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化学物質と環境円卓会議(第11回)議事録

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■日時:平成16年10月5日(火) 9:30~12:30
■場所:フロラシオン青山 孔雀の間(3F)
■出席者:(敬称略)
<ゲスト>
  森田昌敏 日本内分泌攪乱化学物質学会会長
  <学識経験者>
  北野 大 淑徳大学国際コミュニケーション学部教授
  原科 幸彦 東京工業大学工学部教授
  安井 至 国際連合大学 副学長
  <市民>
  有田 芳子 全国消費者団体連絡会事務局
  大沢 年一 日本生活協同組合連合会環境事業推進室長
  後藤 敏彦 環境監査研究会代表幹事
  中下 裕子 ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議事務局長
  村田 幸雄 (財)世界自然保護基金ジャパンシニア・オフィサー
  <産業界>
  瀬田 重敏 (社)日本化学工業協会広報委員会顧問
  田中 康夫 レスポンシブル・ケア検証センター長
  中塚 巌 (社)日本化学工業協会ICCA対策委員長
  吉村 孝一 日本石鹸洗剤工業会環境・安全専門委員長
  西方 聡 (社)日本電機工業会化学物質総合管理専門委員会委員長
  梅津 雅章 (社)日本自動車工業会環境企画部会(山下光彦代理)
  <行政>
  黒川 達夫 厚生労働省大臣官房審議官
  菊地 弘美 農林水産省大臣官房参事官(染英昭代理)
  滝澤秀次郎 環境省環境保健部長
  塚本 修 経済産業省製造産業局次長
   (欠席)
崎田 裕子 ジャーナリスト、環境カウンセラー
角田季美枝   バルディーズ研究会運営委員
片桐 佳典   神奈川県環境農政部 技監
嵩 一成   日本チェーンストア協会環境委員
   (事務局)
上家 和子 環境省環境保健部環境安全課長
■資料:
○事務局が配布した資料
資料1  外因性内分泌攪乱物質の環境汚染問題 -現状と課題-(森田さん講演資料) [PDF(919KB)]
資料2  環境ホルモン問題をどう認識するか(安井さん講演資料) [PDF(91KB)]
○事務局が配布した参考資料
参考資料1  第10回化学物質と環境円卓会議議事録(メンバーのみ配布) [HTML]
参考資料2  化学物質と環境円卓会議リーフレット [HTML]
○円卓会議メンバーが配布した資料
滝澤さん資料1 環境ホルモン戦略計画SPEED’98 取組の成果(パンフレット) [PDF(642KB)]
滝澤さん資料2 「環境ホルモン戦略計画SPEED’98」の改訂状況等について [PDF(20KB)]
滝澤さん資料3 SPEED’98改訂後の新たな対応方針に記載する項目に関する方針(案) [PDF(45KB)]
滝澤さん資料4 WHO国際化学物質安全計画「内分泌攪乱化学物質に関する科学的最新知見のグローバル・アセスメント」(目次抜粋) [PDF(31KB)]


■議事録

1.開会

(上家) 本日は、足下の悪い中お集まりいただきましてどうもありがとうございます。時間がまいりましたので、開催させていただきます。本日は、北野さんに司会をお願いしています。北野さん、よろしくお願いします。

(北野) それでは、ただ今から「第11回化学物質と環境円卓会議」を開催します。今回はメンバーの皆さんとご相談させていただき、「『いわゆる環境ホルモン』問題に対する認識」について意見交換を行うこととなっています。これにあたり、専門家の日本内分泌攪乱化学物質学会会長 森田昌敏さんから25分程度の、国連大学副学長 安井至から25分程度のお話をいただきます。まず、事務局から本日のメンバーの出席状況等と資料の確認などをお願いします。

(上家) まずは代理出席の方をご紹介します。産業界から山下光彦の代理で梅津雅章さん、行政から染英昭さんの代理で菊池弘美さんです。本日のご欠席は、崎田裕子さん、角田季美枝さん、嵩一成さん、片桐佳典さんです。
 次に、資料についてご説明します。資料は、滝澤さん資料1~4です。滝澤さん資料1は「環境ホルモン戦略計画SPEED'98 取組の成果(パンフレット)」です。滝澤さん資料2は「『環境ホルモン戦略計画SPEED'98』の改訂状況等について」、滝澤さん資料3は「SPEED'98改訂版に記載する項目について(案)」、滝澤さん資料4は「WHO国際化学物質安全計画『内分泌攪乱化学物質に関する科学的最新知見のグローバル・アセスメント』(目次抜粋)」のご紹介です。
 参考資料1「第10回化学物質と環境円卓会議議事録」は、本円卓会議のメンバーのみに配布しています。既にメンバーにご確認いただき、環境省HPに掲載済でいつでも、どなたでも入手可能です。参考資料2「化学物質と環境円卓会議リーフレット」は、毎回必要に応じて改訂しながら配布しています。今回は大きな変更箇所はありません。
 滝澤さん資料について少しご説明させて頂きます。順序が逆になりますが、まずは、滝澤さん資料2をご覧ください。「環境ホルモン戦略計画SPEED'98」について、平成15年度、16年度の二カ年で改訂作業を行っています。その経過を取りまとめているのがこの資料です。98年当時から現在までの間に新たに得られた科学的知見の追加、そして国際状況等もふまえた修正を加え、今後の対応方針について検討していくという内容を記載したいという目的で始めたものです。これまでの経過ですが、昨年の10月28日に第1回が開催されました。委員はこの構成の通りで、円卓会議のメンバーの方もいらっしゃいます。そして、第2回、3回、4回、5回と6月までに5回ワーキンググループが開催され、これまでの取組のレビュー、取組の評価、そして98年以降の国際的な動向等についてのレビューも行いました。
 その議論の中で、これまでの取組の成果をわかりやすくまとめるべきであるという指摘がありました。どのようなパンフレット、どのような取組の成果としてお知らせするのが良いかについては専門家の先生方にもアンケートをとり、内容についてご議論いただいた上でまとめたものが参考資料1です。この参考資料1は、SPEED'98の改訂作業の中で、これまでの取組の一つの成果としてできあがったものです。表紙では98年当時の背景とSPEED'98の経緯について述べられています。パンフレットを開くと、内分泌攪乱作用化学物質問題の発端となった考え方、当時の科学的知見について述べています。全部を広げると4ページの見開きになっています。最初のページが環境中の化学物質濃度や野生生物の状況ということで、環境省がこれまで測定してきた化学物質の濃度、内分泌攪乱化学物質問題に関連する化学物質の濃度、そして野生生物の中での蓄積状況などについて述べています。さらに、これに関連する研究としてイボニシに関する研究を国立環境研究所が中心となって行っていますが、その成果も掲載しています。2番目のテーマは、様々な生物への内分泌攪乱作用を調べるということで、いわゆる生態系への影響を調べるための試験法の開発や試験法の実証に関する取組をここにあげています。鳥類、両生類、無脊椎動物について試験法が開発されている段階であること、魚類についてはメダカを使った試験法が開発されており、これにつき実施された結果についても述べています。4ページには、人への影響を見るためのラットによる試験について説明をしています。3ページ目の一覧表は、メダカによる試験、ラットの試験、生態系影響の一部を見る試験と人への影響を見るためのラットの試験の成果をまとめて出したものです。非常にわかりにくい表になっていますが、正確を記すためにも細かなことまで全て盛り込んでいます。どの物質を対象に試験を行うかについては、SPEED'98の中で、当時懸念された物質のリストを作っています。そのリストの中から、これはメダカの試験、あるいはラットの試験が実施されてきた成果がここに掲載されています。そして、この試験の結果で直ちに判定をするというような性格のものではありませんので、具体的な試験の結果について細かく、できるだけ正確に検討会に報告された報告書から記載をしたというような仕立てになっています。4ページ目の後段は、疫学的な調査の結果の一部の紹介です。最後に国際的な協力についても述べています。環境省では毎年、内分泌攪乱化学物質問題について国際シンポジウムを開催しています。また、国際的にOECDが進めている試験法の開発などに協力していること、WHOの内分泌攪乱化学物質に関するグローバル・アセスメントの取りまとめ作業にも積極的に協力したというようなことをここに述べています。最後のページにこれからの取組ということで述べています。まず、これまでの知見を元にさらに広い視点で一層広い基盤研究、地道な野生生物の観察などの科学的な知見を積み重ねる必要があること。それから、改訂作業の中でわかってきたことですが、SPEED'98では計画を立てて取り組んできた成果をなかなか一般の方々にはわかりやすく提供する場面が少なかった、円卓会議のテーマである内分泌攪乱化学物質問題に関するリスクコミュニケーションが積極的には図られてこなかったのではないかというご指摘がありました。そういう面に十分に取り組んでいくことを最後にまとめたのがこのパンフレットです。これはあくまでもSPEED'98改訂作業の途中でまとめられているもので、成果そのものでは当然ありません。
 そして、資料2に戻りますが、今後の予定として第6回ワーキンググループで今後の新たな計画に記載する項目の方針案等が出て、第7回以降何回か開催することになっています。実は、第7回は本日の夕方に予定しており、一部のメンバーにはダブルヘッダーでご登場頂くということになります。
 新しい取組計画に関する新たな対応方針の項目案は、参考資料3に挙がっています。はじめに、これまでの経緯を概括し、そしてこれまでの取組についてパンフレット、あるいはここには掲載されなかったことも含め、これまでの概要と主な成果、残された課題について整理をします。もう1点は、これまでの試験結果の評価の詳細を充分に説明していきたいと思います。それから、環境省の取組以外にも様々な取組がこれまで行われて来ました。報告例がありますので、各種の報告について作業グループで個別に評価をしていただいたものをここに掲載することになっています。その上で、基本的な考え方を示し、今後の方向性を挙げます。具体的な項目として、1番目は「基盤的研究の推進」です。これは、分子レベルの研究から作用メカニズムに関する基礎的な知見まで、内分泌攪乱作用という観点から基盤的な研究がもっと進められる必要があることについて述べていく予定になっています。2番目は「環境中での検出状況の把握、野生生物等の観察」です。内分泌攪乱作用は、野生生物の観察からその異変を検出し、それが発端となって問題に取り組むことになりました。しかし、国内で野生生物の観察が生態系の異変という視点で十分行われてきたか、それが十分組織だって行われているかというと、いささか不十分であるというご指摘を委員の先生方から強くいただきましたのでこういう項目を挙げています。そして、3番目は「暴露の測定」です。SPEED'98では、当初リストに挙げられた物質のうち、我が国ではおよそ暴露の機会がないと思われるものも一部ありました。これは当時の知見を集めた結果からリストアップしたものですが、当時暴露の状況をつきあわせるまでの作業が進んでおらず、暴露の視点が盛り込まれていなかったため、今回は暴露の測定を取り上げるべきであろうという議論がありました。4番目は、これまでSPEED'98の中心であった「影響評価のための技術開発の推進」です。5番目は、開発された技術を元にする「リスク評価」、6番目は、リスク評価を元にした「リスク管理」の在り方、7番目は、「リスクコミュニケーションの推進」です。そして、付記する事項として、「取組にあたって配慮すべき事項」という仕立てで、現在、新たな項目について議論が進んでいるところです。最後の3ページは、化学物質検討フロー図です。1998年に作られた「優先的に検討すべき物質のリスト」に対し、様々な知見より暴露の視点からいくと優先的ではないのではないか、リストを固定して作っても様々な知見から順次優先課題が変わっていくのではないかというご指摘がありました。そのため、今後は「2004年版リスト」を作成するのではなく、考え方の流れを整理するべきであるというご指摘をふまえ、化学物質検討フロー図を提案させていただきました。検討を考慮する物質は人工物、天然物も含め様々な化学物質について既存の検出情報を調べ、測定結果から暴露について把握をし、内分泌攪乱作用という観点で懸念があると言われた元の報告の信頼性を評価した上で、検討すべき物質について必要があれば、試験等を順次行っていくというような流れにしたいということでご提案させていただき、現在ご意見をいただいているところで。
 少し長くなりましたが、滝澤さん資料1から4は、SPEED'98改訂状況の経過に関するご報告でした。事務局からは以上です。

2.議事

(北野) それでは、早速、議事に入りたいと思います。今回の議題は「『いわゆる環境ホルモン』問題に対する認識について」ということで、二人の専門家にお話しをいただきます。はじめに、日本内分泌攪乱化学物質学会会長 森田昌敏さんから、「外因性内分泌攪乱物質の環境汚染問題 -現状と課題-」についてお話をいただきたいと思います。


(森田) 
 日本内分泌攪乱化学物質学会の会長をやっております森田です。今日は25分くらいで、今どんなふうにこの種の問題が取り扱われているかについて、その背景や流れ、今後の課題の状況についてご説明をさせていただきたいと思います。

 この種の問題をどのように取り上げるべきかという最初の議論は、1990年代の半ばにありました。化学物質問題のトレンドをまとめると、概ねこんなふうになるかと思います。1970年ぐらいまでは、主に中毒患者が出る、あるいは死亡者が出るというものを元に化学物質の規制がされていました。その典型は、いわゆる劇毒法(毒物及び劇物取締法)の毒物指定です。これは、どんなに毒性があっても毒物指定になる訳ではありません。死人が出て初めて劇毒法の中に名前が載るという仕組みで、実際に影響が出たという事実をベースに行われてきた法律です。また、環境の主な法律である環境基本法で定められた健康項目は、基本的には中毒を経験して指定されてきたというのがこの時代です。
 1970年代を過ぎてから徐々に次のステージに移り始めます。それは発ガン物質のように、暴露を受けてから20年、30年も経ってから出てくるような慢性的な影響をどう考えるかという次の課題です。その種の研究が1970年頃からかなり広範囲に行われ、1990年代の初めに、例えば1993年の水質汚濁防止法の改正、あるいは1996年の大気汚染防止法の改正の中で、初めて発ガン物質対策が明確な形で規制行政に取り込まれたという状況です。その間には長いリードタイムがありました。約20年間の発ガン物質の研究があり、発ガンのリスクというものを評価する手法が開発され、そして対策としての規制が始まったという状況になります。このような流れの中で、今課題になっている内分泌撹乱物質というのは、一体どのように位置付けられてくるかということですが、1990年代の半ばにこの問題がクローズアップされてきた際に相当議論しました。少なくとも現時点では、規制行政に入るようなものではない、その前にまず研究が必要であり、長い研究の成果を元に何らかの規制が入っていくだろうという発想で、この研究が今一番重要な時期であるという認識です。

 それでは、一体この内分泌撹乱化学物質とは何かという問題があります。この定義は、今でも随分議論が分かれていす。1997年の2月にスミソニアン・ワークショップ(Smithsonian Workshop)で最初に定義されたのが一つの典型例です。これは、「環境中に含まれる物質、あるいは環境を介して人に入るような物質で生体内のホルモンのレベルに影響を与え、その結果として体内の諸過程を阻害するような物質である」と定義されています。これは物質側の定義で、影響側の定義ではありません。これが一つの相場観を作っていますが、その後いくつもの定義が異なる機関によって示されているという状況にあります。具体的には、そのような物質がたとえホルモンの作用を阻害したとしても、悪影響として明確に見えなければそれは内分泌撹乱化学物質と呼ばなくていいのではないかというような議論も現在でも残っています。そういう意味では、定義の部分はまだまだこれからの過程で明確になってくるというような性格をいまだに持っています。

 内分泌撹乱物質の影響が野生生物に見られるということについては、かなりのコンセンサスができています。古くは猛禽類の減少が1970年代に起き、1970年頃までDDT(注、殺虫剤)あるいはその他の物質によって卵の殻が薄くなり、ふ化率の低下を引き起こし、数の減少を引き起こしたという事はよく知られています。この時期に環境エストルジェン、環境中の女性ホルモンという言葉がサイエンスワールドで飛び交いました。1980年代に入り、防汚塗料に使われておりました有機スズによって引き起こされた巻貝のインポセックスが80年代半ば過ぎから見つかり始めました。現在では、有機スズの使用は制限され、IMO(注、International Maritime Organization、国際海事機関の略。国連の専門機関の1つであり、船舶の安全、海洋環境保全等に関する国際条約の策定等を行っている。)においても消滅させる方向で進んでいます。それから、1990年代に入って魚のメス化が見られるという議論が出てきました。これは合成洗剤に使われるノニルフェノールの誘導体、あるいはそれの分解物、あるいは女性自身から出てくるホルモンなどが河川の中で魚のメス化を引き起こしているのではないかということです。このような形で野生生物に見られる現象はかなり証明がされてきているという状況に向かっています。
 もう一方で、国民の関心の多くは自分たちの健康の問題であり、野生生物に異変が見られているということは人間にも何らかの形で影響を及ぼしているのではないかという考えが非常に強い社会的なインパクトとして出てきています。

 これに対し、果たしてその内分泌撹乱物質による悪影響はどの程度のリアリティがあるのかという議論が現在も残っています。特に、人の健康への影響についての因果関係の解明は、通常非常に難しい仕事であり、時間もかかり、かつ、証明が難しい。更に、このような内分泌撹乱作用は、胎児期に受けた暴露の影響が大人になって初めて見えてくることもあります。そのため、胎児期に一体どのくらいの暴露を体の中に受けていたのかを、20年前30年前に遡って解明するというのは非常に難しいところもあります。そういう意味では、人の健康への影響に関していろいろな議論が残りうる可能性を強く持っています。
 それから、内分泌撹乱物質についてどのような政策オプションがあるのかがもう一つの課題になってきます。毒性学的な情報が不十分な状態でリスク評価を行い、それについて個々の政策オプションを決めていく方法では、リスク評価そのものの確実性が弱い中で政策決定するという非常に難しい作業になります。一方で、そういう議論は止めて、むしろ予防的アプローチでやってはどうかということが言われています。予防的アプローチには、毒性学を始めとするサイエンス側からの提案もあれば、社会科学的なアプローチもあります。もはや合成化学物質を使うのは止めてはどうかという非常に極端な議論も存在します。そうは言っても、政策を決定する前に、たとえそれが予防的アプローチだったとしても、科学的な基盤の構築が無い限り、やはりよろしくないのではないかということです。

 そういったことも踏まえて、「環境ホルモン学会」、正確には「内分泌撹乱化学物質学会」が6年前に発足し、活動を行っています。1998年に世界で最初の環境ホルモンプロパーの学会として設立されました。生物学・医学・化学等の多くの専門家を中心にした学会ですが、その他に行政、政界、あるいは市民レベルの参加も一部あります。現在、会員数2,100名を越えて、ニュースレターを発行しつつ、年1回研究発表会やっています。研究発表会は、環境省の国際シンポジウムに併設された形で毎年やっており、今年は名古屋で行います。約400編の研究発表が行われ、少しずつですが研究発表は充実してきています。

 学会で発表される研究の中身を簡単に紹介すると、まず内分泌撹乱化学物質にはどのような物質があるのかについての研究が数多く見られます。ここでは、それを評価するための生物検定法の開発、あるいは毒性試験の結果もあります。
 2番目は、内分泌撹乱化学物質と呼ばれる環境汚染レベルはどの程度であり、それは人や野生生物の体内にどのくらい侵入しているのかという研究です。科学分析法、それを用いた環境分析、環境動態の解明があり、また広い意味での環境として、食品レベルでの測定もかなり多く見られています。
 3番目は、野生生物において影響があるのかどうか、因果関係の解明、さらには影響を回避する方法についての発表もあります。
 4番目は、人に影響はあるのかということと関係しています。かなり多くの研究は、因果関係を解明するというほど肉薄していない状況にありますが、人が浴びているいろいろな化学物質の量を測定するような研究が数多くされていますし、一部、因果関係に向けての研究も進んでいることになると思います。
 最後は、環境汚染防止の方法として、防止の技術、代替物質の研究、その汚染された土壌などの環境の修復技術に関する研究も展開されています。
 このような研究の中で、特に野生生物、環境汚染のレベルについての調査研究は、実はSPEED’98にリストされた物質を元に行われているケースが多いです。

 現在話題になっている主要な内分泌撹乱化学物質を分類すると次のようになります。
 1番目が有機ハロゲン系化合物で、ダイオキシンを始めとするものです。いわゆるPOPsがここに全部入ります。その他に最近注目を浴びている臭素系の難燃剤、あるいはPFOS(注、パーフルオロオクタンスルホン酸。主に、繊維用撥水剤として使用されている。)のようなフッ素系の化合物がここに入ってきます。
 2番目は、芳香族の工業化学品で、しかも非常に生産量の多い物質です。年産で数万トン以上を造られているような物質について、環境中に検出されることが多いということを含めて名前が挙がってきています。
 3番目は農薬類で、4番目は重金属類です。典型的なものでは、メチル水銀などがありますが、それ以外に有機金属化合物の仲間がここに入ってくるケースが多いです。
 その他の化学品として例えば、精子減少症を引き起こすような臭素系の化合物がここに入ると思われます。その他に植物系のエストロジェン類、あるいは人畜のホルモン、あるいは女性が服用するピルの類が環境ホルモンになってくるという構造になります。
 この中で特に工業的に重要な部分は、ひょっとすると2番目あたりかもしれません。

 化学物質の影響として対策がいくつかとられてきましたが、それについて若干復習をしておきたいと思います。ここではアスベスト、PCB、有機スズ、ダイオキシンを例に挙げます。

 アスベストは環境ホルモンに分類されていませんが、一つのケースとして考えます。アスベストは1970年までは非常に多用されてきました。70年代にかなり強く発ガン性を疑われ始め、やがて労働安全衛生法の特定物質に指定され、生産が縮小し、特に大量に生産していたアメリカの企業がこれにより倒産しました。やがて、アスベストが大量に使われてきた用途先でこれを取り除く作業に膨大なお金がかかり始めることになっていきました。
 一連の出来事の中で感じるものは、アスベストの発ガン性はたいした事はないと思われていたことです。それほど大きなリスクがないという認識が70年代にあり、これが公判に使われてきた背景です。それから約30年が経ち、現在悪性の中皮腫、主にアスベストが主要な原因ではないかと考えられているガンは年間50人のペースで発生しています。そして、最近の裁判においてもアスベスト対策を十分とっていなかった企業に対して賠償金を支払うことが求められるような判定がされます。
 これは一つの典型的なケースですが、後になって当初考えていたリスクよりも大きいと認定され、一体その責任はどこにあるのかということが問われるケースです。実は、化学物質はいつもこの問題を抱えています。当初考えているよりもリスクが大きいことが研究の結果徐々にわかってきた場合、対応をどのようにしたらよいかということです。

 次はPCBです。PCBも典型的なルートを辿っています。
 国内では、1954年に鐘淵化学が生産を開始します。やがて、68年にカネミ油症を経験し、また70年頃に環境汚染の広がりが認識され、73年に化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律)の第一種特定化学物質に入ります。73年に電気工業界は一貫して、PCBの毒性はたいした事が無いため、それを使わないというアプローチは正しくないということを主張していました。しかし、最終的には当時の通産省の化学工業局長の命令で自主規制に至ったという流れです。その後転々として、現在では国際的な規制へと流れています。鐘淵化学は、PCBを5万トン強生産し、その売上額はせいぜい100億円くらいで、得た利益は2億円ぐらいでした。しかしながら、実際に鐘淵化学は返品されたPCBを処理する為に200億円ぐらいかかり、さらに現在この負の遺産としてのPCBを処理するために日本全体で約4,000億円かかるという状況に向かっています。一体これは何だろうという疑問が残りますが、国際的な流れを含めてそういう状態になるケースがあるという一つの話です。

 イボニシのインポセックスの原因として、防汚塗料として使われていた有機スズがありました。1980年代半ばに環境省もこの汚染があるということをある程度見つけています。しかし、代替品の問題等いろいろなことがあり、また時を同じくして公害問題はだいたい終わったという認識もあり、その流れの中でやや対策が遅れてきた一つの例です。
 日本中にこの有機スズの汚染が発生していきました。

 起こったのは、このイボニシという貝の中で輸卵管が閉鎖され、生殖がうまくいかなくなるという現象です。このイボニシは、特段沢山食べたりするわけでないので、いなくなってもいいのではないかという議論がないわけではありませんでした。

 しかし、この種の有機スズ化合物は、かなり広い範囲で魚の中に存在していました。
 これは、1988年に環境省が全国調査を行った魚の中のトリフェニルスズの含有量です。トリフェニルスズについては、当時すでにWHOの許容値が決定されていたので、それに基づいて計算すると、だいたい0.5ppmくらいが許容濃度ということになります。それを超えた魚が日本中で見つかりましたが、その時の環境省は、差し当たりすぐに健康に悪影響があるわけではないけれども、対策は必要であるという認識でした。

 当時1988年レベルでの有機スズ化合物の推定摂取量は、平均的なシナリオでだいたい0.6μg/kg・bw/日(注、一日体重(body weight)1kgあたり0.6μg)でした。これはWHOのTDIをわずかに超した量です。大量に摂取するような人がいればTDIをかなり超えることになりますが、直ちに病気になるわけではないということをどう考えるかが残された課題でした。

 次は、ダイオキシンの例です。ダイオキシンについてもまだ議論が残っています。
 これは当時、ベトナムの枯葉作戦に用いられた245T(注、枯葉剤)の汚染によって引き起こされたと思われる奇形と塩素挫傷と呼ばれる症状が体内や表面に現れている例です。

 アメリカ軍が農薬をこのような作戦に用いると、農薬の研究者はこのようなとのために開発したのではないと非常に批判的に議論します。空から植物ホルモン系の農薬を大量に撒くと葉っぱを全部落とすことができ、この中に含まれているダイオキシンが当時の環境汚染を引き起こしたと考えられています。
 ダイオキシン問題は、実は日本では全く違った様相を呈しています。それは、ゴミ焼却炉が問題になったということです。何故かと言うと、世界中のゴミ焼却炉の半分が日本に立地しているという日本は焼却大国だということと関係しています。

 それでは、ダイオキシンの体内濃度はどうか、あるいは暴露量はどうかが問題になりますが、体内濃度は後で議論します。
 WHOが定めたTDIは、許容量として1~4pgTEQです。TEQとは、ダイオキシンの仲間で、2,3,7,8-塩素化ダイオキシンの毒性の強さに全部換算するという作業を行って表した表示です。1~4 pgTEQくらいが適当であり、日本でも4 pgTEQを採用していろいろなレギュレーションをかけています。
 その4pgTEQに対して、赤ちゃんが母乳を受けている間に摂取するダイオキシンの量は、そのだいたい15倍くらいです。例えば、半年間母乳を受け続けても大丈夫かという議論については、まだ完全に答えが出ているわけではありません。母乳の有効性を考慮すると、ダイオキシンのリスクより重要ということで母乳は推進されていますが、少なくとも母乳中のダイオキシンはもっと少ないことが望ましいという状況にあります。

 ダイオキシンのリスク評価をする過程でいろいろな議論がありましたが、現在では、一番低濃度で影響が出てくるのは、精子の減少であると考えられています。いくつかのレポートが出され、最終的には、20~80ng/kgという体内濃度で精子減少という悪影響が出ると考えています。20ng/kgから計算すると1pg、それから80ng/kgから計算すると4pgという数字が計算されます。1pgは実質的に難しいということで、結果的に今、日本政府は4pgという数字でリスクをコントロールするというアプローチをとっています。

 では、世界中はどこに向かっているのかについてです。とりあえず、今まで80pg/kgで規制を行ってきています。現在、ヨーロッパはその半分の値(2pg/kg)で規制しようとしていて、ヨーロッパは既に食品のダイオキシン規制をかけています。従って、ヨーロッパに流通する食品は、ダイオキシンの含有量についての規制があります。日本、あるいはアメリカにはこの規制がありません。
 現在、いろいろな環境問題を含め、ヨーロッパが世界をリードしているという状況ですが、ダイオキシンもその一つの例です。ヨーロッパは現在2pgに向かっていて、これを達成できるようにしようとする方向です。多分、他の国もその方向にほぼ向かってくるのだろうと思います。今後、もしそうなったときに、日本はどうするのかが再度問題になってくるということです。

 いくつかの例がありましたが、内分泌撹乱物質の研究の広がりを少しご紹介します。
 内分泌撹乱物質というのは、ホルモン系を議論して生殖系を中心に影響を見ていましたが、エンドポイントがどんどん拡大しまして、ガンを含めいろいろな影響、あるいは免疫系への影響を含めて研究が広がってきています。そのような作用メカニズムの理解とともに、いろいろな影響があるという方向に向かっているということ、それからこのような作用をもつ化学物質の種類の数がどんどん増えてきているということがもう一つあります。

 このような内分泌撹乱物質の最近の話題の代表的例として難燃剤があります。臭素系難燃剤については使用をやめようということで、電気業界でもすでに対応され始めています。
 それから、PFOSと呼ばれるフッ素系の化合物、これはテフロン系統を中心に展開されてきました。湖沼や東京湾でも、どこの水からも検出できるくらい広範囲に汚染が分布してしまっていて、全ての人の血液から検出されるくらいになっているという状況があります。
 それから、ビスフェノールAとフタル酸エステルは非常に身近な汚染物質として大量に使われているため、これらの物質をどう考えるかという議論がくすぶっています。時々、まだこの種のものでの悪影響があるという疫学的なデータが出る状況にあります。

 臭素系難燃剤についてはこんな状況です。世界中だいたい同じですが、私どもが調べた東京湾あるいは人体のトレンドでは1990年代から増え始め、どんどん濃度が高まってきているというのが下の図からわかると思います。

 最後に、内分泌撹乱物質についての問題をもう少しまとめてみます。
 内分泌撹乱物質の提起している問題というのはいろいろなレベルがありますが、一番重要と考えられるのは、胎児期や乳児の発達期において、化学物質の暴露影響が、特に非常に少ない量で起こるのではないかという問題を解かなければいけないという状況にあります。この種のアプローチについては、従来の毒性学あるいは疫学で十分かが、未だ解けていない問題です。

 そういう意味では、人への影響を解明するには相当難しい作業があり、因果関係の証明は非常に難しいです。特に、疫学的アプローチはある種の蓋然性だけを示しますが、それも難しいということがあります。中でも胎児期にどのくらい浴びたかということを今から検定するのは非常に難しいです。
 それから、最初に申し上げたように、予防的なアプローチは可能なのか、科学的な根拠をどの程度持てばそこへ接近できるのかということがあります。さらには、代替品の安全性が十分に確保できないで、ある物質を排除するのが適当かどうかという議論が残っています。そういう意味では非常に広範囲な研究が必要です。

 私たちは一般的にこのような対策をとってきました。ある化学物質の生産量が徐々に増え、あるいは徐々に環境中に蓄積をされながら暴露レベルが上がってくる。それが安全なレベルにあれば許容しているわけですが、要警戒レベルに上がり、そして被害レベルに達するとたちまち使用中止になります。現在は、この要警戒レベルまで上がってきたところで、警告を出したり、自主的な対応を求めて被害を防ごうというところです。

 化学物質をこのような形でコントロールしていくにあたり、構造的に難しい問題が沢山残っています。
 まず、化学物質の種類が膨大であり、それが次々と様相を変えて生産され、使用されてきている。一方で、生産設備にあるいは技術開発に資本を投下しているので、それが回収できないうちに止めてしまうのは難しいという生産側のロジックもあるかもしれません。
 それから、毒性試験には膨大な費用と時間がかかります。通常、毒性データが揃うのに20年もかかってしまうことがあります。そのようなところで、一体リスクは管理しきれるのかということが構造的な問題の一つです。
 それから、新たな毒性のメカニズムが見出され、それを契機としていろいろな毒性がわかってきます。そして、いろいろな失敗例が積み上がってくるのですが、今のところ悪者を代表選手に送り出して、後のものはシロという形で動いているようなところがあります。その甘く見すぎたツケを後で膨大に払う羽目になってきて、これを予防的に考えていく必要があると思います。そういう意味では、社会工学的なアプローチは、ある時点では最適化されますが、非常に長い時間を見たときのアプローチはどのようにすれば可能なのかというのが面白い課題です。

 内分泌撹乱物質の研究面の進展の中で、化学物質が引き起こすようないろいろな悪い作用が徐々に分子的なメカニズムとして理解されつつあります。それがどういう意味を持つかということの理解が、今後数年間のうちに急速に進むであろうと思われます。その結果を含めた形で、あるいはその政策展開がもう少しきちっとした形でできるのかもしれないと思います。特に、毒性学におけるパラダイムシフトが起こりつつあるのではないかというのが認識です。

 以上、かなりのスピードで説明しましたが、このような研究か進んでいるということでご理解頂けるかと思います。

(北野) どうもありがとうございました。次の安井さんの発表の後に十分議論の時間をとっていますが、今の森田さんの発表について質問などがあったら、お受けします。

(原科) 最後に「社会工学的なアプローチの限界」とおっしゃいましたが、社会工学をどう定義するかによると思います。どういった意味で社会工学的アプローチを定義しているのかをお聞きしたいと思います。私は、社会工学の分野の人間ですが、我々は社会工学を問題解決の分野であると思っていますので、このような表現で良いのかが気になりました。

(森田) 私は、社会工学という分野を非常にプリミティブに考えていまして、ソシオ・エコノミカルな視点を強くもち、現在の社会において最適の社会活動を模索するような学問であると思っています。

(原科) やはり定義によると思います。社会工学にはそういった分野もあると思います。ピースミル(piecemeal)といいますか、そういう定義もあります。しかし、我々はもう少し長期的な視点を持つべきであると考えています。短期的なアプローチには確かに限界があり、やはり長期的な視点から見なければいけないと思っています。ですから、社会工学でも限定的であると申し上げたいと思います。以前、私は国立環境研究所にいましたので、社会工学のことをご存じだと思い、申し上げました。

(北野) 他に質問はありますか?瀬田さんどうぞ。

(瀬田) スライド6に「環境ホルモン学会の活動」が書かれてありますが、この「環境ホルモン」という言葉は国際的には通用しないものです。実際には森田さんの肩書きにも「日本内分泌攪乱化学物質学会」となっています。この「環境ホルモン」というのは、マスコミ受けする言葉として日本では非常に広く使われていますが、国際的には使われていませんし、ましてや学会で使うということはまずあり得ません。環境省の資料でも使われていません。その理由は、結局内容を正確に伝えていないからだと思います。その内容を熟知しておられる森田さんにこの問題をどう考えておられるかをお聞きしたいと思います。

(森田) この学会を立ち上げるときに、「環境ホルモン学会」という言葉が良いか、「内分泌攪乱化学物質学会」が良いかという激しい議論がありました。医学系の一部の先生が「環境ホルモン学会」であれば参加はできないと言ったため、一応正式名は「内分泌攪乱化学物質学会」ですが、通称として「環境ホルモン学会」と使って良いということになりました。環境ホルモンという言葉がややマスコミっぽく流通しすぎて、おかしいのではないかという議論が当時からないわけではありません。一方で、なぜそれがおかしいのかという議論も少しありました。もともと、環境ホルモンの語源となったのは、“Environmental Estrogen(環境女性ホルモン)”という言葉で、これはDDE(注、殺虫剤農薬)をはじめとするものがそのような作用を持つためです。女性ホルモンであるEstrogenをもう少し広げた形で環境ホルモンという言葉が生まれたのだろうと思いますが、命名者は自分だという方が何人かいらっしゃる状態です。現在、“Environmental Hormone”が少しずつアメリカでも使われ始めているようです。例えば“E Hormone”というような名前が登場してきていますので、言葉は少し生きているということで良いのかなと感じています。
 また、「環境ホルモン」という言葉があまりにもはまりすぎているので、「内分泌攪乱化学物質」というような難しい名前の方が良いのではないかという議論が今でも残っていますが、通称と正式名称という状態で使っています。外から「環境ホルモン」というふうに聞かれることが多いので、いまだにこんな言葉を使っています。これが、絶対的に悪いという状況でもないだろうと思います。また、「内分泌攪乱」の「撹乱」という言葉もおかしいのではないかという議論も残っています。「内分泌攪作用を持つ」とか「内分泌エンドクリンアクティブな化合物」が良いなど色々とあります。従って、この学会の活動をどのように定義づけるかによって様子が違いますが、現況では「環境ホルモン」という言葉自体が悪いというわけでは必ずしもないという認識であるという状態です。

(北野) 中塚さんどうぞ。

(中塚) 有機スズの話で、先生がお示しになった環境省のモニターのデータは1988年のものですが、最近のデータはないのでしょうか?

(森田) これは、環境省環境安全課が行った黒本調査のデータです。このようなシステマチックな調査データは、1988年を最後にないと思います。最近では、この濃度は落ちてきていて人の暴露量は相当下がっているのではないかと思います。

(中塚) 私どもがインターネットで調べたところ、つい最近のデータもあり、それによると、ほとんどがN.D.(注、検出下限未満)です。一番高い瀬戸内海でも0.03ppmで、このデータの10分の1ほどです。平均で見ると、おそらく10分の1以下だろうと思います。ですから、なぜわざわざこのようなデータを使われたのかという印象を受けました。

(森田) このデータを使ったのは、現在こういうレベルの汚染があることを示すわけでは決してありません。つまり、1988年という時代において、このような暴露があったという話です。この時の結論は、差しあたり悪影響が露わに出るわけではないということで、特別のコントロールはされていません。そのように推移してきたということです。今の暴露量は減っている、昔の暴露量は多かったという例です。

(中塚) それにはどういう意味があるのでしょうか?

(森田) それはわかりません。このような悪い影響が、現在の人々に現れているのか、現れていないのかということはよくわかりません。

(中塚) その時点でも影響がなかったと思われていて、さらに最近では10分の1以下に下がっている、また将来にわたっての影響もはっきりしないというのに、わざわざこういう場所でこういうデータを先生が出されるというのはちょっと理解ができません。

(森田) それは極めて単純です。私たちは化学物質のいろいろなリスクにさらされていて、ある時期には高濃度を受け、対策が打たれることによってやがてそれは低濃度になってくる。そのようなものを事実としてきちんと理解しておく必要があるというそれだけです。

(北野) ありがとうございました。続いては、国連大学副学長 安井至さんから、「環境ホルモン問題をどう認識するか」についてお話をいただきたいと思います。安井さんお願いします。


(安井) 
 それでは、始めたいと思います。今の森田さんのお話は物質からの精緻な記述でしたが、今回の私の話はどちらかと言えば社会現象としての環境ホルモンをどう認識するかという視点です。ですから、少しサイエンスから離れているかもしれません。

 環境問題には、実は多種多様の問題があると認識しています。その中で、環境ホルモン問題は安心・安全に関わる環境問題だと認識しています。安心・安全ということは全ての環境問題に関わるではないかと言いわれればその通りですが、ここに属する資格を有する問題とは、リスクの大きさに比べて不安の程度が非常に大きいもので、ここに定義しています。今現在ですと、環境問題ではありませんが、BSEの問題がここにぴったり入ると思います。この手の問題は、鳥瞰的にものを眺める必要があります。鳥瞰の定義は難しいですが、非常に多くの視点をまんべんなく全て見て、空間的にも、あるいは考えるべく項目も、場合によっては時間軸も考慮するということです。時間軸は、できるならば人類と地球の関係に至るくらいの非常に長期的な視点を持った方がいいとおもいます。そうして問題を眺めなければ問題が歪むということがよくあります。その理由はここに書いています。ここに書いていないものの中には、これを食い物にする業界がけっこうあったりします。その最大の特徴は、しばしば市民が人質にとられるということです。これが良いかどうかというのは一つ非常に大きな視点ではないかと思う次第です。

 「安心・安全」ということが今現在の日本の国家戦略になっていて、総合科学技術会議等でもこれに関わるような問題がけっこう語られています。本来、安心と安全をくっつけてしゃべるということ自身が間違いです。そもそも、健康に関してもそうですが、安全性を高めれば高めるほど、日本国民というのはどんどん不安になっていくという妙な歴史があります。安心はどちらかと言うと、どのようにそれを理解するかという極めて文化的な、又は哲学的な背景を持っているので、全く別の話であると思います。今現在の日本人は、どちらかと言うと、理科・科学・技術離れしていて、将来どうなるかなと若干心配をしています。要するに、安全というものを厳密に議論していくと、100%安全ということはありませんから、確率というものの理解をどのようにするかに最終的には収束するわけです。その確率というものを理解できるだけの知的レベルを何とか日本に導入しなければいけないというのが安心の問題であり、確率がゼロにならないということをいかに理解するかという、ある意味哲学的なところをいかに導入するかが問題であると思います。その辺をちゃんと考えて世の中が動いていないと、こういった問題はよく起こるということではないかと思います。

 実例として、いろいろな環境問題をこのようにパターン化して、こういう問題はこのように考えるというようなことをやっています。
 本日は、1番の水俣公害型と6番のダイオキシン問題・環境ホルモン問題型が安心・安全に関わる大きな問題であり、この2つを対比させようと思います。

 これ以外にも、このような問題が色々あります。((7)リサイクル問題 (8)温暖化問題 (9)持続可能先進国型問題 (10)持続可能途上国型問題 (11)RoHS型問題 (12)CSR・EPR問題 (13)BSE型問題 (14)自然保護などの問題)
 BSE型の問題では、先ほどの問題と同じような問題として語ることができます。EUの規制であるRoHSの問題も似たような様子をもった問題かなという気がしています。

 水俣の問題を今日ここで語るつもりはありませんが、いずれにしても、ご存じの通り事実を語っています。このように、いろいろな種類の環境問題をどう理解するかが重要です。

 とりあえず、今はこのようなやり方でどうだろうかと思います。まず、そもそも被害があったのかが非常に大きいです。先ほどもありましたように、予防原則的問題と被害が現実にあった問題は明らかに違うわけですから、ここはまず区別をしようということです。
 直接の原因は何であったのか、間接的な原因はあるのか、あるいは社会的背景はなんなのかといったことで原因を広く議論し、加害者は誰か、被害者は誰か、どのような解決法があるのかといったことを議論していくことが、おそらく問題解決型の環境問題としては良いのではないかと思います。

 水俣型の問題を見てみると、被害は甚大であったと言えます。直接の原因は工場排水で、その処理が全く行われていなかったということです。背景、あるいは間接的原因としては、経済最優先主義であったり、環境容量という概念がそもそもなかった時代ですから、ある意味で無知であったということかもしれません。加害者はある企業ですが、公害に対する社会全体の無理解も大きく、従って国の責任も法律的に問われているわけです。被害者は地域住民で、解決法は直接的には排水処理技術であり、行政が対応しました。現象としては、ある意味で単純な問題だった思われます。こういった単純な問題と同じことがいわゆる「環境ホルモン問題」に対して言えるのかどうかが1つの検証の対象になります。

 ご存じのように、この問題を最初に指摘したのが96年に出版されました “Our Stolen Future” by Theo Colborn, Dianne Dumanoski, John Peterson Myers,(邦題「奪われし未来」)です。これが出版されたときには私もかなり驚きました。全く新しい種類の環境問題が出たのかなと思い、大変だと思いました。ただ、よくよく読み直してみると、この本には「科学探偵物語」という副題がついていることを最近再認識しました。要するに、この「環境ホルモン」というのはどうやらフィクションとして始まっています。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」も少し小説的なニュアンスがあって、個人的にはあまり好きではありません。レイチェル・カーソンとこの本の議論はここではやめますが、いずれにしてもこの問題はフィクションとして始まったのではないかという気がします。

 ただ、フィクションが社会問題になったことがあります。中でも“SPEED’98 ”の果たした役割は非常に大きいです。これがもしなかったら、といものは難しいですが、やるべきであったと思いますし、こういうことはしょうがなかったと思います。とにかく、国が“SPEED’98 ”を作ったために、メディアにとってこれらのリストに載った物質全てを「環境ホルモン」と通称で呼ぶことが合理化されてしまいました。合法的にまた合理的にそう呼べることになってしまいました。このリストは、「可能性がある」物質のリストであったに過ぎないのですが、この「リストに載った物質=環境ホルモン」であるという定義に使われたという意味で、“SPEED’98 ”はかなりネガティブな要因を社会全体に与えたという認識を持つべきであると思っています。

 これは平成10年度の山口県の文書(Strategic Programs on Environmental Endocrine Disruptors '98)です。山口県も地方自治体ですから「可能性のある」という形でちゃんと書いてはいますが、一般人はこういうところをぱっと読み飛ばすわけで、環境ホルモン対策への電話がたくさんかかってきていろいろと言われたそうです。「うちの県では何をやっているのか」という市民から問いに対して、ほとんど全ての県庁が回答してきたわけです。その結果、いろいろな研究が行われ、いろいろな事がわかってきました。

 これは私なりにまとめたものですが、厳密な話は森田さんに聞いていただいた方がよいかと思います。
 PCBやダイオキシンは影響があるということで、環境ホルモンとしてクロである。トリブチルスズもクロである。ただし、これは人に対して影響があるかどうかということに関して定かではありません。ノニルフェノールは、下水道から出て行く本物の女性ホルモンの代謝物質が一つのバックグラウンドを形成していて、これをもし本気で解決しようと思ったら、最終的には大都市あるいは日本全体における下水道の処理方法が今のままでよいのかという問題に既決するような気がします。ノニルフェノールという物質に対する規制だけでは解決しない問題であるという気がします。また、フタル酸類は魚類に対して弱いながらも何らかの影響はあるようです。影響がないのもあるようですが。そのような状況であるかと思います。

 環境ホルモンとしてシロであるということは、ヒトに対して影響がないものと人以外に対して影響がないものとにわけて考えなければなりません。フタル酸エステルのすべては、人に対してシロなのではないかという結論になったものと思います。アルキルフェノールも多分そうではないかと思います。人以外に関しては、このようなもの(スチレンニ量体、三量体、ブチルベンゼン)が“SPEED’98 ”のリストに一部入っていて、そのおかげでカップ麺の容器から一時期スチレンが消えました。また戻っているようですが、一時期は全て紙になりました。紙は使い勝手が悪かったようです。このようなことが社会現象として起こったということだと思います。

 今、環境ホルモンとしてグレーとして議論されているものに、ビスフェノールAがあります。ただ、これもかなりシロではないかと思っています。なぜかと言うと、ビスフェノールAの体内暴露は、かつてのデータと今の状況は必ずしも同じではありません。ビスフェノールAに関しては、私は缶コーヒーから一番多く摂取してしまったのではないかという気がします。実を言うと、いまだにアルミのボトル缶のコーヒーは怪しいのかなという気がします。もしご存じであれば教えて頂きたいと思います。アルミ缶の内側のコーティング材には、相変わらずビスフェノールAが使われているのかなという気がします。ご存じの通り、缶コーヒーは容器に熱い状態で入れてふたをするので、そこで溶出するというのが1つ。場合によると、自動販売機の中で売れないで何ヶ月も残っているものは延々と暖められっぱなしという状況ですから、ほとんど溶出しているのではないかと思います。
 次に、「古い農薬類や重金属類は可能性が低い」と書いている理由は時間的な問題です。例えば、人類の鉛に対する暴露量は、血中濃度当たりで決まり、ガソリンの添加剤として使われていた四エチル鉛による影響が1番大きいです。現在は1番高い時期に比べてもおそらく5分の1程度です。我々の世代ですと、その昔、水道管に使われていた鉛による暴露というものがありますが、それも消えているわけですから、時間的なスケールを眺めていくと可能性は低いような気がしています。ですから、全て時間的に見ていくと、なんとなく解決済みであるという気がして、ある意味では環境ホルモンというのはフィクションであったのかなと思います。ある種の警告であったとは思いますが、ある種の面白い話、小説であったのかなという気がしないわけではありません。ただ、もちろん先ほどから色々と指摘されているように生態系、あるいは野生生物に対する影響は全く切り離して考えていかなければならないことは事実だと思います。こういった問題でありながら、私は今このような理解をしていますが、一般の方はそうは思っていないように思います。

 それは、情報がメディアによってどのように伝達されるかが決定的だからだと思います。これは2002年6月、環境省の報道発表資料が新聞に報道された例です。報道発表資料にはこういうことが書かれています。
 「環境ホルモンの恐れのある物質から、優先順位の高い順に調査・研究を行った。その結果、フタル酸エステルの大部分は、通常の毒性物質として取り扱うことでよい。一部に若干継続して調査中のものもあるが」という言い方です。これは本来、「環境ホルモンとして扱う必要はない」と書くべきだと思いますが、そこはお役所的にこういうふうに書いています。同ときに、どういう意図で付けられたかはわかりませんが、「オクチルフェノールが、2番目の環境ホルモンとして認定された。」とあります。なぜ2番目かと言うと、ノニルフェノールが既に1番目の環境ホルモンとして認定されていたからです。しかし、化学をやっていた人間にとってはノニルフェノールがそうなら、オクシルフェノールも当たり前じゃないかというのが普通の意見です。ほとんど兄弟のように似たようなものですから。

 各紙はこのような報道をしました。読売新聞は環境ホルモンに比較的冷淡で、157文字でオクチルフェノールが環境ホルモン2例目に認定されたことを極めて簡単に書いています。

 一方、朝日新聞は環境ホルモンが大好きで、記事はけっこう長いです。メダカの実験がどうだったとか人に対してどうだとか、一応一通り書いています。ただ、見出しには「人に対して影響がない」ということが出ていませんから、よほど隅から隅まで新聞を読む人でない限り、この部分(「同省は人への影響を調べるためラットを使った実験をしている。ダイオキシンなどに比べ人体への蓄積性が低いことなどから、影響は低いと見ている。」)を読めるとはとても思えません。
 このことに関して、実は毎日新聞も報道しています。その後、毎日新聞の記者と少し議論したのを思い出しました。「人に対して通常の毒性物質で良いということをなぜ報道しないのか」という質問に対して、毎日新聞は「安全サイドの情報を出して、それを社会が信用して、万一何かが起きてしまったら新聞として責任を問われる」ということでした。しかし、逆は良いそうです。要するに、新聞というのは警戒をどんどん出して、実際にはそれが過剰な警戒であったとしても許容されるのだそうです。従って、メディアは「これは安心して良い」という記事は出さないということです。もしそれが外れたらどう責任を問われてしまう、おそらくメディアというものはそういうものだということがわかりました。

 ビスフェノールAに関しても、いろいろな報道が出ています。これは同じ年の11月29日に朝日新聞に出たものです。広島市で行われた環境省主催の「内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」で、環境省研究班の方たちが28日に発表しました。
 「正常児を生んだ815人の妊娠中から出産までの血液と、尿道下裂男児を出産した30人の血液を比較した結果、ビスフェノールAの濃度は、正常児の母親で0.4ng/mlであったが、尿道下裂児の母親の平均値は、その2倍であった。」というものです。ですから尿道下裂児とビスフェノールAの濃度には関係があるのではないかというものでした。

 その元データというものを一所懸命探しましたが、必ずしもピッタリくるものがよくわからず、いくつかの事実から多分こんなものなのかなと思いました。
 わりあいとn(注、データ数)が小さく、結果が優位かどうかはいささか危ないということと、このデータが出産時のものではなく、出産後半年から16年後の採血であるということです。実際ダイオキシンのように体内蓄積性の非常に高い物質であれば何らかの意味はありますが、ビスフェノールAの体内半減期は6時間です。6時間で消えるものですから、例えば、ビスフェノールAが缶詰や缶コーヒーに含まれるものとしたら、尿道下裂児を出産した母親は缶コーヒーが好きだったということなのでしょうか。それであれば、そのように解釈できなくもないですが、それ以外に解釈のしようがありません。
 これも正しいかどうかというのは難しいのですが、北大の山田先生が1989年のビスフェノールAの血中濃度が5.62ng/mlだったものが、1998年には0.99ng/mlと5分の1ぐらいに低下しています。先ほどの鉛と同様に、かなり多くの物質がそういう傾向にあるという現状です。これは伝聞で実際私は知りませんが、発表者にシンポジウムの感想を聞いたら、発表者自身もこの発表の持つ意味に関してよくわからないとおっしゃっていたようです。しかし、なぜか報道資料はこれに基づいてちゃんと作られており、おそらく会場に行っていない朝日新聞の記者が記事にしたということではないかと思います。

 いくつかの実例を挙げましたが、やはり横軸に時間をとって話すのはけっこう重要です。これは益永先生(横浜国立大学大学院教授)の研究結果です。これも過去の話ですから、絶対的に正しいとは言えませんが、ダイオキシン類に関しては、除草剤系あるいはPCB系の影響が大きく、1970年代に非常に多くの暴露があり、先ほどご指摘のあった焼却炉の危惧はほとんどないに等しいということです。従って、先ほどの4pgのTDIの大部分は相変わらず魚から摂っているわけです。もしも我々がダイオキシンの規制をしようと思ったら、ある種の魚を食べるなということにすればよい話です。あるいは、そのリスクを承知して食べるということになります。これだけ明確に経年変化がでているものはありませんが、血中濃度などを測っていけば、歴史的にいくつかのことはわかってくるだろうと思います。

 環境ホルモン型問題の解析ですが、生態系に対しては影響が「有りうる」ことが分かってきました。全てが正しいというわけではありませんが、「有りうる」ということは、例えば、“Our Stolen Future”の中に出てくるワニの話です。ワニというもののメスが多い、オスが多いという話は、実は卵が孵る時の温度で決ります。要するに、人間の性は男性、女性ということがばっちり決まっていますが、魚類や爬虫類などはかなりいいかげんに決まっているということを私もこの問題で初めて知りました。また、多摩川の鯉はメスが多いという話もありますが、鯉は全般にメスが多いそうです。なぜかというとメスでないと売れないからです。従って、エサを工夫してメス化させるのだそうです。ですから、メスが多いのも当たり前ということです。
 ただ、先ほどスミソニアンの定義などありましたが、人に対しては一体何が被害かと言われると、いまだによくわかりません。古いもの、例えばPCBに関しては、知能の程度が落ちるといったことはわかっている気がします。そのあたりが全部わかっていないと言うつもりはありませんが、過去に製造・使用を禁止された化学物質以外に関しては、わりあいと人に対してまだ何が悪かったのかはわかっていないような気がします。要するに、被害というものがあまりよくわからない。これを予防的に起きうる問題、あるいは起こるかもしれない被害が議論の対象です。ですからこういう問題をどう扱うかは非常に難しいです。私のお薦めは先ほど言ったように、横軸に時間を見てその経過を眺めて判断をするという話です。この話を被害が明らかであった水俣型と同じような反応をすることは愚かでしかない、ということを結論として申し上げたいと思います。少なくとも、「生態系」と「ヒト」とを完全に分けた議論が必要であろうと思います。

 「安心と安全」の問題に戻りますが、「安心」が国家戦略であること自身がPopulism(注、大衆迎合主義)です。「安心」のウェイトがターゲットであれば、むしろ犯罪などによる人命の損失などをもっと真剣に考えるべきです。また多くの場合、企業の不法行為が原因となって一般市民が不安を感じているならばこの2つをきっちりやるべきです。
 物質の規制を厳しくしていけば安心になるというものではないと思います。とにかくこのことも認識しようということです。また、先ほども申しましたように、リスクはゼロになりません。リスクはゼロにならないが、それでも良いというようになるには、地球史をずっと眺めるとか人間と地球との関係をもっと哲学的に考えるとか、そういったようなことをやっていかない限り、どうも悟りには達せないような気がします。

 今日本は安心・安全が国家戦略ですから、これに対して予算がつくこと自身を否定することはなかなか難しいです。安全に対しては私も否定はしませんが、コミュニケーションで安心を得るのであれば、もっとコミュニケーションを進めるべきです。非常に難しい問題ですが、もっと真剣にやるべきでしょう。もしも今後、「安心・安全」のために環境ホルモン研究を行うならば、安心のためにいくらまで我々が払うかということです。例えば、BSEに対していくらまで払うか。BSEは比較的簡単で、100gあたり1、2円ずつ余分に払っています。同様にいくらまで余分にお金を払うかという考え方をすればよいのではないかと思います。
 環境ホルモン研究が「未知」に対する科学的チャレンジであるなら、この価値を決めるのは極めて難しいです。ですからこれに関しては、どれほどファンディングをするかはピュアレビューの世界で考えていくしかないのかなと思います。要するに、やろうという提案があってそれを認める、そしてお金を出すという普通の科学研究のやり方で良いのかなという気がします。以上です。

(北野) ありがとうございました。ここで、10分程度の休憩を挟んだ後、安井さんのお話に対するメンバーからの質問等から再開したいと思います。

―― 休憩 ――


(北野) それでは、再開します。先ほどの安井さんのお話に対する質問等をいただき、その後、「『いわゆる環境ホルモン』問題に対する認識について」の意見交換を行いたいと思います。では原科さんどうぞ。

(原科) 安井さんがおっしゃったように、全体のバランスを見ることは大変重要な視点だと思います。ただ、スライド9の表現で“Our Stolen Future”とレイチェル・カーソンが同じようなものだと説明されましたが、両者は明確に違うと思います。ですから、この表現は誤解を招くように思います。フィクションといってもレイチェル・カーソンは事実をベースに相当時間をかけて、命をかけてと言い切っても良いぐらい調べたわけですから。それに比べて“Our Stolen Future”はフィクションですから、その辺は誤解のないようにお願いします。

(安井) 形式が似ているということを書いているだけです。Theo Colbornとレイチェル・カーソンが同じであるとは全然思っていません。レイチェル・カーソンは社会に孤立しつつ一人で戦った、方やマスコミに取り上げられ自分の意図以上に何か応援団の勢いの方が強かったという感じがします。

(北野) 村田さんどうぞ。

(村田)  “Our Stolen Future”がフィクションであると書かれていますが、これはそもそも学術的な報告書ではなく、一般市民の啓蒙のためにこの難しい概念をどう伝えるかということを議論した上で、理解されやすいように「探偵物語」という仕立てにしたと聞いています。ただし、そこで取り上げられている事実や因果関係に対する考察は、その時点での科学的な根拠に基づいてきっちり書いたということを直接Theo Colbornから聞いています。とい言うのは、「沈黙の春」の場合、出版された後に化学産業から相当いろいろな攻撃を受けたので、“Our Stolen Future”も当然そのようなことがあるだろうと予測し、揚げ足を取られないようにしたわけです。ですから、極力科学的な考察を加えて何度も書き直したと聞いています。
(安井) それはあまり問題ではありません。メディアはどちらかと言えばTheo Colbornの味方でしたから、まず問題は起きなかったように思います。ただ、私が問題にしたいのは、例えば、人に対する影響は「DES」という人口ホルモンを使って色々と検証されていますが、はっきり言ってあれは環境ホルモンではありません。ですから、本当に公平な立場ではなく、小説として面白いように書いたと私は思います。

(中下) 安井さんに1つ質問があります。スライド2に、「ゼロリスクが目標の『安全ボケ』社会」という記載があります。第7回のときに安井さんからゼロリスク論についてのお話をいただき、ゼロリスクがあり得ないということを私は了解しています。ただ、リスクゼロを目標に政策オプションを考えることは極めて有効なことだと考えています。その点についてどうお考えなのかということが1つです。また、国連大学が推奨しているゼロエミッションを考えても、エミッションゼロはあり得ないことです。あり得ないことを目標に掲げていることについてどうお考えかなということをお伺いしたいと思います。

(安井) 後者からお答えします。私自身、ゼロエミッションについて一切担当もコミットもしていません。今、ゼロエミッションは国連大学の親戚機関である「ゼロエミッションフォーラム」が進めています。国連大学のゼロエミッションの定義は、エミッションをゼロにすることではありません。とある企業から出てくる廃棄物が別の企業の原料になるという形を提唱しているだけです。日本のメディア、又は企業はとにかくエミッションをゼロにすることが1番良いことだとしていますが、実際には、廃棄物処理業者に有価で引き取ってもらっています。つまり、自分たちが捨てないで、それを誰かに押しつけるという行為をやっているだけです。それであるにも関わらず、それが良いことであるというのを作ってしまったのが日本の安全ボケ社会であると思います。

(中下) 完全にゼロにするということは、何の行動にしてもあり得ないことだと思います。それでもあえてゼロを掲げて生産の工程から、仕方、材料選定、生産方法、つまり上流に限りなくさかのぼって、インバース・エンジニアリングを考えることに意味があります。化学物質についてもリスクゼロを考えることによって、もう一度化学工業の生産の在り方を考え直すという意味があると思います。この点についてどうお考えですか?

(安井) 意味がないと思います。まず、ゼロというものに意味はありません。ゼロよりはミニマムを目指すべきです。ミニマムということは、努力すると現状よりも悪くなるかもしれないわけです。場合によっては、今がミニマムかもしれない。ですから目標はミニマムというのを立てて、現状を分析すべきだと言っているのです。ゼロという言葉を使うべきではありません。

(中下) ミニマムというと今あるものを減らしていく、つまり現状のプロセス、生産の仕方といったものを前提として少しでも減らしていくというような考え方が主流になるのではないかと思います。しかし、ゼロを目標に立てたときに、方法論が抜本的に違ってきて、ものを使わない生産をしようとか、そういう方向に行くのではないかと思います。ですから、そういう意味で意味があるのではないかと申し上げているのです。

(安井) ないと思います。

(中下) それは見解の違いですね。

(安井) 必ずトレードオフというものが起きますから、常にミニマム以外は言ってはいけないのではないかと私は思っています。

(北野) かなり大きな概念の話になってきました。最初に森田さんの方から「いわゆる『環境ホルモン』」についての自然科学的な問題点などのお話をいただきましたし、安井さんから社会科学的な面の問題ということもご指摘いただきました。この会は、合意に達することを目的とはしていないので、今日はとりあえず、いわゆる環境ホルモン問題についてどういう認識をしているか、環境ホルモン問題をどう考えているかについて、言いっぱなしでもけっこうですのでご意見をいただければと思います。では、有田さんどうぞ。

(有田) 安井さんに2点ほど訂正をお願いします。その後に意見を言わせて頂きます。
 1つは、発言の中でカップ麺の容器がすべて紙に変わったとおっしゃいましたが、実際はそうではありません。ラーメン工業会はその後、大々的にお金を使い、問題がないという新聞広告も打っていて、それで治まったのだと思います。
 もう1つは、“SPEED’98 ”について当時の環境庁が67物質についてお墨付きを与えて、このような動きになったのは問題であるようにおっしゃいましたが、私の認識は違っています。“Our Stolen Future”などをきっかけに、今までただ漠然と不安に思っていたことに関していろいろな情報から入ってくることも含めて、消費者はある程度、「これは大丈夫なのだな」とわかってきたものもあります。これは、環境省の速やかな対応が良かったものと評価しています。安井さんとは見解が違うということを申し上げたいと思います。

(安井) 後半は訂正ではなく見解の違いですね。それであればけっこうです。

(北野) 委員のみなさんが環境ホルモン問題に対してどう認識をしているのかをまずお話ししていただければと思います。続けて有田さんどうぞ。

(有田) 先に森田さんがお話し頂いたものに対して、情報が古いから悪いとは思いません。流れとしてこのような見解があって、今は研究の段階であるとおっしゃいました。それはそのように私は理解しました。ただ、ホームページなどいろいろな情報を見ても、研究の途中ということもあるのかもしれませんが、行政も含めて新しい情報は出ていないです。特に、地方自治体では平成11年、12年で情報が止まってしまっている状況です。もし新しい情報があるのであれば、公表していただかないと、私たちは情報を受け取りようがないと思いました。環境省も工業会も国際シンポジウムなどを行っていて、研究しているとおっしゃるかもしれませんが、市民は全てその場所に行けるわけではありません。そういうこともあって、正しい情報が伝わってきていないという認識であることをこの段階では申し上げたいと思います。

(北野) はい。現時点では正しい情報がなかなか回ってこないということが有田さんの認識ということですね。では塚本さんどうぞ。

(塚本) 今日のお二人の話やメンバーの方々の意見を聞いて、大変触発されました。
 まず、環境ホルモンの問題では、原因と結果の不確実性がある中で、いかに的確に対応していくかという意味で、的確な化学物質の管理を行い、きちんとした評価をしつつ、ただし、あえて可能性の段階で決めうちしないという意味での無用な混乱を避けていくべきだろうと思います。適切な科学的アプローチと一般市民が受け取れる情報公開が非常に大切であると思っています。経済産業省では、環境ホルモンという問題はそれなりに重要な問題と考えています。この因果関係をはっきりさせるためにも評価手法をきちっとするべきではないかと思います。関係省庁では評価手法の開発を行っており、経済産業省でもそれなりの成果がでています。これについて、皆様に情報を公開して、皆様と一緒にこの問題を考えていきたいと思います。
 ここで私は中座させていただきます。代わりに経済産業省製造産業局化学物質管理課長の関成孝が参加します。

(北野) ありがとうございます。不確実性の中でどう対応するかということのためには科学的なアプローチで評価手法をきちんと決める必要があるだろうというようなご意見でした。では、後藤さんどうぞ。

(後藤) 安井さんのお話に反論が結構ありますが、賛成できたのは規制をがちがちにしてもろくなことはないという点です。しかし、それはリスクによっても違うと思います。
 先般の関西電力美浜発電所の事故で、通常の配管部分で破裂が起き、新聞等から見ると経済産業省から大変厳しい管理体制にするような話が出ているようです。リスクマネジメントの観点で言えば、フィジカルハザード、メンタルハザードという分類があます。メンタルハザードの分類の中には、モラール、いわゆる指揮という意味のモラールハザードがあり、これを増大させるという意味で、限られた人が扱うものはむしろ自己責任で徹底的に自己管理をさせるというような方が良くて、役所が管理をがちがちにするようなやり方はむしろ間違いではないかと思っています。
 一方で、化学物質について言えば、安井さんのおっしゃった時間的観点、ある意味空間的な観点と森田さんがおっしゃった時間的な長さの重要性など、私はそういう問題があるだろうと思います。それが原科さんのおっしゃった社会工学の長期の観点の話だろうと思います。自然科学か社会科学かは別にして、科学的アプローチが重要なことが重々わかりますが、一方で科学が扱えるものは森羅万象の中の8分の1事象というならば、やはり我々は我々のわからないものに対する大きな恐れを持つべきだろうと思います。そういう意味で、哲学的アプローチになるかもしれませんが、わからないことについて「科学的」と言いすぎることが化学物質については非常に問題があるのではないかと思います。
 もう1つ、環境ホルモンという言葉に大変敏感に反応されたように思います。これは環境ホルモンが良いとか悪いとか言う話しではありません。例えば、安井さんのお話の中にBSEの話が出てきましたが、日本ではいつのまにか狂牛病がBSEに変わってしまいました。1993年頃にロンドンタイムズを読んでいたら、毎日のヘッドラインが“MAD COW DISEASE”、つまり狂牛病でした。日本では牛が売れないからいつのまにか狂牛病がBSEに変わっていたので、あまり世間一般で通用している言葉を変えるようなことはしない方が良いのではないかなと私は思っています。

(北野) ありがとうございました。リスクの種類によってはかえって規制というものがモラールハザードを起こすのではないか、もう一つは自然科学をあまり過信せず、謙虚であれというご意見でした。中下さんどうぞ。

(中下) 今度は意見を申し上げたいと思います。安井さんが水俣病と今回の環境ホルモン問題は違うとおっしゃいました。その通りだと思います。つまり被害の因果関係についてはっきりしたケースと被害が発生しているかどうかがわからないケースということです。
 しかし、水俣病は被害が出てから初めて因果関係がはっきりしたケースです。以前は危害が止められなかったというところを私たちはこの環境ホルモン問題を考えるにあたって1番大切なポイントとして考えるべきではないかと思います。未然防止ができず、拡大も止められなかった。安井さんは直接原因がチッソからの工場排水とおっしゃいましたが、食品衛生法の観点からいくと、直接原因は水俣湾で捕れた魚です。そこで、対策が講じられていれば、沿岸一体の被害は避けられたはずです。そういう過去の水俣から何を学んでいくのかを私たちはこの環境ホルモン問題を考えるにあたって1番大切な視点として取り入れるべきではないかと思っています。そういう意味で言うと、安井さんがおっしゃっているクロとシロの断定は、先ほどの森田さんが示されたトレンドで示された60年代70年代型の汚染を一応想定したシロクロ判定です。
 今のこの内分泌撹乱化学物質研究は、森田さんの話にもありましたし、私もいろいろな所で聞きかじったところによると、生態の恒常性と言うか遺伝子の調節作用に影響を与えるということも考えられているようです。ビスフェノールAは、200から300くらいの遺伝子の発現に影響を与えるおそれがあるのではないかという仮説も提唱されている状況です。科学について塚本さんがおっしゃったように、一応サイエンスがベースになるのは当然だと思います。ただ、その科学も森田さんのお話にあったように、後になって当初考えていたリスクより大きかったということもあります。現状の知見で考えれば消極的にならざるを得ないものが、それをきっかけにして研究が進んでいけば新たな知見がでてきて新たな作用がわかってくる。その結果、やはりリスクはあった。その間に被害が生じてしまったということになれば取り返しがつかないわけです。私たちとしては、慎重に対応しなければいけないという意味で科学を前提にしつつ、科学的な知見は動いていくものであるということを前提として、科学者だけではなく、私たち市民も参画をして政策オプションを考えていける仕組みをぜひ作っていただきたいと思っています。
 特に、この環境ホルモン問題は、先ほど森田さんがおっしゃったように、次世代の子供たちに関わる影響で問題は非常に大きいと私たちは懸念しています。リスクコミュニケーションはもちろんですが、リスクコミュニケーションの結果がそれぞれの政策に反映されたり、あるいは私たちの直接的な回避や削減行動が選択できるようなリスクコミュニケーションをどう作っていくかをぜひ考えていただきたいと思います。

(北野) ありがとうございました。安井さん、何か意見はありますか?

(安井) 今のお話について私はほとんど反対するところはありません。確かに水俣から何を学ぶか、未然防止ができたのにできなかったのはなぜかというのはおっしゃる通りです。従って、この環境ホルモン問題は別にそういう考え方を全く持っていないのではなく、非常に強くそういう考え方を持ってして、なおかつこういう結論になるのです。なぜかと言うと、ありとあらゆるもののリスクはゼロにはなりません。不公平なリスクの分配に対して我々は非常に気を付けなければいけません。全ての人間がある種の利便性を享受するために、うっすらリスクを被っているような場合にはある程度あきらめざるを得ないのです。違いますか?

(中下) 違います。

(安井) そうですか。とにかくミニマムのリスクは受容すべきなのです。これはしょうがないのです。中下さんとは考え方が違いますね。いずれにしても、例えば子供であるとか、未来世代であるとか、そういうところにリスクが集中することには非常に注意しなければいけません。
 今、科学的、科学的ではない云々という話しがありましたが、例えば、ビスフェノールAにしても80年代と今の体内濃度は5分の1くらいに下がっているわけです。1つ非常に大きな問題は、その時代に一体どういうことがあったかを検証しなければいけないということです。それはできることです。ですから、これから先どういう可能性があるかという研究を行っていくのと同時に、過去、例えば、1970年代のダイオキシン問題でも、現在30歳くらいの男性が何となくなよなよしているかどうかという話かも知れません。そういうような事に関して検証ができるはずなのです。そういう研究をやれと私は申し上げています。
 有機スズであっても古い時代の暴露を考えてそういう時代の検証をすべきであろうということを申し上げています。鉛にしても、体内濃度は下がっているわけです。そうなってくるとビスフェノールAのときに言われたフレデリック・フォン・サール(注、米国ミズリー大学教授)の言った逆U字特性(注、ビスフェノールAが男性の前立腺に与える影響の用量反応曲線の形状の特性)があるかどうかということは非常に大きな問題です。
 とにかくこういう問題は、何と何が肝心で、研究すべき方向に進んでいるかということを私は逆に問題にしたいと思います。

(北野) 森田さんからも自然科学アプローチの難しさというものをお話いただきましたが、この辺で従来の毒性と比べて今回のいわゆる環境ホルモン問題についての難しさを少し教えていただけますか?

(森田) 後藤さんが自然科学で本当のことがどこまでわかるのか、また、何かを決断するときに自然科学だけではすまないのではないかとおっしゃったことはまさにその通りです。自然科学で詰めていくのですが、それでも最後のところでぼやけてきてしまって、この辺かなというぐらいで政策決定をしなければいけないということもその通りです。しかも、しばしば政治家が決断するような結論が後から見ると正しい、あるいは市民が心配していたことを取り入れて政治家を動かして決めたことが当時の科学的な判断をジャンプしてしまっているけれども結果的に正しいということも今まで十分に起こってきました。あるいはこれからも起こる可能性があります。そういう意味では、自然科学ですべてがわかるわけでは決してないということが1つです。
 自然科学というのは哲学の一部の学問でした。しかしながら一方で、自然科学というものはある程度詰めておかなければ話がむちゃくちゃになってしまいます。ですからどうしても自然科学の詰めは必要です。また極端な話ですが、政治的な決断にはお金はかかりませんが、自然科学的なアプローチというのはお金がかかります。悩ましいところですが。
 環境ホルモンの問題は実は2つに分かれてくるように思います。1つは、1番シリアスな汚染があったのはひょっとすると1970年代から80年にかけてからかもしれないという点です。環境ホルモンに関する問題の非常に楽観的な見方は、環境ホルモン問題は1980年くらいまでに起こった出来事であって、今の若い世代にちょっとした影響がでているかもしれないが、これからは改善されるだろうという見方です。一方、悲観的な見方は、化学産業が作り出している物質の量は依然として増え続けているため、過去の汚染問題は解決したかもしれないが、現在の化学物質から引き起こされる問題というものは完全に解けていない。そこに対しても十分目配りをして研究を含めて展開していく必要があるというのがもう1つの見方です。今、この両方の側での研究が少しずつ進んでいます。しかし、依然として1番難しいのは30年前に受けた化学物質の影響を今検知することができるかというところです。ひょっとしたらその影響が何らかの形ででているかもしれませんが、それを証明するのは依然として非常に苦しい状況にあります。それでも、可能性としては、排除できないということです。
 2つ目は、現在もあるオンゴーイングな問題として、この問題があるのかということです。これは消費者の方が1番心配されていることでもあると思います。先ほど塚本さんからもご説明がありましたが、政策的に疑われている物質を生産するチャンスをできるだけなくして、ある程度予防的に化学物質のコントロールができないかという方法が考えられ始めています。これは1つのアプローチです。それが良いかどうかは別として。もう一方でサイエンスの側では、研究者はやはり色々と見つけてしまいますので、それが論文になってどんどん出てくるということが現実としてあります。例えば1番最近の“Environmental Health Perspective”という雑誌の11月号で、フタル酸エステル類の暴露と子供の中で増えている喘息との関係を指摘する論文がまもなくでる予定です。それは疫学ですから本当のところはよくわからず、ちょっと漠然としています。要するに、蓋然性だけを証明しているという仕事ですので。しかし一方で、疾病構造の変化が起こり、新しい病気がだんだん変わってくる。それと何らかの環境的因子が絡まっているのではないかという研究はずっと行われ続けて、そういったものが表面化してきます。そのときに、それが正しいことなのか、正しくないかをきちんと詰めなければいけません。論文というものはそういうふうに出てきます。今までも多数の疫学的な論文がそういう形で表に現れました。一部は捨てられることもあるのでしょうし、一部はやはり真実を言い当てていたということもあります。それらがいっぱい錯綜する中で、最後の消費者、あるいは消費者に近いところで製品を作る、例えば電機業界はどう対応したら良いかとか、さらに1番上流部分の化学業界はどう対応したら良いかということは相当難しい話ではあります。ただし、ある種の決断を下しながら進むしか方法はありません。やはり重要なことは科学的な知見を相互に共有することによって理解し合うということを必要に感じます。
 それから、先ほど安井さんから低容量問題がどうなっているのかという議論が出たので現況を言います。いわゆるホルモン系の作用を持つ物質は非常に低容量で何かを起こします。だいたいそれはコンセンスが出てきます。例えば、遺伝子の誘導が起こり、それに基づいてタンパクが合成される。ただしそれが中容量ぐらいにくると消えてしまう。高容量で再び現れてきます。あるいは、ある時間だけ現れて時間と共に消えてしまう。あるいは長い時間浴びていると消えてしまうというようなちょっと複雑なことが起こっています。問題は、例えば遺伝子がそれによって動いたとしても結果としての影響は何なのかとうところが今のところ解けていません。従って、遺伝子は動くけれども身体全体の中で吸収されてしまうのでかまわないという判断もできるかもしれません。しかし、遺伝子が動いているということは何か意味を持っているに違いない、だからその影響をもう少し丁寧に調べる必要があります。研究者はどちらかと言えば後者をたどって研究を展開しているという状況です。全部が結びつくまでには少し時間がかかるかもしれませんが、非常に低容量で何も起こらないということではありません。遺伝子ぐらいは動いています。そんなことが少しずつ見つかり始めているということです。
 
(北野) ありがとうございました。産業界の方からのお話を伺いたいのですが。産業界代表ということではなく、ご自身のお考えで結構です。では、田中さんお願いします。
 
(田中) 今日の話は非常に難しくて理解できないところもありますが、“Our Stolen Future”を読んだときには、女性ホルモンにさらされるとオスがメス化するという非常にショッキングな印象を持ちました。しかし、今日の話、又はそれ以前の話などから、哺乳動物にはまずそういう影響が認められていない、あるいは実験哺乳動物でもそういうことがないのだなという理解をしました。今後、さらに森田さんがおっしゃったような研究が進められると思いますが、ひとまずそういう理解を深めました。野生生物に対しては、問題の対応を行っていかなければならないと思いますが。

(北野) 瀬田さんどうぞ。

(瀬田) 私も1996年の3月にニューヨークの店頭に並んでいる“Our Stolen Future”を買って、6月までに3回ほど精読しました。その結果を会社の中で紹介してディスカッションをしたので、私自身この問題については当初非常に大きな問題意識を持ちました。そういうディスカッションを始めたというのは、日本の中でも多分非常に早かったのではないかと思います。また、先ほど安井さんがおっしゃられたことですが、その中に確かに“Scientific Detective Story(科学探偵物語)”という言葉が明記されていたと記憶しています。そこで、先ほどの中下さんのお話にもあったように、わからないことに対してもっと大きな影響があるかもしれない場合にどうしたら良いのかを考えるわけですが、この環境ホルモンの問題について、これまで国家資金として200億から300億円くらいを使ったのでしょうか?正確にはわかりません。もしご存じであれば教えていただきたいと思います。
 さらにこれから、問題がわからないからと言ってどんどんどんどんお金を使えということになるのでしょうか?環境問題は環境ホルモンの問題だけではないので、次か次へとでてきます。ですから、それぞれについてわからないといってやっていくと膨大なお金がかかってしまう気がします。従って、国家資金としてどれくらいの規模の研究を行っていくのかが私個人の素朴な疑問です。国として700兆円の借金があり、これが1000兆円にもなり、そのうち歳入のかなり大きな部分が利息にかかってしまうという状況の中で、われわれ日本は少子化によって人もまた財政も豊かではありません。そういう中で際限なくこの環境の問題にお金を払うということもできないため、わからない問題だからさらにお金をかけていくということが本当にこれから許されていくのかどうかを一方で問題意識を持ちながらも、現実問題として疑問を持っています。これは政府関係の方にお聞きするのが良いのか、あるいは現実に研究をされている先生方に聞くのが良いのかわかりませんが、もしその辺についてのコメントがあればぜひお願いします。

(北野) ありがとうございました。要するに、一体いくらお金をかけるのだということですね。滝澤さんお願いします。

(滝澤) 予算の正確な総額は今情報がないため、後で申し上げたいと思います。我々はちょうど17年度予算を8月に提出しました。化学物質対策と一言で言っても、化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律)やPRTR法(特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律)、こういった環境ホルモン問題など柱が4つ5つあります。これまでは、それぞれ縦割りでデータを蓄積し、任務を遂行してきたという状況です。それぞれの連携を少し強化していく、制度をお互いに有効に活用しようということで、相当ベーシックな議論をふまえて組み替えて予算を要求しています。言いたいことは、限られた枠の中で予算を有効に使う、優先順位を決めて、優先度の高いものに投資をしていこうということで我々なりに組替え予算を現在要求しています。詳細をぜひご覧頂きたいし、時間を与えられれば説明もしたいと思います。そうした中で“SPEED’98”から6年ほど経ち、これ自体も5年間の考え方をふまえて今後の基本方針をどのように優先度や効率性を考えて環境ホルモンをチェックし、あるいは継続的に調査研究をしていくのかを議論して、一応今のところまでの考え方なりを中間的にまとめ、これを年度内に正式なものとしてまとめていこうということです。そういうこともふまえて、予算も効率的に使っていこうという考えです。自己査定も含めて厳しく見直して、化学物質対策を有効にしていこうということでやっています。

(北野) 関さんどうぞ。

(関) お金がないから安全をまけるという議論に今の議論をとられてはいけないと思っています。円卓会議のポイントは、テーマである「化学物質」を使っていくときのリスクと便益とのバランスをどうとるのか、あるいは、ある化学物質に何らかの問題が見つかったときにそれをやめることから生じるトレードオフをどう考えるのか、またそれによって新たに発生するリスクをどう考えるのかということにつきるのではないでしょうか。
 例えば、本当は化学物質だけ特別な議論をすることは正しくなくて、化学物質は一つの道具です。道具というのは、私たちの使っている電気やガス、自動車などとある意味では変わらない世界です。我々は自動車に対してその便益を評価しています。非常に残念なことに自、動車交通事故で亡くなる方は年間1万人もいます。社会としてはそれをある意味では受け入れている。しかし、それが1万人であれば常に良いというわけではもちろんありません。ゼロにはならないが、ミニマムにしなければいけない。でもそれは、そういうレベルだということで我々は一つの統一ルールを受け入れている。
 では、化学物質というものに対して我々はどういう評価をして、できればそれが受け入れられる話になるのか。先ほど安井さんがおっしゃった非常に良いキーワードがあったと思います。安全と安心をどう結びつけていくか。そこのギャップを埋める話が多分リスクコミュニケーションであろうと思います。そのリスクコミュニケーションの時のポイントは、まさに我々が問題としているリスクというものは一体何なのかということを明確にする。それを何らかの格好で消化しなければいけない。全てを金銭的なもので表せるわけではありませんが、やはり何かわかりやすい指標というものは必要である。それに対して化学物質から得られている便益とはいったい何のか、我々は今、何を秤にかけようとしているのかということを明確にする必要がある。代替物質を考えるのであればそれについても同じことが必要である。例えば、可塑剤が問題になり、その可塑剤が使えなくなった場合にそれによって我々が放棄しなければならない化学物質製品は何なのか。例えばそれによって電線を被覆する塩化ビニル樹脂が使えなくなるとすると、自己消化性のある塩化ビニル樹脂が使えないことによって起こるであろう火災の増大というものはどうなるのか。そこまで本当は考えることが大事である。
 多分我々はそこまで到達しきっていませんが、そういうことを方法論として整理してコミュニケーションをしてこそ、この場の大事な意義なのではないかと私は考えています。

(北野) ありがとうございました。後藤さんどうぞ。

(後藤) 瀬田さんと問題意識は同じようなものを持っています。ただ、結論が少し違うだろうと思います。私は科学的な研究が重要であるということは重々承知した上で、安井さんのスライド2に「新しい研究費が必要な研究者」というような観点で何でもやったら良いとも思えないし、もっと大いなるものに対する畏敬の念と巨大科学技術に対する恐れを持つべきではないかと思っています。そういう意味で安井さんにご意見を聞きたいのですが、スライド21に「生態系とヒトとを分けて考える必要があり」とあります。確かに人間が動物圏から農業を開始したときに人間圏というものになってきていますので、現実の研究が生態系とヒトを分けて考えるということはわかりますが、一方で大いなるものに対する畏敬の念や巨大科学技術に対する恐れという観点から見ると、やはり生態系をもっと重視すべだと思っています。しかし、こういうふうに分けると非常に些末な末端の研究の方にいってしまい、お金がないのではないかというような懸念を持っています。どう考えでこのような主張をされているのかなと思います。

(安井) 私自身は、人中心主義の環境論に反対ですから、そういう意味で生態系とヒトは明らかに共存していくという主義者です。そういう意味で生態系の価値をもう少し高めるべきです。とにかく生態系の研究をやる場合に、生態系に影響がある、だから人に対しても可能性があるというある種の人を人質にとった格好というものはいやだなと思っています。そういう意味での主張で、私は生態系の研究は重要であると思っています。

(北野) ありがとうございました。では、黒川さんどうぞ。

(黒川) 薬理効果を目指して開発された合成のエストロジェン製剤がかつてありましたが、そういうことを除けば今のところ幸いにも人に対して直接この内分泌撹乱作用による健康被害があったということが確認された例はないと考えています。しかし、生物学的な蓋然性の観点から、人間への健康影響について必要な調査研究は継続していく必要があるのではないかと思っています。それから、私自身は医薬品や食品の安全対策に関する仕事をしばらくしてきたので、少しコメントを申し上げたいと思います。
 医薬品について、医療もそうですが、副作用や安全性など非常に難しい問題であるにもかかわらず、例えば、医薬品の使用に伴うリスクを引き受けるかどうかという点について批判的に言われています。かつては医師や薬剤師のような専門家が支柱にあって服用を決められるのではなく、これから自分の身体になされることにどんな意味があるのかということを平明な言葉でいったん自分の精神でしっかり引き受け、あるいは自発的にやっていこうということでパターンリスクを離れつつあります。現代のこの分野の専門家に必要な資質というものは、いかに難しい問題をわかりやすく患者さんなり国民の方々に説明し、お伝えするかということです。それもできるだけ開示された情報をもとに、ITもありますから質問がどんどん来る中で、専門家としての説明責任を果たすためにおすすめ案をいくつか出し、相互関係を築いていくということになってきたわけです。
 そういったところから振り返ってみると、先ほど、内分泌攪乱化学物質の作用は遺伝子に働きかけるという話がありましたが、実際には極めて複雑でごく微量のものが、レセプタにのり、トランスポーターに運ばれ、シグナル、伝達系に乗って核内でアクションが始まり、タンパクが合成されるということですので、極めて単純ではないわけです。そういった仕組みをどうやってきちっとわかるようにするのか、コミュニケートするのかといったことは、相互理解が始まって初めて会話が成り立ちます。例えば、生活の安全にとってこの環境ホルモンはどのような優先順位にあり、拡大増加傾向があるのか、それとも良くなっているのかという身のあるディスカッションができると思います。そういう意味では、サイエンティフィックな部分も大切ですが、社会科学的なこと、リスクコミュニケーションが極めて重要なのではないでしょうか。特に様子がわかっていない部分がかなり残っているわけですから、もっと力を入れてしかるべきではないのだろうかと感じました。

(北野) できるだけ多くの方に発言して頂きたいと思います。西方さんどうぞ。

(西方) 消費者に近い製品を作っている電機業界という話があったので、電機業界の話を少しさせて頂きます。今日の講演の中にも出てきましたが、ご存じの通りEUではRoHS指令があり、2006年4月から6物質、水銀、カドミウム、鉛、六価クロム、それから2種類の臭素系難燃剤が使用禁止になります。電機業界はEUに輸出する製品はもちろん、国内の製品にもこの対応を進めています。しかも、環境報告書などを見ていただければわかると思いますが、2006年7月ではなく、家電情報機器を中心に来年の3月といった非常に早い時期に設定しているところが多いようです。それから、6物質に限らず、塩化ビニルやハロゲンを全て禁止する方向に進めている会社もあります。これは非常に大変なことであり、これを進めるにあたってはもちろん技術開発が必要です。
 また、グリーン調達もあります。購入する原料や部品等に含有禁止物質が含まれているかどうかが問題です。その調査は一次、二次、三次とあり、含有化学物質の量の調査は非常に大変なことになります。ある電子部品のメーカーでは、年間数十億円をかけてこの調査に対応しています。
 ここからは私の反省ですが、RoHS指令の対象6物質には、どういうリスクがあって禁止されたのかについてまだ理解できていません。規制ありきで行われているという状況ではないかと思います。EUでは家電情報機器はほとんどが埋め立てられ、それが環境中に溶出していきますが、日本では家電リサイクル法があり、きちんと回収されてリサイクルされています。製品が廃棄された後のルート、暴露のシナリオ、環境への放出のされ方が違うのに、同じような規制で良いのかという感じが非常にしています。規制をすることやリスクを減らすことに何も問題はありませんが、電気電子機器に含まれる化学物質には一体どういうリスクがあるのかを暴露シナリオも含めてぜひとも明らかにして欲しいと思います。大学の先生方や国立環境研究所の先生方に特にお願いしたいと思います。

(北野) では、村田さんどうぞ。

(村田) この場は、環境ホルモン自体を議論する場ではなく、リスクコミュニケーションをどう認識するのかを議論する場なすので、そういう観点から少し話します。安井さんは、スライド14で「環境ホルモン問題は人に対してやはりフィクションであった?」という結論を出されていて、今お聞きする範囲では化学工業界の方もそれに近いお考えだと思います。NGO側としてもそれぞれ様々な見解の違いがありますが、このような見解の違いはどこからくるのかと思ったときに私は3つの要素があると思います。1つは、情報ソースの違いです。どの情報を見てその結論に達したのかということ。2つ目は、同じ情報ソースを持っていても、立場や主観に合うものだけ選んで結論を出す場合もある。3つ目は、問題に対する認識の広さだと思います。例えば、環境ホルモンに関して言えば、今までのところでわかっていることとわかっていないことの比率です。つまり、どれだけたくさんのことを知らないのか、どれだけ大事なことが答えの出ないまま残っているのかという認識を持つか、それともだいたいわかるべきことはわかっているという認識を持つかで、同じ情報ソースを共有していても結論が違ってくるのではないかと感じました。滝澤さん資料4にWHOが中心になって作ったグローバル・アセスメントがあります。その中の結論では「これらの環境ホルモンの暴露による潜在的影響について理解を深めることは疑いなく国際的優先事項である」と最後の方にきちんと書いています。この辺にもやはり、それぞれの3つの要素が違ってこのような結論が出たのではないかと感じました。

(北野) ありがとうございました。中塚さんお願いします。

(中塚) 私は企業で安全性評価の研究にずっと関わっていました。
 先ほどからご紹介のあったように、最初にディスラプター(注、ホルモン阻害)の問題が起こったときに、私どもは今まで企業で行ってきた安全性評価体制について抜本的な見直しが必要かどうかをいろいろな観点から調査・研究しました。その経過をずっと見ていると、もともと安全性研究、毒性研究の体系の中には内分泌系に対する影響に配慮した試験体系があります。もしそれでカバーできないようなことが起きているのであれば、それは即刻見直すという非常に謙虚な立場で調査やその他のことに取り組んでいます。
 結果を見ていたら、私の個人的印象では今までの安全、特に毒性の評価体制について人を含めた哺乳動物に対する影響を見るという観点からは特段大きな修正がいるという印象は持っていません。これは科学者としてそういう感じました。私どもの研究者を含めて今までいろいろなデータを検討していますが、長年かかってトキシコロジー(注、毒性学)の体系は確立しています。それに対して大きく修正を迫るものではないと思います。
 先ほどから1つ議論になっていますが、低容量の問題を非常に心配しました。科学的にも生物学的にも考えにくい現象なので注意深く見ていたら、その後に常識的、科学的に落ち着いたかなと今は考えています。全般的には従来型の評価でやっていけますが、そういう点にフォーカスを当てたエンドポイントを従来型の試験に付け加えて、より確かにそのような警告に対してきちんと対応できるのではなきかと考えています。
 もう1点は、エンドクリンにもし従来型を越えた何かがあるということであれば、本当に大変な研究になるでしょうし、その姿が今見えてないということで非常に混乱した議論に発展すると思っています。もう少しわかりやすく従来型の範囲で考えると、評価系の研究をきちんと行っていただきたいと思います。先ほどから、環境省や国立環境研究所がこの問題について相当な費用を投入されていることを感じていますが、急ぐべきはそういうことであろうと思います。評価系を早く確立するべく、日本国だけではなく国際的な連携を図りながら、協働して合理的かつ効率的にやっていただきたいと思います。膨大な予算をこれだけにかけるということは極めて問題であると感じています。
 あと、今回はほとんど議題になっていない話ですが、実は植物ホルモンは豆類に限らずいろいろな食物野菜の中にも含まれています。私はレセプタの研究をやっているのでよくわかっていますが、このような植物ホルモンは200種類程と言われ、特に強いものにはレセプタ(注、ホルモン受容体)とインタラクション(注、相互作用)があります。非常に強いものと合成品を比べると、合成品の方が弱いという関係にあります。
 いずれにしても、そういう植物性ホルモンに私たちが食事を通じて等しく圧倒的大量のものに日々さらされています。食物なので摂らざるを得ませんし、大豆などは非常に健康に良いものだということで健康食品としてもてはやされているので、もし仮に大豆の植物ホルモンを問題にしたら、食べられなくなってしまいます。一方で、ビスフェノールA等、どれくらい化学品にさらされるかと考えると、我々のざっとした計算では量的に数千分の1というぐらいです。ですので、こういう状況を考慮する必要があると感じています。

(北野) そのようなご見解であるということですね。では吉村さんお願いします。

(吉村) 3つありますが簡単にします。
 1つは、森田さんのご説明の中で、毒性学のパラダイムシフトが起こっていて従来の毒性学では判断できないとありましたが、本当にそうなのかなと少し疑問です。私は、化学物質の安全性の評価法は、従来のグローバルスタンダードの毒性評価法で十分評価できるのではないかと思います。研究課題はいっぱいあると思いますが、十分出来るように思います。例えば、次世代に対する影響では、生殖毒性試験や催奇形性試験などで十分評価できると思っています。課題は別として、遺伝子レベルで化学物質が投与され、生体が反応すれば何らかの遺伝子が動くということは最近わかってきています。しかし、遺伝子が動くからといってどうかという短絡的な議論はすべきではなく、最新の技術を導入しながら今あるグローバルスタンダードの精度を高めていくことが大事なのではないでしょうか。
 2つ目は、森田さんのご説明の中に、ノニルフェノールが合成洗剤に使われているとありましたが、ノニルフェノールエトキシレートは合成洗剤には使っていません。かつては使っていた会社もありますが、今は全く使っていません。輸入品などにはあるかもしれないので、全くと言えば語弊があるかもしれませんが、我々が関知しているところでは使っていません。
 私は、(株)花王で安全性の評価担当を25年くらいやっています。私の会社に関して言うと、最初からノニルフェノールエトキシレートは絶対使わないようにやってきました。洗剤はもとより化粧品にも絶対にも使いません。ヘアカラーなどは非常に激しい酸化還元系のため、ノニルフェノールは非常に性能が良いのですが、やはりこれは使うべきではないということで代替品を使っています。なぜかと言うと、ノニルフェノールエトキシレートは難分解という認識をしており、洗剤などの商品に使った場合には分解の問題が大きいという考え方です。十分時間をかければ分解するということはわかっていますが。ですから、特に内分泌攪乱化学物質という概念を導入しなくても自己規制や自己管理はできるということを申し上げたいのと合成洗剤に対する認識を改めていただきたいと思いました。
 3つ目は、私はいろいろな安全性評価を行っていますが、安全性評価を行う場合には5つの原則を基準として掲げています。1つは、人と環境に対して十分安全でなければいけない、2つ目は安全性の評価はきちっとしたプロトコルに従ってやらなければいけない、3つ目は、安全性評価にあたっては最新の科学技術を用いて評価しなければいけない、4つ目は安全性評価にあたっては社会科学的な視点もふまえて判断しなければいけない、5つ目は発売後もフォローをして問題が起これば製品にフィードバックして改良する、という5つの原則に基づいてやっています。例えば、社会科学的な視点でいうと、今回のSPEED'98では67物質がリストに掲げられたために、社会の人々が不安に感じ、いろいろな方から質問を受けました。株主総会などではそれらの物質が入っているかいないかだけが問題になってしまうという側面もあり、困ってしまいました。その時点で社会の方が不安に思ってしまわれるのだから、家庭用製品には使わないという方針になりました。これが社会科学的な視点かどうかというのは別ですが、そういう要因も考慮して我々は家庭用品には使っていません。使わなくても他の技術で代替できるという側面もあります。ただそれが性能上、また安全性上許容できないものであれば、それに迎合するつもりはありません。しかし、リストが出るとそのような影響がもろ現れることを知っておいていただきたいと思います。

(北野) 有田さんどうぞ。

(有田) 安井さんのお話についてですが、今日はわかりやすく整理されたのだと思います。2年ほど前に安井さんとリスクコミュニケーションのお話をしたときに、水俣病やカネミ油症の問題も含めて、当時の研究者がもう少しきちっと経年変化も含めて研究をしていればわかっていただろうという考えは同じです。「環境ホルモン」とあえて発言させていただきますが、環境ホルモンについて何に気を付けたら良いのだろうということでお話したときに、例えば、ビスフェノールAについて人に対する影響をもう少し研究して欲しいけれども、生態系についてまだまだ未解明な部分が多いということも含めて考えていかなければいけないという結論だったような気がします。
 また、先ほど関さんがお話されたときに塩化ビニルのお話を少し出されましたので、塩化ビニルについて話します。リスクコミュニケーションで言えば、私たちは塩化ビニルが安くて加工がしやすいから、どこに使ったらよいか、どこに使わない方がよいかということを整理して考えています。全てだめだと言っているわけではないことを伝えておきたいと思います。

(北野) ありがとうございました。原科さんどうぞ。

(原科) 今日の情報提供の範囲では、確かに人に対する影響はあまりないような印象を受けますが、これには反論もあるわけです。やはり、両方の立場から議論する、ディベートをする場があれば良いと思います。リスクコミュニケーションのベースはリスクに対する理解を共有することですから、両方の立場から情報を出していただいて、両方の立場から議論するという公開の討論の場が非常に良いと感じました。これは、特にメディア関係者にきちんと理解していただきたいと思います。先ほどのお話にもあったように、メディアによってずいぶん対応も違うようです。危険ということの警告だけではなく、安全なら安全という情報も大事なので提供すべきと思います。ただ、メディアの方にはきちんと理解していただかないとうまく伝わらないと思うので、公開議論の場を作って国民も情報を共有するだけではなく、メディア関係者にも理解していただきたいと思います。この円卓会議は、場合によってはそのような場にも使えると思います。ぜひそういった方向もやっていただきたいと思います。一言で言うと、円卓会議は「公共空間での議論」ということです。公共空間とはみんながアクセスできるスペース、つまり読者の広場のようなものです。そのような場で議論することは大変大事だと思います。

(北野) 最後に安井さんお願いします。

(安井) 先ほど村田さんから立場の違い、見解の違いがいろいろあるという話があったので、私の立場を再度申し上げます。まず、自然科学あるいは社会科学でももちろんそうですが、完全にわかっていることなどありません。何にしてもわかっていません。その中で、たまたまある物質が危ないからといって、集中してそれだけを問題にするべきではありません。常に広い鳥瞰的な目を持ちながら、これがどれくらいのウェイトであるのかどうかを常に考えなければいけません。
 2つ目は、物事はやはり時間的傾向をしっかり眺める、濃度がどう変わっているのかを眺めるとうことです。また、先ほど中塚さんが植物に関しておっしゃっていましたが、バックグラウンドについても考える。要するにリスクはゼロにはできない、リスクはミニマムを狙うしかない。必ずトレードオフというものがあるということ。また公共費用というものは限られていますから、それをどこに集中するかということを考える。先ほどの中下さんの「わからないことは何でもやれ」という考え方は科学者としては歓迎すべきで、無限にお金があるときには喜ばしいと思います。しかし、限られた中で有効なアプローチというものがリスクミニマムを選ぶのに重要な戦略であると思っています。

(北野) 長時間にわたってご議論をいただきましてありがとうございました。最初に申し上げたとおり、円卓会議は意見の合意を求める場ではありませんので、それぞれの立場からどう認識するかということを押し当ててきました。そういう意味であえて私は総括しないことにします。
 そろそろ時間となりましたので、この辺で、本日の会議は終了したいと思います。次回(第12回)の議題については、この後開催するビューロー会合で協議して決めたいと思います。それでは事務局の方お願いします。

(上家) どうもありがとうございました。事務局からのお知らせです。ビューロー会合は2階の「芙蓉西の間」にて行いますので、メンバーの方はよろしくお願いします。

(北野) それでは、本日の会議は、これで閉会にさせていただきます。どうもありがとうございました。