてほしい」といった声が多くあがっています。

 こうした地元の声を踏まえ、我が国としては、復興を進めていくための着実な取組を進めています。


写真1-1-1 除染特別地域の除染現場(福島県大熊町)

1 東京電力福島第一原子力発電所事故による影響

 東京電力福島第一原子力発電所の事故によって環境中に放出された放射性物質は広範囲に拡散しました(図1-1-1)。その後、物理的減衰やウェザリング効果、さらには除染による効果等により、被災地の空間放射線量は低減してきていますが、依然として多くの放射性物質が一般環境中に残存しています。


図1-1-1 航空機による放射性物質のモニタリングの結果(左:地表面から1m高さの空間線量率、右:放射性セシウムの沈着量)

 また、東京電力福島第一原子力発電所事故は社会的にも大きな影響を及ぼしました。同事故の発生以降、市町村は、国の指示に基づき、同原発から20km以内の地域を警戒区域に、事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれがある地域を計画的避難区域に設定してきました。避難指示区域等からの避難者数は、平成25年3月時点で約10.9万人となっています。福島県全体で見ると、避難者数は全体で約15.4万人に上り、福島県内への避難者数は約9.7万人、福島県外への避難者数は約5.7万人となっています(図1-1-2)。また、富岡町、双葉町など警戒区域に位置していた自治体は、県内外に自治体機能を移しています。


図1-1-2 東日本大震災の影響による被災3県の人口移動

 産業の復興状況については、被災地域の鉱工業生産能力は震災前の水準にほぼ回復しましたが、業況は経済動向の影響を受けています(図1-1-3)。農業・水産業・観光業も改善が見られますが、本格的な復興は今後の課題となっています。特に第一次産業は、風評被害や出荷規制などにより、大きな影響を受けました。福島県における米の作付面積及び収穫量は大きく減少し、同県産の野菜等の価格も落ち込んでいます(図1-1-4図1-1-5)。


図1-1-3 全国と福島県の鉱工業生産指数の変化

図1-1-4 福島県産水陸稲(計)の作付面積と収穫量の推移

図1-1-5 福島県産農作物の価格指数の推移

ベクレルとシーベルト

 体が被ばくすることで受ける影響の程度は、Sv(シーベルト)という一つの単位で表されています。外部被ばくでも内部被ばくでも、数値が同じであれば体が受ける影響も同じです。一方、放射線に関してしばしば使われる単位Bq(ベクレル)は放射性物質から放射線を出す能力そのものを表しています。

2 事故前の環境を取り戻し、前に進んでいくための取組

 東京電力福島第一原子力発電所事故によって放出された放射性物質による環境の汚染が生じており、これによる人の健康又は生活環境に及ぼす影響を速やかに低減することが喫緊の課題となっています。

 子供の健康への影響を考慮すれば、学校や公園など子供の生活環境の放射線量を下げることを最優先で行う必要があります。また、住宅とその周辺の放射線量を下げていくこと等が求められています。

(1)放射性物質対策

 我が国では、「平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」(平成 23 年法律第 110 号。以下「放射性物質汚染対処特措法」という。)に基づいて、除染が行われています。

ア 除染特別地域の除染

 国が除染の計画を策定し除染事業を進める地域を「除染特別地域」として定めています。現在、福島県内の楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村及び飯舘村の全域並びに田村市、南相馬市、川俣町及び川内村の区域のうち警戒区域又は計画的避難区域に指定された区域の計11市町村を除染特別地域として指定しています。平成25年3月時点では、9市町村で実施計画を策定し、順次除染作業を行っています。我が国としては、平成24、25年度の2カ年で除染を実施することとしていますが、計画期間の半年前である平成25年夏頃を目処に実施状況を点検し、必要に応じて、スケジュール等を見直すこととしています。

イ 汚染状況重点調査地域の除染

 除染特別地域以外の地域についても、放射性物質汚染対処特措法に基づいて「汚染状況重点調査地域」を指定しています。指定した市町村等は、除染の実施計画を策定します。国、都道府県、市町村等は、それに基づいて、除染等の措置等を実施しています。

 汚染状況重点調査地域については岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県内の合計101市町村が指定されています(平成24年12月現在)。平成25年3月現在、94市町村が計画を策定済みであり、除染作業が進められています。

(2)子供達の生活環境に安心を取り戻すための取組

 子供達が日々生活する学校の校庭、通学路なども放射性物質に汚染されました。小中学校、幼稚園・保育所など子供の生活環境における除染を優先的に進めています。

 例えば、福島県福島市では、平成24年3月時点で市内のほぼすべての小中学校等の除染を終了し、公園や運動場などの除染を引き続き実施しています。

(3)安心して生活を送れる環境を取り戻すための取組

 住宅の除染は地権者の同意等を取りながら進められています。

 住宅の除染が進んでいる例として、平成25年3月時点で、川内村ではすでにほぼ全戸、広野町では約9割の除染が完了しています。

伝統行事を開催するために

 人々の日常の中で欠かせないのが、地域における年中行事である「祭り」です。福島県内の放射性物質に汚染された多くの地域では、屋外で祭りを行うことができなくなりました。東京電力福島第一原子力発電所の事故は何百年も続いてきた伝統行事の存続自体を危うくさせたのです。

 福島県南相馬市等で行われている「相馬野馬追」は、福島県の夏祭りを代表する国指定の重要無形民俗文化財です。千年以上続くといわれるこの伝統の祭りも平成23年は、緊急時避難準備区域だった祭場地での神旗争奪戦や甲冑(かっちゅう)競馬を中止にするしかありませんでした。住民の「今年こそは通常どおり開催したい」という想いを受けて除染を実施し、平成24年に2年ぶりに通常開催されました。神事が行われた3日間には、県内外から15万人以上もの観光客が訪れました。

 また、福島市岡島の鹿島神社では840年続くという福島県指定の重要無形民俗文化財、「水かけ祭り」が毎年10月に行われていました。平成23年は神社敷地内の放射線量が心配され、子供の参加も多いことからやむを得ず祭りが中止となりました。福島市の当初の除染実施計画では、鹿島神社の除染は平成25年度に実施される予定でした。しかし、「これ以上中止が続くと、祭りを守ること自体が難しくなる。今年は何としても実施したい」と、伝統を担う若い世代から声が上がり、平成24年度に除染のスケジュールを繰り上げて優先的に除染を行ったところ、平成24年10月には2年ぶりに祭りを開催することができ、多くの子供達も参加しました。


1年ぶりに開催された相馬野馬追

除染のその先へ~福島県川内村を訪ねて~

 東京電力福島第一原子力発電所事故後に全村が避難した福島県川内村は、平成24年1月に「帰村宣言」を行い、村外に避難された村民に「戻れる人から戻ろう」と呼びかけています。遠藤雄幸村長は、「除染はすべてのスタート。徹底的に進めていくことが戻ろうとする人たちの動機付けになると思っています。除染の結果、空間放射線量は4割から6割程度下がりました。自然減衰もありますが、意図的に技術力をもって除染をしていくことはやはり効果があると思っています。客観的な数字を見て村への帰還を判断する人たちもいます。そういう人たちは、除染を徹底的にやってほしいと考えていると思うんです。」と語ります(以下、「 」内は村長の言葉。)。除染に最優先で取り組み、平成24年3月に学校など子供達の生活環境の除染は終了、平成25年3月には住宅の除染もほぼ終了しました。「村も除染を徹底的にやろうという方針で進めてきました。これからも長期戦だと思います。森林除染など残っているところをやらないという選択肢はないと思っています。きちんと自分たちでやれるところは自分たちがやるし、国の方も直轄でやらなければいけないところはしっかりやってほしいと思います。」


川内村 遠藤雄幸村長

 村民約3000人のうち、戻ってきたのは完全に帰村した村民と週4日以上村に戻ってきている村民をあわせて4割程度。「もっと時間がかかると思っていました。(戻ってきた人数は)想像以上に多かったと思います。」帰村のために、医療環境、子供の教育環境、身近なところで買い物ができるか、など本当に必要最低限なインフラの復旧に取り組んでいます。「事故前は自分の村にないものを、近隣の自治体で補っていました。隣の自治体はしばらく戻ってこないという現実の中で、必要最低限な分は自分たちで完結していかないとなりません。」

 村内の小中学校、幼稚園には計40人の子供達が戻ってきました。「子供がいない自治体は消滅します。子供達が戻るためには、医療環境、親である若い人たちの雇用、身近なところで買い物ができるか、などあらゆることが関わってきます。」事故前は隣の自治体に頼っていた雇用を村内で創出するために、民間企業の工場の誘致を進め、野菜工場も建設しました。商業施設の建設も計画中です。「住民が戻らない中で既存のお店が再開できず、帰還した人も買い物ができない状況です。既存の店の人たちと力をあわせて商業施設を作ろうという話になりました。」


川内村に戻ってきた子供達

 東日本大震災の前には戻れないが、新たな川内村をつくっていくことが村の復興だと語る遠藤村長。除染と村のインフラ整備をしっかりと一つひとつチェックしながら進めています。「戻らない理由は色々ありますが、基本的にはみんな戻りたいと思っています。私たちはその気持ちを受け止めて、帰還を判断するための材料を整えていく作業をしているんです。」

 現在、戻ってきている住民の多くは高齢者で、20代以下の若者の帰還はこれからです。「私の最大の使命は、子供達が戻れる環境をどうつくっていくか。今戻ってきた子供達が、学校や家庭で生き生きと楽しく過ごせるようになったら、その嬉しそうな表情が、避難されている人たちが戻ってくるきっかけになると良いなと思っています。」

除染のその先へ~福島県広野町を訪ねて~

 福島県浜通りの海岸沿いに位置する広野町では、現在も多くの町民が町外に避難されています。平成24年3月に役場の機能を町内に戻し、町民の帰還を呼びかけています。除染をいち早く進め、子供達の生活環境では平成24年8月に、住宅でも平成25年3月時点でほぼすべて、農地も60~70%が終了しました。山田基星町長は「何とかして町民が元の生活に戻れるようしたい。そのために今やれることを一歩一歩進めていきます。」と語ります(以下、「 」内は町長の言葉。)。


広野町 山田基星町長

 町長は「一人でも多くの子供達に学校に戻ってきてもらいたい。」とも語ります。安心して子供を育てられる環境にするために学校の除染を最優先で行いました。帰還を呼びかける中で、震災前の5分の1程度の100名の子供達が町に戻ってきています。


体育館での運動会

 帰還のためには、除染のみならず、生活の場や医療、教育などの機能を整えることが必要となります。地震や津波で家を失った町民が住む場を提供するための災害公営住宅の整備が帰還の第一歩と考え、進めています。また、帰還後も健康管理を受ける体制を整えるなど医療環境の充実も急務となっています。

 「除染が終わった農地に水を張って、田植えをして緑の色が見えるようになったら、少しはホッとするでしょうね。」広野町は米の栽培や温州ミカンなど農業が盛んな町でした。平成25年は、100軒以上の稲作農家が作付けを行うことにしており、町は種もみも配布しました。直売所も再開します。「いっぱい実ってほしいと思っています。まずは、畑作や稲作ができるようにしていくことで帰還する人も増えてくるのではないでしょうか。収穫物も、全数調査をするから、これ以上安心な物はないと売り出していきたいですね。」と山田町長は期待をにじませます。

 「復興のために取り組みたいことはたくさんあります。少しでも希望が持てるように、町民の不安を払拭していかなければなりません。」広野町は浜通りの双葉郡の市町村の中でも放射線量が比較的低いため、復興に向けた取組を率先して進めています。今後、他の市町村の復興が進んでいくためにも「まずは広野がやらなければ。」と強い決意で町の復興に臨んでいます。

3 放射線の中長期的な健康影響に対する不安と向き合う取組

 我が国では、低線量被ばくへの不安はいまだに大きな課題として残されています。

 福島県では、全県民を対象に中長期的な健康管理を行うため「県民健康管理調査」を実施し、各個人の行動記録の調査に基づいて被ばく線量を把握するとともに、震災時に18歳以下であった全県民に甲状腺超音波検査や健康診断等を行っています。このほかに、体内の放射性物質の量を測定して内部被ばく線量を測定するホールボディカウンターを使用する検査や、中学生以下の子供及び妊婦に対する個人線量計(ガラスバッジ等)の貸与などを実施しています。


図1-1-6 福島県県民健康管理の概要

 国では、福島県民の中長期的な健康管理を可能とするため、平成23年度第二次補正予算により、福島県が創設した「福島県民健康管理基金」に782億円の交付金を拠出し、県を支援しています。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故発生による被災者をはじめとする国民が抱える放射線による健康不安については、これまでもさまざまな取組を講じてきました。

 しかしながら、次のような問題があり、依然として不安を十分に解消できていない状況が明らかになってきました。[1]被災者等の不安を十分に踏まえた情報発信をしていたか(平易な用語の使用等)、[2]不安を感じている被災者等との双方向のコミュニケーションが不足していなかったか(専門家等からの一方的な情報発信に偏っていなかったか)、[3]不安解消のためのコミュニケーションを行う人や場(拠点を含む)が十分に確保されていたか。

 関係省庁等がこうした問題意識を共有した上で、必要となる施策の全体像を明らかにし、我が国が一丸となって健康不安対策の確実な実施に取り組むべく、平成24年4月20日に、環境大臣を議長とする「原子力被災者等の健康不安対策調整会議」を設置し、同年5月31日にアクションプランを策定しました。このアクションプランでは、[1]関係者の連携、共通理解の醸成、[2]放射線影響等に係る人材育成、国民とのコミュニケーション等、[3]放射線影響等に係る拠点の整備、連携強化、[4]国際的な連携強化、を進めることとしています。

チェルノブイリ原子力発電所事故後の周辺国の健康不安への取組

 1986年(昭和61年)に起きたソビエト連邦(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所の事故では原子炉が爆発し、大量の放射性物質が周辺地域に広範に降下しました。後に国際原子力事象評価尺度では最悪のレベル7(深刻な事故)に分類されました(東京電力福島第一原子力発電所の事故は暫定的にレベル7)。チェルノブイリ原発事故の後、周辺のウクライナ、ベラルーシ等では住民の移住が行われましたが、依然として近隣住民の健康影響に対する不安は続いています。こうした不安解消に向けて行われている取組を紹介します。


1 ウクライナの取組

 ウクライナでは、緊急事態省が1994年(平成6年)から2000年(平成12年)にかけて社会心理復帰・情報提供支援センターを同国内に5か所設置しました。これは国連開発計画(UNDP)とウクライナ緊急事態省が共同で行う、「チェルノブイリ復興開発計画」の一環で設置されました。同センターでは、放射能汚染や被曝防護に関する情報提供、住民の社会的・心理的リハビリ支援、放射能汚染に関する問題調査などを実施しました。

 主な事業としては、[1]住民の個別カウンセリング、[2]トラウマをもつ住民等へのグループワークによる心理的サポート、[3]子供の心のケアのためのプレイパークの設置・運営、[4]放射線防護に関する教師向け手引書の作成、[5]国連、国際原子力機関(IAEA)と連携したスタッフ養成のためのセミナーの実施[6]子供の親、教師などキーパーソンが発信する情報に誤りがないか確認し、誤りがある場合には修正、などを行いました。


子供のためのプレイパークで使用されている教材

2 ベラルーシの取組

 ベラルーシでは、2つの取組が行われました。

 1994年(平成6年)から1995年(平成7年)にEUが実施した「ETHOSプロジェクト」は、ベラルーシのストレイン地区オルメイン村(人口1,265人の農村)で住民と専門家がワーキンググループをつくり、住民が主体的に参加して自ら問題発見を行い、その解決によって環境改善を行うプロジェクトです。

 同プロジェクトの中で、母親たちが身の回りの放射線レベルを把握していなかったことから、同プロジェクトの中で、育児室等子供の生活環境の放射線量や食品の放射能濃度を住民自身が測定し、子供が気をつけるべき放射線量の目安を住民自身が議論して決定しました。また、汚染された牛乳による子供への健康影響が懸念されていたため、自家用牛乳の放射能濃度を個人酪農家自身が測定したり、自主的に参加した牛乳生産者が「牛乳汚染マップ」を作成するなどし、汚染されていることが分かった牧草地から生産された飼料の品質改善にも取り組むことができました。


母親たちが決めた放射線量の目安

 2003年(平成15年)から2008年(平成20年)には、ベラルーシと国連開発計画(UNDP)等が協力して、4つの地区で「COREプロジェクト」を行いました。このプロジェクトでは生活の改善や汚染地域の発展のため、妊婦に向けて被ばく低減のための方法を教える取組等に対して資金提供者を募るとともに、専門的支援を行いました。