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第1節 

3 人類の特殊性

 このように見てくるとヒトも他の生物と同様に長い時間をかけて進化の過程を経てきたものであり、その意味で一つの生物種に過ぎないことがわかる。しかし現代の人類は、環境に対してはきわめて特殊な存在になっている。以下では?個体数の変化、?巣(建築物)、?標準代謝量とエネルギー消費量、?食料、?生息密度、?生息域・行動圏、?移動効率に関して人類と生物を環境の観点から比較的に浮き彫りにすることを通じて、現代の経済社会の在り方を考察する上での視点の一つとしたい。
(1) 個体数の変化と寿命
? 個体数の変化
 1994年9月、エジプト・カイロで国際人口・開発会議が開催された。同会議では人口問題と持続可能な開発に関する政策やプログラムとの統合など、人口分野における重要事項が討議され、行動計画の策定を見るなど人口増加に関して国際的な取組が進められている。ここでは近年の急激な人口増加を、生物との比較で見てみたい。
 第1-1-6図は、個体数増加曲線と呼ばれるものである。個体数Nは、制限がなければ指数関数的に増加するが、一般的にはある一定の環境収容力Kが想定され、NがKに近づくほど増加率は低下し、S字型の増加曲線を描く。一般には、個体群の密度が高まるといわゆる密度効果によって産子数や生存率の減少を通じて増加率が調整され、この水準で個体数が保たれるとされる。
 第1-1-7図は、人類の人口増加を示したものである。前述したような考え方から人類に関する環境収容力を約26.4億人と見る予測もなされた(1936年)が、現在、人口はこれをはるかに越える水準にあり、増加基調で推移している。人類は、各種の制限要因を克服し、この環境収容力を上げてきたものと見ることができる。
 個体数の増加が環境収容力を越えた場合の調整は、第1-1-8図のように三つの型があるとされる。つまり変動幅が小さくなりながら調整が進むもの、環境収容力を越えてからの変動は一定のもの、そして行き過ぎと激減という不安定な変動がおこるものである。また、ショウジョウバエ等の昆虫による飼育実験では、食物不足などの諸状況の悪化により個体が一挙に減少する場合もあるとされる。
 次に生存曲線によって生物の生存率を見てみる。第1-1-9図は3つの生物種の生存曲線の例を示したものである。一般に産卵(子)数が多い種は初期死亡の割合が大きく、少ない種はそれが小さい傾向にある。第1-1-10図は人類の生存曲線である。石器時代には10歳前後で個体数の半減が見られるが、現在の日本では、それが75〜80歳位になっている。
? 寿命
 人類の個体の寿命について特徴はあるのだろうか。第1-1-10図からもわかるように人類は、これまで概ねその寿命を延ばし続けている。例えば、図では、石器時代から現代の日本まで数万年という時間をかけて個体の寿命が概ね倍になっているが、その要因としては、安定した食料の確保、医学の進歩等々が挙げられる。このように初期死亡率が減った結果、寿命が延び、個体総数の減少率が低下していることも人類の特殊性の一つである。
 特に近時の開発途上国に見られる出生数の増加と個体総数の減少率の低下及び個体の寿命伸長は、人口の爆発的な増加となって現れている。こうしたことから、先の国際人口・開発会議では、「人類の環境変化に対する脆弱さを算定し、人口によるプレッシャーにさらされ、生態学的に脆弱な地域を見極め、それを監視し、生態系を管理する際の先住民の経験を適応させ、人類のニーズと人間が長期的に依存していく生態系の保護のよりよい調和を促進する対策を展開するための調査が必要」とした。


(2) 巣・建築物
 次に生物と人類の住みかについて見てみよう。一般に生物の巣は、その環境の中で、外観はできるだけ目だたぬように作り出されているものと考えられる。すなわちその種に対する捕食者の目を逃れる必要から、自然の中にいかにとけ込ませるのかが重要になってくるためと考えられる。ところが、人類の建築物、とりわけ現代の建築物は、これらの他の生物の巣とは趣を異にしている。人類がもっぱら自らの力を使った住居建築を行っている場合には、住居は目だつものではなかったものと考えられる。しかし、大型建設機械を駆使して建築した高層マンションを始めとする現代の建築物は、巨大化、複雑化し、むしろ目立つことを意図した場合もある。これにより、我が国でも巨大な建築物等の中で、離れ島のような自然が残されている光景を探すのに難くない状況となっている。こうした現代の経済社会の営みを維持するためには、相応のエネルギー量が必要となる。これとは単純に比較できないが、アフリカ等のシロアリに目を向けてみよう。シロアリはアリ塚を作り、その中で数百万匹が生活するといわれる。アリ塚は巨大化し、結果として外界から目につきやすくなっているという点では、人類のそれと同じ特殊な例として挙げられる。興味深い点は、このアリ塚には温度を一定に保ち、炭酸ガスが充満しないように外気を取り入れ循環させる機能が備わっているとされることである(第1-1-11図)。我々は建築物や地下街において空調のシステムを動かすために大量のエネルギーを消費しているが、シロアリの巣では、こうした環境への負荷なしに同様の機能が働いているといわれる。


(3) 標準代謝量及びエネルギー消費量から見た人類
 人類を標準代謝量から見てみよう。標準代謝量とは、安静状態でのエネルギー消費量であり、一般に単位時間当たりの酸素消費量で表される。
 恒温動物の標準代謝量を調べ、体重との関係を見てみると(第1-1-12図)、一定の関係が見られ、人類もこの直線上に乗ってくるのである。人類も同じ恒温動物としての一存在であるためである。
 ところが、エネルギー消費量の観点から見ると、人類は極めて特異な存在であることがわかる。
 人類は、世界の平均値で見ると食料供給により約130ワットのエネルギーを消費し、また、人類に特有な食料以外のエネルギー消費として、約1,800ワットの一次エネルギー消費を行っている。人類の使用エネルギーと他の動物の使用エネルギーを一概に比較することできないが、日本人の場合では、一次エネルギー消費量は世界平均値の2倍程度であり、約2,000ワットが標準代謝量と考えると、同程度の標準代謝量を有する動物の体重は、概ね4トンになる。他の生物種と比較してエネルギー使用量の割合が大きいといえる。
 標準代謝量は、単細胞から多細胞へ、変温動物から恒温動物へという進化の過程でそれぞれ10倍に増加している(第1-1-13図)。この意味で、現代人のエネルギー消費が他の恒温動物よりさらに1桁大きくなったということから現代人という生き物が他の動物とは質的に違った生き物になったと考えられることが指摘されている。


(4) 食料
 動物がその種属を維持するためには、食物の安定的な確保が重要である。食物をめぐる動物間の争いは、他の種属との争いをできるだけ避け、競合する場合にはより効果的な利用が可能な方法の開発に向かわせたものと考えられる。これにより、動物のさまざまな摂食法、多様な消化器の構造や機能が見られるようになった。
 動物の栄養システムは、動物とその食物との長い相互作用の歴史のなかで形成され、動物は多くの難問を解決して生態上安定した位置(ニッチ)を占めるようになった。つまり、動物は種を残すために、食べることについても進化したと言える。
 以上のようにそれぞれの動物が何を食べるかは種ごとにおよそ決まっていて、それにふさわしい固有の栄養システムを発達させていることが多い。人類も食物を必要とすることは言うまでもない(第1-1-14図)。
 人類は、他の動物に見られない採食行動を獲得した。食物を煮たり焼いたりする調理、加工を行い、可食物の範囲を大幅に拡大したのである。また、道具や武器の創造と使用や農耕・牧畜は、食料の安定した確保をもたらしたものと考えられる。人類は、大規模に自然を改変し、農業等を行うことで食物を摂取している。
 また、調理、飲食に際しても生活排水や食べ残し等が生じ、これによって、少なからぬ環境への負荷が生じている。
 人類は一つの種で地球上の植物生産量の非常に多くの割合を消費しているといわれるが、他の生物のシェアに比べるとこのような状態は極めて特異な位置にあるものと考えられる。


(5) 生息密度
 次に生息密度を見てみよう。一般に生物の生息密度と体重は反比例する関係にあるとされ、哺乳類では、生息密度は55W
-0.90
(匹/km
2
(Wは体重kg))という関係が見られるとされる。例えば、人類の体重を60キログラムとすると一生物としての生息密度は、1.4人/平方キロメートルと予測される。実際の世界平均値は39人/平方キロメートルであるから、これはその約28倍の数値である。さらに、日本の人口密度は、1990年に327人/平方キロメートルであり、これは、一般に見られる体重と生息密度との関係から導かれる予測値に比べ、非常に大きな数値となっていることがわかる。


(6) 生息域・行動圏
 人類は、現在世界中の極めて多くの地域に生存しており、一つの種でこれだけ広範な生息域を有する生物は他にあまり見あたらない(1-1-16図)。
 次に行動圏を見てみよう。哺乳類の行動圏は一般に、0.154W
1.06
(km
2
)の関係があるとされる。この式にヒトを当てはめて計算すると約12平方キロメートル、概ね半径約2キロメートルの円に対応し、30分程度の歩行で移動可能な距離であるが、これは現在の日本の実態とはかけ離れた数字である。
(7) 移動の効率
 走る、飛ぶなどして身体を移動させる場合、どれだけのエネルギーを使用するのかを比較するため、1キログラムの体重を1メートル運ぶのに必要なエネルギー(運搬コスト)を計算すると体重の-0.3乗に比例する右下がりの直線となる関係が見られる(第1-1-17図)。このことから、動物のサイズが大きいほど1キログラム当たりの運搬コストが低くなることがわかる。空を飛ぶことは地上を移動するより経済的であるが、水中を泳ぐコストは、これらより経済的である。人類は、自ら歩く、走るの他に乗り物を用いて移動することができる。乗用車と飛行機について見てみると、一人で乗用車に乗って移動する場合では同重量の動物の移動に比べて約40倍のエネルギーを消費しており、移動のための効率は極めて悪い。なお、自転車は、人類の発明した乗り物としてはもとより、他の生物の移動と比較しても遜色の無い効率がよいものであることがわかる。

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