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第2節 

5 新潟水俣病の発生から政府統一見解へ

 昭和40年5月31日、新潟大学の椿教授らは、新潟で有機水銀中毒と疑われる患者が発生したことを新潟県衛生部に報告しました。
新潟県は昭和40年6月、新潟県水銀中毒研究本部を設置するとともに、新潟大学等と協力して阿賀野川流域の住民に対して健康調査を実施しました。同年9月に原因究明のため厚生省に設置された新潟水銀中毒事件特別研究班は、農薬説を主張する昭和電工による反論はあったものの、42年4月、疫学的調査結果等を踏まえ、原因は昭和電工の排水である旨の報告を厚生省に提出しました。
昭和43年9月26日、厚生省及び科学技術庁は、政府統一見解を発表し、熊本で発生した水俣病については、チッソ水俣工場の「アセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物」が原因であり、新潟水俣病については昭和電工の「アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物」が中毒発生の基盤であると発表しました。

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