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第2節 

2 アジア太平洋地域における環境問題の現状

 アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の「アジア太平洋地域の環境の現状 1995年」等によれば「土壌」「森林」「淡水」「大気汚染と気候変動」「生物多様性」「海洋」「都市・衛生環境」については以下のとおりとされている。
(1) 土壌
 土壌は食料生産を始めとして、人間や動物の生存に必要なものを提供する重要な天然資源である。土壌は再生能力を持つとはいえ、その再生には極めて長い時間を必要とする。そのため適切に利用されていれば持続的にその恩恵を享受できるが、現状は人間活動に伴う影響や負荷が土壌の再生能力を超えており劣化が進行している(第3-2-3表)。
 アジア太平洋地域は巨大な人口を有している一方、人口密度当たりの耕作可能域を国別に比較すると、他の地域と比べて1人当たりの耕作可能地が少ないことが分かる。アジア太平洋地域は、資源として利用可能な土壌は限られている。とりわけ小島嶼においてその傾向は特に著しい。
 土壌資源の量的制約に加えて、現在利用可能な土壌についても質的な劣化が進行している。土壌劣化の種類は、水や風による侵食と、化学的、物質的劣化がある(第3-2-1図)。乾燥、半乾燥及び乾燥半湿潤地域における土壌劣化を砂漠化という。
 水や風による侵食は土壌劣化の中で特に大きな割合を占める。これらは直接的には水流や風等の自然の力によるが、侵食自体は裸地が風水にさらされるために生じるのであり、裸地は過度の伐採や放牧などの人間の活動が原因でできることが多い。
 水による侵食はヒマラヤ、インドやスリランカで特に激しく、また傾斜地で植生被覆が失われた地域で発生しやすい。風による侵食は、中国西部、モンゴル、中央アジア等乾燥している地域で広がっている。
 化学的な土壌劣化には、塩類集積、栄養不足、酸性化、化学物質による汚染等があり、アジア太平洋地域で特に深刻なのは乾燥・半乾燥地域における塩類集積の害である。塩類集積は、灌漑農業の際に過剰な灌漑水や塩類濃度の高い地下水を用いるために、水分が蒸発した後に水に含まれていた塩類が表土に集積し農地を劣化させるといったケースが多い。
 土壌の物質的な劣化としては、過度な浸透性による土地痩せ、表面の固化等が挙げられる。こうした土壌もやはり耕作には不適となる。
 土壌劣化につながる自然環境の要因には、気候、地質、地形等があり、これらに加わる様々な人間の活動がきっかけとなって土壌の劣化が発生する。こうした原因には、森林減少、過放牧が大きな割合を占めている。(第3-2-2図)
 過度な森林伐採、不適切な農業等に伴う土壌劣化は長期的には収穫の減少を招き、一層の貧困につながってしまう。


(2) 森林
 森林は、文化、経済などと深い関わりを持っている。森林は、多様な生態系を保持し、木材、パルプ、薪炭、薬、果実、ゴム、油脂等林産物の産出源となる。森林は、森林生態系として生物資源を保全しているとともに、公益的機能として土壌侵食の予防、水源の涵養等の機能も有している。
 アジア太平洋地域の森林は世界の森林の17%を占め、その中には世界最大規模のマングローブ林を始め、熱帯降雨林や熱帯季節林、温帯林などを擁している(第3-2-3図)。
 しかし、アジア太平洋地域の天然林減少は世界で最も速く、中でも東南アジア地域の島嶼部において急激な森林減少が見られる(第3-2-4図)。
 国土内の森林面積に対して減少の割合が際立って高いのは、バングラデシュ、パキスタン、フィリピン、タイである。森林全体の面積が大きいため減少率は低いものの、インド、インドネシア、マレイシア、ミャンマーにおいても多くの森林が失われている(第3-2-4表)。
 森林減少の原因は、直接的には、農地等への転用、非伝統的な焼畑、過放牧、薪炭材の過剰採取等が主なものだが、人口問題、土地利用、エネルギー需要等とも密接に関わっている。特に急激な人口増や経済成長が多くの国で森林資源への過度な圧迫の要因となっている。
 農業拡大の森林への負荷は、インド、バングラデシュ、ネパール、ミャンマー、スリランカで著しい。これらの国では急激な人口増による食料需要の増大という緊迫した問題に先に対応しなければならないため、森林の農地化が進められ、森林の保全・造成が後回しになってしまっている。大規模農場の開発としては、マレイシア、インドネシアのゴム農園、中国やインドの茶、その他タバコやヤシ油の農園開発等も森林を大規模に減少させる要因である。
 その他の原因としては、非伝統的な焼畑、過放牧、薪炭材の過剰採取、過度の森林伐採、道路、貯水池、運河等の大規模な公共施設の建設、採掘、居住用地の確保のために森林が失われている。
 近年は開発にともなう火入れにより一度に失われる森林の規模も大きくなっている。


(3) 淡水
 淡水は生存に欠かせない資源である。淡水の源は、河川、地下水脈、湖、人工の貯水池等が挙げられるが、これらは生活用水、農業、産業等の人間の活動に伴い高まりつつある需要によって圧迫を受けている。水資源に関する問題は、量的なものと質的なものに分けられる。
 淡水資源の存在は、地理、気候などの地域性に大きく依存する。中央アジアでは降水量が少なく蒸発が多いため、利用可能な水資源はそれ程多くない。バングラデシュはモンスーン期には十分な降雨があるものの、1年間のその他の季節には降雨が不足している。アジア地域は比較的降水が多いが、雨期に降水が集中していたり、多くの流域で効果的な貯留施設が不足していることにより、利用可能な水資源はごく一部である(第3-2-5図)。
 水供給は、1年当たりの量を人口との比率で測ることが多く、年1人当たりの量が1,000m
3
以下では、慢性的な水不足であり経済活動や人体の健康に影響し、500m
3
以下であれば、絶対的水不足状態とされている。この基準に照らせばシンガポールは既に絶対的水不足の状態である。国全体の平均では数値に表れていないが、中国やインドの一部の人口密集地ではやはり水不足の問題が生じている(第3-2-5表)。中国では、上流の自然劣化、気候変化に加え、利水が増大したために黄河が断流するという深刻な事態が生じている。断流は、1970年代は年平均242km、15日であったものが、1990年代には427km、107日に達し、中下流の農工業生産、市民生活に大きな影響を与えている。アジア地域の人口増加は急激に進行しており、今後水資源開発や供給システムの整備も重要性を増すであろう。
 水質劣化の問題は、生活や産業の排水、農業排水、その他多くの人間活動に起因する汚染や、富栄養化、海水による塩化があり、アジア太平洋地域においても多様な状況を示している(第3-2-6表)。
 病原体による汚染は、特に南アジア、太平洋島嶼国、中国で激しい事例が発生している。これは主として家庭からの下水が未処理のまま河川に垂れ流されていることが原因である。有機物による汚染は、南アジア、中国において顕著であり、パルプ・製紙業、食品加工業等からの排水に起因している。他に島嶼国では、淡水確保のための地下水の汲み上げが海水の侵入につながり、塩害が激しい所も見られる。


(4) 大気汚染と気候変動
 大気環境への負荷は、直接健康に被害を及ぼす汚染と、大気の性質の変化によって間接的に悪影響を引き起こすものに分けられる。前者は硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)、ばいじん等、後者はオゾン層の破壊や気候変動の問題等である。
 アジア地域では都市の急激な発展に伴って、産業活動や交通システムから大量の大気汚染物質が放出されている。品質の悪い燃料や自動車の使用により、二酸化硫黄、窒素酸化物、ばいじん、鉛等による大気汚染が進行している。特にアジア地域の大都市では多くの項目でWHOの基準を超えており汚染が著しい(第3-2-7表)。
 我が国ではそれ程問題となっていないが、途上国では屋内大気汚染の問題も発生している。これは屋内で調理や暖房のために、石炭、薪や家畜の排泄物等を燃料として使用するために生じる。これらの燃料は、ばいじん、NOx、SOx、COや発ガン性物質を放出し人体に悪影響を及ぼす。中国やモンゴルの都市部では多くの家庭で石炭が使われており、室内空気の汚染度も高い。
 化石燃料等の燃焼により大気中に放出される硫黄酸化物や窒素酸化物から生成した硫酸や硝酸は、大気中の水分に溶解して酸性雨の原因となる。主な発生源は硫黄酸化物については石炭火力発電所等、窒素酸化物については自動車等が考えられる。酸性雨の影響は、建築物の劣化、森林や湖沼の生態系への被害が懸念されている。酸性雨は汚染の発生源から遠く離れた場所にも影響するという特徴がある。アジア地域では季節風のために、中国から韓国や日本へ、同様に中国東南部から東南アジアへ、インドからバングラデシュ等へ影響することが考えられる。
 オゾン層破壊に伴う問題は、CFC等の化学物質により成層圏のオゾン濃度が低下するために発生する。オゾン層は太陽光線に含まれる有害紫外線の地表への到達を遮る機能を有するが、オゾンの濃度が低下すると、有害紫外線等の増加により、人体や農作物等に悪影響が生じるおそれがある。従来オゾン層の破壊は南極で観察されていたが、1998年(平成10年)にはNASAにより、チベット上空にも毎年6〜9月にオゾン濃度の低下が生じていることが認められた。
 気候変動による地球温暖化の影響は、アジア太平洋地域に限ったものではない。しかし、この地域は農業に大きく依存しているため、社会的にも経済的にも干害や渇水等の気候変動の影響を特に受けやすいことは推測できる。また、アジア太平洋地域に多く存在する小島嶼国では、温暖化により起こる海面上昇に伴う土地の消失、地下水の塩水化等の影響も深刻になると見られている(第3-2-8表)。


(5) 生物多様性
 アジア太平洋地域は、世界の8大生息域区分の内の、旧北区、インド・マレイシア区、太洋区の3つを擁している(第3-2-6図)。この地域は、砂漠、草原、森林、湿地帯、山脈、海洋といったあらゆる生態系を含む。これらには、世界最大級の山脈、南米に次ぐ世界第二の規模の熱帯林、世界の半分以上のサンゴ礁等が存在する。この結果メガダイバーシティー国家といわれる生物多様性に富んだ12の国うち、中国、インド、マレイシア、インドネシア、オーストラリアといった5つの国がこの地域に存在する。しかしこれらの国でも生物多様性の減少が急速に進んでいる。主な原因は生息域の消失である。
 開発等による生息地の減少の他に、生物多様性を脅かすものは、珍しい動植物の輸出のための乱獲、他地域からの移入種の侵入による既存種の駆逐等がある。
 多様な生物種は、生態系の構成要素として相互に影響し、生態系の維持や物質の循環に役立っている。また、その地域の人間は食料や薬など様々な有用物を生物資源に依存している。多様な生物種はそれぞれがその種固有の価値を内在しており、その中には医薬品の開発や農産物の品種改良に役立つ等人類の将来に必要な価値も含まれている。
 しかし、インド・マレイシア区では、元来の植生の70%を失ったとの推測もある。太平洋区は比較的良好な状況と言われているが、それでも西サモア、トンガ、フィジー、ソロモン諸島、パプアニューギニアなどのサンゴ礁は30%減少したと言われている。森林として維持されていても、開発により分断し、小規模化すると大型生物の生息に適さなくなってしまう(第3-2-7図)。


(6) 海洋
 アジア太平洋地域は、太平洋、インド洋等を含む海洋の恩恵や影響を大きく受けてきた。食料やエネルギーその他の経済的恩恵も海洋に依存するものが多い。
 潤沢な海洋資源や地理的な利便性は沿岸地域に大都市の形成を促してきた。同時に人口の集中は家庭、産業、農業排水等による汚染を進行した。また、都市部以外の沿岸では、マングローブ林の減少、沿岸の侵食などが進行している。
 アジア太平洋地域の海洋への依存は、水産資源の漁獲量にも表れており、世界の漁獲量の47%を占めている。しかし、現在の漁獲量の増加は、水産資源の再生能力を超えているという指摘もある。既に太平洋北西部では漁獲量が持続可能な水準を超えており、資源量の減少が報告されている(第3-2-8図)。
 東南アジア地域の沿岸部は観光資源としても現地にとって大切なものである。この地域の観光は80年代から急速に増え始め、同時に景勝地の環境劣化も引き起こしてきた。保護地区として指定されている地域も多いが、現地でも観光のための開発か自然保護かで意見は必ずしも一致していない(第3-2-9表)。
 世界の海洋環境汚染源の4分の3は陸上の人間の活動に起因しており、ほとんどの栄養塩、沈殿物、病原体、有害物質、熱汚染等は陸上から発生し、海洋を汚染している。このため、海洋への入り口であることが多い港湾部分は、特にこうした汚染が留まりやすく環境の劣化が進んでいる(第3-2-9図)。
 アジア太平洋地域におけるこうした汚染の主な原因は、家庭や工場の排水、流出土砂等である。多くの沿岸の都市では下水処理設備がないため家庭・工場排水は適切な処理がされないまま直接河川に流されている。流出土砂は、土地利用改変に伴う流水域の侵食、建設や採掘の残土が原因となって発生している。
 海洋環境に関わる生態系を構成するものとして、マングローブ林、サンゴ礁等があげられる。アジア太平洋地域におけるマングローブ林の最大の脅威は、エビ養殖池の造成等水産業のための開発であると言える。しかし一方でマングローブ林の開発は、沿岸の侵食や海水の侵入による塩化を引き起こすため、水産業の収穫は減少していく。この結果、水産業のために新たなマングローブ林の開発を繰り返すという悪循環が生じるのである。一方サンゴ礁は海の熱帯林と称されるように、生物の多様性が豊かな環境となっている。しかし、サンゴ礁は、水質、温度、太陽光の量等の変化に非常に敏感であり、前述の水質汚濁による被害が一部で認められている他、ダイナマイト等を使用した不適切な漁業や観光開発等により被害を受けている。


(7) 都市・衛生環境
 アジア太平洋地域における都市部の人口は、1990年代半ばまで3〜6.5%の割合で成長してきた。現在では世界の大規模の都市25のうち13をアジア太平洋地域が占めるに至っている。この地域の人口の都市集中の割合は約35%であり、世界平均の43%と比較するとやや緩いようだが、人口全体の規模の大きさ、社会インフラの未発達もあり、都市化による環境問題は深刻である。
 都市部地域は農村地域と比較すれば、インフラや公共サービスの面で恵まれている。しかし、貧民街や不法占拠地に居住する大部分の貧困層は、不十分な水供給、衛生問題、廃棄物問題に苦しんでいる。南アジアの都市部ではこうした絶対的貧困層の割合が世界で一番高いという報告もある(第3-2-10図)。不法占拠に対しては、行政側も衛生改善等のサービスを提供しにくいため、改善が困難なのが現状である。
 不衛生な環境による健康問題は、我が国では上・下水道、浄化槽の普及と衛生思想の普及により、既に大方の解決をしたものと言える。しかし、途上国の多くで、未だ解決を見ておらず、健康の確保のためには公害等の汚染とともに、環境衛生の対策を同時に行うことが重要である。衛生問題の解決には、適切な水資源開発及び供給システムの構築、都市内の水はけの改善やし尿処理の導入、ごみの適切な処理等によってなされる。これらは水質汚濁の防止とも深い関係を有する。
 路上生活者等、排気ガスと粉じんに満ちた路上で暮らす貧困人口等が多いことも先進国と異なっている。若年喫煙の増加等も指摘されており、途上国の健康的な環境を達成し保全するためには、様々な要因を検討し、複合的な対策が必要とされる。

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