前のページ 次のページ

第2節 

3 とどめられた原因究明

 チッソは、昭和33年9月、水俣湾の百間港に排出していたアセトアルデヒド製造工程の排水を、一旦「八幡プール」に溜めて上澄みを水俣川河口に放流するように変更しました。その結果、翌年3月以降、水俣川河口付近及びそれより北側の地域で新たな患者が発生し、同年10月に通商産業省(以下「通産省」という。)がチッソに対して排水路の廃止等を指示し、同年11月には「八幡プール」から水俣川河口への排水は停止されました。
昭和34年7月には、熊本大学医学部水俣病研究班が「水俣病の原因物質は水銀化合物特に有機水銀であろうと考えるに到った」ことを報告しますが、科学者の中には有機水銀説を支持しない者もいました。
昭和34年11月11日に開催された「水俣食中毒対策に関する各省連絡会議」において、熊本大学から工場排水による有機水銀中毒が考えられるとの報告がありましたが、他の同種化学工場の排水では同様の病気が発生していない、無機水銀が有機化する機序が分からないなどの意見が出されました。翌日の厚生省食品衛生調査会では、厚生大臣に対して水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」と答申されるにとどまり、発生源については触れられませんでした。
なお、水俣病の原因を究明するために昭和34年1月に食品衛生調査会の中に発足していた水俣食中毒特別部会は同年11月13日に解散しました。

前のページ 次のページ