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第2節 

2 初期対応

 公式確認後、水俣市奇病対策委員会が設置され、熊本県は熊本大学に研究を依頼し、厚生省は厚生科学研究班を結成するなど、疾病の原因究明が始まりました。
初期の段階においては、原因として伝染病等が疑われましたが、昭和32年3月には、厚生科学研究班が「現在最も疑われているものは(中略)水俣湾港に於て漁獲された魚介類の摂食による中毒である。魚介類を汚染していると思われる中毒性物質が何であるかは、なお明らかではないが、これはおそらく或る種の化学物質ないし金属類であろうと推測される。」と報告するに至りました。
このように水俣湾の魚介類を食べることによって水俣病が発生する疑いが出てきたことから、熊本県の行政指導により水俣市漁業協同組合(以下「水俣市漁協」という。)は昭和32年8月から水俣湾内での漁獲の自主規制を始めました。また、熊本県は食品衛生法を適用し、魚の捕獲等を禁じるという方針を固め、昭和32年8月、厚生省に食品衛生法適用の可否を照会しました。これに対し厚生省は、「水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので(中略)適用することは出来ないものと考える。」と回答しました。
このころには厚生科学研究班が、原因物質として、セレン・マンガン・タリウムに注目する等、まだ原因物質は特定されていませんでした。

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