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第1節 

3 我が国における生物多様性と人間の生活

(1) 日本の自然と日本人の自然観

 我が国の自然環境は、地形や気候の変化が大きく、豊かで多様性に富んでいる。動植物の種類も豊富であり、多様な動植物が四季の変化と絡み合い、無数の表情を見せる。しかし、反面多くの自然災害にもさらされており、自然の恵みと脅威を受けながら、長い時の流れの中で文化を築き上げてきた。多様な自然という基盤の上に、地域の環境条件に適した多様な生活様式・多様な生活文化が形成されてきたのである。こうした生活文化の蓄積は、明治以降の近代化の過程において、少しずつ変容してきたものの、なお、日本人の「自然」に対する認識とふれあいの基底には伝統的な自然観が受け継がれているといえよう。
ア 多彩な気候
 冬の沖縄は曇りの日が多いが、移動性の高気圧に覆われた日の日中などは、20℃を越えることがある。一方、同じ時期、北海道では寒波が訪れ、地吹雪が横殴りに吹き付けていることもある。日本列島は南北に約3,000?の広がりを持ち、気候帯としては亜熱帯から亜寒帯までを含む。南北ばかりでなく、本州においては脊梁山脈を境に気象の違いが顕著で、冬には太平洋側が比較的乾燥しているのに対し、日本海側では大量の雪が降り、世界的な多雪地帯となっている。さらに、起伏量が大きく急峻な地形は、我が国の気候を一層変化に富んだものにしている。
 日本の気候の特徴として、このような地域的な違いに加えて、一年の中でも季節の移り変わりとして、多彩な変化を見せることも指摘できる。春夏秋冬というとらえ方のほかにも雨の量で梅雨や秋霖といった特有の季節も存在する。日本列島のこのような地形や季節の多様性は、同時に生物の多様性も生み出している。
イ 多様な生態系
(ア) 森の国・日本
 平成5年現在、日本列島の総面積のうち約67%は森林であり、農用地(約14%)、原野(1%弱)も含めるとおおむね81%ほどが緑で覆われていることになる。日本の自然条件のもとに成立する植生は、本来大部分が森林である。原始時代においては、恐らくより多くの国土が森林に覆われていたであろう。樹木は草に比べて大柄である分豊富な水分を必要とする。我が国における森林の発達は、豊富な雨量に依存している。地球上には森林が一度破壊されるとなかなか元に戻らない地域が多いが、我が国においては豊富な水が、森林の破壊に対して比較的短期間に回復するのを助けてきた。
 先に見たような水平的にも垂直的にも多彩な気候は、変化に富む森林植生を生み出している。そして、多様な森林植生と接する機会に恵まれていることが、住民意識の中に反映されている。日本とヨーロッパにおいて「親しみのある木の名前を五つ挙げてもらう」という方法で森林に対する住民意識を比較した調査がある。その結果には変化に富んだ日本の森林植生が反映されている。第2-1-1表に見られるように日本とドイツの間で挙げられた樹種数の差は極めて大きい。
(イ) 豊かな生物種
 我が国においては、多彩な気候や変化に富む地形に加えて、その地史も豊かな生物多様性を生み出す要因となっている。大陸との連続や分断が何度も繰り返されたことにより、様々な生物が大陸から侵入し、また、海によって隔離されたことで種の分化が起きた。日本に分布する種の数と固有種(その地域にしか分布しない種)の割合を、ほぼ同規模の島国であるイギリス、フィリピンと比較したのが第2-1-2表である。日本より高緯度に位置し、氷河に覆われたことのあるイギリスでは移動能力のある鳥類を除くと生物の種類は全般に少なく、固有種もほとんど見られない。一方、日本とフィリピンを比較してみると、種数の点では熱帯に位置するフィリピンの方が多いが、固有種率の点では、繁殖鳥類以外、両国にそれほど大きな差はない。また日本では、動物ではヤマネ、アマミノクロウサギ、オオサンショウウオ、イボイモリ、ムカシトンボなど、古い時代から生き残っている種が多いことも特徴である。
ウ 人間の営みと生物多様性
 人間活動による生物多様性の減少が問題となっている一方、人間の活動と共生してきた生物たちもある。
 日本人は稲刈りの後に水田を畑化して利用し、畦畔に大豆を植えるなど農地を多層に高度利用してきた。このような利用法が様々な生物に生活場所を提供していた。かつて、水田にはトンボやミズカマキリ、ゲンゴロウなどが見られ、メダカやドジョウが泳ぎ、カエルの声が響き、早苗の間をサギが歩いた。ため池にはタナゴやイモリ、水路には魚の他にもタガメやシジミが生息し、ホタルが幻想的な光を放つ。日本のゲンジボタル、ヘイケボタルは、原生的な自然の中よりも、むしろ人間の生活に近い場所を生息地としてきた身近な生き物である。水田からはやがて水が引き湿地は消滅するが、これらの生物は生活のサイクルを湿地の出現と消失にあわせ、次の年には再びその姿を見せてきた。
 落ち葉かきや伐採など、定期的に人の手が加えられる里山などの雑木林には、オオムラサキやカブトムシが見られた。畦畔等の草地はバッタや草地性のチョウのすみかとなっていた。生物多様性は、原生的な自然環境の中ばかりでなく、我々の身近な環境においても形成されているのである。
 しかしながら、こうした地域の環境が次第に都市化し、農業の営みが変化するにつれて、人の営みと共生してきたこれらの生物は、近年その数が著しく減少しており、これらの生物たちとのふれあいによって育まれた日本人の自然に対する意識にも変化が見られる。
エ 日本人の自然観
(ア) 伝統的自然観
 日本人の伝統的自然観の特徴は、自然と人間とを特に分けることなく一体的にとらえる点にあるといわれる。豊かな自然とふれあう機会の多かった農耕文化のもとで、このような自然観が培われて来たのであろう。自然との一体化は生活様式の特徴としても現れている。自然が相手である農耕生活においては、自然を傷つけることは自らを傷つけることでもあり、自然と共生した生活が展開されていた。かつて江戸の町は巨大な人口を抱えながら、ほぼすべての資源をリサイクルするような都市となっていたが、それを支えていたのは、循環を基本とした考え方と生活様式であった。
 古来、手紙の冒頭に時候の挨拶を入れ、俳句には季語を用いる。花見や紅葉狩りなど自然と一体となった遊びの中にも季節感が感じられる。四季の変化は、日本人の感性に大きな影響を与え、日本独自の生活様式や文化を育んできた。
 自然は、信仰の対象ともなっていた。神の住む山として崇められた山は、富士山から身近な小山にいたるまで数多い。巨木は神木として崇められ、村の水源地に水神様を祭り、水源の森を育んだ。
 このような自然観は、古来から生き続けてきた日本人の感性であるといえよう。しかしながら、自然とのかかわりの中で文化を築いてきた一方で、自然の営みを全体としてとらえず、自然鑑賞の対象を限定し、ありふれたものに対しては興味を示さない傾向も見受けられる。
(イ) 自然とのふれあいの希薄化
 さきに見た日本とヨーロッパにおいて人々に親しまれている樹種数を比較した調査(第2-1-1表)では、当該調査地でのみ記載され、他の都市では挙げられなかった樹種の数が宮崎と東京においてかなり多いものになっていた。宮崎の場合、暖かな気候のもとに分布する樹種が多く、植生の複雑さを反映していると考えられる。しかし、東京で記載されたものの中には、チューリップ、キク、ラン、コスモスなど草本が十数種も含まれており、調査では、住民と自然とのふれあいの希薄化に原因がある可能性を指摘している。
 また、滋賀県で行われたホタルの生育調査では、人々の自然環境に対するイメージと実際の自然の状況との間にズレが見られた。滋賀県内全域の住民のべ2,600人を対象として、ホタルの出現時期に自分の住まい近くの水路や河川、田圃等でホタルの観察を行ってもらい、観察記録と調査した水辺の状況や、ホタルにまつわる思い出を合わせて取り寄せるという形で調査は行われたが、その結果、『こんな川にホタルはいないだろう』という気持ちで調査に参加したが、以外に身近なところでホタルに出会い感動したという報告がとても多かったという。また、調査を通して、身の回りの環境に対して人々の意識が高まったという効果も報告されている。
 この2つの調査結果から、現代の日本人の生活においては、身近なところでの自然とのふれあいは希薄なものになっており、人々の自然観は実際の体験に基づくものよりも、間接的に入ってくる情報からイメージされるという傾向を見ることができる。世界の森林の減少には様々な原因が考えられるが、一時、熱帯林の減少の原因として割りばしの使用が大きく取り上げられたように、環境問題にしても一つの問題化された部分にだけ人々の目は向けられ、全体としての自分たちの生活と環境とのつながりは見えにくくなっている。自然とのふれあいや自然の保護が情報として入ってくる機会は多くなり、人々の意識の中で肯定されてきてはいるが、それが実際の行動とは結びつきにくい状況にある。自然との一体化・共生を特徴としてきた日本の文化ではあるが、今日、日常生活と自然・環境とのつながりをいかに結びつけていくかが、良好な地域の環境を守っていく上で課題となっているといえよう。

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