昭和35年に始まる1960年代の高度経済成長の中で、環境汚染が加速度的に進行したが、1970年には入り、環境に対する国民の強い関心と公害防止を求める強い社会的要請に支えられて、発生源対策を中心とした公害防止施策の整備が図られた。この結果、公害防止のための企業努力が進み、我が国経済が安定成長へと移行する中で、省資源、省エネルギーが進展したこともあって、公害は深刻な状況を脱した。しかし、環境汚染因子のいくつかは地域的に集中している場合もあって改善傾向にないものもあり、人口、サービス経済の都市集中が継続する中で、交通公害など都市構造や都市生活の利便と密接に関係した環境の汚染現象の比重が高くなってきている。
このような公害の量的、質的な変化はどのような経済社会の変動を背景として進行してきたのであろうか、環境汚染と経済社会活動の関係は極めて複雑である。
現在でも農山村にいけば、都市化は進んでいるものの自然と融合した生活の営みと景観が存在し、一方で、都市には豊かな物的消費の利便あるいは人工の成果物がある。このような農山村と都市のちがいは、産業化によってもたらされたものであり、農山村における自然の改革の度合は低く、都市ではそれが高くなっている。このことは、人々の環境の使い方が変ってきたことを物語っている。
農山村でも自然の改革は行われているが、そこで営まれている農林業が自然の生態系に大きく依存した産業であるために、長い歴史の中で生活と自然との巧妙な結びつきも形成されてきている。一方、都市では鉱工業や第3次産業などに支えられた生活が営まれるようになり、自然との結びつきが弱くなってきている。
ところが、産業化と都市化の急速な進展に伴って公害が発生した結果、人々は生存を支えている環境の機能を意識するようになってきている。
今日、経済社会活動と環境との関係を考えなおし、環境をどのように保全していくのか、広い視野から考えていかなければならなくなってきたのである。
環境という資源は広範で複雑な機能を果しており、技術文明の中で人々の心をいやしてくれるだけでなく、人々の生存そのものを支え、他の資源で代替ができないかけがえのない機能を持っている。
1970年代においては、このような環境資源の機能を活かすため、行政と民間の努力を通じて公害を防止し、自然環境を保全するための対応が急速に進んできた。
第2章155/sb1.2>では1960年代と1970年代の経験を中心にしながら、これまで産業化と都市化の進展の中でどのように環境を使ってきたか、環境への負荷の条件変化という視点から追跡するとともに環境を保全するために払われてきた努力をみていくこととする。