前のページ 次のページ

第1節 

3 水俣病

(1) 概説
 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を長期、大量に経口摂取することによって起こる神経系の疾患である。
 水俣病には後天性のものと先天性(胎児性)のものとがあるが、後天性水俣病の主要症状は、求心性視野狭さく、運動失調(言語障害、歩行障害等を含む。)、難聴及び知覚障害である。また、胎児性水俣病は、知能発育障害、言語発育障害、そしゃく嚥下障害、運動機能障害、流涎等の脳性小児マヒ様の症状を呈する。
 これまで我が国においては、熊本県及び鹿児島県の八代海沿岸地域、新潟県の阿賀野川流域の2地域において水俣病の発生をみている。
(2) 八代海沿岸地域における水俣病
ア 経緯
 八代海沿岸地域における水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂取したことによって起こったものである。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、チッソ株式会社水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が、工場廃水に含まれて排出され、水俣湾内の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによって生じたものと認められている。
 水俣病は、31年5月、水俣工場附属病院から水俣保健所に対して脳症状を主とする奇病患者の発生という形で報告され、熊本大学研究班の研究によって、31年11月には水俣湾産の魚介類の摂取による中毒症であるとされた。また、その原因物質については、種々の説が主張されたが、有機水銀説が38年2月に熊本大学研究班の正式見解として発表され、更に43年9月には厚生省により政府統一見解として発表された。
 なお、43年5月チッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産工程は閉鎖された。
イ 認定及び申請の状況
 認定患者数及び申請者数は、最近急激に増加している。現在もなお新たな患者が認定されている理由はいろいろ考えられる。例えば、権利意識の目覚めと世論の高まりにつれて認定と補償を求めて表面にでてきたという社会的要因のほかに、水俣病の病像が従来の典型的かつ重い症状のものから研究の積重ねによって不全型の軽い症状のものも含むというように変わってきたこと、あるいは症状が明確に現れなかった者のなかから時間の経過とともに顕在化してくる者があること等があげられている。
ウ 健康調査の実施
 国は、46年度から熊本県及び鹿児島県に対し助成し、地域住民の健康状態をは握するための健康調査を実施しているが、48年度においても引き続き沿岸住民の健康に関する調査を行った。
エ 認定業務の促進
 48年12月現在において、熊本県知事に水俣病の認定を申請している者のうちまだ審査を受けていない者は、1,958人となっている。認定のための医学的検査については、従来から鋭意進めてきたところであるが、更に、認定業務の促進を図るため、九州関係各大学及び国立病院等の協力のもとに、検診能力の拡充等の方策について検討を進めている。
オ 補償問題の解決
 水俣病患者の補償問題については、48年3月20日熊本地方裁判所において判決が行われ、原告側が勝訴し、被告チッソ株式会社の不法行為責任が認められた。同日会社側は患者側に対し総額11億8,421万円余の損害賠償金を支払った。
 一方、公害等調整委員会に係属中のものについては、48年4月27日に、まず30人につき調停が成立した。更に公害等調整委員会では48年12月11・12日に45人の調停が成立し、49年2月4日現在262人が調停申請中である。
 また、チッソ株式会社と直接に交渉を行って補償問題の解決を図ろうとした患者については48年7月9日チッソ株式会社との間に補償協定が締結された。水俣病患者家庭互助会、水俣病患者家族新互助会及び水俣病患者家族平和会も同日この協定書に調印した。この協定は、それぞれのグループに属する患者について適用されるものであるが、締結時以降に認定を受けた患者についても、その希望に応じて適用されることとなっている。更に48年12月25日には、水俣病被害者の会との間においても同内容の協定が成立し、ここに補償問題は基本的に解決の運びとなったのである。
(3) 阿賀野川流域における水俣病
ア 経緯
 40年5月、新潟大学医学部から新潟県衛生部に対して、原因不明の中枢神経系疾患が新潟県阿賀野川下流の沿岸部落に散発しているという連絡があり、翌6月には新潟大学の椿教授が阿賀野川流域に有機水銀中毒患者が発生したと発表し、阿賀野川における第2水俣病が水俣湾沿岸における水俣病に次いで世間の注目を集めることとなった。昭和電工鹿瀬工場の工場廃液によるとする説、新潟大地震の際流出した農薬によるとする説等種々の説が出されたが、43年9月科学技術庁は昭和電工鹿瀬工場の排水が中毒の基盤となったという政府の技術的見解を発表した。
 42年6月に提起された損害賠償請求に関し、46年9月新潟地方裁判所において判決が行われ、原告側が勝訴し被告の過失責任が認められたが、そのなかで鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生ずる廃液を含む工場排水を阿賀野川に放出した行為と中毒症の発生との間には法的な因果関係が存在するものと判示している。
 この問題に関する措置としては、医療救済措置、健康調査、水銀による環境汚染の暫定対策要領に基づく環境調査、工場排水規制法による排水規制措置等を実施してきている。なお、40年1月、同工場のアセトアルデヒド生産工程は閉鎖された。
イ 認定の状況
 阿賀野川流域における水俣病患者は、48年12月末現在、認定患者377人(ほか死亡者12人)であり、認定申請中の者及び保留、再検査中の者は582人であり、新潟県においても熊本県と同様、認定業務の促進が解決を要する問題となっている。
ウ 補償問題の解決
 患者の補償問題については、判決に引き続き交渉が行われていたが、48年6月21日新潟水俣病被災者の会及び新潟水俣病共闘会議と昭和電工株式会社との間で、判決に準じた内容で補償協定が成立した。同様の協定が、北蒲原郡安田町の28人の患者との間に48年6月27日締結され、新潟水俣病の補償問題はここに一応の解決をみた。
 また、救済法により支給された医療費等については、会社から返還の手続がとられている。

前のページ 次のページ