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里なび

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活動レポート

里なび研修会 in 山形
流域の里山保全と人材育成、木質資源の活用を考える

日時 2010年2月28日(日)
場所 最上川学推進センター

研修会の様子

 2010年2月28日(日)、山形県東田川郡庄内町清川にある最上川学推進センターにおいて、里なび研修会を開催しました。今回の研修会は、山形大学のシステムを利用し、山形大学キャンパスとテレビ会議システムとつないで行いました。
 はじめに、里地ネットワークの竹田純一事務局長より、「里地里山保全再生計画策定の手引き」をもとに、里地里山の保全再生についての考え方、方向性、手法等について解説しました。

■事例報告1
「「最上川学教育プロジェクト」の取組について」
出川真也 山形大学准教授、NPO法人里の自然文化共育研究所専務理事

出川真也氏

 「最上川学」は、学問の「学」であるとともに、農山漁村のおじいさん、おばあさんから「学ぶ」ことを大切にしています。
 山形は自然環境が豊かです。これを地元学で調べると、地域の自然環境に地域の人が細かに手を入れている結果であることが分かります。それが、暮らし、郷土料理、多様な生業につながっています。
 最上郡戸沢村角川地区で地元学をしたとき、地元の人は「何もない」と言いました。しかし、実際には、多様な森林や自然環境があります。森林に手を入れることで、桑畑、わらび園など、遷移すればブナ林になるところを生業の場としています。多様な環境ができることで、多くの生物種が増えることになります。
 外部の違う目線を持つ人と調べることで、「当たり前にすごいことをしている」ことに気づき、新しい目線を地元の人が持つことになります。それが地元学の手法です。
 とくに、郷土料理などは女性の力で脈々とつながれてきた自然と結びつく文化です。
 現在、角川地区では、里の自然環境学校ができ、郷土料理、地場食材料理などの提供が地域の事業として成立しています。
 これに対し、「角川だからできる」という反応があります。本当にそうでしょうか?
 森里川海の多様な各地域集落で実験的調査-活動を実践し、これを確かめようと考え、NPO法人里の自然文化共育研究所を設立しました。平行する形で、エリアキャンパスなど山形大学をはじめとする大学連携による最上川学もはじまりました。
 角川地区にも、山形大学のエリアキャンパスができ、周辺地域へ広がりができました。
 「大学コンソーシアムやまがた」もできています。県内の大学と連携し、様々な活動が行われています「ゆうキャンパス」のホームページを見てください。
 大学コンソーシアムで、最上川学教育プログラムができました。地域のNPOや活動団体と連携しながら教育していく方法です。
 最上川学は、最上川だけでなく、いくつものプロジェクトの集合です。原生自然ではなく、流域に暮らしている人が森里川海産業とともに改変され、維持されてきた自然を対象に、農山漁村の住民の暮らしと営みと織りなし合いながら形成されている自然と文化、暮らしてきた人々の知恵と技術を学ぶこと、そこから、今日の新たな暮らしや産業のスタイル、生存環境のあり方を模索します。
 大学間、研究者間、学生間などのネットワークをつくっていき、地域づくりや教育などのNPOとの連携、自治体、自治体間連携、企業などとの連携も必要だと考えています。
 地域の側で地域活性化していく主体が育つことも必要です。これをコンソーシアムが側面支援します。学生の活動では、就職の場づくりなども考えています。
 流域の伝統を受け継ぎ保全し、革新的に現代に生かす。農山漁村に若者たちが暮らし続けていける生業を作り出すことが目標になります。

■事例報告2
「都市と山村の交流による地域活性化、参加、体験、交流、連携と地産地消の家造り」
山本信次 岩手大学農学部附属寒冷フィールドサイエンス教育研究センター准教授

山本信次氏

 なぜ、山村と都市は交流しなければいけないのでしょうか? 農山村が困っているから都市に助けを求めるのでしょうか? それは失礼な話です。
 都市の自然は、守る対象です。農山村の自然は、資源として保全し、使いながら人が暮らしてきた結果です。その当たり前のことがわかりにくくなりました。
 たとえば、民話「桃太郎」で、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯へ」があります。「シバ」は「芝」ではなく「柴」であり、広葉樹の萌芽枝で、山の手入れあるいは必要な資材を取りのことです。この意味を正しく理解している人がほとんどいなくなりました。かつての日本人にとっては当たり前の「柴刈り」は、今の常識にはなっていないということです。
 「里山」は、四手井綱英先生の定義があります。ムラの回りに、ノラがあり、その回りにノがあります。日本で今日のように森林が多くなった時期はありません。かつて、日本でもっとも使っていたのは、たい肥や飼料、敷料として使ったノの草です。林野面積約2500万ヘクタールはあまり変わりませんが、野の面積は30万ヘクタールまで減り、その分、林の面積が増えています。
 サトヤマは年数回燃料を取りに行くところ、その奥にオクヤマ(奥山)があり年1回ぐらい熊を撃ち、さらに奥のタケ(岳)には入りません。しかし、これは、西日本の土地利用です。岩手県北上山地の土地利用とは異なっています。地域ごとに異なる持続的な半栽培形態があります。タケノコや山菜、野焼きとわらびの関係など、手を入れることで収穫物を得るしくみがあります。
 ある地域で自然を壊すことなく、めぐみを得ることは、「その地域でしか通用しない」技術です。「その地域でしか通用しない」とは、科学技術とは合いにくいことです。場所的には普遍性がないからです。ただし、時間的に普遍性があります。100年前の手法と、現在の手法は同じということです。科学技術では、場所的な普遍性、「どこでも使える」を求めます。
 ムラが失われていくということは、時間的普遍性、すなわちその場所で持続的に生きていく手法がまるごと失われるという意味です。それが失われると、水や食べものなど、マチの人が困ります。マチのためにムラに元気になってもらわなければ困るというのが本当のところです。

 今の森林の問題は、人工林による生物多様性の減少、手入れ不足の問題です。木は、土壌条件で縦に伸び、日光条件で横に太ります。手入れ不足の森は、木材としても環境としても問題です。1950年代に燃料革命が起き、薪炭から石油ガスへ、たい肥から化学肥料へ移り、人工林へ転換しました。山岳の天然林も技術革新で製紙チップにできるようになり、人工林に切り替わってきました。基本的には、都市の需要に応じて、農山村側が供給のために人工林化したのです。人と人との関係が多様であれば、多様な需要があり、多様な供給すなわち多様な自然を作ることになります。人と人との関係が多様ではなくなり、需要形態が単純になり、供給も単純になり、自然が多様ではなくなりました。
 農山村と都市の多様な関係の再構築として「新しいコモンズ」としての森林をつくることが必要です。
 森林保全に関わるボランティアは、08年全国で1863団体、10年程度で6.7倍に急増しています。かつては「切るな」という運動が盛んでしたが、自ら森林管理作業に参加する「足を運び、手を出す」市民活動に変わっていきます。それは「林業労働力の安価な代替品」ではなく、地域の暮らし方に寄り添う、新しい市民社会形成につながるものです。
 東京都では、1986年に大雪害が起きました。この被害跡地の片付けなどの活動がはじまりました。その後、古老から高度な手仕事としての山仕事の技術を学ぶようになります。古老も、はじめて若い人たちにとりかこまれ認められます。阪神大震災の経験を受けて、コミュニティスペースの重要性が認識され、山の人から神戸の人へとして、間伐してはベンチなどを作り送るという活動がうまれました。ボランティアが任された山はきれいになりますが、その周りには手をつけられないたくさんの山があることに気がつきます。そこで、東京の林業家と語る会ができ、それが地産地消の住宅づくり「東京の木で家を造る会」ができます。さらには、「近くの木で家を造る会」にまで波及しています。
 ムラの知恵の継承のためには、都市と農村の関係をあらためて構築する必要があります。持続可能な社会をつくるために、100年前にも、現在も通用するムラを生かすこと、ここでしかできないということを忘れてはいけません。

■事例報告3
「木質バイオマス利用と里山再生の取組み」(最上川流域での展開可能性)
伊藤幸男 岩手大学助教、岩手・木質バイオマス研究会会長

伊藤幸男氏

 化石燃料は、国家レベルのシステムであり、有限な資源です。地球温暖化など環境問題なども引き起こします。かつては、豊かさの象徴でしたが、現在は否定的イメージがあります。一方木質バイオマスは、地域レベルのシステムです。かさばり、重いからです。しかし、これは再生可能、持続可能な資源です。化石燃料から木質バイオマスへのパラダイム転換が必要です。
 木質バイオマスの時代が来ました。ペレットだけで、2007年32600トンになりました。木質バイオマスボイラーも200台以上、ペレットストーブでは20社、30社の参入があります。
 木質バイオマスの背景には、林業や地域があります。林業と地域との関係をどうやってつくるか、という課題があります。
 木質バイオマスには、林地残材、チップ、樹皮、プリケット、ペレット、木炭などの形態があります。重要なのは含水率です。含水率が熱量を左右します。
 岩手県では、2000年に岩手・木質バイオマス研究会を設立、しばらくは普及啓発活動を行い、2004年頃から岩手県が独自にペレットストーブの設置補助、2008年には国内クレジット、J-VER制度がスタートします。最初は信頼ある市場形成にとりくみました。需要と供給を同時に形成していくことが困難であり、小さなステップをつくり、民需中心に発展をしています。
 最初、スエーデンのヴェクショー市と交流しました。のべ48人のミッション団を派遣し、専門家を9名招聘し、12回のフォーラムを開催、それにより実現可能性や将来のイメージを共有でき、その後の普及啓発に役立ちました。
 木質バイオマスサミット、フォーラムを03年度から開催し、ペレット流通懇談会を開催。目標の設定と全国にむけての情報発信を行いました。
 県も部局横断型の木質バイオマスエネルギー利用促進会議を設置、それにより、普及段階に大きな役割を果たしました。
 岩手県では、ペレットボイラー46台、チップボイラー16台など全国的にも普及が進んでいます。岩手県では、雫石のホットスイムが一番大きく、岩手中央森林組合がボイラー用チップを供給しています。森林組合にお金が入るだけでなく、原油高騰時には、ホットスイムも経済効果が大きく出ており、一定の規模で回り出すと、関連の人たちに経済的な波及効果もあります。
 流通しているバイオマスは、製材工場などの端材や樹皮で、季節変動もあります。岩手県では、数億円の市場が民生需要として成立しています。公的施設が中心です。今後燃料の安定供給が課題です。まだ移行段階ですのでリスクもあり、市場の未成熟なところもあります。このバイオマスは主に針葉樹となります。岩手県の6割は広葉樹です。
 広葉樹は、今日、9割が製紙用チップで、それ以外は、椎茸栽培用、木炭用、薪などに使われます。
 葛巻町森林組合では、しいたけの原木や、棚薪、木炭用などの方がパルプ用よりも価格が高く、収益上は大きな効果があります。水沢地方森林組合は、コナラの造林を行い、シイタケの原木として、事業を組み立てています。
 田野畑村のように、世帯数1400ぐらいですが、薪ストーブが普及しており、半数以上が自給的に山から薪を入手し、2割が知人からもらっており、7割が自給的な利用です。このように商品化しないという視点もあります。
 地域バイオマスの担い手は、関わる人すべてであり、意識と信頼関係が重要です。「そこそこ満足」をかかわる基本です。
 日本の森林は、資源量は増えていますが、植林は進んでいません。今後、活用が進む中で、将来のことを考えると、再植林も進める必要があります。

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■講演
「地域づくりを支える人づくり ~地域の実践力を高める~」
広田純一 岩手大学教授

広田純一氏

 要点は、

  • 地域づくりとは地域の実践力を高めること。それは実践を通じてしか高められない。
  • 人づくりもまた実践が重要。実践を通じて当事者意識を高めることがポイント。
  • 当事者意識を高めるような計画から実践へのプロセスのデザイン方法を紹介する。

 これを、岩手県西和賀町小繋沢地区の地域づくりを事例として紹介します。
 最上川学の事例で、「地元学」の言葉が出てきました。岩手県でも、以前から総合計画で「岩手地元学」が柱のひとつになっています。岩手大学もお手伝いをしてきました。
 地域の宝ものを探すまではよくても、実践することは難しいことです。
 難しい目標でもたくさん人が集まり協同するのが実践力の高い地域です。
 難しくない目標でも人が集まらないのが実践力の低い地域です。地域づくりとは、実践力の低い地域を高い地域に引き上げることです。
 それぞれの時代、それぞれの場所で、かならず課題はあります。その課題に、助け合って取り組める地域になれるかということです。
 実践力を高めるには、最初、少人数の人が高い目標に取り組み、そこにいろんな人がかかわり、実践力が高まるという有志先行型と、最初、あまり難しくない課題、目標を多くの人が参加して取り組み、目標を上げていく全員参加型があります。有志先行型は、少数活動で止まることがあります。次に、それを多くの人の関わりに変えることです。
 それぞれに特徴があり、環境整備系は全員参加型が多くなります。事業(商売)に関わること、特産品の開発などは有志先行型になります。投資してでもやろうと思う人がいないと続かないからです。
 地域づくりの方法、実践力の高め方は、動機付け、目標設定、体制づくりがポイントです。
 動機付けとは関心を持ってもらうことです。まず、ふつうの人は関心がないのは当たり前ということを理解することです。暮らしが一番大事です。子どもがいれば子育てです。生活を大切にしている人が大事で、その人の関心をどうやって引き出すか、が、問題です。
 それには、現状を知ってもらうことです。問題に気がつき、現状を知る。これは地元学が最善の方法です。その際、問題点を探せばたくさんでます。いいところだけを探します。それでも、課題は出てきます。
 たとえば、神社や祠が、草ぼうぼうになっていると、「これまずいよね」となります。現状に気がつくというきっかけになります。地元学は実践を含んだ地域づくりそのものです。
 動機付けの次は目標の設定です。少しがんばれば達成できること、これをやると「達成感」「満足感」「高揚感」を得られます。難しすぎると挫折します。このあたりの手加減が必要です。また、具体的で、目に見えることです。環境整備系はわかりやすさがあります。多くの人が関わるものがいいです。例えば「水車で村おこし」は、水車大工さんで終わらせず、水車を作ったら、そばを粉にして、女性の力を借り、そば打ち、水車小屋をみんなで作る、回りのテラスを子供会や老人会でつくるなど、みんなが関わるような過程をつくっていくことです。
 人集めのポイントは、体制づくり、運営方法です。何かやるから人を集めるのではなく、これをやるのにあなたの力が必要だから、と頼むこと。人を見て仕事を作り、やってもらう。お願いする。名人がいても、最初から乗っては来ませんが、3回ぐらい頼みに行くと関わってもらえます。やれば楽しくなります。やる前はイメージがないから関心がありません。

 西和賀小繋沢地区の地域づくりの例です。この地域は、人口200人弱、60世帯。自治組織として「協議会」があります。同じ範囲で「行政区」があり、区長と協議会会長が2人います。
 NPOいわて地域づくり支援センターが町からの委託で地元学の支援をしています。2年間の計画です。ワークショップとして実行しました。まずは、地元学を行い、その後、地域のお宝の改善活用策を検討し、多くの人に「夢語り」をしていただき、具体的な将来像を描きます。そして、当事者意識を生むための実践テーマの絞り込みをしました。ここでいくつかの実践をするところですが、この地区では、自治会の専門委員会として「繋の郷づくり委員会」が設置され、ワークショップのチームが部会となって、様々な実践活動を行うところまでになりました。運営は各部会で行い、たとえば、わらび採り技術の伝承。自然探索会・秀衡街道学習会、大根品評会(全家庭に種を配布し、北上市で販売)。になはずし(収穫祭)で、そばうち、大根一本漬けなどです。
 地域づくりの基本は、地元のコミュニティを活性化することです。コミュニティの活性化を支援することがポイントです。
 支援する側として、我々のコンセプトは、我々が引く頃には、我々が不要なものになること。これはひとつの考え方です。
 一方、最上川学では、地域でできる仕事、生業を作って、学生が入れる当事者になる手法であり、考え方です。
 地域づくりのひとつ先ですが、「腹をくくる」がキーワードです。
 縁あってここに住んでいる。腹をくくって何かをやる。ここでしかできないことがある。
 何もない、ではなく、腹をくくった地域は泣き言を言いません。課題がたくさんあることは分かっていても、腹をくくってがんばる。来て楽しい、明るい、夢があるというところだから、学生たちが一度来たら、また来ることになります。

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