第2節
6 水俣病被害の拡大が問いかけるもの
水俣病の被害が拡大したのは、まさに高度経済成長の時期でした。チッソはプラスチック等の可塑剤(かそざい)の原料であるアセトアルデヒドを生産しており、その生産量は国内トップでした。また、チッソ水俣工場は雇用や税収などの面で地元経済に大きな影響を与えていました。
本節で述べたように、行政は昭和34年11月頃には水俣病の原因物質である有機水銀化合物がチッソから排出されていたことを、断定はできないにしても、その可能性が高いことを認識できる状態にあったにもかかわらず、被害の拡大を防止することができませんでした。その背景には、地元経済のみならず日本の高度経済成長への影響に対する懸念が働いていたと考えられます。水俣病を発生させた企業に長期間にわたって適切な対応をなすことができず、被害の拡大を防止できなかったという経験は、時代的社会的な制約を踏まえるにしてもなお、初期対応の重要性や、科学的不確実性のある問題に対して予防的な取組方法の考え方に基づく対策も含めどのように対応するべきかなど、現在に通じる課題を私たちに投げかけています。
コラム 最高裁判決で認められた国の責任について
平成16年10月15日、水俣病関西訴訟最高裁判決が言い渡され、水俣病の発生と拡大を防止しなかったことにつき、国と熊本県の責任が認められました。
判決は、昭和34年3月1日に、公共用水域の水質の保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律(公共用水域の水質の保全に関する法律とあわせて「水質二法」という。)が施行されており、「経済企画庁長官は、公共用水域のうち、水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の被害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれがあるものを『指定水域』として指定するとともに(略)、当該指定水域に係る『水質基準』を定めるものとされている(略)。また、主務大臣(略)は、工場排水の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、これを排出する者に対し、〈中略〉特定施設から排出される工場排水に関して規制を行う権限を有するものとされて」いるとした上で、国に対し、「同年(注:昭和34年を指す。)11月末の時点において、水俣湾及びその周辺海域を指定水域に指定すること、当該指定水域に排出される工場排水から水銀又はその化合物が検出されないという水質基準を定めること、アセトアルデヒド製造施設を特定施設に定めることという上記規制権限を行使するために必要な水質二法所定の手続を直ちに執ることが可能であり、また、そうすべき状況にあったものといわなければならない。そして、この手続に要する期間を考慮に入れても、同年12月末には、主務大臣として定められるべき通商産業大臣において、上記規制権限を行使して、〈中略〉必要な措置を執ることを命ずることが可能であり、しかも、水俣病による健康被害の深刻さにかんがみると、直ちにこの権限を行使すべき状況にあったと認めるのが相当である。また、この時点で上記規制権限が行使されていれば、それ以降の水俣病の被害の拡大を防ぐことができたこと、ところが、実際には、その行使がされなかったために、被害が拡大する結果となったことも明らかである。本件における以上の諸事情を総合すると、昭和35年1月以降、水質二法に基づく上記規制権限を行使しなかったことは、上記規制権限を定めた水質二法の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、著しく合理性を欠くものであって、国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである。」としています。
なお、水質二法によって水俣湾が指定水域に指定され、排水規制が行われたのは昭和44年であり、この時点ではすでにチッソ水俣工場のアセトアルデヒドの製造は中止されていました。
このように、水質二法に基づく規制措置は、規制が必要な水域を個々に指定するための調査に時間がかかるなど、結果として後追い行政にならざるをえないという性格を有していました。このこともあり、昭和45年のいわゆる公害国会において、水質二法に代え、全公共用水域に国が定めた一律の排水基準(地方公共団体による上乗せ可)を適用する水質汚濁防止法(昭和45年法律第138号)が制定されました。