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第3節 

3 地域開発と住民意識

(1) 地域開発の進展と住民意識の変化
 30年代以降における重化学工業を中心とした地域開発の進展と、それに伴う公害発生の激化に対応して、地域開発に対する住民の意識も大きく変ってきた。30年代後半の新産業都市の区域の指定に際しては、10地域程度の予定のところ、39道県44地域についての申請があり、指定の陳情も激烈をきわめたといわれているが、これなどをみても当時の地方公共団体の地域開発についての熱意の一端をうかがうことができよう。この時期においても、地域によっては公害の発生をみていたが、一般に住民の地域開発に対する態度は消極的評価よりも、期待の方が大きかったといえる。
 第2-3-6表は、水島地区の住民のうち、コンビナート建設が本格化した35年以前から居住していた世帯に対し、倉敷市が行なった調査の結果を示したものであるが、これによると、工業化に大きい期待をもち、「生活が今よりよくなる」と考えたものが全体では25.8%、高島地区では50%を占めているのに対し、逆に工場の進出によって生活は「かえって悪くなる」と考えたものは全体で14.8%、高島地区で10%であった。
 これに対し、進出企業の本格的な操業がはじまって10年を経た46年の時点で住民の工業化に対する評価はどうなっているかをみたのが、第2-3-7表である。これによると、工業開発が行なわれたことによって、以前と比べ、生活が「よくなった」とするものは、全体でわずかに4.6%であるのに対し、かえって「悪くなった」とマイナスの評価を下しているものが、70.2%にも及んでいる。
 また、第2-3-10図に示すように総理府の世論調査によっても、公害の発生を絶対に許せないとするものが、41年の27.4%から46年には、49%と大幅に増えている。
 このように最近の世論調査でみると地域開発に対する住民の意識は、公害の発生を契機に大きく変ってきた。豊かな環境に対する欲求は今後もますます高くなることが予想され、住民の公害問題に対する意識もさらに高まっていくものと考えられる。


(2) 地域開発と住民運動
 前にもみたように、公害に関する苦情件数は、年々増加してきているが、これとともに地域開発に関し、各地では住民運動も活発になってきている。例えば、鹿児島県では、46年12月に石油精製、石油化学を中心とする志布志地域における開発計画試案が発表されるや、地元市町村をはじめ県内住民の間に、「開発か環境保全か」をめぐって激しい賛否両論がまきおこり、再検討が行なわれている。この地域開発について住民の間で問題となったのは、一つは、四日市の約3倍程度の規模のコンビナートの建設が公害の発生に結びつかないかということであり、二つは、開発によって沿岸のクロマツや亜熱帯植物をはじめとする志布志湾一帯の自然環境が破壊されないかということであった。地域開発に際して土地買収、漁業補償、福祉対策等のほか、このように環境問題が大きな比重を占めるようになってきているのが最近の特徴である。このような開発計画をめぐる住民運動は、青森県下北半島におけるむつ小川原開発においてもみられ、ここでは、地元町村における賛成派と反対派の対立の結果、双方がリコール請求等を行なうまでにいたっている。
 そのほか、火力発電所の建設や公有水面の埋立て等をめぐって各地で住民運動や反対の陳情が起こっており、北海道では伊達火力発電所の建設をめぐり、反対派住民による差止め訴訟が提起されている。現在、公害防止および自然保護に関する市民の運動団体は約1420(公害防止関係約820、自然保護関係約600)にものぼるが、以上みてきたように、地域開発による環境破壊に対する住民の意識には厳しいものがあり、住民の意向を尊重して開発を進めることが基本的に重要となってきている。

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