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研究概要
１．序（研究背景等）
農薬、残留性有機汚染物質、重金属など人為起源有害化学物質による海洋汚染は広域化し、海洋生態系への影響ひいては地球環境そのものへの影響が懸念されている。こうした中、2001年に残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約（POPs条約）が成立し、対策と共にこれらの化学物質の地球規模での監視が重点施策として挙げられている。しかしながら、特に海洋における要監視濃度レベルは極めて低く、観測手法を含めそのハードルは高いため、条約には盛り込まれていない。我々が、平成12年度より本推進費により開発した商船を利用した地球規模海洋観測は、その広域性と共に極めて低濃度の観測を可能としており、こうした要求に応えうる優れた手法である。本研究においてこれらの海洋観測システムを用いた主として太平洋を対象海域とした海洋汚染動態の把握と、海洋中での変質過程および海流や大気の流れをもとにした輸送過程を含めた動態モデルを構築することにより実現される有害化学物質による海洋汚染予測手法の早急な確立が、POPs条約を含めた有害化学物質の監視・対策のために必要とされている。
２．研究目的
地球規模の海洋汚染問題の一つとして有害化学物質による海洋汚染は深刻化しつつあり、汚染状況の監視とともにその規制が求められている。本研究は、太平洋を重点海域と定め、商船を用いた高頻度観測態勢の確立と汚染動態解明、各種汚染物質の海洋における分解・再合成などの変質過程の解明と有害性評価、有害化学物質の輸送・拡散過程モデルの開発を行い、これらを総合することにより難分解性有機汚染物質を含めた有害化学物質の監視・規制に資するための海洋汚染予測手法を確立することを目的とする。
有害化学物質による海洋汚染の動態を把握するために、太平洋を重点海域とし同海域に展開する商船を用いた海洋汚染観測を実施する。一方、POPs条約規制物質のうち、現在本観測で未対応のPCB等、さらに今後規制対象となる可能性のあるより多様な汚染物質の動態解明に資するために捕集方法、分析法を含めた多成分観測手法の確立を行う。また、各種商船を篤志観測船として利用する場合の適応性について検討を行う。
多環芳香族炭化水素（PAH）やPCBに関して、海洋環境中で新たに生成する水酸化体に着目し、これらの極微量水酸化体の分析方法を開発して、沿岸域から外洋までの濃度分布を測定する。また、太陽光シミュレーター（自然光と同じ波長の光を照射する装置）を用いて水酸化体の生成、分解速度などの基礎データを取得するとともに、海域の総合的な有害性（特にエストロゲン活性）を測定することにより、これまで未解明であったPAHやその水酸化体の海洋環境における挙動を解明し、有害性の総体に対する寄与を評価する。
海洋大循環モデルを気候値データで駆動して、北太平洋を対象とする定常的循環場をもとめ、その循環場を基に有害化学物質の挙動シミュレーションモデルを構築する。比較するデータがまだ充実していないので力学モデルとしては従来からの粗い分解能のものになるが、それと有害物質の拡散・変質過程を組み合わせたモデルを開発する。そのモデルを用いて想定される発生源を仮定した数値実験を数多く行い、その結果を総合的に解析する。さらに観測結果から逆に数値モデルの解析結果を用いて実際の発生源・輸送経路などを推定する手法を確立する。
３．研究の内容・成果
（１）有害化学物質による地球規模海洋汚染観測の最適化と動態解明に関する研究
有害化学物質による地球規模の海洋汚染実態把握および動態解明に資するための海洋観測システムとして、篤志観測船としての商船の利用関する検討、篤志観測船に搭載する観測機器の開発を行った。新たに２種類の観測機器を開発し、下記に示す広域観測を実施した。また、本観測態勢に不可欠な固相抽出剤のクリーンアップ、保存方法、捕集試料の前処理等一連の関連手法の確立を行った。
有害化学物質による海洋汚染に資するための広域観測態勢の評価の実施、および太平洋海域を中心とする有害化学物質による汚染状況把握のために、2003年12月および2004年8月に、日本―オーストラリア間の太平洋中緯度間（石炭運搬船）、2004年1月―2月に、ニュージーランド―タヒチ―イースター島―チリの南太平洋海域、チリ（バルパライソ）―チリ沿岸部―マゼラン海峡―ホーン岬―ドレーク海峡―南極海―アルゼンチン沿岸部―ブエノスアイレスの南米沿岸域および南極海の一部の海域（客船）、2005年3月および2005年9月に、日本―香港―東シナ海―八丈島沖―北太平洋―ロサンゼルス―北米西岸沿岸海域―オークランド―北太平洋―東京間（コンテナ
船）の北太平洋海域、2005年5月―6月に、地中海―西洋欧州沿岸域―北海―バルト海―ノルウェー海―北極海―北大西洋―北米東海岸沿岸域において試料採取を実施した。3年間の観測により採取した試料は、271地点496試料に及ぶ（全捕集地点を図１に示す）。この内約半数弱を分析し、残りの試料は今後の検討用として冷凍保存している。
分析したほとんど全ての試料
から、HCHs類が検出され、多くの試料からクロルデン類が、また一部の試料からはDDTおよびその分解物が検出された。さらに、一部の前処理試料を用いPCBの分析を行った結果、分析した全ての試料から極低濃度であるがPCBが検出された。HCHsの濃度は極めて特徴的である。まず、北半球と南半球では、全般的にその濃度が大きく異なっている。南半球は総じて極低濃度であり、最も高濃度が観測されたのは、ドレーク海峡でのβ-HCHで、23pg/Lであった。一方、北半球は海域および化学物質によりその濃度は大きく異なっている。北太平洋では、HCHsは高緯度ほどまた北米に近いほど高濃度の傾向にあるが、β-HCHはその変化がαおよびγ体と比較して少ない。α体およびγ体は、西太平洋で低く、東進するに従い濃度が上昇し、中部太平洋ではその濃度が維持され、東太平洋で再び上昇傾向となり、北米沿岸域で最も高かった。アジアよりの西太平洋では、一般的に南進するにつれ濃度は低下し、赤道付近以南においては極めて低濃度となり、異性体存在比も目立った特徴を示さなくなる。欧州沿岸域および北太西洋では、海域ごとにその異性体存在比および濃度は特徴あるパターンを示した。地中海では太平洋に似て、３異性体中β体が最も高濃度であるが、大西洋の海水が支配的になるジブラルタル海峡に近くなるとγ体が増えてくる。欧州沿岸海域ではβ体は最も低くなり、γ体が相対的に高くなる。北大西洋では一転してα体が支配的になり、北米沿岸で最も高濃度となることが観測された。クロルデン類は、総じてその濃度は10pg/L以下と低く、あまり海域による特徴が無く、HCHsの様な明確な特徴を示すことは無かった。全PCBは、北太平洋ではHCHsと類似し北米沿岸域で相対的に高めな傾向であったほか、欧州沿岸および北大西洋域では地中海（エーゲ海）が18pg/Lと相対的に高かった。
（２）有害化学物質の環境中での分解・変質と有害性評価に関する研究
平成15年度は、極微量分析法としてOH-PAHsを無水酢酸により誘導体化後、吸着剤被覆回転子により抽出し熱脱着-GC/MS法により、高感度かつ簡便に定量できる方法を開発した。また、太陽光シミュレーターを用いて、PAHの分解速度に関するメチル置換基の効果及びフミン酸の効果を明らかにした。内分泌攪乱作用に関しては、酵母を用いる方法により、アントラセンの光反応生成物である十数種類のOH-PAHの雌性ホルモン様活性を評価した。その結果、2-ヒドロキシアントラキノンは、17βエシトラジオールの1/8000、p-ノニルフェノールの0.4倍のエストロジェン活性を有すること、またこれらのOH-PAHsの中には、ラット肝臓S9で代謝された後、エストロジェ
ン活性を示すものがあることが分かった。
平成16年度は前年度開発したアセチル化／吸着剤被覆回転子抽出／熱脱着-GC/MS法を用いて、都市域天然水、近海域のPAH水酸化体の測定を行った。その結果、幾つかの水酸化PAHが、陸から離れるにつれて分解・希釈されている様子が認められた。また、遠洋海水に適用するためのより高感度分析法として、TENAX樹脂による固相抽出／in-tubeシリル化／熱脱着-GC/MS法を開発し、検出限界として0.01ng/Lと前法に比べて約1000倍の高感度化を実現した。これにより、サブテーマ(1)で採取した南極海からも0.07〜0.45pptと極低濃度の水酸化体を定量することが可能となった。一方、ナフタレンのジヒドロキシ体は殆ど観測されなかった。これらは、OH-PAHsの濃度や構成種は、試料採取地点の環境や採水時期により大きく異なることを示唆しているものと考えられる。なお、本法では直鎖脂肪酸（C12〜C22）やビスフェノールA等が明瞭なピーク（TMS体）として認められ（ライブラリーのフラグメントパターンと80%以上の相同性）、PAH水酸化体だけでなく、これらの物質のスクリーニングにも適用できることが示された。光分解に関しては、太陽光シミュレーターを用いて、アントラセン、ピレン等10種類のPAHの分解速度（半減期）を明らかにした。また、分解生成物については、酸性（pH<3）、アルカリ性（pH>10）、pH無調整の3種の溶液について検討した。酸性及びアルカリ性溶液からは何の生成物も検出できなかったが、pH未調整溶液からの生成物では、水酸化体やケトンが生成していることが分かった。一例として、アントラセンからはアントラキノン、1-ヒドロキシアントラキノンが確認された。内分泌攪乱作用に関しては、酵母を用いる方法により、ナフタレン系の水酸化体の活性を明らかにすることを目的とした。対象とした11物質中、5物質でエストロジェン・アゴニスト活性を確認した。また、これらの物質の代謝産物の活性を評価する試験を併用した結果、4物質で代謝産物が活性を有することを明らかにした。これらの活性は、最大のもので2-ヒドロキシアントラキノンの約1/4の活性を示した。
最終年度は、これまで開発してきた分析方法、エストロジェン様活性評価手法を用いて、実際
の海域に適用し、海域の総体としてのエストロジェン様活性の測定と各PAH水酸化体の占める割
合を明らかにして、未解明であったPAH水酸化体の有害性を評価した。種々の起源の海水試料の
エストロジェン様活性を評価するため、駿河湾の5地点から海水を採取した。採取地点を図２に
示す。採取した海水中の対象化学物質の濃度を測定した結果、16種類の対象化学物質がng/Lから
pg/Lのオーダーで検出された。多環芳香族炭化水素やその誘導体としては、例えば、ナフタレン
（8.1〜244ng/L）や2-ナフトール（<0.7〜54.6ng/L）、1,4-ジヒドロキシナフタレン（<0.8〜3
8.Ong/L）が海水試料から検出され、特にstation 4におけるそれらの濃度は他の試料採取地点と
比較して高かった。次に、それぞれの対象化学物質のエストロジェン様活性への寄与率を、個々
の化合物のエストロジェン様活性能と化学分析の結果から見積もった、各試料採取地点のエスト
ロジェン様活性への化学物質の寄与を図に示す。その結果、下水処理場付近の試料採取地点（st
ations 2と3）において最も環境エストロジェンへの寄与率が高い化合物はエストロンはであ
り、次いで、ノニルフェノール、ビスフェノールAであった。また、2つの漁港（stations 1と
5）においては、主としてノニルフェノールがエストロジェン様活性に寄与していた。一方で、
ビスフェノールAはstation 4のエストロジェン様活性に主として寄与していたが、station 4周
辺の製紙工場の影響によるものと考えられた。本結果は、海洋環境、特に古紙再生工場や下水処
理場付近を注意深く監視することが、環境学、環境毒性学的に重要であることを示した。
４．考察
POPsなど有害化学物質の地球規模海洋汚染の実態把握およびその解明のための篤志観測船を用いた広域海洋観測態勢を確立し、南北太平洋、欧州沿岸域、北大西洋、そして南極海、北極海と地球規模の観測を実施し、各海域の汚染実態を把握すると共にその特徴を明らにした。南極海においても極微量ながらHCHsの全ての異性体が観測されるなど、有害化学物質の広域拡散が進んでいる実態を示した。本研究で３年間で観測を実施した海域は極めて広域に渡るが、しかしながらまだまだ十分とは言えないし、さらに今後の推移を把握する上でも本研究で確立した観測態勢を用いた観測の実施を継続する必要がある。特に、POPs条約においては、条約の効果を評価する上においても、地球規模の観測を求めている。しかしながら、最重要対象の一つである海域における観測はその困難さ故に記述されていない。これは、海水（特に外洋域）中の有害化学物質は極めて低濃度であり、サンプリングを初め分析には高度なスキルと機材が要求されること、また海洋観測を実施するプラットフォームが圧倒的に不足していることに起因している。我々の開発した篤志観測船による広域海洋汚染観測態勢は、そのどちらにも応えうる手法であり、その能力を実際の運用において示した。しかしながら、船上における試料採取には細心の注意とスキルが必要であり、より一般的な運用にはコンタミフリーな完全密閉型のカラムシステムが必要と思われる。既にそれに応えるシステムは設計を終えているので、その完成を目指すと共に、本研究で確立した広域観測態勢を、今後国際的に提言し、その実現に向け努力したい。
多環芳香族炭化水素（PAH）水酸化体の極微量分析方法を開発して、沿岸域から外洋までの濃度分布を測定するともに、それらのエストロゲン活性を測定することにより、これまで未解明であったPAH水酸化体の海洋環境における挙動を解明し、有害性の総体に対する寄与を評価した。
環境エストロジェンに対する水酸化多環芳香族炭化水素の寄与率は低かったが、石油流出事故などにより、多環芳香族炭化水素が高濃度で環境中に放出された場合、太陽光照射や生物の活動によって多環芳香族炭化水素の水酸化体が生成する可能性があり、今後もこのような研究を進めていくことが必要であると思われる。また、下水処理場付近における海水試料のエストロジェン様活性が生物による代謝の結果増加したことから、環境影響の評価や基準の検討においては、代謝産物も考慮することが必要と考えられる。本研究で開発したPAH水酸化体の極微量分析法とエストロゲン活性評価法の標準化による、国際的に共通の尺度を持った有害性評価手法の提言に努めていきたい。
５．研究者略歴
課題代表者:功刀正行
1947年生まれ、東京理科大学理学部卒業、農学博士、現在国立環境研究所化学環境
研究領域動態化学研究室主任研究員
主要論文：
主要参画研究者
（１）:功刀正行（同上）
（２）:田尾博明
1957生まれ、東京大学大学院理学系研究科化学専門（修士）修了、理学博士、現在
産業技術総合研究所資源環境技術総合研究所水圏環境保全部水質計測研究室長
（３）:青木繁明
６．成果発表状況
�仝�刀正行、藤森一男、中野武：分析化学、55、No.11（2006）
「篤志観測船を用いた有害化学物質による地球規模海洋汚染観測システムの開発」
��功刀正行、藤森一男、中野武、原島省：分析化学、53、1375-1387（2004）
「フェリーを利用する海洋観測プラットフォームの開発および日本近海における有害化学物質による海洋汚染観測」
�８�刀正行、藤森一男、中野武、原島省：分析化学、51、1001-1008（2002）
「定期フェリーを利用した海水中有害化学物質の観測」
�� R. Kurihara, F. Shiraishi, N. Tanaka, and S. Hashimoto: Environ. Toxicol. Chem.,
24, 1984-1993 （2005）
"Presence and estrogenicity of anthracene derivatives in coastal Japanese waters"
�� K. Fujiwara, 11. Kumata, N. Kando, E. Sakuma, M. Aihara, Y. Morita, T. Miyakawa,
Intern. J. Environ. Anal. Chem., 86, 337-346 （2006）"Flow injection analysis to
measure the production ability of superoxide with chemiluminescence detection in
natural water"
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