2 地球概念の定着
今日の環境問題への関心は、地球環境問題を牽引車として高まってきている。1972年の国連人間環境会議の時にも「宇宙船地球号」の考え方は存在していたが、人々に実感されるには至らなかった。では、今日、「地球は一つ」という考え方、概念が人々をとらえ、人々の関心が地球環境問題解決の行動への契機となっているのであろうか。
この20年の間に大きな変化があった。
第一は、地球環境問題をはじめとした環境問題の深刻化と拡大である。先進国、ソ連・東欧諸国、開発途上国のいずれにおいても、環境問題を自らの国の課題として認識しはじめた。
第二は、ソ連のペレストロイカ政策による東西冷戦の終結である。この影響は多方面にわたる。まず、米国及びソ連の超大国による核戦争の脅威は減少し、それに伴い、国際政治の重要課題として、地球環境問題が人類共通の脅威として浮かび上がってきた。東西対立解消を最も敏感に受けたヨーロッパにおいて、環境問題が大きな政治上の課題となったことは、国内の環境保護派の台頭とともにこのような国際情勢の変動も大きくかかわっているものと考えられる。次に、湾岸危機などの様々な揺りもどしはあるものの、中長期的には軍備のために用いられていた資源が環境対策を含む生活向上のために用いられる可能性が生まれた。さらに、情報公開により、ソ連・東欧諸国での環境問題の状況が広く知られるようになり、かつ、市場経済の導入の方向が示されたことにより、民間ベースを含め環境対策についての国際協力の余地が拡大した。
第三は、人口や経済など世界的な経済社会活動の大幅な拡大傾向が続いていることである。1972年のローマクラブの「成長の限界」は、幾何級数的に増大する人口や資源の使用などによる成長の限界を説き大きな衝撃を与えた。こうした懸念に対し、国連の「環境と開発に関する世界委員会」において「持続可能な開発」の考え方が提唱された。「持続可能な開発」について、同世界委員会の報告書では「持続可能な開発とは、将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発をいう。持続可能な開発は、鍵となる二つの概念を含んでいる。一つは、何にも増して優先されるべき世界の貧しい人々にとって不可欠な必要物の概念であり、もう一つは、技術・社会組織のあり方によって規定される、現在及び将来の世代の欲求を満たせるだけの環境の能力の限界についての概念である。」等と述べられている。
このような情勢の大きな変化に加え、人々の環境問題への理解と認識を容易にする次のような変化があった。
第一は、宇宙と地球に関する科学の発達である。1960年代の人工衛星、さらには1969年のアポロ宇宙船の月着陸が契機となって「宇宙船地球号」の思想を生んだが、その後の宇宙飛行の定着、とりわけスペースシャトルが宇宙飛行をより現実的なものとし、多様な国籍の宇宙飛行士を生んだ。平成2年12月、日本人初めての宇宙飛行士も誕生した。宇宙に浮かぶ、極めて薄い大気の膜で覆われた地球という惑星を、客観的に、より身近に見る機会が増大した。宇宙や地球の成立等についての科学の進展や昭和基地で観測されていたオゾン量の減少が人工衛星によってオゾンホールとして確認されるなど、地球科学の発展があり、その成果が広く知られるようになったことがある。
第二は、情報通信手段の飛躍的発達である。リモートセンシングやコンピューターグラフィックスの発達によって人々は広範でより多くの情報を映像で認識できるようになった。これを用いて、地球環境についての情報が、分りやすく解析され、テレビや雑誌などで一般の人々に提供された。さらに、人工衛星を用いた世界的な情報通信ネットワークが形成され、世界の人々が同時に同じ情報を共有できるようになった。
第三は、交通手段の発達による行動範囲の拡大である。時間的に地球が狭くなるとともに、交通手段の価格が相対的に低下し、多くの人々が国を越えて交流するようになった。今まで、外国人に会ったこともない人が国籍の異なる人と話をするようになった。日本人の海外への旅行者は年間1,000万人を越えた。
これらの情勢の変化、コミュニケーション手段の発達等が、人々の心に「地球」という概念を定着させ、様々な分野で「地球規模で考える」ことを現実のものとしている。そして、「世界は一つ」という国境を越えた新しい思考に基づいて、身近な環境問題と地球環境問題とを一つのものと考え、行動することを可能としている。