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第2節 

5 人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律の制定

(1) 制定の経緯
 この法律は、事業活動に伴って人の健康に係る公害を生じさせる行為等についての特別の処罰規定等を定めたものである。
 複雑多岐にわたる公害を抑止するには、まずもって、的確にして強力な行政諸施策の実施を必要とし、刑事司法の関与する分野にはおのずから限界があり、その果たすべき役割も補充的なものである。しかし、現行の刑法の規定および関係法令の罰則が公害の実態に照らして必ずしも十分なものとはいいがたい状況にあることを考えると、この際、総合的な公害防止対策の一環として、新たに刑法の特別法を制定し、人の健康に係る公害を生じさせる行為等がいわゆる自然犯的な性格をもつ犯罪であることを明らかにするとともに、その適正な運用を図ることによって、現在、とくに問題とされている人の健康に係る公害の防止に資する必要があることから、法務省は、45年10月17日法律案の要綱を作成して法制審議会に諮問し、その答申を得て、同年12月1日の閣議において政府原案を確定し、第64回国会において原案どおり可決制定されたものである。
(2) 法律の概要
ア 目的
 この法律は、事業活動に伴って人の健康に係る公害を生じさせる行為等を処罰することにより、公害の防止に関する他の法令に基づく規制とあいまって人の健康に係る公害の防止に資することを目的とするものである。
イ 公害の範囲
 この法律は、各種公害のうち、人の健康に係るもののみを対象としている。
 公害対策基本法第2条にいう「公害」には、人の健康に係る被害のほか、生活環境に係る被害も含まれているが、人の健康に係るもののみに限った趣旨は、公害による健康上の被害の防止が当面の課題として強く要請されていることのほか、人の健康に係る被害と生活環境に係る被害とでは、それを生じさせる行為に対する可罰的評価に差異があることは否定できないうえ、公害による生活環境に係る被害の態様はまさに千差万別で類型性に欠け、これを一律に同じ犯罪としてとらえることは適当でないなどの理由によるものである。
ウ 行為
 この法律は、工場または事業場における事業活動に伴う有害物質の排出により、公衆の生命、または身体に危険を生じさせる行為を処罰すべき行為の基本類型として定めている。
 まず、事業活動に伴って生ずる公害に限った趣旨は、今日問題とされている人の健康に係る公害のほとんど大部分がなんらかの事業活動に関連するものであって、広範囲な社会活動を行なう場合は、それに相応した社会的責任を生ずることは当然であり、事業活動に伴うもの以外の、たとえば、家庭暖房、家庭排水等の日常生活に伴うものは、その性質に照らし、これを事業活動に伴うものと同等に評価してこの法律の対象に含めることは適当でないとする考えによったものである。
 次に、公衆の生命または身体に危険を生じさせた段階で処罰することとした理由は、人の健康に係る公害の防止を図るためには、現実に人の健康を害する結果の発生を待つまでもなく、公衆の生命または身体に危険を生じさせた段階で、これを処罰しうるものとしなければ十分な効果は期待できないからである。
エ 事業主処罰
 この法律に定める罪については、行為者のほか、法人等の事業主をも処罰しうるものとするため、いわゆる両罰規定を設けている。
 この法律が対象としている公害を発生させる行為は、事業活動の一環として行なわれるものであるから、直接の行為者である従業員等のほかに当該事業活動の主体である事業主をも処罰するたて前をとることが、ことがらの実態に照らして必要かつ当然のことである。
オ 推定規定
 厳格な条件のもとに推定に関する規定を設けている。
 公害の実態をみると、特定の工場または事業場から人の健康を害する物質が大量に排出されており、現に公衆の生命または身体に危険な状態が発生していても、同種の有害物質の混入等により、その工場または事業場から排出された物質と危険状態との結びつきを確証しえない場合もありうると考えられる。そこで、このような公害現象の特殊性にかんがみ、人権保障の要請を十分考慮しつつ、厳格な条件のもとに排出された物質と現に発生している状態との関係を推定する規定を設けたものである。
カ 法定刑
 この法律に定める罪の法定刑中、懲役刑は、刑法のガス漏出罪、浄水毒物混入罪、業務上過失致死傷罪等にならって定めたものであり、罰金刑は、事業主が法人である場合を考え、現行法上高額な罰金刑を設けている法人税法等を参考として定めたものである。
キ 時効期間等
 この法律は、公害関係事件の特殊性、複雑性にかんがみ、その適正かつ妥当な処理を図るため、事業主に対する公訴の時効期間および第一審の裁判権について、所要の措置を講じている。
ク 施行期日
 この法律は、昭和46年7月1日から施行される。
(3) 制定の効果
 この法律は、多種多様な公害現象のすべてを刑事罰の対象とすべきであるとする観点からすれば、必ずしも十分なものとはいえないが、現行の刑法によっては処罰しえない事態を処罰しうるものとしていることなどの点において、画期的なものといわれており、当面の要請にこたえるところが少なくないばかりでなく、人の健康に係る公害について、これを生じさせる行為が刑事罰の対象となるものであることを明らかにすることによって、これらの行為を抑止する機能を果たすとともに、本法の適正妥当な運用によって公害の未然防止に寄与しうるものと考えられる。

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