第2章155/sb1.2>でみたように産業の高度化が進む中で、経済社会活動と環境とのインターフェイスは大きく変化し、環境負荷の条件も変化してきた。
昭和35年に始まる1960年代の高度経済成長期には、重化学工業を中心とする鉱工業生産の拡大とともに、環境への負荷が増大し健康被害を伴った公害をもたらした。
1970年代に入って、公害の防止を図らなければならないという緊急の社会的要請を受けて、発生源対策を中心に環境政策の整備が本格的に進められ、重とくな健康被害を生み出した重金属汚染、二酸化硫黄による大気汚染などを中心に、危機的状況を脱することができた。
他方、都市化が進展する中で、生活とサービス経済の両面から都市域を中心に環境への負荷が増大を続け、急速な都市化のために過密化した都市構造とあいまって、過剰な負荷が大気汚染、水質汚染、騒音などの要因となり、都市化に特有な都市・生活型公害を生み、これに対する社会的関心が高まってきている。このような公害発生源の多様化と発生要因の複雑化に伴って、公害防止の政策手段も多様化してきている。また、自然環境の保全についても新しい政策の前進がみられた。
このように環境政策の整備が進んできた中で、地方環境行政にはたした役割も極めて大きかった。第3章155/sb1.3>では、環境への負荷の変化と環境に対する人々の意識の変化などに対応しながら、環境行政がどのように進展してきたかをみていくとともに、これまでの経験を踏まえて環境政策は今後どのように展開していくことがが求められているか展望することとする。