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里なび

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活動レポート

里なび研修会 in 福井県勝山市
【里地里山保全・活用の全国ネットワークづくり(全国「里の達人」サミット)】

日時 平成25年9月11日(水)13:30~17:30
場所 福井県立恐竜博物館

■概要
 里地里山など人が関わることにより維持されてきた二次的自然環境における生物多様性の保全やその持続可能な利用の促進を目指すSATOYAMAイニシアティブの活動を促進することを目的とした「SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ」(IPSI)第4回定例会合(IPSI-4)が9月12~14日福井県内で開催された。
 このIPSI-4にあわせて、里なびや関連する取組にかかわりを持った人々に集まっていただき、交流を深めるとともに新たな知見や情報交換を行った。今後の里地里山づくりに向けた想いを新たにしながら、里地里山保全活用の全国ネットワーク化を図るよすがとなる議論を行った。

■あいさつ
櫻本宏(福井県安全環境部長)
 福井県では古くから農業を中心にした人々の暮らしの中で、自然環境、伝統文化、伝統的技術など様々な習俗が育ってきた。越前市白山地区のコウノトリを呼び戻す運動、三方五湖の再生活動、そしてここ勝山市ではアカトンボの共生プロジェクトなど、子どもたちの環境教育も含めて積極的に取組まれている。
 こうした地域の自然や文化は福井県民にとっては当たり前のさりげないものであり、見過ごされがちだが、他県やあるいは海外からはとても素晴らしいことと言っていただいている。
 この1週間は「SATOYAMA国際会議2013inふくい」ということで様々なイベントを実施している。本日はそのメインイベントの一つであり、全国の里地里山の第一線で取組んでいる方々、そして進士先生をはじめとした著名な先生方にお集まりいただけたことに大変感謝している。
 この会をぜひ全国の交流の場としていただくと共に、福井の素晴らしさを体験していただく機会としていただければありがたい。

■趣旨説明
竹田純一(里地ネットワーク事務局長)
 本会は環境省と福井県で主催する会合として1年ほど準備を重ねてきた。環境省では里なび研修会の一つの集大成として企画した。環境省里地里山保全・活用検討会議の委員の先生、里地里山の文化財保全にかかわる文化庁の委員等を務められた先生、2010年COP10のコーディネーター的役割を果たされた先生、そして全国から先進的な取組を行っている方々をプレゼンテーターとしてお迎えすることができた。まさに「里の賢人」と呼ぶにふさわしい方々に集まっていただいたと思っている。
 ここで環境省を中心に国の里地里山政策について振り返ってみたい。人と人、人と自然が共生する社会について、環境省で検討し始めたのは1996年のことだ。里地自然地域という概念をつくり、里地からの変革ということを掲げた。2000年には佐渡のトキ、対馬のツシマヤマネコをモデルとして取り組みを始める。その後、生物多様性の観点から、国家戦略や基本法ができ、さらに行動計画を策定。2010年、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の場ではSATOYAMAイニシアティブということを掲げ、日本の伝統的な知恵・技術を発信する取組が行われた。これらと並行して森里川海をつなぐ自然再生活動が取組まれ始め、農林水産省、国土交通省、文化庁などでも専門的調査が始まることとなり、各省庁の戦略となったりしている。
 2011年3月の東日本大震災後、あらためて人と自然とのかかわりがクローズアップされている。それは古くから受け継がれてきた日本人の知恵や技術を見つめ直し忘れてはならないという提起でもある。15年ほど前、里地里山の用語は全く通じなかったが、今は通じるようになってきた。ようやく表舞台に出るようになってきた感がある一方で、様々な課題が山積しており、まだここまでしか取組が広がっていないのかという印象があるのも事実だ。
 今回お招きした7名の「賢人」からは、これまで取組んできたことやそこでの苦労話をお話ししていただくと共に、本会の参加者である各地で活動されている「里の達人」の皆さんが今後さらにどう行動していけばよいのかご示唆いただければと思っている。本研修会と、後ほどサイドイベントとして予定されている交流会や里山ツアーを通じて、里の達人である皆さんには、今後各地でどんな事をしていったらよいのか考えを深めていただきたい。また、相互に交流を深め全国に里地里山活動のネットワークを広げていただければと願っている。

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■講演
テーマ:「都市と農村との共生時代を伐り拓く『里の達人』」
講演者:進士五十八(東京農業大学名誉教授)
配布資料:抜刷記事「災後のランドスケープ『自然立地的土地利用』」、「自然再生への展望と課題」、「『農』と都市の共生」、「地域の個性と材料を活かす方法」
説明資料:パンフレット「福井ふるさと百景」

 「SATOYAMA国際会議2011inふくい」では、IPSI-4本体の会議はもちろん、子どもの会合や県民全体の会合もあり、いろんな話がされているのだと思う。その中で特に本日は「里の達人サミット」ということで各地で実際に活動に携わっているプロの方がお集まりだ。そこで、皆さんが取り組んでいる活動のゴールについて考えていることを話してみたい。

1)里地里山活動の最終ゴールは「元気になること」
 里地里山の活動では、生き物の保護、例えば本日も話題を提供いただくようなコウノトリの保護などといったテーマにあがることが多い。かつてはホタルが各地で取り上げられ活動が展開していった。里地里山活動の関心事として植物や動物がターゲットになることが多いがこれはあくまでも入り口であり、取組を継続していくためにはこうした動植物のみにこだわり続けるだけでは難しい。社会環境の変遷でこうしたターゲットは往々にして変化するものでもある。活動が継続していくためには、そしてその最終的な目標は人も地域も「元気になること」ではないかと思う。

2)マンパワーを活かせ ―高齢者も働き・楽しむことで地域を元気に―
 それは、マンパワーをどう生かすかという話だ。各地域の取組実践者を見ていると、苦労もあるが、生き生きしながらやっているのが印象的だ。今国の政策では、介護やら年金やらの問題と絡んで、あたかも60歳以上の人は「負担」であるかのような議論がなされているが、これは大きな勘違いだと思う。
 人の能力は年齢で決まるものではなく個人差がある。またそれぞれの持ち味があるわけで、これが活かされて力が発揮される。これは生物多様性とも通底する話だ。高齢者は動く必要がないという政策ではだめだ。生きものは死ぬ間際まで元気に動くものであり、働いて楽しむということが大切だ。これが里山を元気にし、そして地域を元気にすることにつながっていくのではないだろうか。

3)都市側と農村側の人が相携えていくこと
 環境問題は現代の最大の課題の一つだ。これは人の生き方や組織の問題、あるいは経済・社会のありようと無関係ではない。
 里地里山活動では、都市側の人と農村側の人がどう相携えていくかということが大切だ。農村側も都市側のことを考えてほしいし、都市側も農村側の事情を考えてもらいたい。
 今、国内のほとんどの人は都市側の人であり、こうした会合でも(本日は都市側・農村側同数ぐらいのようだが)圧倒的に都市側の人が多く集まる。それは都市側の方が自然に対する思いが強い傾向にあることが起因していると思う。しかし、環境問題への思いはあっても、往々にして観念論的な理解にとどまっていて、現実に行動するときは別ということがある。例えば本日もヨシ原の保全と活用の話題があるが、ヨシ紙を買ってくれる人がいるかどうか、こうした普及ができるかが課題であり、それが持続できるかどうかにつながる。
 大勢の人が心を動かして取組に参加するためには理屈だけではだめで、自然や文化、人の営み、生物多様性の価値、そういったことを感じ取ることができる能力が重要だ。そうした感性を育んでいくことが大切だと思う。

4)生物多様性と多様な生き方、いい風景の創出
 生き物の世界では、ある特殊な生物だけがはびこってしまうと、生態系がだめになってしまう。いろんな生物がいて、状況に応じてそれらの生物が対応することで、里地里山、そして里海の環境に多様な展開がうまれ、豊かなものとなる。レッドデータリストが出ると、単純なメディアや活動家はそこに載っている種だけが重要だと思ってしまいがちだが、それは大きな間違いだ。これは人間社会にも相通ずるものでもある。生物が多様な世界(社会)には、いろんな種(人)がいて、それぞれの持ち味があって、そこでいろんな展開がおこり、持続性を生む。そして面白い社会になる。
 ひとりひとりにとって大切なのは自己実現だろう。自分の年齢にふさわしい生き方をしてきたか、人といい関係を結べたか、そういったことを振り返りながら「俺はいい人生を送ったな」と思えるようにしたい。多くの人とつながり、仲間をつくり、そして自分も成長しながらやること、それが社会貢献であり、地域に根差した生業だ。そのように人と自然が結ばれた地域にはいい風景が生まれる。
 私の娘はカナダでオーガニックファームをやっている。ロッキーの砂漠地帯なので、灌水で農業を行っており、ここではこれといった水の風景を見ることができない。一方で日本は素晴らしい水の風景だ。素晴らしい日本酒もそれにより生まれた。まさに我が国の山林と田んぼの恵みであり、両者の関係が深いことを感じさせる。このように物をつなげてみる視点が大切で、こういうことに思いをはせると消費行動も変わるのではないかと思う。今、日本全体を見たとき、土砂崩れや洪水など国土保全そのものが危うい。国土を被覆している樹林地・草地・農地が不完全に保全されているからだ。しかし、里地里山の価値を感じとり実際に行動する人が多くなることで社会も変わっていくことができるのではないだろうか。

5)風景の多様性 ―「福井ふるさと百景」から考えること―
 今回この会合に参加する前に一乗谷の朝倉氏遺跡を見てきた。戦国時代の史跡だが、細長い谷地形に優しい里山景観が広がっており、なんとなくファミリー的雰囲気を感じさせる。こういう中に文化が育ったのだなと思う。
 福井県でも努力をしてこのような史跡の保全をしているが、保全だけでなく利用を考えていくことで歴史的環境の面白さが出る。一乗谷には「瓜割清水(うりわりのしょうず)」というのがある。古くから地元で親しまれている。この清水はあまりの冷たさに瓜が割れたとの由緒からこの名がある。例えばこの冷たい清水で夏は瓜を冷やして出せば最高のもてなしではないだろうか。考古学的正確さの遺跡保存も大切だが、このような素朴な工夫が朝倉時代の瓜割清水を体験させることにもなり、歴史、自然、農業をつなぐ観光政策ではないか。清水も瓜も地元では何気ない当たり前のものかもしれないが、よそから見たらどうかということを考え自分たちが持っているものを自覚し発信していくことで、その可能性が広がっていくだろう。
 「福井ふるさと百景」は、そのような視点から単なる風景論にとどまらないものとして、多様な意味合いで選んだのが特徴だ。例えば小浜では焼きサバの写真を入れた。風景は景観の行政、サバは観光だというように分けてしまうのではなく、結び付けて考えていく視点が重要だ。

6)里地里山の活動を進める科学のあり方と多様な人々の参画
 福井県には「観光営業部」という部署がある。環境に関心がある人は、ともすると「観光」だとか「営業」と聞いたときに、一段低く見る傾向があるかもしれない。しかしそれではいけない。観光は国の光を観ること、その土地の素晴らしいところを見ることである。福井県は農村地帯であり、その素晴らしい里地里山がこの土地の魅力であり、実は日本そのものがそうだ。この列島に暮らす人々が古より汗水をたらして、耕して手に入れた風景が里地里山なのである。それは人々が長年にわたって手を入れ続けた賜物だ。こうした環境・風景は人の手から離れてしまえばワイルドな自然よりも悪くなってしまうだろう。
 今、農業は工業よりも厳しい状況になっている。農業は太陽・水・土の恵みによっているが、今はカネで世の中が動いているから、農業にしわよせがきてしまう。しかし、金ではないもので動いている大事なものがある。大切なのはその価値観の問題だ。
 明治以後、日本は、給料や組織の中のステイタスで価値をはかってきた。そして学問は科学のための科学を追求してきた。しかし、それでは里地里山を良くしたり、人や地域を元気にしていくことができない。科学は社会のための科学でなければならないし、最近では政策のための科学でなければならないとも言われ始めている。
 これまで国立公園など国土計画の中で様々議論してきたが、議論できずに残ったのが里地里山をはじめとする農地・農業用樹林地だ。現在の画一化されたルール社会では取り扱えない部分を補完していくためには、給料や組織ではなく、まして高齢者だから排除するのではなく、様々な人々がそれぞれの持ち味で活動に参加し、里地里山だけでなく自分自身も元気になっていくことが大切だ。現地で保全活動を指導する人、活動を発信し地域とよその人をつなげ参加者のすそ野を広げる人、参加者を束ねて活動が継続できるように組織化を図る人、行政等に助成金や補助金などを申請し活動費を調達する人など、取組のためには多様な人の参加が不可欠である。
 現在社会は組織の中で分を持って働き、責任を取らされるといけないので非常に気を使ってしゃべるという風潮だが、里地里山のボランティア活動では立場の垣根を取り除き本音で話し合うことが重要だ。そうすることでグループ活動が盛り上がるだろう。

7)地域の個性を活かし里地里山を舞台に様々な人々とともに「元気」になろう
 人口一つとってみても地域によって多い少ないで大変な差があるのが日本だ。世田谷区と福井県は同じぐらいの人口であることがそれを物語っている。人口の少ないところで大都会と同じことを一律にやることは難しいのであり、それぞれにあった政策が必要だ。生物多様性の取組は一律ではなくそれぞれで違うものとなるからこそ価値があるのではないかと思う。
 超高齢化社会にある日本において、後半期の人生をどうするかというのは切実な問題だと思うが、国の負担層としての高齢者を位置付ける政策ではいけない。国民が元気になるライフスタイルが重要であり、そのための「国民本位の里地里山」を考えたい。里地里山が荒れているから、農業の担い手がいないから活動をするのではなく、里地里山で活動することが人々を元気にし、生きがいにもなるというような捉え方をしていきたい。このような福祉のために農業や園芸、あるいは工芸やアートがあってもよいのではないだろうか。
 多様な人々が多様な方法で相手のことを考えながらかかわりあいながら、少しでも楽しいやり方で取組んでいくことがバイオダイバアシティ(生物多様性)にかかわる里地里山の取組を持続させるコツだと思う。里地里山の活動は自然と人間社会が持続的に発展するためのものだが、それにはライフスタイルダイバアシティ(生活多様性)が大切だ。それによってランドスケープダイバアシティ(風景の多様性)が生み出されていく。皆さんの手でぜひともそれを育ててもらいたい。

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■事例報告

(1)「コウノトリと人が共生できる豊かな自然環境を目指して」
報告者:宮川健三(コウノトリの郷づくり推進会)
配布資料:パンフレット「コウノトリの郷づくり」
下敷き「生きものもごはんも田んぼの恵み」(農と自然の研究所)
説明資料:パワーポイント「コウノトリと人が共生できる豊かな自然環境を目指して」

 小浜市国富地区は、開発が進む一方でまだまだ自然が豊かなところだ。これをすこしでも多く次の世代に残したいという思いで活動をしている。なぜ国富地区でコウノトリをシンボルに保全活動をしているのか、そしてどのような活動を目指しているのか紹介したい。

1)国富地区のコウノトリについて
 小浜市は人口約3万人の港町。古くは大陸の玄関口でもあった歴史文化のある街だ。その中の国富地区は1級河川の北川に面した地区で、小浜市の農地の20%を占める一方、人口は市人口の5%程度となっている。
 国富地区では、昭和32年5月にコウノトリが発見され、昭和34年には2羽が育ったのが確認されている。当時は湿地が多く餌場が多かったので、頻繁に目撃されていた。しかし昭和39年の2羽のコウノトリの誕生が、国内野生の最後の雛となってしまった。

2)国富小学校での取組
 昭和39年にコウノトリ観察クラブが設立され、餌場づくり等の保護活動がはじまった。
 校舎の2階から雛の成長を観察して記録しており、今もその日誌が大切に保管されている。コウノトリの餌場造成では、餌場に魚を補給したり、手づくり看板も設置した。このような取組によって昭和41年には文部大臣賞が贈られることとなった。

3)地区からコウノトリが消えた
 多い時は6羽程も住みついていた国富地区だが、農薬の使用や土地改良事業等が原因で減少したとみられ、昭和41年5月には地区からコウノトリが見られなくなり、若狭ではコウノトリが消えてしまった。その後コウノトリは、兵庫県豊岡市で発見されることになる。

4)地区のコウノトリ活動のきっかけと活動展開
 地区からコウノトリが消えた後は、半世紀ほども話題が出なかったが、地域の活性化を目指す市の事業のメニューの一つとしてコウノトリに関連する活動が取り上げられることとなった。まちづくり団体「国富の明日を創る会」を地区で結成し、平成18年には小浜にいたコウノトリのはく製展示会と講演会「コウノトリ福井の空へ」(林武雄氏)の開催協力を行った。
 しかし、まちづくり団体では、コウノトリの活動だけしているわけにはいかないという事情もあった。平成20年に4羽のコウノトリが地区に飛来したことをきっかけに、平成23年に「コウノトリの郷づくり推進会」(通称コウの会)を結成。1.住みよい自然豊かな環境づくり、2.自然や人を元気にする安心・安全な農産物づくり、3.未来へ引き継ぐ資料保存と意識づくり といったテーマを掲げ、観察会やビオトープづくり、生き物の放流、観察用桟橋の設置など、参加した小学生のアイディアをもとりいれた活動を実施している。また、農業に関する学習会、越前市への視察・交流会の実施、リーフレットの発行・頒布、資料パネル展示、読み聞かせなども行っている。
 最近の新たな取組として、豊岡市や越前市との合同研修交流会や若狭高校への協力を行っており、こうした交流を大事にしていきたいと考えている。また、国富小学校の授業支援の一環で田んぼでの生き物調査を手伝ったり、兵庫県豊岡市での地元小学生との学習会を行ったりしており、小学生同士の交流には感動を覚えた。

5)今後の課題 ―開発と保全と―
 今後もこうした活動を元気に続けていきたいが、大きな課題もある。地区を分断するように高速道路の建設が予定されている。コンクリート三面張り工法による排水工事が計画されているのだが、何とかコウノトリの餌場になるような形にならないか様々な方々と模索しているところだ。
 今年の4月、国富の田んぼにコウノトリが飛来した。1泊し翌日飛び去って行ったがこのことが感動と勇気を与えてくれている。私の子どもの頃は周りにたくさんのコウノトリがいて、普段の生活に溶け込んでいた。これが私の目指すふるさとの光景であり、この光景を少しでも後世に伝えていくのが使命だと思っている。コウノトリと人が共生できる世界のために今後の人生を生きていきたい。

(2)「『SAVE THE 鵜殿ヨシ原』 ~今、越前和紙に出来ること~」
報告者:山田晃裕(山田兄弟製紙株式会社)
配布資料:パンフレット「山田兄弟製紙株式会社 伝統技術から環境技術へ」
説明資料:パワーポイント「SAVE THE 鵜殿ヨシ原~今越前和紙にできること~」

1)越前和紙について
 越前和紙は、今から1500年前、川上より現れた女神様「川上御前」から伝授されたという由緒のある紙漉き技だ。日本で最初の藩札が福井藩にて発行された際、越前和紙が使われ、また明治政府より日本で最初のお札「太政官札」の製造を依頼された歴史を持っている。現在、福井県には手漉き・機械漉きメーカーが約60社あり、日本で最大の和紙産地となっている。

2)ヨシ紙の製造と山田兄弟製紙株式会社
 山田兄弟製紙(株)は創業1882年、社員11名の会社で、機械で越前和紙を製造している。2001年からヨシ紙の製造を行い、ヨシ原の保全活動に携わってきた。毎年、全従業員でヨシ刈りボランティアに参加し、ヨシ紙売上の一部をヨシ原保全活動に還元している。しかし、当初、ヨシ紙の製造はどちらかというと副次的なもので、会社における主要な商品として積極的に開発し販売するという位置付けではなかった。ところが2009年株券が電子化することとなった。それまで株券用紙を中心に製造していたため、受注がゼロになってしまい真剣にヨシ紙の開発に取組むようになった。現在では襖の裏張り用紙やヨシ紙、透かしの入った卒業証書など幅広く製造するようになっている。

3)鵜殿ヨシ原と保全活動
 山田兄弟製紙(株)がかかわっている鵜殿ヨシ原は、大阪高槻市の淀川最大の河川敷にある。ヨシ原の面積は、甲子園球場の18個分の大きさを誇り、土佐日記に地名が出てくる歴史ある場所でもある。雅楽楽器「ひちりき」のリードには、鵜殿ヨシ原のヨシが最適とされていることでも有名だ。
 ヨシという植物には河川の水の流れを浄化する作用がある。地中深く根を張り、水中のリンや窒素を吸って育つ。そして張り巡らした根から空気を送り込んで、微生物を活性化し土壌を豊かにしてくれる。しかし放っておくと陸地化してしまい浄化作用がなくなってしまう。鵜殿ヨシ原に限らずかつては日本各地にヨシ原があった。そこは地域の共有地でありヨシが活用されることで保全されてきた。しかし戦後ヨシはプラスチックなど安い輸入のものにとって代わられて使われなくなり、ヨシ原に人が入らなくなってヨシ原が消滅したりあるいは再開発によりその数を減らした。
 鵜殿ヨシ原も一時別の植物に入れ替わってしまったのだが、刈り取りと野焼きをすることで回復を試みている。

4)ヨシ原の活用策 ―ヨシ紙開発の苦労―
 保全活動の課題は刈り取った後のヨシをどうするかで、持ち出して活用することを模索している。その一つがヨシ紙なのだが、ヨシ原からパルプ工場にもっていって作ると、一般的な越前和紙の倍の値段になってしまうため、当初はなかなか理解されずに売れず、在庫も原料もたまる一方だった。一度はあきらめかけたが、幸いこの価値を認めてくれた企業からの受注を受けることができた。その後、株券の電子化ということもあってヨシ紙の開発に本格的に取り組むようになり、補助金の申請をして5カ年計画で販売を伸ばすという努力を積み重ねている。こうした取組の中でしっかり目標を持つことで新たな知恵が出ていろんな人の助けもあるということも知ることができた。

5)ヨシ紙の展開と効果
 ヨシ紙は商品として環境を意識した取組に使われるようになっている。環境を意識したコンサートのノベルティバッグや企業や地域のPR資料などに使っていただいている。また最近ではヨシ紙を使ったパンフレットやカレンダーを作りたいなどの受注も来るようになり、ようやく売り上げの一部を鵜殿ヨシ原の保全に還元できるようになってきた。
 これまで10年余り活動を続けてきて全国的な広がりも出てきた。長野県志賀高原では取れたヨシをパルプにしてホテルで売れるような商品を開発中であるし、琵琶湖ではヨシ原再生に取り組む地域の中学校の卒業証書にヨシ紙を使おうとしている。愛知県庄内川のヨシ原でも同じような動きが見られるし、岡山県児玉湖ではヨシを用いたGパンの開発などオリジナルの活用を追及している。
 このように少しずつ認知されてきたヨシ原だが課題もある。今、鵜殿ヨシ原には高速道路建設の計画が出ている。これにどう対応するかが課題になっている。雅楽の分野からは「SAVE THE 鵜殿ヨシ原」という動きが起こっている。紙は人に思いを伝えるものであり、紙製造に携わる私たちも何かできないかと思っているところだ。まずは皆さんにもぜひヨシ原を訪れていただきその魅力に触れていただければと思っている。

(3)「里山里海マイスターが能登半島を元気にする」
報告者:中村浩二(金沢大学里山里海プロジェクト)
配布資料:パンフレット「能登里山里海マイスター育成プログラム受講生募集案内」、「金沢大学里山里海プロジェクト」
説明資料:パワーポイント「里山里海マイスターが能登半島を元気にする!」

 里地里山の活動を通じて、里地里山のある地域社会だけでなく大学も若者も教員も元気になることができる。大学は街にあるので街と里山がどう連携できるかということでもある。大学にできることは何なのか、能登半島での取組を通じて紹介したい。

1)世界農業遺産認定と能登半島
 2011年、能登半島は佐渡島と共に世界農業遺産に認定された。過疎高齢化が激しい能登半島では、里地里山活動に持続的に取組んでいくのが困難な面もあり、その中で認定されたのは大変うれしいことだった。「能登の里山里海」ということで認定されたのだが、能登半島には、風景や祭りの文化、海産物、塩づくり等の伝統的なものが残っている。これらは農林漁業などの生業と経済的側面で密接な関係を持っている。里地里山でのボランティア活動も大切だが、暮らしている人の生業と関係した経済活動が重要だと考えている。
 世界農業遺産の認定地は、そのほとんどが発展途上国である。日本は先進国であり、過疎高齢化が進行していることが特徴だ。近代農業は大規模開発、農薬や化学肥料の大量使用が特徴であるが、一方で能登半島をはじめ日本各地の里地里山で見られるような伝統的なきめの細かい農法が重要である。

2)里山里海とは
 里山里海は、農林水産業という生産面だけでなく、環境を良くしたり伝統文化を守るという大事な機能を持っている。世界的にみると今でも持続不可能な大規模・乱開発が目立つ。しかし、伝統的な里山里海では、自然との共生や持続的発展のための知恵や技術が示されている。その意味で里山里海はグローバルな先進モデルである。

3)能登半島の課題
 海外にも里地里山的なところがいくつも見られる。こうした世界の里地里山にも思いを馳せながら自分たちのところをどう維持・発展させていくかというのが能登半島での活動のつとめだと感じている。
 石川県は豊かな自然と文化、里山里海の恵みを持っている。一方で人口減少が止まらず、特に若い人の減り方が激しいといった問題を抱えている。こうした地域をどう元気にするかが課題だが、人手が足りず荒れ始めた里山もある。例えば金沢大学角間キャンパスには放置され荒廃した「里山ゾーン」があり、街の近くでも鳥獣害が発生するようになった。能登では人手不足から伝統的な祭りができないところも出てきている。

4)金沢大学における里山里海活動 ―能登里山マイスター養成プログラムを中心に―
 自然と向き合い学ぶ「知のプラットフォーム」ということを掲げ、角間キャンパスにおいて里山自然学校を1999年に開設。地域と連携した里山保全や児童の総合学習を支援するなど様々なことを行っている。
 また、2006年には「能登半島里山里海自然学校」(以下、自然学校)を開設。常駐研究員を置くと共に、ここを核にNPO法人を設立して、活動体制を整えていった。しかし自然学校だけでは十分な取組が難しい。そこで特に若者人口が減少しているという課題を受けて、地域の若者と都会からの若者を集めて能登半島の若手リーダーを作ろうという取り組みを始めた。それが文科省の補助事業を受けた「能登里山マイスター養成プログラム」(以下、マイスタープログラム)だ。ドクター所持者を常駐研究員とするとともに、地元の農林水産業のベテランを指導員にお願いするとともに、里山駐在研究員や里山マイスター支援ネットワークを設置配置して活動を開始した。第1期生は15名ぐらいだったが、4期生は約30名となり、各地から優秀でユニークな人が集まってきた。
 農業以外にもさまざまな目標を持った多彩な人たちが集まってきた。常駐研究員による担任制をとっており、受講生は、自分の達成目標を示す卒業課題を決め、2年間(受講期間)にわたり毎週講義・演習・実習を受けながら、卒業論文をまとめ、プレゼンを行い審査を受ける。都市部からのIターン者には、修了後能登に暮らせるようにサポートしている。
 これまでに62名が卒業している。半導体メーカー社員から新規就農して中山間地域における農業経営を目指している方、地域の食材を使った加工ビジネスに取り組んでいる方、地元の炭焼き職人で都市民の協力を得て炭材の植林事業を始めた方、能登サカキの産地化を行っている方、家族ぐるみで移住して環境学習や伝統文化の保全活動をコーディネイトしている方もいる。

5)能登の取組の効果と展望
 こうした能登での活動は大学へフィードバックされ、大学を元気にすることにもつながっている。昨年からはマイスタープログラムの後継事業として「能登里山里海マイスター育成プログラム」を実施。活動資金を自己調達することができた。このことは内と地域からの評価の高さを示している。マイスタープログラム卒業生や周囲の関係者によるネットワークが広がりつつある。今後は、能登半島の各自治体に活動拠点を構築しながら地域ごとに取組が展開できるように、足元を見つめながら、また同時に世界発信とグローバルな人材育成をしていこうと思っている。

6)地域の活性化に里山里海をどう生かすか
 今後の日本は高齢化と人口減少が大きな課題であり、農家の平均年齢も高くなってきている。現在、農林水産業のGDPは、国内の全GDPの1%にすぎないが、里海里山にはこれだけでは測れない価値がある。しかし経済的メリットがなければ若者が暮らしていけない。里山里海の自然資源と文化資源の価値を学び、評価すると共に世界的視野で見つめていくことが大事だと考えている。海外との交流プロジェクトも検討しており、様々なところと交流しながら考えを深め、活動を発展させていきたいと思っている。
 若者に期待しながら、大学しかできないことをやりつつ、大学らしくないやり方にもチャレンジして取組の可能性を広げていきたい。

(4)「手作りで始めた山野草の里づくりの歩み」
報告者:福岡定晃(NPO法人山野草の里づくりの会)
配布資料:レジュメ「山野草の里づくり」、パンフレット「山野草の里づくり」
説明資料:パワーポイント「人と自然の共生・共存SATOYAMA(里山)の自然をいつまでも」

 山野草の里は奈良県桜井市の東北部、旧上之郷村の三谷とその周辺の地域を総称して言っている。この地域は大和川本流源流地域で標高400~550m、大和高原の一角にあり冬季は氷点下6度位まで下がる。自生する植物は600種を超える。中山間といわれる地域に当たり、山林が約70%、農地が約25%、宅地や道路等約5%くらいで、水田は棚田で畑は傾斜がある。三谷は現在15戸、人口は45人。周辺の集落も20戸前後がほとんどで多くても60数戸程。以前と比べてどの集落も人口が減っている。

1)活動の経緯
 人手が入らなくなったことで昔見られた植物がみられなくなっており、何とか多くの植物が見られた昭和40年代の姿を取り戻したいと思い、夫婦で保全活動に取り組みを始めたのだが、とても追いつかない。そこへ大学の友人が訪れて活動を見て感銘してくださり、手伝ってくれるようになった。やがて小学校や中学校の同窓生を連れてくるようになり、その姿をみて地元の方も手伝い始めた。地元の方はチェーンソーや様々な道具類を使うことができる。都会の方は伐採したり刈り払ったりしたものを片づけるなど役割分担して取組んだ。荒れた農地が復元された頃、奈良県農業大学校の方が赤いそばを作ったらどうかと言ってくれて、植えて栽培し始めた。赤い花のそばが関西では珍しく、テレビや新聞でも載せてもらい人々が訪れるようになった。
 そこでイベントを行うなどして多くの方々を迎えるようにもなった。その中からボランティアに参加しようという人も出てきて本格的な活動が始まった。最初は週1回の活動だったが、その内に毎週2回ずつ活動するようになった。
 それでもなかなか地域の里地と山が荒れていくスピードに追い付かないため、専門的な知識や技術を求めて大阪にあるNPOが運営するシニア自然大学校に通った。そこで環境に興味を持つ人と出会い、「里山の山野草を守る会」を立ち上げて取組を広げることができた。この会は山野草の調査と保護を担当し、当初26名だった会員が、今は46名となっている。近畿全域から、遠くは三重県からも来てもらっている。今では週1日の休日を除いて毎日活動を行っている。具体的には次の取組をしている。

2)里山の復元
 山野草の里は中山間地域の「里山」にある。里山は単に落葉広葉樹林を指して言われることもあるが、私たちは山林や農地、小川や道そして人家を含めた地域全体を「里山」と捉えている。この「里山」が人や動植物の共生、共存の場だ。
 全国の里山は今、危機的な状態を迎えている。1960年代まで中山間のどこででも見られた里山の情景は荒廃が目立っている。野道や山道はほとんど通れなくなり耕作放棄の農地にはススキやセイタカアワダチソウがはびこっている。山林の管理もほとんど行われていない。隠れる場所が多くなりイノシシの活動し易い場所となり、シカ、サルも集落に現れ、農作物だけでなく山野草も被害を受けている。
 そこで、主に落葉樹林で荒廃しているところを毎年30アールずつ復元して山野草の再生につなげると共に、ツリーハウスやブランコなどを作って子どもたちの遊び場に活用している。炭焼きも実施している。

3)農地の復元
 耕作放棄地を復元し、そばを撒くなどして活用している。また、放棄水田は復元しても作物を育てるなどの使い道がないため、ビオトープ池にするなどの取組をしている。こうすることで水生生物の棲みかづくりに寄与しており、山野草だけでなく昆虫類の増加も見られるようになった。

4)山野草園の開設やイベントの開催
 里山を守る取組を知ってもらおうと、山野草園を開設したり花の宴と称して自然観察会開催している。また、みんなで活かそうビオトープという催しを行い親子参加でビオトープ作りを企画し実施している。他の団体との交流にも取り組んでおりイベント事業に参加したりあるいは受け入れを行ったり、協働事業としてくだものオーナー園をはじめるなど新規事業にも取り組み始めている。

5)今後の展望と願い
 1960年代までごく自然に生き続けてきた動植物が今絶滅を危惧される動植物となっている。高度成長の陰で、多くの動植物が犠牲になっている。もう手遅れの動植物もあるが、多くの仲間たちと共に40年程前の状態に少しでも近づけたいとの思いをもって「山野草の里づくり」の活動している。
 行政でも重要な課題として取り上げるようになってきたが、それでも毎日全国で多くの貴重な動植物が絶滅に瀕している。この山野草の里の動植物を後世に引き繋いでいくべく、活動を続けていきたいと思っている。

(5)「オオムラサキが教えてくれる里地里山の活用と教育」
報告者:跡部治賢(北杜市オオムラサキセンター)
配布資料:パンフレット「北杜市オオムラサキセンター」
説明資料:パワーポイント「オオムラサキが教えてくれる里地里山の活用と教育」

 山梨県北杜市でオオムラサキの保護活動を基本にした里山保全活動をしている。活動拠点はオオムラサキセンター。この施設周辺には里山林や棚田があり、周囲は八ヶ岳の泥流が流れたことによって形成された台地地形となっている。川と台地との高低差が100mほどあり、そこに展開する35kmの帯状の里山林にオオムラサキが生息している。

1)オオムラサキセンターとは
 オオムラサキセンターでは、自然の中で見ることが難しい里山の昆虫類が間近に見られる。年間数千頭のオオムラサキが越冬し、多くて展示しきれないものセンター外に放している。センター内のビバリウムでは最盛期には2、300頭のオオムラサキが乱舞している。

2)オオムラサキ保護活動の歴史と経緯
 北杜市長坂町は、従来からオオムラサキが多く見られるということで昆虫愛好家には知られたところだ。昭和53年に当時の環境庁の自然環境基礎調査において国内最大の生息地であると報告された。そこで昭和54年「国蝶オオムラサキを守る会」が発足。地元では「山梨国蝶オオムラサキを守る会」が発足し、児童文学作家もかかわりオオムラサキを守っていこうということで青年運動として取組み始めた。当時昆虫少年だった私も参加している。
 平成8年にはオオムラサキだけではなく自然全般との関わりを意識したいと「自然とオオムラサキに親しむ会」が発足し、市民中心の会として活動を続けている。

3)オオムラサキから里山保全活動へ
 オオムラサキを中心にした自然観察を進めてきたが、なかなかオオムラサキが増えていかない現状を目の当たりにすることになった。調べてみるとオオムラサキの生息地である里山の様子が子どものころと違っていることが分かってきた。人の手が入らなくなったことにより荒廃が進みアズマネザサが繁茂している状況となっていた。
 なぜ里山が荒れているかというと地元の山の持ち主が高齢者ばかりで若者がおらず、また里山に価値を見出す人がいなくなってしまったことが原因だ。だから、持ち主に手を入れてくれと言ってもやってくれるものではない。そこで、昔の山に戻そうということで団体もNPO法人化し、地域の同級生、仲間たちに集まってもらって、里山整備活動が始まった。
 当時、仲間には里山の知識を持った人がいなかった。しかしササを刈るとか農業をするといった人たちに恵まれ、変に知識人がいなかったためにかえって最初の取組がスムーズにできたと言える。当初10~20アール程の規模の取組だったが、ここもやってくれという土地の人も増えて今では20ヘクタールの面積で年2回の刈り払い作業を行っている。

4)保全活動の課題と展望
 北杜市はアカマツが多いのだが、近年このアカマツを10haの規模で伐採しており、その後が放置状態のためアズマネザサがどんどん繁茂してしまうということが問題となっている。そこで伐採跡地にクヌギ、エノキ、サクラといった広葉樹を中心に年間1万本の規模で植林をするようにしている。
 平成23年からNPO法人自然とオオムラサキに親しむ会がオオムラサキセンターの指定管理者になった。運営面ではなかなか大変なところもあるが、保全活動を続けていくための経済活動も模索している。野菜や薪の販売やピザ窯での取り組みをしたりカブトムシの幼虫やドジョウの販売をするなどしてささやかながらNPOの資金源にしている。このセンターを拠点にして、里山再生活動とオオムラサキを軸にした環境教育をしている。

5)保全活動の効果と昆虫による里山再生の可能性
 里山保全活動の結果、ナデシコなどの植物が再生したり、里山の木々の樹液が盛んに出るようになり(昆虫の中には樹木の樹液を湧出させるものがいる)、多くの昆虫が見られるようになりつつある。このように里山保全整備を進めながら、昆虫と共に恵み豊かな里山を再生していきたい。

(6)「西条・山と水の環境機構の里地里山保全活動と山の日の制定」
事例報告者:中越信和(西条・山と水の環境機構)
配布資料:レジュメ、「山の日」事業報告書資料、冊子「西条・山と水の環境機構10周年記念誌 山づくり、水づくり、美しいふるさとづくりのあゆみ」
説明資料:パワーポイント「西条・山と水の環境機構の里地里山保全活動と山の日の制定」

1)西条を取り巻く水環境
 広島県東広島市西条は、酒造りの盛んな土地だ。酒蔵にある井戸は山から来る地下水を使っており、これによって西条のおいしい酒が作られている。したがって地下水位が下がるのは酒蔵にとっては深刻な問題であり、周囲の荒廃が進む里山を何とかしたいという話が酒蔵から出て活動がスタートすることとなった。

2)酒一升で1円の基金づくりを
 イギリスではナショナルトラストにおける保全活動事例として、ピーターラビットの本や関連グッズの販売によって資金を集め、トラスト内の石垣を積むなどの保全整備活動に活かされている。この自分たちのところにあるモノにカネを出してもらい、自分たちのところをきれいにしていくという着想から、西条ではお酒1升につき1円拠出して基金とし、保全活動の資金源にしようということが始まった。その基金運営団体が「西条・山と水の環境機構」だ。理事長には西条酒造協会の会長に就任いただくとともに、副理事長には広島大学長に就任いただいており、大学や企業の社会貢献を果たす良い機会になっていると思っている。その他いろんな人たちが集まり企画を立て年間行事を決めている。
 本機構の山のグランドワーク事業を通じて、山の手入れが保水力のある山をつくり、地下水を確保し、力のある水が川に流れ田に入り、良質の米ができ、その水と米から西条の酒が生まれるといった循環をつくっていった。
 里山の保全活動には学生も協力し、炭窯やシュレッダーなどハードな設備は基金だけでなく外部の助成金の助けも受けながら徐々に整備し取組を活性化させている。
 また、大切なこととして本当に取組によって効果が生まれているかどうかを検証していることだ。例えばチップ堆肥についてどのような効果があるのか調べているし、水がよくなっているということも軟水と硬水の性質検査実験で確かめている。

3)「山の日」イベントと保全活動の広がり
 私たちのような活動を西条地区だけに限定してしまうことなく、より全国の人たちに集まってもらい伝え、広げてもらいたい。そこで毎年6月の第1日曜日を「山の日」にしようということを掲げ、西条・山と水の環境機構の活動フィールドを提供すると共に、広島県全体に呼び掛けそれぞれの市町村で取組を行い継続してもらうというということをしかけている。
 また東広島市に水源をもっている他地域の他団体表彰も行っており、活動のすそ野を広げている。

4)ジャパンブランドと里地里山、そして国際発信
 お酒はまさに日本の自然を飲むことだ。山に降った水を集め、栽培した米でできる日本酒は、ジャパンブランドの最たるもの。日本の文化を守るためには酒を飲めば良いと言っても過言ではない。私たちの活動は要望があれば英語で講演することができる仕組みとなっている。国際交流でも積極的に発信し、地域の美しい景観機能の向上を図っていきたいと考えている。

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■ディスカッション
テーマ:「里地里山が導く、教育、観光、産品、燃料、人づくり地域づくり」
コメンテーター:進士五十八(東京農業大学名誉教授)
パネリスト:宮川健三、山田晃裕、中村浩二、福岡定晃、跡部治賢、中越信和
コーディネーター:竹田純一

 コーディネーターの竹田氏により、里地里山の保全・活用を今後どのように取組んでいきたいか、あるいは全国の活動団体にどんな事に力を入れてもらいたいかを中心に、パネリストから一言ずつコメントを頂いた。
 宮川氏からは、福井県内でもコウノトリの郷づくりのための農業を志す人たちがいる。こうした人たちとの交流を深めていきたい。各地で悩んでいたことを共有することが大切であり、先進地のノウハウを取り入れ地域の協力が得られるようにしながら、1人でも多くの賛同者を得た取組を発展させていきたいとの話があった。
 山田氏からは、鵜殿ヨシ原は、人の集まるところから離れている。そこで頑張っている人は知識としては知っているが本当のことはあまり知られておらず、思うように活動が広がっていない。ぜひ実際に現場を訪れていただき、がんばっている人の熱意が伝えられるような形にしていきたい。そのようなネットワークがつながっていくことが重要だとの話があった。
 中村氏からは、能登半島では、人口減少・高齢化が急速に進行しつつあり、大学が係わったからといって、簡単に金沢市や大都会街から人が来るわけではない。だから作戦が必要であり、オオムラサキの保護にしろコウノトリを呼び戻す活動にしろ、いろいろな団体が繋がりあい一緒にやっていく機運を盛り上げることが大切だとの話があった。
 福岡氏からは、現在の活動はボランティアに頼っている現状。昭和40年代までだったら農業林業の営みによって生態系が守られ、動植物の共存ができたが、今はできない状況だ。これは、ボランティアだけでは打破できないことだ。産業として、昔のようにできなくても、何か利活用方法を考えていくことが重要であり、国をはじめ行政もこうしたことに力を入れる必要があるとの指摘があった。
 跡部氏からは、活動に従事している人たちは自分たちのことしか見えていない面がある。これは一生懸命さという点でよい面でもあるが、しかしもう少し人に来てもらう工夫をし収益を得るような努力も必要だ。それによって活動の弾みにもなる。例えば来訪者が楽しめるように、展示なども新たなアイディアや工夫を入れたり、面白い体験活動を組み込むなどが考えられると思う。ただアイディアを出すにも固定メンバーでは限界もある。地域の中にも達人がいるが、交流やネットワークを広げ幅広く地域外とも意見交換をしていくことが大切だとの話があった。
 中越氏からは、企業を参加させるためには事業の説明責任が必要であることから、活動の成果など量で測りにくいものをどのように説明していけばよいのかが問題だ。また、企業誘致をした際、例えばCSR活動の場合、活動によってどのような生物が戻ったか、環境がどのように良くなったかを数字に表さなければならないということがある。企業がCSR報告に書けるように、こうしたことを念頭に入れてあらかじめ調査をしておく必要があるだろうとの指摘があった。また、山の日ネットワーク東京会議を開催したことに触れ、ぜひ各地から山の日が制定されるような動きを活性化してもらいたいとの話があった。
 コメンテーターの進士氏からは、大学が地方にそれぞれある割には、十分に社会貢献や地域参加を果たしていない実態があり、企業や自治体も多かれ少なかれまだまだそのような状況にある。特に基礎自治体においては、縦割りではなくもっとトータルな視点で取組んでいく必要がある。例えば観光など外向きに見える分野が実は内を高めるものにつながることもある。自治体の職員はキーマンであり、地域に歴史があれば歴史を、自然があれば自然を、里山があれば里山を十分に生かして地域を元気にしてもらいたい。そのためには補助金も助成金も必要でありそれをどう引き出していくかということも重要なことで、自治体職員にはそうしたことを調整する能力があるだろう。市民運動家、自治体職員、企業それぞれの持ち味があるのであり、都市と農村の両方が相携え、それぞれの役割を担っていくことが地域再生につながるのではないかとの話があった。

ディスカッションのようす
ディスカッションのようす

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■サイドイベント

(1)交流会
 研修会後に行われた交流会では、各地で里地里山の保全活動に取り組んでいる方々から一言ずつ現在の取組状況と今後の展望についてお話しいただいた。
 開催地である勝山市からは山岸正裕市長より、アカトンボやホタルなどが市内で見られる豊かな環境を活かしながら、地元の良さを掘り起こして財産にし、勝山市を屋根のない博物館・エコミュージアムにしていきたいとの話を頂いた。
 各地の参加者からは、鳥獣害が深刻化する里地里山においてそれに対処するハンターをどう増やしていくかが課題だといった意見、観光と里山のつながりを視点に置いた研究が必要だという指摘、バイオマスの活用を広げていくための「薪ストーブ講座」の試み、山間地の限界集落で山菜や薬草などの山間地ならではの資源を活かした活性化策、有機農業など特色ある米づくりを通じた保全活動などの話があった。
 また、参加した企業からは防草シートの開発と販売、ITを利用した動植物のモニタリングの試みなど、保全活動に役立つ情報や話題についてご提供いただいた。
 その他、参加した学生からは、里地里山をテーマにしたサークル活動も近年盛んになってきつつあり、ぜひ学生を田舎につれていく機会を作ってもらいたいとの要望や、里地里山は幅広い分野の研究とつながることが多いので、その間口の広さを示してもらえれば関心を持ってかかわる学生がより一層増えるのでは、といった意見があった。

(2)里山ツアー
 研修会翌日には、勝山市内の里地里山環境について地元の案内人とともに参加者が見学を行った。見学地は大矢谷白山神社巨大岩塊、池ヶ原湿原、白山平泉寺である。
 大矢谷白山神社巨大岩塊は、経が岳および保月山から岩なだれとなった角礫岩と火山灰が固まって20mをこえる巨大な岩塊となったものが点在し、大自然の力に圧倒されるような景観である。福井市立自然史博物館館長の吉澤康暢氏から、地域の地質と自然景観との関係や地形変動によって形成された景観の特徴について解説を受けた。

地域の里地里山の地形景観形成過程について考えを深めた
地域の里地里山の地形景観形成過程について考えを深めた

 池ヶ原湿原では、福井県自然保護センター所長の多田雅充氏から、農業や畜産によって維持されてきた湿原やそこに住む希少な動植物の存在について説明を受けた。保全活動を行う市民グループの方からは、景観の維持には意識的に人の手を入れることが重要で、どのように活用しながら保全活動を進めていけるかが課題となっているとのお話をいただいた。

人のかかわりよって維持される湿原の生態系ついて説明する多田氏
人のかかわりよって維持される湿原の生態系ついて説明する多田氏

 白山平泉寺では、かつての宗教都市であった史跡の保全保護活動を通じた里地里山の歴史環境の活用についてご案内頂いた。

境内散策を通じて保全活動や観光活用について話を聞いた
境内散策を通じて保全活動や観光活用について話を聞いた

 参加者からは、このような現地見学や情報交換の場を通じて知見とネットワークを広げていくことが各地の活動で課題になっていることを解決するヒントになるし、保全活動の先の活用策を見出すのに有効だとの感想をいただいた。

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■まとめ
 本研修会は、里なび研修会の全国大会という位置付けで、里地里山の保全活用とネットワークづくりを中心にした議論を行った。全国各地から活動団体、企業、学生、自治体職員などによって、地域ごとの特性を活かした里地里山の保全活用策と課題、今後の展望について活発な意見交換を行った。
 特に活用という面では、地域間で良いアイディアを共有し課題となっていることを補完しあっていくことが重要で、ネットワークを広げていくことが大切だとの意見が多く聞かれ、今後の地域の里地里山活動の展開方法について考えを深める機会となった。

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