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第2節 水俣病

(1) 概説
 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することによって起こる神経系の疾患である。
 水俣病には後天性のものと、先天性(胎児性)のものとがあるが、後天性水俣病の主要症状は、求心性視野狭さく、運動失調(言語障害、歩行障害などを含む)、難聴および知覚障害である。また、胎児性水俣病は、知能発育障害、言語発育障害、そしゃく嚥下障害、運動機能障害、流涎などの脳性小児マヒ様の症状を呈する。
 これまでわが国においては、熊本県および鹿児島県の不知火海沿岸地域、新潟県の阿賀野川流域の二地域において水俣病の発生をみているが、有機水銀による環境汚染の広がり、患者の症状の悲惨さ、患者家族や地域社会の住民に対する影響の深刻さなど、戦後のわが国の公害の原点ともいうべき特異な事件である。
(2) 不知火海沿岸地域における水俣病
 不知火海沿岸地域における水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂取したことによって起った中毒性中枢神経系疾患である。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾内の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂食することによつて生じたものと認められる。
 水俣病は、昭和31年5月、水俣工場附属病院から水俣保健所に対して脳症状を主とする奇病患者の発生という形で報告され、はじめてその存在が社会的に確認されるところとなり、過去の患者のカルテや住民の証言等に基づいて水俣保健所、水俣工場附属病院、地元医師会等が行なった調査の結果、28年に最初の患者が発生していたことがあとになって明らかになった。しかし、水俣病患者は20年前後から発生していたとする説もあり、水俣病の初発時期については、今後の調査にまたなければならない。
 水俣病患者の発生は、水俣工場におけるアセトアルデヒド等の生産量の増加とともに増加していったことがうかがわれ、また、水俣病患者の発生に先だって魚介類の大量へい死・浮上や、猫の狂い踊りなどの事件がみられたことは水俣病発生の先触れであったものとみられている。
 水俣病は、当初奇病と呼ばれ、伝染病ではないかと恐れられたが、その原因については、地域住民の間では、ばくぜんと古くから水俣工場の廃水との関連がうわさされ、また熊本大学研究班の研究によって31年11月には、水俣湾産の魚介類の摂取による中毒症であるとされた。しかし、その原因物質についてはマンガン、セレン、タリウムなどが主張され、容易に確定をみなかった。原因物質としての有機水銀説は34年7月になってはじめて発表され、これが熊本大学研究班の正式見解となったのは38年2月のことであり、厚生省が政府統一見解として発表したのは43年9月のことであった。なお、同年5月チツソ水俣工場のアセトアルデヒド生産工程は閉鎖された。
 水俣病の原因究明に多大な期間を要し、その間にも水俣工場における増産・排水が継続されて多くの患者の発生をみてしまったことは、水俣病が環境汚染を媒介とする公害病として世界的にも特異な事件であり、また、当時、有機水銀等の微量重金属の測定分析技術が未確立であったとしても、国・県・市の対策の立遅れは深く反省しなければならない。また、熊本大学等による原因究明に協力的な態度をとらず、排水口を水俣川河口に変更したあと同地域周辺に患者の多発をみ、また、附属病院長が工場排水直接投与により、猫の発症を確認しながら操業を続けるなど、チッソが水俣病の発生を防止するために迅速かつ適切な措置の実施を怠ったことは強く責められなければならない。
 46年8月、水俣病の認定処分に対する不服申立に関する環境庁長官の裁決および同裁決とあわせて施行された環境事務次官通達によって水俣病の認定に関する基本的な方針を明らかにして以降、熊本県知事および鹿児島県知事は、通達の趣旨に従って認定処分を行なっているが、46年7月末現在において134名(うち死亡53名)であった患者数は、48年4月5日現在において451名(うち死亡71名)となっており、46年8月の環境事務次官通達以降これまでに317名にのぼる患者が新たに認定されている。
 なお、48年4月5日現在において申請中の者および要再検査等により保留になっている者が、熊本県関係567名、鹿児島県関係33名、合計600名となっているが、県当局においては目下認定のため医学的検査を鋭意進めているところである。
 現在もなお新たな患者が認定されている理由はいろいろ考えられる。例えば、水俣病の実像が正しく理解され、権利意識の目覚めと世論の高まりにつれて認定と補償を求めて表面にでてきたという社会的要因のほかに、水俣病の病像が従来の典型的かつ重い症状のものから研究の積み重ねによって不全型の軽い病像のものも含むというように変ってきたこと、あるいは、症状が明確にあらわれなかった者の中から時間の経過とともに表顕してくる者があることなどがあげられる。
 なお、水俣病の研究者のなかには、水俣病の新たな発生は昭和35年を最後として終ったとする従来の通説を否定し、最近においても症状が出た、あるいは悪化した例があるとする者もあるが、その理由としては、
? 以前から軽い症状が持続していたものが加令現象により症状が顕在化した。
? かつて、体内にとり入れた有機水銀が、現在になって影響を及ぼして発症させた(遅発性水俣病)。
? さらに、現在もなお新しい慢性の水俣病患者が発生している。
 というものがあげられるが、今後とも広汎な不知火海沿岸一帯地域の住民の検診、水俣病研究をいっそう推進すること等により、その実態が明確にされるとともに、必要に応じた対策を講ずることが緊要である。
 なお、国は、昭和46年度より、熊本県および鹿児島県に対し助成し、地域住民の健康状態を把握するための健康調査を実施しているところであるが、すでに、第1次検診(対象者116,064人)および第2次検診(対象者28,048人)を終了しており、目下精密検診を行なっているところである。また、鹿児島県のうち出水市分については検診を終了し、その結果20人(精密検診対象者363人)の有所見者が確認された。
 国としては、水俣病問題の発生を契機に熊本県・水俣市等と協力し、原因究明のための調査研究、水俣病患者の治療収容施設や医療救済制度の整備等を行なうとともに、水質保全法、水質汚濁防止法による工場排水の規制、水銀に係る環境汚染暫定対策要領による環境調査の実施等を行なってきた。
 33年12月に水俣市では国や熊本県の補助により水俣病患者のために水俣市立病院のベッドを増設し、40年3月には国の融資を得て患者の機能回復訓練のため、私立病院湯之児分院にリハビリテーションセンター(200ベッド)を建設するとともに、さらに、47年12月には、国や熊本県の補助等により、水俣病患者の収用(40名)、授産(50名)を行なうことを目的としたコロニー(明水園)を建設した。
 43年8月厚生省が策定した「水銀による環境汚染暫定対策要領」に基づいて、環境庁は、水俣湾における魚介類等の環境汚染の調査を毎年実施している(第5-2-1表)。
 水俣湾の底質土は現在もなお、水銀によって相当に汚染されているので、現在、中央公害対策審議会水質部会底質専門委員会において検討が進められている有害底質(ヘドロ)の除去基準の設定をまって、48年度中にしゅんせつ、埋立て等により、二次汚染の生ずることのないよう十分配慮して、ヘドロ処理に着手することとしている。
 水俣病患者は、補償問題をめぐって、一任派、訴訟派、調停派、自主交渉派などのグループに分かれているが、このうち、訴訟派については48年3月20日、熊本地方裁判所において判決が行なわれ、原告(138名、生存患者27名、死亡患者18名)側が勝訴し、被告チッソ株式会社の不法行為責任が認められた。同日、会社側は患者側に対し、総額11億8,421万円余の損害賠償金を支払った。この判決を契機にさらに会社側と各派の患者側との間に補償交渉が行なわれており、会社側は第2次訴訟派を除く認定患者に対し、一人当たり1,600万円の仮払いを行なうことにしている。


(3) 阿賀野川流域における水俣病
 40年5月、新潟大学医学部より新潟県衛生部に対して、原因不明の中枢神経疾患が新潟県阿賀野川下流の沿岸部落に散発しているという連絡があり、翌6月には、新潟大学の椿教授が阿賀野川流域に有機水銀中毒患者が発生したと発表し、阿賀野川における第2水俣病が水俣湾沿岸における水俣病に次いで世間の注目を集めることとなった。
 新潟水俣病の原因に関しては、40年7月、厚生省調査団は中毒の原因はアルキル水銀で川魚を媒体として発生したものである旨結論し、同年8月には神戸大学の喜田村教授は工場廃水原因説を発表した。さらに同年9月発足した厚生省特別研究班は、翌年3月、中毒の原因は昭和電工鹿瀬工場の廃液の疑いが濃いと中間報告を行ない、42年4月には、工場廃液説を最終的に発表した。これに対し、昭和電工は41年7月、中毒の原因は、39年6月に発生した新潟大地震の際流出した農薬にあるという反論を行なうなど、新潟水俣病の原因をめぐって工場廃液説、農薬説など種々の説がだされた。このような論議を経て、43年9月、科学技術庁は、昭和電工鹿瀬工場の排水が中毒の基盤となったという政府の技術的見解を発表した。
 原因については、さらに42年6月に提起された損害賠償請求事件について、46年9月新潟地方裁判所において判決が行なわれ、原告(患者)側が勝訴し、被告の過失責任が認められたが、そのなかで、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生ずる廃液を含む工場排水を阿賀野川に放出した行為と中毒症との発生との間には法的因果関係が存在するものと判示している。
 チッソ株式会社の工場廃水による不知火海沿岸の水俣病の発生という悲惨な先例があったにもかかわらず、慢然と操業を続け、同種の原料から同種の製造法により同種の化学製品を生産している昭和電工鹿瀬工場からの工場廃水によって再び水俣病が発生し、地域住民の生命と健康を損ったことについては、会社側に重大な責任があるといわなければならず、また、国や県などの行政機関においても、対策の立遅れがあったという点を強く反省しなければならない。
 政府見解の発表に伴い、医療救済措置、健康調査、水銀による環境汚染暫定対策要領に基づく環境調査、工場排水規制法による排水規制措置などを実施してきている。なお、40年1月、同工場のアセトアルデヒド生産工程は閉鎖された。
 阿賀野川流域における水俣病患者は、48年3月末現在、認定患者317人(ほか死亡者13人)であり、認定申請中の者および保留、再検査中の者は218人である。
(4) 今後の問題点
 水俣病は、広汎な環境汚染の影響によって発生したものであり、微量重金属の環境汚染による健康影響の問題を考えるうえで、重大な先例となるものと考えられる。水銀等の重金属類による環境汚染は、近年、国際的にも関心をよんでいるので、その調査研究の中心として日本の役割は評価されてくることが予想される。他方、最初の水俣病患者の発生が報告された31年から17年を経過した現在までに不知火海沿岸地域および阿賀野川流域の両地域において総計781名が認定されているが、なお、不知火海沿岸地域および阿賀野川流域の両地域においては、毎月数十人にのぼる患者が認定されており、また、認定申請中の者は現在700余名に達し、この数はさらに増加することが予想されている。
 しかし、水俣病の病像については、これまで実態の把握に努めてきたが、現在も次に掲げるような解明すべき点が残されている。
? 有機水銀の摂取・吸収・代謝・排泄・蓄積等のメカニズムの問題。
? 遅発性水俣病の発現に関し、有機水銀の影響の時期。
? 有機水銀の微量長期摂取による影響の問題。
? 合併症がある場合の水俣病の診断の方法。
? 水俣病の続発症の範囲。
? 有機水銀の神経組織以外に及ぼす影響。
? 有機水銀の影響による染色体異常、遺伝による次世代への影響の問題。
? 水俣病の発生時期―初発時期と最終発病をめぐる問題。
 さらに水俣病の根治的治療方法は確立されていないところから、患者の将来に対する不安感、医学等に対する不信感が強く、また、これまで地域住民、水俣病患者の健康管理、保健対策が十分には行なわれていなかったので、今後は、これらに万全を期する体制の確立を図る必要があろう。

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