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第2節 

2 大阪・兵庫

 大阪市一帯は上町台地および東南部丘陵地帯のほか、その大部分の地域は淀川、大和川等によって形成された大阪群層と呼ばれる沖積層である。
 地盤沈下については、昭和初期から指摘されており、16年には、大阪湾の臨港部において年間16cmをこえる沈下が発生し、地盤沈下地帯は大阪市の中心部まで拡大した。その後、戦災による産業活動の停止に伴い、地盤沈下は著しく鈍化したが、戦後、産業の復興とともにふたたび地下水くみ上げが増大し、35年には1億4,400万トン(推定)に達したため、大阪市此花区島屋町においては年間沈下量25cmに及んだ。一方、25年、ジェーン台風による高潮によって大阪市は大きな浸水被害を受けたこともあって、25年から工業用水道の建設に着手し、29年には一部給水を開始した。その後31年、工業用水法の制定があり、尼崎市、西宮市および大阪市の一部地域を32年6月、33年12月にそれぞれ工業用水法の指定地域とし、さらに、34年4月、大阪市地盤沈下防止条例を制定し、地下水源の転換を進めることとなった。
 しかしながら、36年9月、第2室戸台風が大阪地方を襲い、都市部の中之島や東部の低地帯等市域の1/3が高潮によって浸水し浸水家屋11万戸、被災者47万人に達した。とくに、33年に完成した高潮堤防を乗り越えて市内各所が浸水したことは、地盤沈下防止の重要性をあらためて認識させた。この災害を契機として地下水くみ上げ規制強化の声が高まり、その結果37年、工業用水法を改正強化することとなり、さらにビルの雑用水等の地下水くみ上げ規制の法律の制定となった。大阪市においては37年、全国にさきがけてビル用水の地下水くみ上げ規制を市全域にわたって実施し、また、工業用水の地下水採取規制も当時80〜120m以浅の井戸の規制であったものを500m以浅、600m以浅の規制に改めるなど規制を強化した。その結果、地下水くみ上げ量はしだいに減少し(第2-4-4図および第2-4-4表参照)、それに伴い地盤沈下量は35〜36年をピークとしてしだいに減少し、大阪市此花区島屋町では年間1cm程度、尼崎、西宮の臨海地帯でも2cm以下となった(第2-4-5図および第2-4-6図参照)。
 なお、最近大きな沈下を示していた大阪府東部の大東市、東大阪市の地盤沈下については、41〜42年をピークとして減少してきており、さらに45年9月に工業用地下水の水源転換を完了したので、大幅に改善されるものと思われる。

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