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第1節 

3 水俣病

(1) 水俣湾周辺の水俣病
ア 沿革
 水俣湾周辺地域における水俣病に関する経緯は次のとおりである。
 31年5月 チッソ株式会社水俣工場附属病院から水俣保健所に対して奇病発生の旨報告
 31年11月 熊本大学研究班は、水俣湾産魚介類の摂取による中毒症である旨中間報告
 33年8月 水俣湾海域で漁獲しないよう県漁連等へ県経済部長より指導通達
 33年9月 チッソ株式会社は従来百間港に排出していたアセトアルデヒト工程廃水を八幡プールを経て水俣川口に排出
 11月 政府予備費支出(原因調査費、患者収容施設費、治療費)
 34年11月 食品衛生調査会は、有機水銀説を厚生大臣に答申
 12月 水俣病患者家庭互助会に対する調停委員会の調停案調印(いわゆる見舞金契約)
 37年11月 胎児性水俣病患者認定
 43年9月 水俣病は、チッソ株式会社水俣工場より排出されるメチル水銀化合物により汚染された魚介類を摂取することによって生じたものであるという政府統一見解発表
 44年12月 救済法による地域指定
 46年8月 水俣病認定申請棄却処分に係る行政不服審査請求に対する環境庁裁決
 8月・9月 水俣病の認定の要件についての環境事務次官通知等(当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを医学的に見て否定し得ない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものである。)
 48年3月 チッソ株式会社に対する損害賠償請求について、原告勝訴の判決
 4月 公害等調整委員会第1回申請の30人について調停成立
 7月 被害者とチッソ株式会社との間で補償協定成立
 49年2月 水俣病認定業務促進検討委員会設置(環境庁、熊本県)
 49年7月 熊本県において集中検診開始
 9月 補償法による地域指定(救済法から引継ぎ)
 9月・10月 水俣病認定処分に関し、不作為についての審査請求に対する環境庁裁決
イ 検診及び審査の促進
 熊本県における検診業務については、熊本地裁判決後における認定申請者の増加に伴う未処分者の累増に対処するため、熊本県において九州各大学等の協力のもとに49年7月から8月にかけて約450人の検診を行ったところ申請者の一部から検診の方法等について不満が述べられたこと等により、検診業務は以降認定審査会における答申保留者の再検診の場合を除き、停止状態となっている。
 その後、検診業務の再開について、熊本県と申請者との間で鋭意話合いが続けられてきているところである。
 また、認定審査業務については、49年4月に熊本県認定審査会の委員の任期が満了した後、委員の選任が難航したこと等から、認定審査会が開催されていなかったが、50年4月に至って認定審査会の再開を見、同年5月以降認定審査の促進が図られている。
 しかし、熊本県の認定審査会における認定審査の促進にもかかわらず、認定審査会において答申が保留となる者の増大もあり、未処分者は漸増していることから、申請者に対する認定審査の促進に資するため、50年6月に環境庁に水俣病認定検討会を設け、水俣病に係る認定要件の具体化のための検討を行っているところである。
 なお、長期にわたり認定を待っている申請者に対しては、特に配慮を払う必要があるため50年1月分から、不作為についての審査請求を提起して認容された者及びこれに相当する者に対し、公害医療研究費による水俣病の治療研究の一環として特段の措置を講じてきたが、50年4月分からはこの措置を拡大し、上記の者を含めて申請者のうち、一定の要件を満たす者に対しこの措置を適用することとした。
ウ 水俣病研究センター(仮称)
 水俣病研究センター(仮称)の建設については、48年5月以降、種々検討を進めてきたが、50年12月16日に開催された「水俣病研究センター(仮称)建設準備検討会」において次の結論を得るにいたった。
(ア) 国は、水俣病研究センター(仮称)を設置し、水俣病についての医学的研究を実施する。この場合、研究推進のため大幅に流動研究員制度の活用を図る。
(イ) 患者に対する保健福祉サービス事業については、上記研究と密接な関連の下に熊本県等地元自治体が実施するものとする。
 上記の構想に基づき、センター建設を行うこととしているが、その建設計画は、50年度に用地取得を行い、51年度からセンター建設に着手し、53年度には開所できるように進めていくこととしている。
エ 不服審査等
 県知事から救済法に基づき水俣病ではない旨の処分を受けて環境庁長官に行政不服審査請求を提出した者は、51年2月末現在で、熊本県分46件、鹿児島県分58件であるが、46年8月に9件、50年7月に4件について裁決を行ったほか、同年5月取下げが1件あった。裁決の内訳は、取消し11件、却下1件、棄却1件である。
 また、補償法の施行に伴い発足した公害健康被害補償不服審査会に対しても、昭和51年2月末現在で18件(うち4件は取下げ)の補償法に基づく処分に対する審査請求が提出されており、そのいずれもが鹿児島県分である。
 なお、49年7月(179人)、8月(365人)、9月(107人)の3次にわたって、申請者651人から環境庁長官に対して、熊本県知事等が認定申請に対していまだ処分を行っていないことは「行政不服審査法」上の不作為に当たるとして審査請求が行われたが、環境庁長官は、第1次の審査請求に対し、同年9月及び10月の2回に分けて裁決を行った。
 また、認定申請に対する県の処分が遅延しているとして、49年12月熊本地裁に、熊本県知事を被告として不作為の違法確認の訴が提起されている。
オ 現状
 51年2月末現在、熊本県の被認定者は、693人(ほか救済法施行後死亡者102人、施行前死亡者44人)であり、鹿児島県の被認定者は103人(ほか救済法施行後死亡者11人、施行前死亡者1人)である。
 また、認定申請中の者は、51年2月末現在、熊本県3,147人、鹿児島県357人となっている。
(2) 阿賀野川流域の水俣病
ア 沿革
 阿賀野川流域における水俣病に関する経緯は、次のとおりである。
 40年5月 新潟大学医学部より、新潟県衛生部に対し、原因不明の疾患発生の旨連絡
 6月 新潟大学椿教授が、有機水銀中毒患者が発生した旨発表
 43年9月 昭和電工株式会社鹿瀬工場の排水が中毒の基盤になったという政府見解発表
 44年12月 救済法による地域指定
 46年9月 損害賠償請求に関し、原告側勝訴の判決
 48年6月 被害者団体と昭和電工株式会社との間で判決に準じた補償協定締結
 49年9月 補償法による地域指定(救済法から引継ぎ)
イ 現状
 阿賀野川流域における水俣病患者は、51年2月末現在、被認定者590人(ほか救済法施行後死亡者27人、施行前死亡者5人)であり、認定申請中の者は、512人となっている。
 新潟県においては、新潟大学の協力を得て、認定業務の促進が図られている。
 なお、新潟県知事から水俣病でない旨の処分を受けて環境庁長官に行政不服審査請求を提出した者は、51年2月末現在で36件(うち、1件は取下げ)となっている。

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