(1) 国連環境計画(UNEP)
1972年ストックホルム国連人間環境会議を契機に創設された国連環境計画も今年は5年目を迎え、活動も本格化してきた。当初から理事国の一員をして参画してきた我が国は、環境基金に当初コミットした通り1千万ドルを拠出する等の多大の貢献を行ってきた。
ア 管理理事会
第5回国連環境計画管理理事会は、我が国を含む58の理事国をはじめ、関連国際機関の代表者が参加し、1977年5月ナイロビで開催された。この第5回理事会はUNEP誕生後の第1次5か年(1973〜77年)を終了した後の第2次5か年へ移行する年にあたり、1978年以後の事業計画及び基金規模を決定した点で重要であった。
これらの他、UNEPの活動のレビュー、国連人間居住会議のフオローアップ、人間居住基金、国連砂漠化防止会議等について積極的に意見の表明が行われ、23の勧告が決議された。
イ 非公式協議
第6回UNEP管理理事会に先立って、その準備会合としての性格を持つ非公式協議が1978年1月にナイロビで開催された。この会議では第6回理事会に事務局が提案する文書、UNEPの1982年目標、環境の友の組織化、基金の現状とその中に含まれる非交換性通貨(拠出した国の国内でしか使用できない通貨)の増加、プロジェクトの繰越し、理事会の果たすべき役割と非公式協議の役割等について各国の意見交換が積極的に行われた。
これらの結論については、多くは各国の意見を踏まえて事務局において検討し、第6回管理理事会に提案することとなった。
ウ IRSテクニカルワークショップ
国際環境情報源照会制度(International Referral Systemfor Sources of Environmental Information、略称IRS)の目的は、世界各国の主要な機関、研究所等が持つ環境に関する情報を総合的に調査し、情報源を一元的に集約登録し、各国からの要請がある場合には、必要な情報源を速やかに照会しようとするものである。
我が国では国立公害研究所がナショナルフォーカルポイントとなり、情報源としては85の機関に登録されている。
このIRSが業務を開始して約1年が経過した段階で、各国情報源の登録及び利用等の活動状況についての情報交換を行ない、また、運営上の問題点等について議論するため、IRSテクニカルワークショップが1977年12月ナイロビで開催された。
この会議において、我が国は、フォーカルポイントの立場、活動ぶり、将来計画等を紹介するとともに、言語の問題、情報提供費用の問題が情報源登録増加の障壁になっていることを指摘しつつも、今後積極的に協力していく姿勢を示した。
(2) 人間居住事務局の設置
人間居住の問題としては、都市、農村の生活環境、都市の過密、農村の過疎、スラムの問題、上下水道、廃棄物処理など様々な側面をあげることができ、これらの問題は特に開発途上国にとっては深刻である。この解決のため1976年バンクーバーで国連人間居住会議(ハビタット)が開催され、原則宣言、国際協力計画、国内行動計画等が採択された。これらの勧告を実施に移すための機構の設置について種々検討が行われてきたが、1977年の第32回国連総会において、このハビタットの機構の新設が正式に承認された。
その機構は、人間居住委員会、ハビタット人間居住センター、人間居住財団、人間居住視聴覚センターからなり、我が国は人間居住委員会委員のメンバーに選出された(任期3年)。この第1回会合は、1978年4月にニューヨークで開催され、本格的な活動に入ることになる。
また、この活動に必要な資金については、従来からUNEPが管理してきた国連人間居住財団によってまかなわれるが、この基金規模を5千万ドル(1978〜81年)とし、1978年国連総会会期中に拠出誓約会議が開催されることになっている。
(3) 国連砂漠化防止会議
砂漠には砂砂漠、土砂漠、岩砂漠など幾つかの形態があり、乾燥地帯、半乾燥地帯も含めた砂漠化状態の土地は、地球の陸地面積の3分の1、世界の3分の2の国、6億ないし7億人の人々の生活を脅かし、年々拡大している。国連総会は1977年にこの会議の開催を決定し、8月29日から9月9日までナイロビで開催された。
この会議には「気象と砂漠化」、「技術と砂漠化」、「生態学と砂漠化」、「人口・社会と砂漠化」の4つの基本文書が提出され、その原因と進行状況について各国がその国の持つ経験や知識を持ち寄り、様々な角度から検討が加えられた。その結果、原因は気象等の自然の要因というよりむしろ人為的な要因が大きく、賢明な土地の管理や水の管理の欠如であることが再確認された。
世界の国々が砂漠化の拡大を防止するためにとるべき措置についても検討され、砂漠化防止のためには当事国の努力のみならず、各地域間の、また、国際的な機関の支援が必要であることを認識し、26項目から成る行動計画を採択した。
この行動計画を実施する中心機関としてUNEPが指定され、西暦2000年までに砂漠化問題を解決するため国連内の諸機関の協力を得て実施されることになる。
(4) 環境教育政府間会議
ストックホルム会議において、人類は地球という循環的なシステムの中でしか存在し得ないという考え方に立って、すべての人間は環境という側から見た倫理にその行動をあてはめねばならないという認識が生まれ、そのために行うべきものが環境教育であるということが確認された。その後ベオグラードで環境教育に関するワークショップが開催されたが、1977年10月、ソ連のトビリシで環境教育政府間会議が開催された。その結果、環境教育に関するトビリシ政府間会議宣言及び40の項目にわたる勧告が採択された。今後、この勧告に基づき、UNESCOが中心となって環境教育に関する各種の計画が実行に移されていくことになる。
(5) 海洋汚染に関する国際的動向
ア 海洋法会議
狭い領海と広い公海を基礎とする伝統的な海の秩序とは異なる新しい海の秩序を確立するために、第3次国連海洋法会議が1973年から開催され、領海、経済水域、大陸棚、深海海底開発、海洋汚染防止、科学調査等について検討されている。過去5回の会期(1973年12月、74年夏、75年春、76年春、同年夏)に引き続いて第6会期が1977年5月から7月にかけてニューヨークで開催され、会期終了直後に非公式統合交渉草案が作成された。海洋汚染防止問題のうち特に問題となるのは、船舶に起因する汚染であるが、従来の国際法では旗国主義中心の取締りが行われていたのに対して、海洋法会議においては汚染の被害を受ける沿岸国及び船舶の入港する入港国が取締り措置を講ずることができるものとなる。
こういう状況にありながら、一方においては既に新しい秩序の一部が導入されつつあることにかんがみ、速やかに最終的結論を得て実施されることが望まれており、次会期は1978年3月28日からジュネーブにおいて開催された。
イ 海洋投棄規制条約
「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」は1972年11月に採択され、1975年8月に発効した。同条約の履行及び運用について検討するため締約国会議が開催されているが、1976年に引き続いて第2回会議が1977年9月にロンドンで開かれた。洋上焼却、規制物質の見直し、規制物質の処分基準、PCBの船舶による海上輸送、放射性物質の投棄、紛争解決手続き等について審議され、多くは結論が得られないまま次回会議に引き継がれることになったが、非締約国及び関係国際機関との協力ないし意見交換を通じて問題解決への手懸かりとなったものもある。
我が国は未だ国立における批准手続を終了していないため第1回、第2回会議ともオブザーバーの立場で出席した。しかし海洋汚染防止に強い関心を有する我が国としても早急に批准し、条約の締約国となることが必要であり、そのため国内法の整備等必要な準備が進められている。なお、1977年12月現在、37か国が本条約を批准している。
ウ タンカー安全及び汚染防止に関する国際会議
1977年3月、米国のカーター大統領の声明によって、タンカーに関する規制の大幅な強化等の提案がなされた。これに伴い、政府間海事協議機関(IMCO)において、タンカーの運航の安全性を向上させ、またタンカーからの油の排出等による海洋汚染をより効果的に防止するための対策の強化が検討され、1978月2月のタンカー安全及び汚染防止に関する国際会議で最終的な合意が成立した。我が国もこの検討には積極的に参加してきたところである。
(6) WHO環境保健判定条約の策定
国連組織において環境問題でも特に人体影響に関した問題はWHO(世界保健機関)が担当しており、環境中に含まれる汚染因子から人体を保護するための環境保健判定条件(クライテリア)の策定は、WHOが有志各国の協力のもとに準備を進めている。我が国は、これまでに作業が行われた10余種の汚染因子に関するデータ及び意見を提出したほか、その取りまとめのための専門家会合にも参加するなどその国際的活動に協力してきた。その結果、初めて「水銀」、「PCB」、「鉛」及び「NOX」のクライテリア資料が刊行された。
また、WHOの要請に応えて、この計画を推進するための協力機関をして国立公害研究所が指定され、専門的研究機関の立場から環境化学物質の健康影響評価に関したプロジェクトを企画・実施するために協力することとなった。