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第3節 

2 硫黄酸化物防止技術の進展

 硫黄酸化物対策は、37年に「ばい煙の排出の規制等に関する法律」が制定され、指定地域制、濃度規制をもって開始された。その後、41年に工業技術院が排煙脱硫の大型プロジェクトを発足させ、42年には初めての重油脱硫装置が完成するなどの経緯を踏まえて、43年に「大気汚染防止法」が制定され、K値規制の導入、新設の施設に対する特別排出基準の設定などの規制強化が図られることとなた。更に、44年2月には環境濃度(年平均値)0.05ppm、達成期間5年(汚染の著しい地域は10年)を内容とする硫黄酸化物に係る環境基準が設定され、我が国において、初めて望ましい環境を保全するための目標である環境基準が明示された。これに対応して48年初めまでに一般排出基準について5次、特別排出基準については2次にわたって改定強化がなされた。
 48年5月には、化学的知見の進展などから、環境濃度(日平均値)0.04ppm、達成期間5年を内容とする更に厳しい二酸化硫黄に係る環境基準が設定され、硫黄酸化物対策は新段階を迎えることとなった。このため、従来の規制方式の不十分な点を補うべく、49年6月に「大気汚染防止法」が改定され、工場、事業所の集合している地域を対象とした総量規制方式が導入され、51年9月までにこの対象地域として24地域が指定されている。
 この間の排煙脱硫施設の設置状況を見ると、47年頃から急速に増加し、50年度末では設置数で1,033基、処理能力で9,314万Nm
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/hに達している。一方、重油脱硫施設も47年頃から増加し始め、50年度末では原油処理能力で128万BPSD(バーレル/日)となっており、これに対応して国内出荷重油の平均硫黄分は、45年度の1.93%から50年度には1.42%へと急激な低下を示した(第3-19図)。
 このような硫黄酸化物対策の進展との関連において、技術の進歩の状況を排煙脱硫施設に例に採って見てみよう。
 排煙脱硫施設とは、ボイラーとの煙道の間に亜硫酸ガスを除去する装置を設けて煙道排ガスより亜硫酸ガスの排出を防ぐ技術である。これは原理的には比較的簡単で古くから各方面で研究されていたが、技術として確率するためには、大型火力発電所のように大量の煙を排出するところから微量の亜硫酸ガスをいかに除去するかが主たる課題であった。この技術としては湿式法と乾式法との2つがあるが、湿式法には使用後の吸収剤をどう処理するかなどの問題点があったため、当初は乾式法の実用化が推進された。
 乾式法の脱硫技術は37年頃から研究が始まっていたが、前述のように工業技術院は41年に大型プロジェクトの1つとしてこれを取り上げ、活性炭と法活性酸化マンガン法の両方のパイロット・プラント(いずれも15万Nm
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/h)によるテストが開始され、いずれも44年中に完了している。その後、更に民間企業による自主研究が進められ、脱硫効率の向上、運転の際の信頼性の向上、建設費及び運転費の経済性などの課題が克服されていった。
 一方、43〜44年頃から湿式法についても、乾式法に比較して吸収装置を小型化できることや煙突からの拡散の度合いを高めることができる点から見直され、主にアメリカからの技術導入により装置が建設されていった。
 このような技術の進展により、当初の課題であった大量の排ガスを処理できる装置も近年においては次々と建設されるようになってきており、第3-20表に見るように、45年度までは30万Nm3/h以上の処理能力の装置はなかったが、46年度からしだいに増加しており、50年度には100万Nm3/h以上の処理能力の装置が設置され始めた。

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