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第1節 

2 サルからヒトへ

 生物の歴史をもう少し人類に近づけ、現代人の特殊性を考える上で示唆を与えてくれるサルからヒトへの進化を見てみよう。そこではヒトだけが保有する特徴の萌芽が見られる。
 哺乳類が適応放散をした空間の多くは、既に爬虫類が開拓したものであったが、ある生活空間を独自に開拓した哺乳類がいた。樹上空間を開拓したサル類である。
 サル類は熱帯林で生まれたとされる。動物にとって重要な植物の光合成により生産される有機物の量は、熱帯林で年間1ヘクタール当たり30〜40トンに達するとされる。サバンナの年間1ヘクタール当たり4〜7トンという数値と比較しても、熱帯林の豊かさがわかる。
 一方、哺乳類の現存量を見ると、熱帯林の樹上部1平方キロメートル当たりでは、最大2トン程度、サバンナでは15〜30トンに達すると推測される。このことは熱帯林の方が競合者が少ないことを意味する。また、熱帯林では、サル類に対する天敵(捕食者)が極めて少ない。食物については、可食量等複雑な問題があるが、競合するものや捕食者が少ないことと併せ考えると、熱帯林はサル類にとって生息環境の面では極めて余裕のある良好な場となっているものと考えられる。
 こうした熱帯林は、近年急速に失われつつあるが、それについては、章を改めて見ることとする。
 次に、サル類の形態的適応を見てみよう。樹上生活に対してサル類は、特異な形態的適応をみせた。樹上生活では、木から木への移動、或いは果実や葉の採食が求められる。これによって、サル類では親指と他の4本の指が向き合うようになり、物を指でつかむ能力が発達した。
 この物を把握する能力の獲得によって、サル類では、手と足の機能が分化した。ヒトへの進化の出発点は、直立二足歩行であるとされる。しかし、それにはいくつかの生理学的、形態学的な問題を解決しなければならない。例えば、哺乳類は躯幹が水平であり血液循環が容易であるのに対し、直立二足歩行では、心臓の負担が大きくなる。サル類は、その前段階として森林生活の中で手で食物をとる採食行動などによって上体を直立する姿勢を確立していたのである。また、サル類は樹上で生活することにより、枝から枝への跳躍などに際して距離を正確に把握する能力を要求された。このため、両眼が顔の前面に並ぶように進化した。これによって、サル類は物体を立体的に把握できるようになった。さらに、陸生哺乳類の中で霊長類だけが特に多彩な色覚を獲得したとされる。
 以上見たような手と足の分化、すなわち物の把握能力の獲得向上と躯幹直立姿勢、視覚の発達は、大脳の進化と密接する進化の基礎的な条件であったとされる(第1-1-4図)。
 樹上は極めて生活条件のよいところであり、個体数が増大した。これに対処する必要性から、サル類は、個体数の自己調節能力を進化させた。成長速度を遅くするとともに、一産一子、出産間隔の長期化、生理的早産を進めたのである。これらにより個体数は比較的平衡を保つこととなり、その諸性質は母子関係を緊密にし、社会性を発達させるなど行動的・社会的基礎となった。
 次に、サルからヒトへの進化の模様を分子生物学のこれまでの成果をもとに概観して見よう。
 分子進化学では、DNAの塩基配列等を比較することによって生物の進化的な距離を推定することができる。ヒトとチンパンジーのDNAの塩基配列の違いは、1〜2%程度であると考えられているので、約500万年前にこの2つの系統が分化したとされる。同様におよそ800万年前にゴリラの系統が、1300万年前にオランウータンの系統が分化したとされている(第1-1-5図)。
 人類の最古の化石は1992年にエチオピアで発掘されたアウストラロピテクス・ラミドゥスで、440万年前のものとされるが、分子進化学などの成果を入れて総合的に考えると、人類は今から約500万年前、アフリカで誕生したとされる。サルがヒトに進化するための生態学的な基盤は、森から出てサバンナに進出したことにあるとされている。そこで起こった大きな出来事の一つは、二足直立歩行という移動様式を獲得したことである。
 森はサル類にとっては楽園であったが、サバンナでは、ライオン、チーターなどの強力な捕食者からの防衛と狩猟による食物獲得という新しい課題を解決しなければならない。原初人類は道具(武器)の使用と製作、それに協同行動によってこの問題に対処した。生活様式の確立とともに、二足直立歩行、家族の形成、言葉の獲得、制度の形成等が行われ、ヒト化は完成の方向に進展したのである。

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